押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第391話 虫まで持って帰れません

 

 山へ向いていたレイニャの耳が、村長の家から聞こえる器の音へ戻った。

 

 澪もそちらを見た。

 

 理央のノートはまだ机の上にあり、虫を入れた透明容器が隣に置いてある。

 

 戻る前に荷物を揃えようと、澪は軒下へ足を向けた。

 

「理央君、扉を開く前に、もう1つ確認しよう」

 

 真壁の声に、理央が鞄を持ち直した。

 

「忘れ物ですか?」

 

「連れて帰る物の方だ」

 

 真壁は容器を示し、それから澪の足元へ目を向けた。

 

「衣服や靴に、これがついておらんか」

 

 澪はズボンの裾を見下ろした。

 

 長靴との間に、今日歩いた土が乾きかけている。

 

 家の中へ入る時は払ったつもりだったが、溝には泥が残っていた。

 

「……虫まで持って帰れません」

 

「毛の奥にもいたニャ。裾についてても、見ただけじゃ分からないニャ」

 

 レイニャはマントを持ち上げた。

 

 草の種を1つ外してから、自分の尻尾を振り返る。

 

 澪にはその三毛の間に何かがいるようには見えなかった。

 

 患者の身体についていた虫も、毛を分けるまでは見えなかったのだ。

 

「鞄にも、つくんですか」

 

 理央が底をこちらへ向けた。

 

「草に置き、家の床にも置いた。調べる理由はある」

 

 澪は帰宅して荷物を置く場所を思い浮かべた。

 

 江古田の部屋で靴を脱ぎ、鞄を床へ置く。

 

 理央の家では、家族が迎えてくれる。

 

 今はいつもの帰り道に、小さな灰色の脚が紛れ込むように思えた。

 

「前に、鼠や虫も病の入口になるって、言ってましたよね」

 

 駆除用品を買い、水車町の穀物倉へ持っていった時の話だった。

 

 袋を齧られた損だけでは済まないと聞いて、澪も食品から離して箱を置いた。

 

「そうだ」

 

「村で減らしても、私たちが別の場所へ運んだら……」

 

「入口を増やすことになる。侯爵領へ戻る前に確かめる。ゲンダイへは、なおさら持ち出せん」

 

 真壁は机の前へ椅子を引いた。

 

 帰るなと言われたわけではない。

 

 帰るために、先にすることができた。

 

 澪は鞄を机に載せず、自分の横へ置き直した。

 

 理央は容器の蓋を確かめ、ノートを開く。

 

「先に、この虫を基準にします」

 

 

 

 容器の底で、小さな脚が動いていた。

 

 理央は今日、患者の毛を分けた時の姿と見比べた。

 

 少し前までは見逃していたものが、今は蓋を閉めたまま確かめられる。

 

 ノートを開くと、虫の所見の前に患者の身体の痕が描いてあった。

 

「普通の収納には入れません。《生体収納》で、この個体だけ移します」

 

「その前に、私も見ておこう。検索の基準は揃えておきたい」

 

 真壁が容器へ《鑑定》を向けた。

 

 理央は書いた頁を机の中央へずらす。

 

 湿った山林と草地に生息し、家畜や野生動物にも付着する吸血性の節足動物だ。

 

 感染性因子を媒介する場合があるという記録を、真壁が自分の見た結果と照合していく。

 

「今回探すのは、この種類の吸血性マダニ類だ」

 

「小さい虫なら全部、ってことじゃないニャ?」

 

 レイニャが、容器から土の道へ目を移した。

 

「違う。土にいる別のダニまで、同じ扱いにはしない」

 

 理央は虫の頁に細い紙を挟んだ。

 

 患者を診た紙と重なってしまうと、虫自体の性質と、患者に出た症状を混ぜそうになる。

 

「この熱が全部、これのせいって決まったわけではないですよね」

 

「病との関係は調べる。しかし、吸血する対象を減らすのは進めてよい」

 

 真壁がノートから手を離した。

 

 理央は蓋を外さず、容器の中の虫へ意識を向けた。

 

 《生体収納》を使うと、薄い靄の向こうへ灰色の個体が消える。

 

