押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第450話 二度目は効かないでしょう

 

 弥兵衛の盆から、味噌の匂いがした。

 

 ヴァルトが自分の皿を手前へ寄せると、老人は腰を下ろし、刀の鞘を通路と反対の側へ向けた。

 

 エレナも席へ戻ってくる。

 

 オスカーが最後に座ると、ようやく4人の食事が揃った。

 

「では、頂くとしよう」

 

 弥兵衛は汁をひと口飲み、目を細めた。

 

 その間にヴァルトも、冷めかけた肉を口へ運んだ。

 

 噛んでいる間は黙っていたが、隣で刀の柄が動くと、つい、そちらを見た。

 

「抜かぬよ」

 

 弥兵衛が笑った。

 

「座る時は、少し寄せておかねばな」

 

「その反りに合わせて、鞘も作られるんですね」

 

「刀ばかり打っても、納まるものがなければ旅に出られぬでな」

 

 弥兵衛はパンを割り、汁の残った皿へ浸した。

 

 太い節のある指だったが、食器へ触れる動きは軽かった。

 

「先ほどの魔物の素材の話ですが、魔力を通しやすくするために使うのですか」

 

「そういうものもある。じゃが、通せばよいというものでもない」

 

 弥兵衛は飲み込んでから、柄を指した。

 

「握った者の手へ、どう返るかもあるでな」

 

「魔力を通す性質と、刃の扱いやすさは別なのですね」

 

「硬いばかりでは、よい刀にならぬ。欠けぬようにしたら、今度は、研ぐのにえらく骨が折れたこともあった」

 

「それでも、使ったのですか」

 

「自分で困ってみなければ、何を打ったか分からぬよ」

 

 弥兵衛はこともなげに言い、皿へ残った肉を切った。

 

 打つ者と、使う者と、研いで直す者が同じなのだ。

 

 ヴァルトには、切れ味を試して首を捻り、また炉へ戻っていく姿まで想像できた。

 

「長く、そのように刀を打ってこられたのですね」

 

「うむ。打った数は覚えておらぬが、困らされた刀のことは、忘れられんものよ」

 

 エレナが匙を止めた。

 

「弥兵衛殿も、よい刀より、困らされた刀の方をよく覚えているのか」

 

「出来がよければ、使うのに忙しいでな」

 

 少女が笑い、弥兵衛も笑った。

 

 ヴァルトはその刀へ、もう1度目をやった。

 

 長く歩いてきた外套は色が褪せ、草鞋も傷んでいる。

 

 だが、刀の手入れには、旅で忙しかったという言い訳が見えなかった。

 

 ヴァルトは《鑑定》を使った。

 

 目の前に、老人の情報が現れた。

 

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弥兵衛

 分類:人間/東方出身

 年齢:78歳

 現在ジョブ:剣豪

 レベル:48

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既得スキル

 剣術:10

 居合:10

 見切り:10

 心眼:10

 歩法:10

 縮地:10

 無拍子:10

 斬鉄:10

 斬魔:10

 精神統一:10

 身体強化:10

 危機察知:10

 威圧:8

 悪食:10

 鑑定:10

 収納:10

 鍛冶:10

 製錬:9

 研磨:10

 武具修復:10

 怪力:10

 身体硬化:10

 超再生:9

 高速移動:9

 自然治癒:8

 気配察知:10

 気配遮断:10

 魔力感知:10

 暗視:10

 超嗅覚:9

 振動感知:9

 影歩き:7

 雷:7

 風:9

 氷:6

 毒:8

 火:8

 毒無効:10

 麻痺無効:10

 病気耐性:10

 魔法耐性:9

 炎耐性:10

 冷気耐性:10

 雷耐性:9

 腐食耐性:10

 瘴気耐性:10

 疲労耐性:10

 迷宮耐性:8

 魔力吸収:8

 生命力吸収:7

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 杯へ伸ばしかけたヴァルトの手が止まった。

 

