村道へ足を向けたところで、背後から声が掛かった。
「おい、爺さん」
振り返ると、鍛冶屋が戸口に立っていた。
「今から、どこへ行くつもりだ」
「西へな。明日は領都への道に出ようと思うておる」
「行き先じゃねえ。今夜、どこで寝るんだ」
弥兵衛は、家々の屋根を見回した。
窓には灯が入り始め、森から出た時よりも濃い煮炊きの匂いが流れてきている。
「宿を借りられる所があれば、聞こうと思うておった」
「宿屋はねえよ。この村には」
「左様か。ならば……」
「なら、うちへ泊まれ。明日でいいなら、今夜から歩くこともねえだろ」
鍛冶屋はそう言い、炉へ戻って火箸を取った。
弥兵衛も土間へ引き返す。
「それはありがたいが、女房殿に叱られんかの」
「たぶんな。俺がな」
炭をまとめながら、男は口の端を上げた。
弥兵衛は戸口に置かれた桶を寄せ、男の手が空くのを待った。
「では、わしからも頼もう」
「そうしてくれ。今夜の酒の相手ができたって言うと、余計に叱られる」
外から、亭主を呼ぶ女の声がした。
男は返事をし、火箸を元へ掛けた。
家は鍛冶場のすぐ近くにあった。
戸口で待っていた女は、並んで歩いてきた2人を見て、亭主の顔へ目を戻した。
「また、ずいぶん話し込んでたね」
「東から来た旅人だ。今夜、泊まってもらおうと思ってな」
弥兵衛は、その脇で頭を下げた。
「弥兵衛と申す。鍛冶場をお借りしたうえ、厚かましい頼みで相済まぬ」
「泊まる所がないんだろう。どうぞ、お入り」
女房は戸を広くあけたが、弥兵衛が足を出す前に、草鞋を指した。
「その前に、泥を落としておくれ。洗い水はこっちだよ」
「おお。気がつかなんだ」
用意された水へ足を入れると、指の間から土がほどけていった。
手も洗い、差し出された布で拭く。
鍛冶屋は、自分も同じように手を洗っていた。
「俺より、きれいな手をしてる」
「今日は、お主ほど打っておらぬでな」
「話すのは、洗ってからにしておくれ」
女房が椀を運ぶ音を聞き、男は指の間へ水を擦り込んだ。
弥兵衛は外套を畳み、刀を腰から外した。
座った所から届き、歩く者の邪魔にはならぬ場所へ置く。
竈では、鍋の蓋が小さく鳴っていた。
上がった湯気の匂いに、弥兵衛の腹が鳴った。
「森から出てきたんだってね。腹も減ったろう」
「減っております。ただ、馳走になるばかりでは申し訳ない」
「椀を増やすくらい、何でもないよ」
「それでは、肴にでもなるものを」
弥兵衛が手を差し入れると、靄の中から、包まれた肉の塊が出てきた。
女房は椀を置き、空いていた板を持ってきた。
「そこへ置いておくれ。何の肉だい」
「魔物の肉じゃ」
手を拭いていた鍛冶屋が、布を止めた。
「魔物って……森のか」
「旅の途中で得たものよ。今宵は、これがよかろうと思うてな」
女房は包みを広げ、脂の付いた端を持ち上げた。
鼻を寄せ、それから包丁を入れる。
切り口を見ていた弥兵衛へ、亭主が訊いた。
「いつも、そんなものを食って歩いてるのか」
「食える肉は、ありがたく頂いておる」
「俺たちも、食っていいんだろうな」
「人に出せるものを選んだよ」
女房は切った肉を指で広げた。
「このまま厚く焼くより、薄く切った方がよさそうだね。脂のある所は、こっちへ」
鍋の脇へ肉を分け、今度は弥兵衛へ包丁を向けずに柄から渡した。
「手を貸してくれるかい」
「喜んで」
「じゃあ、その筋を取って、これくらいに切っておくれ」
指で示された厚さを見て、弥兵衛は肉へ刃を入れた。
女房は、野菜の煮える鍋へ塩を加えている。
先に脂を熱すると、薄くなった油が鍋底へ広がった。
そこへ肉が入り、湿った音が上がる。
弥兵衛が切った分を渡す間にも、女房は箸代わりの道具で肉を返し、焼けたものから皿へ取った。
