押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第422話 まだ王命は届いていません

 

 遠くの赤い反応は、川に沿って動いていた。

 

 真壁は《世界地図》の範囲を狭め、西の街道とは離れた集まりを追った。

 

 青い点のすぐそばで、赤が細く伸びている。

 

 川を渡るのではなく、1つの場所を両側から挟もうとしているように見えた。

 

「……これは西営とは別だな。ずいぶん遠くにいる」

 

 ベルクマンは、軍医へ渡しかけていた書面を担当官に託した。

 

「軍の部隊でしょうか」

 

「赤い点から、制服までは分からんよ」

 

 隣室では、水桶を下ろす音がした。

 

 運ばれてきた兵の靴から落ちた土が、まだ敷石に残っている。

 

 ベルクマンはその土を跨ぎ、壁際の地図を机へ広げた。

 

「位置を教えてください。そこに何を置いているかなら、こちらに地図があります」

 

 真壁の指が、紙の上で川筋を辿った。

 

 曲がり角を2つ過ぎ、細い支流が本流へ入る所で止まる。

 

 ベルクマンは地図の端を引き寄せた。

 

「ラウフェン河岸補給所です」

 

「軍の倉かね」

 

「兵糧と装備を置いています。川下の部隊へ送るための施設です」

 

 ベルクマンが示した倉の印の西側に、真壁は短い線を引いた。

 

 実際に見えている点を、紙へ1つずつ写すことはしなかった。

 

「多いのはこちらだよ。倉の近くにも人がいる。互いに寄ってきているな」

 

 ベルクマンは紙を押さえたまま、窓の外の伝令を見た。

 

 男は革袋を鞍へ結び、水を飲んでいる馬の首を撫でていた。

 

「昨日出した使いでは、まだ着きません」

 

「新しい命令を聞いて集まったわけではない、ということか」

 

「少なくとも、こちらから送った勅令を読んだとは考えられません」

 

 澪は、戸口で2人の会話を聞いていた。

 

 もう一度関門が必要になるかもしれないと思うと、帰ると言い出す声が小さくなった。

 

 それでも、ここで立ったまま待つつもりにはなれなかった。

 

「私は事業所へ戻ります。真壁さん、後で話してくださいね」

 

「ああ。そちらへ行くよ」

 

 澪は隣の空き部屋に関門を開いた。

 

 事業所の床と、片付けかけた作業着が見える。

 

 向こうへ踏み出し、王都の兵が行き交う音を背にして扉を閉じた。

 

 ベルクマンは、机に残った川筋へ目を戻した。

 

 

 

 補給所の古い配給図には、船の印が幾つも付いていた。

 

 ベルクマンは川下へ続く送り先を指し、途中にある倉の印を指で叩いた。

 

「ここを止めれば、先の駐屯地で食糧が足りなくなります」

 

「今、止まっているかどうかは分からんがね」

 

「はい。守備将校が物資を守っているのか、荷を出せずにいるのかも、まだ分かりません」

 

 ベルクマンは、真壁の引いた線の向こうへ紙をずらした。

 

 倉庫と船着き場の間には空地があり、西へ出る道に小さな橋の印がある。

 

「守備隊の任務は?」

 

「国費で買った物を保管し、受領する王国軍の担当者へ渡すことです」

 

「取引先が取りに来れば、渡してよいのかね」

 

「運ぶ者と、受け取る部隊は別です。運送人だけが決まっていても出せません」

 

 答えながら、ベルクマンは待機命令の用紙を取った。

 

 真壁はその手元を見た。

 

「新しい王命が届くまで、待つつもりかね」

 

「いいえ。王命がまだ届かぬなら、救援の命令をこちらから出します」

 

 呼ばれた担当官が、椅子の後ろで足を止めた。

 

「西営へ送った者は動かすな。交代を終えた部隊から、60人ほど出せるようにしておけ。軍医と担架も要る」

 

「現地へ出発させますか」

 

「まだだ。現地の状況が分かってから出す」

 

 担当官が戸口へ向かうと、別の官吏が当直の一覧を差し出した。

 

 ベルクマンは門の担当に線を引かず、勤務を終えた者の名前を選んだ。

 

 真壁は、勅令の謄本を持ち上げた。

 

「これは借りていくよ。私が着く前から争っているなら、何を命じられているか聞いてみよう」

 

「私の書面も付けます」

 

「相手が刃を向けるなら止める。捕らえた後の扱いは、君に任せるよ」

 

「王国軍で引き受けます」

 

 ベルクマンは署名を済ませ、2つの書面を革筒へ入れた。

 

 真壁がそれを受け取った時、廊下で軍医を呼ぶ声が上がった。

 

 先ほどの救護の水桶が、まだ片付いていない。

 

 ベルクマンは空いた桶を指し、担当官に洗って用意するよう命じた。

 

 

 

 ラウフェンの川べりでは、濡れた綱を引く手が止まっていた。

 

 船頭は、荷役桟橋の杭へ綱を巻き直した。

 

 川下へ出すはずの麦袋は揃っているのに、広場で怒鳴り合う男たちが通路を塞いでいた。

 

