押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

397 / 400
第397話 50億って何ですか

 

 フェルナ村の外れには、まだ夜の冷たさが残っていた。

 

 道を横切る風に白い耳を伏せ、ニャニャミは布袋の口を押さえた。

 

 帳面の角が出ていないか、さっきから何度も手で確かめている。

 

 家で用意した時には収まっていたが、歩いているうちに炭筆が片側へ寄った。

 

 袋を開けて直そうとしたところで、草地の向こうに真壁の姿が現れた。

 

「おはようございますニャ、総支配人」

 

 ニャニャミは袋を下げ、空いた手を額の横へ上げた。

 

「おはよう。支度は済んでいるようだな」

 

「済んだニャ」

 

 真壁が足元の道から村の方へ目を走らせる間に、ニャニャミは手を下ろした。

 

 昨日書いた約束の頁は、開かなくても覚えている。

 

 東都向けの品が、本当に注文どおり揃っているかを見る日だ。

 

 ただ、研修の朝にも、最初は普通の仕事をするつもりで袋を持っていた。

 

「今日は火山へ行かないニャ?」

 

「行かん。東都向けの納品準備を見るのだろう」

 

「見るニャ。よかったニャ」

 

 返事をした途端、冷えていた鼻先へ息が抜けた。

 

 戦う時に足を置く場所よりも、今日は、箱の札に何が書いてあるかを早く見たかった。

 

「ならば行こう」

 

 ニャニャミは真壁のそばへ寄り、袋を体の前へ引いた。

 

 自分で登録した帰り先は、この村外れの1か所だけだ。

 

 真壁と一緒に《転移》すると、草の触れていた足元が、事業所の床へ変わった。

 

 窓から差す光は山の朝より暖かく、奥では紙をめくる音がしている。

 

 ニャニャミは袋から帳面を取り出しながら、真壁の後を追った。

 

 道を歩かずに済んだ分、書きたい頁へ早く着いた。

 

 

 

「おはようございます。今日は、こちらからお願いします」

 

 澪が納品表を差し出すと、ニャニャミは返事より先に、置く場所を探した。

 

 理央の控えを動かさず、その隣の空いた所へ自分の帳面を広げる。

 

 机から離れた椅子では、レイニャが手琴を膝へ置いて待っていた。

 

「今日は紙を見る方ニャ?」

 

「そうニャ。ここで働くニャ」

 

 ニャニャミが箱の方を向くと、レイニャも立ち、通り道から椅子を引いた。

 

 昨日は水を渡されて座っていた白い姿が、今日は机の高さに合わせ、紙の向きを直していた。

 

「200万個ニャ」

 

「はい。今回は5月の最後の分です」

 

 澪は品名の下を指し、それから並んだ箱へ目を向けた。

 

 加工と検査を終えた品は梱包済みで、あとは出荷する順に札と表を合わせる。

 

「箱数も、私が先に見ています」

 

 理央が納品帳を寄せると、ニャニャミは数量の欄へ炭筆を置いた。

 

「これは、中の品の数ニャ。箱を数えるのは、こっちニャ?」

 

「そう。1箱に入っている数と、箱の数を分けて書いてる」

 

 理央が該当する欄を示すと、ニャニャミは品名へ戻り、単位も書き添えた。

 

 札を1枚ずつ見て、納品表の行へ指を動かす。

 

 読み上げた番号を理央が復唱し、箱の位置を変えずに次の札へ進んだ。

 

 澪はその横で、持参する発注の控えを開いた。

 

 2人の読み合わせが止まると、どこまで済んだかが、紙に置いた指で分かる。

 

「この番号も同じニャ」

 

「うん。そっちは、この行」

 

 ニャニャミの耳が次の箱へ向いた。

 

 札が内側を向いていると、理央に見える方から読んでもらい、手元の表と突き合わせる。

 

 《鑑定》の表示を開いて、合っていると言うだけで済ませる気配はなかった。

 

「紙は、向こうにも渡すニャ?」

 

「納品書を渡して、受け取った記録をこちらにも残してもらいます」

 

「なら、あたしが分かるだけじゃ、だめニャ」

 

「そのとおりだ」

 

 真壁が注文の控えを机へ置き、納品先と品名の欄が隠れないよう開いた。

 

「箱を受け取る者が、注文と結びつけられなければならん」

 

 ニャニャミは正式な会社名を自分の帳面でも辿り、ロットの欄を読み終えてから紙を返した。

 

「200万個、箱数も合ったニャ。札も、表も、こっちの注文も同じニャ」

 

