六畳間のローテーブルの上で、スマホの銀行アプリが白く光っていた。
合同会社押入商会の法人口座。
数字は、ある。
ないわけではない。
ただ、澪が今ほしい形ではなかった。
澪はスマホの横に記録帳を置き、その横に領収書用の封筒を置いた。さらに、収納から正金貨100枚の袋を出して、ローテーブルの端にそっと置く。
袋は、鈍い音を立てた。
ずっしりしている。とても頼もしい。異世界側でなら、材料も、人足も、職人への支払いも、鉱石商への代金も、かなり動かせる。
けれど、銀行アプリの数字は増えていない。
税理士顧問料は金貨で落ちない。
法人カードも金貨で落ちない。
薬品、容器、衛生用品、梱包材、家賃、学費返済。全部、現代円でやってくる。
「……金貨袋、こんなに頼もしいのに」
澪は正金貨の袋を見つめたあと、スマホの画面へ視線を戻した。
頼もしいのに、カードの引き落としには使えない。
前回の記録帳には、高融点重金属系素材、剣型試料、オリハルコン疑惑、王家献上予定、正金貨100枚、と並んでいる。
現代円が欲しかった。
レアアースを探した。
レアアースではなく、レアメタルっぽいものが光った。
それを剣型にしたら、オリハルコン疑惑で王家案件になった。
結果、金貨が増えた。
澪は記録帳の余白に、小さく書いた。
現代円が欲しい。
書いた文字が、やけに切実だった。
「いや、探したけど。ないから」
リュシアの店の奥で、澪はそう言って両手を膝の上に置いた。
雨上がりの市場は、まだ少し湿っていた。店先の布は乾ききらず、木箱の足元には泥の跡が残っている。リュシアは帳面を開き、セルマは壁際の椅子に腰かけていた。
リュシアが顔を上げる。
「ない?」
「白金材料は値が上がってます。黒い重い石は、剣にしたら王家案件になりました。レアアースを探したら、レアメタルが勘違いみたいに光りました。今ほしいのは、普通に売れて、普通に説明できて、普通にあたしの国のお金になるものなんですけど」
セルマが軽く首を傾けた。
「普通、という言葉の位置が、だいぶ遠くなっているわね」
「遠いです。探したけど、ないです」
澪は真顔で言った。
リュシアはしばらく澪を見ていたが、やがて帳面の端を指で叩いた。
「なら、探し方を変えるしかないね」
「探し方ですか」
「澪は素材ばかり見ている。白金、重い砂、黒い石。けど、澪の国で売れるものは、金属だけじゃないんだろう?」
「まあ……そうです」
澪がうなずくと、リュシアは帳面をこちらへ向けた。
そこには、彼女が今まで聞いた品目が簡単に並んでいた。家具。武器。鍛冶。小物。美術。装飾。
「じゃあ、澪。どんなものが売れているのか。この町にあるものと何が違うのか。教えておくれ。家具、武器、鍛冶、小物、美術品、装飾品」
澪は少し考えてから口を開いた。
「まず、売れるものと、売っていいものが違います」
「また面倒なことを言い出したね」
「あたしの国は、面倒なんです」
セルマが小さく笑った。
「それは最近よく分かってきたわ」
澪は指を折りながら説明した。
「家具は売れます。でも、大きい家具は大変です。運ぶのも、保管するのも、説明するのも大変です。だから売るなら、小箱、飾り板、鏡の枠、小さな棚、木彫りの小物みたいなものです」
「大きな飾り棚より、小さい箱?」
「はい。大きい家具は場所を取るし、虫食い、反り、割れ、修理歴、木の種類、作られた年代を聞かれます。小物なら、素材と手仕事の良さで売りやすいです」
リュシアは帳面にさらさらと書き込んだ。
「武器は?」
「だめです」
「即答かい」
「刃物、剣、槍、弓、そういうのは面倒です。売れるかもしれません。でも、危ないし、説明が重いし、持ち込んだだけであたしが困ります」
セルマが静かに言う。
「オリハルコン疑惑の剣で懲りたのね」
「ものすごく懲りました」
澪は深くうなずいた。
リュシアは口元を押さえて笑いかけたが、すぐに帳面へ目を戻した。
「じゃあ、鍛冶屋の品は全部だめかい」
「武器じゃなければいけます。むしろ、そこは候補です。装飾金具、燭台、取っ手、蝶番、看板金具、鍋敷き、壁に掛ける飾り、植物模様の鉄細工。そういうものなら、手仕事のインテリアとして売れる可能性があります」
「刃はだめ。金具はいい」
「はい。切るものじゃなくて、飾るもの、支えるもの、使っても危なくないものです」
「小物は?」
「一番やりやすいです。小さい、壊れにくい、腐らない、説明しやすい。木箱、金具、飾り板、石の置物、銀細工、革の小物、手織りの布小物。ただし、素材が危ないものや、動植物由来で説明しづらいものは避けたいです」
セルマが手元の薬包紙を畳みながら尋ねた。
「美術品はどう?」
