セルマ工房の作業台には、雫の印をつけた100mlの透明ボトルと、手の印をつけた20mlの小さな丸い容器が、数をそろえて並んでいた。
澪はその横で、使用後の聞き取り欄を作っていた。飲んだ日、塗った日、傷の種類、しみたかどうか、赤みが出たかどうか。書いているうちに、薬を売るというより、宿題を増やしているような気持ちになってくる。
セルマは、控え用に残した澄み手当て一式を手元へ寄せて、調合記録と見比べていた。水耕治癒草の成熟葉31枚から取った薬効露は、予想よりもずっと濃かった。以前の治癒草1枚からでも濃い薬効露が取れていたのに、光る棚で育った葉は、それよりさらに強かった。
31枚。
1枚あたり、以前の約3本分。
飲用澄みポーションに換算して、約93本分。
そこから60組を販売分に回し、残りはセルマ工房控え、品質確認、報告用、予備に残した。
数字だけ見ると、だいぶ立派だった。
だが澪は、数字が立派になるほど帳面も立派になることを、もう知っていた。
「この欄、もう少し広くした方がいいですかね。赤み、かゆみ、痛み、しみる、あと……苦情」
「苦情ではなく、使用後の確認よ」
セルマは顔を上げずに言った。
「同じ意味に見えます」
「薬師と錬金術師にとっては違うわ」
澪が返事をしようとした時、工房の表で戸を叩く音がした。
リュシアが先に動いた。戸を開けると、組合の使いが、封蝋のついた紙片と布袋を抱えて立っていた。紙片をセルマへ、布袋を作業台へ置く。布袋は、小さいのに、置いた時に鈍く重い音がした。
「セルマ工房の澄み手当て一式、最初の販売分だ。60組、たしかに納めた分の報酬だ」
澪は、手に持っていたペンを落としかけた。
「60組分……」
使いは長居しなかった。セルマが控え札を受け取り、封蝋を確認する。使いが出て行くと、工房の中に、布袋の重さだけが残った。
リュシアが袋を軽く持ち上げる。
「重いね」
「小金貨60枚ですか」
澪は、自分の声が少し浮いているのを感じた。
売上ゼロ。
その言葉は、ここで初めて過去のものになる。
そう思った瞬間、胸の奥が、ふっと明るくなった。
セルマは布袋を見ても、はしゃがなかった。まず紙片を読み、控えと照らし合わせている。薬の責任者の顔だった。
「60組。使用後の聞き取りは、次に報告すること。容器の再使用なし。飲用と塗布用の取り違えなし。……条件は前のままね」
「売上の確認より先に、そこなんですね」
澪が言うと、セルマは当然のように頷いた。
「薬は売った後が怖いのよ」
リュシアは笑って、布袋の口紐をほどいた。
小金貨が、布の上へざらりと落ちた。
1枚、2枚ではない。丸い金貨が重なり、灯りを受けて鈍く光る。60枚になると、金貨は「お金」ではなく、厚みのある山に見えた。
澪は思わず息を呑んだ。
「これが……押入商会の初売上」
「正確には、最初の販売分の報酬ね」
セルマが訂正する。
「でも、売上ですよね」
「そうね。薬として渡され、対価が戻ってきた。そこは大きいわ」
澪は小金貨の山を見た。
嬉しい。
かなり嬉しい。
けれど、頭の端に、容器の注文履歴が浮かんだ。グリセリン。ラベル。光る棚。屋根に貼った発電シート。力をためる箱。あたしの国で先に払ったものが、ずらっと並んでいる。
この60枚は、全部自由に使える金ではない。
そのことも、もう分かっていた。
「じゃあ、まず皿を作ろうか」
リュシアが作業台の端から小皿を集め始めた。
薬匙用の皿、月塩の皿、蜜晶の小皿、澪が持ち込んだ白い小皿まで並ぶ。澪は、小皿が増えるたびに、金貨の山が小さくなる未来を見た。
「あの、まず白金仕入れの皿ですか」
澪が言うと、リュシアは首を横に振った。
「違う。最初に消してはいけない皿を作る」
「消してはいけない皿?」
リュシアは小皿を一枚、作業台の中央へ置いた。
「セルマ工房の皿だよ」
セルマが少し眉を寄せた。
「材料費を先に戻すべきではないの?」
「戻す。でも、薬にしたのはセルマだ。工房の名で出したのもセルマ。何かあった時に最初に呼ばれるのもセルマだよ。そこを抜いたら、商売じゃなくて押しつけだ」
澪は黙って頷いた。
たしかに、容器もグリセリンも澪が買った。けれど、澄み手当て一式はセルマ工房の薬として外へ出ている。調合、申請、品質、使用後の確認。全部、セルマの責任につながっている。
