押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第396話 お任せくださいニャ、総支配人!

 

 真壁の返事を待つ間に、澪はノートを机へ置いた。

 

 教会で写した記録の隣に日付を書き、目の前の表示を上から辿る。

 

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ニャニャミ

 分類:ケット・シー

 現在ジョブ:商人

 レベル:10

 前職:自宅警備員 Lv10

 状態:良好

 疲労度:78%

 身体異常:なし

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基礎能力値

 体力:82

 筋力:78

 器用:115

 知力:119

 判断:124

 精神:112

 集中:145

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未使用SP

 26

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既得スキル

 千里眼:7

 鑑定:8

 収納:8

 雷:8

 重力:8

 移動加速:8

 地図:8

 転移:2

 体術:8

 浄化:8

 緑の手:8

----------------------------------

 

「商人……レベル10?」

 

「10?」

 

 納品帳を持っていた理央が、机の向こうから回ってきた。

 

 澪の筆記具は、体力の欄で止まる。

 

 書き間違えたかと思ったが、間違えるほど、まだ書いていない。

 

「それより、筋力78って……」

 

 古い頁には34とある。

 

 澪は2つの数字を交互に見てから、ニャニャミの腕へ目を向けた。

 

 白い短毛の手は、いつもの布袋の口に添えられている。

 

 太い腕に変わったわけでも、肩をいからせているわけでもなかった。

 

 ただ、袋を片手で支える姿勢に、どちらへ重さを逃がそうかという迷いがない。

 

「転職したの、何日前ニャ?」

 

 レイニャが手琴を椅子へ戻し、ニャニャミの横へ来た。

 

 幼馴染の顔へ鼻を近づけ、白い耳の付け根から足元まで見直す。

 

「お前、何されたニャ」

 

「研修したニャ」

 

「研修でこうはならないです」

 

 言いながら、澪は転記を再開した。

 

 紙を擦る音だけが続き、理央は書かれた行を、レイニャは理央が指で示した数字を追っている。

 

 不可視の表示を覗こうとする者は、もういなかった。

 

「疲労度は78%です。まず座ってください」

 

「座って話していいニャ?」

 

「その方がいいです」

 

 ニャニャミは椅子を引き、机の脚に尻尾を挟まないよう横へ流して腰を下ろした。

 

 立っていた時には分からなかったが、座ると、袋を支えていた指がゆっくり開いた。

 

 澪は水を渡し、技能の最後の行まで書き終える。

 

 理央がノートを自分の方へ寄せた途端、息を吸う音がした。

 

「転移も、あるんですか?」

 

「あるニャ」

 

 ニャニャミは水を飲んでから答えた。

 

 窓からの夕日が細くなり、その金色の目には、机の上の灯りが映っていた。

 

 澪はノートを開いたまま、真壁へ向けた。

 

 

 

「何をしたら、数日でこうなるんですか」

 

「訓練と、戦闘と、教育と、実習だ」

 

 真壁は納品帳を脇へ寄せ、ニャニャミが置いた布袋の隣へ椅子を引いた。

 

 研修を受けた方は水を飲んでいるが、研修をさせた方には、これから仕事を始めそうな余裕がある。

 

「全部ですか?」

 

「いずれも商人に必要なものだ」

 

「戦闘は商人に必要なんですか?」

 

 理央の問いに、真壁は短く答えた。

 

「行く場所による」

 

「火山ニャ?」

 

 レイニャの耳が、今度は真壁へ向いた。

 

 澪はノートの火山名を指で押さえる。

 

 戻った時に聞いても、実地の研修だとしか返ってこなかった所だ。

 

「そこで、戦っていたんですね」

 

「間引きに参加してもらった。だが、その前に、動ける体を作っている」

 

「使った回数だけで、全部こんなに上がるんですか?」

 

「スキルブースト用の魔石を持たせた。収納に入れている間、10技能へ継続して経験を与える。それに、実際の使用を重ねた。入れておくだけで、今日の実務まで覚えたわけではない」

 

 ニャニャミが布袋から帳面を出した。

 

 澪へ見せるために開いた頁には、品名のない表がある。

 

 運動の内容と、始める前、終えた後の記録だった。

 

「自分でも付けてたんですか?」

 

「後で比べるニャ。どれをやったら、どこで疲れたか分かるニャ」

 

 ニャニャミは折れた紙の角を伸ばし、真壁の説明を待った。

 

 全部真壁に言ってもらうつもりではないらしい。

 

「夜は、本当に村で寝ていたんですよね」

 

「毎晩、村へ戻している。竜血疲労耐久薬を飲んだからといって、眠らせず使う理由にはならん」

 

「寝たニャ。朝になったら、また迎えが来たニャ」

 