「塩は、これくらいでいいかい」
小さく切った端を渡された。
弥兵衛は息を吹き掛け、口へ入れる。
噛むと、塩気のあとから温かい脂が出た。
「旨い。これは、酒が要るのう」
「ほらな」
鍛冶屋が嬉しそうに言うと、女房は皿を渡した。
「ほらな、じゃないよ。飲む前に、これを卓へ運んで」
亭主が皿を受け取り、弥兵衛は包丁を置いて手を洗った。
「酒も、少し持っておる」
《収納》から出した容器を見て、男が酒器を寄せてきた。
注ぐと、白く濁った酒が底へ溜まる。
「……これは、乳か?」
「馬乳酒という。馬の乳から造る、東の酒じゃ」
「馬の乳を酒にするのか」
鍛冶屋は器を傾け、匂いを嗅いだ。
「乳で飲むだけじゃ、足りなかったんだな」
「気持ちは分かるかの」
「分かるような、分からねえような」
女房の笑う声がし、煮込みの椀が卓へ並んだ。
弥兵衛も腰を下ろし、2人へ軽く器を上げた。
「今夜は、お世話になる」
「ゆっくりしていってくれ」
男がひと口飲み、目を細めた。
そのまま飲み下すと、しばらく器の中を見ている。
「酸っぱいな」
「合わぬか」
「いや……肉となら、いいかもしれねえ」
焼いた肉を食べ、もう1度酒へ口をつけた。
今度は、すぐに器が卓へ戻った。
「ああ、こっちがいい」
女房も自分の器へ少しだけ注がせ、味を見た。
「なるほどね。明日、重い槌を持つことまで忘れないでおくれよ」
「忘れたことがあるか」
「朝になってから、思い出すことならあるね」
鍛冶屋は言い返さず、肉を口へ運んだ。
弥兵衛は笑い、それから野菜の煮込みを匙ですくった。
柔らかい野菜が、舌の上で崩れる。
干し肉を噛んでは水で流し込んでいた口へ、温かい汁が広がった。
弥兵衛はもう1杯すくい、ゆっくり飲んだ。
「こちらも、よい味じゃ」
「いつもの煮込みだよ」
「わしには、久しぶりの馳走よ」
女房は鍋を寄せ、椀の減り具合を覗いた。
「まだあるからね」
「では、お代わりを頼んでもよいか」
「もう空いたのかい」
差し出す椀を見て、女房が笑った。
鍛冶屋の前にも椀が出る。
「俺も」
「あんたは、肉ばかり食べてるからだよ」
卓に戻された椀から、湯気が上がった。
弥兵衛はパンを割り、その端へ汁を含ませた。
森で食べていたものよりずっと柔らかく、噛めば、麦の匂いがした。
鍛冶屋は酒器を置き、昼間に直した鎌の話を始めた。
持ってきた男は、石を噛んだことより、明日使えなくなることを心配していたという。
「こっちが直してる間に、横で何度も聞くんだ。まだか、まだか、って」
「使う頃になって、気になるのであろうな」
「で、済んだら、今度は礼を言って帰らねえ」
「ありがたいではないか」
「その間に、また仕事が来るんだよ」
女房が鍋へ蓋を置いた。
「今も同じじゃないか。仕事が済んだのに、客を帰さないんだから」
「今は、俺が飲みたいんだ」
鍛冶屋が正直に言い、弥兵衛の器へ酒を足した。
薪が崩れ、火が少し低くなった。
外を歩く足音も減り、卓のそばでは、器を置く音と話し声が交互に続いた。
酒を含むと、さっきより酸味が柔らかく思えた。
弥兵衛は肉をひとかけ食べ、女房が差し出したパンを受け取った。
朝、戸口へ出ると、家の外はひんやりしていた。
洗った器を並べた所に、水滴が残っている。
鍛冶屋はすでに仕事着になり、袖をまくっていた。
「よく眠れたか」
「よう眠らせてもろうた」
弥兵衛が桶を運ぼうとすると、女房が椀を持ってきた。
「それはあとでいいから、先に食べておいで」
温め直した煮込みへ、パンを添えてくれる。
弥兵衛は座り、両手で椀を受け取った。
昨夜より汁を吸った野菜が、匙の端で崩れた。
鍛冶屋は隣でパンを食べながら、領都へ出る道を話した。