「そっちの車を動かしてくれ。袋を担いで通れん」

 

 船頭の声に、オスカー・リーメルは振り返った。

 

 こめかみに汗が溜まり、作業帽の縁を暗くしている。

 

「すぐ空ける」

 

 オスカーはそう答え、荷車の前に立つ将校へ送り状を差し出した。

 

「船の分は通しただろう。陸の分も通してくれ」

 

「いつもの船へ運ぶ分は通した。前の陸送分には倉の承認印があった。だが、この荷車はどこへ行く」

 

 エリアス・ゼルナーは、差し出された紙を受け取らなかった。

 

 その後ろで、人夫が箱を荷台の縁へ載せたまま止まっている。

 

 王国軍の検収印の上から、運送人の木札がぶら下がっていた。

 

「陸路の積替え場だ。行き先は先方で決める」

 

「受領する部隊も、今回の出庫承認も書かれていません」

 

「俺は手紙の通りに運ぶ。着いた先で受け取る者がいれば、それでよかろう」

 

「その者が、王国軍の物を受け取ってよいのかは?」

 

 オスカーは紙を折りかけ、もう一度開いた。

 

 受領者の欄は、さっき見た時と同じように白かった。

 

「こちらで決めることじゃない」

 

「私が倉を空ける時には要るのです」

 

 箱を支えていた人夫が、腕を揺すった。

 

「置いていいですか。肩が……」

 

「下ろせ。追加分は積むな」

 

 ゼルナーの指示で箱が地面へ戻ると、オスカーの脇から武装した男が進み出た。

 

「倉の前から兵を退けろ。ここで荷を止められては困る」

 

 ブルーノ・クレッツは、守備兵の盾を指した。

 

「邪魔になるから警護を付けたのではない」

 

「倉を守るために立たせています」

 

 ゼルナーが答えると、クレッツは広場の西側へ合図した。

 

 石橋の東詰で旗が持ち上がり、槍を持つ兵が集まってくる。

 

 オスカーはそちらを見て、送り状を胸元へ戻した。

 

 少し前まで、護送兵のために宿と食事を数えていた。

 

 今、何を数えればよいのか分からなかった。

 

「人夫は桟橋脇へ。積込みを止めろ」

 

 ゼルナーの部下が、荷台に残った男へ手を伸ばした。

 

 人夫たちが下りると、荷車の間にいた若い守備兵も持ち場へ戻った。

 

 盾の留め革を締める手が、途中で引っ掛かった。

 

 彼は槍の穂先を見てから、もう一度その革を引いた。

 

 クレッツの前に並ぶ兵は、倉の守備兵よりはるかに多い。

 

 旗の下に残る者も、倉の北壁へ回る者もいた。

 

 オスカーは荷台の下へ下ろされた箱を跨ぎ、御者へ出発の用意だけは済ませるよう言った。

 

 御者は、行く手に揃った盾を見て、手綱を緩めなかった。

 

 

 

 事業所の小部屋に戻っても、澪は作業着を広げられなかった。

 

 畳まれた袖へ手を載せたまま、王都の床に残っていた土を思い出していた。

 

 廊下では誰かが笑い、すぐに別の足音がそれを追った。

 

 帰ってきた時に安心したはずの音が、今は遠かった。

 

 戸を叩く音がした。

 

「入っていいかね」

 

「はい」

 

 真壁は、軍務省から持ってきた革筒を机の端へ置いた。

 

 そのまま新しい場所の話を始めるかと思ったが、椅子を1つ引いた。

 

「さっきの街道のことから話そう。約束したからね」

 

 澪は作業着から手を離した。

 

「カイザーという護衛頭が、武器を置いた兵へ剣を振り上げた。私は、その男を撃った」

 

 真壁の指は、机の上で動かなかった。

 

 足元の土を消して進軍を止めたこと、転んだ兵を副官が助けたことも話した。

 

 その後で起きた剣の動きを、曖昧な言葉に変えなかった。

 

「……別の止め方は、できなかったんですか」

 

「ほかの手はあったかもしれん。だが、あの場で私は撃つと決めた」

 

 澪は膝の上で手を合わせた。

 

 撃たれた男が悪かった、と言って終えることはできなかった。

 

 顔も知らない男の死を、納得するための理由だけで包みたくなかった。

 

「亡くなったことは、軍にも伝えましたね」

 

「ああ。遺体は軍医に渡した。負傷者は手当てを受けている。靴と衣類も、ベルクマン君の指示で返した」

 

 澪は、毛布を巻いて立っていた兵を思い浮かべた。

 

 あの人たちが寒さを堪えずに済んだことには、息をつけた。

 

 それで真壁への不信が消えるわけではなかった。

 

「それで、また戦いに行くんですか」

 

「まだ何が起きているかも分からん。川べりの補給所で、人が集まっている」

 

 真壁は紙図を開いた。

 

 新しい勅令が普通の伝令ではまだ届いていない場所だと聞き、澪は川筋へ目を落とした。

 

 知らない兵士に、知らない倉がある。

 

 そこへつなげてほしいと言われれば、これまでの澪は先に扉を探していたかもしれない。

 

