弥兵衛の盆から、味噌の匂いがした。
ヴァルトが自分の皿を手前へ寄せると、老人は腰を下ろし、刀の鞘を通路と反対の側へ向けた。
エレナも席へ戻ってくる。
オスカーが最後に座ると、ようやく4人の食事が揃った。
「では、頂くとしよう」
弥兵衛は汁をひと口飲み、目を細めた。
その間にヴァルトも、冷めかけた肉を口へ運んだ。
噛んでいる間は黙っていたが、隣で刀の柄が動くと、つい、そちらを見た。
「抜かぬよ」
弥兵衛が笑った。
「座る時は、少し寄せておかねばな」
「その反りに合わせて、鞘も作られるんですね」
「刀ばかり打っても、納まるものがなければ旅に出られぬでな」
弥兵衛はパンを割り、汁の残った皿へ浸した。
太い節のある指だったが、食器へ触れる動きは軽かった。
「先ほどの魔物の素材の話ですが、魔力を通しやすくするために使うのですか」
「そういうものもある。じゃが、通せばよいというものでもない」
弥兵衛は飲み込んでから、柄を指した。
「握った者の手へ、どう返るかもあるでな」
「魔力を通す性質と、刃の扱いやすさは別なのですね」
「硬いばかりでは、よい刀にならぬ。欠けぬようにしたら、今度は、研ぐのにえらく骨が折れたこともあった」
「それでも、使ったのですか」
「自分で困ってみなければ、何を打ったか分からぬよ」
弥兵衛はこともなげに言い、皿へ残った肉を切った。
打つ者と、使う者と、研いで直す者が同じなのだ。
ヴァルトには、切れ味を試して首を捻り、また炉へ戻っていく姿まで想像できた。
「長く、そのように刀を打ってこられたのですね」
「うむ。打った数は覚えておらぬが、困らされた刀のことは、忘れられんものよ」
エレナが匙を止めた。
「弥兵衛殿も、よい刀より、困らされた刀の方をよく覚えているのか」
「出来がよければ、使うのに忙しいでな」
少女が笑い、弥兵衛も笑った。
ヴァルトはその刀へ、もう1度目をやった。
長く歩いてきた外套は色が褪せ、草鞋も傷んでいる。
だが、刀の手入れには、旅で忙しかったという言い訳が見えなかった。
ヴァルトは《鑑定》を使った。
目の前に、老人の情報が現れた。
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弥兵衛
分類:人間/東方出身
年齢:78歳
現在ジョブ:剣豪
レベル:48
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既得スキル
剣術:10
居合:10
見切り:10
心眼:10
歩法:10
縮地:10
無拍子:10
斬鉄:10
斬魔:10
精神統一:10
身体強化:10
危機察知:10
威圧:8
悪食:10
鑑定:10
収納:10
鍛冶:10
製錬:9
研磨:10
武具修復:10
怪力:10
身体硬化:10
超再生:9
高速移動:9
自然治癒:8
気配察知:10
気配遮断:10
魔力感知:10
暗視:10
超嗅覚:9
振動感知:9
影歩き:7
雷:7
風:9
氷:6
毒:8
火:8
毒無効:10
麻痺無効:10
病気耐性:10
魔法耐性:9
炎耐性:10
冷気耐性:10
雷耐性:9
腐食耐性:10
瘴気耐性:10
疲労耐性:10
迷宮耐性:8
魔力吸収:8
生命力吸収:7
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杯へ伸ばしかけたヴァルトの手が止まった。
《鑑定》と《収納》まで、10なのか。
読み直すうち、見慣れぬ技能名に目が留まった。
《悪食》。
その名だけを見ても、何をする技能かは分からない。
