押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第44話 レアアースを探したら、炉で溶けない石が光りました

 

 六畳間のローテーブルには、前回からの記録帳が開きっぱなしになっていた。

 

 薬、石鹸、体温計、ポカリ、正露丸、ビオフェルミン。赤や青のボールペンで書き込まれた項目の端に、澪は自分で書いた小さな文字を見つけた。

 

 必要なものが光った。

 

 ドラッグストアの棚を思い出す。正露丸の箱。ビオフェルミンの棚。ポカリの箱買いコーナー。非接触体温計。石鹸。あの時、鑑定は目の前の商品をただ調べたのではなく、洪水後に必要なものを候補として光らせていた。

 

 澪はペン先でその文字を軽く叩いた。

 

「必要なものが光るなら……石も光る?」

 

 スマホを手に取り、検索履歴を開く。

 

 レアアース 使い道。

 

 希土類 磁石 発光材料。

 

 タングステン 素材価格。

 

 高融点金属 用途。

 

 検索しただけで専門家になれるわけではない。説明を読み進めるほど、澪はむしろ自分が分かっていないことを理解する。レアアースは一種類ではない。磁石に使うもの、光に関わるもの、電池や電子部品に関わるもの、名前だけでも多い。

 

 それでも、現代で素材として売れるものがあるなら、探す価値はある。

 

 白金だけに頼り続けるのは怖い。白金は大きすぎるお金になるし、明石さん案件になるし、帳簿が重い。税理士顧問料、法人カード、容器、薬品、衛生用品。全部、現代円で出ていく。

 

 白金ほどでなくてもいい。

 

 そこそこの価格で売れる素材がほしい。

 

 澪は記録帳の新しいページに、現代素材売却候補、と書いた。

 

 その横に、小さく、レアアース? と付け足す。

 

 書いてから、少しだけ首をかしげた。

 

「光ったら、いけるかも」

 

 そう言ってしまうと、押し入れの奥が、また変な方向へ開きそうな気がした。

 

 

 

 

 

 セルマ工房は、洪水後の慌ただしさが少し落ち着いていた。

 

 棚の上には、澄み手当て一式の容器が戻され、薬草の束も乾いた布の上に並べられている。床にはまだ掃除の跡が残り、隅に置かれたバケツには泥を拭いた布が入っていた。

 

 セルマは作業台の前で薬草の状態を見ていた。リュシアは帳面を片手に、納品と補充の数字を確認している。

 

 澪は記録帳を抱えて入った。

 

「薬屋で、必要そうなものが光ったんです」

 

 セルマの手が止まった。

 

「見たものを調べるだけじゃなく、探しているものに反応したのね」

 

「たぶん、そうです」

 

 リュシアが顔を上げた。目つきが、商売の時のそれになる。

 

「じゃあ、鉱石商の倉庫でやれば、値段のついてない当たりが拾えるってことかい」

 

「言い方が商人です」

 

「商人だからね」

 

 リュシアは悪びれもしない。

 

 澪は記録帳を開き、現代素材売却候補のページを見せた。

 

「あたしの国で素材として売れるものを探したいんです。白金だけに頼るのも怖いので」

 

「また、あたしの国で売るものかい」

 

「はい。白金ほど高くなくても、素材として売れるなら、容器とか薬品とか、明石さんの顧問料とか、法人カードの引き落としの足しになります」

 

「みょうに切実だね」

 

「切実です」

 

 澪は即答した。

 

 セルマが記録帳を覗き込む。

 

「何を探すつもり?」

 

「レアアースです」

 

「れあ、あーす?」

 

 予想通り、セルマは聞き返した。

 

 リュシアも眉を寄せる。

 

「また説明しづらいものを探すんだね」

 

「あたしの国で、強い磁石とか、光る板とか、機械に使う……土? 石? 金属? です」

 

 説明しながら、澪は自分でもだんだん分からなくなった。

 

「あたしもちゃんと説明できてないです」

 

「正直でよろしい」

 

 リュシアがあきれたように言う。

 

 セルマは少し考え込んだ。

 