 その声には、次の朝を嫌がる響きがない。

 

 レイニャが机へ両手を置き、帳面の最初の行を覗いた。

 

「自分を重くするって、何ニャ?」

 

「基礎訓練だ。まずは、止まり方から覚えてもらった」

 

 ニャニャミは水の器を帳面から離し、はじめに書いた箇所へ指を戻した。

 

 

 

 研修の朝、町外れの空き地で、ニャニャミは帳面を開こうとしていた。

 

 真壁が指したのは机ではなく、人のいない石敷きの端だった。

 

「まず自分へ《重力》を掛けたまえ」

 

「自分を重くしてどうするニャ?」

 

「重いまま普通に動けるようになれば、解除した時には軽い」

 

 軽くしてもらえるのなら、そのまま座って書く方がよさそうだった。

 

 けれど真壁は、袋を脇へ置かせ、負荷をごく低い所から始めさせた。

 

 足の下の石が硬くなったように感じた。

 

 片足を上げるだけなのに、普段より腿へ力が要る。

 

 尻尾を動かして釣り合いを取ると、その尻尾まで重かった。

 

「研修に必要ニャ?」

 

「必要になった。そこまで歩き、戻ってきたまえ」

 

 指された石の継ぎ目へ向かい、ニャニャミは足を出した。

 

 早く終えようとして歩幅を広げると、上体だけが前へ流れる。

 

 真壁の手が届く所で止まり、足の置き方を直した。

 

 戻る時には、足を上げる前に、残った足へ重さを寄せてみる。

 

 ひげの先に風が触れたのは同じなのに、今度は顔が下を向かなかった。

 

「次は《移動加速》だ。距離は取らなくてよい。あの継ぎ目で止まる」

 

「速く行くニャ?」

 

「狙った所へ行く」

 

 ニャニャミは継ぎ目を見据えた。

 

 加速した瞬間、目標は思っていたより早く近づいてきた。

 

 足を突っ張ると重い体が追いつき、ひざが曲がる。

 

 真壁が横から支え、転ぶ前に重さを受け流す動きを教えた。

 

 《体術》で身を低くし、地面へ手をつく位置を変えて、もう一度やってみる。

 

 速くする所と、止める所は別に考えなければならなかった。

 

 何度目かに、靴の先が継ぎ目の手前で揃った。

 

 ニャニャミは下を見てから真壁を見た。

 

「ここで止まったニャ」

 

「今の動きを覚えておこう。いったん休息だ」

 

「まだできるニャ」

 

「始めたばかりだ。続けるために休む」

 

 真壁に状態を見られ、呼吸を整えてから、ニャニャミは袋の所へ戻った。

 

 帳面へ書く指にも、さっきの重さが残っている。

 

 失敗した時は目標を通り過ぎ、止まれた時は足元まで見ていたことを書き分けた。

 

 次の練習では、その行を読んでから立つ。

 

 倉庫の間を歩く時にも、荷を持って段差を越える時にも、真壁は、無理のない負荷を残させた。

 

 階段を上り切る頃には袋が嫌になるほど重かったが、休む前に《重力》を解くと、手が袋ごと上へ跳ねた。

 

「……こんなに軽かったニャ?」

 

 落とす前に反対の手を添え、ニャニャミは袋の底を見た。

 

 帳面は減っていない。

 

 翌朝、同じ所まで進むのが楽になっているかを、今度は自分から試した。

 

 うまく止まれた日には、余白へ、次に試す動きを書き足した。

 

 

 

 ゼグルド火山で最初に足へ触れたのは、転がりやすい小石だった。

 

 ニャニャミは体へ残した《重力》の負荷を意識し、踏む所を選び直した。

 

 風は町より熱く、鼻へ入る細かい灰が、息を吸うたびに気になった。

 

 遠くの噴気へ耳を向けてから、真壁の横を見上げる。

 

「市場、ないニャ」

 

「今日は別の実習だ」

 

 真壁はニャニャミを岩陰へ寄せ、前方の斜面と、戻る側の平らな所を順に示した。

 

 ニャニャミも《地図》を開く。

 

 反応のある方向を口にすると、真壁は自分の表示で照合し、相手のいる岩を指した。

 

「戦うニャ?」

 

「私が選んだ相手だけだ。重力は切るな」

 

「重いままニャ?」

 

「重いままだ」

 

 逃げる時くらい軽くしたいと思ったが、真壁は逃げ道を塞いでいなかった。

 

 対応できなくなったら自分の側へ戻るよう言われ、ニャニャミは、その足場をもう一度見た。

 

 岩の向こうの魔物を《鑑定》し、読み取れた内容を真壁へ伝える。

 

