朝のフェルナ村では、まだ軒の影に冷たい空気が残っていた。
澪は旅鞄の口を閉じ、帰りに持っていく品目一覧を取り出した。
折り目を伸ばしたところで、真壁の指が紙の下まで動く。
「帰る前に、売れそうなものは一通り持っていこう」
「一通り、ですか?」
「売れるかどうかは、売場へ持っていかなければ分からん。私は先に領都で手配してくる」
真壁が《転移》で出掛けると、澪は村長と、品を出してもらう場所を決めた。
机で眺めていた時には、随分あると思った一覧だ。
これを実際に集めるとなると、鞄を閉じるのは早かった。
ニャースが倉庫を開け、ニャニャミも帳面を開いた。
品を並べ始めたところへ、手配を済ませた真壁が戻ってくる。
ニャニャミは炭筆を持ち、出てくる束と、村長が口にする品名を見比べている。
「羊毛は、エルナドだと今――」
「その前に、持ち出してよい分を聞こう」
真壁が遮ると、炭筆の先が別の欄へ移った。
村の者が出した羊毛へ触れると、澪の指がふかりと沈んだ。
束を持ち上げた手へ、レイニャが別の包みを差し出す。
「こっちはフェルトニャ。濡れた地面に直接置くなニャ」
「はい。こっちで見ます」
理央が空いた木箱へ布を敷き、乾燥きのこの袋を受け取った。
見た目ほど重くなかったらしく、持ち上げた腕が少し上へ跳ねる。
「これ、すごく軽いですね」
「乾かしてあるニャ。割れるから押すなニャ」
レイニャの声を聞き、理央は袋を箱の端へ置き直した。
その隣へ硬い山羊チーズが並び、束ねた香草から、澪の知る食事とは違う匂いが立った。
「これも持っていくですニャ?」
蜜蝋の塊を抱えた村の者が、蜂蜜の瓶の隣へ置く。
「売れるかはまだ分からないので、少しだけ試させてください」
「なら、こっちも見るニャ」
今度は皮革と角が出てきた。
樹脂の包みを開けると、鼻の奥へ木の匂いが残る。
レイニャは角を手にし、澪の一覧を覗いた。
「こんなのまで欲しいニャ?」
「使う人がいるか、見てもらいたいんです。薬草も、名前と使い方を教えてください」
話を聞くたびに、理央が包みへ品名を書いた紙を添えた。
真壁は出してよい数量を聞き、村長の控えと照らし合わせている。
「種にする分、冬越し分、自家用は残す。余剰だけだ」
倉庫の奥から出しかけていた袋が、棚へ戻された。
澪も収納の前に繊維と皮の継ぎ目を広げ、虫や卵の付着がないか短く見て回った。
品名と数量を書き終えた包みから、靄へ収めていく。
「売れなかったら、戻すニャ?」
ニャニャミの問いに、澪はチーズの包みで手を止めた。
「食べ物なら別の使い道も考えます。でも、売れなかったものを、売れたことにはしません」
「それも聞くニャ」
炭筆が、数量の横へ小さな空欄を作った。
レイニャはさっき手にしていた角が靄へ消えるのを見送り、次の包みを両手で澪へ渡した。
持ち帰る包みがなくなると、倉庫前の木箱が空になった。
澪が仕入れの控えを揃える間に、戻ってきた真壁は村長を倉庫の中へ呼んだ。
「今度は、置いていく分だ」
針の小箱が並び、その横へ塩の袋が降ろされた。
ニャースが小箱を開け、指先で中の包みを持ち上げる。
「こんなに置いていって、いいですニャ?」
「冬に針1本なくなるたび、扉を開くのは運用として美しくない」
「言い方はともかく、次の冬まで困らないよう、在庫を置きたいんです」
澪が塩の袋を示すと、村長は入口から棚まで目を動かした。
そこへ村の者が寄り、袋を置ける場所を空け始める。
麦と芋が運び込まれ、ニャニャミの帳面には、持ち出す欄とは別の数量が並んだ。
醤油の容器を受け取ったレイニャが、隣の味噌樽を見て耳を向ける。
「これ、もう食べていいニャ?」
「使い方もお伝えしてからです。全部を1度に開けないでくださいね」
澪は保管する分と、まず料理に試してもらう分を分けた。
棚へ運んだ村の者が味噌を覗きたそうにしていたので、澪は、汁へ少しずつ溶いて味を見る使い方を伝えた。
醤油も料理へ少しずつ加え、塩を入れる前に味を確かめてもらう。
「これで、釣り合ってるニャ?」
ニャニャミが両方の数量を指した。
