押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第398話 税金で22億円ですか?

 

 呼び鈴が鳴った時、澪はメモを書き直そうとして、机の手前の紙を裏返しかけていた。

 

 前に明石が来た日に書いた、利益はいくら残ったか、という1行がある。

 

 今日になっても聞くことは同じなので、そのまま表を上へ戻した。

 

「おはようございます。お待たせしました」

 

 扉の向こうの明石は、いつもの黒いバッグを持っていた。

 

 横と襟足を整えた短い黒髪も、細い黒縁の眼鏡も変わらない。

 

 濃紺のスーツの肩へ差す朝の光を見て、澪は扉を大きく開けた。

 

「おはようございます。どうぞ」

 

 机へ戻ると、理央が横の席で自分のペンを取り、真壁は向かいに腰を下ろしていた。

 

 4人分の飲み物を机の端へ寄せると、中央には資料を置く広さが残った。

 

 明石がバッグを椅子の横へ置き、ノートPCと資料を出す。

 

 澪は手伝うつもりで机の奥を空けたが、そこまで紙は広がらなかった。

 

「今日は少ないですね」

 

「まとめ終わりましたから」

 

 前に来てもらった時は、領収書を1枚探すために、隣の冊子まで開いた。

 

 今日は、その領収書が見つかった所も、銀行の残高を合わせた所も、薄い資料の中へ収まっている。

 

 澪は渡された紙を受け取り、端を揃えた。

 

「第1期の決算がまとまりました」

 

「はい」

 

 最初に会社名を読んでしまい、もう知っているのに、と自分で思った。

 

 あの50億円の集計と同じ会社だ。

 

 6月に入り、会社の仕事は第2期になったが、まだ自分の中では、5月末の机が閉じていなかった。

 

「今日は、利益と税額、それから来期の報酬についてお話しします」

 

 明石はPCを開き、紙の方も澪から読める向きへ置いた。

 

 理央が椅子を寄せても、資料の束を避ける必要はない。

 

 澪は白い机に残った広さを見てから、手元の決算書へ目を落とした。

 

 いくら残ったかと書いたメモの、すぐ隣だった。

 

 

 

 明石が示した売上高の欄には、5,039,284,000円とあった。

 

 澪は前に受け取った集計の控えを横へ置き、同じ数字を見比べる。

 

「そこは、前に見た分ですね」

 

「はい。その下をご覧ください」

 

 決算書には、売上から引かれた原価や経費の欄が続いていた。

 

 あの日に資料を渡した備品も、減価償却の数字として入っている。

 

 澪は順に目を下ろしたが、最後の大きな数字へ来たところで、途中の欄をもう一度見たくなった。

 

「税引前利益は45億円になりました」

 

「……利益?」

 

 横で理央のペンが止まった。

 

「45億?」

 

「はい」

 

 明石が指している所は、売上の行ではなかった。

 

 4,500,000,000円と印字された欄の左へ、澪は視線を戻す。

 

「売上が50億で?」

 

「約50億4,000万円です」

 

 少し足された金額を聞いても、2つの数字が近いことは変わらない。

 

 澪は机へ置いた控えを、決算書の下から抜いた。

 

 先に見た50億円の方なら、もうどの品を売った結果か説明できる。

 

 45億円の方は、読めても、まだ同じ会社の数字に思えなかった。

 

「原価と経費、減価償却まで入って、この金額なんですね」

 

「反映しています。税引前ですから、法人税等は、この後になります」

 

 明石は費用の欄へ手を戻し、澪が見落としていないか確かめる時間を置いた。

 

 どこかの束が届かず、差し引くものが抜けた数字ではない。

 

 澪は前に一緒に見た経費の資料を思い出し、各欄から45億円へ戻った。

 

 理央はメモの余白へ、売上と利益の大きさを、2本の線で描いていた。

 

 下の線は、上の線より、わずかに短いだけだった。

 