 分からない所は真壁が補い、相手を替えることなく、待つ位置を決めた。

 

 魔物がこちらを向いた時、ニャニャミの耳は伏せた。

 

 思っていたより、接近する足音が大きい。

 

 下がりたい足を踏み直し、真壁に教わった、止まれる距離を見る。

 

 相手が岩の脇へ出た所で、《雷》を使った。

 

 魔物の動きが鈍る。

 

 ニャニャミはそこへ寄らず、《移動加速》で横へ抜けた。

 

 砂利がずれ、足首が流れかけたが、ひざを曲げて体を立て直す。

 

 最初に見ていた場所へ止まると、相手はまだ、今まで自分がいた方を向いていた。

 

 金色の目でその向きを追い、次の《雷》を放つ。

 

 魔物が倒れても、すぐには近づかなかった。

 

「終わったニャ?」

 

「動きを見たまえ」

 

 真壁が側へ来るまで、ニャニャミは距離を保った。

 

 真壁が倒れた個体を確かめ、回収を済ませてから、ようやく息を吐く。

 

 自分の手はまだ、胸の前へ持ち上がっていた。

 

 あわてて下ろすと、白い指の間に灰が入り込んでいる。

 

 《浄化》を使って手と衣服の汚れを落とし、真壁に全身の状態を見てもらった。

 

「どこか痛むか?」

 

「痛くないニャ。足が滑ったニャ」

 

「では、次は足場を替える。今は座って休もう」

 

 ニャニャミは安全な岩の後ろへ戻り、水を飲んだ。

 

 器の縁に当たったひげが、やっといつもの向きへ戻る。

 

 倒れた所よりも、横へ抜けて止まった所を見ていた。

 

 空き地の継ぎ目で練習した時には、こちらを追うものはいなかった。

 

 けれど、見る所を決めて動けば、今日もそこで止まれた。

 

 袋から帳面を取り出し、足が滑った位置と、真壁に直された点を書いた。

 

 成功した行の横へ小さく印を付けてから、次の足場へ顔を上げる。

 

 真壁はニャニャミの呼吸を見て、再開するまで、もう少し待った。

 

 

 

 何度か火山へ通った後には、ニャニャミの帳面に、同じ失敗が並ばなくなった。

 

 止まる場所を選ぶのも、相手の動きに合わせて横へ抜けるのも、前より早くできる。

 

 真壁が選んだ魔物を倒し、足元の灰を払ったところで、《地図》の別の反応が目に入った。

 

「総支配人、あっちにもいるニャ」

 

 尾が上がり、顔より先に耳がそちらへ向いた。

 

 岩を回れば見えるはずだった。

 

 次はもっと滑らずに動けるかもしれない。

 

「今日は終わりだ」

 

「まだ動けるニャ」

 

 言ってから、ニャニャミは真壁を見た。

 

 真壁は相手の方を見ず、自分の方を見ている。

 

「動けることと、続けるべきことは別だ」

 

 疲労度を口頭で告げられ、ニャニャミは自分でも状態を確かめた。

 

 最初に休息を取った時より、体は動かしやすい。

 

 だが、休んだ後の記録とは違う数が出ていた。

 

「あと少しニャ」

 

「その少しを、次の朝へ残そう。今日は撤収だ」

 

 ニャニャミはもう一度、斜面の向こうを見た。

 

 真壁の靴は、帰る方へ向いている。

 

「……承知しましたニャ、総支配人」

 

 肩を引いて返事をし、ニャニャミも足の向きを変えた。

 

 戻る途中で小石を踏み違え、さっきより慎重に足を置き直す。

 

 体が動くからといって、目がいつも同じ所を見ているとは限らなかった。

 

 休息場所で帳面を開くと、真壁に止められた時の数字も書いた。

 

「今の足場も書くニャ?」

 

「覚えておけば役に立つ」

 

 ニャニャミは最後の行へ、撤収中、と添えた。

 

 翌日の頁を先に開こうとして、真壁が帰宅の支度を始めていることに気づく。

 

 紙を元へ戻し、炭筆をしまった。

 

 立ち上がる時には、明日ならできそうなことが、もう1つ増えていた。

 

 

 

 港町で休憩を取った時、ニャニャミは、椅子へ座れるだけで助かったと思った。

 

 食堂脇の机には、湯気の立つ飲み物が置かれている。

 

 《重力》の負荷を解いた腕を机へ載せ、食べ物の包みを開いたところへ、真壁が価格の控えを出した。

 

「先ほどの町で、羊毛をどこへ持っていく?」

 

「休憩ニャ?」

 

「体は休ませている」

 

 ニャニャミは器の湯気越しに、その控えを見た。

 

 昨日、自分が書いた町名がある。

 