「まだ値段が空いてるニャ」
「今ここで、同じ額に合わせる取引ではない。村の商品を試すための前渡し分も含め、受け払った物は帳面へ残す」
真壁は金額の空欄を埋めず、村長にも控えを渡した。
「売場での結果を持って、正式な仕入価格と、次からの量を相談しよう」
ニャースは控えを読み、針の箱を棚の手前へ置いた。
「使った分も、こちらで付けておくですニャ」
澪は次に科学肥料の袋を出したが、運ぼうとした村の者には、そのまま待ってもらった。
袋の使用表示を読み、作物と面積に合わせた使い方を紙へ写す。
「最初は小さな畑で試してください。同じ作物で、使わない所も残して、育ち方を比べます」
「たくさん撒いた方が育つんじゃないニャ?」
「多すぎても困るんです。葉がおかしくなったら、追加しないで、どこにどれだけ使ったかを残してください」
ニャースが紙の端へ印を付け、肥料は食べ物の棚から離して置かせた。
最後にセルマのポーションの箱を開ける。
こちらは薬を扱う村の者へ渡し、瓶ごとの用途と保管、使う量の説明を添えた。
「これは飲み物の棚には置かないでください」
レイニャが薬の箱へ蓋を戻した。
倉庫へ来た時には空いていた棚が埋まり、村長は、受け取った紙をその棚の前で読み直していた。
最後の荷を迎えるため、理央は村外れの草地へ扉を開いた。
向こう側には、今朝、領都で移送の準備を整えた籠と木箱が並んでいる。
理央が先に渡り、運ぶ者へ声を掛けると、澪の側にも鳴き声が届いた。
籠が扉をくぐるたびに、村の子どもたちの耳がそちらへ向く。
村長が用意させた飼育場所へ、籠の口を向けて運び込んだ。
「……100羽ですニャ?」
ニャースが受払の控えを見たまま聞き返した。
「はい。卵を取る雌を中心に、繁殖できるよう雄も混ぜています」
「初期飼料も置く。増えれば、この村で群れを維持できる。糞も肥料になる。」
真壁は柵の内側を歩き、夜に閉じ込める囲いの戸を押してみた。
飼料の袋は真壁の収納から出たが、鶏は1羽も靄へ入れず、籠ごと扉を通った。
理央は運び終えた籠を数え、村側の記録と照らしてから戻ってくる。
その足元へ、柵の内側から鶏が寄った。
「触っていいニャ?」
子どもの手が伸び、レイニャが手琴を背へ回して、その前へ立った。
「今は追いかけるなニャ。新しい所に来たばかりニャ」
鶏が急に向きを変えた。
レイニャの顔も同じ方へ動き、尻尾の先が柵を打った。
子どもたちの視線が、鶏からレイニャへ移る。
「あたしを見るなニャ」
「追わないニャ?」
「追わないニャ!」
澪は笑いを収め、水を置いた所へ回った。
鶏が届く高さか確かめ、世話を引き受けた村の者と、餌を置く場所と産卵用の場所を見ていく。
夜は戸を閉じること、外から入り込める隙間を残さないことも、その人と真壁が確かめた。
「明日の水も、頼めますか?」
「やるですニャ。村長と、世話の順番も決めるニャ」
ニャースは飼料の袋の口を閉じ、受け取った量を書き込んだ。
ニャニャミの帳面にも100の数字が残る。
その横へ卵の数を書く欄を作ったところで、鶏が大きく鳴いた。
白い耳が上がり、炭筆が止まる。
「まだ書けないニャ」
「さっき来たばかりですから」
澪が答えると、ニャニャミはその欄を空け、帳面を閉じた。
鶏を運んだ扉が消えてから、ニャニャミは家へ、出掛けることを話しに行った。
戻ってきた時には、持っていた帳面が減っている。
古い聞き書きのうち、仕事で使いそうな分と、新しい薄い帳面だけを布袋へ入れていた。
「家で、夕方には戻るって言ったニャ」
「村外れまで、私が送り届ける」
真壁が答えると、ニャースは2人を見た。
「明日からも、夜は家で寝るですニャ?」
「そのつもりだ。研修の日も、村に戻す」
ニャニャミの耳が前へ戻った。
澪は村長へ、試験販売の結果を持って再訪することを伝え、鞄を持ち直した。
レイニャも村の者へ手を振ってから、理央の横へ並ぶ。
「では、開きますね」
新しい扉の向こうに、領都側の事業所脇が現れた。
ニャニャミは敷居の手前で足を止めたが、レイニャが先に渡ると、その後ろへ続いた。
