押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第424話 皆様、お待ちしておりました

 

 ベルクマンは、真壁が見ている地図の脇へ2枚の送り状を置いた。

 

 窓から入る夕日が、受領者欄の空白を照らしていた。

 

「受け取った者の名は、どちらにもありません。ですが、出した荷は別々です」

 

 補給担当官が、品目の付いた発送控えを開く。

 

 一方は小麦と馬糧だった。

 

 もう一方には、軍靴、予備の弓弦、荷役に使う綱が並んでいる。

 

「先ほどの車列へつながった分を除くと、この2件が残ります」

 

「食べる者と、履く者か。待っている相手も同じとは限らんね」

 

 真壁は2枚を少し離した。

 

 中庭で、水桶を置く音がした。

 

 窓の下には、馬へ水を飲ませる兵がいる。

 

 馬は鼻を桶へ深く入れ、兵はこぼれた水を避けて片足を引いた。

 

「受け取られなければ、御者が戻るはずなのですが」

 

 補給担当官が言った。

 

「帰れば運賃を受け取れない、ということもあるでしょうな」

 

「運賃は、納入先の受領印を得てからです」

 

「では、荷の側で待っているかもしれない」

 

 担当官は控えを持ち直した。

 

 ベルクマンが、紙地図にある街道の分岐を指した。

 

「元の補給警護隊は北側が230人ほど。南側は旧軍務省の警護兵を中心に190人ほどです。後方の予備と輸送警護が70人ほど」

 

「全員が、陛下に剣を向けるつもりとは限らないね」

 

「はい。兵へ勅令が届いたかも、まだ分かりません」

 

 真壁の《世界地図》には、別々に動く赤い反応があった。

 

 その色から、誰が何を載せた車を待っているかまでは読めない。

 

 見えている方向を紙へ示すと、ベルクマンは送り状をそちらへ寄せた。

 

「兵だけでなく、運送人も保護します」

 

「そこから見てこよう」

 

 真壁は荷札の特徴と品目を写した紙を受け取った。

 

 外では、兵が空になった水桶を持ち上げていた。

 

 届かなかった荷にも、あの馬に食わせる分が入っている。

 

 真壁は窓から視線を戻し、ラウフェンの登録地点を確かめた。

 

 

 

 クラウスが執務室へ入ってきた時、当直兵が医療袋を戸口へ置いていた。

 

 革の口を閉じる軍医の指に、薬草の匂いが残っている。

 

「陛下の裁可を得た。王命を拒む部隊には停止を命じ、従わぬ者を武装解除する」

 

 クラウスはベルクマンへ書面を渡した。

 

「ただし、兵が何を知らされていたかは分けて調べる。家の旗を持っているというだけで、斬り合うことにはしない」

 

「北側へは、輸送保護と指揮移管を命じます」

 

 ベルクマンが答えた。

 

 真壁は、軍医の袋へ目を留めた。

 

「正面へ軍を進める必要はありません。まず、合流を止めたい」

 

「君だけが行けば、国には責任がないという話にはならんよ」

 

 クラウスは椅子へ座らずに言った。

 

 真壁は彼へ向き直った。

 

「そのように片付けるつもりはありません」

 

「ならば、何をしたかは報告してもらう。国王の名で停止を命じる以上、結果も国が受け取る」

 

「承知いたしました」

 

 ベルクマンは、医療袋を持つ軍医を呼び入れた。

 

「軍医と収容担当は、戦いの前に近くへ送ります。射線に入らない待機場所を、現地で見てきてください」

 

「戦闘が止まってから呼びに戻っては、間に合わない者もいるからね」

 

「私も、その順にはしたくありません」

 

 軍医が短く答え、担架を用意する兵へ振り返った。

 

 ベルクマンは配備表を開いた。

 

 西の車列とラウフェンには、まだ負傷者と拘束者がいる。

 

 そこから警護を抜くことはしなかった。

 

 別の待機隊を呼び、支給と収容、医療へ役目を割り振る。

 

 救護と収容に当たる隊の指揮は、王国軍将校ユストゥス・ヴァイスナーへ任せた。

 

「投降した者の身柄も、こちらで受けます」

 

「それで結構」

 

「王命の使者を襲う者が出た時は?」

 

「その前に、攻撃を選ぶ者と、荷を守りたい者を分けておきたいね」

 

 真壁は書面を畳んだ。

 

 そのために使う全てを、この机へ並べたわけではなかった。

 

 クラウスは命令の末尾へ指を置いた。

 

「武器を置いた者を攻撃するな。従う国軍兵には、帰る命令を届ける」

 

 真壁は一礼し、外套を肩へ掛けた。

 

 

 

 ラウフェンの町側にある空地には、夕刻の熱が少し残っていた。

 

 真壁が以前、実際に立った場所だった。

 

 登録済みのその場所へ《転移》してくると、倉の方から人を呼ぶ声がした。

 

 国軍の連絡担当に馬を借り、町を出た。

 

 街道の石は、蹄の下で乾いた音を立てる。

 

 真壁は馬を急がせ続けず、坂を越える所で歩かせた。

 

 日が落ちる頃、古い軍需道の分岐へ着いた。

 

 北へ曲がる道の先に、車列が止まっていた。

 

 車輪の脇で焚火が燃え、御者が飼葉の袋を抱えている。

 

 真壁は馬を降り、手元の紙と荷札を見比べた。

 

 小麦と馬糧を積んだ、探していた車だった。

 

「こんばんは。長く待っておられるようですな」

 

「誰かの判が来るまで待てと言われた。馬だって飯を食うんだぞ」

 

 御者は袋の口を絞りながら答えた。

 

