押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

404 / 404
第404話 もっともっと欲しいです

 

 ホテルの玄関を出てすぐ、澪は理央の後ろで足を止めた。

 

 屋根から落ちた滴が、馬車寄せの端を濡らしている。

 

 朝日の当たる所では水が流れていたが、庇の影には薄い氷が残り、荷車の車輪がそこだけ乾いた音を立てた。

 

 澪は明るい方へ半歩寄り、真壁の手にある紙をのぞいた。

 

 支配人の書いた店の場所へ、彼の指が置かれている。

 

「理央君は私と仕立師へ。澪君たちは買付を頼む」

 

「魚と羊毛、今日はもっと買うニャ」

 

 ニャニャミは帳面を開き、昨日の買付欄へ指を置いた。

 

 風で紙の端がめくれると、白い手で押さえ、2つの品名へ印を付ける。

 

「昨日より、かなり多くなりそうですね」

 

「奥にある分も聞くニャ」

 

 澪は昨日の試験材料とは離して、今日買う分の置き場を収納の中へ空けておいた。

 

 魚が缶に入る所までできた以上、数尾ずつ買って終わるつもりはなかった。

 

 レイニャも市場の方を見ている。

 

 通りの先で木戸が開き、店先へ台を出す音に、箱を荷車から下ろす声が重なった。

 

 風が変わると、魚と濡れた木の匂いが届く。

 

「朝の荷、来てるニャ」

 

「今日は酒の原料は買わなくてよい。私は、仕立師の後で酒卸へ寄る」

 

「あの7年のを見せるんですか?」

 

 理央が布包みを持ち直した。

 

「そうだ。こちらも、使う者の話を聞きたい」

 

 理央は返事をしながら、包みの角を撫でた。

 

 昨夜は両手へ広げて見せていた布を、今は腕の中へ寄せている。

 

「仕立てられないって言われたら……」

 

「どこを直すべきか聞けばよい。布だけ眺めていても分からん」

 

 真壁が歩き出す前に、澪はホテルの扉を振り返った。

 

「夕方、ここの小サロンで集まりませんか。記録を広げられますし」

 

「よかろう」

 

 澪は玄関の職員へ短時間の再利用を頼み、借りられることを確かめて戻った。

 

 扉の内側の暖気が頬へ触れたのは、その往復の間だけだった。

 

 理央と真壁は仕立屋へ向かい、澪はニャニャミたちと荷車の進む方へ歩いた。

 

 通りの両側にはまだ影が深い。

 

 日向を選んで歩いていても、外套から出した指は、帳面を持つうちに冷えてきた。

 

 

 

 仕立屋の窓には、丈の長い上着が掛かっていた。

 

 理央はガラス越しに袖の形を見ながら、入口の段を上がった。

 

 扉が閉まると、車輪の音が薄くなり、奥から鋏の音が聞こえる。

 

 木の床には油が染み込み、反物棚の前だけ、人の歩く幅に艶があった。

 

 窓の冷たい光を受けた裁断台で、職人が長い布を押さえ、端へ鋏を入れていた。

 

 奥の加熱器具から立つ熱に、温められた羊毛の匂いが混じっている。

 

 真壁がホテルの支配人からの紹介だと伝えて紙を見せると、仕立師は仕事台の一角を空けた。

 

「生地を見てもらいたい」

 

 理央は包みを開き、布を台へ広げた。

 

「羊毛を――」

 

 説明を始めかけると、真壁が布を仕立師の方へ寄せた。

 

「まず、触れてみてくれたまえ」

 

 仕立師の指が表面を撫で、戻る時には逆向きへ動いた。

 

 光へ傾けた布を折り、掌で押さえてから開く。

 

 理央は自分のノートを出したが、何を書けばよいか迷って、ペンを持ったまま見ていた。

 

「端を少し切ってもいいか」

 

「はい」

 

 鋏が入ると、布を噛む音が、店の奥の音より近くなった。

 

 昨夜は崩さないよう丁寧に畳んだ布が、仕立師の手元で細長い切れ端になる。

 

 彼は切り口を指で擦り、出た糸を軽く引いた。

 

「ここを縫ってみる」

 

 針が2枚重ねた布へ入り、糸が通る。

 

 理央は小さな穴を見つめ、次に、引いた糸の両側を見た。

 

 仕立師が布を戻しても、縫い目に大きな波は残らなかった。

 

 隣の職人が仕事の手を動かしながら、こちらへ目を向ける。

 