「扉を開けるのは私です。知らないまま開けるのは、もう嫌なんです」

 

 真壁は、紙の端を押さえていた手を止めた。

 

「……ああ。今度は君が判断できるように話すよ」

 

「記憶のことも、なくなったとは思っていません」

 

「分かっているよ」

 

 その答えの先を、澪は待った。

 

 真壁は言葉を足さず、彼女が次の問いを出すまで座っていた。

 

「最初は真壁さんだけです。何が起きているか分かったら、戻って話してください。兵を送るかは、それからです」

 

「軍務省の帰還室へ戻る。その後、ここへ来よう」

 

「つなぐ場所も、私が見て決めます」

 

「無論。君の扉だからね」

 

 澪は《世界地図》を開き、紙図に示された川の近くを探した。

 

 人の集まりから離れた高台に、足を置けそうな地面があった。

 

 真壁は出発前、保管していた工業用の耐圧容器を数基、器具とともに《収納》へ収めた。

 

 丸みのある金属の胴へ澪が目を留めると、真壁は空気を蓄えた容器だと答えた。

 

「中身は、前に詰めておいたものだよ」

 

「使ったら、何が起こるんですか」

 

「強い風になる。使う場所は選ぶ」

 

 澪は容器が消えた床を見てから、立ち上がった。

 

 

 

 関門の向こうでは、草が一方へ倒れていた。

 

 澪は入口の脇から地面を見て、人も荷物もないことを見届けた。

 

「ここです。丘を越えた先に補給所があります」

 

 真壁が踏み出すと、靴の下で乾いた茎が折れた。

 

 振り向いた時には、澪はまだ事業所の床に立っていた。

 

「戻ってきたら、先に報告を」

 

「ああ」

 

 扉が消えると、川から来る風の音が大きくなった。

 

 真壁は丘のふちまで歩いた。

 

 石造りの長い倉が、低い屋根を川へ向けている。

 

 南側の本流には木製の桟橋が張り出し、そこへ繋がれた荷船が岸の陰で揺れていた。

 

 西の細い支流を跨ぐ石橋は、荷車が一台ずつ渡る幅しかない。

 

 その東詰に旗があり、広場を横切って倉へ向かう兵の後ろに別の集団が控えている。

 

 真壁は地図の反応と、実際の盾の列を重ねた。

 

 前へ出ている者だけで70人ほど。

 

 旗の周囲には50人近くが残り、倉の北側へ回り込む20人ほどの姿も見えた。

 

 倉の前と周りを守る兵は、合わせても40人ほどだろう。

 

 南側へ退いた作業着の男たちは、25人ほどに見えた。

 

 運ぶ者のいなくなった荷車が、広場の中途で止まっている。

 

 これほど人と荷が詰まっている場所なら、商人としては積み順を変えたくなる。

 

 だが、今の渋滞は車輪の向きでは解けそうになかった。

 

「その荷車を動かすな!」

 

 丘を下ると、倉の前から声が届いた。

 

「作業員を下げろ!」

 

 湿った土の匂いに、麦の埃が混ざっていた。

 

 真壁は馬のいる区画を避け、誰も立っていない荷車の間を抜けた。

 

 盾越しにこちらを見る守備兵へ、両手を見せる。

 

「倉を預かっている将校に、話をしたいのだがね」

 

 兵の1人が、扉の前に立つ男を呼んだ。

 

 

 

 ゼルナーの肩に、倉の軒が影を落としていた。

 

 真壁が近づくと、彼は倉を背にしたまま向き直った。

 

「この倉を預かっているのは君かね」

 

「はい。エリアス・ゼルナーです。ご用件は」

 

「軍務省から、様子を見に来た。こちらの荷は、出すところかね」

 

「止めているところです」

 

 オスカーが、2人の間に紙を差し出した。

 

「だから、止める理由を聞いている。王宮から新しい命令でも来たのか。そんな話は聞いていないぞ」

 

 ゼルナーは、オスカーの胸元にある送り状を見た。

 

「まだ王命は届いていません。ですが、王の倉を明け渡せという命令も、届いておりません」

 

 箱の後ろで、人夫が握っていた梃子を下ろした。

 

 オスカーは、その音へ顔を向けた。

 

「明け渡せなんて言っていない。運ばせろと言っているんだ」

 

「受け取る者の名がない荷を、出すわけにはいきません」

 

 ゼルナーは荷台へ半ば載った箱を指した。

 

 検収印の縁には、梃子で擦った新しい傷がある。

 

「これを出せば、ここには戻りません。私の倉から、誰に渡したことになりますか」

 

「グライフェルト伯爵と取引のある会社が運ぶ荷だ。運賃も決まっている」

 

 真壁が、送り状の角へ指を添えた。

 

「伯爵家と商いをしていれば、陛下の倉まで開くのですか。ずいぶん便利ですな」

 

「伯爵の荷だとは言っておらん!」

 

「では、なおさら受け取る王国軍の名が要りましょう」

 

 オスカーは紙を引こうとしたが、真壁は手を放した。

 

 白い受領欄だけが、斜めの日差しを受けて光った。

 