「荷を受け取る方のお名前は?」

 

「北の支給係としか聞いていない。もう何度も使いを出した」

 

「袋は下ろしましたか」

 

「まだだ。勝手に下ろして、数が違うと言われちゃ困る」

 

 別の御者が、焚火の向こうで頷いた。

 

 馬は鼻先を飼葉へ入れている。

 

 真壁は受領控えのない荷を覚え、次の中継地へ向かった。

 

 今度は軍靴を包んだ荷が見つかった。

 

 弓弦の木箱は荷車から下ろされ、警護兵が小屋の軒へ並べている。

 

 御者に尋ねると、後方の隊が預かったものの、最後の受取人はまだ来ないという。

 

「荷がなくなったわけではないのですな」

 

「なくされたら、こっちが困る」

 

 御者は空の受領控えを、外套の内へしまった。

 

 真壁は夜の街道へ戻った。

 

 遠くに、別々の野営の灯があった。

 

 北の兵は釜を囲んでいたが、椀を持った者の列がなかなか進まない。

 

 南の方では、食事の横で兵が革帯を締め直していた。

 

 真壁はその灯から離れ、馬を休ませて脇道へ入った。

 

 旧採石場の入口には、錆びた金具が片側だけ残っている。

 

 掘り込みの底へ下り、朽ちた枕木と小屋を見て回った。

 

 新しい作業の跡はなく、道具を使う音もない。

 

 馬をつないだ跡も、眠っている人もいなかった。

 

 岩棚の上へ回ると、入口と平地が見渡せた。

 

 北の尾根を越えた所には、空の小屋がもう1つあった。

 

 採石場との間に岩の背があり、入口からはその屋根も見えない。

 

 真壁は小屋まで実際に歩き、戻る道の曲がりも確かめた。

 

 夜の風が、石の間へ溜まった葉を転がしていた。

 

 

 

 採石場へ戻ると、真壁は掘り込みの浅い奥へ小麦の袋を出した。

 

 靄の中から、積み上げられる袋と、荷役に使う木枠が現れる。

 

 昼間に探していた軍の車列から取ったものではない。

 

 自分の在庫から選んだ、普通に売れる小麦だった。

 

 袋を置く場所を変え、入口から見える高さに揃える。

 

 真壁は一歩退き、斥候が来た時に立つであろう所へ回った。

 

 袋の中を調べるため、奥へ入る道も空けてある。

 

「欲しいものだけは、嘘にせぬ方がよい」

 

 袋へ王国の納入印を付けることはしなかった。

 

 誰の荷か分からないという疑問は、残っていてよい。

 

 その疑問をどう片付けるかは、ここを使おうとする相手が決める。

 

 真壁は岩棚の下へしゃがみ、掌で地面を押した。

 

 入口側には、車が隊形を組んで抜けられる幅がある。

 

 その脇の土盛りは無人だった。

 

 後で道を塞ぐなら、この土を使える。

 

 人が踏んでいる地面を急に抜く必要はなかった。

 

 平地の右側へ歩き、石の少ない一角を選んだ。

 

 武器を置いた者がそこへ移る道を空ける。

 

 その外に、北の尾根へ回る通路がある。

 

 軍医が下りてくるなら、ここだった。

 

 真壁は入口へ戻り、岩棚へ上がる曲がり道をもう1度歩いた。

 

 外の見張りが迂回するにも、その曲がりを通らねばならない。

 

 足元の砕石は鳴るが、道を壊した跡はまだなかった。

 

「ここなら、集まる理由にはなる」

 

 小麦、平地、見張りを置く岩棚。

 

 兵をまとめ、荷を待つには使える場所だった。

 

 真壁は最後に小屋の中を覗き、誰もいないことを見てから街道へ出た。

 

 月は、いつの間にか岩棚の上へ移っていた。

 

 ここへ置いた物は、もう斥候が来ても見つかる。

 

 真壁は馬を休ませた場所へ戻り、今度は街道を行き来する人を待った。

 

 

 

 夜番の交替を告げる声が、遠くの野営から聞こえた。

 

 街道を離れてきた斥候は、水筒の蓋を閉めながら歩いていた。

 

 真壁はその男が仲間と別れ、道の曲がりへ入るのを待った。

 

 男が気づいて剣の柄へ手を掛ける。

 

 剣は抜かれず、短い抵抗は草の上で終わった。

 

 真壁は、気を失った男の状態を《鑑定》で見た。

 

 呼吸はある。

 

 心臓も動いていた。

 

 ただ、その鼓動は弱まっている。

 

 靄を触れさせると、男の身体が包まれた。

 

 草へ重なっていた影が消えた。

 

 真壁の指が、一瞬止まった。

 

「……心臓は止まっていなかったな」

 

 収納の中に、男がいる。

 

 以前とは違う条件で、入った。

 

 真壁は長く留め置かず、必要な記憶へ触れた。

 

 南側の指揮官は、旧軍務省から派遣されたジークベルト・ヴェーゲナーだった。

 

 その男が、斥候へ周辺の空地と先行補給を探させていた。

 

 帰る道も、報告する相手も、この男自身の記憶にあった。

 

 そこへ、もう完成している採石場の光景を重ねた。

 

 無人の小屋、袋の小麦、部隊を置ける平地。

 

 男が見てきたものとして、その見聞だけを残す。

 

 帰営したら報告を急ぐという暗示を添え、草の上へ戻した。

 

 胸が上下している。

 

 脈も続いていた。

 

 止まった心臓を蘇生させる工程は要らなかった。

 

 真壁はエリクサーで衰弱を回復させ、呼吸と脈が安定するまで待った。

 

 水筒も元の位置へ置いた。

 