「なら、前の白い重砂の残渣を見るべきね。白金、砂金、砂鉄を分けた後の、重い残り。あれには、まだ分からないものが入っていたはずよ」

 

「それと鉱石商だね」

 

 リュシアが帳面を閉じた。

 

「白金の件から、あいつらは変な砂にも値がつくと思い始めてる。値を吊り上げる前に、こっちで見る」

 

 その顔は、完全に商人だった。

 

 澪は小さく頷いた。

 

 また変な砂を買う流れになっている。

 

 でも、今度は鑑定が光る。

 

 たぶん。

 

 

 

 

 

 鉱石商が持ってきた麻袋は、見た目からして地味だった。

 

 金でも銀でもない。宝石のように光るわけでもない。黒い砂、赤茶けた砂、灰色の粉、磁石に少しだけ反応する粒、炉底にこびりついていたという重い塊。木箱の底には、黒灰色の粒がざらりと入っている。

 

 鉱石商は、セルマ工房の裏口で帽子を取り、リュシアを見て愛想笑いを浮かべた。

 

「金でも銀でもねえが、妙に重い。炉に入れると嫌がられる。捨てるには惜しい」

 

「惜しいと思うなら値を吊り上げるなよ」

 

 リュシアの声は穏やかなのに、鉱石商は肩をすくめた。

 

「リュシアさんが言うと怖いな」

 

「怖いですけど、助かります」

 

 澪が言うと、鉱石商は今度は澪を見た。

 

「嬢ちゃんが買うのかい」

 

「見るだけです。買うかは、リュシアさんが決めます」

 

「その答えが一番怖えよ」

 

 リュシアは笑わなかった。

 

 作業台の上に、麻袋の中身が少しずつ広げられる。黒い砂。赤茶の粉。灰色の粒。手で触ると、見た目より重いものが混じっている。

 

 澪は呼吸を整えた。

 

 目的を思い浮かべる。

 

 レアアース候補。

 

 現代側で素材として売れるもの。

 

 希少重鉱物。

 

 すると、作業台の上のいくつかに淡い光が乗った。

 

 澪の背筋が伸びる。

 

 光った。

 

 薬局だけではない。鉱石でも光った。

 

 だが、その中でひときわ強く光ったのは、黒灰色の重い粒だった。

 

 レアアースのつもりで見ていたのに、別のものが先に主張している。

 

 澪はそれを指先でつまもうとして、思ったより重くて落としかけた。

 

「重い」

 

 セルマが覗き込む。

 

「それね」

 

 澪は鑑定した。

 

----------------------------------

目的適合候補

 探索目的:現代側で素材として売れる希少素材

 候補反応:強

 対象:黒灰色重粒、炉底残渣混在

 分類:高融点重金属系素材

 通常炉加工:困難

 現代素材売却候補:あり

 推奨:収納分離、溶解、整形、固形化

 備考:レアアース候補とは別系統

----------------------------------

 

 レアアースとは別系統。

 

 澪は心の中でうめいた。

 

 そっちじゃない。

 

 でも強い。

 

 しかも、現代素材売却候補あり。

 

 高融点重金属。黒灰色。重い。炉で溶けない。

 

 タングステン系?

 

 澪のスマホ検索履歴が、頭の中で点滅した。

 

 白金ほどではないかもしれない。でも、現代で素材として売れるなら十分だ。少なくとも、何もない砂よりはずっといい。

 

 セルマは黒灰色の粒を、ひどく嫌そうに見た。

 

「これは、炉で嫌われる石ね」

 

「嫌われる石」

 

「重い、硬い、溶けない。砕こうとすると道具が負ける。錬金術師も鍛冶屋も、あまり触りたがらない」

 

 リュシアがすぐに言った。

 

「つまり、安く集められるってことかい」

 

「あなたはすぐそこへ行くわね」

 

「商人だからね」

 

「でも、安く集められるのは大事です」

 

 澪がつい同意すると、セルマは額に指を当てた。

 

「二人とも同じ方向を見るのが早いわ」

 

 

 

 

 

 収納加工を鉱石商に見せるわけにはいかない。

 

 リュシアは鉱石商に仮の代金を渡し、追加の持ち込みは出所札をつけるよう念を押した。鉱石商が帰ると、セルマは工房の扉を閉め、窓に布を下ろした。

 

