押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第417話 王都の兵はどこにいるのですか?

 

 庭師が刈り枝を束ねる音が、開いた窓から入っていた。

 

 アルベルトは王都から届いた書状を読み終え、茶へ手を伸ばした。

 

 湯気はまだ上がっているが、飲む前に向かいの真壁を見た。

 

「飛行船の報告が遅れたのは私の責任だ。だが、去年の王命の件は、当時から父上に伝えている」

 

 真壁は茶碗を持ち上げかけた手を止めた。

 

「別の件というわけですな」

 

「ああ。船の存在を、父上が外国王家から知らされたのは、こちらの報告が足りなかったためだ」

 

 アルベルトは新しい封書を左へ寄せた。

 

 レヴァニア王家との謁見で、船主の判断を越えて売買の約束はしていない。

 

 そこを変えるつもりはなかった。

 

 ただ、父に先に知らせておくべきだったことは、いまさら取り繕えない。

 

「軍務の方も、知らなかったと思われては困る」

 

 机の脇の棚から、薄い革表紙を取り出した。

 

 紐をほどくと、端の擦れた控えが現れる。

 

 発信の控えと返答を収めた頁の間に、短い紙片が挟まっていた。

 

 自分で未回答の項目を書き留めたものだ。

 

「王都から約200kmの救援先へ、災害続きの我が軍を約400km動かす。調べぬはずがないだろう」

 

 言葉にすると、あの時の地図が目の前へ戻ってきた。

 

 水害の後始末も、魔物への備えも、終わってはいなかった。

 

 それでも西で助けを待つ人々はいた。

 

 出動の準備をさせながら、軍務省へ問いを送った。

 

 近い王都から、どのような救援を出せるのか。

 

 なぜ、こちらの派兵を先に求めるのか。

 

「こちらが受けた回答ですか」

 

 真壁は表紙に触れず、開かれた頁へ目を落とした。

 

「そうだ。これは発送日、こちらが受け取った日はこちらにある」

 

 アルベルトは2つの日付を別々に示した。

 

 その下に、回答を出した窓口と文書番号が残っている。

 

「王都から1人も出なかったと、私は言っておらん。なぜ主要な援軍を出せなかったのかを聞いた」

 

「では、まずその回答を拝見しましょう」

 

 真壁が茶碗を置いた。

 

 硬い音が1つして、庭の枝を引きずる音が続く。

 

 アルベルトは紙片を抜き、控えの横へ置いた。

 

 船についての新しい書状と、軍務についての古い返答が、ようやく別々に見える位置に並んだ。

 

「父上に何を知らせたかも残してある。去年の問いを、新しい船の話に埋めたくない」

 

 真壁は返答の最初の行を読み、背筋を伸ばしたまま顔を上げた。

 

「その問いが、船に乗せるものに関わるわけですな」

 

 

 

 書状に添えられた飛行船の公開図を、アルベルトは2人の間へ広げた。

 

 人員輸送用のカーゴが描かれ、船体の輪郭が卓の大半を占める。

 

 窓の外では、荷車から木箱を下ろす男が腰を落としていた。

 

 もう1人が下から支え、2人で庭の端へ運んでいく。

 

「軍務大臣は、あの時の救援が遅かったから、軍の船が欲しいと言っているらしい」

 

「輸送時間は確かに縮められましょう。ですが、空の船だけでは軍になりません」

 

 真壁の目が図から窓へ移った。

 

 アルベルトも、箱を置き終えた2人を見た。

 

 男の1人が額を拭き、次の箱を運ぶために荷車へ戻る。

 

「ベラクルスから兵1,000人を戻した時は、約4時間だったな」

 

「ええ。約400kmの帰還を、それだけで済ませられた」

 

 帰ってきた兵と報告の時刻は、アルベルトも確かめていた。

 

 往路の行軍に要した時間とは、あまりに違った。

 

「それを救援に使いたいという望みは分かる」

 

「私も、速く運ぶことに異存はありません。どこの兵を、誰の命令で出すかが先でしょう」

 

 アルベルトは古い回答へ手を伸ばした。

 