 少し離れた木陰から見ていると、男は腕で顔を拭き、立ち上がった。

 

 帰り道へ目をやり、野営の灯へ歩き始める。

 

 自分が何を思い出しているかを疑う様子はなかった。

 

 次に捕らえたのは、北側と中継地を往復する連絡兵だった。

 

 気絶していても、最初と同じようには収納できなかった。

 

 靄が触れ、離れる。

 

 真壁は続けて押し込むことをやめた。

 

「同じとは限らんか」

 

 真壁は従来の手法へ戻り、連絡兵を心肺の停止した仮死状態にした。

 

 今度は、身体が靄の中へ入った。

 

 北側の兵を、採石場へ向かわせる必要はない。

 

 南へ合流する道には国軍の検問準備が見え、北の支給道は通れる。

 

 そう見てきたという見聞を、男の普段の報告へ混ぜた。

 

 王命の署名を作ることはしなかった。

 

 この兵に、王の使者を演じさせる必要もない。

 

 干渉を終えると、真壁は男を草の上へ戻し、エリクサーを使った。

 

 止まっていた胸が動き始め、脈が戻る。

 

 呼吸が続くのを見届け、男が目覚めて歩き出すまで離れなかった。

 

 3人目は、予備隊へ帰る斥候だった。

 

 気を失わせると、弱くはなったが心拍は残っていた。

 

 真壁はその状態で靄を触れさせた。

 

 身体は入らなかった。

 

 最初の1人で起きた変化を、この男にも当てはめることはできない。

 

 真壁は再び従来の仮死状態にしてから収納した。

 

 荷を守る隊と、先へ出す武装兵が元から分かれている。

 

 真壁は男の記憶でそれを知り、採石場の平地と小麦を見たという報告を残した。

 

 武装した兵を先に出せると決めるのは、報告を受ける上官だった。

 

 男を道へ戻し、エリクサーで蘇生させた。

 

 脈と呼吸が戻り、安定して続くのを待つ。

 

 やがて、目覚めた指が自分の革帯を探った。

 

 落としていないと分かると、安堵して水を飲む。

 

 真壁はその顔を、木陰から見ていた。

 

 澪が何に怒っているかは、忘れていない。

 

 それでも、3人を元の仕事へ送り返した。

 

 夜の道に蹄の音が遠ざかると、真壁は自分の馬へ戻った。

 

 

 

 南側の野営では、明るくなり始めた空の下で粥が配られていた。

 

 帰った斥候は椀を受け取る前に、ヴェーゲナーの天幕へ向かった。

 

「旧採石場に、穀物が置かれています」

 

 ヴェーゲナーは男の靴から顔へ視線を上げた。

 

「誰がいた」

 

「誰も。小屋も空です。部隊を置ける広さがあります」

 

「袋の中を見たのか」

 

「はい。小麦です」

 

 ヴェーゲナーは天幕の外にいた別の斥候を呼んだ。

 

「お前の報告は聞いた。別の者にも見せる」

 

 戻ったばかりの兵は、頷いた。

 

 自分の目で見たと信じている物が、本当にそこにある。

 

 別の者が行くことに、不安は感じなかった。

 

 独立した斥候が馬で出ていく頃、北側の隊へ別の報告が届いた。

 

「南へ曲がる道に、検問の準備がありました」

 

 旧補給指揮官は、空になった飼葉の袋へ目をやった。

 

「北の中継地へは通れるのだな」

 

「そちらの道には、塞いでいる者はいません」

 

「麦の車は」

 

「まだ待っています」

 

 それは本当だった。

 

 夜明け前、見回りから戻った別の兵も、車が止まったままだと話していた。

 

 指揮官は、南への合流時刻を書いた紙を伏せた。

 

「軍と荷車を、同じ検問へ突っ込ませる必要はない」

 

 その声を聞いた炊事係が、釜の底を木杓子で掻いた。

 

 後方の中継地には、さらに遅れて3人目が着いた。

 

 予備隊長は荷車の間で報告を聞いた。

 

「採石場なら集結できます。糧食もあります」

 

「荷車を通す道は」

 

「通れます。ですが、入口は広がり切りません」

 

 隊長は弓弦の箱を見た。

 

 まだ、最終の受領署名はない。

 

「荷は40人で守る。動かすのは武装した30人だ」

 

 補佐官が、荷車へ寄せていた盾から手を離した。

 

「受領する装備担当が来るまで、このままですか」

 

「そうだ。車ごと連れていって、向こうが受け取らんと言えば戻せなくなる」

 

 30人を呼ぶ声がして、兵が革帯を締め直した。

 

 南側から出た独立の斥候は、その頃、採石場の小麦袋を切っていた。

 

 掌へ載せた穀粒を噛み、袋へ戻す。

 

 小屋の裏も、岩棚も調べた。

 

 そこへ真壁が姿を現すことはなかった。

 

 斥候は入口の幅を歩いて測り、元の道へ戻った。

 

 彼が持ち帰る報告にも、小麦があると書かれる。

 

 夜明けの明るさの中で、3つの隊はそれぞれ違う支度を始めていた。

 

 

 

 北側へ着いた南の連絡兵は、食事の終わっていない兵の間を通った。

 

 旧補給指揮官は、出発の支度をする小隊長を先に呼び止めた。

 

「北の車を受け取る。そこへ先行しろ」

 

「南の隊との合流は?」

 

「後だ」

 

 連絡兵が進み出た。

 

「国の使者が着いてからでは遅いと、将校殿が仰せです」

 

「遅いのは、こちらの麦だ」

 

 指揮官は、空腹を訴える兵を指で示すようなことはしなかった。

 

 ただ、椀を持ったまま立っている列を見た。

 

