診察室へ向かう廊下で、書類箱を抱えた侍従とすれ違った。
相手は足を止め、箱を抱え直して道を空けた。
メリルが、その先の扉を開ける。
「ヨルド様をお連れしました」
ヨルドに扮したヴァルトは、室内へ一礼した。
窓から差す朝日が、診察台に掛けられた布を白く照らしていた。
国王は、その脇の椅子に腰を下ろしている。
クラウスは少し離れた位置に座り、侍医が広げる記録を見ていた。
昨日の軍の草案は、ここにはない。
ヴァルトは小卓の端へノートを置いた。
メリルが静かに退出し、扉を閉める。
「昨日お伝えした異物について、詳しいことが分かりました」
侍医が記録を押さえ、国王へ向き直った。
「私の診察では、今朝も脈や呼吸に大きな変化は見られませんでした。ただ、ヨルド様が調べられた異物は、そのまま残っております」
国王の目が、ヴァルトへ移る。
「何であった」
ヴァルトは、ノートを国王に読める向きへ回した。
名称の下に、分類と、調べた範囲の形を記してある。
「《我欲の種》と読めました。生き物ではなく、魔術の仕組みを持つ、ごく小さな人工物です」
「我欲」
王が、その二文字を口にした。
ノートには手を伸ばさず、椅子の肘掛けを握った。
「随分な名だな」
「《鑑定》で出た名称を、そのまま写したものです」
「それで、何をする物だ」
ヴァルトは、読み取れた術式の部分へ指を添えた。
複雑な線を見せるだけでは、説明にはならない。
顔を上げ、国王の目を見た。
「身体に入れられた人が、元から持っている欲求へ働き掛ける構造が見えました。その欲求を、強めている可能性があります」
王の眉が寄った。
「昨日、わしが軍の話を先にしたからか」
「それも、気になったことの一つです。ただ、全ての働きが分かったわけではありません」
「わしの考えまで、偽物だと言うのか」
クラウスの椅子が、わずかに軋んだ。
ヴァルトは口を開きかけ、宰相が国王へ向き直るのを待った。
「救援へ兵を送れる軍が必要だというお考えを、私どもが否定するものではございません」
「ならば、なぜ、その話になる」
「陛下は昨日、ベラクルスへの救援から考えておられたと仰せでした。軍籍に載る人数と、動かせる兵の数が合わぬ。その問題は、現にございます」
クラウスは、膝の上で重ねた手をほどいた。
「そこを正す仕事は、必要です。ですが、そのお考えに、陛下の知らぬところで何かが働き掛けているなら、放置はできませぬ」
国王は、肘掛けを握ったまま黙った。
侍医の記録紙が、窓から入る風で少し浮く。
侍医が指を置いて押さえた。
「誰かが、わしに命じておるということか」
今度の問いは、ヴァルトへ向けられた。
「外から命令を受け取る構造は、読み取れた範囲にはありませんでした」
「では、わしが軍を欲しがったのは」
「陛下ご自身が望まれたことだと伺っています。私に、そのお考えの中身まで見えるわけではありません」
王はノートへ目を下ろした。
小さな人工物の輪郭を描いた線の上で、視線が止まる。
「このようなものを、入れられておったのか」
「お身体にあることは、確認できました。誰が、いつ入れたかまでは、まだ分かりません」
国王は片手を肘掛けから離し、自分の胸元へ置いた。
指先で服の布を押さえ、何も感じないことを確かめるようにした。
クラウスは、その手を見ていた。
昨日は、身体の話からすぐに軍の書類へ戻った。
今朝の王は、ノートから目を離さなかった。
「取り出せるのだな」
「方法は考えております。ご説明します」
ヴァルトは椅子を少し引き、小卓と国王の間を空けた。
「《収納》で、この人工物だけを取り除きます」
「身体の中からか」
「はい。今のお身体を改めて調べ、その物と周りの組織の境目を確かめてから、対象を選びます」