 工房の空気が変わる。

 

 外の市場のざわめきが少し遠くなり、作業台の上の黒灰色の粒だけが、やけに重く見えた。

 

 澪は粒を収納に入れる。

 

 混ざりものが多い。砂礫、鉄分、炉滓、よく分からない重鉱物。白金分離の時ほど大量ではないが、一つ一つが扱いにくい。

 

 澪は集中した。

 

----------------------------------

収納分離

 対象:黒灰色重粒、炉底残渣混在

 処理:高融点重金属系素材分離

 不純物:砂礫、鉄分、炉滓、未分類重鉱物

 分離結果:候補素材濃縮

 推奨:試料化、素材売却用小分け

----------------------------------

 

 まずは小さく。

 

 現代側で素材として売るなら、いきなり変な形にしない。小インゴット、棒材、試料片。成分確認用に出せる形。説明しやすい形。明石さんに見せても、ぎりぎり紙に書ける形。

 

 澪は収納内で、濃縮した素材を溶解し、整形し、固形化した。

 

 炉で溶かしているわけではない。

 

 収納の中で、形をほどき、まとめ直し、固める。

 

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収納加工

 対象:高融点重金属系素材

 処理:溶解、整形、固形化

 形状:小インゴット

 重量:500g

 用途:現代素材売却候補、成分確認用試料

 状態:固形化済み

 備考:通常炉を使用せず収納内で加工

----------------------------------

 

 作業台の上に、黒灰色の小インゴットが出た。

 

 小さい。

 

 でも、ずしりと重い。

 

 リュシアが手に取ろうとして、眉を上げた。

 

「この大きさで、この重さかい」

 

「重いです」

 

 セルマは無言で見ていた。表情が硬い。

 

「炉で溶けないはずよ」

 

「炉では溶かしてないです。収納の中で、形をほどいて、また固めました」

 

「言っていることが、だいぶ錬金術師の敵ね」

 

 澪は困った。

 

 敵になりたいわけではない。

 

 素材を売りたいだけである。

 

 リュシアは小インゴットを作業台へ戻し、音を聞いた。

 

 ごとり、と鈍い音がする。

 

「みんなが嫌う重い石を、澪だけが形にできるってことかい」

 

「あたしの国で素材として売れるかもしれないので、まずは小さくまとめたいだけです」

 

「だけ、で済む顔をしていないね」

 

 澪はそっと目をそらした。

 

 棒材も作った。薄い板状の試料片も作った。そこまではよかった。たぶん、かなりまともだった。

 

 問題は、その後だった。

 

 セルマが小インゴットを眺めながら言った。

 

「鍛冶屋に見せれば、どれほど嫌われる素材かすぐ分かるわ」

 

「鍛冶屋さんに」

 

「ええ。砥石や炉にどう反応するか、彼らなら分かる」

 

 澪は考えた。

 

 鍛冶屋に見せるなら、棒材より刃物の形の方が反応が分かりやすいのではないか。研ぎやすいか、刃がつくか、砥石がどうなるか。棒より剣型の方が、職人の反応は早い。

 

 そう思ったのが、よくなかった。

 

 澪は約7kg分の素材を収納内でまとめた。

 

 溶解。

 

 整形。

 

 固形化。

 

 収納から出てきたのは、片刃剣の形をした、黒灰色の重い金属塊だった。

 

----------------------------------

剣型試料

 分類:高融点重金属系素材

 推定重量:約7kg

 状態:固形化済み

 形状:片刃剣型

 刃付け:未処理

 柄・鍔:未装着

 重心:未調整

 用途:鍛冶屋確認用、素材試料

 注意:重量過多、実戦使用非推奨

----------------------------------

 

 セルマが額を押さえた。

 

 リュシアが作業台の剣型試料を見て、ゆっくり澪を見る。

 

「どうして剣にした」

 

「鍛冶屋さんに見せるなら分かりやすいかなって」

 

「あんたの国で素材として売りたいなら、棒か板にしときゃよかったんだよ」

 

「棒材も作りました」

 

「じゃあ、どうして剣も作った」

 

