押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第444話 孤児院に鶏を配りましょう!

 

 朝のホテルには、焼いたパンの匂いがまだ残っていた。

 

 支配人との挨拶を終え、真壁が次の酒の受渡しについて話す間、ルネは兄の袖を握って待っている。

 

「おにいちゃん。かえったら、おはなしする?」

 

「まず、ただいまって言うんだよ」

 

「それから!」

 

 理央は笑いながら、部屋の扉へ《関門接続》を開いた。

 

 ホテルの廊下とは違う、見慣れた侯爵領の景色が向こうへ続く。

 

 澪が最後に通り、皆が揃うと、理央は関門を閉じた。

 

 レイニャは兄妹を連れて孤児院へ向かい、クラリッサも引き継いでいた仕事へ戻っていく。

 

 澪たちは商会の作業室へ入った。

 

「毛布用の羊毛、持って帰ってきました!」

 

 理央が一袋だけを取り出す。

 

 口を開けると、北方の倉庫で嗅いだ脂の匂いがした。

 

 澪は束をつまんで、指の間に広げた。

 

 服地へ回した分とは別に、大口で買った原毛が残っている。

 

「ありがとう、理央ちゃん。これで、先に作る分は増やせますね」

 

「次の入荷も、聞いてきましたし」

 

 理央は以前に作った毛布地の基準片を、その隣へ出した。

 

 澪は一枚当たりに使った量を思い出し、理央が買ってきた原毛の量と比べた。

 

 侯爵領で届けている院のほかにも、行ったことのない町や村に子どもたちがいる。

 

 王国の端から端まで、一人一枚ずつとなれば――。

 

「全国へ配る分は、まだ足りませんね」

 

「次の毛刈りまで待つニャ?」

 

 ニャニャミが尋ねた。

 

「羊は、こちらの都合で毛を増やしてはくれんからな」

 

 真壁はそう言い、広げていた地図の端を空けた。

 

 澪は毛の束をほどきながら、以前、毛布地を作った時のことを思い返した。

 

 羊毛を溶かして汚れや脂を分け、毛の主成分であるケラチンというたんぱく質を取り出した。

 

 それを細い繊維に作り直し、糸にして織ったのが、机にある毛布地だった。

 

 毛の長さも形も、一度なくしてから作り直している。

 

 なら、糸の材料になるケラチンを、羊毛以外から取り出すことはできないだろうか。

 

 商館の職員が、戸口から声を掛けた。

 

「澪さん、食堂と商館へお願いしている鶏肉、十二羽分は午後に受け取りに来ます」

 

「はい、用意しておきます」

 

 澪は答えてから、指に絡んだ羊毛を見た。

 

 

 

「……鶏の羽にも、ケラチンって入っていましたよね」

 

 理央が、澪の手と顔を見比べた。

 

「羽毛ですか?」

 

「はい。肉にする時に、外していた羽です」

 

 澪は《生体収納》の養鶏区画へ意識を向けた。

 

 草地では鶏が地面を掻き、鶏舎の脇の水場へ別の群れが集まっている。

 

 採卵箱、育雛の場所、その奥の孵化棚をたどって、食肉を扱う区画を見る。

 

 世代を入れ替える際に出る老鶏は、ここで肉にしてきた。

 

 肉を冷やして共同商館へ渡し、リュシアが煮込みや出汁に使う先へ回してくれる。

 

 では、外した羽は。

 

 澪は、廃棄へ続く工程をたどった。

 

「捨ててました」

 

「……そうでしたね」

 

「私、羊毛が足りないって言いながら、こっちは捨ててたんですね」

 

「使い道がなかったからね」

 

 真壁が、机の上の毛布地を指した。

 

「これと同じ物になるかは、分けてみれば分かる」

 

「今日、肉にする分の羽を取っておきます」

 

 澪は、食堂や商館へ出す予定の十二羽を、いつもの食肉工程へ回した。

 

 これまで廃棄側へ送っていた羽だけを、別の受皿へ集める。

 

 肉はそのまま冷却へ進み、出荷の箱へ収まっていった。

 

 空いた作業台へ容器を出すと、靄の中から白と茶色の羽が現れた。

 

 軽い毛羽の間に、硬い羽軸が何本も重なっている。

 

 理央は一本を持ち上げ、軸を指で押した。

 

「これを、そのまま糸にはしにくいですね」

 

