侯爵領事業所の窓から差す朝日が、理央の鞄の留め具を光らせていた。
澪が自分の外套を畳み直している間にも、理央は荷物を膝へ載せ、いつ立ってもよいように座っている。
昨夜、飯島家で修と妙子へ行き先と同行者、数日になるかもしれない日程を話した時より、今の方が返事を待つ顔だった。
「もう出られます」
「私もです。外套、すぐ出せるようにしておいてくださいね」
暖かな食堂で言うと、少し早すぎる注意に思えた。
まだパンの匂いが残り、荷役場からは木箱を下ろす音が聞こえる。
レイニャは旅装の上から手琴の紐を掛け直し、ニャニャミは帳面を閉じて胸元へ抱えた。
「北の歌も聞くニャ」
「まず市場だ」
真壁の返答に、ニャニャミの白い耳が前へ向いた。
「市場ニャ」
歌と市場へ別々に反応する2人を見てから、澪はリュシアへ挨拶した。
「行ってきます。こちらをお願いします」
「うん。冷えてから慌てないようにね」
理央は荷を積む人の通り道から離れ、《世界地図》を開いた。
狙うのは、ノルドハルム外縁の街道脇だった。
市場の真ん中へ出れば早いが、扉を抜けた先で荷車に道を塞がれるのは困る。
「ここにします」
《関門接続》で現れた扉の向こうには、青白い空と針葉樹の並ぶ道が見えた。
端に残った雪の下から水が流れ、濡れた土へ細い筋を作っている。
細く伸びた雲の切れ間から、道へ日が差していた。
針葉樹の影では、その雪はまだ灰色に固まり、靴先ほどの若草が縁から顔を出している。
澪の袖口へ冷気が入り、リュシアの忠告を聞いたばかりなのに、肩が勝手にすくんだ。
「……本当に寒いですね」
「旅行になりましたね」
「仕事です」
理央は笑いながら外套を羽織り、扉の先を確かめて通った。
続いた澪の靴底が、湿った地面へ沈む。
レイニャ、ニャニャミ、真壁が荷物とともに抜けると、向こうで見送るリュシアの姿が扉ごと消えた。
頬へ当たる風は、事業所の窓から見ていた春とは違った。
澪が襟を合わせ直すと、息が薄く白んで、すぐ横へ流れた。
日が差しているのに、外套の前を開ける気にはなれない。
遠くの斜面にはまだ白い雪があり、その手前を、袋を高く積んだ荷車が市門へ向かっていた。
市門へ向かう道の端は、見た目より柔らかかった。
荷車の車輪跡を避けた澪の靴が泥へ沈み、前を行くニャニャミは固い所を選んで足を運んでいる。
「こっちニャ。門まで続いてるニャ」
《地図》を使いながら言う声に、迷いがなかった。
風に短い白毛がなびいても、金色の目は、通り過ぎる丸太や樽を追っている。
澪は荷車の途切れた所で立ち止まり、ニャニャミへ《鑑定》を使った。
----------------------------------
ニャニャミ
分類:ケット・シー
現在ジョブ:商人
レベル:10
前職:自宅警備員 Lv10
状態:良好
疲労度:4%
身体異常:なし
----------------------------------
基礎能力値
体力:86
筋力:81
器用:123
知力:128
判断:136
精神:118
集中:158
----------------------------------
未使用SP
25
----------------------------------
既得スキル
千里眼:9
鑑定:10
収納:10
雷:8
重力:8
移動加速:9
地図:10
転移:4
体術:8
浄化:8
緑の手:8
商才:3
----------------------------------
「……また上がってません?」
「上がったニャ」
ニャニャミは立ち止まって戻ってきたが、返事をしながら市門を見た。
澪はノートを開き、風で頁がめくれないよう親指で押さえて、見えている数値を書き写す。
「《千里眼》9……《鑑定》と《収納》は10です。《商才》まで増えてます」
「仕事してたら芽が出たニャ。SPを1使ったニャ」
「それで、もう3なんですか?」
「買ったり売ったりしてたら、使えるようになったニャ」
澪は未使用SPの欄を指で押さえた。
26だった残りが25になっている。
理央が顔を寄せるのを待ってノートを傾けると、レイニャも三毛の耳を立ててのぞき込んだ。
「あたしが旅してる間に、何する気ニャ」
「市場を見るニャ」
即答され、レイニャはノートから幼馴染へ目を戻した。
数値を見ていた澪より、本人の方が次の売り手を気にしていた。
「魔石は、まだ持ってるんですね?」
「収納に入ってるニャ」
家から出なかった頃の話を聞いた時と同じ白い手が、今は自分の帳面を抱えている。
「見せてくれてありがとうございます。行きましょうか」
ニャニャミの尾がすぐに道の方へ動いた。
市門へ入る羊毛袋の列には、また別の荷車が追いついていた。
