押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

39 / 86
第39話 容器が来たので、薬になります

 

 六畳間に届いた段ボール箱は、またしても澪の予想より大きかった。

 

 最近、通販画面の寸法表示は信用している。信用しているのだが、箱が現実の玄関先に置かれると、数字では見えていなかった圧迫感が出る。澪はスリッパのつま先で箱を少し押し、動かない重さに小さく息を吐いた。

 

「……今回は薬の容器。薬の容器だから必要経費」

 

 自分に言い聞かせてから、カッターでテープを切る。

 

 最初に出てきたのは、100ml透明トラベルボトル10個入りの袋だった。しかも1袋ではない。いくつもある。透明な小さなボトルが、同じ形で、同じ蓋をつけて、袋の中でぎっしり並んでいた。

 

 次に、20mlクリームケースの袋が出てきた。

 

 こちらも多い。

 

 小さく丸い。白い蓋がついている。手のひらに乗せると軽いのに、蓋はしっかり閉まる。澪はひとつ取り出して、くるりと蓋を回した。きゅっと閉まる感触がある。

 

「これ、薬が終わっても絶対小物入れにされるやつだ」

 

 つぶやいた声が、六畳間の壁に返ってきた。

 

 グリセリンのボトルも入っている。ラベルシール。油性ペン。小さな計量カップ。スポイト。念のために買った使い捨て手袋。清潔な小皿。

 

 ローテーブルに並べると、部屋の一角が急に、薬局の詰め替え作業場のようになった。

 

「10個入りって、1袋だと少ないと思ったんだよね」

 

 澪は床に並んだ透明ボトルの袋を見た。

 

「複数袋になると、急に業者っぽい」

 

 袋を一つずつ数え、注文履歴と照らし合わせる。数は合っている。合っているから困る。買ったのは自分だ。間違って多く届いたわけではない。

 

 レシートと注文履歴を見て、澪はしばらく黙った。

 

 押入商会は、まだ売上ゼロである。

 

 光る棚を買った。屋根に貼る薄い発電シートを買った。力をためる箱を買った。水で薬草を育てる棚を買った。今度は容器とグリセリンである。

 

 売上ゼロ。

 

 仕入れだけ、着実に積み上がっている。

 

「売上ゼロなのに、容器だけ業者……」

 

 言葉にした瞬間、胸の奥が冷えた。

 

 澪は透明ボトルの袋を収納に登録し、クリームケースも登録した。グリセリンは倒れないように別枠で登録する。ラベルシール、ペン、スポイト、計量カップも入れる。

 

 全部、必要なものだ。

 

 必要なものなのに、財布には厳しい。

 

 澪は押し入れの前で深呼吸した。

 

「薬にする。ちゃんと薬にする」

 

 それだけ言って、押し入れの向こうへ踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 セルマ工房の作業台は、すぐに容器で埋まった。

 

 澪が収納から100ml透明ボトルの袋を出す。次に20mlクリームケースの袋を出す。ラベル。スポイト。グリセリン。計量カップ。

 

 薬草の束、月塩の小瓶、蜜晶の小皿が並ぶいつもの作業台が、見たことのない透明な容器で白く光った。

 

 リュシアは作業台を見て、最初に眉を上げた。

 

「澪、今度は空の瓶屋でも始めるのかい」

 

「薬です。薬には容器が必要なんです」

 

「数が多いね」

 

「まとめ買いの方が安かったので」

 

 リュシアは口の端を上げた。

 

「その言い方、商人っぽくなってきたね」

 

「やめてください」

 

 セルマは、100ml透明ボトルをひとつ手に取った。

 

 揺れない灯りに透かす。中身が入っていなくても、向こう側の薬草棚がぼんやり見える。軽く、蓋はしっかり締まる。指先で押しても、薄いガラスのようには割れそうにない。

 

「軽いのね」

 

「はい。落としても、すぐ割れる感じではないです」

 

「中も見える」

 

「濁りや沈殿があれば、見つけやすいです」

 

 セルマは蓋を回した。開ける。閉める。もう一度開ける。動きに引っかかりはない。

 

 次に、20mlクリームケースを手に取る。丸く、浅い。蓋を開けると、中に薬をすくいやすそうな空間がある。ボトルとは形がまったく違う。

 

「飲む薬と塗る薬を、容器で分けるのね」

 

「はい。間違えて飲まないように、見た目から変えます」

 

 リュシアはクリームケースを指でつまんだ。

 