 真壁は革筒から勅令の謄本を取り出した。

 

「ゼルナー君。届いていなかった王命を、今ここで渡すよ」

 

 ゼルナーは王宮の印を見て、姿勢を改めた。

 

 読んでいる間も、守備兵の1人が荷車と扉の間に立ち続けていた。

 

 国が将校を任じ、給金と軍需品を扱う。

 

 爵位に伴う指揮の特権は停止する。

 

 ゼルナーは自分の手に残った倉の鍵を握り直した。

 

「この倉の保管は、継続してよいのですね」

 

「ベルクマン君からも、そのための書面を預かっている」

 

 真壁はもう1通を開き、ゼルナーへ渡した。

 

 クレッツは、印よりも真壁の顔を見ていた。

 

「こちらの都合など、王都の商人には分からん」

 

「荷の受領先なら、商人にも読めますがね」

 

 返答を待たず、クレッツは近くの兵へ顎を振った。

 

 槍の柄が倉の横扉に寄る。

 

「扉から離れてください」

 

 ゼルナーが命じた。

 

 兵は槍を引き、クレッツを見た。

 

 クレッツは、その兵ではなく、石橋東詰の旗持ちへ腕を上げた。

 

 

 

 旗が広場へ向いて傾いた。

 

 前衛の盾が上がると、その向こうにあった石橋が見えなくなった。

 

 クレッツは東詰へ戻り、旗の脇から倉を指した。

 

「前へ出ろ! 入口を空けさせる!」

 

 前列の1人は、盾の向こうの守備兵を見て動かなかった。

 

「クレッツ殿。あれも国の兵です」

 

「こちらも国の仕事をしている!」

 

 背後の盾が詰まり、止まっていた男の足が一歩出た。

 

 オスカーが御者へ手を振る。

 

「車を橋へ向けろ!」

 

「向けたら、あの兵に当たる!」

 

 御者は馬の鼻先を荷車へ寄せ、動かそうとしなかった。

 

 南の桟橋では、船頭が櫂を船内へ置いた。

 

 桟橋の付け根に集まった人夫の間から、籠を取りに戻る男が出た。

 

「それは置いていけ!」

 

 ゼルナーの声に、男は籠を持ちかけた手を離した。

 

 守備兵が彼の背を押し、川べりの空地へ走らせる。

 

 真壁は盾列の横へ出た。

 

「国の倉を守る兵へ刃を向けるのか」

 

「荷を動かせという命令を受けている!」

 

 クレッツの声が、旗の下から返った。

 

「誰が命じたかは、後で聞きます。今は兵を下げてください」

 

 ゼルナーが謄本を掲げた。

 

 前へ出た兵の数人が、足を止めようとする。

 

「王都の紙切れ1枚で、ここにいる兵が止められると思うか!」

 

 クレッツが剣の柄を叩いた。

 

 旗の下で、弓が上がった。

 

 ゼルナーの脇にいた若い兵が、盾を寄せた。

 

 その身体が、半歩遅れて折れた。

 

 胸の脇から出た矢柄に手を伸ばし、届く前に膝が落ちる。

 

「盾を寄せろ!」

 

 仲間が男の腕を掴み、引きずって倉へ下がった。

 

 血が石の継ぎ目へ落ちた。

 

「布を! 壁の陰へ運べ!」

 

 ゼルナーは扉から離れず、運ぶ兵へ道を空けた。

 

 若い兵の口が動いたが、言葉にならなかった。

 

 隣の男が顔を寄せ、濡れた布を傷へ押し当てた。

 

 真壁は、石橋の方へ目を上げた。

 

 弓は何張りもあり、どの手から矢が出たのかは見分けられなかった。

 

「……君の言い分は聞いた」

 

 前衛が、盾を揃えたまま迫っていた。

 

 守備隊は、倒れた兵を運んだ分だけ薄くなっている。

 

 真壁は人夫の避難した方を見てから、荷役の通路へ足を移した。

 

 

 

 盾の縁が、守備兵の槍へ触れた。

 

 槍先を下げた男の背へ、後ろの兵がぶつかる。

 

 真壁は倉の斜め前、荷車を回すために空けられた地面へ進んだ。

 

「こちらへ寄るな。倉の側へ下がってくれ」

 

 ゼルナーは兵の肩を叩き、真壁の立つ方から退かせた。

 

 そこへ靄が流れ、金属の丸い胴が幾つか現れた。

 

 容器を支える器具の脚が、地面へ沈む。

 

「何を出した!」

 

 クレッツは石橋東詰から怒鳴った。

 

 先頭の盾は止まらず、真壁へ向きを変えた。

 

 その背に続く兵の足が、もう一度揃う。

 

「盾を上げろ! 止まるな!」

 

 真壁は容器のそばへ手を下ろした。

 

「紙では止まらんか。では、少々風向きを変えよう」

 

 外套の裾が跳ねた。

 

 低く唸る音とともに、土埃が西へ走った。

 

 最前列の盾の縁が、横から押された。

 

 盾を支えた腕が開き、身体の脇が露わになる。

 

 男は顔を庇い、その足へ隣の兵の踵が掛かった。

 