市門で荷札を見せていた商人が御者へ声を掛けると、次の荷車が空いた所へ進んだ。
澪たちも門兵の確認を受けて中へ入り、荷下ろしをする人の邪魔にならない壁際へ寄った。
門の内側では、傾斜のきつい屋根が通りの両側へ続いていた。
石積みの壁の上に木の窓枠が並び、低い軒の下へ荷が寄せられている。
風が弱まったと思った所で、屋根から落ちた雫が澪の肩へ当たった。
見上げると、日陰側の軒には雪が残り、日の当たる側からだけ水が落ちていた。
ニャニャミは帳面を開いたものの、何も書かずに瞬きをした。
「……国が出たニャ」
「国?」
「ノースヴァルト諸族連合って出てるニャ。市場を見るつもりだったニャ」
本人にしか見えない表示を確かめるように、金色の目が空中を追った。
澪が待つと、ニャニャミは項目を読み上げながら帳面へ写していった。
----------------------------------
国家情報
ノースヴァルト諸族連合
総合国力:68
潜在国力:82
人口基盤:65
食糧供給:78
資源保有:91
生産・加工:69
商業活動:71
物流効率:52
軍事力:76
統治安定:70
----------------------------------
「資源91なのに、物流52ニャ」
ニャニャミの指が、2つの行を往復した。
すぐ横を、丸太を載せた荷車が通り過ぎる。
その先では人夫が羊毛袋を肩へ担ぎ、倉庫の入口へ運んでいた。
「物は、ちゃんと動いてますね」
澪が言うと、理央も道の先を眺めた。
「潜在国力は82あります。今の68と、結構違うんですね」
「持っている物を、現在の力へ変え切れていないという見方はできる」
真壁は帳面から荷車へ視線を移した。
「グスタフさんの話と合いますね」
「市場を見てからだ。52という数字だけでは、どこで時間や金が掛かるかまでは分からん」
「鉱山の場所も、書いてないニャ」
ニャニャミは表示の続きを探してから、ペンの先を戻した。
ニャニャミが帳面を支え直し、隣へ理央を入れるために体をずらした。
理央は帳面へ顔を寄せたまま、総合国力の欄で止まった。
「68って、低いんですか?」
「比べる物がないと、分からないニャ」
ニャニャミは答えてから、何かを探すように目を動かした。
「……ほかの国も出たニャ」
帳面を次の頁へめくり、国名を左側へ並べていく。
「研修で行った国ニャ。ヴェルデンと、セレヴィアと、レヴァニアニャ」
澪は頁の角を押さえるのを手伝った。
今朝入ったノースヴァルトが最後に加わり、ニャニャミが読み上げる数字を、理央も自分のノートへ写した。
--------------------------------------------------------------------
国家情報比較
国家 総合 潜在 人口 食糧 資源 生産 商業 物流 軍事 統治
ヴェルデン王国 82 87 81 89 74 85 83 81 84 88
セレヴィア王国 79 85 76 84 79 81 91 89 78 76
レヴァニア王国 75 82 72 94 63 74 88 73 70 82
ノースヴァルト 68 82 65 78 91 69 71 52 76 70
--------------------------------------------------------------------
「ヴェルデンより、かなり低いニャ」
総合の列を指で辿ったニャニャミは、すぐその隣へ移った。
「でも、潜在は82ありますね」
「レヴァニア、食糧が94です」
理央が言うと、レイニャも指の止まった行をのぞいた。
「食べ物、いっぱいあったニャ」
「セレヴィアは商業91、物流89ニャ」
「港で物を運んでいる所も、見ましたね」
澪が返すと、ニャニャミは海を思い出すように耳を動かした。
「セレヴィアの、行ってない町の値段も見えるニャ?」
「どうかね」
真壁に促され、ニャニャミはしばらく表示を探した。
「町の方は、行った所だけニャ」
「国と市場は、別に扱われるようだな」
遠くで鐘が鳴り、門の方から来た商人たちが、大きな通りを同じ方向へ進んでいった。
「まず、市場で確かめよう」
真壁が歩き出すと、ニャニャミも帳面を閉じた。
通りが開けた所で、澪は足を緩めた。
石畳の広場を囲む店の前へ、天幕が張り出している。
その縁が風に鳴り、支柱へ結んだ紐が張るたび、通りから空がちらりと見えた。
日向の石畳は乾き始めていたが、店先の陰には、踏み固められた泥と雪解け水が残っている。
籠を下ろした客も、値を呼ぶ売り手も、厚い上着を着たままだった。
倉庫へ入る荷車の脇を籠を抱えた客が抜け、秤皿の触れ合う音に、値を呼ぶ声が重なった。
羊毛の匂いを感じたと思うと、次には煙と乳製品の匂いが近くなる。