 仕立師が棚へ向かうと、職人も糸を置き、裁断台の端まで来て布をのぞいた。

 

 仕立師は棚から別の毛織物を出し、台へ並べた。

 

「こんな生地は今まで見たことがない。外国のどこで織った?」

 

「昨日、この町で買った羊毛から作りました」

 

 仕立師の手が、布の上で止まった。

 

「ここの羊毛?」

 

「はい。不揃いの原毛を使って、太さと色をそろえたんです」

 

 仕立師は入口へ目を向け、それから理央の包みを見直した。

 

「今ある分は、全部買いたい」

 

「え?」

 

「次はいつ作れる。色は変えられるか。反物で何本出せる?」

 

 理央は、自分の布を見た。

 

 さっき切った端以外、昨夜と何も変わっていない。

 

「これ、毛布の失敗作なんですけど……」

 

「失敗作なら、その失敗作を全部持ってきてくれ」

 

 近づいていた職人が、口元を押さえて作業台へ戻った。

 

 理央も笑いそうになったが、仕立師は布を手放さなかった。

 

「ほかの仕立屋にも見せるのか?」

 

「待ちたまえ。まず、実際に仕立ててみてもらいたい」

 

 真壁が布の大きさを示した。

 

「今の見本で作れる小品でよい。裁断と縫製、それに使った後の具合を見たい」

 

「それは見る。見るためにも、この分は置いていってくれ」

 

 理央が布の端へ手を伸ばすと、仕立師の手が先にそこを押さえた。

 

 片付けるつもりだった手を引き、理央はノートを台の空いた所へ置く。

 

「必要な幅って、どのくらいですか?」

 

 仕立師は普段使う反物へ定規を当て、裁断台へ広げた。

 

 その横幅と長さを理央が書く間にも、上着を取る時の向きや、切れ端を残さないための幅を説明する。

 

「同じ色で頼んで、次に来た物だけ違うのは困る。袖を直す分まで、そろっていてほしい」

 

「同じ反物の中だけじゃ、足りないんですね」

 

「そうだ。あと、折ったまま置いた時の皺。擦れる所の減り方も見たい」

 

 理央は厚みの欄の下へ、皺と摩耗を書き足した。

 

 昨日、自分で読んだ《鑑定》の結果には、裁ち鋏を持つ人の使い方までは入っていなかった。

 

「色違いも試せます。ただ、反物で同じように出せるかは、幅を決めてから確かめます」

 

「なら、その次の分も知らせてくれ。出来た物が少ないなら、こちらを先にしてほしい」

 

「順番は今ここでは約束できん。試験の結果を聞きに、また来よう」

 

 真壁は仕立てに使う分を決め、試作の手間に対する支払いも相談した。

 

 預ける布の量と目的を紙へ残し、理央は縫い目の残る比較用の切れ端だけを包みへ戻す。

 

 仕立師は預かった布を自分の台へ移してから、ようやく2人を出口まで見送った。

 

「次は見本だけでなく、長い物を持ってきてくれ」

 

 外へ出ると、包みは軽くなっていた。

 

 理央はノートを閉じかけ、書き足した幅の所へ、もう一度目を戻した。

 

「失敗作、持って帰れなかったです」

 

「少なくとも、使ってみたい者はいたな」

 

 真壁が酒卸への道を尋ねる間、理央は切れ端の包みを、さっきより崩さないように持った。

 

 

 

 同じ朝、澪たちは魚市場へ向かっていた。

 

 市場へ近づくほど、足元の石が濡れている。

 

 澪は溝をまたいで、荷車の通り過ぎるのを待った。

 

 箱の隙間から垂れた水が、車輪の跡へ細い筋を引く。

 

 氷を割る硬い音に、魚を呼ぶ声が重なり、昨日よりも人の肩を避ける回数が多かった。

 

 レイニャは木箱を運ぶ人へ道を空け、手琴を背中側へ寄せる。

 

 ニャニャミは軒下へ入ってから帳面を開いた。

 

 ここなら、風にめくられるより先に字が書ける。

 

「また来たか。今日は何を試す?」

 

 昨日の魚屋が、氷の上から鰊を持ち上げた。

 

 銀色の腹が朝日を返し、濡れた手袋から小さな氷が落ちる。

 

「鰊と鱈を、昨日より多く見せてください」

 

 澪が頼むと、ニャニャミは値札と帳面を見比べた。

 

「今買えるだけの魚を、買うニャ」

 