「この容器、返ってこないね」

 

「ですよね」

 

 澪は言う前から分かっていた。

 

 リュシアは即答する。

 

「返ってくるわけがない。軽い。蓋が閉まる。中身が見える。薬がなくなった後も使える。客は絶対に持って帰る」

 

「容器回収制度、やる前から終了ですね」

 

「やる前に分かってよかったじゃないか」

 

 セルマも頷いた。

 

「空になった容器へ詰め直すのもやめましょう。洗い方も分からないし、誰が何を入れたか分からないものへ薬は入れないわ」

 

 澪は記録帳を開いた。

 

 容器込み。

 

 返却なし。

 

 再充填なし。

 

 書く欄がまた増えた。

 

「薬を入れる前から、容器のルールが増えました」

 

「薬は中身だけではないわ」

 

 セルマは透明ボトルを作業台に戻した。

 

「何に入れるかも、薬のうちよ」

 

 澪は少しだけ背筋を伸ばした。

 

 容器を大量に買ってしまった言い訳ではなく、少しだけ正当な理由に聞こえた。

 

 

 

 

 

 グリセリンのボトルを出すと、セルマの目つきが変わった。

 

 透明な液体が入っている。だが、水とは動き方が違う。澪がゆっくり傾けると、液面は少し遅れて、重たそうに傾いた。

 

「それは何?」

 

「グリセリンです」

 

「グリセリン?」

 

「油から作った、とろっとした、水と混ざる材料です。保湿液というか、溶剤というか……肌に残りやすいんです」

 

 リュシアが眉を寄せた。

 

「油なのに、水と混ざるのかい」

 

「そこが便利なんです」

 

 澪は小皿にごく少量を出した。透明な液体は、皿の上で丸く広がらず、少し厚みを持って留まった。

 

 セルマは薬匙の先でそっと触れた。

 

 水ではない。

 

 油ほどべたつかない。

 

 しかし、金属の匙の表面に薄くまとわりつく。

 

 セルマは指で直接触れず、薬匙の動きだけで粘りを見る。その仕草は慎重で、澪が説明するより先に、液の性質を読もうとしていた。

 

「軟膏の脂とは違うのね」

 

「はい。油の膜というより、水と混ざって、とろみを出す感じです」

 

「薬効露と混ざる?」

 

「混ざるはずです。だから、塗り薬に使えます。さらさらの薬効露だと傷の上から流れちゃいますけど、これを混ぜると肌に残りやすくなります」

 

 セルマは、もう一度グリセリンの瓶を傾けた。

 

「こちらで作れるの?」

 

 澪は一瞬詰まった。

 

 作り方を調べれば分かるかもしれない。けれど、同じ品質で、安定して、今すぐ作るのは別の話だ。こちら側の油、設備、精製、清潔さ。全部を考えたら、簡単とは言えない。

 

「……難しいかもです。少なくとも、今すぐ同じ品質で作るのは無理だと思います」

 

 セルマは瓶から目を離さなかった。

 

 その沈黙で、澪はセルマが何を考えているのか分かった。

 

 澄み塗り薬は、セルマ工房の薬でありながら、あたしの国の材料に依存する薬になる。

 

 セルマは静かに言った。

 

「なら、これは澪の国の材料を使う薬になるのね」

 

「はい」

 

 リュシアはすぐに言った。

 

「つまり、高い材料。安売り禁止」

 

「そこに行くの早いです」

 

「早く決めないと、後で安くしろって言われるよ」

 

 澪は言い返せなかった。

 

 グリセリンの透明な液は、小皿の上で静かに光っている。

 

 薬効露だけでは薬にならない。

 

 容器だけでも薬にならない。

 

 グリセリンもまた、薬の外側を支える材料だった。

 

 

 

 

 

 飲む薬を作る作業は、思ったよりも緊張した。

 

 水耕治癒草薬効露は、小さな瓶に入っている。透明度は高い。苦味も少ない。けれど、前回の抽出ごとに濃さは少しずつ違う。

 

 そのまま100mlボトルへ入れれば、瓶ごとに効き方が変わってしまう。

 

 セルマは作業台の上へ、清め水の瓶、月塩、蜜晶、薬効露を並べた。澪は100ml透明ボトルを数本立てる。透明な容器が並ぶと、それだけで何か商品めいて見える。

 

 まだ売れていないのに。

 

 澪はその考えを振り払った。

 

 まず作る。

 

 鑑定する。

 

 そろえる。

 

