押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第45話 売れない燭台が同行希望です

 

 六畳間のローテーブルの上で、スマホの銀行アプリが白く光っていた。

 

 合同会社押入商会の法人口座。

 

 数字は、ある。

 

 ないわけではない。

 

 ただ、澪が今ほしい形ではなかった。

 

 澪はスマホの横に記録帳を置き、その横に領収書用の封筒を置いた。さらに、収納から正金貨100枚の袋を出して、ローテーブルの端にそっと置く。

 

 袋は、鈍い音を立てた。

 

 ずっしりしている。とても頼もしい。異世界側でなら、材料も、人足も、職人への支払いも、鉱石商への代金も、かなり動かせる。

 

 けれど、銀行アプリの数字は増えていない。

 

 税理士顧問料は金貨で落ちない。

 

 法人カードも金貨で落ちない。

 

 薬品、容器、衛生用品、梱包材、家賃、学費返済。全部、現代円でやってくる。

 

「……金貨袋、こんなに頼もしいのに」

 

 澪は正金貨の袋を見つめたあと、スマホの画面へ視線を戻した。

 

 頼もしいのに、カードの引き落としには使えない。

 

 前回の記録帳には、高融点重金属系素材、剣型試料、オリハルコン疑惑、王家献上予定、正金貨100枚、と並んでいる。

 

 現代円が欲しかった。

 

 レアアースを探した。

 

 レアアースではなく、レアメタルっぽいものが光った。

 

 それを剣型にしたら、オリハルコン疑惑で王家案件になった。

 

 結果、金貨が増えた。

 

 澪は記録帳の余白に、小さく書いた。

 

 現代円が欲しい。

 

 書いた文字が、やけに切実だった。

 

 

 

 

 

「いや、探したけど。ないから」

 

 リュシアの店の奥で、澪はそう言って両手を膝の上に置いた。

 

 雨上がりの市場は、まだ少し湿っていた。店先の布は乾ききらず、木箱の足元には泥の跡が残っている。リュシアは帳面を開き、セルマは壁際の椅子に腰かけていた。

 

 リュシアが顔を上げる。

 

「ない?」

 

「白金材料は値が上がってます。黒い重い石は、剣にしたら王家案件になりました。レアアースを探したら、レアメタルが勘違いみたいに光りました。今ほしいのは、普通に売れて、普通に説明できて、普通にあたしの国のお金になるものなんですけど」

 

 セルマが軽く首を傾けた。

 

「普通、という言葉の位置が、だいぶ遠くなっているわね」

 

「遠いです。探したけど、ないです」

 

 澪は真顔で言った。

 

 リュシアはしばらく澪を見ていたが、やがて帳面の端を指で叩いた。

 

「なら、探し方を変えるしかないね」

 

「探し方ですか」

 

「澪は素材ばかり見ている。白金、重い砂、黒い石。けど、澪の国で売れるものは、金属だけじゃないんだろう?」

 

「まあ……そうです」

 

 澪がうなずくと、リュシアは帳面をこちらへ向けた。

 

 そこには、彼女が今まで聞いた品目が簡単に並んでいた。家具。武器。鍛冶。小物。美術。装飾。

 

「じゃあ、澪。どんなものが売れているのか。この町にあるものと何が違うのか。教えておくれ。家具、武器、鍛冶、小物、美術品、装飾品」

 

 澪は少し考えてから口を開いた。

 

「まず、売れるものと、売っていいものが違います」

 

「また面倒なことを言い出したね」

 

「あたしの国は、面倒なんです」

 

 セルマが小さく笑った。

 

「それは最近よく分かってきたわ」

 

 澪は指を折りながら説明した。

 

「家具は売れます。でも、大きい家具は大変です。運ぶのも、保管するのも、説明するのも大変です。だから売るなら、小箱、飾り板、鏡の枠、小さな棚、木彫りの小物みたいなものです」

 

「大きな飾り棚より、小さい箱?」

 

「はい。大きい家具は場所を取るし、虫食い、反り、割れ、修理歴、木の種類、作られた年代を聞かれます。小物なら、素材と手仕事の良さで売りやすいです」

 

 リュシアは帳面にさらさらと書き込んだ。

 

「武器は?」

 