「……今ある分を、全部か?」

 

「まず全部見せるニャ」

 

 店主は秤へ伸ばしかけていた手を止め、店の奥を振り返った。

 

「箱で出す方が早いな」

 

 澪は店頭の台へ残す分と、すでに引取りの決まっている分を先に尋ねた。

 

 店主が別にした箱へ印を付けると、ニャニャミも買付欄の横へ、取り置き分は含まないと書く。

 

 澪は出された魚へ《鑑定》を使った。

 

 脂の状態、身の傷み、冷やされていた具合を見てから、箱の端の札を読む。

 

「この鰊は油漬けの試験へ回せます。こちらの鱈は、水煮の分に」

 

 見えている内容を伝えると、ニャニャミは店名の下に用途を書き分けた。

 

「こちらの箱は、今日は買いません」

 

 澪が状態の違う分を脇へ寄せると、店主は無理に勧めず、別の箱を開けた。

 

 値段を聞いたニャニャミが、昨日の欄へ目を戻す。

 

「箱で買う時も、この値ニャ?」

 

「重さを量って決める。まず、量を出そう」

 

 秤の金具が鳴り、ニャニャミのペンが動き始めた。

 

 澪は魚種ごとに重さを伝え、店主の控えと帳面を並べて、代金を確かめる。

 

 買付を済ませた箱へ靄がかかると、台の横の床が空いた。

 

 向かいの店で声を張っていた人が、こちらを見て一度声を落とした。

 

「まだあるニャ?」

 

「裏に、今朝の分があるが……」

 

「それも見るニャ」

 

 店主が奥から箱を運ぶ間に、レイニャは入口へ寄った漁師へ顔を向けた。

 

「こんなに来るの、毎日ニャ?」

 

「海に出られればな。春は荷が増えるが、風が荒れれば、ここも空く」

 

「いっぱい来て、売れない時はどうするニャ?」

 

 漁師は塩を扱う店の方を示した。

 

「塩に回したり、干したりする。そっちの手が足りなければ、値を下げるしかない」

 

 レイニャは店主の運んでくる箱を見て、通り道を空けた。

 

 次の鰊も澪が状態を調べ、使える分を伝えると、ニャニャミは新しい行へ箱の札を写した。

 

「明日も入るニャ?」

 

「入る予定ではある。ただ、同じ量とは言えん」

 

「予定の分と、海次第の分を分けて書くニャ」

 

 ニャニャミは、買った量の下へ入荷の欄を作った。

 

 澪は今日の分を、店名と日付、魚種を付けた置き場へ分けて収める。

 

 昨日作った缶の試験材料とは、混ざらないようにした。

 

 店主は空いた床を見てから、澪たちへ向き直った。

 

「毎日この買い方をするなら、荷受けへ話を通した方がいい。売場に出してから集めるより、早い」

 

「毎日の量は、これから調べます。話をする先も、教えてもらえますか」

 

 ニャニャミの帳面へ、魚種ではない書込みが増えた。

 

 店主はそこで、何に使うのかを改めて聞いた。

 

 澪が保存食の試作だと答えると、彼は市場近くの食品卸を挙げた。

 

「魚を欲しがる先なら、あそこが知ってる。出来た物があるなら、見せてみな」

 

「販売前の試験品ですが、用途は聞いてみたいです」

 

 澪は場所を教えてもらい、奥から出してもらった追加分も精算した。

 

 店を出る時、ニャニャミは最後の空箱ではなく、奥の入口へ目を向けた。

 

「明日の分も、聞けたニャ」

 

 レイニャは、手袋へ付いた氷を落としてから笑った。

 

「今日の分をしまって、もう明日ニャ」

 

 澪は帳面に増えた行を見ながら、入口を出る荷車へ道を譲った。

 

 さっき空けた床へ、次の荷が運ばれ始めていた。

 

 

 

 酒卸の商館へ着くと、理央は入口で荷を下ろす人の後ろを通った。

 

 木箱の中で瓶が触れ合い、奥では樽が低い音を立てて転がっていた。

 

 仕立屋にあった温かな布の匂いはなく、乾いた木と穀物、酒の匂いがする。

 

 石の床は外より冷たくなかったが、立っているうちに足先へ冷えが戻った。

 

 真壁が試作品の評価を頼むと、卸の主人は入口から離れた机へ2人を招いた。

 

 理央は壁際の樽の札を見ながら腰を下ろし、ノートを開く。

 

