押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第445話 大学時代からそうなんですか!?

 

 理央が横木を差し込むと、鶏舎の壁の見本が、かん、と鳴った。

 

 澪が反対側を支え、理央は継ぎ目へ残った木くずを払う。

 

 隣の台には、羊毛から作った毛布が重ねてあった。

 

「この組み方なら、現地の大工さんにも渡せますね」

 

「はい。あとは、運ぶ時にかさばらないようにしておきます」

 

 澪の収納へ部材が収まっていくと、作業台の向こうまで見通せるようになった。

 

 6月になったら、こうした部材を各地へ届ける。

 

 中へ入る鶏は、7月から順に。

 

 理央は、扉の見本を閉じながら、あの小さな雛を思い出した。

 

 5万羽を配るための仕事をしているというのに、今のところ、目の前にいるのは木材ばかりだった。

 

「理央ちゃん、午後は出版社でしたね」

 

「はい。渋谷で、2冊目の打ち合わせです」

 

「こちらは、もう大丈夫ですよ。行ってきてください」

 

「ありがとうございます。5万部くらい売れたらいいなあ」

 

「鶏の数を見すぎですよ」

 

 澪が笑い、理央も木くずを払った手を止めて笑った。

 

 仕事を切り上げると、理央は鞄を取りに戻った。

 

 まだ少し時間があるので、《収納》の中にあるPCで原稿を開く。

 

 画面には、昨夜、書き足した商人の一文が残っていた。

 

 安く仕入れたのだから、安くすれば売れるはずだ。

 

 その下に続く、主人公が値を下げる場面を読み直す。

 

 理央は、値札を替える前に、町の人が品物に触れて去っていく一文を加えた。

 

 高いから手を引くのか、欲しくないから手を引くのか。

 

 主人公は、まだ、その違いを見ていない。

 

 ここを先に気づかせると、その後の失敗がなくなるので、1度書いた返事を消した。

 

 真壁に教わったように、《記憶操作》で取り込んだ本の内容なら、資料を探し直さずに思い出せる。

 

 商売の説明も、好きな小説で客が黙る場面も、頭の中にはある。

 

 けれど、自分の主人公へ言わせてみた1行は、読み返すと妙に立派だった。

 

 今ここで、そんなに分かっていては困る。

 

 理央はその1行も消し、客が去った後で品物を持ち上げる動作だけを残した。

 

 荷は売れなくても、次の町まで運ばなければならない。

 

 机の端に置かれた鶏舎の見本を見て、原稿の荷車にも、まだ積んだままの荷を戻した。

 

 11月の高卒認定に使う問題集をしまい、その手前へ打ち合わせ用のノートを入れる。

 

 18歳になってから調べ始めた運転免許の案内は、今日は鞄の奥へ押し込んだ。

 

 理央は《関門接続》で押入のある侯爵領側の拠点へ移り、そこから押入を抜けてゲンダイへ戻った。

 

 江古田で電車に乗る前に、原稿をもう1度だけ開く。

 

 画面では何度も消した一文を、印刷した紙の上へ、今度は短く書き添えた。

 

 

 

 渋谷の通りには、上着を腕に掛けた人が増えていた。

 

 理央が出版社へ着くと、会議室の冷房が、歩いてきた頬へ当たった。

 

「お疲れさまです。こちらへどうぞ」

 

 南は、前の打ち合わせで直した原稿を広げていた。

 

 向かいにはぽろろが座り、理央を見つけると、スケッチ帳を立てて軽く振った。

 

「お久しぶり。続き、読んだよ」

 

「ありがとうございます。今日、相談したいところがあって」

 

「私もある。あの猫、早く描きたい」

 

 理央が南の隣へ座ると、正面のぽろろは、もう鉛筆を選んでいた。

 

 机の端には、ぽろろが挿絵を描いた第1巻も置かれている。

 

 南は理央の前へ水のグラスを寄せ、原稿へ触れる前に言った。

 

「先に、お伝えします。2冊目、正式に刊行が決まりました」

 