煙の出所へ顔を向けると、店先の鍋から湯気が立ち、客が受け取った椀へ両手を添えていた。
澪は通りを横切る風を背中へ受け、ニャニャミのそばへ寄った。
ニャニャミは市場の石畳を踏んだ所で立ち止まり、《千里眼》を使った。
「ノルドハルムが入ったニャ。……欄が増えてるニャ」
人の流れから退いて帳面を開いたが、品名を書く前に、真壁の顔を見上げる。
「総支配人。指数って何ニャ?」
「実数ではない。比べるための目盛りだ」
「目盛りニャ?」
「需要指数が高ければ、欲しがる側が強い。供給指数が高ければ、市場へ出てくる品が多い。同じ尺度で町や商品を比べる数字、と考えればよい」
ニャニャミは聞きながら、帳面へ欄を作った。
「需要58って、58人が欲しいんじゃないニャ?」
「違う。人数や袋の数とは分けたまえ」
「袋の数は、売ってる人に聞くニャ」
真壁がうなずくと、ニャニャミはようやく最初の品名を書いた。
買値と売値は銀貨換算の基準で、品質や取引量によって実際の値は変わる。
ニャニャミはその断りも帳面の上へ添え、見えている市場情報を転記して、澪たちに向けた。
------------------------------------------------------
ノルドハルム 市場情報 単位:銀貨
------------------------------------------------------
品目 買値 売値 需要指数 供給指数 相場
原毛 14 10 58 94 ↓↓
洗浄羊毛 26 21 72 76 ↓
毛糸 43 36 81 63 →
毛布 74 63 88 54 ↑↑
原皮 18 14 61 85 ↓
なめし革 39 33 79 62 →
木材 16 12 69 84 ↓
ライ麦 13 10 72 82 ↓
大麦 14 11 73 78 →
燕麦 11 8 69 86 ↓
蕎麦 16 12 74 70 →
ジャガイモ 10 7 76 89 ↓
鉄鉱石 11 8 62 91 ↓
鉄塊 28 23 78 67 →
銅鉱石 19 15 68 76 →
鉄製工具 61 52 87 51 ↑
鱈 12 8 63 91 ↓
鰊 10 7 58 94 ↓↓
鮭 22 17 78 73 →
干し鱈 28 23 82 66 ↑
魚油 21 16 75 74 →
塩 27 23 83 57 ↑
ポーション 85 72 91 38 ↑
上級ポーション ― ― 97 12 ↑↑
------------------------------------------------------
現在補正
春季生産:上昇
原毛供給:大幅上昇
乳製品供給:上昇
木材搬出:上昇
北部交通:回復中
国外物流:低調
------------------------------------------------------
「原毛は、売りたい方が多いニャ。毛布は逆ニャ」
「まずはそう読めばよい」
ニャニャミは頁の端へ小さく書き足し、理央へ見せた。
「ここで買うなら買値、外から持ってきて売るなら売値ニャ。店の売値じゃないニャ」
「じゃあ、私たちが買う時は、こっちですね」
理央は買値の列を確かめてから、上級ポーションの空欄へ目を移した。
「ここだけ、値段がないです」
「いつも買える品ではないのだろう。基準にできる取引が少なければ、値を出せぬ」
ニャニャミが帳面を持ち直すと、レイニャの鼻が魚の売場へ向いた。
その先で樽が転がされ、通り道を空ける声が響いた。
「次は現物だ」
澪はノートへ原毛と毛布の行を写し終え、店先へ向き直った。
羊毛の売場では、袋の口から押し出された毛が、結び紐にまで絡んでいた。
澪が横を通ろうとすると、店の人が足元の袋を引き寄せ、通れる幅を作ってくれる。
奥にはまだ同じような袋が重なっていた。
売場は倉庫の入口まで使っていて、戸口を越えると、靴音が石畳から木の床の音へ変わる。
小さな窓から差す光が袋の肩だけを照らし、その奥は薄暗かった。
外の風は届かないが、荷の間には冷えた空気がたまり、澪は札をめくる指へ息を吹き掛けた。
この袋を荷車へ積み、王都まで運ぶ所を考えると、澪は昨夜の運賃の話を思い出した。
「洗った分は、こっちだよ」
売り手の示した方では、白っぽい毛が別の袋へ収められている。
店先を離れる前に、澪は袋に付いた産地の札をノートへ写した。
向かいの毛織物店には毛糸と毛布があり、客は毛布を広げて厚さを確かめていた。
糸は色ごとに棚へ分けられ、広げた毛布が通りの風を受けると、店の人が端を押さえる。
客は肩へ掛けてみてから、首元に当たる所を指でなぞっていた。
「こっちは、山積みじゃないんですね」
「毛から、ここまで作る人がいるニャ」
ニャニャミは表の毛布の行を見せてから、店の奥へ目を向けた。