「形は、一度なくしてしまえます。中の成分は、どうでしょう」

 

 澪は《鑑定》を向け、羽を収納へ戻した。

 

 羽の汚れや脂、水分を分けていくと、利用できる成分が残った。

 

 羊毛の時と、まったく同じ表示ではない。

 

 澪は理央へその違いを伝え、取り出した物を見せた。

 

「繊維にするところを、お願いできますか」

 

「はい。今度は毛布ですね」

 

 理央は毛布地の基準片を、自分の前へ寄せた。

 

 ニャニャミが、羽を出した容器を持ち上げる。

 

「これも買う物になるなら、肉屋の裏へ行きたいニャ」

 

「まだ、布になるか見てからです」

 

「布になったら行くニャ」

 

 もう行くつもりの声に、澪は笑い、容器を空けて理央へ渡した。

 

 

 

 午後の作業室で、理央は羽から取り出した成分を収納へ収めた。

 

 澪はその隣へ、以前に作った羊毛の毛布地と、北方で手に入れた毛布の見本を置く。

 

 外では肉の出荷箱を運ぶ足音が続いていた。

 

「服地みたいに、きっちり揃えてしまわない方ですよね」

 

 理央は、指で基準片を押した。

 

「空気を抱く、ふくらみのある繊維にします」

 

 取り出した糸は、指の上で細かく縮れていた。

 

 引いて離すと、ゆるい曲がりが戻る。

 

 理央は《鑑定》の結果を追い、羊毛で作った糸と並べた。

 

「こっちの方が、戻り方が弱いです」

 

 澪も端を持たせてもらった。

 

 さっきまで羽軸だった物には見えないが、基準の糸と比べると、指へ返る感触が違う。

 

 理央は繊維の太さと縮れの具合を変え、次に出した糸で織り始めた。

 

 布にして毛羽を起こすと、平たかった表面がふくらむ。

 

 出来た生地を靄から引き出し、両端を卓へ広げた。

 

 毛布と同じ幅があるが、丈は短かった。

 

「この分で、十二羽です」

 

 理央が端を押さえると、真壁も掌を載せた。

 

 布を離した所から、ふくらみがゆっくり戻る。

 

「いいね。この嵩なら、毛布に使える」

 

 澪は端を持ち上げた。

 

 頬へ当てると、羽の時にあった硬さは感じない。

 

 表を返し、裏も触ってから、思わずもう一度、容器の方を見た。

 

 中にあった羽は、全部、この生地へ使っている。

 

「本当に、毛布地になりました」

 

 理央は出来た布の長さを測った。

 

 標準にしている毛布の寸法へ定規を当て、短い方を隣に重ねる。

 

「同じ厚みで、一枚にするなら……五つ分です」

 

「十二羽が五つニャ」

 

「六十羽分ですね。これで、毛布一枚分になります」

 

 澪は生地を持ったまま、理央を見た。

 

 この短い一枚を五つつなげた大きさなら、子どもが身体へ巻ける。

 

「だったら、集める先を増やしましょう」

 

「肉屋ニャ」

 

「はい。それに、農家にも。鶏を肉にする所なら、同じ物が出ています」

 

 澪は出来た生地を畳み、羊毛の基準片とは別に包んだ。

 

「羊毛の分は、先に作ります。羽が集まったら、その分を足せますね」

 

「次の毛刈りだけを待たなくてよくなるニャ」

 

 澪は見本の包みを鞄へ収め、羊毛の入った袋を理央の方へ寄せた。

 

 

 

 夕方の孤児院には、焼いたパンと煮込みの匂いが広がっていた。

 

 長机にはパンの籠と豆の煮込みが並び、厨房の鍋では、魚と野菜の間に溶き卵がふんわりと固まっている。

 

 シスターは鍋の火を見てから、幼い子の椅子を机へ寄せ、洗い場へ声を掛けた。

 

「手を洗った子から、座ってくださいね」

 

「お皿、ここでいい?」

 

「ええ。ありがとう」

 

 年長の子が器を並べる横で、小さな子が匙を一本ずつ置いている。

 

 シスターが厨房へ戻ろうとすると、レイニャが先に杓子を取った。

 

「スープは、あたしが入れるニャ」

 

「お願いします。私は、こちらの子を」

 

 シスターは椅子から降りかけた子のそばへ戻った。

 