 容器は机に残り、底には何もいなくなった。

 

 理央は収納内の個体を見直した。

 

 捕獲した1匹を確かめてから、今日の鑑定記録へ目を戻す。

 

「入りました。生きています」

 

 澪が空の容器をのぞいた。

 

「記録のものと、合っています?」

 

「はい。患者から外した、この個体です」

 

 理央は虫を他の収納物と分け、探す時に基準を見失わないようにした。

 

 見本として確保した1匹を、周りで見つけるものと混ぜてしまいたくなかった。

 

「これと同じものを探すニャ」

 

 レイニャの耳が、外の方へ向いた。

 

 村の家々から灯りが漏れ、家畜の鈴が坂の下で鳴っている。

 

 この1匹は、さっきまで患者の身体にいた。

 

 同じものが今、自分たちのどこかにいるかもしれない。

 

 理央はその条件を確かめ、ノートの余白へ、対象を短く書き添えた。

 

 

 

 澪たちは荷物を持ち、村外れの草地へ移った。

 

 理央が扉を試した場所は、今も何もないままだ。

 

 すぐ向こうを村の道が通り、草地の奥には低い石垣がある。

 

 真壁は地面を見てから、収納から椅子を出した。

 

 脚が傾かないように置き直し、背後の村へ目を向ける。

 

「ここで調べるんですか?」

 

「範囲を広げる。立っている必要はない」

 

 真壁は腰を下ろした。

 

 膝へ手を置いて目を閉じると、澪には休憩を始めたように見えた。

 

 しかし理央は石垣のそばへ紙を広げ、村を示す印から道を描き始めている。

 

「私は、場所を書きますね」

 

「頼む。まずは虫の卵からだ」

 

 澪は紙の端を押さえた。

 

 風が当たるとめくれかけ、理央が筆記具を置く場所を探したからだ。

 

 レイニャは道側へ寄り、真壁と家並みの間を見た。

 

「5m。卵は拾える」

 

「収納できます?」

 

「卵なら可能だ。まだ回収せず、分布を取る」

 

 真壁の顔は変わらなかった。

 

 澪は足元の草を見たが、見えるのは葉と、石に貼りついた苔だけだった。

 

 それでも真壁は検索で捉えた卵を分類し、今日の虫と同系統のものを選び分けている。

 

 理央の書く紙には、まず椅子の位置が記された。

 

「10m」

 

 真壁は範囲と反応のある方向を短く伝えた。

 

 理央は道の曲がる方と照らし合わせ、線の脇へ印をつける。

 

 距離が100mへ広がると、家畜小屋の方に印が増えた。

 

「小屋、ここで合ってるニャ」

 

 レイニャが紙を指した。

 

 理央は《世界地図》の地形を紙へ描き、真壁が言葉で渡した位置を1つずつ載せていた。

 

 家や道を間違えそうになると、レイニャが描き直す先を教える。

 

「300m。道沿いにもある」

 

 真壁が村から山へ向かう方を示した。

 

「山羊が戻ってくる道ニャ。朝はそっちから出すニャ」

 

「村の真ん中より、家畜の通る方なんですね」

 

 澪が言うと、理央は村の印を残し、山側の紙を広く空けた。

 

「1km。山側へ続く。次は3km」

 

 澪は紙を押さえる手の位置を変えた。

 

 さっきまで近くの小屋の話だったのに、もう、目の前の坂だけでは見通せない範囲になっている。

 

 レイニャが山を見上げ、紙へ顔を戻した。

 

「その先が上の草地ニャ」

 

「ここですか?」

 

「そうニャ。水場は、もう少しこっちニャ」

 

「その辺りは多い。林の縁にも塊がある」

 

 真壁の声で、理央が水場のそばに印を重ねた。

 

 紙へ散らした点は、どこも同じ濃さにはならなかった。

 

 草地の中でも、家畜が伏せる辺りをレイニャが示すと、真壁はその近くの反応を伝えた。

 

 澪は灯りの点った家々を振り返った。

 

 今ここで診た患者の話が、紙を通して家畜の休むところへつながっていく。

 

「10km。ここで範囲を止める」

 

 押さえていた紙が、風で指の下から動いた。

 