ライ麦、大麦、燕麦、蕎麦の袋を眺めながら進み、澪は芋の籠からこぼれた土を靴先で踏んだ。
薬草を束ねた棚の脇を抜け、木材の樹脂の匂いを越えると、レイニャの歩調が速くなった。
「魚ニャ」
濡れた木箱に、銀色の腹が幾重にも重なっていた。
天幕の下へ入ると、光が青みを帯び、魚の背も、箱の縁の水も暗く光った。
箱から落ちる水が石畳の溝へ集まり、レイニャはそこをまたいで売場へ近づいた。
鰊を並べた魚商の手は止まらず、客へ渡した分だけ奥から補っている。
「まだありますね……」
理央は一度数えかけて、箱の奥へ目を移した。
澪もニャニャミの帳面と木箱を見比べる。
「鰊が下がってます。これだけ出ているんですね」
次の通りへ進むと、魚を呼ぶ声が金属を打つ音へ変わった。
鉱石の袋を置く場所と、鉄塊、鍛えた工具の棚は分かれている。
袋を運ぶ男は、持ち上げるたびに腰を落としていた。
「鉄鉱石もです。こっちは、供給91で下がってます」
「缶詰だな」
「……はい?」
真壁は鉱石の袋へ目を留めたままだった。
「魚は中身、鉄は容器だ」
「そこ、つなげるんですか」
「保存できれば、売るまでの時間を変えられる。容器の加工は要るがね」
澪は鉄塊の棚を見直した。
「内側は、レトルトの時にも使った、真壁さんのポリエステルですね」
「まずはそれで試そう。今日は、容器を作れるかからだ」
真壁が鉱石袋の札へ目を近づける横で、レイニャは魚市場の方を振り返った。
「今日の魚を、今日だけの魚じゃなくするニャ?」
澪は書いていた品名の脇へ、容器、と付け足した。
市場脇の小広場へ寄ると、真壁はニャニャミの帳面を借りて、買う品へ印を付けた。
日が当たる石の縁は乾いていたが、頁をめくる風はまだ冷たい。
「澪君は原毛と洗浄羊毛を。売り手を分けて買い集めてくれたまえ」
「全部ですか?」
「手放したい余剰だ。地元で使う分や、工房の注文分まで取る必要はない」
澪は先ほど見た毛織物店を思い浮かべ、売り手へ尋ねる内容を書き足した。
「理央君は鱈と鰊だ」
「はい。魚の売場へ戻ります」
「あたしもついていくニャ」
「レイニャ君も頼む。ただし、買いたたかないように」
理央のペンが、品名を書き終えた所で止まった。
「安く買わないんですか?」
「既に安い。そこからさらに値切る必要はない」
真壁は原毛の矢印へ指を置いた。
「運賃の違いを、売り手から取る理由にはできん。こちらは、その分を多く引き受けられる」
澪は売り手を書き分ける欄を広く取った。
「ニャニャミ君はジャガイモとライ麦だ。産地と、売れ残った後の扱いも記録してくれ」
「承知しましたニャ、総支配人!」
白い手が額の横へ上がり、抱えていた帳面はもう片方の腕にきちんと収まった。
「私も聞いてから買います。食べる分や酒造へ渡す分は、残しますね」
澪が言うと、真壁はうなずいた。
「私は鉄鉱石と補助素材を見よう。支払った分は、その場で数量と品質を照合し、別々に収めたまえ」
買付用の金と控えを各担当へ渡し、真壁は作業に使える貸倉庫も探すことにした。
夕方、小広場へ戻って合流する約束をし、澪はその時刻をノートの端へ記した。
「市場全体に、お金を回すんですか?」
「そうだ。一日で、この市場に金を回すぞ」
真壁が帳面を返すと、ニャニャミは印の付いた芋と麦を確かめた。
理央はレイニャと通りの方へ向き、澪も手袋を出した。
昼を過ぎた羊毛売場で、澪は袋の口を広げてもらった。
雲が日を隠すたび、入口に並ぶ袋から明るい縁取りが消えた。
歩いている間は背中が温まっていたのに、品を見ながら立ち止まると、指先から冷えてくる。
毛を手袋越しに持ち上げると、見た目より重く、指へ脂が残る。
《鑑定》で含水や汚れ、毛の長さを見ながら、澪は袋の札と売り手の顔を交互に見た。
「ここに書いてある産地から、いつ来た分ですか?」
「毛刈りして、運べるようになってから来た分だ。今年は、こっちの袋が多い」
男は奥へ手を向け、それから入口に近い袋を指した。
「ただ、そこは工房の注文だよ」
「そちらは残してください。普段も、その工房へ売っているんですか?」
「ああ。洗って渡す分もある。だが、全部を同じ時には洗えない」
洗浄済みの袋を開けてもらうと、指に残る感触が変わった。
澪は未洗浄の袋とは別の行に数量を書き、洗った後に減る分も考えて値を照らした。
「運ぶ車は、どこへ回す?」
「照合が済んだら、ここで収納します」
男は通りを見てから、袋へ目を戻した。
澪が代金を渡し、取り違えないよう札を確かめて靄へ収めると、袋を置いていた床が見えた。
「次の荷を置けるな」
男は空いた所へ足を入れ、注文分の袋を寄せ直した。
その頃、魚の売場では、理央のノートへ水滴が落ちていた。
「あっ、待ってください」