 レイニャが器へ注いだスープには、魚も卵もたっぷり入っている。

 

「澪、理央も食べていくニャ?」

 

 入口の二人に気づくと、レイニャは空いた席を示した。

 

「まだ、お皿を並べているところニャ」

 

「では、私たちも手伝います」

 

 澪は手を洗い、注ぎ終えた器を受け取った。

 

 理央が隣の机へパンを運ぶと、ルネが座ったまま両手を振った。

 

「おねえちゃん、こっち!」

 

「はいはい。パンもありますよ」

 

 ルカが籠を受け取り、妹の隣へ一つ置いてから、次の席へ回していく。

 

 席へ着いた子どもたちの前で、料理の湯気が重なった。

 

 厨房には、まだパンも野菜もあり、棚には卵の入った籠が並んでいる。

 

「いつも、たくさん届けてくださって、ありがとうございます」

 

 シスターが戻ってきて、澪の持つ器へパンを添えた。

 

「今日も、よく食べるでしょう」

 

「ええ。服も、また小さくなりそうですね」

 

 澪が席を見回すと、近くの男の子が片腕を上げた。

 

「これ、まだ着られるよ」

 

「着られなくなるまで、待たなくてもいいんですよ」

 

 理央が笑い、男の子も袖口を引っ張って笑った。

 

 食事が始まると、パンをちぎる音に、匙の触れ合う音が混じる。

 

 澪が自分のスープを一口飲んだところで、隣の子が顔を上げた。

 

「澪先生。卵を産んでる鶏も、今度見せてよ。卵を取るところも」

 

 澪は頬を緩めたまま、卵をすくっている子どもたちを見た。

 

 侯爵領の農家へは、鶏舎と一緒に鶏を届けている。

 

 ここへも連れてくれば、卵を受け取るだけでなく、自分たちで取れる。

 

「……見せるだけじゃなくて、ここでも飼ってみませんか」

 

 シスターが、澪へ向き直った。

 

「鶏を、ですか?」

 

「はい。若鶏と小屋を、うちで用意します」

 

「俺、世話する!」

 

 隣の子が、匙を置いて手を挙げた。

 

「餌やるんだよね。水も」

 

「ええ。それから、卵を集めてもらいます」

 

「ルネも、たまごとる!」

 

 向かいから声が飛んで、シスターが笑った。

 

「大きい子と一緒に、ですね」

 

 澪は庭に開いた窓へ目をやった。

 

 日当たりのよい地面はあるが、二百羽を放すには狭い。

 

 子どもたちの遊ぶ場所まで、柵で囲うわけにはいかない。

 

「若鶏を二百羽ほど、届けたいんです。小屋と、鶏を歩かせる土地は、近くに借りられないか領主様にお願いしてみます」

 

「二百羽……」

 

 シスターが窓の外を見ると、男の子も椅子の上で伸び上がった。

 

「卵、いっぱい取れる?」

 

「取れた卵は、みんなで食べて、余った分を売れます。肉にする鶏は、肉屋さんに買ってもらって」

 

「売ったお金は?」

 

「餌を買ったり、この院で使ったりしてください」

 

 ルカが、机の端にあった空の籠を寄せた。

 

「出荷する時は、僕も手伝います」

 

「では、餌やりや卵集めは、みんなで分担できそうですね」

 

 シスターが子どもたちを見渡すと、何人も手を挙げた。

 

「私も飼い方を教わります。ただ、餌代は、最初から必要ですよね」

 

「はい。最初の飼料もうちで用意します。売上で餌代を賄えるまでは、支援を続けますから」

 

 シスターがほっと笑い、隣の子へ座るように促した。

 

「鶏を迎えたら、朝ごはんの前に、あちらへも餌をあげないとね」

 

「先に鶏?」

 

「お腹を空かせて待っていますから」

 

 男の子が自分のパンを見てから頷くと、レイニャも真面目な顔になった。

 

「待たせるのは、よくないニャ」

 

「レイニャも待ってたの?」

 

「配ってたニャ。今から食べるニャ」

 

 レイニャはようやく自分の器を持ち、ルネの向かいへ腰を下ろした。

 

 帰り道、理央が孤児院の門を振り返った。

 

「卵を取る係、人気でしたね」

 

「餌をやって、卵を集めて、売るところまで覚えてもらえたらいいですね」

 

「ほかの院にも?」

 