 《鑑定》と《収納》まで、10なのか。

 

 読み直すうち、見慣れぬ技能名に目が留まった。

 

 《悪食》。

 

 その名だけを見ても、何をする技能かは分からない。

 

 毒物でも食べられるということか。

 

 それとも、ほかに何かあるのか。

 

「冷めてしまうぞ」

 

 ヴァルトは顔を上げた。

 

 弥兵衛はパンを手に、こちらの皿を見ていた。

 

「食うてからでも、刀は逃げぬよ」

 

「……そうですね」

 

 ヴァルトは表示から意識を戻し、杯を取った。

 

 弥兵衛は、何も訊かなかった。

 

 ただ、ヴァルトが持ち上げた杯を一瞥してから、自分の食事へ戻った。

 

「随分と、長く旅をされているんですね」

 

「長く歩けば、拾うものも増えるのう」

 

 弥兵衛は笑った。

 

 ヴァルトはその言葉を聞き、もう1度だけ老人の顔を見た。

 

 剣の腕前を知りたいと思って覗いた先に、剣だけでは説明できないものがあった。

 

 弥兵衛の方は、皿へ残った汁をパンで拭い、きれいに食べ終えた。

 

 空いた盆を店の者が下げると、エレナが待ちかねたように口を開いた。

 

「それで、弥兵衛殿。刀を振るところも、見せてもらえぬか」

 

 弥兵衛が少女を見た。

 

「造る話ばかりでは、つまらぬかの」

 

「いや、面白かった。だからこそ、その刀がどう動くのかも見たくなったのだ」

 

 エレナは隣のオスカーへ顔を向けた。

 

「手合わせをしてもらったら、分かるだろう?」

 

「私は護衛の職務中です」

 

「それなら、ひと振りだけでもお願いできぬか」

 

 弥兵衛は、料理を運んでくる客へ椅子を寄せた。

 

「構わぬが、ここで刃物を出せば、飯がまずくなるでな」

 

「新町の方へ行けば、場所があります」

 

 ヴァルトが言うと、エレナの顔が明るくなった。

 

「ヴァルト殿、あの秘密基地か!」

 

「ええ。真壁さんがいらっしゃれば、試技に使う区画をお借りしましょう」

 

 弥兵衛の目が、ヴァルトへ戻った。

 

「新町というのは、ここから近いのかの」

 

「私がご案内します。《転移》で、以前から使っている拠点へ行けますから」

 

「転移とな」

 

 弥兵衛はゆっくりと言い直した。

 

「よろしいですか」

 

「うむ。それも、見せてもらえるならありがたい」

 

「木剣なら、お相手はできると思います」

 

 オスカーが言い、エレナはそちらを向いた。

 

「本当か?」

 

「立会いをお願いできるなら。ただし、エレナ様は離れてご覧ください」

 

「分かった。動かずに見ている」

 

 ヴァルトは頷き、席を立った。

 

 老人の技能欄には、《斬魔》もあった。

 

 その名が何を意味するのか、自分の目で見たい気持ちが、ヴァルトにも生まれていた。

 

 

 

 足の裏から、食堂の床の感触が消えた。

 

 弥兵衛は、息を吸いかけたまま止まった。

 

 目の前にあった棚も、人の背もない。

 

 窓から差す光の中へ、細かな埃が浮いていた。

 

 背後を振り返っても、共同商館の通路は続いていなかった。

 

「着きました」

 

 ヴァルトが、戸の方へ手を向けた。

 

 エレナは何事もなかったように歩き出し、オスカーがその隣へついた。

 

「……わしは今、どの道を歩いたのじゃ」

 

「道は歩いていません。《転移》です」

 

 弥兵衛は、まだ足元を見ていた。

 

 草鞋を履いた足は、領都を出る前と同じ所へ置いたつもりだった。

 