「そこが気になる。去年、王都には派遣できる部隊を確保できないと回答された」

 

「新しい船を持てば、当時出せなかった兵を出せると?」

 

「そういう説明は受けておらん」

 

 図の中のカーゴを指で押さえた。

 

 1,000人を収められることと、その人数を王都から動かせることは、同じではなかった。

 

 彼らに持たせる装備があり、食べさせる糧秣がある。

 

 送り出す指揮官と、着いた先で補給を受ける段取りも要る。

 

「もちろん、王都を空にはできない。どれだけ残す必要があったかも含めて知りたい」

 

「船の売却や貸与は、リュシア商会の判断です。それ以前に、使う側の支度を伺わねばなりませんな」

 

「父上へ出す次の照会にも、この件を入れる」

 

 アルベルトは公開図を畳み、書状の下へ戻した。

 

 取得はまだ決まっていない。

 

 軍務大臣が船を希望したことで、むしろ古い回答をもう一度問う理由ができた。

 

 真壁は図を追い掛けず、去年の控えへ向き直る。

 

「では、何が示され、何が示されなかったかを」

 

 アルベルトは立ち上がり、派兵の記録を収めた棚へ向かった。

 

 

 

 地図卓へ革表紙を移すと、書記が追加の控えを持ってきた。

 

 アルベルトは父へ送った報告が含まれていることを確かめ、礼を言って退出させる。

 

 地図には王都からベラクルスへ続く道と、領都から西へ進む道が見えていた。

 

 長い方の経路には、渡河点と宿場を示す印がある。

 

「最初の照会は、王命を受けてすぐだ。返事を待つ間にも、出動の準備は進めた」

 

 控えを開き、問いと回答の要旨を並べる。

 

 王都防衛および既存任務のため、派遣可能な部隊を確保できない。

 

 短い文面だった。

 

「再照会もした。派兵不能と言うなら、どの部隊が何の任務に就いていたか、と」

 

「返答は?」

 

「国防上、部隊配置の詳細は出せない。所管の官署で扱う、と」

 

 真壁は読み終えた頁を戻し、文書番号へ目を留めた。

 

「実数の回答はありませんな」

 

「ない。部隊の区分と、回答の窓口は残った。だが、何人を動かせたかがない」

 

 アルベルトは父への報告控えも開いた。

 

 初回の照会から再度の返答まで、経過を書いた頁だ。

 

「父上にも、ここまで伝えている。父上からも軍務省へ、派兵不能の根拠を調べて報告するよう求めた」

 

 アルベルトは報告控えの次の頁を開いた。

 

 父から届いた経過の知らせが、同じ綴りに残っている。

 

「提出されたのは、部隊配置と既存任務の概要だった。兵籍と当日の動員記録を照合し、実際に出せた人数を裏付ける資料までは揃わなかった」

 

「軍務省がまとめた説明の外へは、まだ出られなかったと」

 

「ああ。父上は実員の照合も求めた」

 

 その後の催促についても、父の知らせに記されていた。

 

「救援と復旧を進める間も、その後も、原簿の提出を求め続けた。だが、兵籍と当日の動員記録は揃わず、独立した確認は未了のままだ」

 

 アルベルトは、未回答の項目を記した紙片をその頁へ重ねた。

 

「父上が知らずにいたわけではない。何を確かめ切れていないかも、ここに残っている」

 

 国軍の兵籍も配置表も、この棚にはない。

 

 領軍を点呼することはできても、王都の兵を勝手に集めて数える権限はなかった。

 

 真壁は地図の短い道を指し、すぐに手を引いた。

 

「近いというだけで、動かせたとは申せません。既存任務の中身を確かめる必要はあります」

 

「それを聞いているのだ。陛下の命令で動いた我が軍には、なぜそうなったのかを知る必要がある」

 

 アルベルトの指は、領都から西へ延びる道に置かれたままだった。

 

 兵を出すため、こちらで残す者の役目を組み替えた。

 

 傷んだ装備を急いで直し、歩かせる者へ糧食を渡した。

 

 救援を止めて答えを待つという選択は、あの時にはできなかった。

 

「問いを残しておかれたのですな」

 