「だめです」

 

「即答かい」

 

「刃物、剣、槍、弓、そういうのは面倒です。売れるかもしれません。でも、危ないし、説明が重いし、持ち込んだだけであたしが困ります」

 

 セルマが静かに言う。

 

「オリハルコン疑惑の剣で懲りたのね」

 

「ものすごく懲りました」

 

 澪は深くうなずいた。

 

 リュシアは口元を押さえて笑いかけたが、すぐに帳面へ目を戻した。

 

「じゃあ、鍛冶屋の品は全部だめかい」

 

「武器じゃなければいけます。むしろ、そこは候補です。装飾金具、燭台、取っ手、蝶番、看板金具、鍋敷き、壁に掛ける飾り、植物模様の鉄細工。そういうものなら、手仕事のインテリアとして売れる可能性があります」

 

「刃はだめ。金具はいい」

 

「はい。切るものじゃなくて、飾るもの、支えるもの、使っても危なくないものです」

 

「小物は?」

 

「一番やりやすいです。小さい、壊れにくい、腐らない、説明しやすい。木箱、金具、飾り板、石の置物、銀細工、革の小物、手織りの布小物。ただし、素材が危ないものや、動植物由来で説明しづらいものは避けたいです」

 

 セルマが手元の薬包紙を畳みながら尋ねた。

 

「美術品はどう?」

 

「難しいです。絵とか彫刻は、誰が作ったか、いつ作ったか、どこの物かを聞かれます。あたしの国では、作者や来歴が分からない高い美術品は扱いづらいです」

 

「来歴?」

 

 リュシアが聞き返す。

 

「どこから来たか、誰が持っていたか、盗品じゃないか、偽物じゃないか、そういう話です」

 

「売れるのに、売りにくい」

 

「はい。だから高級美術品より、工芸品、民芸品、手仕事の小物として出せるものの方が安全です」

 

「装飾品は?」

 

「いけます。でも、金貨や大きな宝石は避けたいです。説明が重いので。銀細工、天然石、グラデーションストーン、小さな髪飾り、ペンダント、ブローチ。小型で、手仕事が分かるものがいいです」

 

 リュシアは帳面に書いた文字を見下ろし、少し考えた。

 

「つまり、澪の国で売れるものは、高いものじゃなくて、説明できるものかい」

 

「そうです。小さくて、高くて、危なくなくて、腐らなくて、出所を帳簿に書けて、明石さんに怒られにくいものです」

 

「最後が一番大事そうだね」

 

「一番大事です」

 

 セルマがまとめるように言った。

 

「武器は避ける。家具は小さく。鍛冶は飾り金具。美術品は高額品ではなく工芸品。装飾品は小型で説明しやすいもの」

 

「はい」

 

 リュシアは帳面を閉じた。

 

「教会にいってみるかい」

 

「教会ですか」

 

「あそこには、古い燭台、壊れた金具、割れた色ガラス、修繕で外した木片がある。売り物としては半端でも、澪の国なら古い手仕事に見えるかもしれない」

 

 澪は少し身を固くした。

 

「聖具を売るのは、ちょっとまずいです」

 

「売るんじゃないよ。壊れて下げた物、修繕で外した物、孤児院の子たちが作る小物だ」

 

 セルマが頷く。

 

「祈りそのものではなく、手の仕事を見るのね」

 

「それなら、いけるかもしれません」

 

 澪はそう言ったが、胸の奥で少しだけ引っかかりが残った。

 

 教会。

 

 祈り。

 

 古い道具。

 

 今までの素材とは違うものを扱うことになる。

 

 

 

 

 

 教会の床は、まだ洪水後の掃除の匂いがした。

 

 濡れた木を乾かしたあとの、少し重い匂い。磨かれた長椅子の背に、乾いた布がかけられている。色ガラスの窓から入る光は、床に赤や青の薄い影を落としていた。

 

 澪は入口で一礼した。

 

 リュシアは慣れた様子で司祭様へ挨拶し、セルマは礼拝堂の奥にある灯の具合を見ていた。

 

 司祭様は穏やかな顔で迎えてくれた。洪水後の疲れは見えるが、声は落ち着いている。

 

「今日は、何をお探しですかな」

 

