押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第419話 存在しない兵は運べません

 

 真壁が辿っていた記憶の中で、厚い帳簿が開かれた。

 

 紙の縁には、何度も同じ箇所へ戻った跡がある。

 

 欄を埋める人数と、招集の場で数えられた人数は、一致していなかった。

 

 負傷、病欠、別の任務への移動。

 

 理由を添えられた行もあるが、それらを除いてなお、所在の説明がつかない名が残る。

 

 同じ軍務系貴族の管理する部隊に、その空白が偏っていた。

 

 真壁は、ベルクマンが手を掛けた頁を辿った。

 

 本人が見た帳簿と、本人が聞いた返答である。

 

 その時、室内の窓の外には雨が降り、廊下を渡る靴の音が湿っていた。

 

「閣下。兵籍にある人数と、実際に招集できる人数が一致しておりません」

 

 記憶の中で、ベルクマンが進言書を差し出した。

 

「負傷者もおれば遠征中の者もいる。数字が違うことなど珍しくあるまい」

 

 軍務大臣は、表紙をめくっただけでそう答えた。

 

「事情の判明している者は除いております。それでも、所在の説明がつかぬ兵が残ります」

 

「では部隊長へ問い合わせよ」

 

「既に照会いたしました。書面上の定員を繰り返すだけで、点呼の実績が提出されません」

 

 ベルクマンは、問い合わせた文書の控えを、報告の脇へ置いた。

 

 大臣の指が、その宛先で止まった。

 

「伯爵家の軍務管理に、次官が直接口を出すつもりか」

 

「爵位の問題ではございません。国庫が養っているはずの兵が、出動できるかという問題です」

 

「諸侯が反発すれば、軍全体が乱れる」

 

「現に乱れております。報告書の上ではなく、招集の現場で」

 

 大臣は帳簿を閉じた。

 

 その手の下には、欠員を踏まえた臨時の編成案が残っていた。

 

「……今日のところは差し戻せ」

 

「差し戻すのであれば、実員確認だけでも命じていただきたい。問題のない部隊まで止める必要はありません」

 

「今は諸侯を刺激する時期ではないと言っておる」

 

「では、いつがよろしいのでしょう」

 

 雨が窓を叩き、返事のない間を埋めた。

 

「下がれ、ベルクマン」

 

 次に辿った記憶には、ベラクルスへの救援について集められた報告があった。

 

 先ほどより慌ただしい声と、開かれたまま重ねられる紙の束がある。

 

「王都守備を残してなお送れる兵が、予定数に届きません」

 

 報告官の声に、ベルクマンが顔を向けた。

 

「届かない理由を部隊ごとに示してください。通常の守備と、所在不明を同じ理由にしてはなりません」

 

「王命はヴァルディスへ伝わっておる。こちらは王都の守りを固める」

 

 軍務大臣は、机の上の報告を脇へ押した。

 

「閣下、数字の差は消えません」

 

「分かっておる!」

 

 声が途切れ、真壁の前へ、今夜の執務室が戻った。

 

 ベルクマンの椅子は空いており、机の灯りは燃えている。

 

 廊下を来る足音に、真壁は顔を上げた。

 

 音は扉の前を通り、そのまま遠ざかった。

 

「知らなかったのではない。手を下さなかった、ということか」

 

 真壁は、差し戻された進言書の受領番号を覚えた。

 

 全軍の実数が、ここで分かったわけではない。

 

 だが、実数を確かめる案を受け取り、実行しなかった者へ辿る道は見えた。

 

 

 

 ベルクマンの記憶には、差し戻された書類の後にも、仕事の続きがあった。

 

 招集できる兵だけで編成を組み直し、王都防衛に残す者と、救援へ回す者を分ける。

 

 糧秣の割付も、帳面の定員ではなく、実際に食べる人数へ合わせようとしていた。

 

 調査が終わるまで、何もできないと諦めた案ではない。

 

 真壁は収納内のベルクマンへ、改めて詳しい《鑑定10》を掛けた。

 