 理央は自分の控えの最後へ印を付けた。

 

「私も先に見たからね」

 

「知ってるニャ。2人で見れば、もっと確実ニャ」

 

「……それはそうなんだけど」

 

 理央がペンの先を見たまま口を曲げ、澪は発注の控えを閉じながら笑った。

 

 先に見たことを念押しする理央に対して、ニャニャミの声には、頼れる相手がいて助かったという響きがある。

 

 理央は箱の列を見直し、記入済みの表を出荷用のファイルへ挟んだ。

 

「これで、向こうに持っていけます」

 

「こっちの控えも残すニャ」

 

 白い手が、机へ残す1枚を理央の方へ差し出した。

 

 理央が受け取った紙を、澪は出荷の順序が書かれた頁の後ろへ収めた。

 

 

 

 ニャニャミが炭筆の粉を払うと、澪は出荷用の書類を鞄へ入れた。

 

 真壁が箱を《収納》へ収めるのを、ニャニャミは帳面を閉じずに見ている。

 

 最後の箱が靄に消えたところで、白い耳がこちらを向いた。

 

「このあと、東都ニャ?」

 

「はい。納品に行ってきます」

 

「あたしは、東都を見ないニャ?」

 

 机の端には、ニャニャミの布袋がまだ残っていた。

 

「納品先はゲンダイだ。君の仕事はここまでだ」

 

 真壁の返事を聞き、ニャニャミは袋の口へ指を添えた。

 

「そうだったニャ……」

 

 下がった耳を見て、澪も鞄を持ち上げる手を止めた。

 

 朝から紙と箱を合わせていると、同じ荷を追って、そのまま最後まで行くつもりになってしまう。

 

 けれど江古田の押し入れは、彼女が通れる道ではなかった。

 

「じゃあ、帰ってきた時の紙も今度見るニャ」

 

 ニャニャミは閉じかけた帳面を開き直した。

 

「受領書ですね。見せられるものは、まとめておきます」

 

「あたしが数えた分を、向こうでも数えたか分かるニャ?」

 

「数量とロットを確かめてもらった記録になります」

 

「なら、その紙と今日の紙を合わせるニャ。頼むニャ、会長」

 

 炭筆が短く走り、次に見るものが、今日の作業の下へ書き足された。

 

 澪はうなずいて、受領資料を別にしておくことを理央へ頼んだ。

 

「今日は村へ戻りたまえ」

 

「承知しましたニャ、総支配人!」

 

 帳面と炭筆をしまい、ニャニャミは机の下まで覗いた。

 

「あたしも村へ帰るニャ。一緒に戻れるニャ?」

 

 レイニャが手琴を持ってそばへ来ると、ニャニャミは真壁を見た。

 

「1人なら、連れていけるニャ?」

 

「君の登録拠点へならな」

 

 レイニャが頷き、ニャニャミの横へ寄った。

 

 持参したものが全部袋にあると、足を揃えて敬礼する。

 

「会長、理央さん、行ってくるニャ」

 

「はい。お疲れさまでした」

 

 ニャニャミがレイニャと《転移》で消えると、理央は2人のいた床を見て、それから机へ目を戻した。

 

「帰るの、もう普通なんですね」

 

 澪も、昨日は思わず呼び止めようとした場所を見た。

 

 今日は袋を持ったことも、村へ帰ることも、先に聞いている。

 

「私たちも、行きましょうか」

 

 鞄の中には、2人で合わせた納品表が収まっていた。

 

 

 

 真壁と《転移》で押し入れの向こう側の拠点へ戻り、3人は順に江古田へ出た。

 

 澪が最後に戸を閉めると、外を走る車の音が耳に入った。

 

 窓の向こうでは、自転車の前籠に鞄を載せた人が通り過ぎていく。

 

 山の朝から戻った真壁も、手元の書類を持つ理央も、その音に顔を上げることはなかった。

 

「持っていく分は、これで全部ですね」

 

 澪は鞄の中を指で分け、納品書と控えが入っているのを確かめた。

 

「はい。ニャニャミと見た表の控えもあります」

 

 理央が自分のファイルを開き、澪は出荷の記録が見える所で手を止めた。

 

 村の帳面で覚えた数え方が、今日は、この書類の読み合わせに使われている。

 

 帰ってきた時の紙を見たいと言った声を思い出し、鞄の中に空のポケットを1つ残した。

 

 東都へ向かう前に、真壁が荷を車へ戻した。

 

 取り出された箱の札を理央が控えで追い、最後に澪が荷室を閉じる。

 