 だが、戸を開けると、見知らぬ家並みが広がっていた。

 

「便利じゃのう」

 

「はい」

 

「道中の酒場を、残らず見落としてしもうた」

 

 エレナが振り返り、ヴァルトも笑った。

 

 戸外の風には、土と若葉の匂いがした。

 

 屋根の揃った家が並び、玄関先では女が洗い物を干している。

 

 作業着の男がその前を通り、声を掛けられて足を止めた。

 

 少し先で、車輪の音がした。

 

 弥兵衛は道の脇へ寄った。

 

 車を曳いてくるのは、馬の形をした機械だった。

 

 毛並みの代わりに金属が光り、脚の継ぎ目が、歩くたびに動いている。

 

「……馬まで、変わっておる」

 

「駅の方から来た機械馬車だ。人も荷物も運んでいるぞ」

 

 エレナが言った。

 

 客が車から顔を出し、停まる場所を見ている。

 

 弥兵衛は馬の鼻先から後脚まで見送り、それから、歩き始めた。

 

 エレナの案内で地下ドックを見下ろす所へ出ると、今度は首が上がらなくなった。

 

 大きな船が、岩の下に収まっていた。

 

 船腹の下を通る作業通路に、人がいる。

 

 その背丈から船を見直すと、目で追っていた長さが、急に分かった。

 

 しかも、船底は床についていない。

 

「あれが、飛行船か」

 

「そうだ。リュシアの会社が動かしている船も、ここへ入る」

 

 弥兵衛は見学境界の手前で止まり、船底の隙間を見た。

 

 係員が指で示し、作業中の者が道具を運んでいる。

 

 船の下へ、人が歩いて入っていった。

 

「ここで造り、直して、また空へ出すのです」

 

 ヴァルトの声を聞いても、弥兵衛はしばらく答えなかった。

 

 昨日、リュシアから聞いた空を飛ぶ船という言葉だけでは、この大きさは思い描けなかった。

 

 弥兵衛は、ようやく長い息を吐いた。

 

「親方に話しても、信じてもらえぬかもしれんのう」

 

 再び陽の下へ出ると、子どもの声が聞こえた。

 

 学校の向かいに、公園があった。

 

 芝の上を走っていた子が、屋根付きの休憩所から呼ばれ、途中で向きを変える。

 

 長椅子に座った老人が、足を引いて道を空けた。

 

 遊具の木は、手の届く辺りだけ磨かれたようになっている。

 

 弥兵衛は、その脇を通る時に歩く速さを落とした。

 

「よう整えた町じゃな。子らの声が、よう聞こえる」

 

「飛行船だけでなく、この町も見てもらいたかったのだ。子どもたちも、楽しそうだろう?」

 

 エレナが少し胸を張った。

 

 休憩所から出てきた親が、子どもの襟を直してやっていた。

 

 子は早く戻りたいらしく、遊具の方ばかり見ている。

 

「それが、一番よい」

 

 弥兵衛は言い、足元へ転がってきた木の実を拾った。

 

 走ってきた子へ渡すと、子どもは頭を下げ、また芝の方へ戻っていった。

 

 旅の途中で、こんな長椅子へ腰を下ろせるのはよいことだった。

 

 日が傾くまで座っていても、誰にも追い立てられそうにない。

 

 弥兵衛は休憩所を見て、それから、西へ延びる道の方へ顔を戻した。

 

 今日は、まだ歩いておこう。

 

 公園を離れ、採石場の方へ向かう道へ出た。

 

 建物の間が開けると、街道沿いの葡萄棚が見えた。

 

 若い葉の下へ、支柱の影が幾筋も落ちている。

 

 その先には、醸造に使う建物があるという。

 

 エレナの指す方角を見ていた弥兵衛が、少しだけ顎を上げた。

 

「あの蔵も、なかなかよい」

 

「蔵の見物は、手合わせのあとではどうだ?」

 

 エレナがすぐに言った。

 