王は、ノートにある輪郭と、ヴァルトの手元を見比べた。
「切るのではないのか」
「刃を入れずに取り出す方法です」
「肉まで持っていくことは」
「そうならないよう、人工物だけを指定します。境目を確かめられなければ、そのまま進めません」
王の指が、胸元から膝へ下りた。
侍医は、国王の手首へ触れられる位置に寄った。
「傷を付けぬなら、抜けば済むのではないか」
「その後のお身体に、何が起きるかは分かりません」
ヴァルトが答えると、侍医もうなずいた。
「異物が長く身体にあった場合、取り除いた後の反応を診る必要がございます。今回は、同じ物を摘出した後の経過も分かっておりません」
「今は何ともないぞ」
「はい。ですから、その状態を記録して、摘出の前後で比べます」
侍医は、国王の手首へ指を置いた。
王は手を引かなかった。
ヴァルトは、収納に保管しているエリクサーを意識した。
昨日、急変した時に使える薬があると侍医には伝えた。
何を持っているか、後ほど伺うという返事も覚えている。
まだ、その話は済んでいなかった。
侍医はいま、国王の脈を取り、処置前の様子を記録することに手を使っている。
ヴァルトはノートの次の頁を開いた。
薬の相談は、必要になればするつもりだった。
その前に、国王へ伝えなくてはならないことが残っていた。
「途中で痛みや苦しさを感じられたら、お知らせください。対象を収納する前でしたら、手を止められます」
「取り出した後は」
「侍医にお身体を診ていただきます。私も、その場を離れません」
侍医は国王の手をそっと戻した。
「少し動かずにいられる姿勢を取っていただきます。こちらでお支えしますので、ご無理に力を入れないでください」
「……それを抜けば、軍を欲しがる気持ちも消えるのか」
王は、クラウスではなくヴァルトを見て尋ねた。
「その点は、保証できません。取り除くのは、体内の人工物だけです」
「抜かぬ方がよいことも、あるのか」
ヴァルトは、一度ノートへ目を落とした。
分からないところを空欄のままにしていた紙だった。
そこを、都合のよい言葉で埋めることはできなかった。
「抜いた後の危険を、今、全てお話しすることはできません。ただ、身体へ働き掛けている疑いのある人工物を、そのままにしておくことも勧められません」
王は長く黙った。
クラウスは声を掛けず、膝の上へ両手を戻した。
診察室の外で、箱を床に下ろす低い音がした。
国王が顔を上げる。
「わしが望んだ軍は、わしが考える」
「はい」
「その種には、任せぬ」
王は、ヴァルトへ短くうなずいた。
「ならば、やってみよ」
侍医が記録へ筆を入れた。
クラウスはようやく息を吐き、立ち上がった。
王の答えを促すための言葉は、使わずに済んだ。
ヴァルトはノートを引き寄せ、頁の端を揃えた。
「支度を整えてから、もう一度、お身体を確認します」
王は椅子から立ち、侍医に示された診察台へ向かった。
その足取りを、クラウスがすぐ後ろから見守った。
侍従次長の机に、王都警備隊からの報告が届いた。
使者は、薄い封書を差し出したまま待っていた。
侍従次長は書面を開き、地図儀の工房について記された箇所を読む。
「追加加工の指示と支払い先は、まだ確認中か」
「はい。工房の帳簿と、注文の経緯を調べております」
「引き続き調べてくれ。返事は、ここへ」
使者が退出すると、保守担当を呼び入れた。
机の脇には、旧保守区画の鍵が用意されている。
「問題の区画は、当面、立入りと通常の保守操作を止める。今ある作業記録も残しておけ」
「誰も入れぬよう、手配いたします。接続条件そのものの修復は、いかがいたしましょう」
「ヨルド殿へ、陛下の処置の後で頼む」
侍従次長は、入域と立会いの許可を書き添えた。
「それまでは、止めたから直ったと思わぬように」