 車へ乗り込むと、シートに朝の日差しの熱が残っていた。

 

「これで5月分、最後ですね」

 

「はい。これが通れば、800万個全部です」

 

「問題がなければな」

 

 真壁が答え、車はいつもの道へ出た。

 

 澪は信号で止まるたびに資料を開くことはせず、鞄を膝で支えた。

 

 先月までの受け渡しでも、担当者がどの札を見るか、どの紙を手元へ残すかを繰り返し見てきた。

 

 今日は、その順で渡せるようにしてある。

 

「向こうで終わったら、新事務所へ戻ります。午後は明石さんが来るので」

 

「月末、忙しいですね」

 

 理央が予定のメモへ目を落とす。

 

「今月の最後が重なりましたね」

 

 澪はそう答えて、道の先の信号を見た。

 

 800万個を揃えるために動いてきた5月が、今日の書類で終わる。

 

 鞄の持ち手を握り直すと、いつもの納品へ行く時と同じ重さだった。

 

 

 

 東都特殊金属試作の受入場所へ入ると、いつもの担当者が、手元の端末から顔を上げた。

 

「おはようございます。今月最後の分ですね」

 

「はい。お願いします」

 

 澪は納品書を渡し、理央が控えを開いた。

 

 真壁の運んだ箱が所定の位置へ並ぶと、担当者は数量の欄を読んでから、荷札へ目を移した。

 

「特殊フローライト加工品、200万個。ロット照合します」

 

 手袋を着けた指が札を押さえ、管理番号を端末の表示と合わせていく。

 

 理央は先に答えを言わず、向こうで読み上げられた番号を、自分の表で辿った。

 

 最後の札まで進むと、ペンの先が、朝に印を付けた行へ重なった。

 

 澪は担当者が箱を開けられるよう脇へ寄った。

 

 梱包の中から検査に使う品が取り出され、手元の明かりの下へ移される。

 

 小さな加工品をつまむ手は、急いでいるように見えても、次の品を取る前には必ず置き場へ戻った。

 

 初めて納めた頃には、その指が止まると、自分の息まで止まりそうになった。

 

 今は検査の途中で顔を覗き込まず、必要な記録を出せるようファイルを開いて待つ。

 

 加工後の検査記録を求められ、澪が該当する紙を渡すと、担当者は番号を合わせてから、検収の欄へ記入した。

 

「数量、ロット、抜き取りの確認、問題ありません。受入完了です」

 

 理央が、小さく息を吐いた。

 

 朝の作業では笑っていた口元が、今は納品帳へ印を付ける間だけ、きゅっと結ばれている。

 

「これで5月分は、800万個になります」

 

 担当者が月内の受入記録を開いた。

 

 澪も持参した控えを並べ、今日の分が最後の行へ入ったのを確かめる。

 

「はい。こちらも同じです」

 

 1個200円、今日の200万個で400,000,000円。

 

 月の合計欄には、1,600,000,000円と印字されていた。

 

 何度も見た単価と数量が、今月の完納という記録へ変わる。

 

 澪は受領資料を受け取り、日付と社名、今日のロットをもう一度読んだ。

 

「チタンの今月分は、こちらで処理済みです」

 

 担当者の示した別の欄にも、1t、12,000,000円の取引が残っている。

 

 蛍石の数字へ紛れ込ませず、理央は別の頁で照合した。

 

「ありがとうございます。こちらも済んでいます」

 

 澪は必要な控えが返ってきたことを確かめ、ファイルへ収めた。

 

 受入場所の奥では、もう次の作業へ向けて箱が動いている。

 

 手渡した時にはこちらを向いていた札が、置き直された箱の脇へ回った。

 

 それを目で追ってから、澪は荷のなくなった方へ歩き出した。

 

 

 

 退出する前に、澪はファイルの背を鞄の内側へ向けた。

 

 受領資料の角が曲がらないよう手で押さえ、留め具を閉じる。

 

 理央は隣で、それをじっと見ていた。

 

「澪さん」

 

「はい?」

 

「4億円って書いてある紙、普通にしまいましたね」

 

 澪は自分の鞄を見下ろした。

 

 薄いファイルが、いつもの位置にある。

 

「仕事の書類ですから」

 

「前なら、そこで止まってませんでした?」

 

「毎回止まっていたら、仕事にならないじゃないですか」

 

 言ってから、澪は少し間を置いた。

 

 最初に金額を聞いた時の自分なら、紙を受け取る前に聞き直しただろう。

 