「難しいです。絵とか彫刻は、誰が作ったか、いつ作ったか、どこの物かを聞かれます。あたしの国では、作者や来歴が分からない高い美術品は扱いづらいです」
「来歴?」
リュシアが聞き返す。
「どこから来たか、誰が持っていたか、盗品じゃないか、偽物じゃないか、そういう話です」
「売れるのに、売りにくい」
「はい。だから高級美術品より、工芸品、民芸品、手仕事の小物として出せるものの方が安全です」
「装飾品は?」
「いけます。でも、金貨や大きな宝石は避けたいです。説明が重いので。銀細工、天然石、グラデーションストーン、小さな髪飾り、ペンダント、ブローチ。小型で、手仕事が分かるものがいいです」
リュシアは帳面に書いた文字を見下ろし、少し考えた。
「つまり、澪の国で売れるものは、高いものじゃなくて、説明できるものかい」
「そうです。小さくて、高くて、危なくなくて、腐らなくて、出所を帳簿に書けて、明石さんに怒られにくいものです」
「最後が一番大事そうだね」
「一番大事です」
セルマがまとめるように言った。
「武器は避ける。家具は小さく。鍛冶は飾り金具。美術品は高額品ではなく工芸品。装飾品は小型で説明しやすいもの」
「はい」
リュシアは帳面を閉じた。
「教会にいってみるかい」
「教会ですか」
「あそこには、古い燭台、壊れた金具、割れた色ガラス、修繕で外した木片がある。売り物としては半端でも、澪の国なら古い手仕事に見えるかもしれない」
澪は少し身を固くした。
「聖具を売るのは、ちょっとまずいです」
「売るんじゃないよ。壊れて下げた物、修繕で外した物、孤児院の子たちが作る小物だ」
セルマが頷く。
「祈りそのものではなく、手の仕事を見るのね」
「それなら、いけるかもしれません」
澪はそう言ったが、胸の奥で少しだけ引っかかりが残った。
教会。
祈り。
古い道具。
今までの素材とは違うものを扱うことになる。
教会の床は、まだ洪水後の掃除の匂いがした。
濡れた木を乾かしたあとの、少し重い匂い。磨かれた長椅子の背に、乾いた布がかけられている。色ガラスの窓から入る光は、床に赤や青の薄い影を落としていた。
澪は入口で一礼した。
リュシアは慣れた様子で司祭様へ挨拶し、セルマは礼拝堂の奥にある灯の具合を見ていた。
司祭様は穏やかな顔で迎えてくれた。洪水後の疲れは見えるが、声は落ち着いている。
「今日は、何をお探しですかな」
リュシアが一歩前へ出た。
「聖具を売ってくれという話じゃありません。修繕で外した物や、孤児院の手仕事品を見せてもらえないかと思いましてね」
司祭様は澪を見た。
「澪殿の国で、使い道があるかもしれないと」
「はい。ただ、祈りに関わるものを雑に扱うつもりはありません」
「それはありがたい」
司祭様は礼拝堂の端にある古い木椅子へ澪たちを案内した。椅子の脚は何度も修理された跡があり、座面の端は手で撫でられて丸くなっている。
澪が腰を下ろすと、木が小さく鳴った。
司祭様は向かいに座り、少しだけ首を傾けた。
「澪殿の国では、どの神へ祈るのですかな」
澪は一瞬、口を開けたまま固まった。
「ええと……それが、ひとつじゃないんです」
「ひとつではない」
「年の初めには神社へ行きます。お葬式はお寺でする家も多いです。結婚式は教会で挙げる人もいます。お祭りでは神様を担ぎますし、受験の時はお守りを買います」
司祭様の眉が少し上がった。
「ずいぶん忙しい国ですな」
「あたしも、そう思います」
澪は少し笑った。
「困った時は、神様、仏様、ご先祖様、誰でもいいから助けてくださいって思う人もいます。失礼かもしれませんけど」
司祭様は怒らなかった。
「必死な祈りは、形より先に出るものです」
澪は膝の上で指を組んだ。
「あたしの国だと、古い道具に神様が宿る話もたくさんあります」
「道具に、神が?」
「はい。長く使われた茶碗とか、櫛とか、傘とか。大事にされて、古くなって、いつの間にか心を持つみたいな話です」
「それは、物を粗末にしないための教えにも聞こえますな」
「たぶん、そういうところもあります。あと、外国の神様も、いつの間にか暮らしているみたいです。教会で結婚式をしたり、冬に赤い服のおじいさんが来たり、お祭りみたいになったり」
リュシアが横で小さく笑った。
「赤い服のおじいさん?」
「説明すると長くなります」
澪は小声で返した。
司祭様は、少し楽しそうに目を細めた。
「澪殿の国は、外から来た祈りも追い出さぬのですか」
「追い出すというより……いつの間にか、うちの行事みたいになってます」
「面白い国ですな。神をひとつの家に閉じ込めず、道具にも、季節にも、外から来た祈りにも席を作る」
「そんな立派な感じじゃないです。けっこう雑です」
「雑であっても、粗末ではないのでしょう」