 澪は手を戻してから、真壁を見た。

 

「……半径、ですよね?」

 

「そうだ」

 

「椅子から動いてないのに……」

 

「動かずに調べられるなら、その方がよい」

 

 椅子は最初に置いたままで、脚のそばの草も踏み直されていない。

 

 その足元から10kmという範囲を、澪は頭の中へ広げかけてやめた。

 

 全部を歩くための図ではなく、多いところを先に見つけるための図なのだ。

 

「待ってください。紙の方が追いついてないです」

 

 理央が言うと、真壁は筆記具が止まるまで待った。

 

「位置をもう1度伝えよう。書けるところからでよい」

 

 澪は風上へ立ち直し、理央の手元へ影を落とさないよう紙を押さえた。

 

 

 

 理央が最後の印を書き、真壁へ図を向けた。

 

 真壁は目を開けて紙に目を通し、水場の近くの印を1つ確かめる。

 

 レイニャが道の位置を指して答えると、再び目を閉じた。

 

「では、対象の卵を回収する。他の虫卵は残す」

 

 澪は飲料水を出し、椅子の横へ置いた。

 

「終わったら飲んでください」

 

「ああ」

 

 理央が時刻を確かめ、図の端へ書き留めた。

 

 澪は紙を飛ばされないよう畳みかけて、待った。

 

 真壁がもう少し位置を聞くかもしれない。

 

 始まって1分が過ぎても、周囲の景色は同じだった。

 

 草が揺れ、道の端から冷たい風が来る。

 

 虫の卵が飛んでくるわけでも、山の向こうが光るわけでもない。

 

 2分ほどで、真壁の傍らへ薄い靄が現れた。

 

 それも風に重なるように消え、椅子のそばに置いた水は動かなかった。

 

 澪は、すぐ終わると思っていた自分に気づいた。

 

 目を閉じるまでの方が長く、収納はそのあと一瞬で済むのかと思ったのだ。

 

 真壁の手は膝の上から離れず、紙をもう1度見るために目を開けることもない。

 

 5分が過ぎた頃、レイニャが真壁へ耳を向けた。

 

「まだ終わらないニャ」

 

「ずっと、取ってるんだと思います」

 

 澪も声を落とした。

 

 戸口で水を運んでいた村人がこちらを見たが、レイニャが手で待つよう示すと、坂の下へ戻っていった。

 

 真壁に何かあったと呼びに来る必要はない。

 

 ただ、この静かさだけを見て仕事が済んだと判断することもできなかった。

 

「こんなに範囲があるんですもんね……」

 

 理央は書き終えた図を見た。

 

 濃くなった印の1つを、指でなぞりかけて止める。

 

 澪が手元を照らす灯りを置くと、その印の横に書いた場所の名がまた読めるようになった。

 

 10分を越え、家々の窓が昼よりはっきり見え始めた。

 

 澪は自分の肩へ触れ、冷えてきた腕を身体へ寄せる。

 

 真壁は、まだ椅子にいた。

 

 約15分が過ぎたところで、その目が開いた。

 

「終わった」

 

 レイニャの耳が立つ。

 

「半径10km以内で検索できた、対象の卵はすべて収納した」

 

 真壁が水を手に取ったので、澪はようやく紙から手を離した。

 

「他の卵は、そのままですか?」

 

「そのままだ。回収したものは、専用の区画へ分けてある」

 

 理央が終了時刻を書き添えた。

 

「これから出てくる分は、減ったニャ」

 

 レイニャが山側を見た。

 

 澪も同じ方へ顔を向けたが、草地も木々も、作業を始める前と変わらない。

 

「でも、もう孵ったものは……」

 

 理央の問いに、真壁は水を置いた。

 

「残っている。幼虫も若虫も、成虫も生体だ。私の収納では取れん」

 

 澪は理央と顔を見合わせた。

 

 地図を押さえて待つ仕事は、ここまでだった。

 

 

 

「ここからは、澪君、理央君の出番だ」

 

 真壁が椅子から立った。

 

 澪は畳みかけていた図を、また広げる。

 

「私たちは、10kmまでは見られません」

 

「承知している。まず、届く範囲を確かめよう」

 