「合流の前に、こちらの兵を食わせる」

 

「南の道を、先に押さえねばなりません」

 

「その攻撃に、私の隊を数えるな」

 

 連絡兵は口を閉じ、持ってきた紙をもう一度開いた。

 

 返書を受け取ると、同じ道を南へ戻った。

 

 ヴェーゲナーは、返書を読み終えて机へ置いた。

 

「230人を、麦の袋へ連れていくのか」

 

 脇にいる元参謀将校が、採石場の地図を開いた。

 

「こちらには予備の30人が来ます。場所を先に取れば、北の荷も装備の車も、そこへ受け入れられます」

 

「採石場の報告は」

 

 ヴェーゲナーが問うと、戻った独立斥候が進み出た。

 

「穀物は本物です。人のいた小屋も、今は空です。入口と外の道を見張れます」

 

「ならば、先遣だけで押さえるか」

 

 元参謀将校が尋ねた。

 

「斥候だけで、王国軍に場所を取られてどうする」

 

 ヴェーゲナーは椅子から立った。

 

 旧大臣が戻らないことは知っていた。

 

 国が新しい支給官を各地へ入れ、兵に命令を読ませ始めれば、自分の声で動く者は減る。

 

 北側を待つ間にも、それは進む。

 

「主隊を出す。弓兵を置き、道を見張れ。北が荷を受け取ったら、そこへ呼ぶ」

 

 外へ出ると、予備の30人が到着していた。

 

 予備隊長は、後ろの荷車を連れてきていない。

 

「荷は補佐官へ預けています。こちらは、あなたの指揮へ」

 

「よい。外の警戒にも回してくれ」

 

 南側の190人へ30人が加わった。

 

 北側の国軍旗は、その列に見えなかった。

 

 天幕を畳む兵の横で、元参謀将校が連絡先を指示した。

 

 採石場へ入れば、兵を広げて待てる。

 

 小麦もある。

 

 彼らはその場所へ向かう準備を、自分たちの手で整えた。

 

 

 

 南側の隊が支度を進めていた明け方、真壁はラウフェンへ戻り、借りた馬へ水を与えてから軍務省へ《転移》していた。

 

 帰還室の窓はまだ青かった。

 

 ベルクマンは机を離れずに報告を聞いた。

 

「小麦と馬糧は北の中継地にある。装備の車は、後方の隊が仮に預かっている。どちらにも、御者がいたよ」

 

「採石場は?」

 

「無人だった。北の尾根の裏に、救護班を置ける小屋がある。岩の背で、下からは見えない」

 

 真壁は紙図に、行く道と待機場所を示した。

 

 ベルクマンはヴァイスナーを呼んだ。

 

「北側には、この命令と支給を渡す。輸送警護の任務は続けさせ、南への合流を止める」

 

 ヴァイスナーは国王印のある謄本と、指揮移管の指令を受け取った。

 

 真壁は事業所へ移り、澪へ声を掛けた。

 

 彼女は朝の搬入の支度をしていた。

 

「また、兵を送るんですか」

 

「使者と支給隊、それから軍医と収容担当だ。今回は、戦いが終わる前に近くへ置いておきたい」

 

「救護の人まで、戦う場所へ入るんじゃないですね」

 

「岩尾根の裏で待機する。安全を見てきたよ。将校が入口を調べるまで、下りない」

 

 澪は真壁が描いた道を見てから言った。

 

「その将校の方にも聞きます」

 

「ああ。軍の仕事は、その人から説明してもらおう」

 

 軍務省へ開いた関門を通り、閉じると、待機室には担架と糧食が並んでいた。

 

 ヴァイスナーは澪へ、尾根裏で待つことと、戦闘終了を自分で確かめることを説明した。

 

「合図だけで軍医を下ろすことはいたしません。私が見てきます」

 

「負傷した人を、置いて待たせるのも嫌なんです」

 

「先に近くへ置いていただけば、すぐ動けます」

 

 澪は最初の関門を、北の支給中継地へ開いた。

 

 空いた地面へ警戒兵が入り、支給隊と使者が続く。

 

 約60人が通ると、扉を閉じた。

 

 次は、岩尾根の裏にある無人の待機所だった。

 

 担架を抱えた兵が先の兵の足元を見ながら進み、軍医が水の用意を指示する。

 

 介助員と収容担当を含めた約120人が渡った。

 

 ヴァイスナーが引継ぎを告げると、澪は関門を閉じた。

 

 真壁はラウフェンへ転移し、馬で現地へ戻る。

 

 澪は事業所へ帰るための扉を開き、通り終えると閉じた。

 

 軍務省の専用室には、担架の置かれていた床だけが残った。

 

 朝が進んだ頃、北側の隊は小麦の車列へ着いた。

 

 旧補給指揮官は、そこに立つ王国軍の旗を見て馬を止めた。

 

「王命の謄本を見せてもらう」

 

 使者は袋から取り出し、広げて渡した。

 

「指揮特権の停止と、国軍への指揮移管です。あなたの隊には、ここで荷を保護して待機するよう命じます」

 

 指揮官の顔から、麦を待つ苛立ちが消えた。

 

「指揮を移すという知らせは聞いた。だが、命令書も引継ぎ先も届いていなかった。兵を動かせば、支給が止まる」

 

「止めません。ここにある荷は、国の担当が受け取ります」

 

 小隊長たちも、謄本へ近づいていた。

 

「兵には、まだ命令が届いていないのですね」

 

 使者が言った。

 

 旧補給指揮官は、しばらく黙っていた。

 

 その後、謄本を小隊長へ渡した。

 

「読ませろ」

 