毒物でも食べられるということか。
それとも、ほかに何かあるのか。
「冷めてしまうぞ」
ヴァルトは顔を上げた。
弥兵衛はパンを手に、こちらの皿を見ていた。
「食うてからでも、刀は逃げぬよ」
「……そうですね」
ヴァルトは表示から意識を戻し、杯を取った。
弥兵衛は、何も訊かなかった。
ただ、ヴァルトが持ち上げた杯を一瞥してから、自分の食事へ戻った。
「随分と、長く旅をされているんですね」
「長く歩けば、拾うものも増えるのう」
弥兵衛は笑った。
ヴァルトはその言葉を聞き、もう1度だけ老人の顔を見た。
剣の腕前を知りたいと思って覗いた先に、剣だけでは説明できないものがあった。
弥兵衛の方は、皿へ残った汁をパンで拭い、きれいに食べ終えた。
空いた盆を店の者が下げると、エレナが待ちかねたように口を開いた。
「それで、弥兵衛殿。刀を振るところも、見せてもらえぬか」
弥兵衛が少女を見た。
「造る話ばかりでは、つまらぬかの」
「いや、面白かった。だからこそ、その刀がどう動くのかも見たくなったのだ」
エレナは隣のオスカーへ顔を向けた。
「手合わせをしてもらったら、分かるだろう?」
「私は護衛の職務中です」
「それなら、ひと振りだけでもお願いできぬか」
弥兵衛は、料理を運んでくる客へ椅子を寄せた。
「構わぬが、ここで刃物を出せば、飯がまずくなるでな」
「新町の方へ行けば、場所があります」
ヴァルトが言うと、エレナの顔が明るくなった。
「ヴァルト殿、あの秘密基地か!」
「ええ。真壁さんがいらっしゃれば、試技に使う区画をお借りしましょう」
弥兵衛の目が、ヴァルトへ戻った。
「新町というのは、ここから近いのかの」
「私がご案内します。《転移》で、以前から使っている拠点へ行けますから」
「転移とな」
弥兵衛はゆっくりと言い直した。
「よろしいですか」
「うむ。それも、見せてもらえるならありがたい」
「木剣なら、お相手はできると思います」
オスカーが言い、エレナはそちらを向いた。
「本当か?」
「立会いをお願いできるなら。ただし、エレナ様は離れてご覧ください」
「分かった。動かずに見ている」
ヴァルトは頷き、席を立った。
老人の技能欄には、《斬魔》もあった。
その名が何を意味するのか、自分の目で見たい気持ちが、ヴァルトにも生まれていた。
足の裏から、食堂の床の感触が消えた。
弥兵衛は、息を吸いかけたまま止まった。
目の前にあった棚も、人の背もない。
窓から差す光の中へ、細かな埃が浮いていた。
背後を振り返っても、共同商館の通路は続いていなかった。
「着きました」
ヴァルトが、戸の方へ手を向けた。
エレナは何事もなかったように歩き出し、オスカーがその隣へついた。
「……わしは今、どの道を歩いたのじゃ」
「道は歩いていません。《転移》です」
弥兵衛は、まだ足元を見ていた。
草鞋を履いた足は、領都を出る前と同じ所へ置いたつもりだった。
だが、戸を開けると、見知らぬ家並みが広がっていた。
「便利じゃのう」
「はい」
「道中の酒場を、残らず見落としてしもうた」
エレナが振り返り、ヴァルトも笑った。
戸外の風には、土と若葉の匂いがした。
屋根の揃った家が並び、玄関先では女が洗い物を干している。
作業着の男がその前を通り、声を掛けられて足を止めた。
少し先で、車輪の音がした。
弥兵衛は道の脇へ寄った。
車を曳いてくるのは、馬の形をした機械だった。
毛並みの代わりに金属が光り、脚の継ぎ目が、歩くたびに動いている。
「……馬まで、変わっておる」
「駅の方から来た機械馬車だ。人も荷物も運んでいるぞ」