「同じくらいの長さになりますね」

 

「引いたはずなのに、近いんですよね……」

 

 澪もペンを取ったが、メモの続きを書く前に、真壁の方を見た。

 

 真壁は2つの金額を読み終え、すでに、原価と費用の側へ目を移している。

 

「利益が大きく残る取引になっているな」

 

 澪はうなずきかけ、もう一度45億円を見た。

 

 大きいという言葉だけなら、50億円を聞いた日にも使った。

 

 今日はそこから、あまり遠くまで下がっていなかった。

 

 

 

「ほとんど残ってません?」

 

 理央がメモから顔を上げると、明石は決算書の費用の欄を示した。

 

「かなり高い利益率です」

 

 澪はその欄の幅へペンを横に置いた。

 

 資料を揃えた時には、家賃や給与、消耗品まで、1つずつ金額を追った。

 

 その時の支出を覚えているので、合わせた数字が小さいとは思えない。

 

 ところが売上高の隣へ戻すと、小さく見える。

 

「特殊フローライトか」

 

「そうですね。売上の大半を占めています」

 

 真壁の言葉を受け、明石は商品ごとの数字が載った資料を添えた。

 

 澪は量産分の欄を読んだ。

 

 納めた数量は知っているが、あの箱を受け取ってもらうたび、今日の利益も積み上がっていた。

 

「工場を建てていないから……」

 

 口に出した後、澪は事務所設備の欄へ目を戻した。

 

「設備費、人件費、光熱費などが、売上規模に比べて小さいことは、数字にも出ています」

 

 明石の見ているものも、その欄だった。

 

 どの費用が載り、どれだけ差し引かれたかを、彼は資料から読んでいる。

 

 澪は説明を足さず、手元のペンを持ち直した。

 

「売上が増えた分だけ、同じ割合で費用が増えたわけではないんですね」

 

「はい。今回の決算では、それが大きく出ています」

 

 真壁は商品別の資料を見終え、取引先の名前にも目を通した。

 

「大きく残る分、あの取引への依存も利益の側で見ておくべきだな」

 

 澪は数日前に残した付箋を思い出した。

 

 50億円を作った相手の名前は、45億円を見ても変わらない。

 

 メモへ品名を書き足すと、理央も隣で同じ欄へ戻っていた。

 

「前は、いくら残るかを知りたかったんですけど」

 

 澪が言いかけると、明石は次に渡す紙を手に取った。

 

「次は、そこから税金を反映します」

 

 澪はペンを置かずに、その紙を受け取った。

 

 

 

 受け取った紙には、決算書より細かく項目が並んでいた。

 

 澪は最初の法人税という文字を読み、その下へ目を動かした。

 

 地方法人税、都民税、事業税と続き、まだ別の行がある。

 

「税金の名前、多いですね」

 

「法人税等の内訳です。合計は、こちらになります」

 

 明石が下の欄を示した時、澪はその横へ添えるつもりだったペンを止めた。

 

「概算で、約17億5,400万円です」

 

「……17億?」

 

「税金が?」

 

 理央の声が重なり、澪は紙から顔を上げた。

 

「はい」

 

 明石の返事を聞いてから、税引前利益の紙を脇へ戻した。

 

 45億円の所へ指が移ったのではない。

 

 新しく渡された紙の合計欄に、1,753,970,728円と書かれている。

 

 澪は右端の円から戻り、3桁ずつの区切りを辿った。

 

 途中で止まる場所を間違えた気がして、もう一度最初から読む。

 

「法人の利益に対する税金を合わせた金額ですね」

 

「はい。複数の税目を合計しています」

 

 明石は一覧を動かさずに答えた。

 

 理央が紙を覗き込もうとすると、澪は少しそちらへ向けた。

 

 2人で見ても、明石の読み上げた桁は小さくならない。

 

「内訳を全部読む前に、合計の方で止まってしまいました」

 