 真壁の出した瓶から、小さな杯へ酒が注がれた。

 

 琥珀色の液体が光を受け、主人は杯を少し回してから鼻へ近づけた。

 

「ライ麦か」

 

「そうだ」

 

 主人は一口含み、飲み込んでからも、杯を置かなかった。

 

 眉が上がり、真壁を見た後で、もう一度香りを確かめる。

 

 2口目は、真壁が話を続ける前に、自分から杯を口へ運んだ。

 

「こんなウイスキーは今まで出会わなかった」

 

 理央は主人の言葉を書きかけ、仕立屋で開いていた頁をめくってしまった。

 

 新しい頁へ戻す間に、主人は瓶を自分の方へ寄せていた。

 

「今あるのは何本だ?」

 

「今日は評価用の少量だ」

 

「全部買う。次はいつ入る?」

 

「ずいぶん気が早いな」

 

「遅ければ、別の所が先に買うだろう」

 

 主人は杯を置き、机の脇の帳簿を引き寄せた。

 

「次の分も先に押さえられないか。他へ持っていく前に、まず俺の所へ回してくれ」

 

 理央は、今度は頁を間違えずに、次回分という言葉を書いた。

 

 布と違って、自分では味が分からない。

 

 ただ、主人の見ている物が杯から帳簿へ替わったことは分かった。

 

「どの客へ勧めるつもりかね」

 

「良い宿、有力な商人。贈り物にもなる。宴席に出せば、誰が持ってきたか聞かれる酒だ」

 

 主人は店の高級酒の札を取り、机へ並べた。

 

 真壁はその価格を尋ね、瓶の大きさにも目を向ける。

 

「こちらの酒と競るなら、どの辺りになる?」

 

 主人は札を1枚戻し、別の1枚を残した。

 

「少なくとも、安い酒に混ぜて並べる物じゃない。味を知ってから買う客へ出したい」

 

 理央は銘柄と値を書き取り、真壁が聞いた瓶詰めの単位を添えた。

 

「冬の方が動くのかね」

 

「時期で量は変わる。ただ、贈答は冬だけじゃない。この品質を毎回出せるなら、取っておきたい客がいる」

 

 主人の指が、また試飲用の瓶へ戻った。

 

「原料はどこから持ってきた?」

 

「この町で買ったライ麦だ」

 

 主人は瓶を持ち上げかけ、そのまま机へ置いた。

 

「ここの麦で、これが出来るのか」

 

「この試作はな。だから、どの程度の量が動くか聞きたい」

 

 主人は帳簿の頁を替え、普段の取引量を説明した。

 

 理央は聞いた範囲を追いかけて書き、まだ約束していない量とは線を分ける。

 

「次も、同じ物を持ってきてくれ。それで供給の話をしたい」

 

「こちらも整理して来よう。今日のところは、評価の条件を持ち帰る」

 

 真壁が瓶へ手を伸ばすと、主人は試飲の杯を寄せて場所を空けたが、目は瓶を追っていた。

 

 理央はその横で、値札を写した紙を閉じる。

 

 店を出る時、主人は見送りながらも、他へ回す前に知らせてくれと念を押した。

 

 理央は冷たい風の中で、布の包みとノートを抱え直した。

 

「褒めてもらうだけのつもりだったのに、次の物の話になるんですね」

 

「飲んで終わりでは惜しかったのだろう」

 

 真壁は市場へ向かう荷車を避け、通りの端へ寄った。

 

 注文の約束はしていないのに、聞くべきことだけで埋まった頁を、理央は指で押さえた。

 

 

 

 昼を過ぎて食品卸を訪れると、入口で荷札を読む店員が、台車を壁際へ寄せてくれた。

 

 澪は礼を言って、その脇を通った。

 

 魚市場では歩くたび靴底が濡れたが、ここは乾いた床へ穀物の小さな粒が落ちている。

 

 高い棚に積まれた袋の間から、塩と香辛料の匂いがした。

 

 レイニャのひげが動き、干した魚を吊るした梁へ顔が上がる。

 

 店の奥へ進むほど外の声は遠ざかり、代わりに袋を下ろす音が聞こえた。

 

 魚屋から教えられたと話すと、卸の主人は商談用の机を空けた。

 

「保存食を作ってるそうだな」

 

「試作です。保存期間はまだ調べている途中なんですが、使う先の話を聞きたくて」

 

 澪は確認用に分けておいた缶を出し、試験の控えを横へ置いた。

 