エレナが言った。
客が車から顔を出し、停まる場所を見ている。
弥兵衛は馬の鼻先から後脚まで見送り、それから、歩き始めた。
エレナの案内で地下ドックを見下ろす所へ出ると、今度は首が上がらなくなった。
大きな船が、岩の下に収まっていた。
船腹の下を通る作業通路に、人がいる。
その背丈から船を見直すと、目で追っていた長さが、急に分かった。
しかも、船底は床についていない。
「あれが、飛行船か」
「そうだ。リュシアの会社が動かしている船も、ここへ入る」
弥兵衛は見学境界の手前で止まり、船底の隙間を見た。
係員が指で示し、作業中の者が道具を運んでいる。
船の下へ、人が歩いて入っていった。
「ここで造り、直して、また空へ出すのです」
ヴァルトの声を聞いても、弥兵衛はしばらく答えなかった。
昨日、リュシアから聞いた空を飛ぶ船という言葉だけでは、この大きさは思い描けなかった。
弥兵衛は、ようやく長い息を吐いた。
「親方に話しても、信じてもらえぬかもしれんのう」
再び陽の下へ出ると、子どもの声が聞こえた。
学校の向かいに、公園があった。
芝の上を走っていた子が、屋根付きの休憩所から呼ばれ、途中で向きを変える。
長椅子に座った老人が、足を引いて道を空けた。
遊具の木は、手の届く辺りだけ磨かれたようになっている。
弥兵衛は、その脇を通る時に歩く速さを落とした。
「よう整えた町じゃな。子らの声が、よう聞こえる」
「飛行船だけでなく、この町も見てもらいたかったのだ。子どもたちも、楽しそうだろう?」
エレナが少し胸を張った。
休憩所から出てきた親が、子どもの襟を直してやっていた。
子は早く戻りたいらしく、遊具の方ばかり見ている。
「それが、一番よい」
弥兵衛は言い、足元へ転がってきた木の実を拾った。
走ってきた子へ渡すと、子どもは頭を下げ、また芝の方へ戻っていった。
旅の途中で、こんな長椅子へ腰を下ろせるのはよいことだった。
日が傾くまで座っていても、誰にも追い立てられそうにない。
弥兵衛は休憩所を見て、それから、西へ延びる道の方へ顔を戻した。
今日は、まだ歩いておこう。
公園を離れ、採石場の方へ向かう道へ出た。
建物の間が開けると、街道沿いの葡萄棚が見えた。
若い葉の下へ、支柱の影が幾筋も落ちている。
その先には、醸造に使う建物があるという。
エレナの指す方角を見ていた弥兵衛が、少しだけ顎を上げた。
「あの蔵も、なかなかよい」
「蔵の見物は、手合わせのあとではどうだ?」
エレナがすぐに言った。
「刀を振るところを見せてもらえるのを、楽しみにしているのだ」
「その前に飲むとは、言うておらぬよ」
ヴァルトが笑い、オスカーは行き交う荷車を見て、通る側を示した。
採石場に近づくと、風の匂いに石の粉が混じり始めた。
古い葡萄酒蔵の脇を過ぎ、ヴァルトが関係者用の入口へ向かった。
先ほど遠くに見た葡萄棚は、もう建物に隠れていた。
岩の中へ入ると、陽射しの温かさが背から離れた。
代わりに、壁へ据えられた灯りが、通路の先まで続いている。
換気の低い音の向こうから、紙を動かす音がした。
「真壁さん」
ヴァルトが声を掛けると、机の向こうの男が顔を上げた。
「ヴァルト君か。エレナ様もおいででしたか」
男は椅子を引き、少女へ礼を取った。
それから、弥兵衛を見た。
「おや」
弥兵衛も、男を見た。
机を離れる時、片脚へ体重を預ける癖がなかった。
歩いてきた足は、床へつく前から次へ運べそうに見えた。
弥兵衛は、刀を差した腰を動かさず、会釈した。
「これはまた、珍しいお客様だな」