「はい。鶏舎ごと届けられれば、同じように育ててもらえます」

 

 理央が数歩進んでから、澪の顔を覗いた。

 

「澪さん。その鶏の羽も……」

 

「買います」

 

「やっぱり」

 

「羽まで売れれば、餌代にもなりますし」

 

 理央が笑った。

 

「ニャニャミちゃん、もう肉屋さんを探してるかもしれませんよ」

 

「先に、ギルド長に会ってきます」

 

 澪は、羽から作った生地を包んだ鞄を、肩へ掛け直した。

 

 

 

 翌日、王都の商業ギルドで、グスタフは持ち込まれた包みを見た。

 

「北の羊毛の価格があがっていると聞いたぞい。戻ったと思えば、もう売り物を持ってきたのかね」

 

「毛布地の見本です。でも、これは羊毛ではないんです」

 

 澪は包みを開き、その隣の受皿へ、鶏の羽を一本載せた。

 

 グスタフの指が、生地の上で止まった。

 

「……こっちから、こっちを作ったのかね」

 

「はい!」

 

「相変わらずじゃのう」

 

「よく出来ているだろう」

 

 真壁が隣で言うと、グスタフは生地を摘んで持ち上げた。

 

「これなら欲しがる者はおる。で、今日は何を頼みに来た?」

 

「鶏と鶏舎を、王国中の孤児院や農家に配りたいんです。費用は、うちが持ちます」

 

「無料で配る話を、商業ギルドへ持ってきたのかね」

 

 グスタフは生地を卓へ戻したが、摘んだ指は離さなかった。

 

「それで、押入商会は何を得る?」

 

「羽毛です。肉にする時に出る羽を、全部買わせてもらいたいんです」

 

「捨てておる物を、わざわざ買うのか」

 

「捨てていましたけど、もう使えますから」

 

 澪は受皿の羽を、生地の上へ重ねた。

 

「鶏と鶏舎を受け取る方には、羽の売り先をうちに決めてもらいます。卵とお肉は、どこへ売っても構いません」

 

「羽だけは独占ニャ」

 

 ニャニャミが、受皿からはみ出した羽の先を押した。

 

「全部欲しいニャ」

 

「ふむ」

 

 グスタフは羽を持ち、軸を指で転がした。

 

「じゃが、鶏を生きたまま肉屋へ売れば、これは誰の物になる?」

 

 澪は答えかけて、口を閉じた。

 

 自分の養鶏場では、肉にするところまで同じ工程の中にある。

 

 外の農家は、そうとは限らない。

 

「羽も付いたまま、肉屋さんへ行きますね」

 

「そうじゃ。農家との約束だけでは、肉屋の裏で捨てられるぞ」

 

「それは困るニャ。拾いに行くところだったニャ」

 

「拾う前に、肉屋にも金を払う話をするんじゃな」

 

 グスタフが、受皿へ羽を戻した。

 

「集める手間を出してもらう。生きた鶏を買う時にも、羽の分を値へ載せる。売った農家にまで得が戻らねば、続かん」

 

「はい。捨てていた物ですけど、ただでもらうつもりはありません」

 

 澪は受皿を、自分の方へ引き寄せた。

 

「自分の所で肉にするなら、その方から羽を買います。肉屋さんに売るなら、羽を渡してもらえるお店へ」

 

「別の店でも、回収の約束を引き受けるなら売れるようにしておこう。卵と肉の商いまで、縛ることはないからのう」

 

「それでお願いします」

 

「羽の代金は、渡す側に払う。回収と運賃もこちらで負担するから、ギルドで集荷をまとめてくれるかね」

 

 真壁がそう言うと、グスタフは壁の地図を指した。

 

「毎日、一軒ずつ取りに回るのは高くつくぞ。まず、肉屋や加工場で集めさせる。支部の集荷に合わせれば、近くの商館までは運べる」

 

「まとまった所からは、こちらで引き取れる」

 

「おぬしらの収納を使うなら、その方がよかろう」

 

 澪は地図に近づいた。

 

 グスタフの指は、王都から街道沿いの町へ進み、そこで別の道へ折れていく。

 

 澪がまだ歩いたことのない道にも、集められる場所があった。

 

「今、鶏を飼っている農家にも、羽の回収をお願いしたいです。卵とお肉は、これまでどおりで」

 

「侯爵領の分じゃな。リュシア商会と話を合わせればよい」

 