 食べ物をひと口食べ、袋から帳面を引き出した。

 

「売値が高い町ニャ」

 

「それだけか?」

 

 ニャニャミは指を列へ添えたまま止めた。

 

 村で聞き書きをしていた頃なら、一番高い所を見つければ、次に聞く商品の話へ進めた。

 

 今は真壁が、その欄の先を待っている。

 

「……運ぶ費用があるニャ。売れ残ったら戻す分もあるニャ」

 

「続けたまえ」

 

「数が売れないなら、高くても意味が薄いニャ」

 

 指を隣の町へ動かした。

 

 そちらは値だけなら低いが、売場へ行った時には、羊毛を扱う店が目についた。

 

 どれだけ買うのかは、まだ聞いていなかった。

 

「こっちは、量を聞いてから決めるニャ」

 

「では、何を聞く?」

 

「同じ時にまとめて欲しいのか、少しずつ欲しいのかニャ。置く所も見るニャ」

 

 炭筆の先で、新しい欄を作った。

 

 買う値と売る値の差を書き、その下へ運ぶ費用を置く。

 

 保存して待つ分、傷んで売れなくなる分も、別に残した。

 

 全部をいっぺんに売るつもりで書いていた線が、途中で止まる。

 

「買ってくれなかった分も、持ってるニャ」

 

「そうだ。それは利益になっていない」

 

「《千里眼》には、そこまで出ないニャ」

 

「君が考える所だ」

 

 ニャニャミは炭筆を持ち直した。

 

 見えた価格を写す時には、字を間違えなければよかった。

 

 今の空欄は、まだ聞かなかったことと、まだやらなかったことでできている。

 

 次に町へ着いたら、その欄を埋められる。

 

 飲み物を取ろうとして、手のすぐ横に紙を広げていたことに気づいた。

 

 慌てて器を遠ざけると、真壁が食べかけの包みを指した。

 

「そちらも済ませたまえ」

 

「今、いい所ニャ」

 

「食事を済ませても、数字は変わらん」

 

 ニャニャミは続きを書きたい指を止め、食べ物を取った。

 

 噛んでいる間も、目は、次に聞くことを足した行へ戻る。

 

 何を聞いてもよいのなら、聞きたいことは、歩いた町の数だけ増えた。

 

 食後には港の荷が置かれた所を見て、真壁がその先の農村へ連れていった。

 

 香草の育っている場所では、《緑の手》を使いながら、生きた株と、売場にあった束を見比べた。

 

 分からない扱いは聞き、育ち方の記録と、売る品の記録を違う頁へ書く。

 

 《浄化》も《緑の手》も、表示を見ても使い道の分からない名前ではなくなっていた。

 

 

 

 内陸の市場で、真壁はフェルナ村の包みを少量だけニャニャミへ渡した。

 

 見覚えのある羊毛とフェルト、それに食べ物の包みがある。

 

「今日は見るだけではない。売りたまえ」

 

「あたしがニャ?」

 

「価格は見えるのだろう。では、売れる価格を考えたまえ」

 

 ニャニャミは腕の包みを見た。

 

 倉庫で品名を聞いて書いた時には、数量が空欄を埋めていった。

 

 今は自分の手に、その数量の一部が載っている。

 

「《千里眼》の値段そのままじゃだめニャ?」

 

「やってみれば分かる」

 

 ニャニャミは、さっき通った布を扱う店へ向かった。

 

 真壁は後ろからついてくるが、店主へ先に話しかけてはくれなかった。

 

 羊毛を見せ、相場をもとに考えた値を伝える。

 

 店主は束をほぐし、こちらが言い終わるまで待ってから、首を振った。

 

「その値では、うちには合わないね」

 

 ニャニャミは真壁の方を見かけ、途中で店主へ向き直った。

 

「何が合わないニャ?」

 

「私が売る相手には、ここまで揃った物は要らない。もっと安くて、量のある方がいい」

 

 炭筆を出すと、店主が不思議そうに手元を見た。

 

「買わないよ?」

 

「買わない理由を書くニャ」

 

 束を戻してもらい、ニャニャミは布の種類を目で追った。

 

 ここで売る物と、自分が持っている物を、同じ値だけで比べていた。

 

 次の店では、羊毛とフェルトを両方出し、何に使う品を買っているか聞いた。

 

 店主がフェルトへ手を伸ばしたので、先にそちらを広げる。

 

 欲しい量を聞き、持ち込んだ分で足りることを伝えると、値段の話が続いた。

 

 今後も同じ量が出せるかと聞かれて、ニャニャミは即答しなかった。

 

「村に聞いてからニャ。今日あるのは、この分ニャ」

 

 店主が選んだ分を分け、残す包みを《収納》へ戻す。

 