その言い方に、澪は返事に詰まった。
雑であっても、粗末ではない。
自分の国の祈りを、そんなふうに言ってもらえるとは思っていなかった。
司祭様は立ち上がり、礼拝堂の脇にある古い戸棚へ向かった。
「であれば、これを差し上げましょう」
戸棚の扉が、きし、と小さく鳴る。
中から出てきたのは、古い燭台だった。
黒くくすんだ金属に、何度も拭かれた跡がある。蝋が落ちた跡は削られていたが、細い溝の奥には白っぽい名残が残っていた。台座には蔦のような模様が打ち出され、持ち手の根元は、長く握られて少し丸くなっている。
「あの、これは……いいんですか?」
「礼拝で使っていたものではありません。昔、孤児院の夜番が使っていた燭台です。今は新しいものに替え、これは戸棚で眠っておりました」
リュシアが眉を寄せる。
「司祭様、それでも教会の物だろう」
「ええ。だから売るのではありません。澪殿に託すのです」
「託す……」
澪は両手で燭台を受け取った。
見た目より重い。冷たい金属なのに、持ち手の部分だけは、人の手に触れてきた温度を思い出すように馴染んだ。
「澪殿の国では、古い道具にも神が宿る話があるのでしょう。ならば、この燭台も、捨てられるより、誰かの手元で大切にされる方がよい」
澪はすぐには答えられなかった。
売れるかもしれない、と思った。
同時に、売っていいのか、と思った。
だから鑑定した。
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古い燭台
分類:教会旧備品/夜番用燭台
材質:青銅系合金
状態:使用痕あり、煤、蝋残り
用途:孤児院夜番用、廊下の灯
残響:夜番の祈り、子どもの眠りを守る灯
付与:微弱な加護
意向:移動希望
移動先:澪の国
理由:異界観察、新しい祈りの形への関心
注意:単純売却非推奨
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澪は固まった。
売るどころではなかった。
「……司祭様」
「どうされましたかな」
「これ、売っちゃ駄目なやつです」
リュシアが即座に顔をしかめた。
「またかい」
セルマが身を乗り出す。
「何が出たの」
「行きたがってます」
「どこへ」
司祭様が静かに聞いた。
澪は燭台を見下ろした。
「あたしの国へ」
礼拝堂に、しばらく沈黙が落ちた。
色ガラスから入る光が、燭台のくすんだ台座を淡く照らす。
澪は困って、もう一度鑑定した。
すると、鑑定欄が増えた。
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【同行希望】古い燭台について【売却不可】
001:燭台
移動希望。澪の国を見たい。
002:燭台
埃の少ない場所を希望。
003:燭台
暗所長期保管は非推奨。
004:燭台
火を灯す頻度は少なくてよい。
005:燭台
祈りの形を観察したい。
006:燭台
台所の「いただきます」に興味あり。
007:燭台
年始の祈りに興味あり。
008:燭台
古い道具への敬意に興味あり。
009:燭台
単純売却不可。売るな。
010:鑑定
本表示は意思疎通補助であり、音声発話ではない。
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「鑑定が掲示板になってる……」
澪は思わずつぶやいた。
リュシアが首をかしげる。
「掲示板?」
「あたしの国の、古い文字の集まりです。人が短い文をどんどん書いていくやつで……あたしが生まれたあたりの文化です」
セルマが真顔で言った。
「生まれたあたりの文化が、神託の形で出ているの?」
「やめてください。急に年齢と信仰とインターネットが混ざりました」
リュシアは燭台を見て、腕を組んだ。
「売り物じゃなくて、書き込みしてくる客だね」
「客というより、神託に近いわ」
「神託が古い掲示板形式なの、やめてほしいです」
澪は燭台を持つ手に少し力を入れた。
直接声が聞こえるわけではない。
燭台は喋らない。
ただ、鑑定欄が勝手に増えていく。
それが一番困る。
司祭様は燭台を見つめて、静かに言った。
「燭台は、澪殿の国の祈りを見たいのでしょう」
「あたしの国、けっこう雑ですよ。神社に行って、お寺にも行って、ケーキ食べて、初詣して、お守り買って、道具にも神様が宿るとか言いますよ」
「だからこそ、見たいのでしょうな」
澪がさらに困っていると、鑑定欄は追い打ちをかけるように、別の表示を出した。
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古い燭台
同行時メリット:
祈りの残響判定補助