村の土から領都の地面へ、白い足が降りる。
荷車の車輪が石を叩き、ニャニャミの顔がすぐそちらへ向いた。
理央も渡り終え、澪は村長へもう1度挨拶してから扉を抜けた。
あちらで振っていた手が見えなくなり、接続の時間が終わると、扉も消える。
ニャニャミはもう、荷車の積み方を見ていた。
「もっと町を見るニャ」
レイニャが建物の並ぶ通りへ手を向ける。
「見てるニャ」
「荷物しか見てないニャ」
「あっちの店も見てるニャ」
指の先には、荷を下ろす者と、店先の値札があった。
レイニャの尻尾が横へ振れ、澪は2人の間から通りを覗いた。
この市場は、昨日までニャニャミの帳面で空欄だった所だ。
「相場を見るのは、後でにしましょう。先に、孤児院へご挨拶に行きます」
「この町の名前、先に書くニャ」
ニャニャミは立ったまま帳面を開き、澪が頷く間に、まだ行っていない町の印を直していた。
孤児院の廊下で、レイニャを呼ぶ声がした。
走ってきた子がその前で止まり、隣のニャニャミを見上げる。
「レイニャのお友達?」
「そうニャ。村で一緒に育ったニャ」
「白い!」
「見れば分かるニャ」
ニャニャミの返事に、澪は笑いそうになった。
子どもは叱られたとは思わなかったらしく、別の子を呼びに戻る。
廊下の奥から足音が増え、白い耳が左右へ動いた。
「名前は?」
「ニャニャミニャ」
「レイニャより小さいね」
「そうニャ」
「ずっと白いの?」
「そうニャ」
質問に答えるたび、次の子が前へ出た。
理央が廊下を通る人のために場所を空けると、その分まで、子どもがニャニャミの側へ寄ってくる。
レイニャは手琴を壁際へ寄せ、友人の肩越しに覗いた。
「そういう返事するから囲まれるニャ」
「答えただけニャ」
小さな手が白い腕へ伸び、途中で止まった。
「触っていい?」
ニャニャミがその手を見てから、頷いた。
「引っ張らないならいいニャ」
子どもの指が短い毛を撫で、隣の子がレイニャの三毛と見比べる。
ニャニャミは布袋を反対の腕へ移し、撫でられる方は動かさずにいた。
金色の目だけが、今度は誰が聞いてくるかと、順に子どもの顔を追っている。
「今日は泊まるの?」
「夜は村へ帰るニャ」
「じゃあ、今は何しに来たの?」
「仕事を見るニャ」
「帳面見る方の仕事ニャ」
レイニャが言い添えると、子どもがニャニャミの袋を覗いた。
澪は教会へ続く方を見てから、しゃがんで声を掛けた。
「先に司祭様とお話ししてきますね。道を空けてもらえますか?」
子どもたちが少しずつ下がり、ニャニャミの前へ通り道ができた。
レイニャが先に進むと、白い足も、今度はすぐについていく。
「ここは、質問が多いニャ」
「お前が言うニャ?」
澪の隣で理央が口元を押さえ、後ろから、また来てね、と子どもの声がした。
教会へ入ると、子どもたちの声が背後の扉で遠くなった。
窓の光が床へ落ち、ニャニャミはその手前で袋を抱え直した。
澪は司祭様へ挨拶し、フェルナ村から来たケット・シーを紹介した。
「押入商会の仕事を見てもらうことになったんです。商人への転職についても、お話を伺いたくて」
司祭様は澪の話を聞いてから、ニャニャミへ向き直った。
「あなたは、どうしたいのですか」
「やってみるニャ」
返事が早く、澪は隣の白い耳を見た。
「昨日は、まず見てから、とお話ししましたけど、もう決めていいんですか?」
「村の物を持ってく所、見たニャ。売れたかどうか、その後も知りたいニャ」
ニャニャミは布袋の口を少し開け、今朝書いた帳面へ目を落とした。
「聞く方だけじゃなくて、やってみるニャ」
澪は司祭様へ頷いた。
「本人も、商人になることを希望しています」
「では、その意思で儀式を行いましょう」
司祭様が立つ場所を示し、ニャニャミは帳面の袋を澪へ預けた。
その指が袋から離れると、レイニャの耳が少し上がった。
「商人になるニャ」
「お前がなるんじゃないニャ」
「分かってるニャ」
司祭様が静かに声を掛けると、レイニャは口を閉じ、理央の隣へ下がった。