 薬効露をスポイトで少し取り、清め水へ落とす。セルマが月塩を銀匙の先にほんの少し取り、液面へ落とした。蜜晶はさらに少ない。

 

 澪は鑑定をかけた。

 

----------------------------------

飲用澄みポーション調整液

 分類:飲用錬金薬

 主成分:水耕治癒草薬効露

 希釈水:清め水

 容量:100ml

 薬効濃度:標準化中

 目標:上等初級ポーション相当

 苦味:ほぼなし

 濁り:なし

 推奨:同一濃度で小分け

----------------------------------

 

「標準化中……」

 

 澪が読むと、セルマが頷いた。

 

「薬効露のままでは、瓶ごとに強さが変わるわ」

 

「だから薄めるんですね」

 

「薄めるのではなく、そろえるの」

 

「言い方が急に専門家です」

 

 セルマは澪を見た。

 

「専門家よ」

 

「はい」

 

 澪は素直に頷いた。

 

 薬効が強すぎる分には良い、というものではないらしい。強さがばらつく薬は、使う側が困る。セルマは薬効露を足す時も、清め水を足す時も、澪の鑑定を待った。澪は表示を読み、セルマは瓶を揺れない灯りに透かし、濁りや沈殿を見た。

 

 同じ濃さ。

 

 同じ量。

 

 同じ容器。

 

 同じ薬として出すために、細かい調整が続いた。

 

 澪は100ml透明ボトルへ慎重に注いだ。口が小さいので、最初の1本目は少しこぼしかけた。慌てて計量カップの角度を直す。

 

 リュシアが横から言った。

 

「高い容器にこぼすなよ」

 

「今言わないでください」

 

「こぼしたら高い薬も減るだろ」

 

「もっと言わないでください」

 

 どうにか数本を詰め終え、蓋を閉める。

 

 澪は完成したボトルを鑑定した。

 

----------------------------------

飲用澄みポーション

 分類:飲用錬金薬

 容量:100ml

 主成分:水耕治癒草薬効露

 希釈水:清め水

 安定化:月塩

 補味:蜜晶微量

 薬効:小さな切り傷、擦り傷、軽い打撲の回復補助

 薬効濃度:標準化済み

 苦味:ほぼなし

 濁り:なし

 品質:上等初級

----------------------------------

 

 セルマはボトルを揺れない灯りにかざした。

 

「濁りはないわ」

 

 澪はほっと息を吐いた。

 

 透明なボトルの中で、澄みポーションは本当に薬の顔をしていた。

 

 

 

 

 

 塗り薬の方は、最初からうまくいかなかった。

 

 薬効露にグリセリンを少しずつ混ぜる。最初はさらさらのまま。そこへグリセリンを足すと、液が少し重くなる。セルマが薬匙ですくい、垂れ方を見る。

 

「もう少し肌に残したいわね」

 

「じゃあ、少し足します」

 

 澪は慎重に足したつもりだった。

 

 だが、鑑定は容赦なかった。

 

----------------------------------

澄み塗り薬試作液

 分類:塗布用錬金薬

 主成分:水耕治癒草薬効露

 基材:グリセリン

 粘性:やや高い

 肌残り:強

 伸び:不足

 推奨:薬効露を少量追加

----------------------------------

 

「伸び、不足……」

 

 澪は表示を読んで固まった。

 

 リュシアがクリームケースの蓋を並べながら言う。

 

「薬にまで伸びがいるのかい」

 

 セルマは薬匙の先の液を、小皿の上で薄く伸ばした。途中で少し重く止まる。

 

「肌に薄く広がらないと、塗り薬としては使いにくいわ」

 

「なるほど……」

 

 澪は薬効露を少量足した。混ぜる。もう一度、セルマが薬匙ですくう。今度はゆっくり垂れ、皿の上で薄く広がった。

 

 澪は再鑑定する。

 

----------------------------------

澄み塗り薬

 分類:塗布用錬金薬

 主成分:水耕治癒草薬効露

 基材:グリセリン

 容量:20ml

 粘性:中

 肌残り:良好

 伸び:良好

 薬効:擦り傷、小さな切り傷の保護補助

 刺激:低

 注意:飲用不可

----------------------------------

 

「飲用不可。ちゃんと出ました」

 

「それは大事ね」

 

 セルマの声は真面目だった。

 

 澪は20mlクリームケースを開け、澄み塗り薬を詰めた。小さいので、量がずれるとすぐ分かる。スポイトと小さな匙を使いながら、少しずつ入れる。蓋を閉めると、透明ボトルとはまったく違う商品に見えた。