 澪は理央の記録と、基準にした虫の特徴を確かめた。

 

 今回の吸血性マダニ類だけを条件にし、《生体収納》で周囲を探す。

 

 足元から道の脇へ、対象のいるところを追えた。

 

 遠い山側へも意識を伸ばしてみたが、同じ精度で追える範囲は、自分の周囲約100mだった。

 

「この辺りなら探せます。もう少し先は、近づかないと……」

 

 理央も道の先を見た。

 

「私もです。歩いて合わせていくことになりますね」

 

 澪が紙の小屋を指すと、真壁はそこから山道へ線を引いた。

 

「山の全部を歩くニャ?」

 

「卵の多かった場所と、人や家畜の通る道を結ぶ。闇雲には歩かん」

 

 村から小屋へ、小屋から家畜道へと、線がつながった。

 

 広い図の中でも、澪たちが歩くところは選べる。

 

 真壁は水場の横へ番号を入れ、紙をこちらへ回す。

 

「2人で担当を分ける。移動して検索し、回収したら向きを変えてもう1度見る」

 

「取ったら終わりにせず、残ってないかですね」

 

「済印は、その後だ」

 

 澪は明日の長靴を思い浮かべ、今履いているものを見た。

 

 明日の道を歩く前に、まず今日、この靴で帰れるかを調べなくてはならない。

 

「先に、帰る私たちと荷物を見ます」

 

「私の方でも、見ます」

 

 理央は鞄を持ったまま立った。

 

 澪は靴、裾、手袋、鞄の外側へ意識を向け、周囲に拾えた対象と分けて確かめた。

 

 対象の生体を収納したあと、理央にもこちらへ位置を変えてもらう。

 

 自分が立っていた方へ回り、同じ条件でもう1度探した。

 

 理央たちとレイニャも順番に確かめ、真壁は衣服や荷物の卵を調べる。

 

 確認を終えた荷は、未確認のものと離して置いた。

 

「こちらは反応なしです」

 

「私も、出ません」

 

「卵もない。これで帰れる」

 

 真壁は椅子も確かめてから収納した。

 

 灯りのある村側からシロガネが歩いてきたので、澪は屈んで呼び寄せる。

 

 白猫の霊体は澪の傍らの靄へ入り、姿を消した。

 

「明日の朝は、あたしが案内するニャ」

 

 レイニャが図へ目を向ける。

 

「兄ちゃんにも、道を聞いておくニャ」

 

 理央は図を鞄へ収め、草地に《関門接続》を開いた。

 

 扉の向こうに侯爵領の新事業所側が見える。

 

「朝、また来ます」

 

「待ってるニャ」

 

 澪はレイニャが村の方へ戻るのを見てから、理央と真壁に続いて扉を抜けた。

 

 侯爵領側へ出ると、3人とも一度、靴を見下ろした。

 

 理央が向こうの草地に人が入らないことを見届け、扉が消えるのを待つ。

 

 真壁は事業所へ戻り、澪は理央と江古田の押し入れを通ってゲンダイへ帰った。

 

 飯島家まで送ると、理央は玄関の明かりの下で鞄を抱え直した。

 

「明日、お願いします」

 

「朝、迎えに来ます。今日は休んでください」

 

 出てきた家族へ挨拶してから、澪も家路についた。

 

 

 

 翌朝、理央は新事業所の椅子に座って、長靴の上の裾を直した。

 

 澪が迎えに来てくれた時はまだ眠かったが、机へ昨夜の図が広がると、目が覚めた。

 

 真壁が巡回順を指で辿り、澪は予備の手袋を荷へ分けている。

 

「水と昼ごはんもあります」

 

「地図と記録、持ちました」

 

 理央は長袖の袖口を確かめてから、手袋をつけた。

 

 昨日は家へ帰る道を探すための荷だった。

 

 今日は、草地を歩いたあとに何がついているかを気にする荷になっていた。

 

「では、行こう」

 

 事業所側の空いた場所へ出て、理央は村外れの草地へ扉を開いた。

 

 抜けると、細かい水滴が長靴の先につく。

 

 薄い霧の向こうで、三毛のレイニャが手を上げた。

 