 理央は、開こうとしていたノートを両手で持ったまま止まった。

 

「……本当ですか」

 

「はい。相馬からも、その方針で進めるようにと」

 

「ありがとうございます!」

 

 声が思ったより大きくなり、理央は少し姿勢を直した。

 

 ぽろろが、こちらへ笑いかける。

 

「よかったね。じゃあ、思いっきり描ける」

 

「はい。私も、ちゃんと続きを……」

 

 言いかけて、ノートへ目を落とした。

 

 2冊目の話も、見直しになるかもしれない。

 

 三田にそう言われた時、鞄の中には、このノートが入っていた。

 

 今は、南がその隣へ、理央の書き直した原稿を並べている。

 

「前回の商談の場面、加筆していただいた方も読みました。あとは、その前後を相談したいです」

 

「ここ、少し長くなったんですけど」

 

「ここは増えてよかったと思います」

 

 南が示したのは、主人公が客へ話しかけ、売れない理由を取り違えるところだった。

 

 ぽろろが原稿を覗き、南は何も言われないうちに、そのページを向こうへ滑らせた。

 

「ああ、この場面ね。荷の山、描ける?」

 

「お願いします。原稿から商売は抜きませんので」

 

「それ、編集者がわざわざ宣言しなきゃいけないこと?」

 

 理央は口元を押さえた。

 

 ノートを開くと、前に貼った付箋が剥がれ、机へ落ちた。

 

 南が紙の端で受け止め、そのまま理央のノートへ戻してくれる。

 

「それでは、売れなかったところから」

 

「はい。ここは、残したいです」

 

 理央は、今朝書き添えた一文を指した。

 

 ぽろろは、そのページへ残っていた古い付箋を見つけた。

 

 短い字で、『カット』と書いてある。

 

「これ、南が付けたの?」

 

「前任です。元の原稿と比べる時に、そのまま残していました」

 

 ぽろろが、付箋の下を読んだ。

 

「商人の話から、商売を取れって?」

 

「恋愛の場面を増やしたかったそうです」

 

「商人、廃業させられてるじゃない。ただの荷物持ちになるわよ」

 

「恋愛をしながら荷物を運ぶ方にはなれます」

 

「職業紹介じゃなくて編集して」

 

 南は、理央の加筆したページをぽろろの前へ重ねた。

 

「こちらでは、ちゃんと売り先を探しています」

 

「商人でいさせてもらえて、よかったねえ」

 

 ぽろろが、荷車の車輪を描きながら言う。

 

 理央は少し笑ったが、古い付箋に目を戻すと、紙を押さえた指が止まった。

 

「この後、外の映像の話も出て。私、そっちは断ったんですけど」

 

「出演を承諾していない件ですね」

 

 南が短く補い、ぽろろの鉛筆が止まった。

 

「それと、本の話を引き換えにされたの?」

 

「断ったら、2冊目もどうなるかって……」

 

 ぽろろは付箋を剥がし、自分のスケッチ帳の端へ貼った。

 

「原稿を人質にしないと、女の子ひとり説得できないんだ。ご立派な男ね」

 

 理央は、うつむきかけた顔を上げた。

 

「大きな態度は取れたようですけど」

 

「態度だけでしょ。仕事で勝負できないから、椅子の高さで勝った気になるのよ」

 

 南は、ぽろろが引き寄せた原稿を、そのまま読める向きに直した。

 

「飯島さんの承諾はありませんでしたし、会社として認めた企画でもありませんでした」

 

「作家の返事も会社の許可もないのに、偉そうに決定事項だけ増やしたのね」

 

 ぽろろは鉛筆の尻で、剥がした付箋を押した。

 

「そんなに自分の好きな話にしたいなら、自分で書けばいいのに。偉い人に脅されて主人公が言うこと聞く小説」

 

「商談の失敗なら、体験を生かせそうですね」

 

「もう南、黙ってて。私よりひどいこと言ってる」

 

「原稿の話をしているんですが」

 