 金属が机へ触れる音に、台車を押していた店員が顔を向ける。

 

 主人は缶を持ち上げ、底と蓋、合わせ目へ順に指を運んだ。

 

「この中に、魚が入ってるのか」

 

「鰊と大豆油です。密閉した容器に詰めて、加熱殺菌しています」

 

「刃物で切って開ける?」

 

「上の輪を起こして、引けば開きます。やってみてもらえますか」

 

 澪は開ける前の状態を《鑑定》し、今見てよい試料だと確かめてから、缶の持ち方を示した。

 

 主人は片手で缶を押さえ、タブへ指を掛けた。

 

 短い音の後、引き上げた蓋が外れる。

 

「……これでいいのか」

 

「はい。道具は要りません」

 

 油の中に、魚の身が見えた。

 

 乾物の棚の前で見ると、市場の氷の上にあった魚とは、届く場所が違う気がした。

 

 主人が缶を寄せ、レイニャも横からのぞく。

 

 荷札を読んでいた店員が、今度は鼻を動かしてから机へ目を向けた。

 

「これが本当に長く保つなら、欲しがる所はいくらでもある」

 

 主人は缶を置いて、控えの紙へ手を伸ばした。

 

「何箱作れる? いや、試験が終わったら最初の分をこっちへ回してくれ」

 

「保存期間はまだ試験中です。確認前の物は売れません」

 

「分かってる。だから終わったら最初に持ってきてくれ」

 

 澪がまだ注文を受けられないと答えると、主人は空の箱を指した。

 

「箱の話くらいは出来るだろう。何個ずつ入れて運ぶつもりだ?」

 

 ニャニャミのペンが、買った魚の欄を通り越して、白い頁へ移った。

 

 澪は缶の大きさを伝え、持ち運ぶ時にどこへ重さがかかるかを聞いた。

 

「海から離れた町へ送る。山の道が閉じる前に、宿へ置いておく。鉱山でも使う。隊商なら、途中で鍋を出さずに魚が食える」

 

「山を越えて、これを運べるニャ?」

 

 レイニャが缶を示すと、主人は頷いた。

 

「漏れずに保つならな。生魚では、着く頃には売れない」

 

 ニャニャミは送り先の欄を延ばし、鉱山の横へ宿を書き足す。

 

「町に置く分も要る。非常用の備蓄に回せるなら、買う数はもっと増える」

 

「鱈の水煮も試しています。そちらなら、油漬けとは使い方が違うかと思って」

 

「それも見たい。いつ来られる?」

 

 澪は控えへ目を落とした。

 

 原料を入れ、加熱して開ける所はできた。

 

 けれど、書き切っていない保存の欄を、相手の箱の数で埋めることはできない。

 

「試験を終えて、確かめられた結果を持ってきます。その時に、数と納期も相談させてください」

 

「忘れないでくれよ。先に別へ出してしまった、は困る」

 

「まず、見せに来る約束です」

 

 主人は笑い、澪の紙の端へ、再訪時に話す事柄を書き加えた。

 

 澪は開けた魚の状態を改めて《鑑定》し、缶と蓋をトレーへ移した。

 

 主人に聞かれた内側の被膜については、真壁が作ったポリエステルを使い、剥がれも試験していると説明する。

 

 ニャニャミが最後の言葉を書き終えるまで待ってから、試料は収納へ戻した。

 

 店を出る時、主人は台車へ積む箱を見ながら、鰊と鱈の両方を、ともう一度言った。

 

 外では、朝より高くなった日が石畳を乾かしていた。

 

 風が外套へ入るとまだ冷たいが、澪は歩きながら、売り先の紙をもう一度広げたくなった。

 

 ニャニャミは紙を押さえ、羊毛の欄を開いた。

 

「魚は買えたニャ。次は、布の分ニャ」

 

 

 

 市場の羊毛商へ戻ると、澪が在庫を尋ねる前に、店主は奥の袋を見た。

 

「昨日と同じくらいか?」

 

「もっと欲しいです。ほかの区分も見たいんですが」

 

 ニャニャミは隣で、前の店から聞いてきた入荷の話を帳面へ添えた。

 

 何軒か回っても、店先へ出せる袋の数には限りがある。

 

 店主は澪たちの帳面をのぞき、筆の止まらないニャニャミを見て笑った。

 

「それなら、卸へ行きな。ここで袋を増やすより、山を見た方が早い」

 

 店主は行き先を紙へ書き、澪へ渡した。

 