「弥兵衛と申す。東から参った旅人じゃ」
「真壁久忠です」
名乗りを交わす間、男の目が刀の柄をかすめた。
弥兵衛も、その手の位置を見ていた。
互いに何も訊かなかったが、真壁の笑みが少し深くなった。
「刀の稽古を、見せていただけることになりまして」
ヴァルトが用件を伝えると、真壁は机へ戻り、広げていた紙を寄せた。
「それなら、奥が使える。ちょうど、考えも煮詰まっていたところだ」
「何を考えておられたのじゃ」
弥兵衛が訊くと、真壁は、大陸の地図の脇にある図を示した。
「この大陸だけでも、電話をつなげないかと思いましてね」
「電話?」
「遠く離れた者同士が、声で話せる仕掛けです。空の高い所へ、通信を中継する衛星を置く案を考えています」
ヴァルトが図へ目を落とした。
「打ち上げるところから、ですか」
「軌道へ載せたあとも、姿勢と電源を保たねばならん。地上で受ける方も要る。上げれば済むという話でもなくてな」
真壁は図を畳み、机の端へ置いた。
「まだ、考えているだけですよ」
「声を遠くへ届けるために、空まで使うのか」
「手紙を待つより、早い相談ができますからね」
弥兵衛は、図から真壁の手元へ目を戻した。
この男も、知らぬものを造ろうとしている。
「こちらにも、変わった御仁がおるのう」
「よく言われます」
真壁は笑って、奥へ案内した。
広く取られた床には、運び込む道具も置かれていなかった。
真壁が壁から離れた所へ立つと、オスカーがエレナを脇へ導いた。
「エレナ様は、こちらで」
「ああ。よく見える」
真壁が木剣を出し、オスカーへ渡した。
弥兵衛にも、木刀が差し出された。
受け取った木の柄を握ると、弥兵衛の掌へ、久しく忘れていた稽古場の感触が戻ってきた。
オスカーは、エレナの立つ所をもう1度見てから、中央へ進み出た。
「一合、お願いいたします」
「うむ。遠慮なく来なされ」
弥兵衛は木刀を下げ、相手を待った。
オスカーの剣先が、胸の前へ上がる。
足幅は広すぎず、後ろの足も、すぐに送れる位置にあった。
老人だからと、軽く打って済ませるつもりはないらしい。
弥兵衛は、相手の目を見た。
切先を追いながら、こちらの肩も見ている。
よい護衛だった。
剣を持つ者の顔だけを睨んで、手元を忘れるようなことはない。
主の前だからと、早く勝とうとする焦りも見えなかった。
こういう相手なら、打ってくるのを待つのも楽しい。
弥兵衛は口元へ浮きかけた笑みを収め、正面から相手を受けた。
オスカーが、わずかに前へ出た。
弥兵衛の木刀は下がったままだった。
届かぬ所から打てば、空を斬る。
もう少し寄れば、相手の木刀も届く。
その境を、オスカーは急がず探っていた。
靴底が床を擦った。
剣先が右へ動き、ほんの少し、肩が開く。
打ってこいという誘いだった。
弥兵衛は動かなかった。
足元から切り上げれば届きそうに見えるが、その剣先は、まだ戻れる所にある。
飛びついた者を外し、反対から打つつもりなのだろう。
弥兵衛は木刀の柄を、握り直さずに待った。
オスカーの剣先が、元の所へ戻った。
遠くで、換気の音が続いている。
エレナが何か言いかけた気配がしたが、声にはならなかった。
もう一歩、オスカーが寄った。
今度は、剣先が動く前に、後ろの足が床を押した。
弥兵衛は、相手の肩が打つ形になるのを見た。
来る。
木剣が、こちらの肩口へ走った。
鋭かった。
先ほど見せた誘いよりも低い所から、体ごと間を詰めてくる。
弥兵衛は、左足を斜めに置いた。
胸の前を、木の先が通った。
その時には、弥兵衛の木刀が上がっていた。
振りかぶる間はなかった。