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フリードリヒ・ベルクマン

 分類:人間

 現在ジョブ:軍政官

 レベル:17

 前職:兵站官 Lv14

 前々職:文官 Lv11

 状態:仮死

 身体異常:心肺停止

----------------------------------

基礎能力値

 体力:72

 筋力:53

 器用:106

 知力:129

 判断:133

 精神:125

 集中:137

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既得スキル

 兵站:10

 行政:10

 書類読解:10

 監査:9

 組織管理:9

 軍略:9

 指揮:8

 政策立案:9

 交渉:8

 会計:9

 鑑定:6

 礼法:7

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 表示を読む真壁の眉が、わずかに上がった。

 

「軍を動かすには、まず糧と人員。よく分かっているようだ」

 

 兵站と行政に並ぶ数値を見て、先ほどの再編案を思い返す。

 

 別々の保管部署から根拠を集め、必要な兵と物を揃え、決裁できる形へまとめる。

 

 ただ数字の間違いを探すだけなら、ここまでの腕は要らない。

 

「報告だけで終わらず、再編の順序まで組んでいるとはね」

 

 灯りの下の机には、大臣宛ての書類が置かれている。

 

 真壁はそれを手に取らず、表紙へ目を落とした。

 

 仕事を進める力がある者と、進める許しを出す者が、別々にいる。

 

 平民の次官が用意した案は、爵位を持つ者へ配慮する言葉の下で止まっていた。

 

 真壁の口元に、薄い笑みが浮かんだ。

 

 これほどの人物なら、副官に欲しい。

 

 だが、商会へ迎えるだけでは、王都の軍は変わらない。

 

 むしろ、次の軍務大臣へ。

 

 その考えを、本人に話すつもりはまだなかった。

 

 任命を決めるのは真壁ではなく、今ここで椅子を替えることもできない。

 

 彼は手袋の指を揃え、鑑定表示から意識を外した。

 

 まずは、目の前の男の仕事を動かす。

 

 

 

 必要な原簿の所在は、ベルクマンの記憶にあった。

 

 しかし、それを順に盗み出しただけでは、部署をまたぐ数字の意味まで揃わない。

 

 真壁は、差し戻された進言書に関わる記憶へ戻った。

 

「君の仕事は、まだ終わっていないようだね」

 

 収納内の男は、返事をしない。

 

 真壁はその記憶へ干渉し、今夜、先送りされた是正報告を仕上げるよう、一度限りの暗示を加えた。

 

 次官が自ら照会し、閲覧できる記録を集め、真壁へ渡す。

 

 翌朝にはクラウスへ、本人が説明する。

 

 その一連の仕事を、以前から進めていた報告の続きを終えるものとして認識させた。

 

 今夜の整理と翌朝の報告を終えるまで、真壁を信頼できる協力者と認め、必要な資料の複写を受け入れるようにも干渉した。

 

 拘束され、仮死となり、収納された出来事と、暗示の由来は想起させない。

 

 古い職務知識を消したり、以後の忠誠を作り替えたりはしなかった。

 

 それでも、ただ記憶を読んだだけではない。

 

 真壁は短く息を整え、収納からベルクマンを取り出した。

 

 椅子へ身体を支え、備えていたエリクサーを使う。

 

 止まっていた胸が動き、脈が戻った。

 

 呼吸が続くのを確かめてから、真壁は手を離した。

 

「……あれ。私は、何を……」

 

 ベルクマンは、机と自分の手を見た。

 

 真壁へ目を上げても、先ほどの警戒は戻らなかった。

 

 なぜこの男がここにいるのかという疑問は、報告をまとめる協力者だという認識に押し退けられた。

 

「ずいぶんお疲れのようですな。ご無理はなさらぬことだ」

 

「……進言書が、まだ整理できていない」

 

 ベルクマンの指が、机の端の控えへ伸びた。

 

「では、整理なさるがよい。必要であれば、私が資料の取りまとめをお手伝いしましょう」

 

「今夜のうちに確認します。軍務省の記録は、持ち出した写しだけでは足りません」

 

「結構。必要な部分は、あなたにお任せする」

 

 ベルクマンは紙を開き、次に参照する綴りを選んだ。

 

 その手つきは、記憶で見たものと同じだった。

 

 真壁は裏手で資料を受け取る場所を告げ、翌朝の集合場所と時刻も、言葉で取り決めた。

 

 ベルクマンは短く復唱し、紙の余白へ書き留める。

 

 身体を動かし、机に向かって仕事を続けられることを見届けてから、真壁は扉へ向かった。

 