澪も袋を抱えたまま、祈りが始まるのを待つ。
ニャニャミは姿勢を正し、炭筆を持っていない指をゆっくり揃えた。
司祭様の声が礼拝堂へ響いている間は、その手も、足も動かなかった。
儀式が終わって声を掛けられると、ニャニャミは自分の両手を見た。
「もう変わったニャ?」
「確かめますね」
澪が袋を返すと、ニャニャミは表紙を出す前に、手を止めて待った。
澪はニャニャミへ《鑑定》を使い、儀式前の控えを開いた。
「商人、レベル1になっています。前職には、自宅警備員のレベル10が残っていますね」
----------------------------------
ニャニャミ
分類:ケット・シー
現在ジョブ:商人
レベル:1
前職:自宅警備員 Lv10
状態:良好
疲労度:8%
身体異常:なし
----------------------------------
基礎能力値
体力:52
筋力:34
器用:89
知力:103
判断:112
精神:81
集中:119
----------------------------------
未使用SP
17
----------------------------------
既得スキル
千里眼:1
鑑定:芽あり(+)
収納:芽あり(+)
----------------------------------
理央が覗こうとして、澪のノートへ顔を向け直した。
澪は現在のジョブと前職を書き、新しく現れた技能も、その下へ転記する。
「《鑑定》と《収納》に芽が出ています」
ニャニャミへ頁を向けると、白い指が、2つの名前を順に辿った。
「両方いるニャ?」
「商会で仕事をするなら、まず使える方がよい。自分で品を確かめ、持ち運べる」
真壁が答えると、ニャニャミは未使用SPの欄へ目を移した。
「17のままニャ」
「芽なら、1SPずつで取れます。昨日の千里眼と同じです」
理央に言われ、ニャニャミはノートから手を離した。
澪には見えない表示へ意識を向けたらしく、金色の目が机より少し上で止まる。
「まず、鑑定ニャ」
少し待ってから、白い耳が動いた。
「次は収納ニャ」
----------------------------------
未使用SP
15
----------------------------------
既得スキル
千里眼:1
鑑定:1
収納:1
----------------------------------
「両方、1になったニャ。残り15ニャ」
頁を戻すと、ニャニャミは袋から自分の帳面を出し、同じことを書き留めた。
「これで、聞かなくても分かるニャ?」
「分かる範囲からです。レベル1なので、私と同じ所まで見えるとは限りません」
澪が答える横で、レイニャが胸を張った。
「分からない、って出ることもあるニャ。それも教えるニャ」
司祭様へ礼を言うと、レイニャはもう、外へ続く方を見て待っていた。
庭へ出ると、ニャニャミは薄い帳面を両手へ載せた。
レイニャが横から覗き、何も書いていない頁を閉じさせる。
「まず、それを入れてみるニャ」
白い手の間へ靄がまとい、帳面が消えた。
ニャニャミは空いた手を見て、すぐに同じ物を戻した。
「入ったニャ」
「出た方の話ニャ」
「入ったのを、出したニャ」
澪は2人の隣で、帳面が元のままか見せてもらった。
ニャニャミが次に炭筆を持つと、レイニャの尻尾が上がる。
「鑑定も収納も、あたしがいろいろ教えるニャ」
「頼むニャ」
「いや。ニャニャミ君には、しばらく私のもとで研修してもらう」
真壁が言うと、レイニャは炭筆から顔を上げた。
「なんでニャ?」
「商会の仕事を覚えてもらうためだ」
澪は昨日描いた図を思い返した。
仕入れから保管、輸送と販売まで話す間に、ニャニャミは何度も真壁へ問い返していた。
「真壁さんなら、物流も取引も見てますし、その方がよさそうですね」
理央も頷き、レイニャは持ち上げていた尻尾を下ろした。
「あたし、先に教えるって言ったニャ」
「帳面を出すのは、教わったニャ」