「セルマ工房取り分、小金貨12枚」
リュシアが小金貨を12枚、小皿へ置いた。
金貨の山が、目に見えて低くなる。
澪の胸も少し沈む。
でも、その重さは正しい気がした。
リュシアは次の皿を置いた。
「月塩、蜜晶、清め水、工房の消耗品。小金貨6枚」
また金貨が動く。
「組合報告、使用後の聞き取り、控え管理。小金貨4枚」
「聞き取りにもお金がかかるんですね」
「人が動くからね。帳面も増える」
セルマは否定しなかった。
リュシアはさらに小皿を置く。
「薬草棚維持と次回栽培分。小金貨3枚」
光る棚、水で育てる薬草、次の葉、次の抽出。
薬は売ったら終わりではない。
次を育てるところへ、もう金貨が流れていく。
ここまでで、小金貨25枚。
残り35枚。
リュシアは、空の皿を作業台の手前へ置いた。
「次が澪の皿だ」
「私の皿?」
「容器、とろみの材料、ラベル、光る棚、屋根の薄い板、力をためる箱。先に買ったのは澪だろ」
澪は言葉に詰まった。
そうだ。
セルマが薬にした。リュシアが商売の道筋を作った。けれど、容器やグリセリン、設備を買ったのは澪だった。しかも、あたしの国のお金である。
「でも、小金貨はあたしの国へ持っていきません」
「だから、白金だよ」
リュシアは、その皿を指で叩いた。
「澪に小金貨を渡すんじゃない。澪が先に出した分を、白金で戻す。あたしの国で買ったものは、あたしの国のお金に戻さないと次が買えないんだろ」
セルマも静かに頷いた。
「薬を続けるには、材料を出した者が戻せなければならないわ。澪の立て替えが戻らないなら、次の容器も、とろみの材料も来ない」
リュシアは小金貨を30枚、その皿へ置いた。
残りは小金貨5枚。
「これは異世界側の運転資金と予備。何かあった時に空では困る」
澪は並んだ皿を見た。
セルマ工房。
材料。
組合と報告。
薬草棚。
白金仕入れ。
予備。
売上。
でも、全部に行き先がある。
嬉しさの上に、現実が重なってくる。小金貨60枚は、急に「初めてのお金」ではなく、「次を作るために行き先を決めるお金」に見えた。
「報酬袋、開けた瞬間が一番多かったです」
澪が呟くと、リュシアが笑った。
「商売の袋は、開けた後が本番だよ」
リュシアは白金仕入れの皿に置かれた小金貨30枚を見て、少しだけ表情を変えた。
「ただ、今回は白金の話が大きい」
澪は嫌な予感がした。
「大きい、ですか」
「その顔は、少しじゃないですね」
「商売の顔を読むのが早くなったね」
「嬉しくない成長です」
リュシアは笑ったが、その目は真面目だった。
「白い重い砂に買い手がついたって話が広まった。値が上がった。そうすると、欲張りが出る。金洗い場、古い選鉱場、沈み桶、炉底の残り、薬師筋、錬金術師筋。あちこちから、白い重砂を持ち込む者が出てきた」
セルマの顔が少し厳しくなる。
「薬師や錬金術師が使う分は?」
「手は出してない。使っている分、取り置いている分は除いた。持ってきたのは、沈み桶の底に溜まっていた分、捨て場に置かれていた分、場所を食っていた袋、あとは欲張りが売りに来た分。出所札をつけてある」
リュシアは作業台を軽く指で叩いた。
「澪が欲しがるものだってことは分かってる。でも、町で揉めたら高くつく。だから、出所を分けた」
澪は白金仕入れの皿を見ていた目を、リュシアへ移した。
「もう、集めてあるんですか」
「ある」
返事が早かった。
澪は、報酬袋の重さよりも、次に来る何かの重さを感じた。
セルマ工房の裏口に荷車が止まった。
最初に降ろされた麻袋が、石床に置かれた時、鈍い音がした。次が続く。さらに次。袋の底から湿り気がにじみ、床に薄い泥の跡が広がっていく。
1袋、2袋、3袋。
澪は途中で数えるのをやめかけたが、リュシアが札を読み上げるので、やめられなかった。
金洗い場、沈み桶。
古い選鉱場、捨て場。
持ち込み分。
炉底残渣混じり。
薬師筋の半端分。
袋にはそれぞれ木札が結ばれている。場所の名前、持ち込んだ者、引き取り日が、リュシアの字で書かれていた。
40袋。
セルマ工房の裏口は、薬を作る場所というより、重い砂の倉庫になった。
「リュシアさん」
澪は、やっと声を出した。
「これは……報酬袋より多いです」