 

 蓋には手の印をつける。飲む薬には雫の印。

 

 リュシアがそれを見て頷いた。

 

「見た目も違う。売る時も間違えにくい」

 

 セルマはクリームケースを手に取り、蓋を開けた。薬匙で少しすくい、皿の上で伸ばす。

 

「これなら、傷へ留まるわ」

 

「飲む薬とは絶対に分けます」

 

「分けるだけでは足りないわ。詰める場所、置く場所、渡す時の言葉も分ける」

 

 セルマは蓋を閉めた。

 

 薬を作っている人の顔だった。

 

 澪はまた記録帳を開いた。

 

 雫の印。

 

 手の印。

 

 飲用不可。

 

 渡す時に必ず言う。

 

 書くことが増えていく。

 

 

 

 

 

 作業台の上に、100ml透明ボトルと20mlクリームケースを一組として並べると、急に「手当て一式」という顔になった。

 

 飲む薬。

 

 塗る薬。

 

 同じ治癒草から来た薬効露なのに、役割が違う。

 

 澪は単品価格を考えかけた。飲み薬だけ欲しい人、塗り薬だけ欲しい人もいるのではないか。そう思った瞬間、リュシアが先に口を開いた。

 

「飲む方と塗る方、2つで小金貨1枚だね」

 

「小金貨1枚ですか」

 

 澪は思わず聞き返した。

 

「安くはしないよ。飲む薬だけじゃない。塗る薬もつく。容器も澪の国の物。セルマ工房の印もつく。傷の手当て一式だ」

 

 セルマも、並んだ2つを見て頷いた。

 

「飲用澄みポーションと、塗布用澄み薬。販売は一組ね」

 

「澄み手当て一式……」

 

 澪はその言葉を繰り返した。

 

 リュシアは満足そうに笑う。

 

「いいじゃないか。飲んで、塗る。分かりやすい」

 

 分かりやすい。

 

 高い。

 

 でも、確かに一式だった。

 

 澪は念のために言ってみた。

 

「空容器を返してもらう制度は……」

 

「ない」

 

 リュシアの返事は早かった。

 

「早い」

 

「返ってくるわけがない。軽い。割れにくい。蓋が閉まる。中身が見える。薬がなくなった後も使える。客は絶対に持って帰る」

 

 セルマも続けた。

 

「詰め直しもしないわ。薬は、清潔な容器へ入れるものよ」

 

 澪は記録帳へ書いた。

 

 澄み手当て一式。

 

 飲用澄みポーション100ml。

 

 澄み塗り薬20ml。

 

 容器込み。

 

 小金貨1枚。

 

 返却なし。

 

 再充填なし。

 

 書き終えると、妙な達成感があった。

 

 しかし、それは売れた達成感ではない。

 

 商品らしきものが、ようやく形になった達成感だった。

 

 

 

 

 

「売れたら小金貨1枚だね」

 

 リュシアが言った。

 

「売れたら、です」

 

 澪はそこを強く言った。

 

 作業台には、飲用澄みポーションと澄み塗り薬がきれいに並んでいる。雫の印と手の印もついた。見た目はもう商品だ。

 

 だが、まだ売れていない。

 

 押入商会の売上はゼロである。

 

「押入商会、まだ売上ゼロなんです」

 

 口に出すと、急に重かった。

 

 透明ボトル。クリームケース。グリセリン。ラベル。光る棚。屋根に貼った薄いシート。力をためる箱。全部、先に澪の国のお金で買っている。

 

 売れる前に、出ていくものは出ていく。

 

 リュシアは肩をすくめた。

 

「商売は、最初に金が出ていくものだよ」

 

「分かってます。でも、出ていき方がすごいです」

 

 セルマは、完成した澄み手当て一式をしばらく見ていた。

 

 それから、布を一枚広げた。

 

「なら、売る前に通すべきところを通しましょう」

 

 澪は顔を上げた。

 

 セルマは飲用澄みポーションを1本、澄み塗り薬を1つ、薬効露の小瓶、調合記録、薬効濃度の標準化記録、容器見本、ラベル案を順に布へ置いた。

 

「これは申請に持っていくわ」

 

「今からですか」

 

「今からよ。工房の中で面白がる段階は終わり。薬として売るなら、私の責任で出す」

 

 リュシアがにやりとした。

 

「セルマ工房公認だね」

 