 理央は、水を飲もうとしていたグラスを置いた。

 

 先に飲まなくてよかった。

 

 ぽろろは南を睨んだまま、口の端を上げている。

 

「で、商売を切れって言った本人は、懲戒解雇?」

 

「会社の判断は、そのように決まっています」

 

「自分がカットされたのね」

 

 理央の口から、小さく息が漏れた。

 

 止めようとしても、その次に笑いが出る。

 

「その結末なら、直さなくていいです」

 

 ぽろろがこちらを見て吹き出し、南も鉛筆を置いた。

 

「では、こちらの原稿は、直したいところを直しましょう」

 

 南の前へ戻ってきたページには、以前に相談した赤字が残っていた。

 

 買う人が少ない理由を、少し先に。

 

 理央はノートを開き直した。

 

「この仕入れ、主人公は、本当にいい買い物をしたと思っているんです」

 

「だから、ここで値段を気にするだけだと、後の驚きが弱くなるんですよね」

 

「はい。布は、悪くないんです」

 

 理央が原稿へ手を伸ばすと、ぽろろも古い付箋を脇へ退け、荷車の絵へ戻った。

 

「厚手で、丈夫で、いい服になるって買うんです。でも、売りたい町は暑くて。褒めてくれる人はいても、買ってはくれないんです」

 

 理央は、仕入れの場面と、最初に売りに出した場面を並べた。

 

 南は、前回加えた通りの場面を読み直した。

 

 理央が書いたのは、店先で薄い布を選ぶ客と、袖を持ち上げて風を入れる人の様子だった。

 

「この人たちの服を、主人公だけがちゃんと見ていないんですね」

 

「安く仕入れられるって聞いて、そっちに夢中になってます」

 

「では、ここを、買うと決める直前へ持ってきませんか。読者は服装を見ているのに、主人公は布の値段ばかり見ている」

 

 南が紙を入れ替えると、布の安さを喜ぶ主人公の台詞が、その通りの場面のすぐ後ろへ来た。

 

 理央は続けて読み、思わず口を開いた。

 

「……それ、買っちゃ駄目ですよね」

 

「でも、買っちゃうんですよ」

 

 ぽろろの鉛筆が、紙を強く擦った。

 

 荷車の上へ、布の束が積まれていく。

 

 厚みのある束を重ね、その前に主人公を小さく描くと、肩から下が荷に隠れた。

 

「こんな量を、喜んで買っちゃう」

 

「ちゃんと嬉しそうにしてほしいです。買った時は、本当に」

 

「いいね。その笑顔が、後で効く」

 

 ぽろろは主人公の口元を描き足し、紙をこちらへ向けた。

 

 理央は笑ってから、その絵へ顔を寄せた。

 

「主人公、どこですか」

 

「ここ。荷物をちょっと避けたら見える」

 

「矢印を入れてはどうでしょう。『主人公はここです』と」

 

 南が、見開きの隅を示した。

 

「商業小説を捜索活動にしないで」

 

「失敗の大きさは、一目で伝わります」

 

「仕事として筋が通ってるのが、一番厄介なのよ」

 

 理央は笑いながらも、荷車の下に描かれた車輪を指した。

 

「でも、この大きさは欲しいです。売れ残っても、置いて次の町へ行くわけにはいかないので」

 

 ノルドハルムの倉庫で、荷を運ぶ男たちが袋を積み直していた。

 

 自分たちは収納へ入れたが、この主人公は、荷車の場所と運ぶ代金を使い続ける。

 

「次の町へ運ぶのも、お金がかかります。ここで安くするしかないと思って」

 

「着るには暑い布なら、安くされても買わないでしょうね」

 

 南の言葉に、理央は原稿の値下げの箇所を丸で囲んだ。

 

「値段を下げた後で、やっと別の使い道を考え始めます」

 

「この布、港の荷物に使えそうじゃない?」

 

 ぽろろが荷車の絵の横へ、四角い袋を描いた。

 

「荷袋、ですか」

 

「うん。服にすると暑そうでも、こういう物なら、厚さが欲しい」

 