「小金貨60枚は袋1つだろ。こっちは40袋だね」
「そういう比較ではなく」
リュシアは腰に手を当て、麻袋を見た。
「先に押さえないと、もっと値が上がる。白い重い砂を買う者がいると分かったら、次はもっと吹っかけてくるよ」
セルマは袋の札を確認していた。
「出所札は全部あるわね」
「ある。札がないものは買ってない」
「使っている工房から奪っていない?」
「奪ってない。使っているところは残した。揉める白金は高いからね」
澪は、リュシアを見た。
薬の販売手数料ではなく、白金材料の調達料。
たしかにこれは、仕事だった。
ただ集めたのではない。値が上がり始めたものを、揉めないように押さえ、出所を分け、人を使って運ばせた。
セルマは工房の扉を見た。
「中へ入れるなら、扉を閉めるわ。外から見せるものではない」
澪は頷いた。
収納分離は、前にセルマとリュシアが慎重に扱うと決めたものだ。白金そのものより、澪の収納の方が危うい。
麻袋が運び込まれる。湿った砂の匂いが工房に入った。薬草の青い匂いと、鉱物の湿った匂いが混じる。
セルマが表の扉を閉める。窓には布を掛ける。リュシアは裏口の外で人払いをし、荷車の男たちを遠ざけた。
工房の中は、急に狭くなった。
白い重砂の麻袋40袋。
澪の初売上の喜びは、その麻袋の前で、かなり小さくなった。
「実費を出すよ」
リュシアは出所札の束と一緒に、別の小さな木札を並べた。
澪は記録帳を開く。
「白い重砂の引き取り代、小金貨25枚」
澪の手が止まる。
「25枚」
「欲張りが増えたからね。安くはない。でも買わないと、次はもっと高い」
リュシアは次の札を置く。
「運び手、荷車、乾かす場所で小金貨12枚」
「12枚」
「麻袋40袋を、誰が手で持ってくるんだい」
「はい」
「金洗い場、選鉱場、沈み桶の管理人への礼で小金貨8枚」
澪は黙って書く。
「持ち込み人の選別、出所札、袋分けで小金貨5枚」
「……実費合計、小金貨50枚」
「そう」
リュシアは澪が書き終えるのを待ってから、さらりと言った。
「私の調達料が小金貨20枚」
澪は顔を上げた。
「20枚」
「大口調達、交渉、出所札管理、揉め事防止込み。薬を作ってもいないのに売上から手数料を抜くつもりはないよ。私の仕事はこっちだ」
セルマが頷いた。
「薬の報酬ではなく、白金材料の調達料ね」
「そういうこと」
澪は帳面に書いた。
実費50枚。
調達料20枚。
合計70枚。
過去砂金前払い控除、小金貨1枚相当。
今回支払い、小金貨69枚。
書いた瞬間、白金仕入れの皿が頭に浮かんだ。
小金貨30枚。
足りない。
「……白金仕入れの皿、30枚しかありません」
澪は正直に言った。
リュシアは悪びれなかった。
「だから言ったろ。先に押さえないと値が上がる」
「売上ゼロを抜けた日に、買掛ができるんですか」
「商売は、そういう日もある」
「そういう日、早すぎませんか」
セルマが、少しだけ笑った。
「今回は内金にしましょう。白金仕入れの皿から30枚を払う。残り39枚はリュシアへの未払いとして帳面に残す。押入商会の手持ちを全部削るより、その方が薬を続けられるわ」
澪はセルマを見た。
「未払いでいいんですか」
リュシアは肩をすくめた。
「白金が分離できるなら、残りは払えるだろ。出所札と帳面があるなら、私は待てる」
「リュシアさん、急にすごく商人ですね」
「ずっと商人だよ」
澪は、白金調達支払いの欄に書いた。
支払総額:小金貨69枚。
今回支払い:小金貨30枚。
未払い:小金貨39枚。
売上ゼロは卒業した。
卒業したその日に、買掛ができた。
「売上とは」
澪が呟くと、リュシアがにやりとした。
「次を買うための入口だね」
「財布が膨らむものだと思ってました」
「それは、もっと後だよ」
セルマは麻袋を見た。
「この白金が、澪の立替を戻す橋になるなら、今は入口でいいわ」
澪は帳面を閉じなかった。
閉じたら逃げた気がする。
セルマ工房の扉が閉まり、窓に布が掛けられると、外の音が少し遠くなった。
工房の中には、湿った重砂の匂いがこもっている。薬草棚の青い香り、月塩の乾いた匂い、蜜晶の甘い香り。そのどれにも似ていない、重く湿った匂いだった。
澪は麻袋の出所札をひとつずつ確認し、収納へ登録していく。
