押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第459話 羽毛が山になっています!

 

 卓の端に置いた羽毛が、ふわりと浮いた。

 

 澪は思わず手を伸ばしたが、指先が届く前に白い一枚は窓際へ流れていった。

 

 開けておいた窓から風が入ったのである。

 

「また逃げました」

 

「三枚目です。澪さん、もう窓を閉めません?」

 

 理央はそう言いながら、机の下へしゃがみ込んでいた。

 

 拾おうとした羽が、今度は理央の鼻先をかすめる。

 

 くしゃみをひとつすると、床に落ちていた別の羽まで舞い上がった。

 

「……四枚目」

 

「ごめんなさい」

 

 押入商会の作業室には、先日作った毛布地の見本が広げられていた。

 

 掌で押すと柔らかく沈み、離せばゆっくり膨らみを取り戻す。

 

 羊毛で作った服地と並べれば、同じ糸と布でも、狙っているものがまるで違うと分かった。

 

 澪は逃げた羽を《収納》で回収し、窓を閉めた。

 

「風に飛ぶのは困りますけど、軽いのは助かりますね」

 

「まとまれば、ですけど。今の一枚なんか、手で捕まえる方が大変です」

 

 理央は膝についていた羽をつまみ、皿へ戻す。

 

 毛布地の見本に手を当てた澪は、以前、孤児院で見た寝台を思い出していた。

 

 子どもたちの食事は、もう十分に用意できている。

 

 それでも、掛ける布が薄い寝台はあったし、寒い季節が来る前に揃えてやりたいものは多い。

 

 北で買った羊毛は残してある。

 

 あれはあれで大切な原料だ。

 

 ただ、王国じゅうの孤児院へ行き渡らせるには、ほかの道も要る。

 

「これがもっと集まれば、毛布を増やせるんですよね」

 

「はい。羽そのものを詰めるんじゃなくて、ケラチンを取り出して繊維に組み直す。こっちの縮れを残して……」

 

 理央が見本の表面を指で起こしたとき、廊下を急ぐ足音が聞こえた。

 

 戸口から顔を出した商会の職員が、息を整えて言った。

 

「澪さん、理央さん。王都の商業ギルドから知らせです」

 

「羽毛の件ですか?」

 

「はい。先ほど王都から戻った真壁さんが、ギルドから預かってきたそうで。それが……倉庫を空けてほしいそうです」

 

 理央の手が止まった。

 

「空けるって、羽毛を取りに来てほしいという意味ですよね?」

 

「そうです。今朝も荷が増えたそうで、もう別の品物が置けないとか」

 

 澪は机の上の皿を見た。

 

 ほんの数枚の羽毛で、さっきまで二人が右往左往していたのである。

 

「どのくらい、あるんでしょう」

 

「文には、できるだけ早く、と」

 

「……理央ちゃん」

 

「行きましょう。今なら、ほかの仕事を動かさずに済みます」

 

 理央はもう立ち上がり、見本布を丁寧に畳んでいた。

 

 澪が笑うと、職員はほっとした様子で肩の力を抜いた。

 

「荷車の手配は……」

 

「必要ありません」

 

 二人の返事が重なった。

 

 職員は慣れたものらしく、「そうでしたね」と頷いた。

 

 以前なら不思議そうに聞き返していた言葉である。

 

「王都側には、受け取りに向かうと伝えてください。集めてくださった人たちへの支払いも、いつもどおりお願いします」

 

「承知しました」

 

 戸が閉まると、理央が毛布地を持ち上げた。

 

「見本、持って行きません? 羽を集めてくれた方たちにも、触ってもらいたいです」

 

「そうですね。それから、倉庫の方にもお礼を言わないと」

 

「袋を抱えている方に、『よく集めましたね』だけじゃ足りませんよ」

 

「確かに。倉庫を空ける方を先にしましょう」

 

 澪は肩掛け鞄を取り、理央が手を差し出すのを待った。

 

 

 

 王都へ移ると、最初に聞こえたのは車輪の音だった。

 

 澪が《転移》で選んだのは、以前訪れて登録していた、人通りを避けられる場所である。

 

 理央とともに狭い石壁の間へ降り立つと、通りの向こうから荷車が石畳を叩く音が響いてきた。

 

 少し歩いて大通りへ出る。

 