 けれど今日は、数量と単価を分かって持ってきた。

 

 受領書が違っていたら止めるが、合っているなら、なくさない所へ入れる。

 

「それを慣れたというのだろう」

 

 真壁は退出の支度を済ませ、2人の方を向いた。

 

「慣れてません」

 

「では、どこで止まるのですか?」

 

 理央の質問が、思っていたより丁寧に来た。

 

 澪は鞄の持ち手を握り、それから、閉じたばかりの留め具を見た。

 

 今ここで開き直し、金額だけもう一度見ても、受け渡しは変わらない。

 

「あとで、ちゃんと考えます」

 

「あとでなんですね」

 

 理央が笑い、澪も小さく息を吐いた。

 

 担当者へ挨拶して外へ出ると、受入場所の照明より、日差しの方が眩しかった。

 

 空になった荷室を見て、鞄の中の紙だけが残ったことを、今になって実感する。

 

 4億円は、その紙の厚さにも、鞄を持つ腕にも現れなかった。

 

「午後の資料は、新事務所に揃えてあるな」

 

 真壁が次の予定へ話を戻す。

 

「はい。今朝の分は、戻ってから追加します」

 

 澪は答えながら、受領書用に空けていた所へ指を添えた。

 

「ニャニャミに見せる分も、忘れずに取っておきましょう」

 

「控えを用意します。200万個、ちゃんと受け取ってもらったって分かりますね」

 

 理央が自分のファイルを抱え直した。

 

 澪は車へ乗り込み、鞄を膝へ置いた。

 

 午後に渡すものを確かめ終えたら、窓の外を見る余裕も戻ってきた。

 

 その余裕まで慣れた証拠だと言われそうで、真壁の方を見るのはやめた。

 

 

 

 江古田の新事務所へ戻ると、澪は鞄から受領資料を出し、5月のファイルへ挟んだ。

 

 理央が取った控えを別の所へ置き、午後に使う机を空ける。

 

 昼を挟んで書類を並べ直した頃、呼び鈴が鳴った。

 

「こんにちは」

 

 扉の向こうにいた明石は、使い込んだ黒いビジネスバッグを片手に持っていた。

 

 短い黒髪は横も襟足も整えられ、細い黒縁の長方形眼鏡の奥から、澪へ目を向ける。

 

「こんにちは。どうぞ」

 

 明石は黒い革靴で中へ入り、勧められた椅子の横へバッグを置いた。

 

 濃紺のスーツに白いシャツ、地味なネクタイという格好で、机の上の資料を見ると、もう留め具を開けている。

 

 30代に入ったばかりという若さはあっても、紙を受け取る手に急かされる感じはなかった。

 

「今朝の納品分まで、こちらに入っています」

 

 澪が5月のファイルを渡すと、明石は日付を確かめて、ノートPCの横へ置いた。

 

「ありがとうございます。では、第1期を締める準備を終わらせましょう」

 

「もう決算ですか」

 

「5月31日で第1期が終わりますから」

 

「そうですよね。月末のことばかり考えてました」

 

 澪は椅子へ座り、机に載せた自分の手を見た。

 

 今月の納品が終わることは、朝から何度も口にした。

 

 同じ日付で、会社を作ってからの最初の1年まで終わる。

 

 真壁が契約関係のファイルを置き、理央は領収書の入った冊子を、開きやすい向きで並べた。

 

「月次で見ているものが中心です。まず売上から、その後、残高と在庫を合わせていきます」

 

 明石はPCを開き、澪から見えるよう画面を少し傾けた。

 

 相談しながら1年間付けてきた数字が、月ごとの行になっている。

 

 澪は必要な頁に付箋を残し、閉じた冊子を腕の届く所へ寄せた。

 

 午前中は鞄の中に収まっていた書類が、午後には、机の上へ何冊も広がった。

 

 

 

 明石が2月の行を選ぶと、澪は有償試作の控えを開いた。

 

 その時の数量は10,000個、単価は500円だった。

 

「こちらの試作分が500万円。家具の販売分とチタンを合わせて、2月は2,700万円です」

 

 明石は請求資料と帳簿の数字を合わせ、画面の行へ印を付けた。

 

 澪も紙の方を押さえ、次の月のファイルを開く。

 

「3月からは量産分ですね」

 

「はい。800万個です」

 

 1回分の控えだけではなく、その月の納品が全部並ぶ。

 

 理央が検収資料を日付順に揃え、真壁が単価の決まった発注資料を添えた。

 