「承知しました」
保守担当が鍵を受け取り、指示の書面とともに持っていく。
侍従次長は、工房の報告を献上品の控えへ挟んだ。
軍の調達案にある商人の名も、同じ束の中に残っている。
どちらの書類にも、まだ、犯人と書き込める箇所はなかった。
侍医が診察台の布を整え、国王の肩の位置を確かめた。
上体を支える姿勢が決まると、王は肘に入れていた力を抜いた。
ヴァルトは小卓へノートを置き、昨日の輪郭が描かれた頁を開く。
クラウスが、診察台の足元寄りへ移った。
そこなら、王の顔を見ることができる。
侍医とヴァルトが動く場所も塞がない。
「脈と呼吸を確認しました」
侍医は、国王の手首から指を離さずに言った。
ヴァルトは国王へ向き直った。
「改めて、異物の位置を調べます」
「任せる」
王の声は、はっきりしていた。
ヴァルトは《鑑定》を使った。
身体異常の情報を追い、昨日と同じ人工物を見つける。
我欲の種。
非生物であることを確かめ、存在する位置へ意識を絞った。
昨日の記録をいったん頭から離す。
そこにあるはずだと思って見るのではなく、いま見えている輪郭を辿る。
王が息を吸い、診察台の布がわずかに動いた。
ヴァルトは、その動きが収まるのを待った。
《境界》で、人工物と、生体の組織との違いを追う。
小さなものだった。
ノートには大きく描いたが、身体にある実物は、紙へ置いた筆の先よりもずっと小さい。
人工物の輪郭を辿り、周囲の組織との境目を確かめた。
王の目が、ヴァルトの顔へ向けられていた。
どう進んでいるのかを、知りたいのだろう。
ヴァルトは顔を上げた。
「昨日見えた物を、今も確認できています」
「そこにあるのだな」
「はい。境目を、もう少し確かめます」
国王はうなずき、顎を少し引いた。
侍医が肩へ手を添える。
「その姿勢のままでお願いいたします」
王は言われた通りにした。
ヴァルトは、人工物へ意識を戻した。
周囲の血液も、身体を作る組織も、対象には含めない。
取り出そうとする一個の外側を、輪郭に沿って切り分ける。
普段、品物を収納する時なら、手早く終える操作だった。
その正確さを、今は人の身体の中で求められている。
ヴァルトは、指先を小卓の縁から離した。
侍医の指が、王の手首に触れている。
クラウスは、両手を身体の横へ下ろして待っていた。
王が先ほど承諾した声を、ヴァルトは覚えている。
確認を求められた危険に、全て答えられたわけではない。
それでも、王は任せると決めた。
非生物の人工物、一個。
ヴァルトは王へ告げた。
「それだけを収納します」
薄い靄が、わずかに生じた。
《収納》の対象を、我欲の種へ定める。
輪郭が消えた。
ヴァルトはすぐ、国王の身体を見直した。
先ほどまで人工物が存在したところに、その物はない。
周囲の組織が一緒に失われた様子もなかった。
続いて、自分の収納内を確かめる。
我欲の種が、一個、入っていた。
他の所持品とは分けて、その存在を捉える。
ヴァルトは顔を上げた。
「取り出せました」
「……そうか」
王の声を聞いて、クラウスの肩が少し下がった。
その息が抜けきる前に、国王の手が胸へ上がった。
「……ぐっ」
服の布を掴む。
指が折れ、襟元が強く引かれた。
侍医が、身体を支えていた手を動かす。
「陛下」
国王の上体が前へ倒れかけた。
侍医は肩を受け、診察台の上で支え直した。
短い息が、喉から漏れる。
「胸が……」
その先の言葉は、続かなかった。
「陛下、聞こえますか」
侍医の指が、手首の脈を追った。
王は口を開き、息を吸おうとした。
胸が小刻みに動いている。
クラウスが一歩踏み出した。
侍医が国王の肩の位置を変えるのを見て、足を止める。
椅子を自分の後ろへ引き、身体を退いた。
「陛下!」