 開店の支度をする店先に、布がぱん、と張られた。

 

 パンを載せた籠を運ぶ男が二人の横をすり抜け、向こうの露店では野菜を選ぶ女が店主と値を言い合っている。

 

 馬の鼻息、湯気の立つ鍋、焼けた麦の香り。

 

 その上から誰かが「道を空けてくれ」と声を張った。

 

「王都は朝から賑やかですね」

 

「朝だからじゃないですか。市場に荷が入ってくる時間ですし」

 

 理央は行き交う荷車の幌を見比べていた。

 

 革を積んだ車、樽を縛った車、長い木箱をいくつも重ねた車。

 

 荷を見れば、運んできた土地や商人の苦労が少しは想像できる。

 

 けれど今日は、そのどれでもないものを取りに来た。

 

「羽毛って、どんなふうに積んでくるんでしょうね」

 

「袋でしょうけど……風が強い日だと大変そうです」

 

「馬車が走った後、王都じゅうが白くなったら面白いですけど」

 

「面白くない人も多いと思いますよ。お掃除する方とか」

 

「ですよね」

 

 通りの角にある焼き菓子の店から甘い匂いがした。

 

 理央が一度そちらを見たのを、澪は見逃さなかった。

 

「帰りに寄りましょうか」

 

「まだ何も言ってませんよ」

 

「目が言っていました」

 

 理央は小さく笑い、歩調を早めた。

 

 商業ギルドの建物が見えてくると、その前の荷車の列がいつもより長いことに気づいた。

 

 横手の入口へ回ろうとする車が二台、互いに道を譲っている。

 

 どちらの荷台にも、膨らみきった麻袋が山積みだった。

 

 後ろの車の御者が、荷の上へ伸ばした手を引っ込めた。

 

 袋の縫い目から、白い羽が一本出ていたのである。

 

「……あれですかね」

 

「たぶん、あれですね」

 

 理央が笑いを堪えた。

 

「澪さん。倉庫がいっぱいって、ちょっと大げさに言ってるのかと思ってました」

 

「私もです」

 

 荷車を降りてきた男の肩には、短い羽がくっついていた。

 

 本人は気づいていない。

 

 二人は顔を見合わせ、ギルドの扉をくぐった。

 

 受付の女は、澪と理央を見るなり立ち上がった。

 

「お待ちしておりました。お二人とも、こちらへどうぞ」

 

 案内された廊下は建物の奥へ続き、途中で幾つもの扉に分かれている。

 

 開いた戸から紙をめくる音、硬貨を数える音、取引をまとめる商人たちの声が漏れた。

 

 やがて廊下の先の空気が変わった。

 

 湿った藁と、乾いた埃と、少し動物めいた匂い。

 

 澪は足を緩めた。

 

「もう、羽毛の匂いがしますね」

 

「この先です。なるべく乾かして運ぶよう頼んでいるのですが、届く物が全部そうとは限りませんので」

 

 女は苦笑した。

 

 その髪には、白く小さな羽が一枚ついていた。

 

 澪がそっと指さすと、女は慣れた手つきで摘み取った。

 

「今日は、これで五枚目です」

 

「数えているんですか」

 

「数えていられるうちは、よかったんです」

 

 重い扉が開いた。

 

 

 

 澪は、思わず足を止めた。

 

 麻袋が並んでいた。

 

 まず正面に、背丈を越すほど積まれた袋の壁がある。

 

 左の棚も袋で埋まり、右の通路は人ひとりが横向きで歩けるくらいしか残っていない。

 

 天井の梁には吊り下げた荷札が揺れ、その下で荷運びの男が袋を抱えたまま行き場を探していた。

 

「こっちへ置けるか!」

 

「置けません! そこは昨日まで通路だったんです!」

 

「昨日まではな!」

 

 奥から聞こえた声に、理央の肩が揺れた。

 

 別の男が二人掛かりで袋を持ち上げようとして、ひとりがくしゃみをした。

 

 袋がぐらりと傾き、縫い目から小さな羽が飛び出す。

 

「また出たぞ!」

 

「出たのは羽だろ! 袋を落とすな!」

 

 澪は口元を押さえた。

 

「……あの、すごく忙しそうですね」

 

「ご覧のとおりです」

 