柄を送る動きに切先が従い、踏み込んできた相手の首の脇へ入る。
止まった。
オスカーの木剣は、弥兵衛の袖を外れた所にあった。
弥兵衛の切先は、その首へ触れる手前にある。
靴底が、遅れて床へ鳴った。
オスカーは、動きを止めたまま老人を見た。
弥兵衛が木刀を下ろすと、相手も剣を引いた。
「……参りました」
言ってから、深く礼をした。
「弥兵衛殿、いまの一合は、どうなったのだ?」
エレナの声がした。
弥兵衛はオスカーへ礼を返し、木刀を脇へ下げた。
「先に動かそうとなされたが、わしが動かなんだのでな」
「誘いには、掛かっていただけませんでした」
オスカーが自分の立っていた所を見た。
「それで打ちに出た時には、もう、こちらの外へ……」
「よい打ち込みであった。待つ甲斐があったよ」
オスカーは顔を上げ、もう1度礼をした。
その足がエレナの方へ戻ると、少女は問いかける口を閉じ、代わりに護衛の木剣を見た。
真壁は何も言わず、弥兵衛の足元へ目を留めていた。
「私も、お願いできますか」
ヴァルトが前へ出た。
弥兵衛は木刀を持ち直した。
「そちらも、剣を使うのか」
「いえ。私の守りを、打ってみていただけますか」
ヴァルトが片手を上げると、間にある空気が変わった。
灯りが、何もない所で淡く曲がる。
その向こうに、ヴァルトの姿があった。
「結界です」
「なるほど。では、参るぞ」
弥兵衛は前へ出た。
人へ打ち込む時よりも浅く、木刀を振り下ろす。
木の先が、途中で止まった。
鈍い衝撃が、柄から掌へ返る。
肘まで押し戻されそうな力を、弥兵衛は木刀を引いて逃がした。
表面を押し続けることはしなかった。
足を戻し、相手の前にあるものを見た。
灯りの曲がった所は、元に戻っている。
打った跡もない。
「よい壁じゃ」
弥兵衛は本心から言った。
たしかに、木刀は弾かれた。
ただ、手へ戻ったものは、岩や鉄を打った感触とは違っていた。
力を受けた所から、その脇へも、何かが張り渡されている。
弥兵衛は、結界の向こうのヴァルトを見た。
胸の前へ手を置き、静かに待っている。
「もう一太刀、よいかの」
「……どうぞ」
弥兵衛は木刀を上げた。
今度は、相手の体を打つつもりで構えなかった。
目の前に張られた魔力へ、狙いを置く。
木の刃に、《斬魔》を乗せた。
握る手へ、余計な力は込めない。
足を送った。
先ほど打った所よりも、少し斜めに木刀が入った。
短い抵抗があった。
その先へ、木の刃が進む。
結界に、細い裂け目が走った。
割れる音はしなかった。
灯りを曲げていた面が、切られた所から消えていく。
木刀は、ヴァルトの前で止まった。
その服には、触れていなかった。
ヴァルトの指が動いた。
掌が、先ほどまで結界のあった所へ向く。
何もない空間を見てから、木刀へ目を戻した。
「結界だけを、木刀で……」
弥兵衛は切先を下げた。
「《斬魔》という技でな。そこに術があるなら、斬る手立てもある」
「最初とは、斬るものを変えたのですね」
「うむ。木で岩を割ろうとしても、木の方が気の毒じゃ」
ヴァルトは少し息を吐き、弥兵衛へ礼をした。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。よいものを見せてもろうた」
木刀を下げて戻りかけたところで、弥兵衛は真壁を見た。
男の目は、結界が消えた所から、まだ離れていなかった。
しばらくして、その目が弥兵衛へ向いた。
「では、私も一手、お相手いただけますかな」
真壁が取り出したのは、短い金属棒だった。
剣というには、短すぎる。
刃も、鍔も見えなかった。