 後ろの兵が、国の指揮へ戻るという文面を声にした。

 

「飯も、ここで受け取れるのか」

 

「受け取れる。荷を守れ。南側への合流は停止だ」

 

 支給担当が御者の前で荷を数え、受領控えへ署名した。

 

 御者はその紙を両手で持ち、端から端まで読んだ。

 

「これで、帰ってよいんだな」

 

「はい。馬糧も必要な分を受け取ってください」

 

 巻かれていた国軍旗が開かれた。

 

 旧補給指揮官は、南の方を一度見た。

 

 そこへ向かう号令を出さず、自分の兵を車列の側へ並べた。

 

 

 

 昼前の採石場には、石を切り出していた頃の音が戻ったようだった。

 

 盾の縁がぶつかり、乾いた斜面へ掛け声が跳ね返る。

 

 真壁は低い岩棚の陰に身を置き、入口から延びる列を見ていた。

 

 先遣の兵は、袋の口を解くだけでは済ませなかった。

 

 刃で切った小さな穴から麦を掌へ出し、噛んでから指揮官に見せている。

 

「穀物は本物です。小屋も空です」

 

「周囲は」

 

「岩棚の下まで見ました。荷を運んだ跡はありますが、人は残っておりません」

 

 真壁が夜に歩いた道を、斥候の1人が逆にたどっていた。

 

 北の尾根を越える道へは進まず、入口の見張りへ戻って手を上げる。

 

 ヴェーゲナーは、小麦の袋より先に岩の高さを見た。

 

「国の倉から移された物だろう。取り残されたなら、我々が使う」

 

「荷札はありません」

 

「王都へ戻れば分かる。今は、ここを押さえろ」

 

 元参謀将校が入口を指した。

 

「道を見下ろせます。北の隊が来るまで、ここで隊を組み直しましょう」

 

「全員を袋の前へ寄せるな。弓兵は奥、盾は入口側だ」

 

 兵は麦へ集まらず、号令どおりに分かれた。

 

 弓を背から外した者が、砕石の少ない奥へ並ぶ。

 

 盾を持つ列は、幅の狭い入口を通ってから横へ広がろうとした。

 

 後ろから来た予備隊長が、指揮官へ敬礼する。

 

「こちらの30人も配置につきます」

 

「槍の列と、こちらへ分けろ」

 

 元参謀将校は外を振り返った。

 

「20人を残します。合流の使者も、そこで受けます」

 

「北が来るまで、この場所を渡すな」

 

 外の兵が岩の上へ登り、街道に向けて身を伏せた。

 

 別の2人は入口を離れ、脇道をのぞき込む。

 

 真壁は、その兵が去るまで土盛りへ手を出さなかった。

 

 入口を塞ぐことはできる。

 

 だが、そこに立つ者を土の下へ埋める必要はなかった。

 

 小麦の袋を背にして、指揮官たちが集まった。

 

 御者も荷馬も、ここにはいない。

 

 岩に付いた古い鑿の筋を指でなぞり、真壁は手袋の石粉を払った。

 

 外の見張りが、入口の兵へ短い合図を送る。

 

 内側の隊列が止まり、その返事が返った。

 

 真壁は岩棚の端へ進んだ。

 

 

 

「何者だ!」

 

 最初に真壁を認めたのは、指揮官の側にいた兵だった。

 

 ヴェーゲナーが剣の柄を握る。

 

 真壁は、麦袋を挟んだ向こう側の男へ軽く会釈した。

 

「押入商会の真壁久忠と申します。皆様、お待ちしておりました」

 

「商人が、ここで何をしている」

 

「国王陛下の命令をお伝えに上がりました。旧指揮系統による移動と武力行使を停止し、国の指揮へ戻っていただきたい」

 

 真壁は封をした命令の謄本を掲げた。

 

「既にご存じなら、話は早い。武器を置いた方は、右手の平地へ。そこには手を出さない」

 

 ヴェーゲナーは封印を見た。

 

 驚いた顔にはならなかった。

 

 ヴェーゲナーは岩棚と入口を見比べた。

 

 姿を見せたのは1人だけだ。

 

 弓で岩陰へ押し込み、その間に盾を進めれば、足場を奪える。

 

「道を開けろ! 指揮官は私だ! 命令に従え!」

 

「国王陛下の命令をお伝えしているのですがね」

 

「弓を上げろ! 盾は前へ! 外の者は、あの男の後ろへ回れ!」

 

 奥で弓が動いた。

 

 先に弦を引いた一団の手元へ、薄い靄がまとわりつく。

 

 弓が消え、添えていた矢だけが兵の指を離れて落ちた。

 

 その脇で、別の弦が鳴った。

 

 真壁は岩棚の陰へ身を引いた。

 

 矢が岩をこすり、砕石へ突き立つ。

 

 割れた小石が、外套の裾を打った。

 

 岩の端から見えた次の列へ、真壁は目を移した。

 

 弓を握り直そうとした手が空をつかむ。

 

 ヴェーゲナーは、奥の列まで手を伸ばす靄を見た。

 

 術の届く距離を見誤った。

 

 だが、岩棚へ取り付けば、弓がなくとも戦える。

 

「前へ出ろ! 1人だ!」

 

 盾の列が動き始めた。

 

 100人ほどの兵が、狭い道へ何列にも重なって押し出されてくる。

 

 前列の槍先が真壁へ向いた。

 

 次の瞬間、その槍も、胸の前に掲げていた盾も消えた。

 

 兵が足を止める。

 

 後ろの者は、それを知らずに進んだ。

 

「押すな! 盾がない!」

 

 前へ抜けようとした先頭の数人が、突然膝をついた。

 