「刀を振るところを見せてもらえるのを、楽しみにしているのだ」

 

「その前に飲むとは、言うておらぬよ」

 

 ヴァルトが笑い、オスカーは行き交う荷車を見て、通る側を示した。

 

 採石場に近づくと、風の匂いに石の粉が混じり始めた。

 

 古い葡萄酒蔵の脇を過ぎ、ヴァルトが関係者用の入口へ向かった。

 

 先ほど遠くに見た葡萄棚は、もう建物に隠れていた。

 

 

 

 岩の中へ入ると、陽射しの温かさが背から離れた。

 

 代わりに、壁へ据えられた灯りが、通路の先まで続いている。

 

 換気の低い音の向こうから、紙を動かす音がした。

 

「真壁さん」

 

 ヴァルトが声を掛けると、机の向こうの男が顔を上げた。

 

「ヴァルト君か。エレナ様もおいででしたか」

 

 男は椅子を引き、少女へ礼を取った。

 

 それから、弥兵衛を見た。

 

「おや」

 

 弥兵衛も、男を見た。

 

 机を離れる時、片脚へ体重を預ける癖がなかった。

 

 歩いてきた足は、床へつく前から次へ運べそうに見えた。

 

 弥兵衛は、刀を差した腰を動かさず、会釈した。

 

「これはまた、珍しいお客様だな」

 

「弥兵衛と申す。東から参った旅人じゃ」

 

「真壁久忠です」

 

 名乗りを交わす間、男の目が刀の柄をかすめた。

 

 弥兵衛も、その手の位置を見ていた。

 

 互いに何も訊かなかったが、真壁の笑みが少し深くなった。

 

「刀の稽古を、見せていただけることになりまして」

 

 ヴァルトが用件を伝えると、真壁は机へ戻り、広げていた紙を寄せた。

 

「それなら、奥が使える。ちょうど、考えも煮詰まっていたところだ」

 

「何を考えておられたのじゃ」

 

 弥兵衛が訊くと、真壁は、大陸の地図の脇にある図を示した。

 

「この大陸だけでも、電話をつなげないかと思いましてね」

 

「電話?」

 

「遠く離れた者同士が、声で話せる仕掛けです。空の高い所へ、通信を中継する衛星を置く案を考えています」

 

 ヴァルトが図へ目を落とした。

 

「打ち上げるところから、ですか」

 

「軌道へ載せたあとも、姿勢と電源を保たねばならん。地上で受ける方も要る。上げれば済むという話でもなくてな」

 

 真壁は図を畳み、机の端へ置いた。

 

「まだ、考えているだけですよ」

 

「声を遠くへ届けるために、空まで使うのか」

 

「手紙を待つより、早い相談ができますからね」

 

 弥兵衛は、図から真壁の手元へ目を戻した。

 

 この男も、知らぬものを造ろうとしている。

 

「こちらにも、変わった御仁がおるのう」

 

「よく言われます」

 

 真壁は笑って、奥へ案内した。

 

 広く取られた床には、運び込む道具も置かれていなかった。

 

 真壁が壁から離れた所へ立つと、オスカーがエレナを脇へ導いた。

 

「エレナ様は、こちらで」

 

「ああ。よく見える」

 

 真壁が木剣を出し、オスカーへ渡した。

 

 弥兵衛にも、木刀が差し出された。

 

 受け取った木の柄を握ると、弥兵衛の掌へ、久しく忘れていた稽古場の感触が戻ってきた。

 

 オスカーは、エレナの立つ所をもう1度見てから、中央へ進み出た。

 

「一合、お願いいたします」

 

「うむ。遠慮なく来なされ」

 

 弥兵衛は木刀を下げ、相手を待った。

 

 オスカーの剣先が、胸の前へ上がる。

 

 足幅は広すぎず、後ろの足も、すぐに送れる位置にあった。

 