 案内役は平然と答えたが、目の下にはうっすら影があった。

 

「この奥にも、もう一部屋あります」

 

「まだあるんですか!?」

 

「はい。もう一部屋だけ、と申し上げたかったのですが、昨日から別の荷蔵も借りました」

 

 理央は壁際の袋を見上げた。

 

「全部、羽毛?」

 

「ほとんどがそうです。鶏を処理する店や、集荷を引き受けてくださった商人の荷です。毛皮と混ざらぬようにしたら、今度は羽毛だけであふれました」

 

「ありがとうございます。こんなに集めていただいて」

 

 澪が頭を下げると、近くの男が袋を抱えたまま振り返った。

 

「いや、礼を言うのはこっちですよ。昨日からずっと、いつ持ってってくれるのかって話してたんで」

 

「そこは喜んでいただけてます?」

 

「大喜びです! ……置く場所ができれば、もっと大喜びです!」

 

 とうとう澪も笑ってしまった。

 

 男が袋を持ち直すと、後ろから別の男が通路を空けてくれと声を上げた。

 

「理央ちゃん。先に通路を空けましょう」

 

「はい。さっそく片付けます」

 

 理央が《収納》を開こうとすると、奥から年配の職員が近づいてきた。

 

 腕まくりをした袖に綿毛がつき、手には何枚もの荷札を挟んでいる。

 

「押入商会のお二人ですな。いや、よく来てくださった」

 

「お世話になっています。すぐに引き取れますので」

 

「助かります。じゃが、少し待ってくだされ。ここにはまだ、水の残った荷も交じっています」

 

 職員は、壁から離して置いてある袋を指さした。

 

「あれは今朝届いたものです。処理場を出たばかりで、乾いておりません。ほかと一緒にしてしまうと、匂いも移る」

 

 理央は袋の口を覗いた。

 

 白い羽の間に、濡れて貼りついた茶色の羽軸がある。

 

 袋の底は重く、指で押すとひやりとした。

 

「本当だ。まだ水が残っていますね」

 

「仕分けてから送りたいのですが、場所が足りんのです」

 

「水分はこちらで分けられます。今ある分は、まとめて拝見しますね」

 

 澪が答えると、職員はほっとした顔になった。

 

「よかった。干そうにも、広げる床が残っておらんのです」

 

「毛布の原料は、こちらでまとめて引き受けます。先に、その床を取り戻しましょう」

 

「毛布……」

 

 職員は周囲の袋を見渡した。

 

「これが、毛布になるんですかね」

 

「はい。羽から成分を取り出して、糸にするんです。見本も持ってきましたから、後で触ってみてください」

 

「全部を?」

 

「水分や汚れは分けますけど、羽軸も使えますよ」

 

「でしょうなあ。これを全部毛布にしたら、王都の人間がみな寝台の中へ埋まってしまう」

 

 理央が噴き出した。

 

「そんなにできたら嬉しいですけど、まだそこまでは集まってません」

 

「そうですか。よかったような、残念なような」

 

 職員は笑い、手にした荷札を二人へ見せた。

 

 袋ごとに運び込まれた土地や店の名がついている。

 

 食肉処理場から出た羽を集めたものもあれば、商人がいくつもの小さな店を回ってまとめたものもあった。

 

 澪は札の束を受け取り、最初の袋へ手を触れた。

 

 《鑑定》の表示が現れる。

 

 袋の中には水気や汚れも混じっていたが、羽から取り出す成分は使える。

 

「理央ちゃん、こちらの袋も大丈夫です。順に受け取りましょう」

 

「はい。水分を分けながら入れていきます」

 

 

 

 理央が手をかざした。

 

 袋がひとつ、すっと消えた。

 

「……おお」

 

 男たちの手が止まる。

 

 続いて二つ、三つ。

 

 理央が袋に触れていくと、壁の一角に空きが生まれた。

 

 地面の石畳が、久しぶりに陽の光を受ける。

 

「ほら、床だ!」

 

「床は昨日もあっただろう!」

 

「見えなかったんだよ!」

 

 倉庫じゅうに笑い声が広がった。

 

 そこからの仕事は早かった。

 

 澪が荷を見て、理央が《収納》へ送る。

 

 職員たちは並んだ荷を順に示し、通路の向こうへ移っていった。

 