 リュシアが一歩前へ出た。

 

「聖具を売ってくれという話じゃありません。修繕で外した物や、孤児院の手仕事品を見せてもらえないかと思いましてね」

 

 司祭様は澪を見た。

 

「澪殿の国で、使い道があるかもしれないと」

 

「はい。ただ、祈りに関わるものを雑に扱うつもりはありません」

 

「それはありがたい」

 

 司祭様は礼拝堂の端にある古い木椅子へ澪たちを案内した。椅子の脚は何度も修理された跡があり、座面の端は手で撫でられて丸くなっている。

 

 澪が腰を下ろすと、木が小さく鳴った。

 

 司祭様は向かいに座り、少しだけ首を傾けた。

 

「澪殿の国では、どの神へ祈るのですかな」

 

 澪は一瞬、口を開けたまま固まった。

 

「ええと……それが、ひとつじゃないんです」

 

「ひとつではない」

 

「年の初めには神社へ行きます。お葬式はお寺でする家も多いです。結婚式は教会で挙げる人もいます。お祭りでは神様を担ぎますし、受験の時はお守りを買います」

 

 司祭様の眉が少し上がった。

 

「ずいぶん忙しい国ですな」

 

「あたしも、そう思います」

 

 澪は少し笑った。

 

「困った時は、神様、仏様、ご先祖様、誰でもいいから助けてくださいって思う人もいます。失礼かもしれませんけど」

 

 司祭様は怒らなかった。

 

「必死な祈りは、形より先に出るものです」

 

 澪は膝の上で指を組んだ。

 

「あたしの国だと、古い道具に神様が宿る話もたくさんあります」

 

「道具に、神が?」

 

「はい。長く使われた茶碗とか、櫛とか、傘とか。大事にされて、古くなって、いつの間にか心を持つみたいな話です」

 

「それは、物を粗末にしないための教えにも聞こえますな」

 

「たぶん、そういうところもあります。あと、外国の神様も、いつの間にか暮らしているみたいです。教会で結婚式をしたり、冬に赤い服のおじいさんが来たり、お祭りみたいになったり」

 

 リュシアが横で小さく笑った。

 

「赤い服のおじいさん?」

 

「説明すると長くなります」

 

 澪は小声で返した。

 

 司祭様は、少し楽しそうに目を細めた。

 

「澪殿の国は、外から来た祈りも追い出さぬのですか」

 

「追い出すというより……いつの間にか、うちの行事みたいになってます」

 

「面白い国ですな。神をひとつの家に閉じ込めず、道具にも、季節にも、外から来た祈りにも席を作る」

 

「そんな立派な感じじゃないです。けっこう雑です」

 

「雑であっても、粗末ではないのでしょう」

 

 その言い方に、澪は返事に詰まった。

 

 雑であっても、粗末ではない。

 

 自分の国の祈りを、そんなふうに言ってもらえるとは思っていなかった。

 

 司祭様は立ち上がり、礼拝堂の脇にある古い戸棚へ向かった。

 

「であれば、これを差し上げましょう」

 

 戸棚の扉が、きし、と小さく鳴る。

 

 中から出てきたのは、古い燭台だった。

 

 黒くくすんだ金属に、何度も拭かれた跡がある。蝋が落ちた跡は削られていたが、細い溝の奥には白っぽい名残が残っていた。台座には蔦のような模様が打ち出され、持ち手の根元は、長く握られて少し丸くなっている。

 

「あの、これは……いいんですか?」

 

「礼拝で使っていたものではありません。昔、孤児院の夜番が使っていた燭台です。今は新しいものに替え、これは戸棚で眠っておりました」

 

 リュシアが眉を寄せる。

 

「司祭様、それでも教会の物だろう」

 

「ええ。だから売るのではありません。澪殿に託すのです」

 

「託す……」

 

 澪は両手で燭台を受け取った。

 

 見た目より重い。冷たい金属なのに、持ち手の部分だけは、人の手に触れてきた温度を思い出すように馴染んだ。

 

「澪殿の国では、古い道具にも神が宿る話があるのでしょう。ならば、この燭台も、捨てられるより、誰かの手元で大切にされる方がよい」

 

 澪はすぐには答えられなかった。

 