ニャニャミが表紙を撫でると、レイニャは何か言いかけ、手を引っ込めた。
真壁は2人のやり取りが終わるのを待ち、ニャニャミへ声を掛ける。
「では、事業所へ行こう」
澪と理央も、村から持ち帰った荷を見直すため、一緒に庭を出た。
レイニャは子どもたちの声に振り向き、手琴を持ち直して孤児院側へ戻る。
「後で、何教わったか聞くニャ」
ニャニャミが頷くと、レイニャはまだ少し不満そうな顔で、廊下の子へ手を振った。
事業所へ着くと、澪と理央は、荷を置く方へ回った。
ニャニャミは真壁について、人のいない作業室へ入る。
机があるのを見つけ、布袋を椅子の上へ置いた。
「帳面、どこで見るニャ?」
「それは後だ」
真壁は空いた机へ、小さな魔石を置いた。
ニャニャミは袋の口に掛けていた指を離し、その石を見る。
ただの石ではないらしく、表面には細かな加工があった。
「鑑定するニャ?」
「まず、これを収納したまえ」
ニャニャミはさっきの帳面を思い出し、魔石を手に載せた。
指の間へ収まる大きさで、荷物を運ぶ練習には小さすぎる気もした。
「あたしの収納に入れるニャ?」
「そうだ」
真壁の返事は、机へ帳簿を出す時と変わらなかった。
ニャニャミが《収納》を使うと、魔石は靄の中へ消える。
手を下ろす前に、視界の中で、何かが続けて現れた。
白い耳が上がり、ニャニャミは机を見直した。
置かれていた石は、もうない。
しかし、その石を入れた《収納》から、動き始めたものがあるようだった。
ニャニャミは現れた名前を読んだ。
昨日は知らない技能が1つあるだけで、皆でノートを覗いた。
今は、それより長い表示が目の前にある。
----------------------------------
スキルの芽を確認
雷:芽あり(+)
重力:芽あり(+)
移動加速:芽あり(+)
地図:芽あり(+)
体術:芽あり(+)
浄化:芽あり(+)
緑の手:芽あり(+)
----------------------------------
「芽が、いっぱいあるニャ」
真壁へ言い終える前に、次の表示が現れた。
ニャニャミはSPを使おうとはしていない。
----------------------------------
未使用SP
8
----------------------------------
既得スキル
千里眼:1
鑑定:1
収納:1
雷:1
重力:1
移動加速:1
地図:1
体術:1
浄化:1
緑の手:1
----------------------------------
「……SPが減ったニャ」
「正常だ」
「7減ったニャ」
「必要な基礎だ」
ニャニャミは残っている8を読み、さっき自分で書いた15を思い出した。
帳面を出して計算するまでもなかった。
「あたし、使ってないニャ」
「私が組み込んだ技能の芽を出し、使えるSPがあれば1ずつ投入する。スキルブースト用の魔石だ」
「だから、収納しろって言ったニャ?」
「収納した者へ働くように作ってある」
ニャニャミは指を開き、魔石を戻そうとした。
「まだ出さなくてよい」
「また減るニャ?」
「初回の取得は済んだ。続けて芽を増やすわけではない。そのまま入れておけば、今の10技能へ経験が入り続ける」
真壁は指で机を軽く示し、ニャニャミの手を下ろさせた。
「基礎能力を強化する経験も蓄積する。私自身の技能情報を使って、研修に要る分を組み込んだ」
「千里眼もニャ?」
「それもだだ。鑑定と収納も育成するようにしてある」
ニャニャミは自分の手を眺めた。
炭筆を持つ指が太くなったわけでも、脚が急に長くなったわけでもない。
なのに、入れておくだけで、これからも続くらしい。
「出したら止まるニャ?」
「作動は止まる。今は入れたままで構わん」
ニャニャミは頷いたが、帳面を見せてもらうつもりで来たことを、まだ覚えていた。
その机へ、真壁が今度は、小瓶を置いた。
ニャニャミは小瓶を取り上げずに、真壁の顔を見た。
「そして、これを飲みたまえ」
「何ニャ?」
「竜血疲労耐久薬だ」
耳が横へ倒れた。