「風だ! 何だ、この風は!」

 

 数人がよろめき、1人が尻餅をついた。

 

 後ろの槍先が、その男の肩へ触れかけた。

 

「下がれ、踏むぞ!」

 

 倒れた味方を跨げず、後列の兵が足を止めた。

 

 さらに後ろから押され、盾で隣の男を支えようとする。

 

 合図の旗は、土埃の向こうへ隠れていた。

 

 真壁が手を戻すと、噴き出す音が止んだ。

 

 前列の男が立ちかけるところへ、別の容器から短い風が渡った。

 

 盾が裏返り、留め革を握っていた手が離れた。

 

「隣が見えない! 押すな!」

 

 後列は、前の兵を潰さぬよう自分から退き始めた。

 

 旗へ戻ろうとする者と、怪我人を支える者の足がぶつかる。

 

 脇にあった空の木枠が転がった。

 

 木片が1つ跳ねたところで、真壁は放出を止めた。

 

 川べりの人夫の衣服は、同じようには揺れていなかった。

 

 風の通り道から外れた馬が音に驚き、頭を振った。

 

 御者は綱を掴み、荷車の脇へ寄って宥めた。

 

 倉壁の陰では、兵が傷口へ布を重ねていた。

 

「息をしてる。おい、こっちを見ろ」

 

 若い守備兵の目が、呼び掛ける男の方へ僅かに動いた。

 

 真壁と倉の間には、ようやく空いた地面ができていた。

 

 先頭から退いた兵は、石橋東詰の予備にぶつかって止まった。

 

 70人ほどの前衛が戻ると、控えていた50人ほどの間にも盾と槍が入り込んだ。

 

 打った肘を押さえた男が、槍を持つ仲間へ悪態をついた。

 

 クレッツは、乱れた隊列の横を通って旗持ちに近づいた。

 

「裏はどうなった!」

 

 北壁に沿って走ってきた伝令が、息を切らして止まった。

 

「まだ扉を開けておりません!」

 

「何をしている。そこから開けさせろ!」

 

 旗の下には、まだ武器を持つ兵が大勢いた。

 

 真壁は器具を回収し、倉の北側へ向かった。

 

 金属の胴が消えた地面に、脚の跡が幾つか残った。

 

 

 

 北壁を回ると、川の風が急に弱くなった。

 

 湿った板の上に、縄を握った人夫が座り込んでいた。

 

 扉に鍵を入れるよう迫られているが、その手には縄しかない。

 

「開けろと言われても、鍵はあの将校が……」

 

「なら、留めてあるものを外せ!」

 

 護送兵が剣の柄を持ち上げた。

 

 人夫は顔を伏せ、両手で頭を覆った。

 

 柄を上げた男の肘が、そのまま止まった。

 

 濡れた袖から、細い腕が覗いていた。

 

「鍵を持っていないと言っているよ」

 

 真壁が声を掛けた。

 

 護送兵は振り向き、後ろにいた仲間へ半歩寄った。

 

 裏口には20人ほどいる。

 

 扉の前まで来た者は、前の男が振り下ろすと思っていた剣を見ていた。

 

「誰に渡す荷か、聞いているのかね」

 

「俺たちは、運ぶ車を守れと……」

 

 男の言葉を遮り、狭い道の奥から声がした。

 

「何をしている! 荷を運び出せ!」

 

 クレッツが北壁沿いの道を歩いてきた。

 

 東詰の旗を後ろに残し、荷車の轍を避けて裏の搬入口へ出る。

 

「そこを開ければ運べる! 早くしろ!」

 

 人夫の前にいた兵は、剣を下ろした。

 

「俺たちは荷を守りに来たんです。倉を奪うためじゃない!」

 

 彼が床へ置いた刃に、湿った泥が付いた。

 

 隣の男も、槍の石突を地面へ載せた。

 

「命令違反だぞ!」

 

 クレッツが剣を抜いた。

 

 兵は拾い直すために屈まず、後ろの人夫を押して扉から離した。

 

 真壁の靄が、その間へ広がった。

 

 クレッツの剣が消えた。

 

 手を振り上げた腕だけが残り、握り直した指が空を切った。

 

「その兵の言う通りだよ。君たちは、もう武器を置いた方がいい」

 

「商人が、軍の命令に口を出すな!」

 

「その剣で、誰を守るつもりだったのかね」

 

 裏口の端で、弓へ手を掛けた護衛がいた。

 

 弦を引く前に弓がなくなり、腰から抜こうとした短剣も消えた。

 

 人夫が木樽へ背をぶつけ、載っていた灯火が傾いた。

 

 真壁はその下へ水を出し、床へ落ちた火を消した。

 

 濡れた板を、人夫が靴底で踏み直した。

 

「立てるかね」

 

 男は頷き、兵の差し出した手を取った。

 

 クレッツが後ろを見ようとすると、裏口班の兵が彼から離れた。

 

 真壁は、その足の向きを見た。

 

「そこを動かないでくれ。守備隊の将校に来てもらう」

 

 剣を置いた兵が、北壁の道にいる仲間を呼んだ。

 