 最初の壁が消えると、奥にもう一つ壁が現れた。

 

「……まだありますね」

 

「こちらが昨日の分です」

 

「昨日の分?」

 

 理央は思わず聞き返した。

 

「今なくなったの、何日分ですか?」

 

「今朝の到着分ですよ」

 

 理央は、ああ、と声を漏らした。

 

 澪は横を向いた。

 

 笑うといけない気がしたが、理央と目が合ってしまった。

 

「……羽毛、元気ですね」

 

「元気なのは運んでくる人ですよ」

 

 理央の返しに、二人ともとうとう笑った。

 

 奥の袋は前の列より大きかった。

 

 乾燥させた軽い羽が詰まっているらしく、持ち上げた職員が「これなら一人で運べる」と言い、肩へ担いだ途端に横幅のせいで棚にぶつかった。

 

「重くないけど、通れない!」

 

「向きを変えてください!」

 

「どっちに!」

 

「薄い方です!」

 

「袋に薄い方なんてあるか!」

 

「そのままで。取りますよ」

 

 理央が肩の袋へ触れると、荷だけが《収納》へ消えた。

 

 職員は何もない肩のあたりを撫で、しばらく空中を見ていた。

 

「……助かりました。次も、担ぐ前にお願いします」

 

「それが一番楽ですね」

 

 理央が笑うと、男も空いた肩を回して笑った。

 

 棚の奥にあった扉が見えた。

 

 扉の木目には、袋に擦れた新しい傷がついている。

 

 足元に落ちていた羽を澪が回収すると、ようやく取っ手に手が届いた。

 

「こちら、開きましたね」

 

 職員の一人が、しみじみと言った。

 

「開けられなくなっていたんですか?」

 

「いえ、開けると向こうの袋に当たるもので」

 

「……向こうにも?」

 

 職員は、申し訳なさそうに頷いた。

 

「向こうは、羽毛を扱う前は道具を置いていた部屋です」

 

 理央が小声で尋ねた。

 

「澪さん、何か聞こえません?」

 

 耳を澄ますと、扉の反対側から、ぼふ、ぼふ、と妙な音がしていた。

 

 扉を押してもらうと、隙間からふわふわした羽の塊が出てきた。

 

 細かい羽を入れた袋が、倒れて扉へ寄りかかっているらしい。

 

「……雪崩ですか」

 

「羽崩れですね」

 

 理央が言った。

 

「新しい言葉ですね、それ」

 

 澪は笑いながら、扉を塞いでいた袋ごと《収納》へ収めた。

 

 中へ入ると、天窓から細い日差しが落ちていた。

 

 空気に浮く羽の一本一本が光り、まるで春の綿毛が迷い込んだようだった。

 

 ただし、春の野原とは匂いが違った。

 

 乾いた藁に、羽軸の粉、古い木箱の匂いが重なる。

 

 窓の下には湿ったものを遠ざけて置いた場所があり、そこだけ色の違う布で覆われていた。

 

「こんなにあると、倉庫の方たちは休む暇もなかったでしょう」

 

「運んできた人間も驚いておりましたよ。捨てていた物に値段がつくと聞いて、最初は冗談だと思った者もいたそうです」

 

 年配の職員が話しながら、荷札を指で揃えた。

 

「買い取ると言われても、何に使うか分からんと不安なものです。ところが一度売れた店が、隣の店にも話したようで。今度は集めてくれる商人まで現れました」

 

「……ありがたいですね」

 

「こちらも商いですから。集まった分には、ちゃんと代金を払ってもらえますしな」

 

 職員は笑って言った。

 

「ただ、どうか一つだけ」

 

「何でしょう?」

 

「これからも、適当な頃合いに取りに来てくだされ。今朝、倉庫番が『羽毛のために自分が外で寝る日も近い』と言いましてな」

 

「それは大変です!」

 

「大丈夫ですよ。次からは溜まりすぎる前に来ましょう」

 

 理央がそう言いながら、最後の大きな袋を《収納》へ送った。

 

 床が、見えた。

 

 外から小さな歓声が上がる。

 

 澪は天窓を見上げた。

 

 埃を含んだ光の筋はまだそこにあったが、袋の山がなくなると部屋は見違えるほど広く感じられた。

 