 グスタフは席へ戻り、呼び鈴を鳴らした。

 

 入ってきた職員へ、地図の町を幾つか示す。

 

「各支部へ連絡を。鶏を扱う肉屋と加工場に、羽の買付の話があると伝えてくれ。まず、ここの近場から話を付ける」

 

「承知しました」

 

 職員が地図の写しを抱えて出ていくと、グスタフは澪へ向き直った。

 

「集荷はギルドで引き受けよう。手数料は、きちんと頂くぞ」

 

「もちろんです。お願いします」

 

「鶏舎をただで建てて回り、捨てる羽に金を払う。その毛布は、高く売らねばならんのう」

 

「先に、孤児院へ配る分を作りたいんです」

 

 グスタフは、生地から顔を上げた。

 

「……そっちも、ただかね」

 

「はい。そのあと、売る分も作ります」

 

 澪が答えると、隣からニャニャミの白い手が伸び、生地を丁寧に包み直した。

 

「売る分の羽も、ありったけ買うニャ」

 

「ニャニャミさん。北で羊毛を買った時も、同じことを言ってなかった?」

 

「今度は、全国ニャ」

 

 グスタフは笑いながら、もう一度、呼び鈴へ手を伸ばした。

 

 

 

 その翌日、澪と真壁は王城を訪ねた。

 

 宰相クラウスの執務室では、窓辺まで書類の束が並んでいる。

 

 挨拶を終えた澪は、差し出された椅子へ座ると、用意してきた見本を卓へ出した。

 

「王国中の孤児院に、鶏と鶏舎を配りたいんです。普通の農家にも、広めたいと思っています」

 

「侯爵領で始めた養鶏を、全国へか」

 

「はい。鶏と小屋は、無料で用意します」

 

 クラウスは脇の書類を開いた。

 

「登録されている孤児院は、およそ百。預かっている子どもは、四千人ほどになる」

 

 澪は、用意してきた数へ百を掛けた。

 

「でしたら、一か所に二百羽ずつで、二万羽ですね」

 

「……二万羽か」

 

 書類の余白へ走っていたペンが止まった。

 

「一院で二百羽。子どもに卵を食べさせるだけなら、そこまでは要らないのではないか」

 

 澪は、餌やりをすると手を挙げた子の顔を思い出した。

 

「まず、子どもたちに食べてもらいます。でも、余った卵は売れるんです」

 

 クラウスが、ペンを置いた。

 

「食材を買うお金も要りますし、建物を直したり、薪を買ったりするお金も要ります。院の中で収入を作れたら、寄付が少ない時にも、続けやすくなると思うんです」

 

「食料を渡すだけでなく、院で稼げるようにするわけか」

 

「はい。卵を産む雌を多くして、繁殖に必要な雄も一緒に届けます。雛から育てるところは、こちらで引き受けます」

 

「宰相閣下。侯爵領では既に、二十三の農家へ、合わせて千百五十羽を渡しております」

 

 真壁が、澪の隣から口を開いた。

 

「卵と肉の取引は、リュシア商会と共同商館を通じて動いております。各地でも、地元の商人につなぐことができます」

 

「世話は、誰がする?」

 

「飼い方を教えて、子どもたちに任せたいです。餌をやって卵を集め、育てた鶏を肉屋さんへ出荷するところまで。侯爵領の院でも、子どもたちが手を挙げてくれました」

 

 クラウスは、開いた書類を少し脇へ寄せた。

 

「院が続けられれば、行き場を失う子も減る」

 

 窓の向こうには、王都の屋根が重なっていた。

 

「ヴァルトが救い出した、あの二十人を覚えているか」

 

「ええ。ヴァルト君が救った、ラウ君たちのことですな」

 

 真壁の返事に、澪も頷いた。

 

「子どもの行き場がなくなれば、ああいう者たちが寄ってくる。院を閉めずに済む手段は、増やしておきたい」

 

 クラウスは書類を閉じ、卓の上の見本へ目を戻した。

 

「だが、二万羽の鶏に、百か所の鶏舎だ。設備も餌も要る。誰が費用を負担する?」

 

「資金は全部、うちが出します!」

 

 答えてから、澪は少し声を落とした。

 

「小屋だけではなく、餌と水の容器、最初の飼料もです。卵を産み始めるまでの分は、こちらで持ちます」

 

「産み始めたあとは?」

 