 老人だからと、軽く打って済ませるつもりはないらしい。

 

 弥兵衛は、相手の目を見た。

 

 切先を追いながら、こちらの肩も見ている。

 

 よい護衛だった。

 

 剣を持つ者の顔だけを睨んで、手元を忘れるようなことはない。

 

 主の前だからと、早く勝とうとする焦りも見えなかった。

 

 こういう相手なら、打ってくるのを待つのも楽しい。

 

 弥兵衛は口元へ浮きかけた笑みを収め、正面から相手を受けた。

 

 オスカーが、わずかに前へ出た。

 

 弥兵衛の木刀は下がったままだった。

 

 届かぬ所から打てば、空を斬る。

 

 もう少し寄れば、相手の木刀も届く。

 

 その境を、オスカーは急がず探っていた。

 

 靴底が床を擦った。

 

 剣先が右へ動き、ほんの少し、肩が開く。

 

 打ってこいという誘いだった。

 

 弥兵衛は動かなかった。

 

 足元から切り上げれば届きそうに見えるが、その剣先は、まだ戻れる所にある。

 

 飛びついた者を外し、反対から打つつもりなのだろう。

 

 弥兵衛は木刀の柄を、握り直さずに待った。

 

 オスカーの剣先が、元の所へ戻った。

 

 遠くで、換気の音が続いている。

 

 エレナが何か言いかけた気配がしたが、声にはならなかった。

 

 もう一歩、オスカーが寄った。

 

 今度は、剣先が動く前に、後ろの足が床を押した。

 

 弥兵衛は、相手の肩が打つ形になるのを見た。

 

 来る。

 

 木剣が、こちらの肩口へ走った。

 

 鋭かった。

 

 先ほど見せた誘いよりも低い所から、体ごと間を詰めてくる。

 

 弥兵衛は、左足を斜めに置いた。

 

 胸の前を、木の先が通った。

 

 その時には、弥兵衛の木刀が上がっていた。

 

 振りかぶる間はなかった。

 

 柄を送る動きに切先が従い、踏み込んできた相手の首の脇へ入る。

 

 止まった。

 

 オスカーの木剣は、弥兵衛の袖を外れた所にあった。

 

 弥兵衛の切先は、その首へ触れる手前にある。

 

 靴底が、遅れて床へ鳴った。

 

 オスカーは、動きを止めたまま老人を見た。

 

 弥兵衛が木刀を下ろすと、相手も剣を引いた。

 

「……参りました」

 

 言ってから、深く礼をした。

 

「弥兵衛殿、いまの一合は、どうなったのだ?」

 

 エレナの声がした。

 

 弥兵衛はオスカーへ礼を返し、木刀を脇へ下げた。

 

「先に動かそうとなされたが、わしが動かなんだのでな」

 

「誘いには、掛かっていただけませんでした」

 

 オスカーが自分の立っていた所を見た。

 

「それで打ちに出た時には、もう、こちらの外へ……」

 

「よい打ち込みであった。待つ甲斐があったよ」

 

 オスカーは顔を上げ、もう1度礼をした。

 

 その足がエレナの方へ戻ると、少女は問いかける口を閉じ、代わりに護衛の木剣を見た。

 

 真壁は何も言わず、弥兵衛の足元へ目を留めていた。

 

「私も、お願いできますか」

 

 ヴァルトが前へ出た。

 

 弥兵衛は木刀を持ち直した。

 

「そちらも、剣を使うのか」

 

「いえ。私の守りを、打ってみていただけますか」

 

 ヴァルトが片手を上げると、間にある空気が変わった。

 

 灯りが、何もない所で淡く曲がる。

 

 その向こうに、ヴァルトの姿があった。

 

「結界です」

 

「なるほど。では、参るぞ」

 

 弥兵衛は前へ出た。

 

 人へ打ち込む時よりも浅く、木刀を振り下ろす。

 

 木の先が、途中で止まった。

 