「畑の先まで行くと、大きい道へ出る。石が敷いてあるから、すぐ分かる」
「荷車の通る道じゃな」
「ああ。そいつを西だ。分からなくなったら、人に訊け」
「昨夜の芋の店も、そこで訊くとしよう」
鍛冶屋は笑い、最後のパンを口へ入れた。
食べ終えると、弥兵衛は器を運び、今度こそ桶へ手を掛けた。
水を頼まれた所へ移し、草鞋を履く。
腰へ刀を差しても、直した金具は鳴らなかった。
女房は、畳んだ外套の上へ布包みを置いた。
「道で腹が減ったら、お食べ」
「朝まで馳走になったうえ、持たせてもらえるとは」
「昨夜の肉を、少し焼いておいたんだよ。パンもあるから」
弥兵衛は包みを受け取り、懐へしまった。
「これは、ありがたく」
「今度来る時は、手ぶらでおいで」
「それでは、親方が酒を飲む口実に困るかの」
「お前さんが来れば、それだけで飲むよ」
鍛冶屋が何か言いかけ、結局、うん、とだけ答えた。
弥兵衛は2人へ頭を下げた。
「世話になった。昨夜の煮込み、まことに旨かった」
「気をつけておいで」
畑の柵へ差しかかったところで振り返ると、2人はまだ戸口にいた。
弥兵衛は会釈し、朝日の差す道へ出た。
遠くで子どもの声がする。
昨夜まで湿っていた草鞋の底が、乾いた土を軽く擦った。
畑の向こうに、轍の深い道が見えた。
そこへ出ると、土の中から石畳が続いていた。
石の継ぎ目に草が伸び、路肩には、荷車の輪が刻んだ溝がある。
弥兵衛は西へ向き、乾いた石の上を歩き始めた。
森の中とは違い、顔を上げても、頭上に枝はない。
風が外套の裾を抜け、朝の食事の温かさが、まだ腹の中に残っていた。
道が木立へ寄った辺りで、怒鳴り声が聞こえた。
「話が違うじゃないか! 領都まで守る約束だったろう!」
荷馬車が1台、街道に止まっていた。
御者台の男が身を乗り出し、その前に立つ男を睨んでいる。
腰に剣を帯びた男は、手綱を取れるほど近くに立っていた。
「だから、ここまで連れてきたんだよ」
男が、にやりと笑った。
弥兵衛は歩を緩めた。
男の向こうで、路肩の草が揺れている。
風は、反対から吹いていた。
「ご苦労だったな」
木立から出てきた男が、剣を帯びた男へ声を掛けた。
手には、短剣を提げている。
「荷も女も、そのままだろうな」
「見りゃ分かるだろう。余計な奴も連れてねえ」
荷主の口が、わずかに開いた。
荷台では、娘が小さな布包みを抱えていた。
父親を見、それから、車の前に立つ用心棒を見る。
「お父さん……?」
脇の木立から2人、馬車の後ろからも2人が出てきた。
弥兵衛のいる側の茂みから、最後の1人が姿を現す。
頭目を含めて6人。
用心棒はその方へ歩き、頭目の隣へ並んだ。
「お前、初めから……」
荷主が絞り出すように言った。
「声を掛けたのは、そっちだろう。安い、安いって喜んでたじゃねえか」
用心棒が笑うと、馬車の後ろでも笑い声が上がった。
荷主は手綱を置き、荷台へ腕を伸ばした。
「下りるんだ。私の後ろへ」
娘の腕を支え、自分も石畳へ降り立つ。
用心棒が馬の鼻先を押さえた。
車を動かすことも、できなかった。
弥兵衛は外套の脇を押さえ、路肩へ寄った。
「爺いも、そこで止まれ」
近くの盗賊が、棒の先をこちらへ向けた。
「耳が遠いのか」
「聞こえておるよ」
弥兵衛が立ち止まると、男は馬車へ顔を戻した。
頭目が短剣を持ち上げ、荷主の前へ進んだ。
「荷を下ろせ。馬も置いていけ」
「分かった。持っていってくれ」
父親は娘を背へ庇っていた。
「だから、この子には手を出さないでくれ」
頭目は、その肩越しに娘を覗いた。
「娘もだ。さっき言ったろう」
用心棒が、腰の剣を抜いた。
守るはずだった父娘へ、その切先が向く。