 隣には、黒に近い濃灰色の縞のケット・シーが立っている。

 

「ビエニャは、どうでした?」

 

 理央が近づくと、レイニャは耳をこちらへ向けた。

 

「まだ熱はあるニャ。でも、水は飲めてるニャ。夜に、急に悪くなった人はいなかったニャ」

 

 理央はひとまず息を吐き、顔を見た。

 

 レイニャは目を細めていたが、呼びかけへの返事は早い。

 

「眠れました?」

 

「交代したニャ。少し眠ったニャ」

 

 そう答えたあと、隣の黒虎を示した。

 

「兄ちゃんのニャーモニャ。家畜の道を知ってるニャ」

 

 兄はがっしりした肩をこちらへ向け、短く会釈した。

 

「こっちニャ。小屋から回る」

 

 村の方へ歩くと、ニャースが待っていた。

 

 昨夜の巡回図を真壁が見せ、終わるまでは立入停止を続けてほしいと伝える。

 

「続けるニャ。家畜も勝手には出さん」

 

 村長の返事を受け、5人は家畜小屋の脇へ回った。

 

 藁の匂いが朝の湿った空気に混じる。

 

 柱には毛が引っかかり、戸口の土には蹄の跡が重なっていた。

 

 理央は澪と間を空け、それぞれ約100mの範囲を探した。

 

 自分の前に見える藁だけでなく、その向こうの道まで対象を拾える。

 

 それでも数歩、立つ場所を変えると、端にあった反応の位置が捉えやすくなった。

 

「ここ、います」

 

 基準の個体と同系統の生体を《生体収納》へ回収した。

 

 数匹の反応が消え、理央はすぐ紙へ印をつけかける。

 

「取ったあと、私が反対側から見ますね」

 

 澪の声に、筆記具を止めた。

 

 小屋の別の角へ回ると、まだ拾えるものがあった。

 

「……もう1度です。残ってました」

 

「消えるまで続けよう。済印は、その後だ」

 

 真壁の返事を聞き、理央はもう1度回収した。

 

 両側から反応が出なくなってから、紙に印がつく。

 

 ニャーモが柱の下を指した。

 

「ここに、よく身体を擦るニャ」

 

 レイニャはその先の踏み跡を見る。

 

「山へ出す時も、ここを通るニャ」

 

 理央は卵の印の横へ、毛のついた柱を描き添えた。

 

 次は石垣に沿って移り、道の曲がるところを見直す。

 

 反応は毎回同じ数ではなく、出ないところもあれば、数十に増えるところもあった。

 

 澪と場所を入れ替えて確かめるたび、真壁が済んだ区間をつないでいく。

 

 どちらが早く取ったかを数える余裕はなかった。

 

 図の線が先へ延びる頃には、小屋の屋根が後ろになり、長靴へ新しい泥がついていた。

 

 ニャーモは山道の入口で待っていた。

 

 理央が追いつくと、草地へ上がる方を顎で示す。

 

「ここからニャ」

 

 

 

 木々の間を抜けると、草地の中央へ日が差していた。

 

 理央は足元の明るさに、ようやく霧から出た気がした。

 

 葉の先はまだ湿っていたが、低く刈られた辺りの土は小屋の前より乾いている。

 

 ここまで道沿いに拾っていた反応も、中央では多くなかった。

 

 ニャーモが先を歩き、草の寝たところで止まる。

 

「羊が伏せるところニャ」

 

 理央も近づき、検索の範囲をそこへ重ねた。

 

 昨日描いた印の意味が、急に変わった。

 

 今までは、幾つかいるという程度で追えていたものが、同じ場所にまとまって返ってくる。

 

「……こんなにいたんですか」

 

 手袋の指が、ノートの角を強く挟んだ。

 

「ここにニャ?」

 

 レイニャが草を見て、理央を見る。

 

「はい。村の中とは、全然違います。数百は……」

 

 言いかけて、足元から視線を離した。

 

 見た目には、家畜の寝た草と土があるだけだ。

 

 その上へ、いつもと同じように座っていた人もいただろう。

 

「まず回収しよう。数を見て立ち止まるのは、その後でよい」

 