 明石は数量の合計を出してから、家具とチタンの欄へ視線を移す。

 

「特殊フローライトが16億円。月の売上全体では、16億2,200万円になります」

 

 澪は画面へ顔を寄せた。

 

 16億円は知っている。

 

 納品を済ませるたび、その月の合計へ近づいていくのを、自分でも数えていた。

 

 けれど、隣の月にも同じ桁の数字があると、目がそこから離れなくなった。

 

 4月のファイルを渡し、5月の今日の分まで辿ると、明石は画面の選択範囲を広げた。

 

「4月と5月も、月の売上は同額です」

 

「はい」

 

 澪の指は5月の最後の受領資料を押さえていた。

 

 今朝、止まらずに鞄へしまった紙だった。

 

「2月から5月だけで、約48億9,300万円です」

 

「……48億?」

 

「はい」

 

「4か月で?」

 

「4か月です」

 

 明石は画面の期間を示し、合計欄をそのままにした。

 

 4,893,000,000円という数字の下へ、澪は視線を落とした。

 

 別の期間を足した注記はない。

 

 理央も椅子を少し寄せ、同じ欄を見ている。

 

「2月の行、急に小さく見えますね」

 

「2,700万円なんですけどね」

 

 澪は答えてから、もう一度その行を見た。

 

 家具が1,000万円、チタンが1,200万円、試作が500万円という内訳なら、それぞれ何の取引か思い浮かぶ。

 

 同じように知っているはずの3月以降は、まとめた途端、見知らぬ会社の売上に見えた。

 

「3月以降の数量と単価が、続いているためです」

 

 明石は大きさを褒める代わりに、照合を終えた資料を澪へ返した。

 

 真壁はそれを受け取り、次に見る期首からのファイルを開く。

 

「それ以前の分も合わせよう」

 

 澪は机の端へ押しやった飲み物を取った。

 

 ひと口飲んでも、画面の合計はそのまま残っていた。

 

 

 

 期首の6月まで戻ると、売上の欄は、家具の販売資料と結びついた。

 

 理央が月ごとの報告を渡し、澪は明石の画面に選ばれた月と、表紙の日付を合わせる。

 

 6月の1,000万円から7月の1,500万円へ進むと、先ほどより小さい数字なのに、取引が増えたことが目に入った。

 

「8月から、チタンの継続納品が加わりますね」

 

「毎月1t。契約資料はこちらにあります」

 

 真壁が差し出したファイルを明石が受け取り、納品の控えと並べた。

 

「5月までの10か月で、1億2,000万円です」

 

 澪はその金額を、自分の集計の欄でも確かめた。

 

 月ごとの1,200万円が途切れず、年度の最後まで続いている。

 

 家具の報告は9月の720万円、10月の1,000万円へ進み、11月の所で手が止まった。

 

「ここは休業の月ですね」

 

「はい。冬支度で、1か月だけ止めています」

 

 澪が該当する記録を渡すと、明石は翌月の資料も開いた。

 

 12月以降は販売が戻り、5月までの行が、さっき済ませた照合へつながる。

 

「家具の販売売上は、合計1億1,420万円です。販売関係の費用は、この後、費用側で合わせます」

 

 最後に小口の素材取引の資料を添えると、明石は集計画面へ戻った。

 

 澪の前には、見終えた紙が順番を崩さず重なっている。

 

 知らない取引を足されたわけではない。

 

「第1期の売上高は、概算で約50億4,000万円です」

 

 澪は持っていた飲み物を机へ戻した。

 

 画面には5,039,284,000円とある。

 

 右から目を動かして区切りを数え、それから、いちばん上の会社名を見た。

 

「……これ、うちですよね?」

 

「合同会社押入商会です」

 

 明石の指が、画面上部へ移った。

 

 澪は会社名を読んでから、隣の真壁を見た。

 

「50億売る会社でしたっけ?」

 

「売った以上、そうなるだろう」

 

「数字の仕組みを聞いてるんじゃないです」

 

 真壁の手は、チタンの資料を閉じる方へ戻った。

 

 澪も画面へ向き直り、1億台の家具とチタンが、合計の中でどこを占めるか辿る。

 

 どちらも小さな商売をしたつもりはなかったのに、いちばん長い数字は別の行にあった。

 

「ほとんどフローライトですね」

 

 理央がその行を指した。

 

 4,805,000,000円。

 

 有償試作と、3か月の量産分がまとまっている。

 

 明石が表示を内訳へ切り替え、澪は合計だけを見ていた顔を上げた。

 