「……こんなに広かったんですね」

 

「ええ」

 

 職員は空になった部屋を眺め、しばらくしてから言った。

 

「わしも、久しぶりに見ました」

 

 澪は鞄から毛布地を出し、職員へ端を差し出した。

 

「集めていただいた羽で、これを作るんです」

 

 職員は布を指で摘み、押し、それからもう一度、空いた床を見た。

 

「……さっきまで邪魔だと言うておった物が、これになるのか」

 

「はい。毛布にして、孤児院にも届けます」

 

 職員は布を離すと、自分の袖についた羽を摘み取った。

 

「これは、まだ買ってもらえますかな」

 

「もちろんです」

 

 澪が受け取ると、男は笑って、もう片方の袖も払った。

 

 

 

 倉庫の入口には、また新しい荷車が着いていた。

 

 太い綱で縛った袋を見て、理央が足を止める。

 

「あれも羽毛ですよね」

 

「そうですね」

 

 荷を降ろそうとしていた御者が、二人を見て尋ねた。

 

「お嬢さんたち、どこへ運べばいい?」

 

「そのままで大丈夫ですよ」

 

「いや、倉庫へ入れるんだろ?」

 

「はい。でも、持って行くのは私たちなので」

 

 理央が手をかざすと、荷台の袋が消えた。

 

 綱だけが、ばさりと落ちる。

 

 御者は手綱を握ったまま、固まった。

 

「……荷が」

 

「お預かりしました」

 

「……ああ。そうなのか」

 

 男は一度、空になった荷台を見てから、もう一度澪と理央を見た。

 

「荷を降ろしに来たのに、降ろす仕事がなくなっちまったな」

 

「楽になったんじゃないですか?」

 

「いや、急に暇になると、何していいか分からん」

 

 澪が笑った。

 

「では、次の荷を運んできてください。お待ちしています」

 

「そりゃ困る。休む暇がない」

 

 文句を言いながらも、男は嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 倉庫の戸を閉める頃には、澪の袖にも理央の髪にも、白い羽が数枚ついていた。

 

 理央が取ろうとすると、澪が先に気づいて手を伸ばす。

 

 澪の肩にも同じものがあるので、今度は理央が取る。

 

「なんだか、お互いに羽を拾い合ってますね」

 

「これで毛布一枚分になれば、楽なんですけど」

 

「さすがに足りません」

 

 理央は指先に乗った羽を見て、それから《収納》の中を思い浮かべた。

 

 湿っていた羽も、水分を分ければ乾いた羽と同じように扱えた。

 

 羽軸の多い袋からも、繊維に使う成分は取り出せる。

 

「帰ったら、毛布にするところまで進められますね」

 

「はい。これだけ集めていただいたんですから」

 

 澪は空になった倉庫を振り返った。

 

「グスタフさんにも、引き取りが済んだとお伝えしましょう」

 

「きっと、ほっとしますね」

 

 商業ギルド長の執務室へ向かう途中、理央は廊下に並ぶ品物の見本を見つけ、何度か足を止めた。

 

 厚い革の帯、色の濃い染布、飾り彫りのある木箱。

 

 商人や職人が交わす声の中には、知っている土地の名もあった。

 

「羽毛も、売ってくれた人たちに毛布を見てもらいたいですね」

 

「そうですね。何に変わるのか、分かると嬉しいと思います」

 

 その言葉を交わしているうちに、執務室の前へ着いた。

 

 扉が開くと、グスタフ・ハーゲンが机の向こうから顔を上げた。

 

「おお、来たかね。どうじゃ、羽毛の山は」

 

「全部、引き取りました」

 

 澪が答える。

 

 グスタフは目を瞬かせた。

 

「全部かね?」

 

「はい。今朝届いた分も、昨日の分も。隣の荷蔵に置いてあった物もです」

 

「隣まで行ったのか。……いや、そうであろうな。あれを残して帰るわけにはいくまい」

 

 理央が笑いながら言った。

 

「途中で新しい荷車が着いたので、そちらも持ってきました」

 

「荷車ごと?」

 

「羽毛だけです!」

 

「それならよい」

 

「グスタフさん、本気で聞きました?」

 

「昨日から、少しばかり驚くことが続いておってな」

 

 グスタフはそう言って、机の上へ視線を落とした。

 