「鍛冶屋さんに分かりやすいかなって」

 

 セルマが深く息を吐いた。

 

「分かりやすさで厄介ごとを呼ぶの、やめた方がいいわ」

 

 澪は剣型試料を見下ろした。

 

 たしかに、分かりやすすぎる気がしてきた。

 

 

 

 

 

 町の鍛冶屋は、炉の熱と鉄の匂いで満ちていた。

 

 壁には工具が並び、床には黒い粉が積もり、作業台には使い込まれた砥石が置かれている。奥では弟子らしい若者が火の様子を見ていたが、セルマとリュシアが入ってきた瞬間、少し身構えた。

 

 鍛冶屋の親方は太い腕を組み、澪たちを見た。

 

「また変な仕事か」

 

「変かどうか見てほしいんだよ」

 

 リュシアが言う。

 

 澪は収納から剣型試料を出した。作業台の上に置くと、ごん、と鈍い音がした。

 

 親方の眉が動く。

 

「なんだこりゃ。見た目より重いぞ」

 

「約7kgあります」

 

「剣の重さじゃねえ」

 

「だから試料だよ。研げるか見てほしいんだ」

 

 リュシアが横から言うと、親方は剣型試料を両手で持ち上げた。持ち上がるが、手首の角度が変わる。普通の剣を扱う動きではない。

 

「研ぐ前に、こいつが何かを知りてえ」

 

 彼は作業台に戻し、砥石を手に取った。

 

 軽く、ほんの確認程度に当てる。

 

 音が違った。

 

 金属が削れる音ではない。

 

 砥石が嫌がるような、低く引っかかる音。

 

 黒灰色の表面に、白い筋が少しついた。だが、削れて粉を出したのは金属ではなく、砥石の方だった。

 

 親方の手が止まる。

 

 弟子たちも黙った。

 

 炉の音だけが残る。

 

「……こいつは鋼じゃねえ」

 

「やっぱり研ぎにくいですか」

 

 澪が聞くと、親方はゆっくり顔を上げた。

 

「研ぎにくいなんてもんじゃねえ。砥石が削れる」

 

 セルマが静かに言った。

 

「普通の炉では扱えない素材よ」

 

「炉で溶けねえ、砥石が負ける、やたら重い……まさか」

 

 親方の顔から、職人の好奇心と恐れが同時に出てきた。

 

「もしや……オリハルコンか?」

 

「違うと思います」

 

 澪は反射で言った。

 

 リュシアがすぐに横から刺した。

 

「澪、今は黙ってな」

 

「はい」

 

 セルマは剣型試料から目を離さない。

 

「確定はできないわ。でも、町の鍛冶屋の店先で扱っていい物ではない」

 

 親方も頷いた。

 

「俺の店で売るなよ。こんなもん、客に見せるだけで面倒が来る」

 

「研ぎは」

 

「試したいに決まってるだろうが」

 

 親方はそう言ってから、歯を食いしばるように口を閉じた。

 

「だが、勝手に触るもんじゃねえな。これは、上へ通せ」

 

 リュシアが澪を見た。

 

「ほらね」

 

「まだ何も言ってません」

 

「顔が言ってる。あたしの国で素材として売るつもりだったんです、って顔だよ」

 

 澪は実際にそう思っていた。

 

 あたしの国で素材として売るつもりだったんです。

 

 剣にする予定ではなかった。

 

 オリハルコン疑惑になる予定でもなかった。

 

 王家とか、上とか、そういう単語が出る予定ではもっとなかった。

 

 

 

 

 

 鍛冶屋を出ると、リュシアはすぐに言った。

 

「これは市場で値をつける品じゃない」

 

「あたしの国で、素材として売るつもりだったんです」

 

「だったら剣の形にするんじゃないよ」

 

「素材の硬さを見るためで……鍛冶屋さんに分かりやすいかなって」

 

「分かりやすくしすぎだね。剣の形にした時点で、鍛冶屋と貴族が黙ってるわけないだろう」

 

 セルマも頷く。

 

「素材の試料にするなら、棒か板でよかったのよ」

 

「棒も作りました……」

 