 理央は、袋の口と底の縫い目を見た。

 

「これなら、欲しい人がいそうです。でも、縫ってもらわないと」

 

「次は、職人探しですね」

 

 南が、原稿の後半へ紙を重ねた。

 

「主人公は、第1巻の旅人を続ける方向でいいですか」

 

「はい。あの少女も一緒に。手帳を持って、また2人で旅をしてほしいです」

 

 理央は、ぽろろが描いた第1巻の少女を、本の頁で開いて見せた。

 

 南は、余白へ短い印を付けた。

 

「では、用途を見つけるのは、町の人と話す中で。手帳を開いたら答えが書いてあった、とはせずに」

 

「そこは、主人公に気づいてほしいです」

 

 理央は袋の絵を見ながら、次の場面へ矢印を引いた。

 

「ただ、加工代がありません。布を買うのに、使ってしまって」

 

 ぽろろは、荷車の前で笑っている主人公を見た。

 

「あの笑顔で、財布を空にしたのね」

 

「はい。それで、倉庫も空けてくれって言われます。次の荷が入るので」

 

「荷物はたっぷり、お金も時間もない。描くのは楽しそう」

 

 ぽろろは荷の前へ椅子を描き、その上で主人公をうつむかせた。

 

 理央は絵へ寄り、椅子の脇を指した。

 

「ここへ、ケット・シーが来てほしいんです」

 

 ぽろろの鉛筆が、すぐに紙の空いた方へ移った。

 

「白魔道士をしていた、吟遊詩人の子ね」

 

「はい。三毛で、小さなハープを持っていて。主人公が顔を上げる前に、弦が鳴る音がするんです」

 

 理央は、レイニャが旅鞄と手琴を持って、初めて近づいてきた時の姿を思い浮かべた。

 

 呼ばれた所へ行くだけなら、あの人は、元の仕事を続けていたかもしれない。

 

「頼まれて助けに来るんじゃなくて、自分で来てくれる子にしたいです」

 

「その港で、歌っていたことにする?」

 

「いいですね。倉庫の人とも顔見知りで、旅の商人が困ってるって聞いて」

 

「初登場がここだと、ちょっと都合よく見えます。途中で1度、2人と会う場面を入れましょう」

 

 南が、原稿前半の宿の場面を示した。

 

「この辺りで演奏していたら、主人公も覚えていられます。あの手琴だ、と分かるくらいに」

 

「少女が、手帳に名前を書いていてもいいですね」

 

 理央が書き足す間に、ぽろろの鉛筆は、手琴を抱えた腕を描いていた。

 

「駆けつけたら、この子は何をするの?」

 

「知り合いの職人さんのところへ、主人公を連れて行きます」

 

「この人なら袋を縫える、って?」

 

「はい。でも、ただで作ってくれる人ではないです」

 

「よかった。2冊目も、主人公の職業が残りました」

 

 南が原稿へ印を付けると、ぽろろが顔を上げた。

 

「まだ前の編集者を殴ってるの?」

 

「主人公の活躍についてです」

 

 理央は笑い、職人と会うページへ、もう1つ印を付けた。

 

「職人さんに作れる形を聞いて、買い手と相談します。加工代は先に出してもらって」

 

「初対面の主人公に、預けてくれるかしら」

 

「そこが難しくて。嫌がられたら、職人さんへ直接払ってもらう形で、話を進めたいです」

 

 南は、余白へ『完成した荷袋を買う約束』と書き添えた。

 

「主人公が、その約束を取りに行くんですね」

 

「はい。猫の子は職人さんを紹介してくれますけど、商談は主人公に頑張ってもらいます」

 

「で、あの山が消える?」

 

「いえ、買ってもらえる分だけです。残りを売る先も、探さないと」

 

「荷物持ちの仕事も続くのね」

 

 ぽろろは、荷車の車輪を濃くした。

 

「倉庫の期限に間に合うよう、使う布を職人へ渡すところも書きましょう」

 