 支払われた硬貨を机で数え、店主にも見てもらってから、帳面に実際の売値と数量を書いた。

 

 《千里眼》で見た欄とは、別の欄だ。

 

 店を出る時、手を離れた品よりも、帳面に新しい数字があることが気になった。

 

「売れたニャ」

 

「では、残った分はどこへ持っていく?」

 

 ニャニャミは帳面を閉じず、通りの先へ顔を向けた。

 

 食べ物を扱う店では、硬い山羊チーズの包みを出すと、店主が匂いと固さを確かめた。

 

 見た目の量だけで決めず、《鑑定》で分かった状態も伝え、買ってもらえる分だけを秤へ載せる。

 

 店の容器や置き場を汚さないよう包みを扱い、用が済んだ所では《浄化》を使った。

 

 次の港町では蜂蜜と蜜蝋の行を、また別に作った。

 

 外の客が手に取ると、村で見ていた物の、今まで聞かなかった使い方が返ってくる。

 

 売れた分を書いた後で、売れなかった品にも、話を聞いた店と、その理由を残した。

 

 真壁に見せる前に、欄の足りない所へ、自分で線を足すようになった。

 

「全部売れないと、だめニャ?」

 

「試すために持ち出した品だ。売れない理由が分かれば、その分も村へ返せる」

 

 ニャニャミは、さっき買ってもらえなかった羊毛の包みを撫でた。

 

 空欄だった時より、村で話せることは増えている。

 

 次の店が見えると、今度は真壁の顔を見ず、自分から通りを渡った。

 

 

 

 研修の後半、市場を離れた人の少ない街道脇で、ニャニャミは帳面を袋へ戻した。

 

 歩いた道を《地図》で辿り、荷を置く所から店までの曲がり角を確かめる。

 

 町へ来た日は、真壁を追うだけでいっぱいだった道だ。

 

 今なら、どちらへ戻れば荷車の通り道を避けられるか、自分で選べる。

 

 技能の表示へ目を移した時、いつもの名前の間に、知らない名前を見つけた。

 

「総支配人。《転移》って出たニャ」

 

 真壁の手が、片づけかけた控えの上で止まった。

 

「地図と移動が十分に育ったか。レベルはいくつだ?」

 

「どっちも8ニャ。転移は芽ニャ」

 

 口にすると、意味が追いついてきた。

 

 今いる道から、真壁がいつも行き来していたように、別の場所へ行ける。

 

「これ、帰るのに使えるニャ?」

 

「登録拠点を作ればな」

 

 ニャニャミは袋の口から手を離した。

 

 芽の名前を、もう一度読もうとしたところで表示が変わる。

 

「あ。1になったニャ」

 

「魔石がSPを投入したのだろう」

 

「また勝手に減ったニャ」

 

 減ったのは1だ。

 

 ニャニャミは帳面を出し直し、毎日付けたSPの増減を辿った。

 

 商人のレベルは、もう10まで上がっている。

 

 2、3、4で1ずつ、5で3、その後は9まで2ずつ、10では5増えた。

 

 合計で19増え、最初に残っていた8と合わせて27だった所から、26になっている。

 

「合ってるニャ」

 

「初めて芽を開いた時の分は、もう受け取っている。それをまた足す必要はない」

 

「足してないニャ」

 

 ニャニャミは取得した名前と使った1SPを書いた。

 

 《千里眼》の時にも、数字が減ったことはすぐ分かった。

 

 今は、その1の横に書いた《転移》が気になる。

 

「どこでも帰れるニャ?」

 

「どこへでも、ではない。まずは、実際に行った安全な場所を1か所登録する」

 

 ニャニャミの耳が前へ向いた。

 

 港も内陸の市場も、帳面を開けば違う値が出る面白い場所だった。

 

 けれど、夜に戻る場所なら、どの頁を開くか迷うことはなかった。

 

「今日、村でやるニャ」

 

 真壁は控えを袋へしまい、帰宅の支度をした。

 

 

 

 フェルナ村の外れへ送り届けられると、ニャニャミは町で羽織った服の前を合わせた。

 

 山の夜気が鼻へ触れ、熱い火山の風とは違う匂いがした。

 

 軒の下から家の灯りが漏れ、家畜の声が短く聞こえる。

 

 帳面を袋に戻したまま、ニャニャミは足元の土を見た。

 

「登録は1か所だ。どこにする?」

 

「ここニャ」

 

「領都ではなく?」

 

「仕事には連れていってもらえるニャ。帰る場所はここニャ」

 

 真壁が少し離れ、周囲を見渡した。

 

 ニャニャミも、荷車が通る道と、家へ向かう道を順に辿る。

 