 紹介された倉庫は、市場の声が届かなくなる辺りにあった。

 

 荷車がすれ違える敷地へ入ると、軒下に積まれた麻袋が、窓の下まで続いている。

 

 澪は荷の間を通り、入口から奥へ目を向けた。

 

 梁の高い所から斜めに光が入り、その中だけ、細い毛が浮いていた。

 

 羊毛の脂に乾いた草の匂いが混じり、袋へ触れる手には、外の冷たい風が当たらなくなる。

 

「あんたら、派手に買い集めているらしいな」

 

 奥から来た主人は、澪が紹介の紙を出す前にそう言った。

 

「そんなに目立ってました?」

 

「市場を何軒も回って、あるだけ持っていけばな」

 

 ニャニャミの耳が立った。

 

 少し得意そうに帳面を持ち上げたが、主人の前へ広げた頁には、まだ欲しい品が残っている。

 

「見せてもらう分が、ここにあるニャ」

 

 主人は頁を見て、まず白い羊毛の積まれた所へ3人を案内した。

 

 札には産地と牧場、刈った時期が書いてある。

 

 澪が札へ目を近づけると、主人は束の紐を切った。

 

 押さえられていた毛が、ゆっくりふくらむ。

 

 レイニャが道を空けるように半歩下がり、主人はその中からひとつかみを出した。

 

「上等なのだけなら、今すぐ出せる量には限りがある」

 

 澪は指へ受けた毛の長さを見て、《鑑定》で状態を調べた。

 

 昨夜、真壁が天然毛のまま使う方へ回せると言っていたのは、こうした毛だろう。

 

 買う候補をニャニャミへ伝えたが、主人の示した山を全部とは言わなかった。

 

「こっちは、色も長さもそろってない」

 

 主人が別の袋を示すと、澪はすぐそちらへ向いた。

 

「そっちも見せてください」

 

 白い束の向こうに、灰色と茶色の毛が混じる袋があった。

 

 ニャニャミが札を写し、主人は短い毛の多い分と、色の混じる分を分けて出す。

 

「……何に使うんだ?」

 

「毛布と服です」

 

 主人は手の中の毛を見直した。

 

「この短い物も?」

 

「使い方を分けて試しています。長さがそろわないことだけで、外す必要はありません」

 

 澪は同じ区分の代表になる試料を受け取り、傷みや不純物の状態を調べた。

 

 使える物を伝えるたび、ニャニャミの買付欄が延びる。

 

 上等品の時にはすぐ済んだ量の相談が、こちらでは袋の積まれた高さまで数える話になった。

 

「会長、こっちの区分は、かなりあるニャ」

 

 ニャニャミが書いた在庫量を、澪は主人の控えと見比べた。

 

 色を原料の段階で混ぜ直せるなら、色混じりの袋も候補になる。

 

 毛布と服地では、作り直す繊維の長さも違う。

 

 昨夜の2種類の布を思い浮かべると、積まれた山の見方が、白い毛だけを見ていた時とは変わった。

 

「ほかにもあります?」

 

「まだ奥にある」

 

「見せてください」

 

 主人は今度、先に立って袋の間を進んだ。

 

 足元の板が踏む場所によって鳴り、日陰へ入ると、光の中に見えていた毛も見えなくなる。

 

 奥には前年の札が付いた袋があり、長さの違いで別にされた物も積まれていた。

 

 澪は前年というだけでは決めず、区分ごとに試料を受け取った。

 

 湿って傷んだ物まで買うのではなく、保管の状態を見て、使える分をニャニャミへ伝える。

 

「これも量を聞いていいですか」

 

 主人が答えると、ニャニャミは新しい頁を開いた。

 

「まだ入るニャ?」

 

「この先の入荷もある。牧場によって、刈る時期が違うからな」

 

 澪は倉庫の入口を振り返った。

 

 最初に見た白い毛の山は、袋の列に隠れて見えない。

 

 あれを見た時には十分あると思いかけたのに、今は次の荷のことも聞きたかった。

 

「次はいつ、どのくらい集まりますか。同じ区分を、まとまった量で回してもらえるか相談したいです」

 

 主人は帳簿を持ってきて、入荷の時期を牧場ごとに示した。

 

 ニャニャミが書き留め、レイニャは荷の来る道を尋ねる。

 

「冬も、この倉庫まで来るニャ?」

 

「道次第だ。運べる時にまとめて入れておく分もある」

 