金洗い場、沈み桶。
古い選鉱場。
捨て場。
持ち込み分。
炉底残渣混じり。
出所札を外さない。袋ごとに登録する。後で混ざったら、もう追えない。
澪は手を袋の上にかざした。
「白い重砂。袋1。出所札あり。湿り気あり。未分離。登録」
収納へ入れる感覚は、いつもの箱や容器とは違った。
重い。
体に重さがかかるわけではないのに、頭の奥でずしりとした感触がある。砂の粒が、ひとまとまりではなく、いくつもの重さを持っているように感じる。
40袋を登録し終える頃には、澪のこめかみが重かった。
「もうこの段階で疲れてます」
澪が言うと、リュシアが外から戻ってきて笑った。
「まだ砂を入れただけだよ」
「言わないでください」
セルマは真面目な顔で言った。
「無理はしないで。白金より、澪が倒れる方が困るわ」
「白金より人命優先、ありがとうございます」
「当たり前よ」
澪は小さく息を整え、収納内の状態を確認した。
湿り気。
泥。
小石。
木屑。
まず、それを分ける。
澪は、収納の中で袋ごとの区画を作るように意識した。出所札ごとに、湿り気を抜いた後の重砂として登録し直す。粗いふるいにかけるように、泥の塊、小石、木片を外す。
鑑定が表示された。
----------------------------------
白い重砂
回収元:金洗い場、古い選鉱場、沈み桶、持ち込み分
湿重量:約800kg
乾燥・粗ふるい後:約600kg
出所別登録:維持
推奨:成分別分離
----------------------------------
「乾燥・粗ふるい後、約600kg……」
澪は表示を読んで、少し笑いそうになった。
笑わないとやっていられない数字だった。
「600kgの砂を、これから分けます」
リュシアが肩をすくめる。
「押し入れの中に選鉱場があるみたいだね」
「本当に言い方」
セルマは、出所札の束を握ったまま言った。
「外へ見せない選鉱場ね」
澪は頷いた。
外へは見せない。
ここでやる。
そして記録する。
成分別分離は、薬効露を分けた時と似ているようで、まったく違った。
薬効露は、香りや苦味やエグミを避ける作業だった。今回は重い。硬い。混ざっている。粒の大きさも違えば、沈み方も違う。
澪は収納の中で、白い重砂全体を広げるように意識した。
白金粒。
砂金。
砂鉄。
希少重鉱物残渣。
砂礫。
分ける。
ただ分けるのではなく、出所別登録を残したまま分ける。
袋ごとに混ざり方が違う。金洗い場の砂は細かい。古い選鉱場のものは黒い粒が多い。持ち込み分には小石が混じる。沈み桶の底のものは、重い粒が多いが泥も多い。
澪の額に汗がにじんだ。
体を動かしているわけではないのに、集中力が削られていく。収納の中に、600kgの砂の山があり、それを用途別に分ける。そんな感覚だった。
鑑定表示が出た。
----------------------------------
収納分離
対象:白い重砂
処理量:約600kg
分離項目:白金粒、砂金、砂鉄、希少重鉱物残渣、砂礫
出所別登録:維持
重量管理:成功
成分別保管:成功
混在物分離:成功
推奨:個別容器へ出庫
----------------------------------
澪は膝に手をついた。
「できた……」
すぐに次の表示が出る。
----------------------------------
白い重砂 分離結果
白金粒:約24kg
砂金:約3.1kg
砂鉄:約200kg前後
希少重鉱物残渣:約350kg強
砂礫:少量
注意:全量即時売却非推奨
推奨:出所別保管、分割売却、税務相談
----------------------------------
澪は、最初に白金24kgを見た。
次に、砂金3.1kgを見た。
その後で、「全量即時売却非推奨」と「税務相談」を見た。
明石さんの顔が浮かんだ。
いつもの穏やかな顔で、たぶんこう言う。
説明できる記録はありますか。
澪は青ざめた。
「売れます。売れるから、駄目です」
リュシアが首を傾げた。
「金になるものを持ちすぎて困るのかい」
「困ります。ものすごく困ります」
セルマは白金粒の表示を見つめたまま、静かに言った。
「強すぎる薬と同じね」
「それ、分かりやすいけど嫌です」