 50億という呼び方の下に、朝から納めてきた品名があった。

 

 

 

 明石が取引先別の表示へ切り替えると、澪は品名の行を追うのをやめた。

 

 特殊フローライトとチタンが、同じ会社の欄へ入っている。

 

 家具の販売先や小口の取引は、その下へ続いていた。

 

「東都さんの分は、チタンも一緒なんですね」

 

「はい。商品別と取引先別では、見え方が違います」

 

 明石は東都の欄を選び、その他の売上が見える位置まで画面を動かした。

 

 澪は数字の頭を揃えて見た。

 

 会社全体の合計を作った時には、足された分が全部、規模の大きさに見えていた。

 

 今は、足元にある相手の数が気になる。

 

「東都さんが買わなくなったら……」

 

「売上の大部分がなくなります」

 

 明石の返事は短く、画面の数字も変わらなかった。

 

 今日の納品で何か言われたわけではない。

 

 それでも澪は、今朝の800万個完納という言葉を、次の月も同じように使えるかと考えた。

 

「家具の取引も続いているんですけど、この表だと、ずいぶん小さく見えますね」

 

 理央が下の欄を見たまま言った。

 

「なくなったわけではありません。大きい取引の比率が上がっています」

 

 明石は家具の金額へ指を移した。

 

 澪もその数字を見直し、開いていた家具の販売報告を閉じた。

 

 そちらに関わる人の仕事まで、小さくなったわけではなかった。

 

「次期は売上額より、依存度を見る必要があるな」

 

 真壁が手元のメモへ書き足した。

 

「そうですね。取引先別のこの表も、残しておきます」

 

 明石が資料を保存し、澪は同じ欄を自分のメモにも書いた。

 

「売上が大きくなったから、会社も同じだけ丈夫になったとは言えないんですね」

 

「これからの判断に、内訳も使ってください」

 

 明石は次の照合に使う請求資料を引き寄せた。

 

 澪は大きな合計をもう一度見たい手を止め、取引先別の表の方へ付箋を移した。

 

 

 

 請求書の番号を読み上げられると、理央は入金記録の頁を開いた。

 

 澪が検収の控えを添え、明石は納品日と請求額を見比べてから、銀行明細へ目を移す。

 

 真壁は支払条件の書かれた資料を、すぐ開ける所へ置いた。

 

 売上の集計で重ねた紙が、今度は代金を受け取った日で分かれていく。

 

「こちらの請求分は、この入金で一致しています」

 

 明石が日付を示すと、澪は自分の手元でも同じ行を辿った。

 

 相手の名前を見つけるだけではなく、どの請求の代金かまで結びついて、欄に印が付く。

 

 5月の資料へ来たところで、明石は銀行明細の方へ手を伸ばさなかった。

 

「これは、まだ支払期日前ですね」

 

「はい。納品と検収は済んでいます」

 

 澪が今日の受領資料を示すと、明石は請求資料と照らし、未入金の一覧へ合わせた。

 

「5月末の売掛金として残します」

 

 紙を置く位置が変わり、澪は、朝から運んでいた4億円の分がそこへ入るのを見た。

 

 納品が終わったと印を付けたことと、銀行へ入ったと印を付けることは、同じ日にはならない。

 

「50億売っていても、口座に50億あるわけじゃないんですね」

 

「売上と現金は別です」

 

「分かってはいましたけど、並べて見ると違いますね」

 

 澪は入金を待つ一覧の方へ、受領資料を置き直した。

 

 普段も請求と振込を追っているのに、1年分の売上を見た後では、銀行の数字まで大きくなっていそうな気がした。

 

「未収の代金も、会社の資産ではある」

 

「はい。ただし、現金ではありません」

 

 真壁の言葉を受けた明石は、売掛金の一覧を保存した。

 

「遅れているわけじゃなくて、今はここに残る分なんですね」

 

 理央が支払期日の欄を見て言った。

 

「そうです。期日と入金の照合は、引き続きお願いします」

 

 理央が自分の管理用の頁へ戻り、澪は銀行明細を明石の前へ揃えた。

 

 入金だけではなく、支出も最後の行まで照らしていく。

 

 銀行側の残高と帳簿側の残高が合うと、明石はその欄を閉じた。

 

「こちらも一致しました」

 

 澪は銀行のファイルを机の端へ寄せ、印の付いた頁を見た。

 

 午前中に受領資料をしまった手が、今は、次に受け取る代金の日付を押さえていた。

 

 

 

 澪は用意していた在庫一覧を出し、月末の数量を記した頁を開いた。

 