「石橋の連中にも伝えてくれ。こっちで何があったか、隠すな!」

 

 呼ばれた男は、クレッツを一度見てから道へ走り出た。

 

 靴音が石壁に反響し、広場の喧騒に紛れていった。

 

 倉の正面へ戻る途中、真壁は壁の陰で屈んでいる守備兵を見た。

 

 布を押し当てていた手が、傷口から離れていた。

 

「……息をしてない」

 

 呼び掛ける男の声に、もう1人が顔を寄せた。

 

 若い兵は、二度目の呼び掛けにも目を開かなかった。

 

 仲間は胸元へ手を添え、しばらくそのまま動かなかった。

 

 

 

 北壁を走った男は、石橋東詰の旗の下で足を止めた。

 

 息を継ぐより先に、周囲の兵へ声を張った。

 

「倉裏の連中は武器を置いた! 隊長も、もう剣を持っていない!」

 

「捕らえられたのか!」

 

「人夫に剣を向けたんだ。扉を開けろと、鍵も持っていない男に!」

 

 打った腕を抱えた兵が、隣の男を見た。

 

 旗持ちは、旗を下げるべきか分からず、柄を両手で握っていた。

 

 前衛をまとめていた伍長格の男が、盾の列の間へ入った。

 

「何のためにここへ来た。王国の倉を奪うためか」

 

「俺たちは護衛に来たんだ……」

 

「なら、倉へ向けた槍を下ろせ」

 

 男は、自分の槍を先に地面へ置いた。

 

 後ろで弓の弦を外す音がし、盾が1枚裏返った。

 

 倉の側にいた守備兵は、降伏し始めた者へ進まなかった。

 

 その間に、真壁が広場を横切った。

 

 幾つかの部隊で槍が下がり、武器を置くための場所が空いていく。

 

「旗を下げるな! まだ終わっていない!」

 

 軍服の上へ別の紋を付けた護衛が、剣を構えた。

 

 同じ紋の男たちが彼の脇へ寄り、数人は石橋へ足を向けた。

 

 真壁は東詰の入口へ立った。

 

「終わりにするなら、今だよ」

 

 護衛が剣を突き出すと、その刃を靄が覆った。

 

 柄まで消え、男の腕が真壁へ伸びたまま止まる。

 

 隣の弓も、橋へ向かう男の槍もなくなった。

 

 誰も真壁の脇を押し通ろうとはしなかった。

 

「降伏した者に手を出すな! 負傷者を先に運べ!」

 

 ゼルナーの命令に、守備兵が広場の端へ散った。

 

 武器を置いた者は橋の手前と空いた荷車場に座らされ、倉裏の兵も見通せる所へ連れてこられた。

 

 クレッツだけは離され、守備兵が両側に立った。

 

 地面の槍や盾が靄へ消え、立っている者の鎧も回収された。

 

 真壁は濡れた敷布と手当ての布を残し、軍装と馬具を別に収めた。

 

 馬は御者に引かせ、荷車を空けてから取り込む。

 

「上着まで取るのか」

 

 腕を抱えた護送兵へ、ゼルナーが余っていた布を渡した。

 

「後で衣類を出させる。今はここにいろ」

 

 倉の裏からも、武器を持つ者はいなくなったと報告が来た。

 

 140人ほどの護送隊は、幾つかの集まりに分かれて座っていた。

 

 ゼルナーは倉の鍵を部下へ預け、負傷者を診ていた兵の所へ行った。

 

 男は、血の付いた手を膝から離した。

 

「戻りませんでした。呼吸も……」

 

 言葉を継げない部下の肩に、ゼルナーは手を置いた。

 

 若い兵の顔へ布を掛けると、最後に見えていた頬が隠れた。

 

 ゼルナーは、その脇へ膝をついた。

 

「この兵は、新しい王命を知りませんでした」

 

 真壁は、床に落ちた盾の留め革を見た。

 

「……だが、何を守るべきかは知っていた」

 

 ゼルナーは布の端を直し、その上へ手を置いたまま動かなかった。

 

 鍵を預かった兵が近くに立っていたが、将校を急かさなかった。

 

 やがてゼルナーは立ち上がり、倉を守る兵と、座っている護送兵の間へ戻った。

 

「医者を、ここへ呼べますか」

 

「王都から呼んでくる。君たちだけで見ている時間は、短くするよ」

 

 真壁は、桟橋脇に空いた地面の位置を覚えた。

 

 

 

 軍務省の帰還室は、出発した時と同じように空いていた。

 

 真壁が戸を開けると、隣室から軍医の箱を持った兵が出てきた。

 

 ベルクマンは、その後ろで待機していた。

 

「真壁殿。現地は」

 

「護送側が140人ほど。守備隊は40人ほどだ。倉から荷を出すことで争っていた」

 

 ベルクマンは担当官を呼び、地図を開かせた。

 

「今は、誰が倉を守っていますか」

 

「ゼルナーという将校だ。護送隊は武装を解いた。国軍の兵も混じっている」

 

「負傷者は」

 

「守備側と、風で転んだ護送側にもいる。それから、倉を守る兵が1人、矢を受けて亡くなった」

 