「合計から見ていただいて大丈夫です。内訳も、この資料へ残しています」

 

 明石は内訳の行と合計が読めるよう、紙の重なりを直した。

 

 真壁は各欄へ目を通してから、合計へ戻っている。

 

 澪はその顔に、ここまで大きいのかという表情を探したが、見つからなかった。

 

 自分だけ読んでいる紙が違うのではないと確かめて、ペンを持ち直す。

 

 メモに税金と書いた所で、金額を入れるには右の余白が足りなくなった。

 

 

 

 澪がメモを横へずらすと、明石は別の欄へ視線を下ろした。

 

「それと、消費税等です」

 

「まだあるんですか?」

 

「あります」

 

 澪の隣で、理央も顔を上げた。

 

 17億円を書き終えたばかりの手が、次の金額を待ったまま止まっている。

 

「納付見込みは、約4億5,400万円です」

 

「4億……」

 

 理央が小さく繰り返した。

 

 澪は示された453,928,400円を読み、その上の法人税等の欄へ目を戻す。

 

 さっき数えた合計の内訳を、もう一度説明されたのかと思いたかった。

 

 明石の指は、2つの金額を分けて示していた。

 

「こちらは、利益に対する税金とは別です。受け取った消費税から、仕入れ等で支払った分を差し引いて納めるものです」

 

「17億の方には、入っていないんですね」

 

「はい。納付する額としては、別に確保します」

 

 澪はメモに書いた税金の横へ、法人税等と付け足した。

 

 その下を空け、消費税等と書く。

 

 会社の代金を受け取る時にも、請求書の消費税の欄を省いたりはしていない。

 

 取引ごとに分けて見ていた金額が、期の最後でまとまると、この桁になった。

 

「消費税って、買い物をする時にも書いてありますよね」

 

 理央が、数字を写しながら言った。

 

「はい。今は、会社が納める分として見ています」

 

 明石は納付見込の欄を、2人の手元へ向け直した。

 

 理央のメモの数字は、もう途中で止まっていなかった。

 

 けれど、書き終えた後もペンを握ったままで、澪と目が合う。

 

「聞いたことのある名前なのに、金額が……」

 

「私も、名前の方には慣れていたんですけどね」

 

 澪は笑いかけ、最後まで声にはならなかった。

 

 目の前にある4億円台の数字は、今度はこちらから納める方だった。

 

 2つに分けて書いたメモを、明石の資料の横へ置いた。

 

 

 

 明石が資料の下へ手を動かすと、澪もメモの2つの金額から視線を移した。

 

「納付関係の総額としては、約22億円を見ておいてください」

 

「22億……」

 

 2つを足せば、そうなる。

 

 分けて受け取った時には、片方ずつなら読めていたのに、合計にすると、また声に出すまで間が空いた。

 

 2,207,899,128円という数字を、澪はメモへ写した。

 

 書き終えた後、元の資料へペン先を戻し、抜けた桁がないか合わせる。

 

「これ、売上じゃないですよね」

 

 理央が尋ねると、明石は合計欄の見出しを示した。

 

「納付です」

 

 理央は唇を閉じ、自分のメモにも同じ言葉を書いた。

 

 澪はその字を見て、自分の方にも納付と書き添える。

 

 22億円を売ったと聞くのと、22億円を納めると聞くのとでは、手の置き場所まで落ち着かない。

 

「支払いに支障は?」

 

 向かいから来た真壁の声で、澪は顔を上げた。

 

 彼の視線は、合計だけではなく、資金の予定を載せた資料へ向いている。

 

「ありません。支払いの予定と入金の予定を合わせ、納付分を確保できます」

 

 明石は資金の欄を開き、真壁へ示した。

 

 澪も、以前照合した預金と売掛金の記録が、どこへつながるかを辿った。

 

 足りない分を探しに行く話にはなっていない。

 

「ならば問題ない」

 