古道具の加護・呪い判定補助
手仕事品の由来確認補助
夜間の微弱な見守り
教会・孤児院との縁維持
礼を失わない取引の補助
説明不足の予兆表示
証憑不足の注意
相談相手への敬意確認
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「要求だけじゃなくて、メリットまで書いてきた……」
澪の声は、ほとんど泣き言だった。
リュシアはすぐに言った。
「売り物じゃなくて、相談役だね」
セルマも頷く。
「古道具や祈りの残った品を扱うなら、役に立つわ」
「役に立つのは分かるんですけど、六畳間に神様付き相談役を置く覚悟がまだないです」
司祭様は穏やかに笑った。
「燭台は、澪殿に商いの作法を教えたいのかもしれませんな」
「商売の先生が、税理士さんと神様になりました」
言ってから、澪は自分で頭を抱えたくなった。
現代円が欲しかっただけなのに。
なぜ税理士と神様に商売を教わることになっているのか。
けれど、燭台を単純に置いていく気にもなれなかった。
澪はゆっくり息を吸った。
「これは、売りません。売れません」
リュシアが軽く肩をすくめる。
「金にはならないね」
「なりません。でも、持って帰るなら、売り物じゃなくて預かりものです」
司祭様は深く頷いた。
「よろしい。燭台が望み、澪殿が重さを理解するなら、託しましょう」
セルマの声は厳しかった。
「単純な道具ではないわ。扱いを間違えないことね」
「はい」
澪は燭台を両手で抱え直した。
重い。
金属としての重さではなく、扱いを間違えてはいけないものの重さだった。
燭台は売れない。
それは確定した。
けれど、教会で何も得られなかったわけではない。
司祭様は礼拝堂の奥から、修繕品をまとめてある小部屋へ案内してくれた。そこには、古い木箱に入れられた金具、割れた色ガラス片、窓枠から外した小さな木片、孤児院の子どもたちが磨いた木札、シスターが管理している刺繍小袋が並んでいた。
燭台を抱えた澪は、売り物ではないものを持ったまま、売ってよいものを探すという、妙な状態になっていた。
リュシアは作業机に帳面を広げる。
「売れるもの、売っていいもの、預かるもの。分けるよ」
「はい」
セルマが古い金具をひとつ手に取った。
「燭台が来た意味は、最初に分けろということかもしれないわね」
「現代円は増えてないのに、帳面の項目は増えました」
澪は小さく嘆きながら、修繕で外した金具を鑑定した。
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修繕外し金具
分類:古道具/金工品
由来:教会修繕時に取り外し
祈りの残響:微弱
売却可否:条件付き可
推奨:由来説明、教会修繕協力品として記録
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「これは条件付き可です。教会修繕で外した金具として記録すれば、いけそうです」
リュシアが帳面へ書く。
次に、割れた色ガラス片。
赤、青、薄い緑。小さな破片だが、光にかざすときれいだった。
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割れた色ガラス片
分類:装飾素材
由来:旧窓修繕時の破片
祈りの残響:なし
用途:装飾素材、アクセサリー素材
売却可否:可
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「これはいけます。装飾素材です」
セルマが光にかざす。
「祈りの中心ではなく、窓の一部だったのね」
「はい。アクセサリー素材や飾りにできるかもしれません」
シスターが布の小袋を持ってきた。
小さな刺繍が入っている。花のような模様、鳥のような模様、少し歪んだ星のような模様。どれも完璧ではないが、手で作った温度がある。
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孤児院刺繍小袋
分類:手仕事品
作り手:孤児院年長組
状態:良
祈りの残響:なし
売却可否:可
推奨:作り手報酬、教会記録
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「これも、売れます」
シスターが目を丸くした。
「この子たちの縫ったものが、ですか」
「はい。ただ、ちゃんと作った子たちへの報酬と、教会の記録が必要です。あと、数を急に増やしすぎない方がいいです」
リュシアが頷く。
「売れるからって、子どもに無理させるのはなしだね」
「はい」
司祭様は静かにそれを聞いていた。