 南が原稿へ印を付けた。

 

 理央は主人公が交渉へ出る場面に、短い書き込みを加えた。

 

 頼める相手が分かれば、もう、座っているだけではいられない。

 

「少女の手帳には、ここで約束した日を残します。誰に、何を頼んだかも」

 

「あの2人らしいね」

 

 ぽろろは、差し出す手の位置を描き直した。

 

 抱えている手琴は背後へ残し、空いた手が主人公の前へ伸びる。

 

 理央は紙へ目を寄せた。

 

「その手、いいです」

 

「持ち上げて運んではあげないけど、立つなら貸すよ、って感じ?」

 

「はい。引きずられていくんじゃなくて、主人公が自分で立ってほしいです」

 

 ぽろろは、その返事を聞くと、紙の上の手を濃くした。

 

 南が前後の原稿を重ねると、ぽろろは、その厚みを横から見た。

 

「こうしてると、大学の時の作品集を思い出す」

 

「あれよりは、薄いですよ」

 

「比較対象を間違えてるの。あれ、最初は薄い冊子の予定だったんだから」

 

 理央は、原稿へ書きかけていた文字を止めた。

 

「同じ大学だったんですか?」

 

「そう。同じ創作サークル。私は絵で、南は人の原稿を読んでた」

 

「最初は、自分でも書いていたんですよ」

 

「すぐ人の原稿の続きを欲しがるようになってたけどね」

 

 ぽろろは話しながら、ケット・シーの足元へ、走ってきた勢いを描き加えていく。

 

「学園祭で、みんなの小説と絵を載せた本を売ろうってことになって」

 

「学園祭で、本を?」

 

「うん。私たちのサークルで作って、教室に机を出して。最初は、手に取ってもらいやすい薄さにするはずだったのよ」

 

 南が、自分の前の原稿を軽く揃えた。

 

「どれも、削りたくなかったんです」

 

「で、厚さが3倍になった」

 

 理央は思わず、目の前の紙束を見た。

 

「3倍……」

 

「原稿は、全部載りました」

 

「その代わり、製本機に入らなくなりました」

 

 ぽろろが、南と同じ丁寧な言い方をした。

 

 南は小さく頷く。

 

「厚みの上限がありましたね」

 

「あんたにはなかったけどね」

 

 理央は笑い、それから、また南の前の紙束を見た。

 

「それで、どうしたんですか?」

 

「紙と印刷にお金を回したら、外で綴じてもらう余裕もなくなって。みんなで手で綴じたの」

 

「表紙の折り目を付けるのも、だんだん上手になりました」

 

「私の指と、引き換えにね」

 

 ぽろろが左手の親指を立てる。

 

 爪の脇には今も、鉛筆の黒い粉が少し付いていた。

 

「表紙を折って、背を揃えて、次の束。終わったと思ったら、机の下から、まだ綴じてない分が出てくるのよ」

 

「途中から、別のサークルの人にも手伝ってもらいました」

 

「呼びに行ったら、『今から何の打ち上げ?』って。打ち上がる前の本が山積みだったんだけど」

 

「皆さん、来てくださいましたね」

 

「あんたの説明が『ちょっと本を作ってて』だったからでしょ。ちょっとの単位が原稿用紙なのよ」

 

 理央は、とうとうペンを置いた。

 

「南さん、大学時代からそうなんですか!?」

 

「何がでしょう」

 

「そこまで、ですか?」

 

 ぽろろが南へ突っ込み、南は首を傾げたまま笑った。

 

「でも、出せたんですよ。学園祭の朝に、机へ並べられました」

 

「機械は定時で帰って、私たちは徹夜したけどね」

 

「本は、売れたんですか」

 

「手に取ってくれた人、いたよ。表紙を見てくれたり、中の小説を読んで、書いた人を呼んでって言ってくれたり」

 

 ぽろろは、スケッチ帳へ向けていた顔を少し上げた。

 

「その時だけは、指が痛いの忘れた」

 

「戻ってきたあと、また痛がっていましたけど」

 