 道の真ん中へ急に出れば、帰ってきた自分が邪魔になる。

 

 荷を積む所にも、薪が置かれる所にも重ならない、小さな空いた場所へ立ち直した。

 

「ここなら、来た時に人へぶつからないニャ」

 

「よい判断だ」

 

 ニャニャミは《地図》で位置を確かめた。

 

 村で歩いた道も、夜にここから家へ戻った道も、自分の地図に残っている。

 

 今、靴の下にある土と、脇の草、家へ向かう曲がり角を見て、その場所を登録した。

 

 真壁に完了を伝えると、少し離れた所から戻ってみるよう言われた。

 

 ニャニャミは短い距離を歩き、登録した地点へ意識を向ける。

 

 足元が変わった。

 

 歩いて戻る時より先に、さっき見た草が足の横へ来ている。

 

 ニャニャミは耳を立て、後ろを見た。

 

 真壁は離れた場所から、こちらへ歩いてきた。

 

「帰れたニャ」

 

「今は短い距離からでよい。今日はそのまま家へ戻ろう」

 

 ニャニャミは登録した所を離れ、家へ向かった。

 

 眠る前に帳面へ書いたのは、市場の値ではなく、最初の拠点だった。

 

 翌日からも、実地の移動に合わせ、真壁の見ている所で同じ地点への帰還を繰り返した。

 

 《転移》が2になっても、登録できる場所はまだ1か所で、行ったことのない町を選べるわけではなかった。

 

 同行できるのも1名程度だと教わり、ニャニャミはそのことも書き添えた。

 

 帰る時に一緒に送ってもらう必要がなくなると、迎えに来る約束だけが翌朝へ残る。

 

 ニャニャミは、その時刻を聞いてから家へ歩いた。

 

 その日見た市場の話は、自分で帰ってきた足音と一緒に、家の戸口へ持ち込んだ。

 

 

 

 話が村での帰宅まで進んだ頃には、事業所の窓に、室内の灯りが映っていた。

 

 澪はニャニャミが広げた帳面から顔を上げる。

 

 価格の表の間には訓練の記録が挟まり、帰る拠点を記した頁の次には、また商品の名前が続いている。

 

「それ、商人研修の範囲なんですか」

 

「実習で結果が出ている」

 

 真壁は帳面の、売れた品と売れなかった品が分かれた所を指した。

 

「ただ、少々、火山ではウォーモンガーの気が出てしまったがね」

 

「さらっと言わないでください」

 

 澪が顔を向けると、ニャニャミは白いひげをぴくりと動かした。

 

「次もできそうだったニャ」

 

「聞きました。できそうでも、休む時は休んでくださいね」

 

「総支配人が止めたら、止めたニャ」

 

 レイニャがその横で尾を揺らす。

 

 怖がっていた幼馴染に何を言うか決めていたのに、今度は、行きたがる方を止めなければならない顔だった。

 

 真壁は売れ残った品の行から、買い手の理由を書いた欄へ指を動かした。

 

「それを差し引いても、優秀な副支配人候補だ」

 

 ニャニャミが椅子から立った。

 

 布袋は机へ残し、足を揃える。

 

 白い手が、ぴしりと額の横へ上がった。

 

「お任せくださいニャ、総支配人!」

 

 澪は口を開き、いったん閉じた。

 

 猫の手でそんなにきっぱり敬礼されると、こちらまで立つべきか迷った。

 

「……総支配人?」

 

「研修中からそう呼ばれている」

 

 真壁は敬礼の手が下がるのを、ごく普通に待っていた。

 

「副支配人に、もう決まったんですか?」

 

「候補だ。市場を調べ、採算を考え、現物を扱い、結果を報告できる。現場で何を見て動くかも覚えた」

 

 澪はノートの《雷》8を見てから、ニャニャミの帳面へ戻った。

 

 数字の大きい方に気を取られ、さっきは、この小さな字を読んでいなかった。

 

 買わなかった理由まで書いてある。

 

「ここは、ニャニャミが聞いたんですね」

 

「あたしが行ったニャ。次は、別の店にしたニャ」

 

 返事をしながら、指で2つの店の行を示す。

 

 真壁の方は見ない。

 

 澪がその欄を読み終わるまで、ニャニャミは自分の答えた場所へ指を置いていた。

 

 

 

 ニャニャミが座り直すと、理央は脇へ寄せていた納品帳を机へ戻した。

 

 話している間に、箱の荷札は誰も動かしていない。

 

 それでもニャニャミの目は、帳面より先に、札の向きと箱の並びを追った。

 

「これ、明日の分ニャ?」

 

「はい。もう一度数を合わせている所です」

 

 澪は転記したノートを閉じ、納品帳を開いたまま横へ向けた。

 