書いた文字をこすらないよう端を拭く間に、レイニャが木箱の向こうへ声を掛ける。
「獲れすぎた日は、どうするニャ?」
「塩があれば漬ける。干せる日は干す。それでも余れば値を下げる」
魚商の手が、鰊の並んだ箱から、別に寄せた箱へ移った。
「こっちは、もう塩漬けに回す。買うなら、まだ行き先のない方を見てくれ」
理央は《鑑定》で鮮度を確かめ、水揚げと搬入の時刻を聞いた。
「干物にもできるのに、全部は回せないんですね」
「干す場所も、塩も、人の手も要る。今日、これだけ来たからといって増やせないだろう」
レイニャの長靴が濡れた床で鳴った。
次に出された鱈を見比べながら、理央はノートへ、保存へ回す分は除いたと書いた。
「今日のうちに売りたいんですね」
「待てない魚ニャ」
レイニャの短い言葉に、魚商がうなずいた。
理央は合意した数量と代金を照合し、受け取った分を、魚種と売り手ごとに収納内へ分けた。
木箱が空くのを見て、レイニャは隣の売場へ声を掛けに行く。
農産物の通りにいたニャニャミは、芋の籠の前で帳面を支えていた。
「この芋、いつ掘ったニャ?」
「去年の収穫だよ。貯蔵しておいた分を出している」
売り手は切り口を見せるために芋を取り、ニャニャミも《鑑定》で状態を見た。
「食べる分を残して、これだけ出したニャ?」
「家で使う分は残してある。酒を造る所にも渡すが、それでも今年は余る」
「売れなかった分は、どうするニャ。家畜へやるニャ?」
「その方へ回る分もあるね。保存のきく分はまた置くが、何でもいつまでも置けるわけじゃない」
ニャニャミは聞いた答えを、先に作ってあった収穫時期と保管の欄へ分けて書いた。
次の店でも同じ問いをして、前の店と違う所へ印を付ける。
ライ麦では、酒造向けに取り置いた袋を先に聞き、残った分の産地と収穫年、保管の状態を確かめた。
値を尋ねた後に続く質問へ、売り手が袋を開け、帳面を見せ、用途を説明する。
最後に購入分を照合して支払うと、ニャニャミは店名の脇へ線を引いた。
「まだ次があるニャ」
通りの向こうには、もう1軒、麦袋を並べた店が見える。
ニャニャミは足元を見下ろし、尾を低くして歩き出した。
店の並ぶ通りは風を避けられたが、店と店の間を抜ける時だけ、外套の裾が横へ押された。
「速く歩けても、歩くのは歩くニャ……」
羊毛の通りへ戻った澪も、売り手を替えて聞き取りを続けた。
同じ原毛の札でも泥や脂の量は違い、洗浄済みの分とまとめて数量を扱うわけにはいかない。
見本にする毛糸と毛布を毛織物店で購入して、糸の撚りや端の始末も手元で比べられるようにした。
午後の日が低くなる頃、澪は最後の袋を受け取り、控えへ支払の印を付けた。
約束した小広場へ戻る頃には、澪の手袋に羊毛の脂が残っていた。
朝には荷車が列を作っていた通りで、天幕を畳む音が聞こえ始めている。
雲は薄くなったが、屋根の影が広場まで伸び、歩く足を止めると襟元の冷たさが戻ってきた。
ニャニャミは石の縁へ腰を下ろしていたが、澪を見ると帳面を上げた。
理央とレイニャが魚市場の方から来て、真壁も合流すると、5人で彼の借りた作業部屋へ向かった。
貸倉庫の厚い石壁は、扉を閉めただけで市場の声を遠くした。
高い位置の窓から、夕方の光が床へ細長く落ちている。
風はなくなったが、石壁の近くに置かれた椅子は冷たく、澪は外套を膝へ掛けた。
木の机には古い擦り傷が重なり、引き寄せた椅子の脚が石の床で小さく鳴った。
真壁がランプを点ける間に、澪は机へノートを置き、理央は手袋へ鼻を近づける。
「まだ、魚の匂いがする気がします」
「するニャ」
レイニャが答えたので、理央は確かめるのをやめて手袋をしまった。
買った物を床へ積む代わりに、産地の札と控え、見本だけを机へ並べる。
ニャニャミは歩き疲れた尾を椅子の脇へ垂らしながらも、品名ごとの数量を合わせる手を止めなかった。
真壁の鉄鉱石の控えも加わり、品名ごとの照合が終わった。
「これで、今日の買付分は合いますね」
澪がペンを置きかけると、真壁は別の紙を広げた。
「では、加工に入ろう」
「今日、買って終わりじゃないんですね」
「買っただけでは、余っていた物の場所を変えただけだ。価値を変える」
真壁は理央へ繊維、澪へ魚と容器の試作を割り振り、自分は酒造の欄へ手を置いた。
澪が羊毛を一袋ずつ受け渡す場所へ出し、理央が札を確かめて収める。
魚は逆に理央から澪へ、芋と麦はニャニャミから真壁へ渡した。
担当が替わっても産地や売り手の控えが離れないよう、ニャニャミはその順に帳面を合わせていく。
「原毛は、最初は分けたままでよい。食品と金属も別に扱いたまえ」
真壁の指示に、澪は収納内の作業場所を分け、試験分の魚だけを選んだ。
理央は購入した毛織物の見本を受け取り、糸を指でつまんで確かめている。