「覚えてなくていいところばっかり覚えてるんだから」

 

 理央は、自分の第1巻へ目をやった。

 

 初めて、本を読んだと言われた時のことを思い出す。

 

「書いた人も、その場にいたんですね」

 

「ええ。自分の本を誰かが買っていくところも、見られました」

 

「学部の違う子もいたし、学年もばらばらだったよ。原稿を書きながら授業へ行って、終わったらまた集まって」

 

「手伝ってくれた人も、知り合いだったんですか」

 

「友達の友達、とか。その日に初めて喋った子もいた」

 

 ぽろろは鉛筆を持ち替え、ケット・シーの手琴に弦を引いた。

 

「帰りに肉まんを買ったの。温かくてさ。もう指が動かないから、持つだけで精いっぱいで」

 

「本の続きを、そこで聞かせてもらったんです」

 

「徹夜させた相手に、まだ続きを要求したのよ、この人」

 

「続きがなかったら困る終わり方だったので」

 

 南は、申し訳なさそうな顔をしていなかった。

 

 理央は笑いながら、もう1つ尋ねた。

 

「次の年は、どうしたんですか?」

 

「また作りました」

 

 南が先に答えると、ぽろろは、今度は否定しなかった。

 

「今度はちゃんと、製本まで考えたよ。本文は増えたけど」

 

「ぽろろさんの絵も増えました」

 

「描いたよ。そりゃ、続きが来たら、描くでしょ」

 

 ぽろろの鉛筆が、主人公の前へ伸びた手の輪郭を、もう1度なぞった。

 

「いまだに、その時の先輩から言われるんだよね。今度の本は手で綴じなくていいのか、って」

 

「本を送ると、いつも言われます」

 

 理央は返事をする前に、2人の顔を見比べた。

 

「今も、本を送ってるんですか」

 

「ええ。読んでもらいたいですから」

 

 南が答える横で、ぽろろは、描き終えた手の先から鉛筆を離した。

 

「理央ちゃん。こんな感じ、どう?」

 

 ぽろろが、スケッチ帳を机の中央へ出した。

 

 左腕で小さなハープを抱え、三毛のケット・シーが、座った主人公へ手を差し出している。

 

 頬の毛がふくらみ、短い鼻先が、わずかに上がっていた。

 

 足はまだ前へ踏み込んだ形で、片方の耳が主人公の方へ向いていた。

 

 理央は、紙の上の手をじっと見た。

 

 さっき話していた間にも、鉛筆の線は増えている。

 

 レイニャが、あの調子で相手の前へ回り込む姿が浮かんだ。

 

「……この子です」

 

「来てくれた?」

 

「はい。ちゃんと、助けに来てくれました」

 

 理央は、原稿の余白へ短い台詞を書いた。

 

「『来るニャ。話を聞いてくれる人なら、知ってるニャ』って言ってほしいです」

 

「じゃあ、その言葉のあとで立つんだね」

 

 ぽろろが、主人公の肩の向きを少し変えた。

 

 手を取った後、どちらへ歩き出すのかが見える。

 

「この絵を、前の荷の山と対にしたいです」

 

 南は、主人公が埋もれていた方のラフを隣へ置いた。

 

「こちらでは荷に隠れて、こちらでは、相手の手へ顔を上げる」

 

「挿絵の間で、だいぶ苦しんでもらうことになるね」

 

「書きます。立ってからも、商談を頑張ってもらいます」

 

 理央は、職人へ話を聞く場面へ印を付けた。

 

 南が、前半の通りのページを引き寄せる。

 

「服装の場面に、荷を袋へ詰めている人の姿も、1つ置けませんか。買い物をしている人の向こうで、仕事をしているくらいに」

 

「あ。主人公が、後で思い出せますね」

 

「はい。その時は布を服にすることしか考えていないので、見えていても気に留めない。後で、あそこにも布があった、と」

 

 理央は、今朝書いた一文を読み直した。

 

 品物に触れて去っていく客の後ろへ、袋を抱えて通る人を書き加える。

 

