翌朝、寝室の窓から差した光が、水差しの縁を照らしていた。
枕元から遠ざけられた灯りは、もう消されている。
国王は寝台に身を預けたまま、手首に触れる侍医の指を見ていた。
「昨夜から、痛みは再発しておりませんか」
「ない。息も苦しくない」
「眠れましたか」
「途中で目は覚めたがな」
王は、窓へ目を移した。
庭の枝が、明るい空を背に揺れていた。
侍医が脈を取り終え、記録に筆を走らせた。
その脇で待っていたヴァルトへ、国王が顔を向ける。
「ヨルド。今朝も、調べるのだな」
「はい。昨日、異物があったところを確認させてください」
王がうなずいた。
ヴァルトは《鑑定》を使った。
昨日の位置に、我欲の種はない。
身体異常の情報にも、あの人工物は見当たらなかった。
収納には、昨日取り除いた種が一個ある。
ヴァルトは顔を上げた。
「昨日の異物は、今も見当たりません」
侍医が、ヴァルトの所見を書き留めた。
国王の手は寝具の上で緩んでいた。
昨日は胸元の衣服を握りしめていた手だった。
昨日、自分の収納から取り出したエリクサーは、王の身体へ届いた。
それでも、種を抜いた直後の痛みの理由は分からない。
「今朝の所見は、落ち着いております」
侍医が国王へ告げた。
「ただ、昨日の急変が何だったかは、まだ分かりません。今日も続けて診させていただきます」
王は少し黙ってから尋ねた。
「では、政務は、どこまで許される」
侍医が筆を置いた。
「寝たまま、短い報告をお聞きになる程度まででございます。長い会議は、お控えください」
「ここで聞くならよいのか」
「お疲れになる前に、切り上げていただければ」
国王は、寝台の脇にある小卓を見た。
軍の書類は、まだ置かれていない。
「分かった。クラウスを呼べ」
侍医は戸口の侍従へ伝え、戻ってきた。
ヴァルトは今朝の所見をノートへ写した。
「必要でしたら、お呼びください。控室におります」
「うむ」
王は、退出しかけたヴァルトを見た。
「昨日は、世話になった」
ヴァルトは一礼した。
「お加減が落ち着かれて、何よりです」
それ以上は言わず、寝室を出た。
前室の椅子には、まだ誰も座っていなかった。
扉が閉まると、朝の廊下を行き来する足音が、はっきり聞こえた。
クラウスは、畳んだ草案を持って寝室へ入った。
侍医が椅子を示し、短い面会に留めるよう、目で念を押した。
宰相は小さくうなずき、寝台の脇へ座る。
王の顔色を見てから、持参した紙を膝の上で開いた。
「昨夜、お尋ねになった草案でございます」
「見せよ」
クラウスは、王が読みやすい向きへ紙を回した。
国王は一方の端を持ち、折り目を伸ばす。
クラウスは、紙の下から手を添えたまま待った。
「わしは、やはり軍が欲しい」
クラウスは答えを急がなかった。
草案の上を、王の視線が動いている。
「ベラクルスのようなことが、またあっては困る」
「必要なところへ、兵を送れるようにする。そのための軍でございますね」
「そうだ。出せると聞いておった兵が、必要な時には出てこぬ。あれでは、待つ者に何も届かぬ」
王の指が、兵員の欄へ下りた。
「一昨日、そなたが尋ねておった数だが」
顔を上げる。
「この兵は、本当におるのか」
クラウスは、紙の下から支えていた手を少し動かした。
同じ欄を、自分も一昨日指した。
その時には、足りなければ募集すればよいと返された。
「以前の軍籍をもとにした数でございます。実員との照合は、済んでおりませぬ」
「軍営へ行けば、この数だけ集まるとは言えぬのだな」
「はい。所在が分かった者でも、今、招集に応じられるかは別に確かめる必要がございます」
王の口元が引き結ばれた。
兵員の欄に書かれた数字を、もう一度読む。
クラウスは、その沈黙へ説明を重ねなかった。
「おらぬ兵を数えて、軍を作ったことにはできぬな」
「まず、実際に動かせる数を確かめたく存じます」
「装備もか」