 その肩へ、後ろの兵がぶつかる。

 

 続く槍の列にも靄が走り、長い柄の重みを失った腕が揺れた。

 

 列の端から逃げ出す者がいる一方、まだ盾を残した兵は肩を入れて押し続けた。

 

 転んだ仲間を踏まぬよう、若い兵が両手を広げる。

 

「下がれ! 下がってくれ!」

 

 真壁は岩の陰から入口を見た。

 

 見張りの兵が脇道へ移り、狭い口が空いた。

 

 無人の土盛りが靄へほどける。

 

 入口の道へ戻った土は、低い堤のように横たわった。

 

 荷車を通せる幅はなくなったが、北の平地へ抜ける細い道は開いている。

 

「囲まれたぞ!」

 

「右へ出られる! 武器を置け!」

 

 兵の声に、指揮官が怒鳴り返した。

 

「勝手に動くな!」

 

 外では、見張りの半数ほどが岩棚へ回り込もうとしていた。

 

 真壁は、曲がり角から先に現れた槍を消した。

 

 続いて上がった弓も消える。

 

 先頭の男が剣を抜いて走ろうとすると、その膝が地面へ押し付けられた。

 

 後続が狭い道で止まった。

 

 入口へ戻ろうとした兵の向こうでは、旗手が旗を振っていた。

 

「こちらへ集まれ! 街道へ戻る!」

 

 旗が消えた。

 

 旗手は腕を上げた姿勢のまま崩れ、片膝をつく。

 

 伝令の武器を回収すると、真壁は岩の上の兵へ声を掛けた。

 

「外の方も、武器を地面へ。岩の下で待っていただけますかな」

 

 内側で崩れた槍の列を見ていた兵が、腰の短剣を抜いた。

 

 真壁へ向けず、石の上へ置く。

 

 隣の兵も、それに続いた。

 

 ヴェーゲナーは土の堤を見て、外側の旗を探した。

 

 車は出せなくとも、兵は外にいる。

 

 外から崩し、北の230人が着くまで持たせればよい。

 

 ところが、立っている旗が1本消えた。

 

 その下にいた兵は、岩の上へ短剣を置いていた。

 

「北へ使いを出せ!」

 

 予備隊長が、武器を失った伝令を呼びつけた。

 

 元参謀将校は、別の通路を指した。

 

「外から回れ。あの男だけを倒せ!」

 

 真壁は、その指が動くところを見ていた。

 

 元参謀将校の腕が下がり、両膝が地面へ落ちる。

 

 命令を運ぼうとした側近も、走り出す前につまずいた。

 

 ヴェーゲナーは剣を抜いたが、立ち上がれなかった。

 

「何をしている! 来い!」

 

 なお立っている近衛が、指揮官の周囲から離れた。

 

 12人ほどが残した武器を握り、左右へ分かれる。

 

 そのうちの男が、短剣を置いて平地へ向かう兵をつかんだ。

 

「逃げるか!」

 

 剣が上がった。

 

 真壁は、その剣を消した。

 

 男は兵を突き放し、腰から別の刃を抜く。

 

 仲間が岩棚へ迫り、反対側でも足音が速くなった。

 

「武器を置きたまえ」

 

 返事の代わりに、刃が向けられた。

 

 真壁は携行銃を抜いた。

 

 短い破裂音が、掘り込みの岩へ響いた。

 

 平地へ逃げた兵から離れて追っていた男が倒れる。

 

 続いた男は足を止めず、逃げる兵より近い真壁へ刃を向けた。

 

 次の音で、その足が崩れた。

 

 岩棚の側面では、肩を寄せた近衛が低く構えて迫っていた。

 

 真壁が向き直ると、先頭の刃が外套の裾をかすめた。

 

 乾いた音が続き、男たちの攻撃の姿勢が崩れる。

 

 撃たれて倒れた6人の向こうで、残る男たちはなお駆けてきた。

 

 真壁はそちらへ《重力》を集中した。

 

 踏み出した足が止まり、刃が地面へ落ちる。

 

 6人が砕石の上へ崩れた。

 

 1人は腕を動かそうとしていたが、隣の2人からは声が返らなかった。

 

 破裂音の余韻が消えると、苦しそうな息遣いだけが残った。

 

 真壁は銃口を下げた。

 

 槍を失った列の後ろで、短剣を握る兵が立ち尽くしている。

 

「それも、そこへ置いてくれたまえ」

 

 男が足元へ刃を置いた。

 

 真壁は北の平地を示した。

 

 麦袋へ寄ろうとした者も止め、武器を置いた兵だけを通す。

 

 外の見張りは岩の下へ座り、内側の兵は互いに腕を貸して歩き始めた。

 

 ヴェーゲナーの口が動いていた。

 

 だが、その声を待って武器を拾う者は、もういなかった。

 

 ヴェーゲナーは、麦袋の向こうに開いた北の道を見た。

 

 待っているはずの230人は現れず、自分の兵だけが武器を置いてそこを歩いている。

 

 北も、この小麦も、合流の場所さえも。

 

 自分が選び取ったつもりのものが、1つも手元に残っていなかった。

 

 岩棚の男へ怒鳴ろうとしたが、声にはならなかった。

 

 

 

 真壁は、最も近くに倒れた男の側へ膝をついた。

 

 息があった。

 

 石に擦った傷へ布を当て、手を動かせる兵を呼んだ。

 

「ここを押さえていてくれ。離さないように」

 

 呼ばれた兵は、真壁の手元を見たまま動かなかった。

 

「仲間を助けてよい。武器を持たなければ、何もしない」

 

 ようやく男がしゃがみ、渡された布へ両手を重ねた。

 