 ぽろろは、荷袋の絵をラフの隅へ小さく残した。

 

「ここの使い方は、絵でも分かるようにするね。縫ってある形も」

 

「ありがとうございます。加工代と、支払いの場面は、帰ったらもう少し書いてみます」

 

「少女の手帳も、その時に出しましょう。2人で約束を持って帰る場面が欲しいです」

 

「はい。あの子も、商談が決まって、喜んでほしいです」

 

 理央がノートを閉じようとすると、挟んでいた付箋が、また少し浮いた。

 

 今度は自分で貼り直し、出来たラフの横へ置く。

 

 南は次に読ませてほしい箇所を示し、理央はそのページを折らずに、別の付箋を付けた。

 

「表紙も、これから相談していきましょう」

 

「はい。楽しみです」

 

 言ってから、理央はもう1度、2つの絵を見た。

 

「この主人公、最初にいい買い物したって、あんなに笑ってるんですね」

 

「うん。描いてる私まで、止めたくなった」

 

 ぽろろが笑い、理央も、荷に埋もれた小さな顔を見て笑った。

 

 

 

 会議室を出る時、ぽろろはスケッチ帳を鞄へしまいながら、南へ言った。

 

「今度、あの本持ってくるね。理央ちゃんにも見せたいし」

 

「どちらの年のですか」

 

「あんたが反省しなかった方」

 

「どちらでしょう」

 

「自覚があるなら、反省して」

 

 理央は2人の後ろで、また笑った。

 

 外へ出ると、建物の冷房に慣れた腕へ、夕方の風がぬるく触れた。

 

 駅まで歩く間に、鞄の中の原稿を1度、押さえる。

 

 2冊目が出る。

 

 商談の失敗も、あの荷の山も、手を伸ばしてくるケット・シーも、ちゃんと書ける。

 

 電車に乗って席へ着くと、理央はノートを開いた。

 

 加筆する場所は、幾つもある。

 

 けれど、ペンを出そうとした時、ぽろろが指を立てていたところを思い出した。

 

 表紙を折って、背を揃えて、また次の束。

 

 夜通し手を動かしたのに、次の年も作ったという。

 

 理央は窓に映る自分の顔を見て、つられて緩んだ口元を、ノートで少し隠した。

 

 あの作品集も、見せてもらえる。

 

 本文も挿絵も、どんなものだったのだろう。

 

 理央は原稿のページを開いたまま、降りる駅を知らせる声で顔を上げた。

 

 

 

「おかえりなさい。どうでした?」

 

 江古田の押入商会へ戻ると、澪が机から顔を上げた。

 

「2冊目、正式に決まりました!」

 

「よかったですね、理央ちゃん!」

 

 理央は鞄を置くなり、ノートを広げた。

 

「それと、南さんとぽろろさん、大学の時から友達なんです」

 

「そうだったんですか」

 

「学園祭で本を作って、ページを増やしすぎて、製本機に入らなくなって。みんなで手で綴じたんですって」

 

 澪が笑うと、理央もつられて、さっき聞いた話を続けた。

 

「徹夜で綴じたのに、次の年も作ったそうです」

 

「ふふ。2人の本、読んでみたいですね」

 

「今度、持ってきてくれるそうです」

 

 理央は、閉じかけていたノートを、もう1度、机へ開いた。

 

「澪さん、前に、大学生活も楽しいって話してくれましたよね」

 

「はい」

 

「授業のあとも、あんなふうに、一緒に何か作ったりするんですね」

 

「そういう出会いもありますよ。学部の違う人と話す機会もありますし」

 

 理央は、ノートの端に付いた折れ跡を指で伸ばした。

 

「2人とも、ずっと文句を言ってるのに、すごく楽しそうだったんです」

 

 澪は答えを急がず、理央が次に話すのを待っていた。

 

「11月の高卒認定は、予定どおり受けます。そのあと……大学、行ってみたくなりました」

 

「南さんたちの話、もっと聞きたくなりました?」

 