 理央が首を傾げたが、グスタフは話を戻した。

 

「これで次の荷が入る。倉庫番が喜ぶじゃろう」

 

「はい。床が見えたって喜んでいました」

 

「……床が見えた?」

 

「ええ」

 

 グスタフは眉間を押さえた。

 

「わしのギルドは、床を見ただけで喜ぶほど狭かったかのう」

 

「羽毛が多かっただけですよ」

 

「それは分かっておる」

 

 澪は笑いながら、鞄から畳んだ布を取り出した。

 

「今日は、これも持ってきたんです」

 

 卓へ広げると、毛布地が柔らかな起伏を作った。

 

「この見本、倉庫の方たちにも触っていただきました」

 

「前に持ってきた生地じゃな。どうじゃった?」

 

「羽がこれになるのかって、驚いていました」

 

 グスタフは布を摘み、指の間で押した。

 

 離すと元の厚みに戻る。

 

「あの時は、この短い布と羽が一本じゃった。今度は、倉庫からあふれるほどか」

 

「これで、見本よりずっと長く織れます」

 

「今度は毛布を積む場所が要るわけじゃな」

 

 理央が笑った。

 

「毛布なら、あの袋の山よりは小さくまとまりますよ」

 

「なるほど。倉庫にとっては厄介者、そちらにとっては宝の山か」

 

「倉庫の方には、なるべく厄介者にならないようにします」

 

 澪が答えると、グスタフは声を立てて笑った。

 

「それが一番ありがたい。だが、わしがもっと嬉しいのは、羽を売る側も金を得られることじゃよ」

 

 彼は机にあった書類を一枚抜いた。

 

「食肉を扱う店から、今まで捨てておった羽を集めて売れると聞いてな。喜んだ者が隣の町へ話を広めた。それを運ぶ商人にも仕事ができた。思ったより早く集まり始めたのは、そのせいじゃ」

 

「新しく配る鶏は、まだこれからですもんね」

 

 理央の言葉に、グスタフが頷く。

 

「うむ。今はもともと各地で処理しておった鶏から出るものが中心じゃ。王国じゅうに鶏舎が増えれば、さらに話は変わるじゃろうが」

 

「その前に、回収の人が寝る場所をなくさないようにしないとですね」

 

 グスタフは笑いを収め、真顔で言った。

 

「そこだけは、ぜひ頼むぞ」

 

 その後、羽毛を集めてくれた店や商人への代金と、ギルドの手数料について話した。

 

「今日の分は、全部お願いします。集めてくれた方への代金も、前のお約束どおりで」

 

「うむ。回収と運賃、ギルドの手数料も、決めたとおりじゃ」

 

「また荷がまとまったら、知らせてください」

 

「次は、倉庫番に追い立てられる前に知らせよう」

 

「グスタフさん、元からお仕事いっぱいですよね」

 

 理央が言うと、グスタフは目を細めた。

 

「そうじゃよ。最近は、真壁殿たちが持ってくる話も大きいでな。北の羊毛の次は鶏の羽と来た。今度は何を集めるつもりじゃ?」

 

「今のところ、羽毛をしっかり集めたいです」

 

「そうか。それを聞いて安心した」

 

「えっ、どうしてですか?」

 

「これ以上、倉庫の壁を押すような話が来たら困る」

 

 澪は笑いながら布を畳んだ。

 

 仕事の話がひと区切りつくと、グスタフは窓の外を見た。

 

 陽は高くなり、石畳の上に落ちる庇の影が短くなっている。

 

「おお、そろそろ昼前じゃな」

 

「何かご予定ですか?」

 

「あるとも。そろそろ、もう一人来る約束じゃ」

 

「すみません、長居してしまいました」

 

「そういう意味ではないよ。お主らも知っておるかもしれぬ御仁でな」

 

 グスタフは楽しそうに笑った。

 

「ちょっと妙な話をする爺さんじゃ」

 

「グスタフさんがそれを言うんですか?」

 

 理央は、口にしてからしまったという顔をした。

 

 グスタフがゆっくり振り返る。

 

「……何じゃと?」

 

「いえ! 何でもないです!」

 

 澪は慌てて鞄を持った。

 

 笑うと理央がかわいそうなので、口元を引き締める。

 

 

 