「じゃあ、どうして剣も作った」

 

 リュシアの声がやさしいのに、逃げ場がない。

 

「……分かりやすいかなって」

 

「王家へ上がる可能性があるわ」

 

 セルマの言葉で、澪は固まった。

 

「王家」

 

「変な石を剣にしたんだ。諦めな」

 

 リュシアが背中を押した。

 

 変な石を剣にした。

 

 澪は心の中で、その表現の雑さに反論しようとした。

 

 だが、だいたい事実だった。

 

 

 

 

 

 ヴァルディス侯爵家の一室は、工房や鍛冶屋とは空気が違った。

 

 床は磨かれ、壁には厚い布がかかり、窓からの光が静かに差し込んでいる。作業台ではなく、重い木の机があり、その上に白い布が敷かれた。

 

 その布の上に、剣型試料が置かれる。

 

 黒灰色の片刃剣型の金属塊。

 

 柄も鍔もなく、刃もついていない。けれど、剣の形をしているだけで、部屋の空気を変えていた。

 

 アルベルト・ヴァルディスは手袋をはめ、両手でそれを持ち上げた。

 

 腕に重さが乗る。

 

 彼はすぐに、戦場で振るう剣としては見なかった。

 

 重心を見て、持ち替え、刃の形を見る。

 

「これは武器としてより、国へ見せるべき素材だ」

 

「武器じゃないんですか」

 

 澪が聞くと、アルベルトは剣型試料を慎重に布へ戻した。

 

「今の形では重すぎる。柄も鍔もなく、重心も悪い。普通の騎士が振るう剣ではない。だが、王家へ示すには十分だ」

 

 リュシアが静かに聞く。

 

「若様、名前は」

 

「断定はしない。オリハルコン疑惑の特殊素材、とする」

 

 澪は心の中で小さく叫んだ。

 

 タングステン系だと思う。

 

 少なくとも、オリハルコンではないと思う。

 

 でも、その言葉は飲み込んだ。

 

 この世界にとっては、炉で溶けず、砥石が負け、重く硬い剣型素材は、伝説に近いものとして扱われる。澪が現代名を出しても、説明できない。

 

 アルベルトは澪を見た。

 

「侯爵家が買い取る。王家へ献上する」

 

「買い取るって、いくらで」

 

「正金貨100枚」

 

 澪は、目を瞬いた。

 

「……また金貨ですか」

 

 リュシアがあきれたように言う。

 

「金貨以外で払えって言うのかい」

 

「金貨が増えると、あたしの国で困るんです」

 

「普通は金貨が増えて困る商人はいないよ」

 

 正論だった。

 

 でも困る。

 

 現代円が欲しかった。白金みたいに換金しやすい素材を探していた。そこそこの価格で現代素材として売るつもりだった。

 

 それなのに、異世界金貨が増えた。

 

 しかも、王家献上品になった。

 

 アルベルトは澪の困り顔を見ても、判断を変えなかった。

 

「澪殿の名は表に出しすぎない。侯爵領で発見された特殊素材を、侯爵家が管理し、王家へ献上する。その形にする」

 

 セルマが頷いた。

 

「収納加工のことは伏せるべきね」

 

「当然だ」

 

 アルベルトはリュシアとセルマを見た。

 

「鍛冶屋にも報酬と口止めを出す。確認協力として扱う」

 

 リュシアが小さく息を吐いた。

 

「話が早くて助かるよ」

 

「早くしないと、話が広がる」

 

 アルベルトの声は静かだった。

 

 澪は正金貨100枚という言葉だけが、頭の中で重く転がるのを感じていた。

 

 

 

 

 

 鍛冶屋には、侯爵家から正式に使いが出た。

 

 確認協力の報酬と、口止め。

 

 親方は報酬袋を受け取りながらも、剣型試料のことを忘れられない顔をしていた。

 

「一度だけでいいから、ちゃんと研いでみてえ」

 

 アルベルトは淡々と言う。

 

「必要があれば呼ぶ」

 

「必要を作ってくれ」

 

 リュシアが横で苦笑した。

 

「職人は面倒だね」

 

「気持ちは分かります」

 

 澪は小さく言った。

 