「装備、糧秣、訓練の状況も調べます。人数が確かでも、明日出られる部隊と、支度に日数の要る部隊を、同じには扱えません」
王は草案の端を持ち直した。
補給拠点から軍営へ引かれた線を、指で辿る。
「道だけあっても、兵と食糧が来なければ意味はない」
クラウスはうなずいた。
「現にいる兵を調べよ。そこから、動かせる者を分ける。何を揃えれば出られるのか、何日かかるのかもだ」
「承知いたしました。費用と指揮系統についても、確認が必要でございます」
「それも調べよ」
王の返事は、短かった。
クラウスは、王の持つ端を引き取らず、次の用件を申し出た。
「新たな軍を作る案と、今ある軍を整え直す案を、比べてお持ちしてもよろしゅうございますか」
国王は顔を上げた。
「わしの案では、足りぬか」
「まだ、比べられるだけの報告が揃っておりません。どちらが救援へ早く動けるか、費用を続けて出せるかを確かめたく存じます」
王は少し眉を寄せた。
それから、草案の下の方へ目を移した。
「続けて、か」
「兵を集めた後も、給金と糧秣を出し続けなくてはなりません」
「……そなたの領も、楽ではなかった」
「はい」
「そこから出させた兵を、毎度当てにするわけにもゆかぬ」
国王は、草案をクラウスの方へ戻した。
「比べて持ってこい。ここにある数を、先に確かめてからだ」
戻された草案の決裁欄には、何も書き加えられていなかった。
「王都から調べを進めます。軍営の報告が届きましたら、その都度、整理いたします」
「全部揃ったふりはするなよ」
「分からぬところは、そのままお伝えいたします」
王はうなずき、手を寝具へ戻した。
クラウスは草案を畳んだ。
その下に、もう一つの書類がある。
この件も、宙に浮かせたままにはできない。
侍医がそちらを見た。
クラウスは、用件を短く告げた。
「もう一つ、陛下。公爵への陞爵の件は、まだお返事をいたしておりません」
王の目が、畳まれた草案から書類の角へ移った。
「そうであったな」
クラウスは、その紙を広げなかった。
「軍務の調べを進める前に、ご意向を確かめたく存じます」
国王は一度目を閉じた。
侍医が近づきかけると、片手を少し動かして制した。
「考えておるだけだ」
「ご無理はなさいませぬよう」
王は目を開け、クラウスを見た。
「わしは、そなたを公爵にすれば、この軍を作れると思っておった」
声に、前のような性急さはなかった。
「王が後ろにおると示せば、軍務の貴族も話を止められぬ。そのために、位を上げたかったのだ」
「陛下のお支えは、ありがたく存じます。ただ、爵位と軍務の指揮権は、別々に整える必要がございます」
「特命を出すと言うたな」
「はい。その特命で、何を調べ、どこまで指示できるかを定める必要があります。兵を率いる権限とは、また別になります」
王は黙って聞いた。
クラウスは、膝に置いた書類を揃えた。
「所領と費用の負担も、位を上げるだけでは決まりません」
「……そうであったな」
国王は草案へ目を戻す。
指を伸ばすことは、しなかった。
「公爵の話は、取り下げよう」
クラウスは、頭を下げた。
「承知いたしました」
「軍を立て直す仕事は、引き続き頼む」
「調べを進め、改めて案をお持ちいたします」
王の返事を待ってから、クラウスは陞爵の書類を草案とは別にしまった。
侍医が寝台の脇へ寄る。
「陛下、今朝はここまでに」
王は侍医を見上げ、うなずいた。
「分かった」
クラウスは立ち上がった。
陞爵を再び迫られた時の返答は、用意していた。
それを口にする必要はなかった。
王が横になり直すのを待ち、一礼して退出する。
前室へ出ると、書類を持つ手の力を少し抜いた。
公爵の打診を取り下げたことは、記録へ回さなくてはならない。
軍の調査に出す指示も整える必要がある。
クラウスは書類を抱え直し、執務室へ向かった。
午前の面会を終えた国王が休んでいる間に、王都警備隊の使者が到着した。