「残しただけで満足したわけではない」

 

 真壁は短くうなずき、ノートを開いた。

 

「この番号と、対象の期間、回答部署を控えてよろしいか」

 

「それは構わん。機密扱いの全文は、こちらに置く」

 

 真壁のペンが、後で参照できる欄だけを拾っていく。

 

 アルベルトはその脇に地図を残し、王都側の部隊区分の記載を示した。

 

「定員があることと、そこに兵がいることも違う。所属していても、その日に出せるとは限らん」

 

「装備や補給が整っているかも、別ですな」

 

「ああ。だから、名簿の人数を答えにされても足りない」

 

 真壁は最後の欄を書き終え、ノートを閉じた。

 

「軍の原簿を扱うのは、王国側の仕事です。私は、品物の出入りからなら話を聞けましょう」

 

 アルベルトは棚へ目を向けた。

 

 まだ片付けることのできない控えがある。

 

 今回は、軍の船を求める理由と一緒に、父へ改めて問いを出せる。

 

「その前に、我が軍の補給を見てもらいたい。使った装備が、ちょうど戻っている」

 

 去年の地図を畳むと、渡河点の印が折り目の内側へ隠れた。

 

 

 

 補給場へ着くと、炊事場から湯気が流れてきた。

 

 訓練を終えた兵が靴紐を緩め、足を抜いている。

 

 靴底の泥は乾いていたが、脱いだ内側にはまだ湿り気が残っていた。

 

 アルベルトは真壁を連れ、補修を受け付ける台の前へ立った。

 

「こちらの範囲だけなら、見てもらって構わん」

 

 補給担当者が礼をし、台に並ぶ靴を示した。

 

 踵の減ったもの、縫い目が開いたもの、底を直せばまだ履けるものが分けてある。

 

 針を持つ者は顔を上げず、革を貫いた糸を引いた。

 

「これも、まだ戻せるか」

 

 アルベルトが1足を取ると、担当者は底を見た。

 

「ええ。ただ、いま履いている者には、その間の代わりが要ります」

 

「予備から回すのだな」

 

「足に合うものを探してからです」

 

 近くの兵が、片足だけ新しい靴に入れ替えた。

 

 立って重みを掛け、紐を結び直す。

 

 真壁はその足と、脱いだ靴の両方を見た。

 

「新しい靴を100足納めても、100人に支給されたとは限りませんな」

 

「予備にも回しますし、寸法違いもある。修理に出す分もございます」

 

 担当者は靴についていた札を確かめ、補修の台へ戻した。

 

 誰に渡したものが、いつ戻ったかを帳面へ入れる。

 

 真壁は書かれた数より、その札の擦れた端へ目を留めた。

 

「返ってくる品にも、手が掛かる」

 

「返ってこない分もございます。廃棄したのか、まだ使っているのか、確かめねばなりません」

 

 脇では、兵が替えの紐を受け取っていた。

 

 帳簿を待たずに先へ歩き出そうとすると、担当者が呼び止め、受け渡しを済ませる。

 

「王都で補充するなら、どこへ頼む?」

 

 アルベルトが尋ねた。

 

「取引のある問屋はいくつかございます。軍向けも民間向けも扱う店なら……」

 

 担当者は候補を挙げ、それぞれの扱う品と道順を紙へ書いた。

 

 どの店も軍の秘密に通じているという話ではなく、傷んだ靴の代わりを揃える時に頼む相手だった。

 

「押入商会でも、工事と輸送に使う靴が要る」

 

 真壁が、民間用品も扱う店の項目を押さえた。

 

「補修しやすいものを、継続して仕入れたい。今日、こちらを見てきましょう」

 

「紹介を受けたと話して構わん。軍の調達を代わりに進めるわけではないと伝えてくれ」

 

「承知しました」

 

 真壁は紙を畳んだ。

 

 その後ろで兵が歩き出し、新しい底と古い底が、違う音を立てた。

 

 アルベルトは履き直された足を見送り、補修の台へ残った靴を戻した。

 

 

 

 真壁は訪れたことのある王都の安全な場所へ《転移》し、人の往来を避けて街路へ出た。

 