「ニャニャミ、この納品表と箱の数、見てもらえますか。重い物は動かさなくていいので」

 

「承知しましたニャ、会長!」

 

 座ったまま白い手が上がり、理央の筆記具が止まった。

 

「会長?」

 

「澪ニャ」

 

「私ですか。いつ決まったんですか」

 

「研修中ニャ」

 

 澪は真壁を見た。

 

 真壁は、読みにくい位置にあった荷札をこちらへ向けている。

 

 今そこで相談されていることではないらしかった。

 

「ひとまず、この表をお願いします」

 

 ニャニャミは手を下ろし、表の端を押さえた。

 

 理央が揃えた品名から、目の前の荷札へ視線を渡す。

 

 見えにくい箱の札は理央に読んでもらい、番号と数量を復唱した。

 

 レイニャも手琴を持ち上げ、椅子を通り道の外へ寄せてから、座面へ置き直した。

 

「こっち、見えるニャ?」

 

「見えるニャ。ありがとうニャ」

 

 ニャニャミは最後の行まで辿ってから、納品帳を理央へ向けた。

 

「理央さん、ここまで揃えてあるなら仕事早いニャ。よくできてるニャ」

 

 理央の顔が上がった。

 

 澪もニャニャミを見る。

 

 間違いを見つけて得意になった顔ではない。

 

 白い耳は理央へまっすぐ向き、金色の目には、もう次の作業を渡せると安心したような光があった。

 

「ニャニャミ。私の方が先に働いてたからね?」

 

「知ってるニャ、理央さん」

 

「そこは知ってるんだ……」

 

 理央が自分の納品帳へ手を戻すと、ニャニャミは、その手を待って頁を渡した。

 

「明日出す順も、これで分かるニャ」

 

「はい。そういうふうに書いたので」

 

「助かるニャ」

 

 理央は返事をしかけ、澪の方を見た。

 

 澪には、その仕事を褒められて嫌とは言えない顔が見えた。

 

 先に働いていたことは認められているのに、先輩になった気はしない。

 

 ニャニャミは自分の帳面へ必要な箇所だけを写し、収納する箱と、まだ手元で使う紙を分けて尋ねた。

 

 澪が答えると、教わった範囲で荷札を揃え、理央の次の作業を邪魔しない所へ置く。

 

「これでいいニャ?」

 

「はい、それで合っています」

 

 返事を受けた耳が動き、今度は敬礼せず、次の紙へ手を伸ばした。

 

 澪はその横から表を覗いた。

 

 自分の知らない役職が増えた机で、納品の準備は、さっきより進んでいた。

 

 

 

 箱の札を揃え終えると、ニャニャミは少しだけ椅子を倉庫側へ向けた。

 

 灯りの下へ並んだ納品箱を見て、開いていた帳面の端を指で撫でる。

 

「東都は、何に使う物を買ってるニャ?」

 

「東都特殊金属試作という、ゲンダイの取引先です。金属の試作や評価をする会社で、私たちは材料や加工品を納めています」

 

 澪は理央が閉じかけていた納品帳を開き、納品先の名前を示した。

 

 ニャニャミはその長い名前を読み、自分の帳面の上へ書き写す。

 

「東都って、ここまでの名前ニャ?」

 

「普段は短く呼んでいますけど、書類では正式な名前にします」

 

 白い指が、途中まで書いた字の先へ動いた。

 

 省略せずに書き終えてから、その下へ品名と数量の欄を作る。

 

「市場で売るのとは違うニャ」

 

「注文を受けた物を、約束した日に納める仕事です。相場を見る時とは、確かめることも違います」

 

「今日の数合わせも、それニャ?」

 

「はい。明日はここで、納品前の準備も見てもらえますか」

 

「見るニャ」

 

 返事がすぐに来て、ニャニャミは、明日、と頁の隅へ書いた。

 

 理央から品名の書き方を聞き、納品帳と自分の字を見比べる。

 

 分からない用途については、分かったことと混ぜず、質問する欄を空けた。

 

「明日も町へ出るのかと思ったニャ」

 

 レイニャが肩越しに覗くと、ニャニャミは顔を上げた。

 

「町でも、ここでも、仕事を見るニャ。歩くのは今でも嫌いニャ」

 

「そこは変わらないニャ……」

 

「歩くのが速くなっても、歩くのは歩くニャ」

 

 理央が口元を押さえ、澪も笑ってから、朝の段取りへ話を戻した。

 

「今夜は村へ帰って休んで、明朝、ここへ来てもらうことになりますね」

 

「私が村外れで迎えよう」

 

 真壁が答えると、ニャニャミは迎えの時刻を聞いて書き、家で朝の支度を済ませて待つと答えた。

 