侍従次長が受け取った報告は、昨日のものより厚かった。
クラウスの執務室へ持参し、必要な頁を開く。
「工房の注文控えに、装飾環だけの追加加工がございました」
クラウスは、面会の記録を脇へ寄せた。
「通常の製作とは別なのか」
「はい。ここに、別の加工代が記されています」
侍従次長が指したところには、地図儀の製作とは分けた依頼があった。
細い中空部品を取り付けること。
装飾環を回すと、その先端が外へ出ること。
クラウスは、取り外された針の図を横へ置いた。
仕掛けの形が、注文の指定と合っている。
「この注文を、誰が出した」
「加工の依頼を取り扱った取次人は、特定できております。加工代の支払いも、記録が見つかりました」
侍従次長は、注文控えと支払記録を並べた。
クラウスが、それぞれに記された名義を読む。
「工房は、何のための仕掛けだと聞いていたのだね」
「特殊な装飾機構として依頼された、と申しております」
「それは、工房側の説明か」
「はい。誰が、どの段階で何を知っていたかは、引き続き調べさせます」
侍従次長は、もう一枚の紙を出した。
王宮への献上手続きの控えだった。
「この署名とも照合しました。同じ取次人が、献上の手続きに関わっています」
クラウスは、前に見た受領の控えを取り出した。
そこにあった軍需商人の名を、指で押さえる。
「受領の控えに名がある商人とは、別の者なのだな」
「はい。この取次人が加工を頼み、献上の手続きにも動いていました。軍需商人との取引も、帳簿で確認されています」
工房へ出された注文。
その代金。
王宮へ持ち込むための手続き。
クラウスは、それぞれの紙を、順に読み直した。
同じ商人の名が二つの書類にあった、というだけではなくなった。
注文から支払い、献上まで、人の動きを記録で辿れるようになった。
「この商人が、針を仕込めと命じたことまで分かったのか」
「そこまでは、確認できておりません。今回の記録で追えたのは、加工を注文した取次と、その支払いの経路です」
クラウスは、針の図へ目を戻した。
針が突出する仕組みは、ヨルドが調べた。
だが、国王の身体にあった種を、この空洞から送り込んだと証明するものは、ここにない。
「工房が作った後、誰へ渡ったかも追わせてくれ」
「承知しました」
「追加加工を頼んだ者と、種を組み込んだ者が同じとは限らぬ。そこを、一つの話にしてしまわぬように」
侍従次長は、報告の余白へ指示を書き添えた。
クラウスは読み終えた頁を伏せず、手元に残した。
報告できる事実は増えたが、種を入れた者の名は、まだ書けなかった。
「陛下への報告は、侍医に時間を確かめてからだ。要点をまとめてくれ」
侍従次長が紙を揃える。
クラウスも、国王へ示す分だけを選んだ。
昼頃、侍医の許しを得て、クラウスと侍従次長が寝室へ入った。
国王は少し休んだ後で、顔を上げて二人を迎えた。
「何が分かった」
侍従次長が、地図儀の追加加工と、取次・支払いの記録について短く報告した。
加工の指定を聞くうち、王の口元が引き結ばれた。
「わしに仕掛けた者がおるというのか」
「不審な加工は確認できましたが、誰が陛下のお身体へ異物を入れたのかは、まだ分かりません」
国王の手が、寝具を押さえた。
「献上する品に、そのような注文を付けておった」
声が低くなる。
クラウスは、先を促さずに待った。
「関わった者を調べよ。命じた者まで辿るのだ」
「王都警備隊に、続きを調べさせます」
侍従次長が答えた。
王は、寝具を押さえていた手を離した。
「検めた者は、見つけられなかったのだな」
「内部の情報を隠す魔石もありました。取り外され、妨害は止まっております」
「ならば、これから同じ見方だけで通すな。献上品を、どう検めるかも見直せ」
クラウスは頭を下げた。
「受け入れた経緯とともに、手順を確かめます」
王はうなずき、侍医へ目を向けた。