「大人しくさせとけよ。怪我をさせたら、お互い損だ」
父親が娘を押し隠した。
背に回した手へ、娘の指が縋っている。
弥兵衛は用心棒の剣を見た。
刃は長く、父親まで半歩もなかった。
頭目の短剣も、その脇腹へ向いている。
馬が前脚を踏み替えた。
軛の革が、きしりと鳴る。
弥兵衛の手は、腰の刀へ行かなかった。
「……おせっかいじゃがな」
頭目が顔を向けた。
「何を――」
草鞋が、石を擦った。
《縮地》で間を詰めた弥兵衛は、もう男の背後にいた。
右の掌を、背の左寄りへ当てる。
心臓の裏に当たる所だった。
頭目が振り向こうと肩を捻る。
弥兵衛は《生命力吸収》を使った。
その肩から、力が抜けた。
短剣が指を滑り、石畳へ落ちる。
膝が折れ、男は口を開いたまま横へ崩れた。
「お頭?」
用心棒の切先が、父親から外れた。
父親は娘を抱き寄せ、車輪の陰へ下がった。
弥兵衛は掌を離し、倒れた男の脇へ出た。
頭目の口元には、息で動いた草の葉があった。
「何者だ、てめえ!」
短剣を持った1人が、頭目を避けて進み出た。
「通りすがりの旅人じゃよ」
盗賊は倒れた頭目を見た。
弥兵衛の両手には、何もない。
男は短剣を握り直した。
「全員でかかれ!」
靴が石畳を蹴った。
先頭の男が低く構えた短剣は、弥兵衛の腹を狙っていた。
後ろでは、棒を持った男が大きく腕を振り上げる。
弥兵衛は半歩、左へ出た。
突き上げてくる刃へ、左腕を差し入れる。
《身体硬化》が、刃を迎えた。
ガイン!
金属を打ったような音が、街道に響いた。
袖が裂け、短剣が腕の外側で止まった。
男の手首が跳ねる。
弥兵衛の左手が、その手首を掴んだ。
「刺さらねえ……!」
刃を引こうとした男の肩だけが、後ろへ退いた。
手首は動かなかった。
弥兵衛は裂けた袖を見てから、男の顔へ目を上げた。
《威圧》が、その背後の者たちへも及んだ。
振り上げられた棒が止まる。
用心棒の足も、石畳に貼りついたように動かなくなった。
短剣を握っていた指が緩んだ。
弥兵衛は男の帯へ右手を掛けた。
《怪力》で持ち上げると、両足が石畳から浮いた。
「お、おい――」
棒を持った男が、ようやく声を出した。
その胸へ、弥兵衛は抱え上げた体を放った。
2人がぶつかり、棒が跳ねた。
重なった体が、馬車とは反対の草地へ転がり込む。
押し潰された草の間から、息の詰まった声がした。
弥兵衛は残る者たちへ向き直った。
用心棒の目が、腰の刀へ落ちた。
「おぬしら相手に刃がもったいないわ」
弥兵衛の手は、刀の柄を素通りし、外套の端を後ろへ払った。
用心棒が、急に馬車へ走った。
車輪の陰へ腕を伸ばす。
娘の悲鳴が上がった。
「来るな! こいつが――」
言い終える前に、その腕が後ろへ引かれた。
《高速移動》で馬車の脇へ入った弥兵衛が、用心棒の剣を持つ手首を取っていた。
捻り上げると、男は爪先立ちになった。
剣が、石へ落ちた。
娘の服へ届きかけていた反対の手も、宙を掻く。
弥兵衛はその帯を掴み、馬車から引き離した。
「仕事を間違えたのう」
用心棒は答えず、弥兵衛の顔へ頭を打ちつけようとした。
老人が体を開くと、その頭は空を切った。
膝の裏を払われ、用心棒の体が路肩へ落ちる。
弥兵衛は男の腕を背へ回した。
もう片方の手が背へ引き寄せられると、男は土へ顔を押しつけて呻いた。
「縄はあるかの」
父親は娘を背へ隠したまま、荷台から縄の束を引き出した。
差し出す端が震えている。
弥兵衛はそれを受け取り、男の手首へ回した。
その時、馬車の後ろで靴音がした。
残る1人が、娘のいる方へ回り込もうとしていた。
弥兵衛は結び目を締め、顔を上げた。
男と目が合った。
振り向いて逃げようとした男の肩へ、老人の手が届いた。