 セルマは布を結びながら言った。

 

「公認にするために行くの」

 

 その言い方に、澪は背筋が伸びるのを感じた。

 

 薬は、作っただけでは売れない。

 

 売るなら、誰が責任を持つかがいる。

 

 セルマはその責任を、自分の手で持つつもりだった。

 

 

 

 

 

 錬金術師組合の受付台は、セルマ工房よりもずっと広かった。

 

 石の床は磨かれ、壁際には乾燥薬草の見本、鉱石片、古い調合器具が並んでいる。受付の奥には、帳簿を積んだ棚があり、検査役らしい年配の錬金術師が小さな眼鏡をかけていた。

 

 セルマは布包みを開いた。

 

 澪はその横に立っているだけなのに、なぜか自分が試験を受けている気分になった。リュシアは少し後ろで、いつものように周囲を見ている。値段を考えている顔ではなく、人の反応を見ている顔だ。

 

 受付の錬金術師は、透明ボトルを見て手を止めた。

 

「飲む薬と塗る薬を一組にするのか」

 

 セルマは落ち着いて答えた。

 

「傷の手当て一式です。飲用と塗布用は容器で分けています」

 

「容器が珍しいな」

 

「容器込みで管理します。再充填はしません」

 

 検査役がクリームケースを開け、匂いを確かめた。次に、透明ボトルを揺れない灯りの代わりに窓際へ透かす。濁りがないことを見て、わずかに眉を動かした。

 

「調合記録は」

 

 セルマはすぐに差し出した。

 

 水耕治癒草薬効露。

 

 標準化。

 

 飲用。

 

 塗布用。

 

 容器別管理。

 

 再充填なし。

 

 セルマの字は細く、読みやすかった。澪の記録帳と違って、余白に「業者っぽい」などとは書いていない。

 

 検査役は記録を読み、セルマを見た。

 

「初回限定ロットとして、試験販売の申請を受け付ける。販売数と使用後の報告を残すこと」

 

「承知しました」

 

 セルマは短く答えた。

 

 澪は胸の奥で、ようやく息をした。

 

 許可が出た、というより、扉が少し開いた。

 

 そのくらいの感覚だった。

 

 セルマは布包みを丁寧に戻し、組合の控えを受け取った。堂々としていた。自分の薬として、きちんと前に出している。

 

 澪はその横顔を見て、少しだけ思った。

 

 この薬は、セルマの薬なのだ。

 

 澪だけの思いつきでも、リュシアだけの商売でもない。

 

 セルマが責任を持つから、薬になる。

 

 

 

 

 

 工房へ戻ると、リュシアがすぐに言った。

 

「売れたら小金貨が入るね」

 

 澪は、作業台の前で首を振った。

 

「小金貨は、あたしの国へ持っていきません」

 

 リュシアが眉を上げる。

 

「金だよ」

 

「金だからです」

 

 澪は記録帳を開いた。

 

 以前、ChatGPT先生に聞いて書いたメモがある。あの時は、まさか本当に自分が金貨の流出を心配する側になるとは思わなかった。

 

 金貨流出。

 

 通貨不足。

 

 高額決済の停滞。

 

 商人の出し渋り。

 

 両替混乱。

 

 市場組合の調査。

 

 字面が物騒で、澪は少しだけ顔をしかめた。

 

「薬が売れて小金貨が入るのはいいんです。でも、それをあたしの国へ抜き続けたら、この町から金貨が減ります」

 

 セルマは作業台に手を置いた。

 

「金貨が減ると、何が困るの?」

 

「大きな支払いが詰まります。商人が仕入れに困ります。職人への支払いも遅れます。銀貨や銅貨との両替もおかしくなります。誰かが金貨を吸い上げていると、市場組合も調べます」

 

 リュシアの目が細くなった。

 

「押入商会が疑われる」

 

「はい」

 

 澪は頷いた。

 

「小金貨は利益です。でも、この町の中を回るお金です。薬を売るために、町の金回りを壊すのは駄目です」

 

 セルマはしばらく黙った。

 

 作業台の上には、透明ボトルとクリームケースが並んでいる。きれいで、軽くて、便利な容器。そこに入った薬は、人を助けるためのものだ。

 

 セルマは静かに言った。

 

「薬は、人を治すために作るのよ。町の金の流れを病気にしてまで売るものではないわ」

 

 その言葉で、澪の胸の奥が少し軽くなった。

 

「はい」

 

 リュシアは小さく息を吐いた。

 