真壁はその反応を見ても、瓶を引っ込めなかった。
「名前が嫌ニャ」
「効果はよい」
「疲れるって、先に言ってるニャ」
「疲労に耐え、回復する力を高める。仕事を覚える途中で疲れ切っては、続きが頭に入らん」
ニャニャミは瓶の向こうへ、自分の布袋を見た。
帳面を読むための薬としては、大げさな名前に聞こえた。
「家には帰るニャ?」
「約束した通りだ」
「寝るニャ」
「当然だ。睡眠を省く薬ではない」
ニャニャミはやっと瓶を受け取り、口を開けた。
鼻を寄せてから離すと、真壁が椅子の向きを机から変えた。
「飲むまで待つニャ」
「待っている」
ニャニャミは、もう席を立つ支度をしている真壁を見ながら、薬を飲んだ。
口に残った味へひげが動き、空の瓶を持つ手だけが、少し机の上で止まる。
「帳面は、いつ見るニャ?」
「持っていく。現物を見ながらだ」
瓶を受け取った真壁は、ニャニャミの布袋へ目を向けた。
ニャニャミは袋の口を結び、椅子から持ち上げる。
机に座る方が好きだが、現物を見る、と言われると、聞きたい品の名前が先に浮かんだ。
「では、私の知っている町へ行こう」
「今からニャ?」
「今からだ」
ニャニャミが袋を持ち直すと、真壁はその横へ立ち、《転移》を使った。
作業室の床が消え、足の下へ別の地面が来た。
荷の油と海の匂いが鼻へ入り、ニャニャミは耳を立てる。
人の少ない場所へ着いたはずなのに、遠くでは船荷を呼ぶ声が重なっていた。
「港の市場を見よう。町の名は、こちらだ」
真壁に名を教わり、ニャニャミは新しい帳面を開いた。
市場へ入ると、足の下にも、通りを行き来する人の振動が届く。
店先の品を見てから《千里眼》へ意識を向けると、さっきまで分からなかった町の価格が出た。
「見えるニャ」
「購入と売却を分けて書く。単位も落とすな」
ニャニャミは町名の下へ塩と羊毛を並べ、数を写した。
店の値札も見て、すぐ横へ、別の欄を作る。
売場の値と市場の基準を同じ所へ書けば、後でどちらを見たのか分からなくなる。
「店の方も書くニャ」
「出所を分ければよい」
真壁が次へ進む間に、ニャニャミは《地図》も開いた。
足で通った所が残り、近くの店へ曲がった道も辿れる。
もう1軒、と顔を上げた時には、真壁は人通りの外へ向かっていた。
「もう次ニャ?」
「見終えたのだろう」
「まだ店があるニャ」
「明日も来られる。今日は登録を増やす」
ニャニャミは炭筆を挟んで帳面を閉じ、真壁についていった。
次に着いた町では、海の匂いがなかった。
内陸の市場へ入ると、袋を下ろす音の向こうで、布を広げた店主の声がする。
ニャニャミは町名を聞き、港で調べた品をこちらでも指定した。
今度も値が出る。
表の続きを埋め、同じ品の列へ指を滑らせると、真壁が横から紙を覗いた。
「戻ってから比べよう」
「歩くより、書く方が忙しいニャ」
「そのために連れてきた」
ニャニャミは頷き、次の頁を開きかけた。
真壁は空の色を見て、先に帳面を閉じさせる。
「今日はここまでだ。家で休みたまえ」
村外れへ送り届けられると、フェルナ村の夕飯の匂いが風に乗った。
ニャニャミは帰る道へ足を向け、真壁へ、明朝迎えに来る時刻を確かめた。
翌朝、真壁は事業所へ顔を出し、これからニャニャミを迎えに行くと言った。
澪が昨夜の帰宅を聞くと、村外れへ送り届けた時刻が返ってくる。
出発前に村長と決めた約束には、ちゃんと間に合っていた。
「今日は何をするんですか?」
「昨日の続きを」
真壁はそれだけ答え、持っていた控えを置いて出ていった。
澪は、ニャニャミが帳簿の読み方を覚えるには、よい相手だと思いながら、村の商品へ添えた紙を開いた。
仕事が一段落した時には、もう昼が近かった。
《世界地図》を見ると、真壁とニャニャミは港町にいる。
「今日は港町ですね」
澪が口にすると、向かいで理央が顔を上げた。
「市場を見る研修じゃないですか? 荷物も集まりますし」
「そうですね」
澪はノートへ2人のいる町の名を書き、仕入れの控えへ戻った。
次の日、同じように開いた地図では、2人はその港町にいなかった。