ヴァルトがそれを見て、わずかに眉を寄せた。
弥兵衛は、金属棒から真壁の顔へ目を上げた。
笑ってはいたが、先ほどまでの見物人の立ち方ではなかった。
足を置き、棒を下げただけで、その先に踏み込みにくい所ができている。
弥兵衛は、木刀を見た。
「こちらを使わせてもらっても、よいかの」
腰の刀へ手を添える。
真壁は頷いた。
「結構。互いに、刃を合わせるところまでとしましょう」
「承知した」
オスカーがエレナをさらに後ろへ導いた。
弥兵衛は木刀を脇へ置き、愛刀を抜いた。
鞘を滑る鋼の音が、岩壁へ返った。
光を受けた刀身に、欠けはなかった。
今朝、鍛冶屋の親方が長く見ていた刃だった。
弥兵衛は剣先を少し上げ、真壁と向かい合った。
金属棒は下がったままである。
伸ばしても、こちらの刀より短い。
だが、その長さを頼りに踏み込む気にはなれなかった。
「お主の棒には、何があるかのう」
真壁の口元が動いた。
「お手合わせの中で」
弥兵衛も、小さく笑った。
足を送る。
真壁は退かなかった。
棒を持つ手が、肘の下にある。
横へ払うにも、突き出すにも、まだ形を作っていない。
それでいて、打ち込めば間に合う所へ、その手が残っていた。
弥兵衛は刀の先を動かさず、もう少し寄った。
背後の人声が、聞こえなくなった。
換気の低音が、遠くへ引いていく。
相手の足が、半歩動いた。
逃げる足ではない。
こちらの刀の通る所へ、自分から入ってくる。
弥兵衛は、吸いかけた息を止めた。
男は、短い棒で太刀を受けるつもりなのか。
その先に何があるか、見えぬまま打つことになる。
弥兵衛は、握りを緩めた。
どちらへでも刀を返せるよう、肩を落とす。
真壁の目が、こちらの手元から離れた。
正面から、目が合った。
弥兵衛の足が、床を押した。
上げた刀が、頭の上へ来る。
そこから、真壁の得物を捉える線へ振り下ろした。
速かった。
打つと決めた時には、刃がもう降りている。
真壁の指が動いた。
短い棒の先に、白いものが立った。
弥兵衛の手首が返った。
棒の長さではない。
もっと先へ、刃がある。
体を開き、刀を返そうとした瞬間、白い光と鋼が交わった。
受けた手応えが、なかった。
代わりに、柄から先の重みが消えた。
弥兵衛は、残った刃を引き、半歩、体を外した。
白い刃は、追ってこなかった。
折れたのではない。
斜めに断たれた刀の先が、空中にあった。
床へ落ちる前に、靄がその刃を包んだ。
金属音は鳴らなかった。
弥兵衛は動きを止め、柄に続く短い刀身を見た。
白い光が消えた。
真壁の手には、初めと同じ短い棒が残っている。
「……なるほど」
弥兵衛は、それだけ言った。
刀を断った白さが、まだ目の奥へ焼きついていた。
真壁が棒を下げ、先に礼をした。
「これは初見殺しです。二度目は効かないでしょう」
弥兵衛は男を見た。
こちらが刃を返したことも、体を外したことも、見ていたのだろう。
だが、刀は実際に斬られた。
「それでも、この一手は、お主のものじゃ」
真壁が、静かに頭を下げた。
弥兵衛も礼を返した。
構えを解くと、掌へ、残った柄の重さが戻ってきた。
長く手にしてきた刀だった。
打ち、研ぎ、傷めば直した。
森を越えた時も、その刃が腰にあった。
それが今、いつもの長さではない。
弥兵衛は断面へ顔を近づけた。
裂けた跡も、捻れもなかった。
切られた地金に、自分の目が引き寄せられていた。
「真壁殿。あの白いものは、何じゃ」
「熱を持つ光の刃です。以前から扱っていたものを、手に持てる形にまとめた」
真壁は金属棒をしまい、《収納》から刀の先を出した。