 鈍い衝撃が、柄から掌へ返る。

 

 肘まで押し戻されそうな力を、弥兵衛は木刀を引いて逃がした。

 

 表面を押し続けることはしなかった。

 

 足を戻し、相手の前にあるものを見た。

 

 灯りの曲がった所は、元に戻っている。

 

 打った跡もない。

 

「よい壁じゃ」

 

 弥兵衛は本心から言った。

 

 たしかに、木刀は弾かれた。

 

 ただ、手へ戻ったものは、岩や鉄を打った感触とは違っていた。

 

 力を受けた所から、その脇へも、何かが張り渡されている。

 

 弥兵衛は、結界の向こうのヴァルトを見た。

 

 胸の前へ手を置き、静かに待っている。

 

「もう一太刀、よいかの」

 

「……どうぞ」

 

 弥兵衛は木刀を上げた。

 

 今度は、相手の体を打つつもりで構えなかった。

 

 目の前に張られた魔力へ、狙いを置く。

 

 木の刃に、《斬魔》を乗せた。

 

 握る手へ、余計な力は込めない。

 

 足を送った。

 

 先ほど打った所よりも、少し斜めに木刀が入った。

 

 短い抵抗があった。

 

 その先へ、木の刃が進む。

 

 結界に、細い裂け目が走った。

 

 割れる音はしなかった。

 

 灯りを曲げていた面が、切られた所から消えていく。

 

 木刀は、ヴァルトの前で止まった。

 

 その服には、触れていなかった。

 

 ヴァルトの指が動いた。

 

 掌が、先ほどまで結界のあった所へ向く。

 

 何もない空間を見てから、木刀へ目を戻した。

 

「結界だけを、木刀で……」

 

 弥兵衛は切先を下げた。

 

「《斬魔》という技でな。そこに術があるなら、斬る手立てもある」

 

「最初とは、斬るものを変えたのですね」

 

「うむ。木で岩を割ろうとしても、木の方が気の毒じゃ」

 

 ヴァルトは少し息を吐き、弥兵衛へ礼をした。

 

「ありがとうございました」

 

「こちらこそ。よいものを見せてもろうた」

 

 木刀を下げて戻りかけたところで、弥兵衛は真壁を見た。

 

 男の目は、結界が消えた所から、まだ離れていなかった。

 

 しばらくして、その目が弥兵衛へ向いた。

 

「では、私も一手、お相手いただけますかな」

 

 

 

 真壁が取り出したのは、短い金属棒だった。

 

 剣というには、短すぎる。

 

 刃も、鍔も見えなかった。

 

 ヴァルトがそれを見て、わずかに眉を寄せた。

 

 弥兵衛は、金属棒から真壁の顔へ目を上げた。

 

 笑ってはいたが、先ほどまでの見物人の立ち方ではなかった。

 

 足を置き、棒を下げただけで、その先に踏み込みにくい所ができている。

 

 弥兵衛は、木刀を見た。

 

「こちらを使わせてもらっても、よいかの」

 

 腰の刀へ手を添える。

 

 真壁は頷いた。

 

「結構。互いに、刃を合わせるところまでとしましょう」

 

「承知した」

 

 オスカーがエレナをさらに後ろへ導いた。

 

 弥兵衛は木刀を脇へ置き、愛刀を抜いた。

 

 鞘を滑る鋼の音が、岩壁へ返った。

 

 光を受けた刀身に、欠けはなかった。

 

 今朝、鍛冶屋の親方が長く見ていた刃だった。

 

 弥兵衛は剣先を少し上げ、真壁と向かい合った。

 

 金属棒は下がったままである。

 

 伸ばしても、こちらの刀より短い。

 

 だが、その長さを頼りに踏み込む気にはなれなかった。

 

「お主の棒には、何があるかのう」

 

 真壁の口元が動いた。

 

「お手合わせの中で」

 