「じゃあ、来る日と、ここから買える日は違うニャ」

 

 レイニャが言うと、ニャニャミは入荷の欄と在庫の欄を指で離した。

 

 澪は今日買う分を区分ごとに決め、価格を確認した。

 

 良い長繊維は必要な分に絞り、不揃いと色混じりは、試験から先の加工に回す分も含める。

 

 主人が買付量の控えを作る間に、ニャニャミは計算を終え、澪へ帳面を向けた。

 

 代金を渡して控えを受け取り、買った袋だけを澪が靄へ収める。

 

 区分の札と、比較用の原毛は、後で理央へ渡せるよう別にしておいた。

 

 主人は空いた奥の床を見て、そこまで見たがる外国客は珍しいと笑った。

 

「次の荷も、話をしに来てくれ」

 

「ぜひ。今度は、継続して買う条件も詰めたいです」

 

 倉庫を出ると、日の向きが変わっていた。

 

 軒の影が敷地へ長く延び、レイニャは外套の前を合わせた。

 

 ニャニャミが帳面を閉じる前に、澪は次回入荷の頁へ、指を置いた。

 

「そこ、夕方にみんなへ見せましょう」

 

 今日収めた袋の数よりも、その先に書かれた品名へ、もう目が行っていた。

 

 

 

 ホテルへ戻る頃には、通りの影が、朝とは反対側へ延びていた。

 

 日向を歩いた後で馬車寄せの庇へ入ると、澪は頬の冷えるのを感じた。

 

 玄関の向こうではランプがともり、敷物の毛足へ暖かな色が落ちている。

 

 手配しておいた小サロンへ案内されると、真壁と理央は先に来ていた。

 

 窓の上部だけが橙色で、暖炉には新しい薪が足されている。

 

 澪は外套を脱ぎ、昨日と同じ卓へ近づいた。

 

 理央の前には、針を通した布片がある。

 

「その分、仕立師さんに縫ってもらったんですか?」

 

「はい。あと、仕立てて試す分は置いてきました」

 

 理央は布片を触らずに、ノートの幅の所へ指を置いた。

 

「仕立師さん、今ある分は全部欲しいって。次はいつ作れるかまで聞かれました」

 

「毛布じゃなかった方ニャ?」

 

 レイニャがソファへ手琴を置き、理央の隣へ寄った。

 

「そうです。これから作る反物も、袖を直す分まで同じ色にしてほしいって」

 

 理央は昨夜の繊維条件の紙へ、今日聞いた幅と厚みの紙を重ねる。

 

 消すためではなく、続きを書くためにペンを持っていた。

 

「酒卸も同じだ。次の分を先に押さえたがっていた」

 

 真壁が価格帯の控えを卓へ置いた。

 

 理央はその紙の瓶詰め単位へ目を向け、聞いた需要量の欄を開く。

 

 澪も食品卸から受け取った紙を並べた。

 

「缶詰は、試験が終わったら最初に、と言われました。まだ売れないと話しても、箱の話が先に進みます」

 

「売る前から、運ぶ箱ニャ」

 

 ニャニャミは買付帳を開き、その横へ送り先の頁を置いた。

 

 澪の前へ、今日買った魚の欄が向く。

 

「魚は明日も入るニャ。羊毛も次の入荷があるニャ」

 

 澪は羊毛の控えを手元へ引いた。

 

 午前には昨日の買値を見ていた帳面が、今は倉庫の在庫と牧場からの入荷を載せている。

 

 不揃いの原毛の見本をトレーへ出すと、理央は指で受け、布片の隣へ置いた。

 

「毛布用の試験も、続けられますね」

 

「ええ。まず洗濯と乾燥、その後の使い方まで見たいです。服地の方は、今日決めた幅へ条件を合わせましょう」

 

 澪が原毛の札を渡すと、理央は昨日の分とは別の所へ番号を書いた。

 

 真壁は羊毛の入荷時期へ目を通し、継続買付の条件を相談する相手へ印を付ける。

 

「魚は、今日の量だけで毎日の入荷を決めないようにな」

 

「荷受けへ相談する先は聞きました。海の具合で変わる分も、ニャニャミさんが分けて書いてくれています」

 

 ニャニャミは該当する欄を開き、真壁へ向けた。

 

「缶の方は、保存試験を終えてから再訪します。今日は注文の約束はしていません」

 

「こちらも、酒の供給量と相場を合わせてからだ。原料の追加は、その後でよい」

 