「使い方を間違えると、効きすぎるものは危ないわ」
澪は何も言い返せなかった。
白金24kg。
これを一気に現代側で売るなど、絶対にできない。
だが、容器代、グリセリン代、光る棚の費用、次の仕入れには必要だ。
必要な分だけ。
記録して。
分けて。
少しずつ。
澪は深く息を吸った。
「まず、保管しやすい形にします」
その時、頭の奥で、何かが少しだけ開いた。
澪はふらつき、作業台に手をついた。セルマがすぐに近づく。
「澪?」
「大丈夫です。たぶん、レベルが……」
澪は自分を鑑定した。
----------------------------------
篠原澪
体力:低下
集中:高
鑑定:6
収納:7
錬金:3
商才:上昇中
手仕事:成長中
彫金:1
新規経験:大容量混合物分離
新規経験:出所別保管
新規経験:重量管理
備考:収納内で、混ざった素材を用途別に分けた
----------------------------------
「収納、7になりました」
澪が言うと、リュシアが感心したように口笛を吹いた。
「麻袋40袋の効果かい」
「言い方が雑です」
セルマは、すぐには笑わなかった。
「収納を見て」
澪は頷き、さらに鑑定する。
----------------------------------
収納:7
新規理解:分離保管庫
大容量登録:強化
出所別登録:可能
重量管理:可能
成分別分離:可能
複数区画保管:可能
分離後出庫:可能
新規機能:溶解
新規機能:固形化
登録履歴保持:可能
備考:分離済み素材を、保管・売却しやすい形へ整えられる
----------------------------------
澪は表示の真ん中で固まった。
「溶解。固形化」
セルマの声が少し低くなった。
「分けるだけではなく、状態を変えるのね」
「……それ、やばいですか」
「便利よ。便利すぎるものは、扱いを間違えると危ないわ」
リュシアは白金粒と砂金の記録を見た。
「押し入れの中に、また工房が増えたね」
「増やした覚えはありません」
澪は表示をもう一度読む。
分離済み素材を、保管・売却しやすい形へ整えられる。
そこで、答えに気づいた。
白金粒のままでは困る。
砂金のままでも困る。
粒や砂は、袋からこぼれる。説明しにくい。重さも管理しづらい。現代側で売るにも、保管するにも、形が悪い。
「……インゴット」
澪が呟くと、セルマが聞き返した。
「インゴット?」
「金属の塊です。重さをそろえて、保管しやすくする形です」
リュシアが小皿の白金粒を見た。
「白い粒を、塊にするのかい」
「はい。全部じゃなくて、一部だけ。記録用に粒のまま残して、売却候補は重さをそろえます」
セルマはゆっくり頷いた。
「溶解と固形化。錬金術の言葉に近いわ」
「収納なんですけど」
「もう、それだけではないと思うわ」
澪は聞かなかったことにした。
白金粒を出所別に確認し、売却候補分を重量ごとにまとめる。
100g。
500g。
1kg。
澪は全部を一度に固めなかった。粒のまま残す記録用、出所確認用、保管用を分ける。セルマが横で出所札を読み上げ、澪が収納内で区画を分けた。
溶解。
固形化。
収納内で、白金粒の散らばった感触が、一つの重い塊にまとまっていく。高温の炎はない。炉の音もない。けれど、粒だったものが、重さを持つ形へ変わる。
澪は500g分を出庫した。
掌に乗る白い金属の塊は、粒とはまるで違う迫力があった。
鑑定する。
----------------------------------
白金インゴット
分類:白金素材
重量:500g
由来:白い重砂 分離済み
状態:固形化済み
用途:現代側での素材売却、保管
注意:売却時は分割、記録必須
----------------------------------
澪は黙って表示を読んだ。
「……売却時は分割、記録必須」
また書かれている。
鑑定が何度も釘を刺してくる。
リュシアが白金インゴットを見た。
「粒より、ずっと高そうに見えるね」
「実際、高いです」
「じゃあ、澪の顔が青いのはなぜだい」
「高すぎるからです」
リュシアは笑った。
次に、砂金を扱う。