 売れるかもしれない、と思った。

 

 同時に、売っていいのか、と思った。

 

 だから鑑定した。

 

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古い燭台

 分類:教会旧備品/夜番用燭台

 材質:青銅系合金

 状態:使用痕あり、煤、蝋残り

 用途:孤児院夜番用、廊下の灯

 残響:夜番の祈り、子どもの眠りを守る灯

 付与:微弱な加護

 意向:移動希望

 移動先:澪の国

 理由:異界観察、新しい祈りの形への関心

 注意:単純売却非推奨

----------------------------------

 

 澪は固まった。

 

 売るどころではなかった。

 

「……司祭様」

 

「どうされましたかな」

 

「これ、売っちゃ駄目なやつです」

 

 リュシアが即座に顔をしかめた。

 

「またかい」

 

 セルマが身を乗り出す。

 

「何が出たの」

 

「行きたがってます」

 

「どこへ」

 

 司祭様が静かに聞いた。

 

 澪は燭台を見下ろした。

 

「あたしの国へ」

 

 礼拝堂に、しばらく沈黙が落ちた。

 

 色ガラスから入る光が、燭台のくすんだ台座を淡く照らす。

 

 澪は困って、もう一度鑑定した。

 

 すると、鑑定欄が増えた。

 

----------------------------------

【同行希望】古い燭台について【売却不可】

 

001:燭台

 移動希望。澪の国を見たい。

 

002:燭台

 埃の少ない場所を希望。

 

003:燭台

 暗所長期保管は非推奨。

 

004:燭台

 火を灯す頻度は少なくてよい。

 

005:燭台

 祈りの形を観察したい。

 

006:燭台

 台所の「いただきます」に興味あり。

 

007:燭台

 年始の祈りに興味あり。

 

008:燭台

 古い道具への敬意に興味あり。

 

009:燭台

 単純売却不可。売るな。

 

010:鑑定

 本表示は意思疎通補助であり、音声発話ではない。

----------------------------------

 

「鑑定が掲示板になってる……」

 

 澪は思わずつぶやいた。

 

 リュシアが首をかしげる。

 

「掲示板?」

 

「あたしの国の、古い文字の集まりです。人が短い文をどんどん書いていくやつで……あたしが生まれたあたりの文化です」

 

 セルマが真顔で言った。

 

「生まれたあたりの文化が、神託の形で出ているの?」

 

「やめてください。急に年齢と信仰とインターネットが混ざりました」

 

 リュシアは燭台を見て、腕を組んだ。

 

「売り物じゃなくて、書き込みしてくる客だね」

 

「客というより、神託に近いわ」

 

「神託が古い掲示板形式なの、やめてほしいです」

 

 澪は燭台を持つ手に少し力を入れた。

 

 直接声が聞こえるわけではない。

 

 燭台は喋らない。

 

 ただ、鑑定欄が勝手に増えていく。

 

 それが一番困る。

 

 司祭様は燭台を見つめて、静かに言った。

 

「燭台は、澪殿の国の祈りを見たいのでしょう」

 

「あたしの国、けっこう雑ですよ。神社に行って、お寺にも行って、ケーキ食べて、初詣して、お守り買って、道具にも神様が宿るとか言いますよ」

 

「だからこそ、見たいのでしょうな」

 

 澪がさらに困っていると、鑑定欄は追い打ちをかけるように、別の表示を出した。

 

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古い燭台

 同行時メリット:

  祈りの残響判定補助

  古道具の加護・呪い判定補助

  手仕事品の由来確認補助

  夜間の微弱な見守り

  教会・孤児院との縁維持

  礼を失わない取引の補助

  説明不足の予兆表示

  証憑不足の注意

  相談相手への敬意確認

----------------------------------

 

「要求だけじゃなくて、メリットまで書いてきた……」

 

 澪の声は、ほとんど泣き言だった。

 

 リュシアはすぐに言った。

 

「売り物じゃなくて、相談役だね」

 

 セルマも頷く。

 

「古道具や祈りの残った品を扱うなら、役に立つわ」

 

「役に立つのは分かるんですけど、六畳間に神様付き相談役を置く覚悟がまだないです」

 

 司祭様は穏やかに笑った。

 