侍医が診察へ戻れるよう、二人は報告の紙を持って退出した。
午後、物証を保管する部屋には、三つの容器が用意されていた。
小卓に間隔を空けて並べられ、それぞれの脇に識別用の札がある。
ヴァルトは、入室してから扉が閉まるのを待った。
侍従次長と、受渡しを記録する職員が立ち会っている。
「こちらで保管できる形にしたい。中身を取り出しても、安全でしょうか」
ヴァルトは最初の容器へ寄った。
「全ての働きまでは分かっていません。容器を確認してから、一つずつ移します」
《鑑定》で材質と構造を調べ、《境界》で内側と外側を辿る。
蓋と本体が合うところも確かめた。
机の脇に用意された書面には、すでに移管者と受領者の欄がある。
ヴァルトは確認を終え、侍従次長へ顔を向けた。
「針と魔石は、別にしてください。記録も分けていただければ」
「そのつもりで用意してあります」
侍従次長が、残り二つの容器を示した。
ヴァルトは、そちらも確かめた。
三点を受け入れる準備ができてから、収納にある種を捉える。
国王の身体から取り出した、非生物の人工物、一個。
その取り出し先を、最初の容器の内側へ定めた。
薄い靄が生じ、種が移る。
卓上で、何かが転がる音さえしなかった。
侍従次長が、近づきかけて止まった。
「これが、陛下のお身体に」
「はい。昨日、収納した物です」
ヴァルトは対象を《鑑定》し、移したものを確かめた。
あまりに小さく、ただ覗き込むだけでは確かめづらい。
ノートに書き取っていた輪郭を、容器の札と対応する頁へ写す。
職員はヴァルトの示した文字を読み、受渡しの記録へ書き込んだ。
ヴァルトは《我欲の種》という名称を読み上げ、蓋を合わせた。
《封印術》を使い、保管のための封印を施す。
「これで全ての機能を止めたとまでは言えません。開ける時には、改めて扱いを確かめてください」
「開封には、正式な許可を要する扱いにします」
侍従次長は職員へ告げ、蓋が閉じたことを確認させた。
次に、ヴァルトは極細針を取り出した。
受ける容器へ直接置き、誰の指にも触れさせない。
中空の針は、取り外した時の状態を保っている。
内部に何か残っているかは、まだ分からなかった。
最後に、地図儀の内蔵魔石を、残る容器へ移した。
針のある方へ寄せず、それぞれを閉じる。
職員は札を読み、容器と書面の対応を確認した。
「封印と受渡し、確認いたしました」
ヴァルトがヨルドの名で署名し、侍従次長が受領者として続いた。
受領の署名が済むと、三つの容器は王宮の管理に移された。
侍従次長が保管場所を指示し、鍵を管理する者へ引き継ぐ。
ヴァルトは、収納内に三点が残っていないことを確かめた。
この数日、収納を確かめるたびに意識していた物が、手元を離れた。
書面の控えを受け取ってから、小卓の外へ退いた。
「こちらは、昨日の保守接続の確認をまとめたものです」
修復後の記録も差し出した。
前日に渡した報告と照合され、作業の終わった箇所が管理記録へ揃えられる。
侍従次長は紙を受け取り、物証の受領書とは別に綴じた。
「これで、ヨルド殿に預かっていただいていた分は、引き継げました」
ヴァルトはうなずき、容器がそれぞれの保管場所へ運ばれるのを見届けた。
侍従次長の執務室へ戻ると、返納の書面が用意されていた。
ヴァルトは、通行許可証と役目の証票を机へ置いた。
そこには、侍従監査官ヨルドという名が記されている。
侍従次長が物証の受領控えと作業記録を見比べ、最後の欄へ記入した。
「侍従監査官ヨルド殿の臨時任務は、これにて終了です」
「承知しました」
ヴァルトは返納の記録へ署名した。
侍従次長が許可証を受け取り、机の引き出しへ収める。
もう、保守区画へ行く用事はない。
診察に使ったノートと、受渡しの控えだけを手元へ戻した。
「宰相が、少しお話をされたいとのことです。隣へどうぞ」
ヴァルトは示された控室へ入った。