 真壁の声で、理央は収納へ意識を戻した。

 

 基準と同じ対象だけを取り込み、改めて探す。

 

 多かった反応は減ったが、全部は消えていなかった。

 

「まだ、残ってます」

 

「では、もう1度」

 

 理央は位置を変え、草の寝ている端へ回った。

 

 同じ範囲でも、最初に見ていたところだけへ意識が寄っていたのかもしれない。

 

 端から捉え直して回収すると、今度は反応が返らなくなった。

 

 澪が水場の方から歩いて戻ってくる。

 

「脇も多いです。乾いた真ん中より、ずっと」

 

「ここも、もう1回見てもらえます?」

 

「はい。こっちからなら、同じところへ届きます」

 

 澪が立ち位置を変える間に、真壁は昨夜の図を開いた。

 

 卵の多かった印と、今の回収地点が近い。

 

 水場を確かめたあと、5人は林の縁へ移った。

 

 低木の枝に白い毛が絡み、木の幹には身体を擦った跡がある。

 

 落葉を踏むと湿った音がし、草地の中央とは足の沈み方が違った。

 

 ここで理央が拾った反応は、千単位になった。

 

 すぐ近くの乾いたところまで同じ密度ではない。

 

 湿った落葉のある一角へ寄るほど、対象がまとまって捉えられた。

 

「ここも、昨夜の印の近くです」

 

 理央が紙を見せると、真壁はその横へ、生体の多い地点を書き足した。

 

「幼虫から成虫までいる。ここで繁殖が続いていた可能性は高い」

 

 レイニャの耳が伏せ、低木に絡んだ白い毛へ目が向いた。

 

 理央は条件を見直してから、回収を始める。

 

 灰色の虫を見つけた患者の顔が浮かんだ。

 

「これを取っても、患者の熱まで消えるわけじゃないんですよね」

 

「患者は、戻ったらまた見るニャ。今は、新しく刺される分を減らすニャ」

 

 レイニャはそう言って、踏み込みやすいところを指した。

 

 理央はその場所へ移り、反応がなくなるまで繰り返した。

 

 昼になり、作業を済ませた側で荷を下ろすと、膝が急に重くなった。

 

 立っていた間は次の地点へ歩けていたのに、腰を下ろした途端、もう動かなくていいと思ってしまう。

 

「座ったら、脚が動きたくないって言ってます」

 

「分かります。立ってる間は、まだ歩ける気がしたのに……」

 

 澪も水を飲み、長靴の先を伸ばした。

 

 レイニャが昼食を渡すと、理央はノートを閉じて受け取る。

 

「水も飲むニャ。午後は林の方ニャ」

 

「真壁さんは、昨日、15分でしたよね」

 

 理央が言うと、真壁は食事の手を止めずにこちらを見た。

 

「私の収納では、今歩いている対象は取れんよ」

 

「はい。そこは分かってるんです。椅子が、ちょっとうらやましいだけで」

 

 澪の返事に、理央は口の中のものを飲み込んでから笑った。

 

 ニャーモは休みながらも、午後に通る林の切れ目へ目を向けている。

 

 食べ終えると、空いた容器を荷へ戻し、立ち上がった。

 

「草を採るなら、こっちニャ」

 

 理央も膝へ手を置いて立った。

 

 歩き出せば、また足は動いた。

 

 林へ入る道は、家畜道ほど広くない。

 

 レイニャが《地図》と道を見比べ、薬草を採る時の入口を示した。

 

 そこから、ニャーモが野生動物の通る踏み跡へ案内する。

 

 人と家畜だけが使う場所ではないことを、枝についた毛や、道の脇の足跡が教えていた。

 

 理央は澪と担当を分け、届く範囲が途切れないよう、互いの位置を見ながら進んだ。

 

 反応が出なくなるのを確かめるたび、次の場所へ歩いていく。

 

 木々の影が長くなる頃、真壁の持つ図で、最後の高密度地点にも済印がついた。

 

 

 

 澪は林から草地へ戻り、朝とは反対側から対象を探した。

 

 枝に絡んだ毛は残っている。

 

 水場の泥も、家畜が伏せて草の寝た形もそのままだった。

 