王の目がそちらへ向いたが、返事はなかった。
ヴァルトは《鑑定》を続けていた。
種は身体に戻っていない。
指定した周囲を巻き込んでもいない。
確認を終えるのと同時に、血管の位置へ意識を移した。
この苦しみを、いま止めなくてはならない。
収納には、常備しているエリクサーがある。
侍医の前で薬瓶を出し、説明している余裕はない。
ヴァルトは《鑑定》で、下大静脈の位置を捉えた。
血管の外側ではなく、その内側を、取り出し先に定める。
収納にある小瓶から、エリクサーの薬液だけを選んだ。
そして、下大静脈の内部へ直接、取り出した。
瓶は、収納の中に残る。
ヴァルトの手は、何も持っていなかった。
薬液は血流へ入り、国王の身体へ働き始めた。
「陛下、少しこちらへ」
侍医が支える肩に合わせ、王の姿勢が変わった。
ヴァルトは《鑑定》から意識を外さなかった。
エリクサーを使えたことだけで、終わりにはできない。
侍医の手元と、王の身体を見続ける。
国王は胸元の服を握っていた。
その指の間から、布が少しずつ戻った。
荒い息は、まだ聞こえる。
だが、吸おうとして途中で詰まっていた呼吸に、長さが戻ってきた。
次の息が続く。
その次も、続いた。
侍医が王の顔を覗き込む。
「お声が聞こえますか」
国王の目が動いた。
少し遅れて、顎が下がる。
「……聞こえる」
クラウスは、引いた椅子の背へ手を置いた。
椅子を戻すことも、そこへ座ることもしなかった。
「呼吸が落ち着いてきました。そのままで、もう少し」
侍医は脈を見る指を離さなかった。
ヴァルトは、国王の身体の変化を確かめた。
投与したエリクサーが効いている。
胸痛を引き起こした理由は分からないが、呼吸の乱れは弱まっていた。
王の額に浮いていた汗を、侍医が布で押さえた。
国王はその布を嫌がらず、目を閉じた。
「痛みはいかがですか」
「……さっきほどではない」
「苦しさは」
国王は、今度はすぐに答えなかった。
一度息を吸い、吐いてから、声を出した。
「息は、できる」
侍医が小さくうなずいた。
クラウスは、椅子の背を握っていた手をほどく。
ヴァルトも、ようやく息を吐いた。
指先に力を入れたまま立っていたことに、その時、気づいた。
国王が、薄く目を開いた。
「……クラウス」
宰相はすぐ、診察台の脇へ寄った。
侍医の手が動く場所だけは、空けておく。
「陛下」
呼ばれた名へ返した声が、少し掠れた。
王は、その顔を見た。
「そこにおったか」
「はい。ここにおります」
国王の手が、胸元から診察台の布へ下りた。
握っていた服に、深い皺が残っている。
クラウスはその手へ触れかけ、侍医が再び脈を取るのを待った。
「しばらくお休みいただきます」
侍医が言った。
「もう一度痛みや苦しさがありましたら、すぐお知らせください」
国王は目を閉じ、うなずいた。
侍医が顔を上げる。
「ヨルド様。異物は、取り出されたままなのですね」
「はい。私の収納にあります。お身体の中には、見えていません」
ヴァルトは、確認したことだけを伝えた。
侍医は小卓へ手を伸ばし、記録に短く書き付けた。
「取り出した後の、あの痛みは……」
国王が、目を閉じたまま尋ねる。
侍医は筆を置いた。
「原因は、今のところ分かりません。呼吸と脈は落ち着いてきておりますが、続けて診させてください」
その返事を聞いて、王は動かなかった。
ヴァルトは診察台から半歩離れた。
自分の所見を書き留めるため、ヴァルトはノートを開いた。
種を収納した時のことと、その後に生じた身体の変化を記す。
小卓へ戻したノートの脇に、侍医の記録が置かれる。
そこには、異物除去後の胸痛と呼吸の乱れ、そして改善の経過が書かれていた。
侍医は、いつまで安静にするかをクラウスへ話している。
ヴァルトはノートを閉じた。