 澪は、まだ入口で待っている。

 

 彼女との約束に反する作業を終えた手で、真壁は取っ手を下げた。

 

 

 

 入口近くへ戻ると、澪が鞄を抱えたまま立っていた。

 

 真壁の姿を見て、肩から力が抜ける。

 

 それからすぐ、廊下へ目を向けた。

 

「今なら、人がいません」

 

 澪は《関門接続》を開き、先の路地を覗いた。

 

 真壁を通してから、自分も外へ出る。

 

 接続が閉じると、壁の向こうの足音は聞こえなくなった。

 

 冷えた夜風を吸って、澪はようやく長く息を吐いた。

 

 真壁は歩き出し、軍務省から離れた路地で足を止めた。

 

「ご心配をお掛けしたね、澪君。御覧のとおり、私は無事だ」

 

 革手袋を外しかけた手を、澪は見ていた。

 

「……見てたんですけど」

 

「ほう。《世界地図》かね」

 

「赤い人が現れて、急に灰色になって、消えたんです。そのあと、同じ所に青い反応が出ました」

 

 真壁の手が止まった。

 

 澪は鞄の留め金へ指を掛けたまま、返事を待った。

 

「そうか。では、隠し立てもできんな」

 

「隠せると思ってたんですか?」

 

「いや。少々、見込みが甘かった」

 

「人が1人、消えたんですよ。途中で。あれ、心臓を止めて収納したんですよね」

 

「ええ。幸い、もう回復している」

 

 無事だという言葉が、澪の胸の奥へ遅れて届いた。

 

 消えたままだったら、何をするつもりで待っていればよかったのか。

 

「前に周さんにしたのと同じですよね。あの時も、私、横にいましたよ」

 

「あの時のことを忘れたわけではないよ」

 

「じゃあ、分かりますよね。心臓を止めたあと、真壁さんが何をできるか」

 

「……何を尋ねたいのかは、分かる」

 

「記憶を見たんですか」

 

「見た」

 

「書き換えました?」

 

 真壁は否定しなかった。

 

 いつもの薄い笑みも、浮かべなかった。

 

「今は、その問いにお答えすることはできない」

 

「……つまり、答えられないことをしたんですね」

 

「君には、そう受け取られても仕方があるまい」

 

 路地の口を馬車が通った。

 

 澪は一度そちらを見て、人影がこちらへ曲がらないのを確かめた。

 

 声を大きくすれば届いてしまう距離だった。

 

「私、言いましたよね。記憶を見ることと変えることは別だって」

 

「聞いていたとも」

 

「なのに、やったんですか?」

 

「言い訳をすれば、よけいに君を侮ることになる。少なくとも、そういう話だ」

 

「言い訳じゃなくて、説明してください」

 

 留め金から指を離すと、押さえていた跡が残っていた。

 

「できるところまで、いずれ説明しよう。だが今は、相手の身柄と仕事を守る必要がある」

 

「その人、何か悪いことをした人なんですか?」

 

「悪人と決めてはおらん。むしろ、この国には必要な人材かもしれん」

 

「……だったら、どうしてそんなことをするんですか」

 

「この国の軍に、ひどく面倒な穴がある。穴を隠したまま、次の災害を迎えさせるわけにはいかんのでね」

 

「人を勝手に変えていい理由にはなりません」

 

「正しいことをした、と申し上げる気はありませんな」

 

 澪には、自分の声が震えずに出ていることが不思議だった。

 

 その分、言葉を1つずつ選べた。

 

「分かってるなら、なおさらです。私に《関門接続》を頼んだ時、約束したじゃないですか」

 

「その責は私にある。君に被せるつもりはない」

 

「私に扉を開けさせておいて、『責任は私に』って、それで終わりですか?」

 

 真壁の返事が止まった。

 

 遠くで商店の戸を閉める音がした。

 

「……終わりにはできんだろうな」

 

「じゃあ、これから何をするのか、ちゃんと教えてください」

 

「軍籍と給金、装備の記録を揃える。昨年の派兵で何が起きたのか、侯爵閣下に報告するためだ」

 

「それは分かりました。……その人には、何をさせるんですか?」

 

「本人の扱える記録を、整理してもらう」

 