 紹介された店までは歩いて向かう。

 

 革を扱う一角に近づくと、靴底を打つ槌の音が重なって聞こえた。

 

 軒先で油を含んだ布が絞られ、陽を受けた革紐に艶が浮いている。

 

 真壁は目印を確かめ、問屋の店先で声を掛けた。

 

「ヴァルディス侯爵軍の補給担当から、こちらを教わりました」

 

 主人は帳場から顔を上げた。

 

 押入商会の名を伝えた札を受け取り、奥の棚を見た。

 

「軍の追加注文か?」

 

「いえ。工事と輸送の作業靴を探しています。丈夫で、現場で補修しやすいものを」

 

「それなら、こっちだ」

 

 出された靴を、真壁は両手で受け取った。

 

 裏返し、底を押してから、縫い目と紐の通る箇所へ目を移す。

 

 主人は別の靴を隣へ置き、底の違いを指で示した。

 

「厚い方を選べば、それだけ重くなる。どんな場所で履く?」

 

「荷を扱い、足場の悪い場所も歩きます。壊れた時に丸ごと捨てる品では困る」

 

「直すなら、こっちの方が扱いやすい。底だけの注文も受ける」

 

 真壁は2つを並べ、棚にある寸法の札を読んだ。

 

「注文するなら寸法ごとだ。同じ靴ばかりでは現場で困る」

 

「承知しています。履く者に合わせて、継続して揃えたい」

 

「数を聞いてから、引渡しの時期を出す。見本でよければ、今日は値を出せる」

 

 主人は民間用品の帳面を開いた。

 

 真壁は用途を伝え、採寸後に数量を決めること、補修材も別に見積もることを頼む。

 

 出来上がった品をどこへ渡すかまで話が進むと、主人は奥へ呼び掛けた。

 

 倉庫係が木箱を運んできたが、途中で通れず、箱をいったん下ろした。

 

「また、あそこの前か」

 

 主人が口を曲げた。

 

「置き場さえあればな。軍へ渡すはずの品が奥を塞いでいて、普通の靴まで入らん」

 

「引き取りが遅れているのですか」

 

「遅れたというより、いつ来るのか分からん。勝手に処分もできん」

 

 倉庫係は箱を細い隙間へ回し、棚へ戻った。

 

 真壁は作業靴を卓へ置く。

 

「こちらの注文で、これ以上倉庫を狭くするわけにも参りませんな」

 

「だから、預けっぱなしにする注文は困る」

 

「その条件も見積もりに。こちらで引き取る段取りを付けます」

 

 主人は少し顔を緩め、納品の欄へ書き足した。

 

 真壁は奥の詰まった通路を見てから、相手へ顔を戻す。

 

「保管に関する契約は、どうなっています?」

 

「そこが、はっきりせんのだ。うちにある物と、うちの控えなら見せられるが」

 

「では、説明できる範囲を伺いましょう」

 

 主人は軍用品を売る話ではないと念を押した。

 

 真壁が了承すると、帳面を閉じ、裏の戸を開けるよう倉庫係へ頼んだ。

 

 

 

 2枚戸を開くと、革油の匂いが濃くなった。

 

 光が当たる通路では箱の角が明るく、奥の棚は暗い。

 

 倉庫係は手押し台をよけ、軍用品を積んだ場所へ案内した。

 

「こちらと、向こうの組です」

 

 木箱の札には、同じ納入先番号がある。

 

 注文の時期は違い、箱の識別も別になっていた。

 

 主人が1箱の開封を認めると、倉庫係は蓋を外し、新品の軍靴を出した。

 

 踵には減りがなく、底の縁にも歩いた傷がない。

 

「新兵向けの注文だ。寸法ごとに、ここへ収めてある」

 

 主人は自店の注文控えを示した。

 

 真壁は靴へ手を伸ばさず、控えと箱の札を見比べる。

 

 注文書の後に、検収と受領の控えが続いていた。

 

「受領の扱いにはなった。代金の話は進むのに、置き場はうちのままだ」

 

「受領した場所は?」

 

「その兵舎だ。だから、引き取ると思ったんだが」

 