上体が引き戻され、足だけが前へ出る。
背から落ちた男は、しばらく息を吸えずにいた。
その刃物を遠くへ払い、弥兵衛は道へ出た。
あとの2人は、すでに逃げていた。
1人は街道を走り、もう1人は木立へ入ろうとしている。
弥兵衛の外套が、翻った。
道を走る男の帯を後ろから掴むと、引かれた体が反り返った。
弥兵衛はその体を路肩へ下ろし、刃物を持った手を土へ押さえた。
指が開くのを待ち、武器を取る。
木立の男は、振り向いた拍子に枝へ肩をぶつけた。
その前へ、弥兵衛が立った。
男は尻餅をつき、短剣を両手で突き出した。
「来るな!」
刃先が震え、木漏れ日を細かく弾く。
弥兵衛は横へ1歩出て、振り向けられた刃の外から手首を取った。
指がほどけると、短剣を取り上げる。
「や、やめてくれ」
「では、動くでない」
襟首を持ち上げると、男は両手を土へついた。
弥兵衛はその腕を放さず、道へ連れ戻した。
馬車のそばでは、父親が娘を背に庇い、縄の束を握り締めていた。
弥兵衛は男を座らせた。
「それを、もう少し借りるぞ」
「は、はい」
男の手首を縛り、先に倒した者たちも路肩へ集めた。
父親は娘をそばから離さず、弥兵衛が縄を掛けるたび、その端を渡した。
投げられた2人は、起こされるだけで声を上げた。
頭目の胸も、ゆっくり上下している。
最後に用心棒の足首へ縄を回すと、男が顔を上げた。
「旦那、俺は……」
父親の手が止まった。
用心棒は、その手の縄を見ていた。
「娘さんには、何もしなかったろう」
娘が父の袖を掴んだ。
父親はその手へ自分の手を重ね、用心棒から離れた。
弥兵衛が縄の端を引くと、用心棒は口をつぐんだ。
盗賊6人と、用心棒。
7人が縛られて並ぶと、街道には馬の鼻息が聞こえるようになった。
父親が娘を抱き締めた。
「怪我はないか。どこも、痛くないか」
「大丈夫……お父さんは」
「何ともない。何ともないから」
弥兵衛は落ちた刃物を集め、馬から離れた所へ置いた。
背後で、娘の泣く声がした。
父親は何度も同じことを言い、その背を撫でていた。
弥兵衛は馬の方へ回り、地面へ落ちた手綱を拾った。
馬が鼻を寄せてくる。
「お主も、災難であったのう」
首筋を撫でていると、父親がようやく顔を上げた。
「娘を助けていただいて……何と、お礼を申し上げれば」
「怪我がなくて、何よりよ」
「私が、あんな男を雇ったばかりに」
父親は言いかけ、娘の髪へ手を添えた。
「この子を連れていたから、道中が心配で。それなのに……」
声が詰まった。
弥兵衛は手綱を返した。
「守ろうと思うたのであろう。娘御を抱いてやれる手が残って、よかった」
父親は手綱を受け取ると、また娘のそばへ戻った。
娘が、その腕から少しだけ顔を出した。
「お爺さん」
「何じゃ」
「腕は……怪我、してませんか」
弥兵衛は左の袖を見た。
刃を受けた所が開き、下の腕が覗いている。
「腕は無事じゃ。どうやら、袖の方が負けたらしい」
腕を返して見せると、娘の目は肌から裂けた布へ移った。
血は出ていなかった。
娘は何か言いかけたが、まだ声にならず、父の脇へ戻った。
父親が、縛られた者たちを見た。
「この者たちを、どうすれば……」
「近くに、人を呼べる所はあるかの」
「少し戻った所に、村があります」
父親は娘を見た。
その手は、まだ自分の袖を握っている。
「2人で行っておいで。わしは、ここで待っておる」
「ですが、あなたに何もかも」
「こやつらを連れ歩くのは、骨が折れるでな。荷車を頼んできてもらえると、助かる」
父親は頭を下げ、娘の手を取った。
2人が街道を戻っていくのを見送ると、弥兵衛は路肩へ腰を下ろした。
用心棒が肩を動かし、縄を擦っていた。
弥兵衛と目が合うと、その手が止まった。