「『本人が』そうしたいって言ったんですか?」

 

 また、間があった。

 

「今夜は、その先まで話せない」

 

「……やっぱり、何か隠してる」

 

「君には腹を立てるだけの理由がある。否定はせんよ」

 

 澪は軍服の襟から、真壁の顔へ目を戻した。

 

 戻ってきてくれてよかったと、今も思っている。

 

 その気持ちを取り消せないことが、つらかった。

 

「真壁さんが帰って来なくなるんじゃないかと思ったんです。だから、無事でよかった。でも……」

 

「……ああ」

 

「無事だったら何をしてもいい、なんて思えません」

 

「そうだな」

 

 澪は鞄を持ち直した。

 

「これからは、私が知らないことのために、扉を開けさせないでください」

 

 真壁は、外しかけていた手袋を下ろした。

 

「承知した」

 

「……明日、帰ってきたら、続きを聞きます。逃げないでくださいよ」

 

「無論。君を言いくるめて済む話ではないからね」

 

 澪は事業所へ《関門接続》を開いた。

 

 真壁も一緒に通り、彼女がゲンダイへ帰るところまで見届けた。

 

 別れの挨拶はしたが、澪は笑わなかった。

 

 戸を閉じてからも、手帳に挟んだ、潜入前の約束を書いた紙を捨てる気にはなれなかった。

 

 

 

 軍務省の記録棚で、ベルクマンは以前の控えを開いた。

 

「去年の動員記録を先に。平時の定員を見ても、出せた人数は分からん」

 

 机へ置いた紙に帳簿番号を控え、欠員の理由欄を辿る。

 

 病欠には報告の所在があり、異動には別の部隊へ送られた日付があった。

 

「では、この空白は何だ……」

 

 その行を埋めるために、隣の棚から給金の綴りを出した。

 

 申請額だけで支払い済みとはせず、受領の署名がある簿冊を選び直す。

 

 今夜こそ報告をまとめなければならないという気持ちが、仕事を急がせていた。

 

 それを自分の決心だと思うベルクマンは、その由来を振り返らなかった。

 

 閲覧できる原簿を部署ごとに台車へ並べ、提出できる自分の控えは別にした。

 

 差し戻された進言書には、大臣側の受領記録も残っていた。

 

 ベルクマンは、その頁にも札を挟んだ。

 

 真壁が王都の既訪地点へ戻り、裏手の合流場所へ歩いて来た時、ベルクマンは台車を引いていた。

 

 真壁は軍服をしまい、商人の服と地味な外套へ戻っている。

 

「お待たせした。首尾はいかがかな」

 

「主要な照合に必要な綴りは揃いました。ただし、原簿を全部ここから動かすのは適切ではありません」

 

「無論だ。出どころの分かる写しと、元の場所へ戻れる順序が欲しい」

 

「兵籍は兵務、給金は主計、軍靴の発注は装備です。部隊番号だけでは同じ部隊へつながりません」

 

「同じ数字を使っている所も注意が要ります。定員を出動人数へ、そのまま転記している可能性があります」

 

「どの頁でしょう」

 

 ベルクマンが綴りを2つ開いた。

 

「こちらは昨年の点呼。こちらは同じ部隊の、前月の在籍一覧です。照合欄が空白のままになっています」

 

「責任者が署名していない」

 

「この頁だけでは実員を証明できません。別の帳簿に署名があるかを確かめます」

 

 真壁は、用意していた札へ出典を書き付けた。

 

「軍靴については、どうですかな」

 

「検収官署の帳簿には受領があります。しかし、部隊への支給記録が見当たりません」

 

「受領した靴が、問屋の倉庫に残っている可能性もある」

 

「そうであれば、何の名目で預けたかの記録が要ります。預託自体を不正と決めてはいけません」

 

「次官であっても、諸官署の原簿を独断で外へ持ち出す権限はございません」

 

「ここで順に拝見し、写しを取らせていただく。照合の鍵になる頁を、選んでいただけますかな」

 

「表紙、日付、該当頁、それに次の綴りへ続く番号を外さず記録してください」

 

 真壁は綴りを1つずつ《収納》へ収めた。

 

 収納内のスキャナで表紙と該当頁を読み取り、裏面や訂正箇所も画像へ残す。

 