「売上で餌代を賄えるまでは、飼料の支援を続けます。その先は、売った卵や肉のお金で、地元から買ってもらいます。売り買いは、商業ギルドに協力をお願いしてきました」

 

「そこまで費用を出して、そなたたちは何を得るつもりだ」

 

「羽毛です」

 

 澪は包みを開き、出来た生地を広げた。

 

「鶏を肉にする時の羽から、これを作れます。鶏と鶏舎をお渡しする代わりに、羽だけは、うちへ売ってもらいたいんです」

 

 クラウスの指が、柔らかい表面を押した。

 

「羽を渡す。それが条件か」

 

「はい。代金は払います。卵もお肉も、育てた方たちの物です」

 

「宰相閣下。商業ギルド長のグスタフ殿とは、羽毛の回収で協力することになっております。肉屋や食肉加工業者も含めて、集める手配を始めております」

 

 真壁の言葉を聞き、クラウスが生地の端を持ち上げた。

 

「捨てていた羽が、この布になる。鶏を配る費用は、その仕入先を増やすための金でもあるわけだな」

 

「はい。毛布は孤児院へ配りますし、売る商品にもします」

 

「グスタフが乗った理由も分かった」

 

 クラウスは生地を戻し、廊下へ声を掛けた。

 

 書記官が入ってくると、澪たちを示す。

 

「押入商会による、王国全土の孤児院への養鶏導入と、一般農家への普及を許可する。各領主と孤児院へ、宰相府から知らせを出してくれ」

 

 澪は膝の上で、握っていた手を緩めた。

 

「ありがとうございます!」

 

「院によっては、庭に鶏舎を置けない所もあるだろう。領主には、近くの土地と職人の手配にも協力するよう求める」

 

 書記官のペンが紙の上を走った。

 

「施設の所在地と、把握している子どもの人数も、商会へ渡すように」

 

「承知しました」

 

 書記官が下がると、クラウスは卓へ王国の地図を広げた。

 

「それで、いつから始めるつもりだ。院を回るだけでも、相当な距離になるぞ」

 

「六月中に、鶏舎を建てに回ります。七月から、準備のできた所へ若鶏を配っていきたいです」

 

「……もう六月には、建て始めるのか」

 

「はい。十月末までに、合わせて五万羽を届けるのが目標です」

 

 クラウスの指が、地図の中央で止まった。

 

「二万羽ではなかったか?」

 

「残り三万羽は、農家に配る分です!」

 

 澪は、最初に伝えたつもりの農家の話を付け足した。

 

「そちらも二百羽ずつで、新しく百五十軒に。院の分と合わせて、二百五十か所です」

 

 クラウスは真壁を見た。

 

 真壁は、地図の端を押さえている。

 

「宰相閣下。鶏舎の部材はこちらで作り、現地の職人に組み立てていただけば、各地で並行して進められます」

 

「私が聞きたいのは、そこではない気もするが」

 

「若鶏の供給は、澪君が引き受けます」

 

「はい。今日から、増やす方に切り替えます」

 

 澪が答えると、クラウスは、今しがた書記官が出ていった扉を見た。

 

「……農家への普及も、今、許可したな」

 

「ありがとうございます。そちらも頑張ります!」

 

 クラウスは口元へ手を当てた。

 

「分かった。職人を集める側にも、その数を伝えておく」

 

 帰り際、澪が生地を包んでいると、クラウスが地図を畳みながら言った。

 

「次に来る時は、増えた分から先に話してくれ」

 

 澪は包みの紐を結び、隣の真壁を見た。

 

 真壁は、わずかに目元を和らげていた。

 

 

 

 侯爵領へ戻ると、作業台の上に、毛布が一枚広げてあった。

 

 短い羽の見本とは違い、端をつまんで持ち上げても、その先はまだ卓に残っている。

 

「北で買った羊毛から、作り始めました」

 

 理央が、畳み終えた別の一枚を重ねた。

 

「羽を待つ分は、あとから足すんですよね」

 

「はい。これは、先に届けましょう」

 

 澪は毛布を撫でてから、空いている作業台へ、宰相府から受け取った施設の一覧を置いた。

 

 地名の中には、まだ聞いたこともないものがある。

 

「農家の希望者は、これから募ってもらいます。六月は、小屋の部材を運びながら、院を回りたいです」

 