 家具の委託先から来た報告を添えると、明石は売れた分の資料へ戻って、残る数を辿った。

 

「委託先にある分も、こちらの一覧で合っていますね」

 

「はい。販売の報告と、残っている分を合わせています」

 

 澪が頁の下を示し、理央は関連する控えを、その横へ置いた。

 

 チタンの欄を終えると、特殊フローライトの原材料と加工中品、完成品へ進む。

 

 明石は今日の出荷分が残高から外れていることを確かめ、梱包資材の欄まで目を通した。

 

「特殊フローライトは、月末在庫が少ないですね」

 

「作った分を、かなり早く納品しています。今日の分も、こちらの出荷記録まで反映しました」

 

「この数量なら、帳簿と一致しています」

 

 明石は一覧の端へ印を付け、澪は朝に持ち出した数量が残っていないのを、もう一度目で追った。

 

 空いた荷室を見た時と同じように、数の減った欄を見ると、月末の仕事が進んだことが分かる。

 

 その一覧を机の端へ移すと、真壁が購入資料のファイルを開いた。

 

「資産関係はこちらです。使い始めた日の控えも付けてある」

 

 PCや事務所設備、工具、車両の資料が、備品の一覧と並んだ。

 

 明石は品名だけではなく、金額と使用開始の欄を読み、対象の行を選んでいく。

 

 澪が購入時の支出へ目を移すと、明石の指は高額設備の資料で止まっていた。

 

「これは固定資産へ入れます」

 

「もう全部払っているんですけど、今年の費用には全部入らない方ですね」

 

「はい。支払った時期と、その年の経費になる時期は、同じとは限りません」

 

 明石は購入代金の欄と、固定資産の一覧を並べて見せた。

 

「使っていく期間に応じて、減価償却を反映します。その計算には、この使用開始日の資料も使います」

 

 澪は自分で付けていた日付を見た。

 

 買った時には支払を済ませたと印を付け、使えるようになった時には、その日を書いた。

 

 どちらも必要で付けた記録が、決算では違う所へつながっていく。

 

「決算、そういうの多くないですか」

 

「多いです」

 

 返事が早く、理央が口元を押さえた。

 

「どっちの日付も書いてあるから、困らないんですね」

 

「そうです。資料が揃っているので、分けて扱えます」

 

 明石は残りの備品にも目を通し、資産に入れるものと、その期の費用として扱うものを切り分けた。

 

 全部の工具が同じ所へ入るわけではなく、澪は、示された行だけに付箋を添える。

 

 購入資料と使用開始日の控えが揃うと、真壁はファイルを閉じた。

 

「これで、減価償却に使う資料も揃ったな」

 

「はい。決算書へ反映する際に計算します」

 

 澪は支払済みの欄へ目を戻し、その横に、明石が示した資産の頁番号を書いた。

 

 同じ設備の紙を、次にまた探す時には、この行から戻れた。

 

 

 

 経費のファイルを開く頃には、窓からの光が、机の片側へ寄っていた。

 

 澪はカードの明細を自分の前へ置き、理央が領収書の冊子を開く。

 

 真壁の契約資料と、明石の会計データが、その向こうに並んだ。

 

 家賃と共益費の支出を契約の金額に合わせ、駐車場や通信費の資料へ進む。

 

 明石が日付を口にするたびに、澪は明細の行を探し、理央から渡された紙を添えた。

 

 家具販売に関わる費用は、売上報告へ付いた資料と照らしていく。

 

 梱包材の購入分まで終えると、明石の指が消耗品の欄で止まった。

 

「こちらの領収書は、どこに入っていますか?」

 

 理央が日付の付いた所を開いたが、該当する紙が見当たらない。

 

 澪も隣の明細へ目を落とした。

 

 支出したことは分かるが、この行だけでは、品目まで揃わない。

 

「これ、月のファイルに入れたと思うんですけど」

 

「資料を確認してから確定しましょう。ほかの分を先に進めます」

 

 明石が該当の欄へ目印を残し、次の交通費の資料を理央へ示した。

 

 澪は記憶だけで品名を答えず、5月の購入分を入れた別の綴じ込みを開いた。

 

 カード明細の控えへ添えた紙が、裏側に重なっている。

 

「ありました。明細と一緒に、こちらへ挟んでいました」

 

 澪が抜き出すと、細い紙の角が少し丸まっていた。

 

 明石は受け取り、購入日と品目、金額を見比べた。

 

「はい。この支出です」

 