 真壁の目が、旧兵舎を記した宛先の下で止まった。

 

 指定納入先にて引渡し、現地検収完了。

 

 その指定納入先には、旧兵舎の所在地が記されていた。

 

 受領者の記載と部署、日付が続く。

 

「ここにあるのは、ご主人の保管記録ですな。では、この『現地検収』は、どこで行われたのでしょう」

 

 主人は書類を引き寄せ、今度は自分でもその箇所を読んだ。

 

「書いてある場所なら、兵舎だろう」

 

「箱は動いておりません。少なくとも、この倉庫からは」

 

 倉庫係が保管台帳を開いた。

 

 箱ごとの搬入と出庫を記す頁に、該当の識別番号がある。

 

 近くの客の品には出庫の書込みがあり、こちらにはない。

 

「戻ってきた物では?」

 

「出ておりません。戻った時は、そちらにも入れます」

 

 係が別の品の欄を示した。

 

 真壁は説明を聞き、最初の注文と後の注文の番号を1つずつ追った。

 

 後の分にも受領の控えがあり、納入先は同じ番号だった。

 

 旧兵舎を引渡し場所とする記載も、現地で検収を終えたという文言もある。

 

 それに対応する木箱も、隣の棚に残っている。

 

「軍がこちらで検収し、そのまま保管を頼んだことは?」

 

「引き取りを待てとは言われている。ただ、場所代を誰へ請求するのか、いつまで待つのかは決まらん」

 

 主人が出したのは、引取り先を変更する旨の連絡だった。

 

 真壁は最後まで読み、紙を置いた。

 

「この連絡とは別に、こちらへ預ける契約はありますか」

 

「見つからん。それがあるなら、俺だって先に出している」

 

 声が強くなり、主人は箱の蓋へ手を置いた。

 

「靴は作った。取りに来るなら渡す。だが、出したことにして帳面を閉じるわけにはいかん」

 

「ええ。店の記録は、そのまま残してください」

 

 真壁は受領控えをもう一度見た。

 

 販売済みの物を店で預かること自体は、取引としてあり得る。

 

 ここで検収していたなら、その記録もあるはずだった。

 

「文面の意味から調べましょう。軍が別途預かりを命じた可能性もあります」

 

「それを、どこへ聞けばいい?」

 

「まず、記された宛先が今どう使われているかを見てきます。所在地を教えていただきたい」

 

 主人は納入先の控えを取り、通りの目印を説明した。

 

 歩いて往復できる範囲だった。

 

 真壁は宛先と受領日をノートへ控え、主人に読み違いがないか確かめてもらう。

 

 箱は蓋を戻され、軍靴は倉庫に残った。

 

 

 

 控えに記された建物へ近づくと、車輪が踏む麦の殻が道端にたまっていた。

 

 古い門柱が2つあり、内側へ荷車が入っていく。

 

 真壁は通りの目印を確かめ、向かいの公道で足を止めた。

 

 兵舎だった門の留め具が残っている。

 

 その上の看板には、官営の穀物保管施設と記されていた。

 

 人夫が麦袋を肩へ載せ、庇の下へ運んでいく。

 

 荷車の縁から白い埃が落ち、御者が布で口元を拭った。

 

「以前は兵舎だったそうですな」

 

 真壁が声を掛けると、御者は看板を見上げた。

 

「そう聞いてる。今は麦を運び入れるだけだ」

 

「いつ頃からでしょう」

 

「俺がこの仕事を始めた時には、もう麦倉だよ。正しい年はあの札を見な」

 

 指した先に、官の掲示があった。

 

 施設の用途変更と、公共倉庫として使い始めた時期が示されている。

 

 真壁は近づき、掲示の発出元と日付を読んだ。

 

 ノートの受領日を開き、2つを見比べる。

 

 問屋の後の注文が現地検収済みとされた時には、ここは既に穀物施設として使われ始めていた。

 

 真壁は前後関係を控え、所在地の目印も添えた。

 

「靴を届けに来ても、少々困りますな」

 

「麦袋の横へ置くなら、場所は欲しいがね」

 

 御者は軽く笑い、人夫が戻ってきたのを見て荷台の縄を外した。

 