レイニャは手琴を作業の邪魔にならない所へ置き、その隣へ座った。
「できた物、触っていいニャ?」
「はい。まずは糸からです」
澪は一仕事終わったつもりの手袋を脇へ置き直し、缶の形を描くためにペンを取った。
理央の出した毛糸は、見本と並べると太さがそろっていなかった。
レイニャが指に引っ掛けた所は細く、その先へ、小さなふくらみが残っている。
「ここ、違うニャ」
「ほんとですね。毛をそろえる所から、もう一度見ます」
理央は試作品を収め、選別した毛のまとまりを替えた。
《並行思考》で見本と工程を追い、《錬金》と《収納内工程》で洗浄、乾燥、梳毛から紡ぐまでを少量ずつ試す。
次に出した糸を指で辿り、ニャニャミへ、どの袋の毛を使ったか伝えた。
記録の欄へ条件が加わるのを見て、澪は自分の作業から顔を上げた。
レイニャは洗った毛の試料を掌へ載せ、そっと押してから指を離していた。
「これで寝たら、あったかそうニャ」
「毛皮の上からでもですか?」
澪が尋ねると、レイニャは掌の毛を丸く寄せた。
「うちらは毛皮があるから、まだ寒さに耐えられるニャ。でも、メルみたいな小さい子は、それでも寒いニャ」
石壁の近くへ動かした足が、椅子の下で冷えた。
澪は膝の外套を引き寄せようとして、レイニャの手元を見た。
「冬は、どうしてたんですか?」
「子ども同士で、ひっついて寝てたニャ。朝になっても、誰かが離れると、そこだけ寒いニャ」
レイニャは特別なことを話す顔ではなかった。
毛の試料を理央へ返し、まだ編んだり織ったりしていない糸を指の腹でなぞる。
澪は朝写した毛布の行を開いた。
需要88、供給54の数字を見てから、毛皮のない子どもが寝る寝床を考えた。
今まで顔を知っているのは、侯爵領の孤児院の子どもたちだった。
けれど、毛布を使う場所は、そこだけではない。
「……配れる毛布を、作りましょう」
「売るんですか?」
「売る分も作ります。王国中の孤児院に配りたいです」
理央は糸を置き、澪を見た。
澪はヴェルデン王国と書いた頁を開き、必要枚数を調べるための場所を空ける。
「どこに何人いるか、今は分かりません。調べて、冬までに届くようにしたいです。一度配って終わりにもしたくないです」
「ならば、使い続けられる物にしよう」
真壁が見本の毛布を持ち上げ、端を確かめた。
「丈夫で、補修しやすい物だ。重さと、洗った後の乾き方も見たまえ」
「厚くすればいい、じゃないんですね」
理央は見本を受け取り、今の糸と比べた。
澪も、洗う人が何枚も濡れた毛布を運ぶ所を思い浮かべる。
「子どもが掛け直せる重さも、大事ですね」
「押入商会のロゴを、角へ入れよう」
「宣伝ですか?」
「それもある。冬に使った毛布の印なら、覚えるだろう。育って仕事を選ぶ時に、うちを思い出す者もいる」
澪は毛布の角へ目を落とし、それから真壁を見直した。
「……採用まで考えてるんですか」
「優秀な者は、育ってから探すだけでは遅い」
「毛布をもらったから働く、じゃないんですよね」
理央の問いに、真壁はすぐ答えた。
「当然だ。選ぶのは本人だ。まず、冬を越して、学び、選べる所まで育ってもらう」
レイニャは毛布の見本を広げる理央の手を支えた。
澪はロゴの位置を小さく描き、寝る時に顔へ当たらない角へ寄せる。
将来、現地工房と作るなら何を頼むかも、見本の端を見ながら考えた。
理央が試織した小さな布を出すと、レイニャはそれを膝へ掛けた。
「これじゃ、尻尾まで入らないニャ」
「試しですから。もう少し待ってください」
理央も笑い、糸の太さと織りの密度を、ニャニャミの帳面へ残した。
澪の手元へ、真壁が試験用の鉄鉱石を渡した。
買付の控えを合わせて別区画へ収め、澪は《錬金》で金属素材にした分を、薄い板へ整えていく。
食品を扱う方では、魚種ごとに試験分を分け、在庫の大豆から《収納》の成分分離で油を得た。
鰊は油漬け、鱈は水煮系と油を使う物を比べるつもりで、条件を別々に書いた。
ランプの下へ出した金属の容器を持ち上げると、縁の重なり方が見えてくる。
「魚より、缶の方が大変なんですけど」
「保存期間を買うのだ。容器まで商品だよ」
真壁は容器を受け取り、合わせ目へ目を近づけた。
澪も別の試験片を出し、閉じる部分を見比べる。
「コーティング用に、少し分けてもらえますか?」
「よいだろう。試験に使う分を出そう」
真壁から受け取ったポリエステルを別区画へ収め、澪は容器の内面へ薄く施した。
試験片をランプの下へ出し直し、塗り残しがないか《鑑定》で確かめる。
澪は容器形状の試作欄と、食品を入れる試験の欄を分けた。
密封と加熱の条件をそろえ、その後に時間を進めて、膨張や漏れ、腐敗、味や金属由来の異常を《鑑定》で追う必要がある。