砂金は現代換金の主力にしない。小金貨流出の話をしたばかりで、今度は砂金を売り始めたら、話がややこしくなる。だから当面保管だ。
それでも、砂のままでは管理しづらい。
一部だけ、保管用に固形化する。
----------------------------------
金インゴット
分類:金素材
重量:100g
由来:白い重砂 副産物
状態:固形化済み
用途:保管
注意:当面売却保留
----------------------------------
「当面売却保留。はい、そうします」
澪は素直に頷いた。
砂鉄は量が多すぎる。砂鉄約200kg前後。希少重鉱物残渣約350kg強。こちらは今は保管だけにする。名前をつけ、出所別に収納の中へ置く。
レアアースもタングステンも、今は出さない。
今は白金だけで十分すぎる。
白金インゴットがいくつか並ぶと、工房の空気が変わった。
薬草の工房に、金属の重さが入った。透明ボトルや小さな塗り薬の容器とは違う、黙っていても存在感のある重さだった。
澪は記録帳の端で、ざっくり計算してしまった。
白金24kg。
全部を現代側で売れば、かなりの金額になる。
容器代どころではない。グリセリン代どころでもない。光る棚、発電シート、力をためる箱。全部買えてしまう。下手をすれば、押入商会の資金繰りが一気に変わる。
だからこそ駄目だ。
全部売るのは、不自然すぎる。
法人帳簿。買取店。明石さん。税金。売却記録。出所説明。分割売却。
澪は白金インゴットを見て、喜ぶより先に頭を抱えた。
「これは、少しずつです」
セルマが聞く。
「一度に澪の国で金にしないのね」
「はい。一度に持っていったら、説明が大変です。売るのは、当面の容器代、グリセリン代、光る棚の材料費に必要な分だけ。残りは出所別、重量別に保管します」
リュシアは腕を組んだ。
「金になるものを、持ってるのに売らない」
「持ってるから、全部は売れないんです」
「商売って難しいね」
「それをリュシアさんに言われると困ります」
セルマは白金インゴットを一つ見つめていた。
「白金も、薬の外側の記録ね」
「はい」
「なら、これも薬を続けるための材料として扱いましょう。売った日、売った量、何を買ったか。全部残す」
「また帳面です」
「薬を続けるための帳面よ」
澪は小さく笑った。
もう、逃げられない。
小金貨の帳面。
白金の帳面。
容器の帳面。
薬の帳面。
押入商会は、薬を作るたびに、紙も増やしている。
六畳間に戻る頃には、澪の頭は熱く、体は妙に重かった。
ローテーブルに記録帳を広げる。ペンを持つ手に、まだ白金インゴットの重さが残っている気がした。
初回販売報酬:小金貨60枚。
セルマ工房取り分:小金貨12枚。
月塩・蜜晶・清め水・工房消耗品:小金貨6枚。
組合報告・使用後聞き取り・控え管理:小金貨4枚。
薬草棚維持・次回栽培分:小金貨3枚。
白金仕入れ内金:小金貨30枚。
異世界側運転資金・予備:小金貨5枚。
白金材料調達支払い総額:小金貨69枚。
今回支払い:小金貨30枚。
未払い:小金貨39枚。
白い重砂受入:約800kg。
乾燥後:約600kg。
白金粒:約24kg。
白金インゴット化:一部完了。
砂金:約3.1kg、保管。
砂鉄:約200kg、保管。
希少重鉱物残渣:約350kg強、保留。
収納:7。
新規機能:溶解、固形化。
書けば書くほど、初売上の喜びが帳面の重量に押されていく。
澪は、途中でペンを置いた。
「売上ゼロを卒業したはずなのに、未払いができてます……」
しかし、悪い重さではなかった。
報酬袋は、確かに来た。
薬は、売れた。
セルマにも、薬の責任に見合う取り分が残った。
白金は、薬を続けるための橋になった。
収納は、ただ物を入れるだけではなくなった。
澪は収納の中を意識した。
そこには、出所別に保管された白金インゴット、砂金、砂鉄、希少重鉱物残渣が並んでいる。売ってはいけないほど多い未来の資金が、静かに区画分けされていた。
押入商会は、初めての報酬袋で売上ゼロを卒業した。
けれどその日の終わり、澪の収納には、白金インゴットと砂金と砂鉄と、売ってはいけないほど多い未来の資金が並んでいた。
売上が立った日。
押し入れは、ただの収納ではなく、分離して固める小さな金属倉庫になっていた。