「あの軍は……」
クラウスが身を寄せた。
国王は続きを言おうとしたが、息を吐き、目を閉じた。
「お話は明朝、お身体を診ていただいてからにいたしましょう」
返事を求めず、クラウスは侍医へ向き直った。
「今日の政務は止める。明日の予定も、診察を終えてからだ」
侍医はうなずき、記録の余白へ書き添えた。
侍医は診察台の布を整え、休む部屋へ移る支度を始めた。
ヴァルトは、人工物が一個、収納にあることをもう一度確かめる。
これを出して調べる仕事は残っている。
今は、外へ出さなかった。
クラウスが国王に付き添い、侍医の指示で静かに部屋を移った。
診察室に残ったヴァルトは、国王の服を掴んだ手と、薬の投与先を思い返した。
エリクサーは役に立った。
だが、あの痛みがなぜ起きたかという空欄は、ノートに残っている。
小卓の上に散っていた紙を揃え、持ち上げた。
午後、国王の呼吸が落ち着いたままであることを、ヴァルトは侍医に確かめた。
「こちらで続けて診ております。変化があれば、お呼びします」
その返事を受けてから、メリルの案内で保守区画へ向かった。
侍従次長が、入口で許可の書面を保守担当へ示した。
「ヨルド殿に、問題の接続を確認していただく」
保守担当が鍵を開け、先に入った。
午前の指示により、通常の操作は止めてある。
作業記録も、手を加えずに残されていた。
ヴァルトは、《境界》で旧保守系統の接続条件を辿った。
人の出入りを止めても、術式に残る綻びは閉じていない。
先に確認した箇所を、記録と照らし合わせる。
必要な設備へ通じる部分を残し、問題の接続だけに手を入れた。
以前の保守で扱った仕組みだった。
周囲へ広げず、一つずつ条件を閉じていく。
終えてから、同じ箇所を別の側から確かめ直した。
不適切な接続は、通らなくなっている。
保守担当に正規の操作を確かめてもらい、周辺設備へ支障が出ていないことも確認した。
「問題の接続は閉じました。ほかの設備にも、影響はありません」
ヴァルトは結果を書き留め、侍従次長へ渡した。
用紙を受け取った相手が、その顔を見る。
「この後は、控室へ」
「はい。呼ばれれば、すぐに伺います」
メリルが待つ廊下へ出ると、窓から入る光が朝とは違う角度で床を照らしていた。
夕刻、クラウスは机の上の草案を畳んだ。
端に付いた折り目へ、指が引っ掛かる。
昨日、国王から押し渡された紙だった。
今日も、その編成案に決裁はない。
陞爵に関する書類は、別に揃えて脇へ置いた。
侍従次長が入ってきた。
「境界の修復は済みました。工房の調査は、継続中です」
クラウスは、差し出された報告を受け取った。
修復の確認には、ヨルドの名が記されている。
「陛下への報告は、明日の診察後にしよう」
「承知いたしました」
クラウスは軍の草案と報告を、重ねずに置いた。
朝、国王はその種には任せぬと言った。
あの声で命じられた仕事を、ヴァルトは果たした。
その後の、胸元を握った指も思い出す。
クラウスは草案へ伸ばしかけた手を戻し、国王の休む部屋へ行くために立ち上がった。
夜、侍医は寝台の脇で、国王の手首へ指を置いていた。
灯りは枕元から少し遠ざけてある。
午前中、衣服を掴んでいた手は、今は寝具の上で緩んでいた。
「お加減はいかがですか」
「痛みは、もうない」
侍医は呼吸を確かめ、手を戻した。
「明朝、改めて診させていただきます」
国王は短くうなずいた。
侍医が筆を取り、今の受け答えを記録する。
外の廊下を、夜の当番が通っていった。
「……あの軍の草案は、どうなっておる」
侍医の筆が止まった。
「宰相がお預かりしております」
国王は、その返事を聞いて目を閉じた。
「そうか」
侍医は、続く言葉を待った。
寝具が、王の息に合わせて静かに動いている。