「燭台は、澪殿に商いの作法を教えたいのかもしれませんな」

 

「商売の先生が、税理士さんと神様になりました」

 

 言ってから、澪は自分で頭を抱えたくなった。

 

 現代円が欲しかっただけなのに。

 

 なぜ税理士と神様に商売を教わることになっているのか。

 

 けれど、燭台を単純に置いていく気にもなれなかった。

 

 澪はゆっくり息を吸った。

 

「これは、売りません。売れません」

 

 リュシアが軽く肩をすくめる。

 

「金にはならないね」

 

「なりません。でも、持って帰るなら、売り物じゃなくて預かりものです」

 

 司祭様は深く頷いた。

 

「よろしい。燭台が望み、澪殿が重さを理解するなら、託しましょう」

 

 セルマの声は厳しかった。

 

「単純な道具ではないわ。扱いを間違えないことね」

 

「はい」

 

 澪は燭台を両手で抱え直した。

 

 重い。

 

 金属としての重さではなく、扱いを間違えてはいけないものの重さだった。

 

 

 

 

 

 燭台は売れない。

 

 それは確定した。

 

 けれど、教会で何も得られなかったわけではない。

 

 司祭様は礼拝堂の奥から、修繕品をまとめてある小部屋へ案内してくれた。そこには、古い木箱に入れられた金具、割れた色ガラス片、窓枠から外した小さな木片、孤児院の子どもたちが磨いた木札、シスターが管理している刺繍小袋が並んでいた。

 

 燭台を抱えた澪は、売り物ではないものを持ったまま、売ってよいものを探すという、妙な状態になっていた。

 

 リュシアは作業机に帳面を広げる。

 

「売れるもの、売っていいもの、預かるもの。分けるよ」

 

「はい」

 

 セルマが古い金具をひとつ手に取った。

 

「燭台が来た意味は、最初に分けろということかもしれないわね」

 

「現代円は増えてないのに、帳面の項目は増えました」

 

 澪は小さく嘆きながら、修繕で外した金具を鑑定した。

 

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修繕外し金具

 分類:古道具/金工品

 由来:教会修繕時に取り外し

 祈りの残響:微弱

 売却可否:条件付き可

 推奨:由来説明、教会修繕協力品として記録

----------------------------------

 

「これは条件付き可です。教会修繕で外した金具として記録すれば、いけそうです」

 

 リュシアが帳面へ書く。

 

 次に、割れた色ガラス片。

 

 赤、青、薄い緑。小さな破片だが、光にかざすときれいだった。

 

----------------------------------

割れた色ガラス片

 分類:装飾素材

 由来:旧窓修繕時の破片

 祈りの残響:なし

 用途:装飾素材、アクセサリー素材

 売却可否:可

----------------------------------

 

「これはいけます。装飾素材です」

 

 セルマが光にかざす。

 

「祈りの中心ではなく、窓の一部だったのね」

 

「はい。アクセサリー素材や飾りにできるかもしれません」

 

 シスターが布の小袋を持ってきた。

 

 小さな刺繍が入っている。花のような模様、鳥のような模様、少し歪んだ星のような模様。どれも完璧ではないが、手で作った温度がある。

 

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孤児院刺繍小袋

 分類:手仕事品

 作り手:孤児院年長組

 状態:良

 祈りの残響:なし

 売却可否:可

 推奨:作り手報酬、教会記録

----------------------------------

 

「これも、売れます」

 

 シスターが目を丸くした。

 

「この子たちの縫ったものが、ですか」

 

「はい。ただ、ちゃんと作った子たちへの報酬と、教会の記録が必要です。あと、数を急に増やしすぎない方がいいです」

 

 リュシアが頷く。

 

「売れるからって、子どもに無理させるのはなしだね」

 

「はい」

 

 司祭様は静かにそれを聞いていた。

 

「祈りを売るのではなく、手の仕事に対価をいただく」

 

「はい。それなら、たぶんできます」

 

 澪は燭台を横に置き、売却候補、売却不可、預かりものを分けていった。

 

 預かりもの。

 

 古い燭台。

 

 売却候補。

 

 修繕外し金具。割れた色ガラス。古い木片。孤児院刺繍小袋。蜜蝋ろうそく。木彫り小札。

 