弥兵衛は竹筒を出し、ひと口飲んだ。
裂けた袖が腕へ引っ掛かるので、指で布を重ねておく。
朝、鍛冶屋の女房が持たせてくれた包みは、潰れていなかった。
懐へ戻し、もうひと口飲んだ。
道の上を、雲の影が動いた。
やがて、荷車の軋む音が聞こえてきた。
父親が村の者たちを連れ、娘とともに戻ってきた。
縛られた7人を見て、男たちが足を止める。
「この爺さんが、全部?」
「ええ。私たちは、何もできず……」
父親は隣の娘を見た。
「この男は、用心棒として雇ったんです。それが、こいつらと組んでいて」
指された用心棒が、顔を背けた。
村の男が、その剣帯を外した。
「一緒に連れていく。あとのことも、こっちから知らせよう」
用心棒は何か言いかけたが、腕を取られると、黙って立った。
ほかの者も、荷車へ移されていく。
頭目は持ち上げられた拍子に呻き、薄く目を開いた。
弥兵衛を見ると、また閉じた。
最後の1人が載せられるまで、弥兵衛は荷車のそばにいた。
盗賊と用心棒を乗せた車が村へ戻っていくと、父親は何度も頭を下げて見送った。
車の音が遠ざかり、弥兵衛も外套を直した。
「せめて、何かお礼をさせてください」
父親が懐へ手を入れた。
弥兵衛は馬車へ目をやった。
「お主らは、領都へ行くのであったな」
「はい。そうですが」
「わしも、そちらを目指しておる」
父親が、すぐに荷台を振り返った。
「それなら、どうか一緒に。狭い所で申し訳ありませんが、お乗りください」
「では、ご厄介になろうか」
弥兵衛が答えると、男は荷の端を寄せ、座る所を作った。
「まだ、お名前も伺っておりませんでした」
「弥兵衛じゃ」
「弥兵衛さん。本当に、助かりました」
差し出された手を借り、弥兵衛は荷台へ上がった。
娘は荷の隣に座り、膝へ小さな包みを広げていた。
目が合うと、少し迷ってから、声を出す。
「さっきの袖……私でよければ、縫いましょうか」
包みの中には、針と糸があった。
弥兵衛は裂け目の縁を押さえた。
「頼んでもよいかの」
「はい。でも、出る前に」
「おお、そうじゃな」
父親も声を聞き、御者台から振り向いた。
「済むまで、動かさないでおこう」
弥兵衛は左腕を着物の袖から抜いた。
娘はその袖を膝へ広げ、布を重ね合わせた。
糸を針へ通す時、指先はまだ落ち着かぬようだった。
弥兵衛は話しかけず、娘が糸を結ぶのを待った。
針が入ると、裂けて離れていた布が、少しずつ寄った。
小さな針目が並んでいく。
弥兵衛が腕を動かしかけると、娘が布を押さえた。
「もう少し、じっとしていてください」
「相済まぬ」
御者台で、父親が小さく笑った。
娘は最後の糸を留め、袖の形を戻した。
「ちゃんと直すなら、当て布があった方がいいんですけど」
「いや。十分に助かった」
弥兵衛は腕を通し、袖口へ手を出した。
さっきは指に掛かっていた裂け目が、もう開かない。
「ありがたい。これで、また着て歩ける」
娘は針をしまい、ようやく小さく笑った。
父親が荷綱を引き、ほどけた所がないか確かめていた。
「弥兵衛さん。もう、よろしいですか」
「うむ。頼む」
父親が御者台へ戻り、馬へ声を掛けた。
車が揺れ、石畳の継ぎ目を車輪が越える。
弥兵衛は荷へ背を預け、繕われた袖を膝に置いた。
歩く時より高い所から、道と畑が見えている。
娘は包みを畳み、弥兵衛へ向き直った。
「東から、いらしたんですか」
「うむ。昨日、森を抜けたところよ」
「あの森を……」
娘は後ろを見かけ、途中で、老人の顔へ目を戻した。
「旅のこと、聞いてもいいですか」
「飯の話なら、長くなるぞ」
娘の口元が、さっきより柔らかくなった。
荷台の木箱が小さく擦れ、車輪がまた、石の継ぎ目を踏んだ。