「はい。次の年の本も見たいし、あの時の小説の続きが、今どうなってるのかも」

 

 理央は鞄から問題集を取り出し、原稿の隣へ置いた。

 

「では、私の大学の話も、またしましょうか」

 

「聞きたいです。授業の話も、それ以外も」

 

 理央は原稿へ目を戻した。

 

 ぽろろの絵で見た手の向きを思い出し、ノートへ『来るニャ』と書く。

 

 そのすぐ下の行へ、主人公の返事を足した。

 

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「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。(作者:会澤迅一)(オリジナル:現代/恋愛)

高2男子の俺は、目を覚ますと一週間分の記憶が消えていることに気付いた。▼部屋には幼なじみがいる。▼中学に入ってからずっと不仲だったのに、なぜ?▼「私で童貞捨てたくせに、記憶がないなんて言わせないから!」▼教室に着くと、隣の席のギャルが笑いかけてくる。今まで一度も会話したこと無いのに、なぜ?▼「私で童貞捨てたくせに、陰キャのまんまじゃん」▼放課後、後輩の文学少…


総合評価:1460/評価:8.06/完結:142話/更新日時:2026年06月25日(木) 17:04 小説情報

ロマン職は異世界から帰りたい(作者:庶民ザウルス三世)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

これが絶対浪漫の力だ!▼人は夢を見る。▼そして、効率よりも自分の“好き”を信じて、浪漫を追いかける者たちがいる。▼ソロ専、人見知り。▼だけど、クリティカルが決まった時の一撃だけは誰よりも重い。▼そんな趣味全開のロマン職キャラを愛した男は、課金帰りの事故をきっかけに、ゲームで使っていた女性キャラ――ラシア・ラ・シーラとして異世界で目を覚ます。▼しかも、レベルも…


総合評価:7222/評価:8.46/連載:235話/更新日時:2026年10月21日(水) 07:08 小説情報

自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ―United States Route―(作者:パラレル・ゲーマー)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

アメリカ西海岸で働く三十代半ばのシステムエンジニア、工藤創一。▼十数年前に日本から渡米し、それなりに充実した生活を送っていた彼のもとへ、ある夜、謎の銀色のキューブが届く。▼それは未知の惑星《テラ・ノヴァ》へ繋がるゲートと、採掘・製錬・発電・自動化・兵器開発を可能にする《惑星開発キット》だった。▼鉄、石炭、銅、石油――地球では国家を揺るがすほどの資源が眠る異星…


総合評価:4525/評価:8.81/連載:25話/更新日時:2026年09月16日(水) 16:38 小説情報

暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜(作者:パラレル・ゲーマー)(オリジナル:歴史/戦記)

現代日本で死んだ主人公が転生した先は、江戸幕府を開いた徳川家。▼身分ガチャは大当たり――かと思いきや、幼名は国松。▼のちに兄・徳川家光と対立し、「暴君」と呼ばれて破滅するはずの徳川忠長だった。▼将軍の座など絶対にいらない。▼生き残るためには、兄・竹千代を全力で支え、「敵」ではなく「便利で忠実な弟」になるしかない。▼そう決意した国松が最初に始めたのは、天下の根…


総合評価:2180/評価:7.24/連載:142話/更新日時:2026年09月03日(木) 17:34 小説情報

男が希少な異世界の未開地に転移したら都市伝説になった(作者:パンダプリン)(オリジナル:ファンタジー/日常)

ある日、目が覚めるとそこは異世界の森の中でした。▼異世界の中でも特に強者が住まうため、現地の者たちが立ち入ることを拒むその森で出会った一匹の狼と生活するうちに、いつしか人々は彼の存在を噂します。▼「禁域の森に男がいる」▼貧弱な都会っ子は、やけに強い女性たちに庇護されて、のんびり異世界での生活を続けます。▼※この作品は、カクヨムと小説家になろうにも投稿していま…


総合評価:626/評価:7.45/連載:166話/更新日時:2026年10月21日(水) 00:00 小説情報


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