 真壁は、以前に農家へ渡した鶏舎の部材見本を出した。

 

「五十羽用を四つ分。ひと続きにも、分けても置ける形にしよう」

 

「庭の形に合わせられますね」

 

 澪は作業場の外へ出て、収納から木材を取り出した。

 

 曲がりのある材を靄へ戻すと、中で分け直した成分を、柱や板の形へ揃えていく。

 

 取り出した柱には、横木の端が入る穴が開いていた。

 

 真壁が受け取り、次に出てきた横木を合わせる。

 

 木槌を一度当てると、かん、と乾いた音がした。

 

「ここまで作って渡せば、現地で寸法を取り直さずに済む」

 

 澪はその隣へ、同じ形の柱を並べた。

 

 理央が一方を支え、真壁が横木を渡すと、実物大の壁の一角が立ち上がった。

 

「私でも、組めそうです」

 

「向こうの大工なら、もっと早いよ」

 

 真壁が金具を出し、扉へ蝶番を取り付けた。

 

 理央が開けると、扉は軽く動き、手を離しても傾かなかった。

 

 澪は、子どもたちが卵を取りやすい高さへ、産卵箱を合わせてみる。

 

「ここを外側から開けられれば、毎回、中へ入らなくていいですね」

 

「餌を入れる方も、通路に揃えよう」

 

 真壁が箱の向きを変え、澪はその幅に合わせて給餌用の部材を作った。

 

 水の容器を置く台、止まり木、取り外して洗える板を並べるうちに、作業場の前が鶏舎らしくなっていく。

 

 ニャニャミが毛布を片づけて出てくると、出来た入口を覗いた。

 

「鶏は、まだニャ?」

 

「七月からです。先に、お家を用意してもらいます」

 

「羽を取りに行く場所も、増えるニャ」

 

「育って、肉として売る時には、お願いします」

 

 澪は部材の一組を収納へ戻し、次に作る柱の形を残した。

 

 理央が、空いた場所を掃くための箒を持ってくる。

 

「お家の方は、これを作っていけばいいんですね」

 

「はい。組み立ては各地の職人さんにもお願いして」

 

「そうすると、今度は、中に入る鶏が……」

 

 澪は《生体収納》へ意識を向けた。

 

 養鶏区画では、餌をついばむ群れの向こうで、水場が光っている。

 

 世代交代に使う分だけを選んでいた孵化棚には、まだ空きがあった。

 

 澪は鶏舎に使う木材から、孵化棚の部材も作った。

 

 出来た棚を孵化区画へ送り込み、通路を挟んで何列も並べていく。

 

 今まで区画の端だった所にも、棚の列が続いた。

 

 採卵箱から有精卵を選んで新しい棚へ送り、これから採れる分も続くようにした。

 

 育雛区画の仕切りを奥へ動かし、給餌器と水の容器も間を空けて並べる。

 

 雛が寄り合う場所の向こうに、まだ誰もいない床が広く続いた。

 

 飼料用の大豆とサツマイモの畑にも、新しい畝を延ばす。

 

 採れた大豆の一部を種へ回し、伸びたサツマイモの蔓を切って、隣の畝へ植えた。

 

 飼料と水を補い、時間加速を合わせる。

 

 新しい畝の土が持ち上がり、小さな緑が、奥まで点々とのぞき始めた。

 

「繁殖を再開します」

 

 殻が並ぶ棚の先では、既に孵った雛が、互いに寄り合っている。

 

 澪がそちらへ意識を移すと、小さな嘴が餌の方へ動いた。

 

「……前は、二千五百羽で増えすぎだって、言ってませんでした?」

 

 箒を持ったまま、理央が尋ねた。

 

「言いましたね」

 

「それで、孵すのを止めたんですよね」

 

「世代交代の分だけにしました」

 

 澪は育雛区画から、一羽だけを手の上へ出した。

 

 黄色い雛が指の間へ嘴を寄せ、すぐに、ぴい、と鳴く。

 

「今度は、増やした分だけ、届ける先がありますから」

 

 理央は箒を脇へ立て、雛を覗き込んだ。

 

「五万羽、かあ……」

 

 細い脚が澪の掌を蹴り、小さな翼が一度開いた。

 

 澪は両手で囲み、理央と一緒に笑った。

 

「今度は、育ったらお引っ越しですよ」

 

 雛は、差し出された澪の指を、もう一度つついた。

 

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