「祈りを売るのではなく、手の仕事に対価をいただく」
「はい。それなら、たぶんできます」
澪は燭台を横に置き、売却候補、売却不可、預かりものを分けていった。
預かりもの。
古い燭台。
売却候補。
修繕外し金具。割れた色ガラス。古い木片。孤児院刺繍小袋。蜜蝋ろうそく。木彫り小札。
売却不可。
礼拝具。現役聖具。祈りの中心にあるもの。強い加護や呪い、残響があるもの。
リュシアはその分類を見て、満足そうに帳面を閉じた。
「これなら、始められる」
澪は燭台を見た。
売れないものから始まったのに、売ってよいものの線が引けた。
それは、現代円より先に必要だった線なのかもしれない。
六畳間に戻ると、古い燭台は急に場違いになった。
ローテーブルには記録帳、レシート封筒、薬箱、素材試料、小インゴット、梱包用の袋がある。押し入れの近くには段ボール箱が積まれ、床にはまだ雨の日の資材整理の跡が少し残っている。
その端に、黒くくすんだ古い燭台を置く。
妙に浮く。
けれど、なぜか落ち着いてもいる。
澪は鑑定した。
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古い燭台
現在地:澪の部屋
状態:移動完了
観察対象:生活空間、帳面、台所の祈り
注意:床置き非推奨
推奨:清潔な布、机上または棚上
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「床置き、駄目なんですね」
鑑定欄は何も答えない。
澪は慌てて清潔な布を出し、ローテーブルの端に敷いた。燭台をその上へ置き直す。
「はい、すみません」
ひとまず配置が落ち着くと、澪は教会由来品の仕入れ候補を記録し始めた。
修繕外し金具。
割れた色ガラス。
孤児院刺繍小袋。
蜜蝋ろうそく。
木彫り小札。
どれを会社の仕入れにできるのか。どれを販売予定品にするのか。教会への支払いはどう記録するのか。孤児院への報酬はどう扱うのか。宗教的な品ではなく、修繕廃材や手仕事雑貨として説明できるのか。
書いている途中で、澪は燭台を見た。
なんとなく、鑑定する。
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取引姿勢確認
相手:明石税理士
状態:相談負荷増加
注意:事後報告が続いている
推奨:支出前相談、用途別資料、由来説明、購入予定額の提示
備考:信頼は帳簿だけでなく、対応の順番で積み上がる
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澪はペンを持ったまま固まった。
「燭台、税理士対応まで見るんですか」
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推奨:支出前相談
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「……はい。先に相談します」
澪はスマホを手に取った。
明石さんへ送る文面を作る。
教会由来の修繕外し金具、色ガラス片、孤児院手仕事品を少量仕入れたいこと。
聖具ではなく、修繕廃材や手仕事雑貨として扱う予定であること。
出所、数量、支払先、教会への支払い、孤児院への報酬、販売予定、会社負担範囲を記録すること。
古い燭台は売却不可の預かり品で、会社在庫にしないこと。
澪は送信前に、もう一度メモを読み返した。
いつもなら、買ってから泣きながら相談していたかもしれない。
今回は、買う前に相談している。
送信。
しばらくして、明石さんから返信が来た。
『今回は事前相談ですね。いいです。仕入れる前に、品目、数量、金額、販売予定、保管場所を整理してください。預かり品は在庫に入れず、別記録にしてください』
澪はスマホを握りしめた。
「怒られてない」
鑑定欄が、静かに出た。
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古い燭台
備考:対応順序改善
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「褒め方が事務的」
でも、少しだけ嬉しかった。
現代円は、まだ増えていない。
代わりに、六畳間には売れない燭台が増えた。
その燭台は、澪が明石さんへ送る前のメモを見張り、鑑定欄で静かに言ってくる。
説明不足。
証憑不足。
支出前相談推奨。
澪はペンを持ち直した。
「現代円は増えてないけど、怒られる回数は減るかもしれない」
押入商会は、金貨でも白金でもないものをひとつ手に入れた。
売り物ではない。
でも、商いで礼を失わないための、古い灯だった。