国の境を辿ってから、澪の指が紙の上で止まる。
「……国、変わってません?」
「昨日と違う所ですか?」
「別の国です」
理央へ町の名を伝えると、そちらも自分の《世界地図》を開いた。
2人で、それぞれの表示を見比べるように、同じ名を口にする。
「真壁さんなら、行けるんでしょうけど……」
澪は、見学のために出掛けたばかりの白いケット・シーを思い返した。
知らない宿が嫌だと言っていた。
夜は家へ戻っていると、その朝も真壁から聞いている。
そこは変わらないのに、昼の行き先だけが随分遠い。
また別の日には山間部で、次に目を留めたのは、見覚えのある火山だった。
澪は表示を閉じず、2人の位置をもう1度確かめた。
「……火山にいるんですけど」
「何の研修ニャ?」
孤児院から寄ったレイニャが、机の横で耳を立てる。
見せられない表示の代わりに、澪は火山の名をノートへ書いた。
レイニャはそれを覗き、地名から澪の顔へ目を移した。
「市場があるニャ?」
「それは分かりません」
「真壁さんですから……」
理央が言うと、澪はその顔を見た。
「それで納得していいんでしょうか」
レイニャのひげが動き、誰も続きを答えなかった。
今、問い掛けても向こうへ届く連絡手段はない。
澪は真壁が戻った時に聞くことをノートへ残し、手元の仕事を進めた。
翌朝、迎えに行く途中で寄った真壁へ聞いても、返事は短かった。
「夜には村へ戻している。休息も取らせている」
「それは分かりましたけど、昼間は?」
「実地の研修だ」
真壁はいつも通りの顔で、今日も出ていった。
澪が後で地図を開くと、2人はまた火山にいた。
火山の名の横へ、澪は小さく疑問符を書き足した。
東都へ納品する前夜、事業所の窓へ夕日が差していた。
澪は並べた箱の荷札を読み、理央が持つ納品帳と数量を合わせる。
試験販売用の村の商品は、明日の納品分と混ざらないよう、別に保管してあった。
「こっちまでで、明日の分です」
理央が指で帳面を辿り、澪は最後の箱へ紙を戻した。
入口近くでは、レイニャが手琴を膝へ置いて待っている。
真壁とニャニャミは、今夜も村へ直接戻るのだろうと思っていた。
その扉が開き、聞き慣れた靴音が入ってきた。
「お帰りなさい」
理央の声に澪が顔を上げると、真壁の横に、ニャニャミがいた。
白い毛も、金色の目も、領都に来た日と変わらない。
布袋は手に持っていて、くたくたになって運ばれてきた様子でもなかった。
「やっと帰ってきたニャ」
レイニャが立つと、ニャニャミは耳をこちらへ向けた。
「毎晩帰ってるニャ」
「そういう意味ではなくて……」
澪が言うと、ニャニャミは机の納品帳を見た。
すぐ自分の帳面を出すかと思ったが、先に箱の並びへ目が動いた。
荷札を読もうとして、理央の作業する所は避けて立つ。
「ちょうどよかったです。明日は東都へ納品なんですよ」
「そうだね。だから戻ってきた。」
真壁はいつものように、机の空いている所へ手を添えた。
澪は、何の研修だったのか聞こうとして、ニャニャミへ目を戻した。
商人になってから、どれだけ仕事に慣れたのかも聞きたい。
ノートにはまだ、教会で写したレベル1の記録が残っていた。
澪はその頁を開き、ニャニャミへ声を掛けた。
「今の状態を、見せてもらってもいいですか? 教会での記録と合わせておきたいんです」
「はいニャ」
ニャニャミは布袋を机へ置いた。
澪はノートを片手に、《鑑定》を使う。
目の前へ表示が現れ、名前からその下へ読み進めた。
筆記具を持つ指が止まる。
澪は書き写す前に、ノートを見た。
同じ名前が、紙の上にもある。
視界へ目を戻し、もう1度、上から読んだ。
「澪さん?」
理央が呼んだが、澪は返事をしなかった。
ニャニャミの白い顔を見る。
金色の目がこちらへ向き、片方の耳だけが傾いた。
「どうしたニャ?」
澪はもう1度表示へ目を移した。
紙に写すはずだった手は、動かないままだった。
ニャニャミの向こうでは、真壁が、納品帳へ目を落としている。
澪がそちらを向くと、真壁は顔を上げた。
「……何したんですか?」