 真壁は自分の手元へ支払予定を書き、紙を返した。

 

 澪はその短い返事を聞いて、向かいの顔を見た。

 

 数字を見落としたわけでも、法人税等だけのことを言ったわけでもない。

 

 22億円の合計まで読み、支払えると聞いて、もう次へ進める顔だった。

 

「……真壁さん」

 

 呼びかけると、真壁の目がこちらへ向いた。

 

 澪は資金予定の紙を押さえたまま、何を伝えたいのか、先に言葉を選んだ。

 

 

 

「払えるかどうかを心配しているんじゃないです」

 

 澪は資金の紙を離し、納付総額の方へ手を戻した。

 

「22億っていう数字に、頭が追いついていないんです」

 

「私もです」

 

 理央が、まだ机へ置けずにいたペンを下ろした。

 

 明石は2人が見ている紙を、そのままにして待っている。

 

 真壁は澪のメモにも目を向けた。

 

「利益がそれだけあるのだから、税額も相応になる」

 

「相応の桁がおかしいんですよ」

 

 澪は声を張らずに答え、額へ持っていきかけた手を机へ戻した。

 

 45億円が出た時には、売上の欄と比べることができた。

 

 納付する22億円を、生活の中でどの支出と比べればいいのか、すぐには出てこない。

 

 事務所の家賃なら、毎月の予定を見て払う。

 

 消耗品なら、買った物を手に取れば、どの支出か分かる。

 

 目の前の紙にも行き先は書いてあるのに、22億円を動かす手だけが、まだ自分のものにならなかった。

 

「税金があるのは分かっていたんです。ただ、これをうちが納めるんだと思うと……」

 

 澪が言葉を止めると、真壁は納付資料を、決算書と重ならない位置へずらした。

 

「それなら、この紙は分けて残しておこう。支払う額を見失わずに済む」

 

「そうですね。そこは分けます」

 

 澪は返事をして、資料の角を押さえた。

 

 慣れるまで眺めていれば、仕事が先へ進むわけでもなかった。

 

 理央も机へ置いたペンを取り直し、写した総額に線を引いた。

 

「桁はまだ怖いですけど、数字は合っています」

 

「ありがとうございます。私の方も合っています」

 

 澪がメモを向けると、理央は声を出さずに笑った。

 

 明石は数字の照合が終わるのを待ち、元の決算書を手前へ引いた。

 

「では、税引後の利益を見ましょう」

 

 澪は納付の紙を脇へ残し、最初に受け取った決算書へ体を向け直した。

 

 

 

 明石が決算書の下を示すと、澪はメモへ書いた45億円から目を離した。

 

「法人税等を反映した税引後利益は、約27億4,600万円です」

 

 2,746,029,272円という数字を、澪は今度は左から読んだ。

 

 税金を聞く前より減っているが、それでも27億円台にいる。

 

「……残るんですね」

 

「会社には残ります」

 

 明石の声を聞き、澪は最初のメモへ戻った。

 

 いくら利益が残ったか、という問いの下へ、数字を書き入れる。

 

 2つの税額を書いた紙は、横へ分けたままだった。

 

「この利益の数字に、消費税の分をもう一度引くわけではないんですね」

 

「はい。税抜経理で出した利益です。消費税等の納付は、資金の予定の方で扱います」

 

 明石は決算書の利益の欄と、別に置いた納付資料を順に示した。

 

 澪は利益の数字の横に、預金残高を書き足そうとはしなかった。

 

 前に確認した入金待ちの代金も、支払って使っている設備も、この利益と同じ形で銀行に並ぶわけではない。

 

「手元で使える額は、さっきの資金の表で見るんですよね」

 

「そのとおりです。利益と口座の残高は、別に見てください」

 

 澪がメモの行を分けると、理央も自分の数字の脇に、利益と書いた。

 