 真壁も道の端へよける。

 

 軍靴を運ぶ者は見当たらず、穀物の荷は途切れなかった。

 

 それでも、兵の移転先を御者に尋ねることはしなかった。

 

 この者が知っているのは、自分の運ぶ麦と、いま使う入口だ。

 

 真壁は門の内側へ入らず、もう一度掲示へ目を戻した。

 

 兵舎の古い名称が、書類の宛先として残ることはあるだろう。

 

 その名称が別の受取場所を指すのか、ここで品物を受け渡したという意味なのか。

 

 そこは軍側に尋ねる必要があった。

 

 倉庫番が門の脇から出て、次の荷車を招き入れる。

 

 真壁は掲示の文言をノートへ写し終え、看板と門柱の位置を確かめた。

 

 公道で見たものを、施設の正式な転用命令を読んだことにはできない。

 

 ノートの欄外へ、掲示による確認、と短く加える。

 

 車輪が石の継ぎ目を越え、荷台の麦袋が一度揺れた。

 

 門は空ではなかった。

 

 そこへ届くものが、受領控えに書かれたものと違っていた。

 

 真壁は荷車が通り終えるのを待って、問屋へ戻る道を渡った。

 

 

 

 問屋へ戻ると、主人は作業靴の見積もりを帳場に用意していた。

 

 職人が最後の荷を結び、倉庫係は通路を空けている。

 

 真壁は靴の仕様と補修材の項目を確かめてから、旧兵舎の話をした。

 

「あそこは、今は官営の穀物倉庫です。用途変更の掲示もありました」

 

「だから引き取り先が変わったのか」

 

 主人は連絡の控えを引き寄せた。

 

「だが、変えた先へ誰が運ぶ? その間、うちへ置く場所代は誰が払う?」

 

「それを、契約の相手へ明らかにしていただきましょう」

 

 真壁が返すと、主人の手が止まった。

 

「俺は軍を訴えたいわけじゃない。商売ができる場所を返してほしい」

 

 奥では倉庫係が、軍靴の箱を避けて手押し台を曲げていた。

 

 主人はその方を見てから、声を落とす。

 

「軍の注文が切れれば、困る職人もいる。それで軍と喧嘩にならんか」

 

「先に結論を決めては、相手にも説明のしようがありません。引渡しと保管の根拠を、正式に尋ねるための資料にしましょう」

 

 真壁は、アルベルトを通じて宰相府の所管照会に渡すと説明した。

 

 店の名も受領者の名も、資料を扱う関係官署での照合に使う。

 

 町へ告発を広めるためのものではない。

 

「誰へ渡すかを、こちらの控えにも残してくれるか」

 

「結構。写しを作る手間にも、対価をお支払いします」

 

 主人は倉庫係を呼び、自社の注文書と受領控えを出した。

 

 引取り先変更の連絡と、保管台帳の該当する頁も続く。

 

 真壁は用途と渡す範囲、写しの作成料を紙に記し、主人に読んでもらった。

 

「原本はうちへ残す」

 

「もちろんです」

 

 倉庫係が写しを作り、箱の札の識別を添える。

 

 数字の似た箇所では、主人が原本を指し、2人で読み合わせた。

 

 受領者の記載、発出部署、日付、現地での引渡しを示す文言は省かなかった。

 

 主人が照合した写しへ印を押す。

 

 真壁は受け渡しの記録を残し、合意した作成料を払った。

 

「箱は、このままでよいのだな」

 

「ご主人の保管記録どおりに。場所を変えるなら、その経過も残してください」

 

 真壁は写しと自分の現地メモを分け、紐で束ねた。

 

 倉庫係が話した搬出の有無も、係から聞いたこととして記す。

 

 最後に、作業靴の見積もりを別の包みへ入れた。

 

「こちらの注文は、寸法と数量を揃えてから改めて伺います」

 

「そっちは、ちゃんと取りに来てくれよ」

 

「引き取る日も含めて決めましょう」

 

 主人が初めて、声を出して笑った。

 

 真壁が店を出ると、後ろで倉庫の戸が閉まる。

 