 売却不可。

 

 礼拝具。現役聖具。祈りの中心にあるもの。強い加護や呪い、残響があるもの。

 

 リュシアはその分類を見て、満足そうに帳面を閉じた。

 

「これなら、始められる」

 

 澪は燭台を見た。

 

 売れないものから始まったのに、売ってよいものの線が引けた。

 

 それは、現代円より先に必要だった線なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 六畳間に戻ると、古い燭台は急に場違いになった。

 

 ローテーブルには記録帳、レシート封筒、薬箱、素材試料、小インゴット、梱包用の袋がある。押し入れの近くには段ボール箱が積まれ、床にはまだ雨の日の資材整理の跡が少し残っている。

 

 その端に、黒くくすんだ古い燭台を置く。

 

 妙に浮く。

 

 けれど、なぜか落ち着いてもいる。

 

 澪は鑑定した。

 

----------------------------------

古い燭台

 現在地:澪の部屋

 状態:移動完了

 観察対象:生活空間、帳面、台所の祈り

 注意:床置き非推奨

 推奨:清潔な布、机上または棚上

----------------------------------

 

「床置き、駄目なんですね」

 

 鑑定欄は何も答えない。

 

 澪は慌てて清潔な布を出し、ローテーブルの端に敷いた。燭台をその上へ置き直す。

 

「はい、すみません」

 

 ひとまず配置が落ち着くと、澪は教会由来品の仕入れ候補を記録し始めた。

 

 修繕外し金具。

 

 割れた色ガラス。

 

 孤児院刺繍小袋。

 

 蜜蝋ろうそく。

 

 木彫り小札。

 

 どれを会社の仕入れにできるのか。どれを販売予定品にするのか。教会への支払いはどう記録するのか。孤児院への報酬はどう扱うのか。宗教的な品ではなく、修繕廃材や手仕事雑貨として説明できるのか。

 

 書いている途中で、澪は燭台を見た。

 

 なんとなく、鑑定する。

 

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取引姿勢確認

 相手:明石税理士

 状態:相談負荷増加

 注意:事後報告が続いている

 推奨:支出前相談、用途別資料、由来説明、購入予定額の提示

 備考:信頼は帳簿だけでなく、対応の順番で積み上がる

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 澪はペンを持ったまま固まった。

 

「燭台、税理士対応まで見るんですか」

 

----------------------------------

推奨:支出前相談

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「……はい。先に相談します」

 

 澪はスマホを手に取った。

 

 明石さんへ送る文面を作る。

 

 教会由来の修繕外し金具、色ガラス片、孤児院手仕事品を少量仕入れたいこと。

 

 聖具ではなく、修繕廃材や手仕事雑貨として扱う予定であること。

 

 出所、数量、支払先、教会への支払い、孤児院への報酬、販売予定、会社負担範囲を記録すること。

 

 古い燭台は売却不可の預かり品で、会社在庫にしないこと。

 

 澪は送信前に、もう一度メモを読み返した。

 

 いつもなら、買ってから泣きながら相談していたかもしれない。

 

 今回は、買う前に相談している。

 

 送信。

 

 しばらくして、明石さんから返信が来た。

 

『今回は事前相談ですね。いいです。仕入れる前に、品目、数量、金額、販売予定、保管場所を整理してください。預かり品は在庫に入れず、別記録にしてください』

 

 澪はスマホを握りしめた。

 

「怒られてない」

 

 鑑定欄が、静かに出た。

 

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古い燭台

 備考:対応順序改善

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「褒め方が事務的」

 

 でも、少しだけ嬉しかった。

 

 現代円は、まだ増えていない。

 

 代わりに、六畳間には売れない燭台が増えた。

 

 その燭台は、澪が明石さんへ送る前のメモを見張り、鑑定欄で静かに言ってくる。

 

 説明不足。

 

 証憑不足。

 

 支出前相談推奨。

 

 澪はペンを持ち直した。

 

「現代円は増えてないけど、怒られる回数は減るかもしれない」

 

 押入商会は、金貨でも白金でもないものをひとつ手に入れた。

 

 売り物ではない。

 

 でも、商いで礼を失わないための、古い灯だった。

 

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