 真壁は北の平地へ出て、白い布を掲げた。

 

 尾根の上で、小さな影が立ち上がる。

 

 影はすぐに岩の向こうへ消えた。

 

 軍医と担架を持つ兵が待っているのは、その尾根の裏だった。

 

 真壁は再び負傷者へ戻った。

 

「こちらにも、まだ動く者がいます」

 

「場所を示してくれたまえ」

 

 兵が、最後に倒れた近衛の方を指した。

 

 真壁は残っている呼吸を探し、動かせない男を砕石から平らな場所へ移した。

 

 水筒を差し出す者には、まだ飲ませないよう短く伝える。

 

 尾根を回って来たヴァイスナーは、軍医を一度止めた。

 

 数人の兵と通路を歩き、落ちた短剣を拾い、岩の上の見張りにも手を空けさせる。

 

 矢の刺さった岩を見てから、後ろへ合図した。

 

 担架が運び込まれた。

 

「こちらの者から診てくれ。息はある」

 

 軍医が真壁の横へ座る。

 

「止血は、あなたが?」

 

「今できるところまでだ」

 

 軍医は布を押さえる兵の手を見て、位置をわずかに直した。

 

「そのまま。よく押さえている」

 

 兵が深く息を吐いた。

 

 周囲へ国軍兵が入り、武器を置いた者を平地へ並べていく。

 

「全員、武器を置いたまま待て。負傷者へは手を貸してよい」

 

 呼び掛けを聞いた兵が、担架の持ち手へ手を伸ばした。

 

 ヴェーゲナーと元参謀将校は、先に拘束された。

 

 ヴァイスナーは2人から離れた場所で、側近の携えていた指示書を開いた。

 

 南側主隊の出発時刻と、北側との合流を待たず進む旨が書かれている。

 

 ヴェーゲナーの署名もあった。

 

「これは預かる。持っていた者の名も聞く」

 

 真壁は回収した武器を、兵のいない一角へ戻した。

 

 国軍の担当者がその前に立つ。

 

 真壁は軍医の使う道を空けたまま、入口へ寄せた土を元の土盛りへ戻した。

 

 荷車を入れる前に、担当の兵が地面を均し始めた。

 

 麦の袋は、武器の山から離れて残された。

 

 軍医は、銃撃を受けて倒れた6人を診た。

 

 仲間の兵に名前を尋ね、その1人ずつについて死亡を告げた。

 

 次に、重力で突撃を止められた6人へ回った。

 

 うち4人には呼吸と脈が残っており、担架が呼ばれた。

 

 声を返さなかった2人には、すでに呼吸も脈もなかった。

 

 軍医は傷を診て、重力によって地面へ押し付けられた際の損傷が致命的だったとヴァイスナーへ告げた。

 

「この2人も、亡くなっています」

 

 ヴァイスナーが帽子を取った。

 

 死者は8人だった。

 

 生存した212人のうち、24人に手当てが必要だった。

 

 軍医は1人ずつ名前を尋ね、答えられない者は仲間を呼んだ。

 

 真壁は、死者の顔へ掛けられた布を見ていた。

 

 風で端がめくれると、近くの兵が石を外側へ置いた。

 

 袋の口からこぼれた麦へ、その兵の膝が触れた。

 

 

 

 採石場で弓が上がる少し前、装備の荷車が残る中継地へ王国の使者が到着していた。

 

 北側の車列を離れてから、枝道を馬でたどって来た男だった。

 

 補佐官は、ヴェーゲナーへ渡すはずの荷札を差し出した。

 

「南へ渡せと命じられています」

 

「その命令を出した者の指揮権は停止された。荷を守る任務は続けよ。渡す相手が変わる」

 

 補佐官は勅令の謄本を読み、封印を見た。

 

 後ろの兵も、その紙をのぞき込もうとする。

 

 補佐官は向きを変え、全員に見せた。

 

「我々は国軍だ。この命令に従う」

 

「隊長は南へ行きました」

 

「だから、我々まで出ることはできない」

 

 2人が、荷車から離れた。

 

「30人を置いていけません。追わせてください」

 

「南へ兵を出す命令はしない。剣を渡せ」

 

「しかし……」

 

「任務を捨てて仲間を助けに行けば、その仲間と同じ立場になるかもしれん。ここで荷を守れ」

 

 補佐官は手を差し出したまま待った。

 

 2人は互いを見てから、剣帯を外した。

 

 使者が、その名を尋ねた。

 

「消息は調べて知らせる。独断で使いを出すな」

 

 2人は荷車へ戻り、ほかの38人と並んだ。

 

 御者が、荷台の軍靴の包みを指した。

 

「では、判をくれるのは、そちらだな」

 

「支給担当を送る。それまでは、荷を動かさず待ってほしい」

 

 昼を過ぎ、国の支給担当が箱を開けた。

 

 予備の弓弦と荷役綱が、仮保管の控えどおりに収められていた。

 

「私が受け取ります。運賃も国の契約として扱います」

 

 御者は受領控えをもらうと、馬の水を取りに行った。

 

 帰る支度を始めたところへ、南側から別の使者が来た。

 

 主隊の武装解除と負傷者の救護が済んだことを、補佐官へ告げる。

 

 剣を預けた兵が、進み出た。

 

「30人の隊は、戻るのか」

 

「今は収容されている。名を調べているところだ」

 

 兵は、次の言葉を待った。

 

 使者は、分からない名を付け加えなかった。

 

 補佐官が荷車の脇へ戻り、国の支給担当に最後の包みを渡した。

 

 

 

 夕方、軍務省の窓の下を、普通の荷車が通っていた。

 

 御者が角を曲がるために声を掛け、軒先の人が籠を引く。

 