「27億も大きいのに、先に22億を聞いたせいで、残ってよかったって思っちゃいました」

 

「私も、今、そう思いました」

 

 澪は答えて、口元へ手を添えた。

 

 会社が黒字なのだから、喜んでいいはずだ。

 

 ただ、喜ぶ前に、どの紙のどの金額を見ているか確かめる癖が付いている。

 

「支払う分を確保した上で、会社に残す資金を使っていくことになります」

 

 明石の説明に、真壁は短くうなずいた。

 

 澪も納付資料の位置を見てから、決算書を自分の前へ置き直す。

 

 利益を知りたいと書いて待っていた1行が、ようやく埋まった。

 

 その紙を閉じようとすると、明石が次の資料をバッグから取り出した。

 

「それと、第2期の役員報酬です」

 

 

 

 役員報酬の資料は、決算書よりも数字の少ない紙だった。

 

 澪はそこに自分の名前を見つけ、理央の方へ寄せていた椅子を戻した。

 

「上げるんですか?」

 

「設立当初に、半年後、月1,200,000円を見直し候補にしていました」

 

「そんな話、しましたっけ」

 

「しました」

 

 明石が添えた昔の控えには、月800,000円を基準にした記録と、その後の見直し候補がある。

 

 澪は2つの数字を読み、六畳間で電話をしながら、なぜか正座していたことを思い出した。

 

 明石の声を聞きながら、ローテーブルへ記録帳を広げていた。

 

 会社から借入金を返してもらうことと、自分の報酬が毎月出ることを、違う欄へ書いた日だった。

 

「……書きましたね」

 

 指で辿ると、80万円を聞いてから120万円を候補にした順まで戻ってきた。

 

 その時は、自分を継続して働かせる固定費だと言われても、数字が重かった。

 

「残っているんですね、これ」

 

「記録ですから」

 

 明石は控えを置いたまま、新しい期の資料をその隣へ並べた。

 

 澪は120万円の欄へ目を移した。

 

 さっきまで17億円と4億円を、別々の税額として受け取っていた。

 

 今は、1か月の生活と仕事へ結びつく金額が、そこにある。

 

 小さくなったと思うより先に、誰へ払うのかが分かった。

 

「45億円出たから、今、急に決めた額ではないんですね」

 

「以前の候補と、現在の状況を合わせて検討できます」

 

 澪は昔の控えを、今の資料と同じ向きへ揃えた。

 

 書いたことを忘れていたのに、その紙が自分の考えを戻してくれる。

 

 理央は澪の手元へ場所を空け、税額を書いた自分のメモを少し奥へ置いた。

 

 澪は候補の数字を囲まず、真壁の方を向いた。

 

 今度は、決める相手が向かいにいた。

 

 

 

「篠原さんは、月1,200,000円でよいと思います」

 

 明石は以前の候補の欄から、第2期の方へ手を移した。

 

 澪は月額の前にある自分の名前を見て、向かいへ顔を上げる。

 

「真壁さんは?」

 

「同額で問題ないでしょう」

 

 真壁の分にも同じ数字が置かれ、澪は返事を待った。

 

 これほどの利益が出たから、もっと取ろうと言われることは、自分では考えていなかった。

 

 それでも相手の報酬まで、先に決めるつもりはない。

 

「私は構わん」

 

 真壁は資料を読み終え、月額の欄が見える向きで明石へ返した。

 

「では、それでお願いします」

 

「賞与は?」

 

「なしで」

 

 澪が答え、真壁にも目を向けると、短くうなずきが返った。

 

 明石は2人の分に同じ内容を記入した。

 

「月120万円、賞与なしですね。会社の決定として記録を整え、この期の定期報酬に反映します」

 

 澪は月額の数字を、自分のメモにも書いた。

 

「1年なら、1人1,440万円ですね」

 

「はい。2人で2,880万円です」

 

 年間の額が来期の固定費の欄へ移り、澪は、毎月続ける支払になることを確かめた。

 