澪は《収納内温度操作》と《収納内時間操作》を使う試験の欄も設けた。
「容器はできましたけど、食品を入れる試験はこれからですね」
ニャニャミが未試験の欄を残し、澪は空の試験容器を収納へ戻した。
隣では、真壁が芋とライ麦の札を並べていた。
余剰として買った分から、試験に使う少量を分けている。
「芋をウォッカに、ライ麦をウイスキーにする」
「ウイスキーって、時間掛かるんじゃないですか?」
理央が糸の試料から顔を上げた。
「そのための収納だ」
「嫌な予感がします」
真壁は既に《醸造》と《収納内プラント》で、食品や金属とは離した酒造の工程を動かしていた。
仕込みから発酵、蒸留までを小ロットで進め、芋の酒を試験量だけ取り出して、香りと状態を確かめる。
ライ麦の酒は同じ仕込みから分け、比較用の小樽へ収めた。
「樽の条件も合わせてある。年数を変えて比べよう」
「今から、何年も待つニャ?」
レイニャの問いに、真壁は紙へ3、5、7、10と記した。
「収納の中で経過させる。《熟成》では、その時点の香りや刺激、まとまりを見ていく」
理央は糸と小さな毛布の試作を収め、レイニャが膝から立つのを待って手琴を渡した。
「そろそろ食事にしませんか」
「よいだろう。試料を片付けよう」
真壁はそう言って立ったが、年数を書いた紙は、しまわずに持っていた。
作業部屋の試料と帳面を片付け、扉を閉めると、風が顔へ冷たく当たった。
澪は外套を寄せ、5人そろって明かりの見える酒場へ歩いた。
屋根の上には雲の切れた空が残っていたが、通りにはもう日が差していなかった。
荷車の減った道で靴音がよく響き、レイニャは手琴を外套へ寄せて抱えている。
酒場の窓の黄色い明かりが見えると、澪は扉までの歩幅を少し大きくした。
扉を開けた先では、暖炉の火が、壁へ掛けた外套の裾を照らしている。
顔に当たる空気が暖かく、澪は敷居をまたいでから肩の力を抜いた。
低い梁の下に卓が並び、壁沿いの長椅子では、客が外套を脱いで食事をしている。
薪のはぜる音へ笑い声が重なり、入口近くでは濡れた靴底が床板をきしませた。
澪は火に近すぎない卓を選び、外套を脱いで椅子の背へ掛けた。
焼き魚の匂いに誘われて卓へ座ると、ニャニャミは息をつき、足を椅子の下へ収めた。
「今日は、よく歩いたニャ」
「まだ帳面、開くんですね」
澪が言うと、ニャニャミは留め紐をほどいた手を止めた。
「歩かなくていいニャ」
その返事に理央が笑い、乳飲料の杯を受け取った。
澪は芋料理と黒パンを卓の中央へ寄せ、まだ湯気の出る煮込みを取り分ける。
真壁の前には、料理と一緒に、年数を書いた紙が置かれていた。
ようやく夕食になったと思いたかったが、紙の方は閉じていない。
「歌っていいニャ?」
レイニャは手琴を膝へ載せ、暖炉近くの空いた場所を見ていた。
「まだ、仕事終わってませんよね」
「こちらは続ける。レイニャ君は歌えばよい」
レイニャは店主へ演奏の許可を取り、客の通る所を避けて椅子を置いた。
手琴の音が木杯の触れ合う音へ混ざり、彼女の旅の歌が、暖炉の前から卓へ届く。
澪は黒パンを口へ運びながら、こちらで聞く初めての歌を待つ客の顔を眺めた。
節の終わりに手を打つ人がいて、次には隣の卓も拍子を合わせ始める。
一曲が終わる頃、真壁は比較用の酒を少量、杯へ出した。
「今、どのくらいです?」
「3年だ」
「さっき仕込んだばかりですよね」
「外ではな」
真壁は香りを確かめ、少量を口へ含んでから、紙へ評価を記した。
ライ麦の香りはあるが、まだ荒さと刺激が目立つという。
ニャニャミがその言葉を書き、理央は乳飲料を置いて杯の方を見た。
次の歌へ手拍子が入り、真壁は別の条件の酒を出した。
「5年。刺激が少し落ちたな」
「歌を時計代わりにしないでください」
「時計にはしていない。同じ樽条件で、経過を分けている」
真壁の返事を聞いた澪は、自分の食べかけの皿へ目を下ろした。
冷める前に食べている煮込みの横で、酒だけが何年も進んでいた。
レイニャが客の口ずさんだ節回しへ耳を向け、短い間奏にその調子を拾った。
客が笑って手を打つ頃には、7年の酒と、10年の酒が別々の杯へ出ていた。
澪もごく少量を比べ、長い方の香りが、口へ近づける前から強いのに気づく。
「7年だな」
「10年じゃないんですか?」
「10年は木香が勝ち始める。7年なら、ライ麦の香りと口当たりが釣り合う。今回の条件では、だがね」
真壁は7年の欄へ印を付け、ニャニャミは年数とは別の所へ樽と酒の条件を記した。
演奏を終えたレイニャが卓へ戻ってきて、自分の分の芋料理を引き寄せる。
「その歌の間に、そんなに経ったニャ?」
「歌ってない間にも、経ってます」
澪が答えると、レイニャは杯を見てから、まだ温かい芋へ手を伸ばした。
空いた皿を下げに来た主人が、真壁の前の杯で足を止めた。