 終われば、その場で原本を戻した。

 

 ベルクマンは頁と札を見比べ、受け取った帳簿を元の束へ置く。

 

「この紙は、こちらではなく次の綴りです」

 

 真壁が差し込みかけた札を、次官が止めた。

 

「同じ日の報告でも、受けた部署が違います」

 

「失礼。では、分けておこう」

 

 肩書への遠慮より、間違いを止める方が先に来る。

 

 真壁は札を書き直し、返した原簿の所在と同じ番号を画像側にも付けた。

 

 原簿を返す手は慎重なのに、外部の商人へ機密を複写させることへの警戒は薄れていた。

 

 今回の協力者なら見せてよいという認識も、真壁が与えたものだった。

 

 その干渉で、資料を提供する正式な権限まで生じたわけではない。

 

「明朝、宰相閣下には、未確認の箇所も含めて報告いたします」

 

「結構。分からない箇所まで、隠す必要はありませんよ」

 

 原簿が元の束へ戻ると、ベルクマンは提出できる控えを、自分の鞄へ分けた。

 

 待ち合わせの場所と時刻を、2人はもう一度口に出して確かめた。

 

 台車が建物の中へ戻っていく音を聞いてから、真壁は外套を合わせた。

 

 

 

 侯爵領を経由して押し入れの戸を通り、ゲンダイ側の作業場所へ戻ると、真壁はPCを起動した。

 

 ファンの音が、夜の部屋へ広がる。

 

 軍務省で作った画像を移し、ベルクマンから聞いた出典と突き合わせた。

 

 収納した順ではなく、原簿を開く順に画像を並べ直した。

 

 同じ日付の動員報告が、別の部署から2つ出ていた。

 

 真壁はファイルを分け、取り違えないよう保管部署を名前に加えた。

 

 収納内でスキャンした進言書の控えには、折り目にかかる文字がある。

 

 手元へ出してその頁を伸ばし、もう一度読み取った。

 

 既に使っている異世界文書の翻訳処理へ画像を通すと、画面には日本語の行と列が並び始めた。

 

 画像を拡大し、訂正前の数字が集計へ残っていないかを見た。

 

 LLMへ表の差分候補を抽出させ、確認できるものと、推定にとどまるものを分けさせる。

 

 整形された表では、空白だった理由欄に、未申告という語が入っていた。

 

「空欄は空欄だ。欠員と断ずるには早い」

 

 元の画像を横へ出し、読み取りが欠けた下線と欄の境を直した。

 

 再処理した行から、余計な語が消える。

 

 次に開いた給金の表では、請求額が支払額と同じ列へ入っていた。

 

「こちらは請求した額。受け取ったとは書いておらんな」

 

 請求、支払、受領を別の列へ置かせ、署名の所在も添えた。

 

 病欠の理由や番号の違いを、機械がまとめて消していないかも調べた。

 

 軍靴の帳簿と問屋の受領控えを並べると、検収番号から辿れる部分と、まだ部隊へ結び付かない部分が分かれた。

 

 出典番号から原画像へ戻り、転記の違いを直していく。

 

 机の端の水を飲んだ時には、部屋へ戻ってから随分経っていた。

 

 要旨の後へ不一致の候補を並べ、原簿の所在、進言書の受領控え、追加の確認事項を続ける。

 

 提出用の文書には、自作して使ってきた異世界文字フォントを指定した。

 

 プリンタが紙を送り、異世界の文字が黒く並んで出てきた。

 

 真壁は最初の頁を取り、原簿番号と脚注を読んだ。

 

 印刷が止まると、普通に用紙を補充した。

 

 真壁は最後の束が出るまで、画面と紙を交互に見続けた。

 

 

 

 窓が白み始めた時、真壁は最後の対照表を開いた。

 

 帳簿上の定員、点呼で確かめられた人数、救援時に動員可能とされた人数。

 

 並んだ列の間には、まだ説明のつかない空白が残っている。

 

「兵がいない。あるいは、王都にはいない。それを調べる権限は、確かにあの大臣にあった」

 

 昨年の派兵不能についての回答を、隣へ置いた。

 

 王都防衛に充当しているという説明と、次官が提出した実員確認の案を読み比べる。

 

 案を受領した日付は、救援要請より前にある。

 