 新品の軍靴はまだ棚にある。

 

 持ち帰る包みには、その置き場所を尋ねるための写しが入っていた。

 

 

 

 夕刻、侯爵館の廊下で夜番への引継ぎが始まっていた。

 

 真壁は訪問済みの領都へ《転移》してから歩いて戻り、執務室の扉口に立った。

 

 アルベルトは午前の控えを閉じずに残していた。

 

「作業靴は見つかったか」

 

「見積もりは、こちらに。それとは別に、ご覧いただきたいものがあります」

 

 真壁は2つの包みを別々に置いた。

 

 革問屋の自社控えの写しを開き、倉庫の現物を見た範囲から報告する。

 

 注文の違う二組の軍靴が残っていたこと。

 

 搬出がないという倉庫係の説明と、その保管台帳。

 

 宛先の旧兵舎で現地引渡し、検収完了と読める受領控え。

 

 アルベルトは聞きながら、写しの出所と問屋の印を確かめた。

 

「軍が買って、そのまま問屋へ預けたのでは?」

 

「その可能性はあります。主人が示せたのは、引取り先変更の連絡でした。保管の根拠は、まだ分かりません」

 

 真壁は次に、公道から見た旧兵舎の様子を伝えた。

 

 麦袋を運ぶ荷車と、官営穀物倉庫の看板。

 

 掲示の供用開始時期は、少なくとも後の受領控えの日付より前だった。

 

 アルベルトは受領の頁を戻し、現地検収の文言へ目を寄せた。

 

「旧い兵舎を宛先にしていただけかもしれん」

 

「ええ。ですが、記載の現地で受領したというなら、誰がどこで確かめたのでしょう」

 

 しばらく、紙をめくる音だけになった。

 

 問屋の写しには、受領者と担当部署がある。

 

 午前の軍務省回答には、回答窓口と部隊区分がある。

 

 アルベルトは2つを隣へ置いたが、線で結びはしなかった。

 

「この発注が、去年の回答で示された部隊のものかは、まだ分からんな」

 

「王国の原簿で照合していただく必要があります」

 

「……前に問うたのは、出せる兵の数だった。今度は、軍へ届いたことになっている物か」

 

 朝、補給場で兵が履き直した靴を思い出した。

 

 予備の分も、修理の代わりもあった。

 

 この箱数から兵の人数を決めることはできない。

 

 だが、何を誰が受け取ったかなら、番号と署名から尋ねられる。

 

「商人として確かめられたのは、ここまでです」

 

 アルベルトは去年の王命へ目を落とした。

 

「あの時、王都の兵はどこにいたのか。今度こそ確かめねばならんな」

 

「ええ。そのための記録が、1つ増えました」

 

 アルベルトは書記を呼び、父への正式照会を起こさせた。

 

 去年から伝えていた軍務省への問いに、追加の現物資料が得られたと書き出す。

 

 当時の派兵不能という回答に対応する部隊配置と、実際に動員できた人数を確かめたい。

 

 次に軍靴の注文番号を添え、検収、引取り、保管の指示を問う。

 

 旧兵舎が転用された正式な時期と、新兵向けの注文に対応する入営、支給の記録も照合を求めた。

 

「軍務省の回答だけで、確認を終えないように」

 

 書記のペンが止まった。

 

「宰相府、財務側など、独立に原簿を確かめられる経路を父上に求める。どの権限で進めるかは、向こうの判断だ」

 

 真壁は問屋の了承した利用範囲を示し、同封する写しを揃えた。

 

 アルベルトは照会の文面を読み直して署名し、封をさせる。

 

 旧い回答は手元に残し、その番号を新しい文書へ添えた。

 

 書記が通常の送達へ回す封書を受け取る間、封蝋が固まるのを待つ。

 

 窓の向こうで炊事の煙が上がり、庭を通る者が厨房へ声を掛けていた。

 

「救援を待っている者に、また1週間を使わせるわけにはいかん」

 

 真壁は短くうなずいた。

 

 封書が運ばれると、アルベルトは机に残った去年の王命へ手を置いた。

 

 窓の外では、夕餉を知らせる声が続いていた。

 

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