 利益の何分の1という決め方ではなく、名前の付いた2人へ、定期的に払う額だった。

 

 理央は報酬の紙を受け取らず、澪が書き終えるまで、机の脇へ自分のペンを置いた。

 

「同じ数字が2つだから、ここはすぐ分かりますね」

 

「そうですね。今は、それがありがたいです」

 

 澪が答えると、理央の口元が緩んだ。

 

 明石は月額と賞与の欄を読み返し、2人へ見せてから、決算書とは分けて重ねた。

 

 澪もメモの120万円の横へ、毎月、と書き添えた。

 

 税額の紙から少し離れた所で、ようやく自分が使う数字の大きさへ戻ってきた。

 

 

 

 明石が報酬資料を揃える間に、澪は税引後利益の欄を見直した。

 

 27億円台の数字には自分の名前がなく、決算書の上に会社名がある。

 

「会社にはかなりの資金が残りますが、役員個人へ移す必要はありません」

 

「はい。会社のお金ですから」

 

 澪は答えて、月120万円のメモを、決算書の下へ滑り込ませずに残した。

 

 真壁も額を増やす話へ戻らず、会社側の支払予定を自分の前へ寄せた。

 

 理央は会社名が見える向きへ決算書を揃え、税額のメモをその脇へ置いた。

 

 明石は報酬の確認を終え、机の中央を空ける。

 

 澪は手元へ戻した飲み物をひと口飲んだ。

 

 受け取る金額は決まったが、会社のお金の使い道には、まだ自分から話していないものがあった。

 

 窓の外を車が通り、音が遠ざかるまで、澪は器を持っていた。

 

 その音を普段聞く、もう1つの部屋が頭に浮かぶ。

 

 飲み物を机へ戻し、明石がバッグへ資料をしまう前に、顔を上げた。

 

 

 

「あの、もう1つ相談があるんですけど」

 

 澪の声に、明石は揃えていた資料から手を離した。

 

「何でしょう」

 

「江古田のアパート、買えませんか?」

 

 明石の手が止まり、細い眼鏡の奥の目が、こちらへ向いた。

 

 澪は自分の住んでいる建物のことだと付け足す。

 

「今、私が部屋を借りている所です。会社で取得できないかと思って」

 

 机の上には、新しい物件の図面も写真もなかった。

 

 澪が思い浮かべているのは、毎日出入りするあの部屋と、その部屋のある建物だ。

 

「一室ですか?」

 

 明石に聞かれ、澪は答えようとした。

 

「建物ごとだ」

 

 向かいから真壁の声が来た。

 

 明石の視線が、澪から真壁へ移る。

 

 理央はペンを取るより先に、2人の顔を見ていた。

 

「私も、建物ごと持てないかと思っています」

 

 澪は真壁の方を一度見てから、明石へ答えた。

 

 自分の部屋だけに鍵を掛けても、その部屋がなくならない約束にはならない。

 

 廊下の先でほかの入居者とすれ違う時も、建物を自分がどうするかという話はしたことがなかった。

 

 それを会社で買うと言うのは、今朝の自分にも大きな相談だった。

 

「あの部屋、なくなると困りますよね」

 

 理央が静かに言い、澪はその声へうなずいた。

 

 荷や人が、あの場所を通って行き来することを、理央も何度も見ている。

 

 引っ越して、机や寝具を別の部屋へ運べば済む話ではなかった。

 

 明石は役員報酬の資料を脇へ寄せ、相談の内容をメモへ書いた。

 

「一棟取得ですね。会社で買う案として、伺います」

 

「はい。お願いします」

 

 澪は決算書を持ち上げずに答えた。

 

 会社に大きな金額が残ったから思いついた、ご褒美の住まいではなかった。

 

 真壁は、明石が書き終えるのを待ってから口を開いた。

 

 

 