 真壁はその箇所を指で押さえ、薄く笑った。

 

「なるほど……軍を立て直すこともせず、今度は船を欲しがるとは」

 

 侯爵領の兵を運ぶ時には、飛行船は役に立った。

 

 乗り込む人間も、その人間へ命じる者も、そこにいたからである。

 

「実に結構なことですな。存在せぬ兵まで運べる船があるのなら、ぜひ拝見したいものだ」

 

 皮肉を口にした後、真壁は対照表を閉じた。

 

 架空だと確定していない欄には、要実査の注記を残してある。

 

 原簿の所在と部隊番号の対応を別に綴じ、ベルクマンの進言控えを添えた。

 

 その男の名前を見て、手が一度止まる。

 

 数字を取り違えた札を、次官はためらわずに止めた。

 

 大臣へ反発する言葉より先に、まだ実行できる再編案を用意していた。

 

 副官に置くには、惜しい。

 

 軍務大臣の席を任せたいという考えが、真壁の中で形になっていた。

 

「次は、働く大臣であっていただきたい」

 

 その人事案を、報告書に書き加えることはしなかった。

 

 今朝、宰相へ渡すのは、原簿へ辿るための資料である。

 

 真壁は束の端を揃えて綴じ、身なりを整えた。

 

 窓の光が、机に残った小さな紙片を照らしていた。

 

 

 

 王都へ戻り、取り決めた場所でベルクマンと合流すると、真壁は侯爵邸へ向かった。

 

 次官は自分の控えを入れた鞄を持ち、歩く間も提出する順序を口の中で確かめていた。

 

 軍務省の昨夜の灯りとは違う、朝の日が、その袖のインク跡を照らしている。

 

 応接兼執務室へ通されると、クラウスは来客を交互に見た。

 

「真壁君。昨夜はずいぶん大胆な話をしていたが……今日は次官までお連れかね」

 

「おはようございます、閣下。ご所望のものを、少々早くお届けに上がりました」

 

 真壁は《収納》から報告書を出し、机へ置いた。

 

 束が重なる音に、クラウスの目が下りた。

 

「私が欲しいのは、見栄えのよい報告書ではない。確かめられる記録だよ」

 

「無論。その点は、こちらの方が私よりよほど詳しい」

 

 真壁が一歩引くと、ベルクマンが進み出た。

 

「軍務省次官、フリードリヒ・ベルクマンでございます。昨年の動員に関する報告と、兵籍・給金・装備の照合に必要な記録を持参いたしました」

 

「私が何度も提出を求めた資料かね」

 

「はい。ただ、全件の照合が終わったわけではございません。提出できる控えと、原本の所在を示した一覧を分けております」

 

 クラウスは使用人を退出させ、文書を開いた。

 

「一晩で、何が変わった?」

 

「数字の根拠を確認する順序が揃いました。実際の点呼、給金の請求と受領、装備の検収と支給までを対照しております」

 

「では、軍務省の正式な実員確定表ではないのだね」

 

「ございません。照合のための整理表です。原簿の立会い確認が必要な欄には、そのように記しました」

 

 クラウスは印字の整った表をめくり、脚注を読んだ。

 

「よろしい。最初に、何を見ればよい?」

 

「この2冊です。去年の動員実績と、実際の点呼記録に関わる写しでございます」

 

 ベルクマンは別々の出典番号を示した。

 

「表題に並ぶ人数を比べるだけでは、不正は分かりません」

 

「病欠や、ほかの任務があるからか」

 

「はい。それらを差し引いても、説明の付かない欄が残ります」

 

 クラウスの指が、行の途中で止まった。

 

「ここだね。部隊長の証明は?」

 

「空白でございます。署名された別の帳簿があるか、保管部署で確かめる必要があります」

 

「兵がいなかったと断定するには早い。しかし、いたとも答えられない」

 

「そのとおりでございます」

 

 クラウスは椅子に深く座り直した。

 

 真壁はその間を待って、口を開いた。

 

「その空白を、王都防衛に充当したの一言で埋めるわけには参りますまい」

 

「……昨年のアルベルトへの回答か」

 

「ええ。どの兵がどこにいたのか。閣下も、それをお知りになりたいのでしょう」

 

「知りたいからこそ、勝手な結論で埋めてはならぬ」

 