「金貨を稼いでも、金貨を抜かない。面倒な商売だね」

 

「長く続けるなら、必要です」

 

 澪は記録帳の端に線を引いた。

 

 小金貨はこの町で回す。

 

 それは、押入商会がこの町で商売をするための約束だった。

 

 

 

 

 

 澪は白金の小瓶を作業台へ置いた。

 

 透明ボトル。クリームケース。グリセリン。光る棚の部品を書いたメモ。屋根のシート。力をためる箱。

 

 順に並べると、セルマの視線が小瓶から容器へ、容器からグリセリンへ移った。

 

「あたしの国で買うものは、こっちでは買えません。容器、グリセリン、光る棚の部品、屋根のシート、力をためる箱。全部、あたしの国のお金が必要です」

 

 セルマは白金の小瓶を見た。

 

「小金貨を持っていけば早いのでしょう?」

 

「早いです。でも、やりません。小金貨は町で回すお金です」

 

 澪は白金を指で示した。

 

「だから、あたしの国へ持っていくのは白金にします」

 

「白金」

 

「はい。白金はこの町のお金ではありません。金貨でも銀貨でもない。市場の支払いを支えているものじゃありません。むしろ、セルマさんたちには扱いにくい素材です」

 

 セルマは小瓶の中の白い粒を見た。

 

「錬金術師には、使い道が限られるわ」

 

「でも、あたしの国では素材として売れます。売れば、あたしの国のお金になります。そのお金で、透明ボトルやクリームケースやグリセリンを買えます」

 

 リュシアがまとめるように言った。

 

「小金貨は町で回す。白金は澪の国で金にする」

 

「そうです」

 

 澪は、そこで言葉を選んだ。

 

 ここを間違えると、白金集めがただの抜け道になる。

 

 そうではない。

 

「白金で儲けたいんじゃありません。小金貨を抜かずに、セルマさんの薬を次も作るためです」

 

 セルマの表情が変わった。

 

 目が、白金の小瓶ではなく、澄み手当て一式へ向いた。

 

「小金貨を抜かないために、白金を集めるのね」

 

「はい」

 

「薬を続けるために、町の金の流れを壊さない」

 

「はい」

 

 セルマは白金の小瓶を手に取った。

 

 薬効露の小瓶を扱う時と同じように、慎重だった。

 

「分かったわ。白金集めを認めます。ただし、記録は残して。どれだけ小金貨を使い、どれだけ白金を買い、澪の国で何に替えたか。薬を続けるためなら、そこまで薬の記録よ」

 

 澪は息を吐いた。

 

「はい。記録します」

 

 リュシアが笑った。

 

「また帳面だね」

 

「言わないでください」

 

 セルマは白金の小瓶を作業台に戻し、静かに言った。

 

「薬を売るなら、薬の外側まで責任があるわ」

 

 その言葉で、澪は納得した。

 

 白金は抜け道ではない。

 

 小金貨を町に残し、薬を続けるための橋だった。

 

 

 

 

 

 六畳間へ戻ってから、澪は記録帳を開いた。

 

 すでに栽培記録、抽出記録、容器記録、申請記録がある。そこへ、新しい欄を作る。

 

 異世界売上予定。

 

 異世界経費。

 

 白金仕入れ。

 

 あたしの国で換金。

 

 あたしの国仕入れ。

 

 申請記録。

 

 容器ロット。

 

 グリセリン使用量。

 

 書き終えたところで、澪は額を押さえた。

 

「薬を作ってたはずなのに、帳面が国をまたぎ始めました」

 

 隣で、リュシアが楽しそうに笑う姿が頭に浮かぶ。

 

 売って終わりじゃない。次を作れるようにして終わりだね。

 

 セルマの声も思い出す。

 

 薬を続けるための帳面なら必要ね。

 

 ローテーブルの上には、容器の袋が残っている。グリセリンのボトルもある。記録帳の横には、白金仕入れ予定の欄。申請控えはセルマの工房にある。

 

 まだ売上はゼロだ。

 

 でも商品はできた。

 

 申請も始まった。

 

 白金であたしの国の仕入れをつなぐ道も、セルマに認めてもらった。

 

 澪は透明ボトルをひとつ手に取り、部屋の蛍光灯に透かした。

 

 空の容器なのに、すでに何かが始まっているように見える。

 

 押入商会の新ポーションは、まだ1枚の小金貨も稼いでいないのに、白金と帳面とあたしの国の通販カートまで必要とする薬になっていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。