クラウスが立って迎える。
案内した者が退出し、戸が閉まるまで、二人は待った。
「ヴァルト殿、このたびは助けられました」
その名で呼ばれると、ヴァルトは外套の襟から手を離した。
「陛下が落ち着かれて、何よりです」
「今朝は、軍の数を、ご自身から尋ねられたのですよ」
クラウスは、椅子を勧めた。
ヴァルトが腰を下ろすと、自分も向かいへ座る。
「草案を、そのまま進めるおつもりではなかった。調べてから、比べて持ってこいと」
「お話ができたんですね」
「ええ。こちらの説明を、最後まで聞いていただけました」
クラウスは、そこで言葉を切った。
ヴァルトは膝の上でノートを持ち直した。
「今朝も種は見当たりませんでした。ただ、昨日の痛みの理由までは、分かっていません。しばらくは、侍医の方で診ていただければ」
「心得ております。今日は寝室での短い報告だけにしました」
クラウスは椅子の肘掛けへ手を置いた。
「しばらく、王都にお残りになりますか」
「いえ、そろそろ帰ります。子どもたちを待たせていますから」
宰相の顔に、小さな笑みが戻った。
「お引き留めするわけには、ゆきませんね」
「教えることが、まだいろいろあります」
ヴァルトは立ち上がった。
王宮で受け取った控えを、ノートとは分けて収納する。
クラウスも立ち、扉まで見送った。
「どうぞ、お気をつけて」
「ありがとうございます」
廊下に出ると、メリルが待っていた。
「ヨルド様、こちらへ」
その声を聞き、ヴァルトは外套を整えて歩き出す。
行き来する侍従は、それぞれの用件を持っていた。
書類を抱えた侍従が、二人に道を譲って通り過ぎた。
メリルは角を曲がるたびに振り返り、行先を示した。
出口で返納済みの手続きが確認される間、ヴァルトは門の外を見ていた。
城内の石床とは違う道が、その先に続いている。
「お世話になりました」
ヴァルトが言うと、メリルは礼をした。
「どうぞ、お気をつけてお帰りください」
案内役の足は、門の手前で止まった。
ヴァルトは一人で、その先へ進んだ。
外の風が、外套の裾を動かした。
夕方、クラウスは、侍医が許した短い報告を終えた。
寝室には灯りが用意され、窓辺には、まだ夕日の色が残っている。
国王は寝台に身を預けて聞いていた。
朝の軍の草案は、小卓へ置かれている。
報告の用紙をしまい、クラウスが椅子を戻す。
国王が、その背へ声を掛けた。
「クラウス」
「はい、陛下」
「そなたは、あの軍を作ることに反対か」
宰相は、椅子から手を離した。
王の目は、草案へ向けられている。
「救援に使える軍を整えることには、賛成でございます」
「だが、とは言わぬのか」
「今の案には、確かめるべきことがございます」
王がクラウスを見た。
「申してみよ」
クラウスは、もう一度椅子へ腰を下ろすことはしなかった。
王の負担にならぬよう、要点だけを答えた。
「今ある兵へ給金と糧秣を届ける者にも、新しい軍の支度をしてもらうことになります。どこまで担えるか、現場の考えを聞く必要があります」
国王は途中で口を挟まなかった。
「軍営と補給の担当者から、今の案を進める場合の難点も聞き、朝の調べと合わせてご報告いたします」
クラウスが言い終える。
王は、草案へ手を伸ばした。
紙の端に触れ、折り目に沿って指を動かす。
宰相は、その手が止まるのを待った。
「ならば、反対の意見も省かずに持ってこい」
クラウスは頭を下げた。
「承知いたしました」
「賛成ばかりでは、何が足りぬか分からぬ」
国王は草案を持ち上げ、小卓の脇へ寄せた。
「わしは、救援に使える軍が欲しいのだ」
クラウスは、王の言葉を受けてもう一度礼をした。
「そのための案を、整えてまいります」
寝具を直そうとする王へ、侍医が手を添えた。
クラウスは静かに退室した。
小卓の草案には、署名がない。
王は紙から手を離し、寝具を胸元へ引き寄せた。