 弥兵衛も、小さく笑った。

 

 足を送る。

 

 真壁は退かなかった。

 

 棒を持つ手が、肘の下にある。

 

 横へ払うにも、突き出すにも、まだ形を作っていない。

 

 それでいて、打ち込めば間に合う所へ、その手が残っていた。

 

 弥兵衛は刀の先を動かさず、もう少し寄った。

 

 背後の人声が、聞こえなくなった。

 

 換気の低音が、遠くへ引いていく。

 

 相手の足が、半歩動いた。

 

 逃げる足ではない。

 

 こちらの刀の通る所へ、自分から入ってくる。

 

 弥兵衛は、吸いかけた息を止めた。

 

 男は、短い棒で太刀を受けるつもりなのか。

 

 その先に何があるか、見えぬまま打つことになる。

 

 弥兵衛は、握りを緩めた。

 

 どちらへでも刀を返せるよう、肩を落とす。

 

 真壁の目が、こちらの手元から離れた。

 

 正面から、目が合った。

 

 弥兵衛の足が、床を押した。

 

 上げた刀が、頭の上へ来る。

 

 そこから、真壁の得物を捉える線へ振り下ろした。

 

 速かった。

 

 打つと決めた時には、刃がもう降りている。

 

 真壁の指が動いた。

 

 短い棒の先に、白いものが立った。

 

 弥兵衛の手首が返った。

 

 棒の長さではない。

 

 もっと先へ、刃がある。

 

 体を開き、刀を返そうとした瞬間、白い光と鋼が交わった。

 

 受けた手応えが、なかった。

 

 代わりに、柄から先の重みが消えた。

 

 弥兵衛は、残った刃を引き、半歩、体を外した。

 

 白い刃は、追ってこなかった。

 

 折れたのではない。

 

 斜めに断たれた刀の先が、空中にあった。

 

 床へ落ちる前に、靄がその刃を包んだ。

 

 金属音は鳴らなかった。

 

 弥兵衛は動きを止め、柄に続く短い刀身を見た。

 

 白い光が消えた。

 

 真壁の手には、初めと同じ短い棒が残っている。

 

「……なるほど」

 

 弥兵衛は、それだけ言った。

 

 刀を断った白さが、まだ目の奥へ焼きついていた。

 

 真壁が棒を下げ、先に礼をした。

 

「これは初見殺しです。二度目は効かないでしょう」

 

 弥兵衛は男を見た。

 

 こちらが刃を返したことも、体を外したことも、見ていたのだろう。

 

 だが、刀は実際に斬られた。

 

「それでも、この一手は、お主のものじゃ」

 

 真壁が、静かに頭を下げた。

 

 弥兵衛も礼を返した。

 

 構えを解くと、掌へ、残った柄の重さが戻ってきた。

 

 長く手にしてきた刀だった。

 

 打ち、研ぎ、傷めば直した。

 

 森を越えた時も、その刃が腰にあった。

 

 それが今、いつもの長さではない。

 

 弥兵衛は断面へ顔を近づけた。

 

 裂けた跡も、捻れもなかった。

 

 切られた地金に、自分の目が引き寄せられていた。

 

「真壁殿。あの白いものは、何じゃ」

 

「熱を持つ光の刃です。以前から扱っていたものを、手に持てる形にまとめた」

 

 真壁は金属棒をしまい、《収納》から刀の先を出した。

 

 作業台に布を敷き、その上へ置く。

 

 弥兵衛も近づき、柄側の断面と見比べた。

 

「熱を持った刃で、金属を断ったというのか」

 

「ええ」

 

 弥兵衛は切れた刀へ手を添えた。

 

 直す手立てを考えるのは、自分の仕事だった。

 

 だが、それより先に、この切り口をもう少し見たかった。

 

「お預かりしても、よろしいですか」

 

 真壁が訊いた。

 