 あの素材を見て、触って、砥石が負けるのを見た鍛冶屋が、続きを試したくなるのは分かる。危険でも、面倒でも、職人なら気になる。

 

 澪も、収納内の残渣を思い出していた。

 

 まだある。

 

 小インゴットも棒材もある。

 

 剣型試料は1本だけなのに、もう王家案件になっている。

 

 残りをどう扱うか考えると、胃が重くなった。

 

 

 

 

 

 正金貨100枚の袋は、見た目以上に重かった。

 

 セルマ工房に戻った澪は、それを作業台の上に置いた。ごとり、と袋の底が木に沈むような音を立てる。

 

 リュシアはその音を聞いて満足そうに頷いた。

 

「異世界側の運転資金にはなるね」

 

「なるんですけど」

 

 澪は袋を見下ろした。

 

 この金貨で、異世界側の材料は買える。セルマ工房の資材も、人件費も、鉱石商への支払いも、侯爵家管理市場の手数料も払える。

 

 でも、税理士顧問料は払えない。

 

 法人カードの引き落としも払えない。

 

 薬品や容器や衛生用品の仕入れも、現代円が必要だ。

 

 セルマは袋を見て、静かに言った。

 

「王家案件の報酬としては軽くないけれど、重すぎるわけでもないわ」

 

「そうなんですか」

 

「伝説素材かもしれない物を、侯爵家が先に押さえて王家へ上げる。その形なら、安くも高くもないでしょうね」

 

 澪はさらに青ざめた。

 

 高くもない。

 

 正金貨100枚が。

 

 異世界の金銭感覚は、まだ怖い。

 

「現代円が欲しかった……」

 

「げんだい?」

 

 セルマが聞き返しかけたので、澪は慌てて言い直した。

 

「あたしの国のお金が欲しかったんです」

 

 リュシアが笑った。

 

「そのために、こっちの王家献上品を作ったわけだ」

 

「作るつもりはなかったです」

 

「剣の形にしたのは澪だよ」

 

「素材試料です」

 

「王家へ行く素材試料だね」

 

 返す言葉がなかった。

 

 

 

 

 

 六畳間に戻った澪は、ローテーブルに記録帳を開いた。

 

 正金貨100枚の袋は収納に入っている。それでも、重さが頭の中に残っていた。

 

 ペンを持つ。

 

 まずは、事実を書く。

 

 鑑定7:目的適合候補表示、鉱石でも反応。

 

 探索目的:現代素材売却候補、レアアース候補。

 

 実際に強反応:高融点重金属系素材。

 

 現代側推定:タングステン系。

 

 収納加工:溶解、整形、固形化。

 

 現代売却用:500g、1kg小インゴット、棒材、試料片。

 

 異世界評価用:剣型試料 約7kg。

 

 鍛冶屋反応:砥石が負ける。

 

 異世界側評価:オリハルコン疑惑。

 

 侯爵家買い取り:正金貨100枚。

 

 王家献上予定。

 

 問題:現代円にならない。

 

 そこまで書いて、澪は頭を抱えた。

 

「現代素材として売るつもりだった」

 

 タングステンっぽいものが光った。

 

 棒材と小インゴットまでは正しかった。

 

 剣にした。

 

 オリハルコン疑惑になった。

 

 王家へ行く。

 

「どうして」

 

 六畳間の押し入れは、何も答えない。

 

 収納内には、まだ希少重鉱物残渣がある。レアアース候補もまだ探せていない。現代売却用の小インゴットと棒材もあるが、それをどう売るかは明石さん案件だ。

 

 剣型試料1本でこれだけの騒ぎ。

 

 残りを考えると、澪はそっと収納を閉じた。

 

 白金はお金になった。

 

 高融点の黒い石は、現代素材候補になるはずだった。

 

 けれど約7kgを剣の形にした途端、それはオリハルコン疑惑で王家へ向かうことになった。

 

 澪は、正金貨100枚の袋を思い出して小さくつぶやいた。

 

「……また、異世界のお金が増えた」

 

 現代円が欲しくて素材を探していたはずの押入商会は、気づけば王家献上品を作っていた。

 

 

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