 澪は空いている紙を卓の中央へ置いた。

 

 ニャニャミは今日買った物の横へ、服地を試す店と、缶詰を待つ卸を書き添えていく。

 

 レイニャも、魚の荷が止まる時の話と、羊毛を冬の前に入れておく話を伝えた。

 

 書き込む場所を空けるために、澪は原毛のトレーを少し動かした。

 

 前夜には試作品を並べていた卓が、今日は、その品を使いたがる人の話で埋まっている。

 

 澪は魚と羊毛の帳面を見比べた。

 

「みんな、次の分まで欲しいニャ」

 

 レイニャが帳面をのぞき、耳をこちらへ向けた。

 

 澪は倉庫で、次に入る分まで尋ねたことを思い出し、自然に口元が緩む。

 

「私もです」

 

 理央が顔を上げ、ニャニャミのペンが止まった。

 

「もっともっと欲しいです」

 

 澪は次回入荷の頁を開いたまま、5人の真ん中へ押し出した。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(必須:20文字~500文字)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜(作者:パラレル・ゲーマー)(オリジナル:歴史/戦記)

現代日本で死んだ主人公が転生した先は、江戸幕府を開いた徳川家。▼身分ガチャは大当たり――かと思いきや、幼名は国松。▼のちに兄・徳川家光と対立し、「暴君」と呼ばれて破滅するはずの徳川忠長だった。▼将軍の座など絶対にいらない。▼生き残るためには、兄・竹千代を全力で支え、「敵」ではなく「便利で忠実な弟」になるしかない。▼そう決意した国松が最初に始めたのは、天下の根…


総合評価:2174/評価:7.24/連載:142話/更新日時:2026年09月03日(木) 17:34 小説情報

TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~(作者:パラレル・ゲーマー)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

都内のシステム関連企業で主任として働く、三十六歳の会社員・門倉啓介。▼仕事も収入も安定し、独身ゆえに貯金もそれなり。大きな不満はないものの、同じ毎日を繰り返しながら少しずつ疲れていく人生を送っていた。▼そんな休日の朝、啓介は突然、TCGのルールで現実を変える異能《創世札典/GENESIS DECK》を手に入れる。▼最初の土地カードは、彼が暮らす賃貸マンション…


総合評価:1545/評価:7.13/連載:60話/更新日時:2026年10月04日(日) 19:52 小説情報

ロマン職は異世界から帰りたい(作者:庶民ザウルス三世)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

これが絶対浪漫の力だ!▼人は夢を見る。▼そして、効率よりも自分の“好き”を信じて、浪漫を追いかける者たちがいる。▼ソロ専、人見知り。▼だけど、クリティカルが決まった時の一撃だけは誰よりも重い。▼そんな趣味全開のロマン職キャラを愛した男は、課金帰りの事故をきっかけに、ゲームで使っていた女性キャラ――ラシア・ラ・シーラとして異世界で目を覚ます。▼しかも、レベルも…


総合評価:7173/評価:8.46/連載:221話/更新日時:2026年10月07日(水) 07:12 小説情報

異世界バトルドロイド軍団(作者:サイリウム)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

高位戦術ドロイド、HT2-392は転生者である。▼戦艦の艦橋で撤退戦の指揮を取っていた彼女は、船ごとワープ事故で異世界に。大量のドロイドたちと共に見知らぬファンタジー世界にやって飛ばされることになる。▼SFドロイドたちがファンタジーに殴りこむ物語が、今始まる。


総合評価:2289/評価:8.69/連載:39話/更新日時:2026年07月19日(日) 17:00 小説情報

転生したら異世界の宇宙最強の龍でした!〜0から星と生命を作り出して一大文明の支配者になったので現代日本へ帰還します。自分は日本が一番暮らしやすい。〜(作者:電動ガン)(オリジナル:現代/コメディ)

目覚めたら無だった。何も無い。宇宙さえも。自分の身体を見る。銀色の甲殻、長い尻尾これモンスターだ!?よく見ると俺の他にも二頭のモンスターが。ドラゴンだこれ!!▼俺たち三頭の女神龍は宇宙創成の前の世界にいる。俺たちを生み出した主神の指示で世界を作り生命を繁栄させることとなったけど・・・・・・それ何年掛かるの?▼何億年も掛けて生命が宿れる星を何個も作り、失敗し、…


総合評価:2873/評価:7.61/連載:146話/更新日時:2026年09月27日(日) 17:07 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>