「あの場所は我々にとって代替が利かん。確保できるのであれば、賃貸のままにしておく理由もない」

 

 真壁は報酬の紙を横へ戻し、会社の資金予定の方を開いた。

 

 月額を決めた時より、こちらの用途には早く手が動く。

 

「売られたり、建て替えになったりしたら困るので」

 

 澪が言うと、明石は取得の目的を書いた所へ、続けてペンを走らせた。

 

「事業上、継続して確保する必要がある場所ということですね」

 

「はい」

 

 自分の住まいでもあることは、明石も知っている。

 

 澪は生活の方だけを大きく話さず、会社にとって、そこを使い続ける必要があることを伝えた。

 

 真壁は資金の紙を読んだまま、納付分の欄には指を置いている。

 

「でしたら、法人取得で検討できます」

 

 明石の返事を聞き、澪は椅子へ背を預けかけた。

 

 まだ買ったわけでも、売ってもらえると決まったわけでもない。

 

 それでも、会社で確保するという考えを、専門家へ渡せた。

 

「取得後の利用の仕方も、今の住居部分と事業に使う部分を分けて見ていきましょう」

 

「はい。会社が買ったから、私が全部好きに使うわけではないですよね」

 

 澪は昔の報酬資料へ目を移した。

 

 部屋の間取りへ色を塗り、使う範囲を示すように言われたことも、まだ覚えていた。

 

 建物が会社のものになっても、その区別までなくすつもりはなかった。

 

「購入条件が分かったところで、資金の予定にも反映できます」

 

 明石は取得の相談を書いた紙を、決算書と別に残した。

 

 理央も自分のメモへ会社で取得と書き、その下の金額は空けていた。

 

 澪はその空欄から目を離し、真壁の方へ向いた。

 

 

 

「大家さん、売ってくれますかね」

 

 澪が聞くと、真壁は空いていたメモの頁を開いた。

 

「交渉は任せておきたまえ」

 

 返事が早く、澪は手にしていたペンを置き損ねた。

 

 机で一度転がる音がして、理央がこちらへ寄せてくれる。

 

「……大家さんとですよね?」

 

「それ以外に誰がいる」

 

「普通に買うんですよね?」

 

「当然だ」

 

 真壁はその間にも、所有者へ確かめる条件を書いていた。

 

 売る意思があるか、あるなら、どのような条件を望むか。

 

 その下には、建物の状態と現在の入居状況を調べるための欄が続く。

 

 澪は書かれている言葉を見てから、理央に戻してもらったペンを取った。

 

「すぐ買ってきたと言われそうで、先に聞きました」

 

「売るかどうかは、所有者が決めることだ。まず話を聞く」

 

 真壁は澪へメモを向け、空欄を隠さなかった。

 

「相場と条件を照らす。引渡しの時期や入居者の扱いも、代金だけで済む話ではない」

 

 明石も、そのメモへ目を通した。

 

「購入条件が具体的になりましたら、土地と建物の資料もお願いします」

 

「承知した」

 

 真壁が書き足し、澪は自分の住まいに関する資料を、交渉に使えるよう揃えると答えた。

 

 依頼した瞬間に建物が手元へ来るわけではないと分かると、呼吸がいつもの長さへ戻る。

 

 それでも、メモを閉じる真壁の手を見ると、本当に所有者と話して戻ってきそうだった。

 

「先に相談してよかったです」

 

「必要なものを確保する話だ。進めておこう」

 

 理央は隣で、建物ごと、と書いた字の下へ、交渉、と付け足した。

 

「話が、ちゃんと動く所まで決まりましたね」

 

「はい。まだ買えるかは分からないので、その先は聞いてからですね」

 

 澪は答え、空欄の残ったメモを見た。

 

 真壁がその紙を自分のファイルへ収めたところで、澪の目は、机の脇に残していた納付資料へ戻った。

 

 

 

「これ、今買ったら、税金がちょっと減ったりします?」

 