卓の端から香りを確かめ、薄い色の方を指した。
「その酒、何で作った?」
「ジャガイモだ。今日、この町で買った物だ」
「芋?」
主人の目が、レイニャの皿に残った芋へ移る。
真壁は状態を確かめた試飲用の分を、別の小さな杯へ出した。
「試してもらえるかね。まだ商品にする前の物だ」
主人は杯を受け取り、香りを嗅いでから少量を口へ含んだ。
すぐに言葉を返さず、唇を閉じてもう一度杯を見る。
「こっちは?」
今度は色の付いた方へ目を向けた。
「ライ麦だ」
「それも、この町で?」
「ノルドハルムで買った。樽で熟成させた物だよ」
主人は別の杯を受け取り、芋の酒とは違うように、香りをゆっくり確かめた。
「……うちの国の芋と麦で、こんなのができるのか」
「原料が悪いわけではない。加工の仕方を変えただけだ」
ニャニャミが帳面を持ち上げ、主人へ尋ねた。
「この店なら、どんな人が飲むニャ?」
「芋の方は、値段が合えば普段飲む客にも出せる。だが、安い地元の酒はもうあるぞ」
主人は色の付いた杯を持ち上げた。
「こっちは、普段の杯と同じ値にする酒じゃないだろう。余裕のある客が、食事の後に少しずつ飲むなら考えられる」
ニャニャミは日常酒と書いた行から離し、別の欄へ客層を書いた。
「この店で出す量も、違うニャ?」
「違う。うちは食事と一緒に飲む客が多い。これを気に入る客が何人いるかは、出してみないと分からない」
主人は手の杯を置き、別の卓から呼ばれる声へ目を向けた。
澪は引き止める前に、聞くことを絞った。
「春と冬でも、変わりますか?」
「外から来る客も、飲み方も変わるな。それと、造り手の出す値を聞かないうちは、こっちも出す値を決められん」
「地元の酒を造る人にも、話を聞きたいです」
「その方がいい。うちが出す杯だけでは、町の酒の量までは分からないからな」
主人は皿を抱えて別の卓へ向かった。
ニャニャミは聞いた答えの上へ、この酒場の分と書き添える。
「ウォッカは数が出そうニャ。ウイスキーは高くできそうニャ」
「まだ決めるな」
「書くだけニャ。明日、ほかでも聞くニャ」
「それでよい」
澪は、主人が置いた杯を真壁の紙から離した。
レイニャが芋料理を食べ終えると、別の卓から、もう一曲と声が掛かった。
彼女は手琴を抱え、澪の脇を抜けて暖炉近くへ戻っていく。
今度の歌の出だしへ、さっきより早く手拍子が入った。
ニャニャミはその音を聞きながら、朝の市場情報を開いた。
原毛、鰊、鉄鉱石、ジャガイモ、ライ麦の行へ指を置き、次に夕方の試作の頁へ移す。
「今日、安かった物ばっかりニャ」
「そうだ」
「形を変えたら、安くなくなったニャ」
毛布の試作条件、缶の容器、酒の年数と評価が、原料の品名とは別の所へ書かれている。
ニャニャミはその間を線でつなぎ、値段を入れる所でペンを止めた。
「まだ売ってないニャ」
「加工費も、売れる量も、税も見てからだ」
真壁は酒の条件を書いた紙を、帳面の脇へ置いた。
「同じ物を増やしても、値が保てるとは限らん。出来高と品質をそろえられるかも確かめよう」
理央は乳飲料を飲み、魚の買付の控えを開いた。
「魚を待たせられるようにするなら、容器の方もちゃんと待てるようにしないとですね」
「密封と、保存した後の状態を見ます。漁港にも行って、ここへ来る前の魚を見たいです」
澪が言うと、真壁は地図を卓の端へ出した。
「トール山脈の鉱山も調べる。缶に使う鉄を、どこでどれだけ手に入れられるかだ」
「羊毛の産地と、工房もですよね」
理央の問いを聞き、澪は試作の毛布を思い浮かべた。
「はい。量産する時に相談したいです。孤児院の必要枚数も、王国全体で調べないと」
澪は王国の孤児院と書いたメモを、試織の条件の隣へ置いた。
「酒造の方も、現地の造り手へ聞こう」
「行った町の市場も、入れてくるニャ。国だけじゃ、比べられないニャ」
ニャニャミはそう言って、《千里眼》へ意識を向けた。
目が一度止まり、朝の数字の脇へ新しい値を書く。
「数字、動いたニャ。原毛の供給が94から90、鰊は94から91ニャ」
澪は書き足された小さな数字を見た。
「私たちが買ったから?」
「その一部はな。今日動いた荷は、我々の分だけではない」
「国の方は、朝と同じニャ」
ニャニャミは国家情報の頁をそのままにして、市場の方へ戻った。
ペンを持つ白い手が朝と夜の欄をもう一度辿り、ニャニャミは空いている値段の所へ、小さく問いの印を付けた。
澪が黒パンの籠を寄せると、ニャニャミは書く手を休め、残ったパンを取る。
暖炉近くでレイニャの尾が拍子に合わせて揺れ、扉から入ってきた客が、外套を脱ぎながら歌へ顔を向けた。
「北、儲からないんじゃなかったニャ?」
ニャニャミはパンを持ったまま、真壁を見た。
「従来のやり方では、だ」