作業台に布を敷き、その上へ置く。
弥兵衛も近づき、柄側の断面と見比べた。
「熱を持った刃で、金属を断ったというのか」
「ええ」
弥兵衛は切れた刀へ手を添えた。
直す手立てを考えるのは、自分の仕事だった。
だが、それより先に、この切り口をもう少し見たかった。
「お預かりしても、よろしいですか」
真壁が訊いた。
「直して、手にお返ししたい。元の材料を残したまま、鋼の組成にも少し手を入れてよろしいかね」
「組成……」
「鋼に、別の金属を加えます。反りと柄、手に戻る重さは、なるべく元のままに」
弥兵衛は真壁を見た。
「その手際を、見せてもらえるかの」
「結構です」
「では、頼む」
真壁へ柄を渡した。
男は刀身と柄を見てから、台の上の刃片とともに、靄へ収めた。
続いて、小さな金属の材料が出てきた。
それも靄の中へ消えた。
火は、なかった。
槌も、金床も使わない。
弥兵衛は空になった台を見ていた。
切り口を合わせるにしても、材へ別の金属を入れるにしても、何か、仕事の音がするはずだった。
真壁が手を出すまで、聞こえたのは、遠くの換気の音だけだった。
「どうぞ」
刀が、差し出された。
弥兵衛は両手で受けた。
反りは、元のままだった。
切先から柄へ、目を動かす。
切断されていた所にも、繋いだ筋がない。
峰へ指を当て、途切れずに続く形をたどった。
「……これは、わしの刀か」
「元の材料は残しました。魔物の素材もです。ただ、鋼の組成は変えています」
弥兵衛は刃へ《鑑定》を向けた。
見慣れた材の名に、別の金属が加わっている。
「タングステン……」
「タングステン鋼にしてみました。鉄と炭素を基に、タングステンの分を調整して加えています」
弥兵衛は顔を上げた。
「あの聖剣と、噂になった金属か」
「ええ。純粋なタングステンの塊とは、違いますがね」
弥兵衛は刀を光へ向けた。
刃の線が、灯りの下を滑っていく。
柄を握り、周囲を空けてもらってから、小さくひと振りした。
手に返る重さは、よく知ったものに近かった。
だが、指に馴染んだ柄の先に、今まで打ったことのない鋼がある。
弥兵衛は、もう1度、切先を見た。
「これを、収納の中でやったのか」
「そうです。収納レベルが7になると、溶解と固形化が収納内でできるようになります。収納内で溶かし均一に混ぜ合わせ成形し固形化しました。」
「断たれた刃を継ぐだけでなく、材そのものへ手を入れたのじゃな」
「もっとも、出来のよさは使ってみなければ分かりません。研ぎと粘り、刃の持ちは、あなたの目で見ていただきたい」
弥兵衛は、声を上げて笑った。
「わしが打ち、研いできた刀が、わしの知らぬ鋼になっておる!」
真壁も、その刃へ目を向けた。
「元の刀が、よくできていますからね」
「火へ入れれば、どのような顔をするかのう。研いだ時は、どう返る。魔物の材とは、どう馴染む」
言いながら、弥兵衛は刀を下ろした。
試したいことは、まだまだあった。
鞘へ刀を納めても、問いは収まらなかった。
「真壁殿。ここに、鍛冶場はあるかの」
「用意はできますよ。澪君にも、ご紹介しましょう」
「西へ向かう旅の途中なのじゃがな……」
弥兵衛は、腰へ戻した刀の柄に手を載せた。
「これを見て、そのまま通り過ぎるのは、難しい」
「ほかにも、モリブデンやバナジウムといった素材がありますが」
真壁が、机の向こうを見た。
弥兵衛の目も、そちらへ動いた。
「……まだ、あるのか」
「ええ。話の続きは、鍛冶場でいかがです」
弥兵衛は真壁を見返し、とうとう笑い出した。
「お主、わしをこの町から出さぬつもりか!」