「直して、手にお返ししたい。元の材料を残したまま、鋼の組成にも少し手を入れてよろしいかね」

 

「組成……」

 

「鋼に、別の金属を加えます。反りと柄、手に戻る重さは、なるべく元のままに」

 

 弥兵衛は真壁を見た。

 

「その手際を、見せてもらえるかの」

 

「結構です」

 

「では、頼む」

 

 真壁へ柄を渡した。

 

 男は刀身と柄を見てから、台の上の刃片とともに、靄へ収めた。

 

 続いて、小さな金属の材料が出てきた。

 

 それも靄の中へ消えた。

 

 火は、なかった。

 

 槌も、金床も使わない。

 

 弥兵衛は空になった台を見ていた。

 

 切り口を合わせるにしても、材へ別の金属を入れるにしても、何か、仕事の音がするはずだった。

 

 真壁が手を出すまで、聞こえたのは、遠くの換気の音だけだった。

 

「どうぞ」

 

 刀が、差し出された。

 

 弥兵衛は両手で受けた。

 

 反りは、元のままだった。

 

 切先から柄へ、目を動かす。

 

 切断されていた所にも、繋いだ筋がない。

 

 峰へ指を当て、途切れずに続く形をたどった。

 

「……これは、わしの刀か」

 

「元の材料は残しました。魔物の素材もです。ただ、鋼の組成は変えています」

 

 弥兵衛は刃へ《鑑定》を向けた。

 

 見慣れた材の名に、別の金属が加わっている。

 

「タングステン……」

 

「タングステン鋼にしてみました。鉄と炭素を基に、タングステンの分を調整して加えています」

 

 弥兵衛は顔を上げた。

 

「あの聖剣と、噂になった金属か」

 

「ええ。純粋なタングステンの塊とは、違いますがね」

 

 弥兵衛は刀を光へ向けた。

 

 刃の線が、灯りの下を滑っていく。

 

 柄を握り、周囲を空けてもらってから、小さくひと振りした。

 

 手に返る重さは、よく知ったものに近かった。

 

 だが、指に馴染んだ柄の先に、今まで打ったことのない鋼がある。

 

 弥兵衛は、もう1度、切先を見た。

 

「これを、収納の中でやったのか」

 

「そうです。収納レベルが7になると、溶解と固形化が収納内でできるようになります。収納内で溶かし均一に混ぜ合わせ成形し固形化しました。」

 

「断たれた刃を継ぐだけでなく、材そのものへ手を入れたのじゃな」

 

「もっとも、出来のよさは使ってみなければ分かりません。研ぎと粘り、刃の持ちは、あなたの目で見ていただきたい」

 

 弥兵衛は、声を上げて笑った。

 

「わしが打ち、研いできた刀が、わしの知らぬ鋼になっておる!」

 

 真壁も、その刃へ目を向けた。

 

「元の刀が、よくできていますからね」

 

「火へ入れれば、どのような顔をするかのう。研いだ時は、どう返る。魔物の材とは、どう馴染む」

 

 言いながら、弥兵衛は刀を下ろした。

 

 試したいことは、まだまだあった。

 

 鞘へ刀を納めても、問いは収まらなかった。

 

「真壁殿。ここに、鍛冶場はあるかの」

 

「用意はできますよ。澪君にも、ご紹介しましょう」

 

「西へ向かう旅の途中なのじゃがな……」

 

 弥兵衛は、腰へ戻した刀の柄に手を載せた。

 

「これを見て、そのまま通り過ぎるのは、難しい」

 

「ほかにも、モリブデンやバナジウムといった素材がありますが」

 

 真壁が、机の向こうを見た。

 

 弥兵衛の目も、そちらへ動いた。

 

「……まだ、あるのか」

 

「ええ。話の続きは、鍛冶場でいかがです」

 

 弥兵衛は真壁を見返し、とうとう笑い出した。

 

「お主、わしをこの町から出さぬつもりか!」

 

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