 真壁はその音を聞きながら、封をした報告をベルクマンへ渡した。

 

「現地を引き受けたヴァイスナー君からだ。軍医の署名もある」

 

 採石場を離れ、ラウフェンの登録地点まで馬で戻ってからの帰還だった。

 

 靴の縁には、まだ白い石粉が残っている。

 

 ベルクマンは封を切り、先に軍医の一覧を開いた。

 

「我が方の戦傷は、ありません」

 

「射線へ入れていない。現場へ来たのは、抗戦が終わってからだ」

 

 ベルクマンの肩がわずかに下がった。

 

 次の頁をめくる手は止まらなかった。

 

「死亡8人。生存212人、うち負傷24人」

 

 クラウスは、机の端へ置かれた2枚の受領控えを見た。

 

「荷の方は、両方とも引き渡せたのだね」

 

「はい。麦と馬糧は北側の支給へ。装備の車列は、こちらの支給官が受け取りました」

 

 ベルクマンは、北側の支給担当将校の名を示した。

 

 旧配置書にあった受領予定者は、その男だった。

 

 御者が持つ写しにも同じ名があり、当人の説明とも一致していた。

 

「馬糧と一部の麦は、戻った230人へ支給しています。残りは通常の補給へ回せます」

 

 装備の車列には、別の受領予定者がいた。

 

 ヴェーゲナーの装備担当で、採石場で拘束された側近の1人だった。

 

 本人の携えていた受入指示と、後方で保管していた荷札をベルクマンが並べる。

 

「軍靴、弓弦、荷役綱は、40人の警護から現地の支給倉へ移しました」

 

「運送人も帰せるのだね」

 

「未払い分を処理し、帰路を確保しました」

 

 クラウスは受領控えを重ねず、別々に置いた。

 

「荷のために出た兵と、王命を知りながら抗戦を命じた者。そこを混ぜぬように」

 

「はい。北側230人と後方40人は指揮を移管し、捕虜212人と死者8人は、現地の官署へ引き継ぎました」

 

 ベルクマンは南側の発動指示を広げた。

 

 勅令を知ったうえで出発したという側近の説明は、なお別に聞き取る必要があった。

 

 だが、命令の原本と、実際に国王の命令を拒んで弓を上げた現場は残っている。

 

 出発前、クラウスは何をしたか報告するよう求めた。

 

 真壁は承諾し、その言葉を覚えていた。

 

 斥候を仮死状態にし、記憶へ手を入れたことも、その要求に含まれる。

 

 忘れて話さなかったのではない。

 

 ここで明かせば、クラウスは今後の協力を止めるかもしれなかった。

 

 真壁は、その部分を意図して伏せた。

 

 暗示で作った報告を、独立した証言として添えることもしなかった。

 

 机の向こうで、クラウスが次の書状へ手を伸ばした。

 

 真壁は、その手から視線を外した。

 

「王命を拒んだ発動と、荷を運んだだけの者を分けて調べる」

 

 クラウスが言った。

 

「倉の承認印を扱った者も、これで終わりにはしない。誰の命令を、いつ受けたのかをたどろう」

 

 ベルクマンがうなずいた。

 

 真壁は、最後まで残っていた小さな包みを指した。

 

「それなら、私の置いた小麦は別にしていただこう」

 

「商会の分ですね。国の荷と混ぜません」

 

「助かるよ。こちらにも、納品を待つ相手がいるのでね」

 

 ベルクマンは商会名の入った受領用紙を取り出した。

 

 真壁が署名を終える頃、廊下では次の支給担当が呼ばれていた。

 

 

 

 事業所へ戻ると、ランプの明かりが窓に映っていた。

 

 真壁は外套を脱ぎ、裾に付いた石粉を入口で払った。

 

 澪が席を立つ。

 

「終わったんですか」

 

「ああ。まとまって攻撃できる反乱部隊は、もういない」

 

「こちらの兵の人たちは?」

 

「戦わせてはいない。今日の作戦で、新たに亡くなった者も負傷した者もいない」

 

 澪は息を吐いた。

 

 だが、真壁が外套を掛け終えるまで、続きを待っていた。

 

「相手の側には死者が出た。8人だ。負傷者を診る仕事は、軍医へ渡してきた」

 

「捕まった人たちは」

 

「国が引き受ける。私がここへ連れて来ることはないよ」

 

 澪は机の上の書類を片付け、真壁の座る場所を空けた。

 

「それなら、今夜は商会の人に戻ってください」

 

「そうしよう」

 

 理央が、開いておいた頁をこちらへ向けた。

 

「真壁さん、こちらも待っていました」

 

「何をかな」

 

「納品書を見てくださる方をです」

 

 真壁は椅子を引いた。

 

「……承知した。こちらを見よう」

 

 理央の指が、チタンの欄をたどる。

 

「月1tの分です。次の納品で使う控えと、東都へ送る方を分けてあります」

 

 真壁は、その2枚を受け取った。

 

 理央が脇へ置いた古い控えを取り、受領欄の位置を見比べる。

 

「こちらは、受け取る方の名前を書く場所を広くしよう。現場で書きにくいと、後で君が困る」

 

「はい。そうします」

 

 理央は返された紙へ印を付け、新しい用紙を引き寄せた。

 

 澪は自分の席へ戻る途中、真壁の手を一度見た。

 

 その手は今、納品書の端を押さえている。

 

 澪は何も言わず、昼からの続きの頁を開いた。

 

 窓の隙間から入る風で、理央の紙が持ち上がった。

 

 真壁が端を押さえ、理央は礼を言って書き続けた。

 

 外では、明日の荷を覆う布が静かに鳴っていた。

 

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