 そのとき、扉が叩かれた。

 

「ギルド長。昨日のお客様がいらっしゃいました。広場の用意も整っております」

 

「うむ、ちょうどよい。通してくれ」

 

 廊下から聞こえたのは、聞き覚えのある、ゆったりとした声だった。

 

「ほっほ。待たせてしもうたかのう」

 

 澪の手が止まった。

 

 理央が同時に扉へ振り返る。

 

 現れたのは、紺の着物に刀を差した老人だった。

 

 真っ直ぐな背中と、白い髭。

 

 年を取ってなお、足運びが妙に静かである。

 

「……弥兵衛さん?」

 

「おお?」

 

 老人がこちらを見る。

 

「澪さんに、理央ちゃんではないか。こんな所で会うとはのう!」

 

「本当に弥兵衛さんだ!」

 

 理央の声が弾んだ。

 

 澪も椅子から立ち、老人を迎えた。

 

「王都までいらしたんですね。お元気そうでよかったです」

 

「うむ。おかげさまでな。二人は何をしに?」

 

「羽毛を取りに来たんです」

 

「羽毛とな」

 

「鶏の羽です。毛布を作るので、倉庫いっぱいに集まったのを持って帰るところです」

 

「ほう。あの鶏が、毛布にまでなるか。真壁殿たちは相変わらず面白いことを考えるのう」

 

 グスタフは二人を交互に見た。

 

「……何じゃ。知り合いどころではなかったか」

 

「はい。ヴァルディスでお会いしたんです。弥兵衛さん、すごい剣士なんですよ」

 

「それは、昨日からよく分かっておる」

 

 グスタフの声が少し低くなった。

 

 澪は、その調子に気づいて老人の顔を見直した。

 

「何か、あったんですか?」

 

「いや、ちと森でな」

 

 弥兵衛は右手を上げた。

 

 節くれ立った指は五本とも揃い、肌にも傷が見えない。

 

「妙な魔物に出会うて、これを食われた」

 

 理央の笑顔が止まった。

 

「……今、何て言いました?」

 

「手を食われたのじゃ」

 

「手を!?」

 

 澪も思わず声を上げた。

 

 弥兵衛は、何でもないことのように掌を開いて見せる。

 

「ほれ。もう元に戻っておる」

 

「戻ったって……」

 

 理央が弥兵衛の手を見つめる。

 

 指が曲がり、また伸びる。

 

 見たところ、本当に何も起きていないようだった。

 

「《超再生》のおかげじゃ。ありがたいものよ」

 

「わしも昨日、ここで話が分からなくなった。右手を食われた話を、右手を振りながらするのじゃからな」

 

「あるからのう」

 

「そういう話ではない!」

 

 グスタフと理央の声が重なった。

 

 弥兵衛は少し驚いたように二人を見て、それから困った顔で笑う。

 

「わしも、食われた時は驚いたぞ」

 

 澪は老人の右手から顔へ眼を戻した。

 

「無事でよかったです。それで、どんな魔物だったんですか」

 

「それを、ヴァルト殿へ知らせようと思うておる」

 

 弥兵衛は《収納》から封を一通取り出した。

 

「ちょうどよい。これを渡してもらえぬかのう」

 

 澪は両手で受け取った。

 

 封にはヴァルトの名が書かれていた。

 

 弥兵衛が昨夜、宿で書いたものらしい。

 

「私が届けます。ヴァルトさんへ直接渡しますね」

 

「ありがたい。あの森の奥には、迂闊に近づかぬ方がよいものがおった。真壁殿にも伝えていただきたい」

 

「わかりました」

 

 澪は封を《収納》へ納めた。

 

 理央はまだ弥兵衛の右手を見ていた。

 

「戻る時は、痛くないんですか?」

 

「痛い。じゃが、痒いのにも参ったのう」

 

「……詳しいお話は、ご飯の後でお願いします」

 

「それはいかん。飯は大事じゃ」

 

 グスタフが、やっと笑った。

 

「ようやく、わしにも分かる話になったのう」

 

 

 

 昼前の陽が、商業ギルドの裏手に落ちていた。

 

 案内されたのは、大通りからは見えない塀の内側だった。

 

 普段は荷車を置く場所らしく、片隅に太い車輪や長い木材が積まれている。

 