 納付資料に手を戻した澪へ、明石は決算書の日付を示した。

 

「第1期のこの納付見込みは変わりません。もう期が終わっていますから」

 

「そうですよね。今から買うのは第2期の話でした」

 

 澪は自分で用意した期末の資料を思い出し、ペンを持つ手を止めた。

 

 あれを揃えてから今日の紙を受け取ったのに、建物の話へ移ると、同じ財布の中のことに感じてしまった。

 

「それに、土地や建物は固定資産です。購入代金が、そのままその期の経費になるわけでもありません」

 

 明石は取得の相談を書いた紙を開き、土地と建物を分けて示した。

 

「建物は、取得して使い始めた後、減価償却を考えます。土地は減価償却しません」

 

 澪は前に備品を分けた時の資料を思い浮かべた。

 

 代金を払い終えたことと、全額がその年の費用になることは、別だった。

 

「建物を買う額だけ、利益が減るという計算にはならないんですね」

 

「はい」

 

 澪は納付総額の欄へ視線を戻した。

 

 22億円の上に、訂正の線は入らない。

 

「そもそも、節税のために買うわけではないだろう」

 

 真壁の声に、澪は顔を上げた。

 

「分かっています。ちょっと聞いただけです」

 

「目的は、あの場所を使い続けることだな」

 

「はい。買うなら、そのためです」

 

 澪は自分のメモに書いた取得の目的を、税額の下から離した。

 

 理央は隣で、その2枚を混ぜないよう重ね直している。

 

「こっちは、手元に残す方ですよね」

 

「ええ。こちらへお渡しします」

 

 明石が答え、納付予定を載せた紙を机の中央へ戻した。

 

 澪も器を少し横へ動かして、受け取る場所を空けた。

 

 アパートを買えるかもしれないと考えた時に軽くなった肩が、今度は、その紙へ向き直った。

 

 

 

 窓から机へ差していた光は、いつの間にか椅子の脚へ移っていた。

 

 午後になった事務所で、澪は冷めた飲み物を脇へ置き、明石から最後の紙を受け取った。

 

 納付の予定が、法人税等と消費税等に分かれて載っている。

 

「申告はこちらで進めます。納付期限までに、この分は動かさないでください」

 

 明石が総額の欄を示した。

 

 澪はその数字を読み、真壁が残した資金の予定とも照らす。

 

 役員報酬の資料は決まった内容で揃い、建物については、交渉するためのメモが真壁の手元にある。

 

 どちらも、この納付分を忘れたまま進める話ではなかった。

 

「この分は、使う予定から外して残しておきます」

 

「お願いします。納付の手順についても、あわせてご案内します」

 

 澪は予定表へ付箋を添えた。

 

 必要なことを聞き、残すお金を確かめても、口から出る数字だけは、まだ遅い。

 

「……22億」

 

「はい」

 

 明石は紙を受け取った時と同じ声で答えた。

 

 理央が自分のメモを閉じ、予定表の方へ顔を向ける。

 

「会社って、儲かると大変ですね」

 

「今、それをものすごく実感しています」

 

 澪は答え、付箋の端を押さえた。

 

 会社に利益が残ることも、支払えることも、今日の資料で分かった。

 

 それでも税金用に取っておく額が、22億円だった。

 

「来期も利益が出れば、また払うことになる」

 

 真壁の声に、澪は顔を上げた。

 

「今、それ言います?」

 

 隣で理央が息を漏らし、澪も口元だけで笑った。

 

 明石は提出する資料をバッグへ戻し、手元に残す予定表は動かさなかった。

 

 机の上には、45億円の税引前利益を載せた決算書がある。

 

 同じ紙の下には、税引後利益の27億円台の数字もある。

 

 澪の目は、そのどちらからも、納付予定表へ戻った。

 

 澪はもう一度、納税予定額の桁を数え直した。

 

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