 軍医の箱を持つ兵が、ベルクマンを見た。

 

「武器は取り戻せます。死んだ兵は戻りません。軍医を先に」

 

 ベルクマンは先遣の将校へ命じ、救護の用意を進めさせた。

 

「60人の準備はできています。現地の守備と分担し、護送側は補給所で一時収容します」

 

「では、澪君に話してくるよ」

 

 真壁は帰還室へ戻り、事業所へ《転移》した。

 

 小部屋の戸を叩くと、澪はすぐに立ち上がった。

 

 机の作業着は、まだ畳まれたままだった。

 

「何があったんですか」

 

 真壁は倉の将校が荷を止めた理由と、護送隊が刃を向けた経過を話した。

 

 風で前進を止めたこと、裏口で兵が命令を拒んだことも続けた。

 

「死んだ人は、どちらの兵なんですか」

 

「倉を守っていた方だ。矢を受けた。護送側にも転倒した負傷者がいる」

 

 澪は、真壁の外套に付いた麦の埃へ目を落とした。

 

 布で覆われた顔が、まだ見えていないのに浮かんだ。

 

「軍医を通すんですね」

 

「ああ。ベルクマン君が待っている」

 

「私も軍務省へ行きます。場所と、通す人を聞きます」

 

 澪は事業所から軍務省へ関門を開き、真壁と通って閉じた。

 

 隣室には担架が並び、王国軍の将校が待っていた。

 

 ベルクマンは現地の拘束と救護を軍で引き受けると、澪本人へ説明した。

 

「最初に軍医と護衛。その後で、監視と倉の保全をする兵を通します」

 

「捕らえた人を、ここで全員受け取るんですか」

 

「いいえ。現地で守備隊と分担して見ます。移送は、収容先を用意してから行います」

 

 澪は真壁の描いた広場を見た。

 

 倉の扉、座っている護送兵、血の付いた布を置いた所は、入口に選ばなかった。

 

「開く場所は私が決めます。倉庫の中や怪我人の所へは開きません」

 

「はい。それでお願いします」

 

 関門の向こうに、夕方の河岸が現れた。

 

 空地の足元を見た先遣の将校が、護衛へ合図した。

 

 軍医が通り、その後ろへ担架と水を持つ兵が続く。

 

 真壁も現地へ戻り、ゼルナーを呼んだ。

 

「軍務省からです。負傷者はどこに」

 

 将校の問いにゼルナーが倉壁を指し、軍医はそちらへ歩いた。

 

 澪には、盾を脇へ立てかける守備兵の手が見えた。

 

 血の付いた手を拭うより先に、軍医のために敷布を寄せている。

 

 続いて拘束を引き受ける兵が渡り、先遣将校の指示で広場へ散った。

 

 真壁は指定された空地へ衣類と靴を出し、武器や鎧は兵の立つ別の場所へ戻した。

 

 最後の担当隊が通ると、将校が澪へ手を上げた。

 

「引継ぎました。こちらで続けます」

 

 澪は、その言葉を聞いて関門を閉じた。

 

 王都の部屋へ川の風が入らなくなった。

 

 ベルクマンへ帰ることを伝え、澪は事業所への関門を開いた。

 

 向こうへ歩いてから閉じると、作業着の置かれた机は、同じ所にあった。

 

 澪はその袖を広げ、しばらく両手で押さえていた。

 

 

 

 河岸の灯が点く頃には、広場の武器と軍装は国の兵に引き渡されていた。

 

 私物だと申し立てられた品は、王国軍の装備と別の所へ置かれている。

 

 真壁は空になった荷車を出し終え、兵が車輪を留めるのを待った。

 

 ゼルナーは、派遣将校を倉の出庫係の箱へ案内した。

 

 オスカーも呼ばれ、事務机の脇へ立った。

 

 灯の下に並んだ送り状には、麦を運ぶ通常便、数日前の陸送、今日の追加分があった。

 

「今日の車は、ここから出ていないのだな」

 

 派遣将校の問いに、ゼルナーは答えた。

 

「はい。積込みの途中で止めました。荷は倉へ戻しています」

 

「こちらの3件は?」

 

「数日前に、陸路へ出しました。倉の承認印がありましたので、受領先も審査済みだと思って通しました」

 

 ゼルナーが紙の下端を指すと、将校は通常便をその隣へ寄せた。

 

 船の分には、受け取る部隊と担当者の名もある。

 

 ゼルナーは先行した陸送分の裏を返した。

 

 積替え地の先を辿ろうとした指が、白い欄で止まった。

 

「……こちらにも、受領する者の名がありません」

 

「印を出した者には、後で説明してもらう。君は今、通した分を隠さず出してくれ」

 

 ゼルナーは紙を揃え直さず、そのまま将校へ渡した。

 

 オスカーが、運賃請負の札を胸から出した。

 

「俺が受けたのは、この仕事です。兵を動かせとは言っていない」

 

「グライフェルト伯爵が運べと命じた、という文書はあるか」

 

「伯爵本人からではありません。仕事を受けたのは、下請の取りまとめ役です」

 