 今日のために中央を空けたらしく、地面には掃き寄せた砂の筋が残っていた。

 

 すでに何人もの職員が待っていた。

 

 荷を扱う者のほかに、皮や角を見分ける職人らしい男もいる。

 

 端には布を広げた台と、水の入った桶が用意されていた。

 

「ずいぶん準備されたんですね」

 

「昨日の話を聞いたら、こうもなる。何しろ、わしは弥兵衛殿の荷を一度も見ておらぬからな」

 

「魔石は見てもらうたぞ」

 

「魔石と魔物の身体は、話が違う」

 

「そういうものか」

 

「そういうものじゃ!」

 

 弥兵衛は面白そうに笑った。

 

 理央は広場を見回していた。

 

 普段なら荷車を何台も並べられそうな広さだ。

 

 そこに、森で斬った魔物を出すという。

 

「弥兵衛さん、本当に百頭以上倒したんですか?」

 

「うむ。途中から数えるのが面倒になってのう」

 

「面倒って……普通、途中で逃げません?」

 

「わしも逃げたぞ。あの女からはのう」

 

「逃げた相手がいたんですか!」

 

「おったとも。なかなか足の速い女でな」

 

 あの森に、弥兵衛が逃げるほどのものがいる。

 

 ヴァルトの家が森の中にあることを思い出すと、胸の辺りが落ち着かなくなった。

 

「弥兵衛さん。そのお話、ヴァルトさんには早めに届けます」

 

「うむ。頼むぞ」

 

 老人は頷き、それ以上は軽口を続けなかった。

 

 その顔を見て、澪も少しだけ息を吐いた。

 

 そんな二人の様子とは別に、理央は広場の端へ立っている職人を見ていた。

 

「澪さん、あの人たち、これから出てくる物が何なのか知らないんですよね」

 

「そうかもしれません」

 

「私たちは知ってるつもりですけど、実物を見てないですし」

 

 そう言う理央の目には、不安より興味の方が強かった。

 

 鍛冶場で見た弥兵衛の刀。

 

 その刀で何を斬ってきたのか。

 

 魔物の素材が、どんな形で商売に使えるのか。

 

 澪は苦笑した。

 

「理央ちゃん、顔が楽しそうですよ」

 

「澪さんも、ちょっと気になるでしょう?」

 

「……はい。ちょっとだけ」

 

 グスタフが皆を端へ下がらせ、弥兵衛の方を向いた。

 

「では、一頭ずつ頼む。小さい方からじゃぞ」

 

「心得た。大きいものは、最後にしようと思うておる」

 

 弥兵衛は広場の中央へ進み、人も荷もない場所へ手を向けた。

 

 澪と理央も、職人たちのそばへ下がる。

 

「まずは、狼あたりからじゃな」

 

 石畳の上へ靄が広がった。

 

 黒い毛に覆われた背が現れ、投げ出された脚と、長い尾が続く。

 

 横たわった大狼だった。

 

 胴の長さだけで、さっきまで男たちが担いでいた羽毛の袋を越えている。

 

 開いた口から突き出した牙は、理央の指よりも長かった。

 

 職人の一人が膝をつき、首の辺りを覗き込む。

 

「ダイアウルフか。これを一太刀で……」

 

 弥兵衛は職人の隣へしゃがみ、傷の位置を指で示した。

 

「ここの皮は傷めてしもうたが、背の方は使えると思うぞ」

 

 職人は返事の代わりに、背を覆う毛へ両手を差し入れた。

 

 グスタフが狼の爪から尾まで眼を走らせ、弥兵衛へ顔を戻す。

 

「……これが、小さい方かね」

 

「うむ。まずは、場所を取らぬものからじゃ」

 

 理央が小さく呟いた。

 

「羽毛の回収に来たはずなのに……」

 

「今日は、大きなおまけがつきましたね」

 

 澪は答えながら、広場に残った場所を見た。

 

 グスタフが、広場の奥へ続く大きな扉を指した。

 

「あちらも空けておいてくれ。荷車は、表へ回すように」

 

 職員が駆けていくと、グスタフはもう一度、大狼を見下ろした。

 

「弥兵衛殿。熊は、どれほど大きいのじゃ」

 

「比べてみるかの?」

 

「並べんでよい!」

 

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