「夜は、また村へ帰るニャ?」

 

「帰るニャ」

 

 レイニャへ返事をしながら、ニャニャミは頁へ炭筆を挟んだ。

 

 出掛けてよいかを確かめる前に、明日聞きたいことが、もう紙の上に並んでいる。

 

 レイニャは白い横顔を見てから、椅子の手琴へ目を戻した。

 

「じゃあ、明日も一緒ニャ」

 

「そうニャ」

 

 ニャニャミは帳面を袋へ入れ、机に残した水を飲み切った。

 

 

 

 理央が納品帳を所定の場所へ置いたところで、真壁がニャニャミを呼んだ。

 

「最後に、これを渡しておこう」

 

 収納から取り出された小さな革袋が、机へ置かれる。

 

 硬貨の触れ合う音がして、ニャニャミの耳が上がった。

 

 けれど、袋へ伸びる手はなかった。

 

「何ニャ?」

 

「今回の研修で実際に村からの産物を各地で売却した利益の半分だ」

 

 ニャニャミが布袋から帳面を取り出した。

 

 机に置かれた袋を見るより先に、売った品の頁を開く。

 

「村に払う分は、入ってないニャ?」

 

「それは別に取ってある。商品代の精算と、君への成果報酬は分けた」

 

 真壁は精算の控えを広げ、商品代と経費を分けた先の欄を示した。

 

 ニャニャミは自分の帳面と照らし、袋がどの欄の金なのかを辿る。

 

 澪も横から紙へ目を通し、村との正式な仕入条件の相談は、別に残っていることを確かめた。

 

「半分、あたしのニャ?」

 

「君の実習成果に対する取り分だ。受け取りたまえ」

 

 白い手が、ようやく袋を取った。

 

 持ち上げた重さを一度確かめ、口を開けて中を見る。

 

 澪はその顔を見ていた。

 

 金色の目が細くなるかと思ったが、ニャニャミは、開いた帳面の品名へ視線を戻した。

 

「これと、こっちで売れた分ニャ」

 

「そうだ」

 

「売れなかったのも、残ってるニャ」

 

「そちらの記録も持って帰ればよい」

 

 ニャニャミは袋の紐を結び直した。

 

 硬貨を落とさないよう口を寄せ、帳面には、受け取った分を自分の取り分として書く。

 

 理央は机の反対側で、その手元を見ていた。

 

 レイニャも袋と幼馴染の顔を交互に見る。

 

 ニャニャミは帳面を閉じると、今度は3人の方へ顔を上げた。

 

 

 

「ありがとうございます! これは村長に届けてきますニャ!」

 

 ニャニャミは革袋を抱えたまま、真壁へ向き直った。

 

 白い尾が椅子の脇からゆれているのが見える。

 

「君の取り分だが?」

 

「分かってるニャ。だから、まず見せるニャ。村の物がどこで売れたかも話すニャ。」

 

 澪は、机に残っている精算の控えを見た。

 

 自分の報酬を受け取ったことも、売れ残りのあることも、そのまま持ち帰るつもりらしい。

 

 袋を見せた後で何をするかは、本人が村長と話せばよかった。

 

「帳面も、一緒に見せてください。村の方が次を考えるのに使えますから」

 

「持ってくニャ。どうすれば売れなかったところでも売れるようになるか話してくるニャ」

 

 ニャニャミは自分の布袋を開き、帳面の角が曲がらないよう入れ直した。

 

 革袋は《収納》の靄へ収め、机に自分の物が残っていないか目を動かす。

 

 椅子から立ち、空いた手で、もう一度敬礼した。

 

「行ってきますニャ、総支配人!」

 

「うむ。今夜は休息を取るように」

 

「承知しましたニャ、総支配人!」

 

 ニャニャミは手を下ろし、布袋を持った。

 

 澪の前で、さっきまで待っていた幼馴染と同じ顔が、今は別れの挨拶をする。

 

「会長、理央さん、レイニャ、また明日ニャ!」

 

「え?」

 

 澪が呼び止める前に、白い姿が消えた。

 

 扉は開いていない。

 

 真壁が隣へ寄って同行させたわけでもなかった。

 

 布袋を持っていた手も、椅子を避けていた尾も、もうそこにはない。

 

 理央が立ち上がりかけ、空いた椅子の背へ手を置いたまま止まった。

 

 レイニャの耳だけが、ニャニャミのいた場所へ向いている。

 

「……転移したニャ」

 

 澪は返事をしようとして、真壁を見た。

 

 真壁は、明朝、村外れで迎えると書かれた控えを畳み、納品帳を手元へ引き寄せた。

 

「では、明日の分だ」

 

 机の上で、紙が1枚めくられた。

 

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