 オスカーは札を置き、指で業者の印を示した。

 

「伯爵家とも取引する。だから、間違った荷だとは……」

 

「では、その荷車を誰が受け取る予定だったのか」

 

 将校が尋ねた。

 

 オスカーは札から手を離した。

 

 灯が揺れ、印の上を影が通った。

 

「積替え場で、次の運送人が」

 

「その先で、王国軍の誰が受け取る?」

 

 オスカーは答えず、帽子を握った。

 

 外では、麦袋を倉へ戻す声がしていた。

 

 今日の追加分が下ろされる一方、通常便の袋は桟橋脇へ残されている。

 

 将校は、クレッツを兵に任せたまま、オスカーの受けた依頼を聴き始めた。

 

 ゼルナーは倉の鍵を握り、以前の承認印を見ていた。

 

 守った荷のすぐ隣に、もうここにはない荷の控えがある。

 

 真壁は机へ入らず、戸口で待った。

 

 ゼルナーと派遣将校が初動の報告を作り、送り状の写しを添えた。

 

 まだ聴いていない相手の欄は、書き足されなかった。

 

 封じられた書面を将校が差し出すと、真壁は革筒へ収めた。

 

「ベルクマン君へ渡すよ」

 

「現地の聴取は、こちらで続けます」

 

 真壁は川べりの灯を一度見てから、軍務省の帰還室へ《転移》した。

 

 

 

 ベルクマンの机に置かれた革筒は、河岸の湿気を含んでいた。

 

 彼は封を切り、通常便の写しを先に開いた。

 

 次に、先行した陸送分を3枚、その脇へ並べる。

 

「今日の追加荷は、補給所を出る前に止められました。ですが、数日前に出た荷は、すでに3つの積替え先へ向かっています」

 

 真壁は紙の上の日付を見た。

 

「王命が出る前から、か」

 

「はい」

 

 ベルクマンは、それぞれ異なる積替え地の名を指した。

 

 その先にあるはずの受領者欄は、3枚とも空いている。

 

「先行陸送の送り状には、国軍の受領担当者が1人も書かれていません」

 

「積替え先が違うだけなら、商人としては珍しくないがね」

 

「その先で誰に渡すかまで、どの便にもない。そこを追います」

 

 官吏が紙の間から、小さな添付を抜いた。

 

 護送責任者交替と書かれ、その下に新たな担当の指定がある。

 

 ベルクマンはそれを読み、送り状の隣へ置いた。

 

「兵への指示も、先に動いています」

 

 真壁は椅子の背から手を離した。

 

「風で兵を止めても、荷を動かした命令までは止まらんか」

 

「だから、命じた者を追います」

 

 ベルクマンは官吏へ、グライフェルト伯爵の王都屋敷に使いを出すよう命じた。

 

 新勅令の受領状に加え、運送契約の発注者と受領先、護送隊への指示を問う書面を付ける。

 

 官吏が、伯爵の名の所で筆を止めた。

 

「業者を拘束する命令も出しますか」

 

「仕事を受けた者から話を聴く。伯爵についても同じだ。逮捕状を届けるのではない」

 

 真壁は《世界地図》へ目を向けかけ、官吏が書面を折るのを待った。

 

「君が呼ぶなら、私も話を聞こう」

 

 廊下へ出た使者の靴音が、夜の軍務省を遠ざかっていった。

 

 

 

 アルノルト・グライフェルトは、下げられかけた皿へ手を上げた。

 

「それは置いておいてくれ」

 

 家人は皿を戻し、食堂の扉へ下がった。

 

 伯爵は食事を再開せず、隣の執務室から持ってきた契約書を開いていた。

 

 暖炉の火は弱まり、袖の金具に細い赤が映っている。

 

 旧来の契約相手の名を見てから、新しい王命の謄本を寄せた。

 

 誰に話を通せばよいのかが変わる。

 

 支払いまで止まるとは書かれていなかったが、これまでの相手が返事をできるとも限らなかった。

 

「旦那様」

 

 家人が戻ってきた。

 

「軍務省からです。今夜のうちにお届けしたいと」

 

「今夜か。彼らも休む暇がないらしい」

 

 アルノルトは契約書の端を押さえ、封書を受け取った。

 

 印を見て、封蝋刀を入れる。

 

「新しい軍の取引について、御返事を求めているのでしょうか」

 

「取引なら話せる。軍令を私に出せと言われても困るがね」

 

 開いた紙の初めには、勅令への受領状を求める文があった。

 

 続けて、ラウフェン河岸補給所の輸送について問うている。

 

 アルノルトの指が、契約書の端で止まった。

 

 運送契約を発注した者と、最後に荷を受け取る者。

 

 さらに、護送隊を編成し、指揮官へ指示を与えた者。

 

 彼は封書を灯へ寄せ、途中で折れた行を読み直した。

 

 家人は返書用の紙を置いたが、伯爵はまだ筆を取らなかった。

 

「どのようにお返事を?」

 

 アルノルトは、新しい書面の受領者という語へ目を戻した。

 

「彼らが知りたいのは、荷を動かした者の名か。それとも、兵を動かした者の名かね」

 

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