 しかし、生体の反応は返ってこなかった。

 

 理央は数十m先へ移り、足を止めている。

 

 朝には身軽だった歩調が、今は止まるたびに重くなっていた。

 

 澪も長靴を上げると、泥の重さが分かる。

 

 声を掛けるために近づく間にも、検索の範囲をずらして確かめた。

 

「反応なしです」

 

「こっちからも、出ません」

 

 互いに見たところを図で合わせ、真壁へ渡した。

 

 真壁は昨夜の濃い印と、その横の済印を順に指で辿る。

 

 林縁、水場、休息場所のどれにも、確認した跡があった。

 

 帰りは主要な家畜道を通り、山道へ残した印も見直した。

 

 真壁も、昨夜と同じ半径10kmへ対象の卵の検索を広げた。

 

 澪が小屋の方へ目を向けると、真壁は紙から顔を上げた。

 

「卵もない。村の方も、戻りながら確かめよう」

 

 すぐに肩の力を抜くには、まだ早かった。

 

 5人は村へ下りる前に足を止め、互いの衣服と荷物を調べた。

 

 理央が鞄を持ち、澪は手袋と靴、裾の周囲を探す。

 

 レイニャは尻尾を横へ寄せ、マントを持ち上げた。

 

「尻尾も見るニャ」

 

「見ます。ニャーモさんも、そのままでお願いします」

 

 黒虎の兄は荷を下ろし、理央が立つ場所を替えるまで待った。

 

 手琴の紐や鞄の底も含めて、2人が見直す。

 

「対象の生体は出ません」

 

「こちらも、反応なしです」

 

「卵もない」

 

 真壁の返事を聞いてから、澪は泥を払った。

 

 レイニャが手元を《浄化》し、5人は村へ戻る。

 

 山道の入口と家畜小屋の周囲を逆側から確かめ、村外れでも同じ対象を探した。

 

 昨夜ここで話した帰り道が、澪の頭に浮かぶ。

 

 今は、見えないからいないのだろうと思うだけで帰るのではない。

 

 紙へ、調べた場所と条件を残して戻れる。

 

 村長の家の前に着くと、ニャースが荷を置く場所を空けた。

 

 真壁は図を広げ、澪と理央は確認した範囲を順番に伝える。

 

「昨夜検索した10kmの範囲に、対象の卵は残っていない。今日回った主要地点の生体も、2人が再確認した」

 

「上へ、羊を戻してよいかニャ」

 

 村長は済印を見てから、ニャーモへ目を向けた。

 

 澪は長靴を揃え、紙の林縁を指す。

 

「しばらくは、定期的に調べたいです。外から、また持ち込まれることがあります」

 

「山の動物も通るニャ」

 

 レイニャが頷いた。

 

「今日の回収は終わった。今後は、入ってくるものを見張る。永久にいなくなったとは言えん」

 

 真壁は村長の手元へ図を寄せた。

 

「分かったニャ。家畜を戻す時期は、様子を見て決める」

 

 ニャースはニャーモへ、今日の立入停止を続けるよう伝えた。

 

 理央が写しの紙を出す。

 

「検索は、私たちで続けます。明日も来て、何日か、ここを見たいです。村で虫を見つけた時は、容器に入れて残してもらえますか」

 

「レーミたちにも伝えるニャ」

 

 村長は紙と容器を受け取り、家の中へ向けて声を掛けた。

 

 レイニャは家並みを見た。

 

「患者の様子を見てくるニャ」

 

「熱は、まだ残ってるんですよね」

 

 理央が聞くと、レイニャは手琴の紐を直す。

 

「そうニャ。そっちは、また診るニャ」

 

 澪は荷を自分の横へ揃えた。

 

「帰る前にも、もう1度、私たちと荷物を調べましょう」

 

 理央が返事をして、軒下へ腰を下ろした。

 

 伸ばした長靴の先には、乾きかけた泥が厚くついている。

 

 澪も隣へ座り、片足ずつ地面から持ち上げた。

 

 机では真壁が、済印の入った図の端を折らずに揃えている。

 

 レイニャは患者の家へ続く道を見上げ、今度はそこへ歩いていった。

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