「ごもっとも」

 

 真壁が一礼すると、クラウスは次の綴りへ手を伸ばした。

 

 薄い控えの表紙には、大臣宛ての宛名があった。

 

「こちらは、進言書かね?」

 

「兵籍の照合と、動員不能の理由調査、補給の再編を進言したものです」

 

「受領されている。いつ提出した?」

 

「昨年の災害以前でございます。補足の再提出も行いました」

 

 クラウスは受領の痕跡と、差し戻しの記載を見比べた。

 

「ベラクルスの救援要請より前から、問題を知っていた者がいた」

 

「少なくとも私は把握しておりました。そして報告は差し上げました」

 

「軍務大臣は?」

 

「ここに受領記録がございます。再編の実施は、諸侯との調整を理由に見送られました」

 

「君は、その判断に異議を申し立てたのかね」

 

「実員確認だけでも先行するよう求めました。しかし次官には、諸侯の指揮系統へ直接命じる権限がございません」

 

 ベルクマンは、再提出した控えを並べた。

 

 声を強めるより、日付と宛先を示す方が早かった。

 

「……確認しなければ、救援が必要な時に兵は集まらん」

 

「はい。船の速さでは、兵籍の不一致は埋まりません」

 

「運ぶための船より先に、運ばれる兵を数える必要があったわけですな」

 

 クラウスは真壁を見た。

 

「君は、どこまで知っていた?」

 

「必要な資料がどこにあるか、それを教えていただきました。私が整理したのは、その写しです。判断は閣下にお任せします」

 

「昨夜、君の潜入を許可した覚えはないよ」

 

「ええ。承知しております」

 

「承知している男の返答には、とても聞こえぬね」

 

 真壁は微笑まず、姿勢を保った。

 

「そうお叱りいただくのも、もっともです。ですが、この資料に目を通していただく価値はあると思いましてね」

 

「資料に価値があることと、その入手の仕方は別だ」

 

 クラウスは真壁から目を離し、ベルクマンへ問いを戻した。

 

「この報告書を、元の記録と確かめるには?」

 

「原簿の番号、保管部署、転記の所在が末尾にございます。正式な照合を行うなら、私が原本の位置をご案内いたします」

 

 クラウスは末尾の所在表を開いた。

 

 原簿へ戻る番号が、印刷された表の各欄へつながっている。

 

 机の脇の封蝋を退け、所在表を自分の前へ置いた。

 

「保全に必要な正式な権限は、私が先に確保する」

 

 クラウスは、給金の請求と支払いに関わる所在を、原簿の一覧と見比べた。

 

「責任者を立ち会わせ、原簿と支払記録を保全する。照合も、その場で行う」

 

「承知いたしました」

 

「大臣への通告と事情聴取は、保全が済んでからだ」

 

 ベルクマンが、開いた綴りへ目を戻した。

 

「進言書と受領記録の原本が、どこにあるか分かるね?」

 

「はい。いずれも所在を確認しております」

 

「よろしい。そこも外さず押さえる。帳簿を確かめる前に、人や記録を動かされては困るのでね」

 

 ベルクマンは閉じかけた鞄から、自分の控えをもう一度出した。

 

 今度は差し戻される束へではなく、宰相が指定した側へ置く。

 

 真壁は、その手の動きを見ていた。

 

 次官に、自分の仕事がようやく進んだという手応えはあるだろう。

 

 そこへ至る最初の一歩を、誰が選ばせたかは知らない。

 

「真壁君」

 

 クラウスが、真壁へ向き直った。

 

「これほどのことを、一夜でしてのけた目的は何かね」

 

「以前、閣下に申し上げましたとおりです。商会と、その関係者が安心して暮らせる国であっていただきたい。それだけですよ」

 

「君が、それだけと言う時は、特に用心しなければならぬようだ」

 

「……恐縮です」

 

 真壁の微笑は、短かった。

 

 クラウスは返事をせず、原簿の所在表へ目を戻した。

 

 ベルクマンがその脇へ立ち、最初に向かう保管部署を指で示す。

 

 真壁は一歩引いたまま、その姿を眺めた。

 

 いずれ、軍務大臣の席へ。

 

 誰にも告げない考えを残して、彼は朝日の入る窓から視線を戻した。

 

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