 画面に残っていた目印が消え、澪は数千円の領収書を、理央の開いた冊子へ渡した。

 

「売上50億でも、これも見るんですね」

 

「50億円売っても、数千円は数千円です」

 

「ですよね……。同じ机で見ていると、妙な感じがして」

 

 理央が紙を収め、今度は取り出せる位置に指を置いた。

 

「これの方が小さいから、隠れちゃいますね」

 

「金額の大きい資料も、紙は同じくらいだ」

 

 真壁が言い、机の端にある東都の控えを押さえた。

 

 澪は思わず2枚を見比べ、片方だけ厚くなってくれれば探しやすいのにと思った。

 

 交通費まで照合を終えると、明石は支払日の一覧へ切り替えた。

 

「こちらは5月分ですが、支払いは6月ですね」

 

「契約書はこちらだ」

 

 真壁が該当する頁を開き、澪も確定している費用の資料を添えた。

 

 明石は対象期間と金額を読んでから、未払の一覧へ入れる。

 

「では、5月分の費用と未払金として計上します」

 

 支払済みの束とは別の所へ資料が残り、澪は翌月の予定に付けた印と合わせた。

 

 今期の費用になることと、来月に払うことの両方が、その紙で追える。

 

 給与の資料へ進むと、理央は領収書の冊子を閉じ、手元にある月次のファイルを渡した。

 

 澪が支給と支払の記録を開き、明石は帳簿の欄を照らしていく。

 

「給与はこちらで一致しています。次に、社会保険の資料をお願いします」

 

 真壁が届いた資料の綴じ込みを開き、澪は納付の記録を添えた。

 

 対象の月と支払時期を順に辿り、残る分まで合わせ終えると、明石がチェックの欄を埋めた。

 

「こちらも揃いました」

 

 理央が最後のファイルを、確認の終わった側へ置く。

 

 澪は飲み物へ手を伸ばし、すっかりぬるくなったひと口を飲んだ。

 

 紙の間を探していた数千円も、6月に支払う分も、もう空欄には残っていない。

 

 

 

 明石は最後に、チェック表の上から下まで目を通した。

 

 澪も机の端へ寄ったファイルを見て、渡し忘れたものがないか確かめる。

 

 売上の資料から残高の照合へ使った束、その隣に在庫と固定資産の冊子がある。

 

 経費の冊子には、さっき見つけた領収書が収まっていた。

 

「はい。これで必要な資料は揃いました」

 

「終わりました?」

 

「決算準備は終わりました」

 

 澪は椅子の背へ寄りかかり、膝に置いていた手を開いた。

 

「……やっと」

 

 理央も時計を見てから、机に残っていたペンを片づけた。

 

 明石はデータを保存し、最後に使った資料の控えを揃えている。

 

「ここから決算書を作ります。売上原価、経費、減価償却などを反映して、利益を確定します」

 

 澪は背もたれから少し体を起こした。

 

「そこで、本当にいくら残ったか分かるんですね」

 

「はい」

 

 資料が揃ったと言われるまでは、机の上の束を早く閉じたかった。

 

 今は、その紙を使った先の数字を見たい。

 

「……税金も?」

 

「利益が確定すれば、概算できます」

 

 明石はそこでPCを閉じた。

 

 澪は次に決算書を見る時、聞きたいことをメモへ書き留める。

 

「ならば次に見るべきは、売上ではないな」

 

「利益ですね」

 

 理央が答え、真壁は取引先別の表を、ほかの資料から分けて残した。

 

 澪は売上集計の控えへ目を戻した。

 

 約50億4,000万円という金額を聞いた時には、会社名を確かめずにはいられなかった。

 

 今は、費用を引いた後の数字の方が気になっている。

 

「決算書ができましたら、またご説明に伺います」

 

「お願いします。今日はありがとうございました」

 

 明石がバッグを持って立つと、澪も席を離れ、扉まで送った。

 

 外へ出た黒い革靴の音が遠ざかり、戸を閉めると、理央が空の器を集めていた。

 

「理央ちゃん、片づけたら帰りましょう。今日も家まで送ります」

 

「ありがとうございます。ファイルだけ戻しますね」

 

「資料は私が収めておこう」

 

 真壁が机の端の冊子を持ち上げ、理央は渡しかけたファイルをその上へ重ねた。

 

 澪は自分の鞄を開き、売上集計の控えを入れる。

 

 いくら利益が残ったか、と書いたメモを、その手前へ挟んだ。

 

 朝の納品書と同じように、角を曲げない向きへ置いて留め具を閉じた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。