押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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今、カクヨムへの移行をやってるんですが、途中までできれているのに気づきました。すいませんでした。


第49話 爪を着替える貴族たち

 ヴァルディス侯爵家の応接室は、いつ来ても空気が軽くない。

 

 天井が高い。窓が大きい。敷かれている絨毯は足音を吸う。磨かれた机の上には、花ではなく、紙の束と小さな革袋が置かれていた。澪はその革袋の重みを見ただけで、なんとなく事情を察した。

 

 お金の話だ。

 

 アルベルト・ヴァルディスは、机の向こうで手を組んでいた。若いのに、こういう時の顔は侯爵家の人間そのものになる。洪水対応、復旧支援、薬草畑の立て直し、それにオリハルコン疑惑の剣型試料の買い取りと王家献上準備。大きな家は大きな家で、動けばお金が減る。

 

 けれど、困っているから安売りをしたい、という顔ではなかった。

 

「侯爵家の名で売れる、新しい装飾品が欲しい」

 

「新しい装飾品」

 

 澪は膝の上で手を組んだ。

 

「安く数を売る品ではない。高く売っても、侯爵家の格が落ちない品だ」

 

「難易度が上がってます」

 

 横に座っていたリュシアが、腕を組んだまま笑った。

 

「安く売るなら市場でやればいい。侯爵家の名前を使うなら、数を絞って値を守るんだよ」

 

 値を守る。

 

 澪はその言葉を頭の中で反芻した。フリマアプリの再生品でも、安くすればよいわけではないと学んだばかりだ。だが侯爵家ブランドとなると、さらに重い。売れるだけでは駄目で、売った後に侯爵家の名前が軽く見えてもいけない。

 

 エレナは隣の椅子で、話が始まるのを待ちきれないように足を少し揺らしていた。赤毛をきれいにまとめ、今日は少年服ではなく、令嬢らしい服を着ている。ただし目は完全に市場で珍しいものを見つけた時の目だった。

 

 澪は自分の国で、小さくて軽くて、季節ごとに変えられて、貴族女性の手元で目立つものを思い浮かべた。

 

 宝石。

 

 髪飾り。

 

 扇子。

 

 香水瓶。

 

 いや、もっと小さいもの。

 

 小さくて、写真映えして、茶会や舞踏会で話題になり、服ほど大がかりではなく、宝石ほど素材費が重くないもの。

 

「爪、ですかね」

 

 部屋の空気が、少し止まった。

 

「爪?」

 

 アルベルトが聞き返した。

 

 リュシアが片眉を上げる。

 

「爪を売るのかい」

 

「あたしの国には、爪に貼る飾りがあります。自分の爪を染めるんじゃなくて、薄い飾り爪を作って、必要な時だけつけるんです」

 

 エレナが椅子から少し身を乗り出した。

 

「爪を、着替えるの?」

 

「そうです。手元だけドレスアップします」

 

 エレナの目が、一瞬で輝いた。

 

 澪は、その反応を見て思った。

 

 これは刺さる。

 

 リュシアも同じことを思ったらしい。商人の目になっている。アルベルトはまだ慎重だが、小さな商品で貴族女性の目を引ける可能性を考え始めた顔だった。

 

 澪は持ってきた小箱を机の上に置いた。

 

 

 

 

 

 小箱の蓋を開けると、薄い飾り爪が整列していた。

 

 透明なもの。淡いピンク。薄い琥珀。先端だけ色が変わるもの。小さな飾りがついたもの。現代側で用意したネイルチップの見本だ。あわせて、色剤と定着剤の初期サンプルも小瓶に入れて持ってきている。

 

 エレナは、息を呑むように覗き込んだ。

 

「これ、全部の指につけるの?」

 

「はい。基本は10本分です」

 

「足は?」

 

「今回は手だけにしましょう」

 

 リュシアがすぐ横から口を挟んだ。

 

「姫様、まず手で様子を見るんだよ」

 

「だって、足も爪はあるわ」

 

「ありますけど、最初から広げると大変です」

 

 澪は慌てて言った。足まで広げると、靴、歩き方、汚れ、外れやすさまで考えなければならない。今は手だけで十分だ。

 

 エレナは少し不満そうだったが、すぐに透明なチップをつまもうとして、澪に止められた。

 

「先に手を洗ってからにしましょう。あと、これは見本なので、割らないでください」

 

「そんなに弱いの?」

 

「薄いので。あと、小さいです」

 

 エレナは両手を引っ込めた。けれど視線は小箱に釘付けだった。

 

 アルベルトは、小さなネイルチップを1つ、澪の許可を得て手に取った。指先に乗せ、光にかざす。

 

「軽いな」

 

「軽くないと爪に負担がかかります」

 

「だが、手元では目立つ」

 

「はい。茶会でカップを持つ時、扇子を持つ時、挨拶する時に見えます」

 

 リュシアが小さく頷いた。

 

「服を仕立て直すより軽い。宝石を買うより入り口が低い。でも、侯爵家の箱に入れて、数を絞れば高くできる」

 

 澪はすぐに手を上げた。

 

「ただし、あたしが作り続ける商品にはしません」

 

 アルベルトの視線が澪へ向いた。

 

「なぜだ」

 

「あたしがいないと作れない商品は、侯爵家ブランドとして続きません」

 

 セルマが、箱の中のチップを見ながら頷いた。今日のセルマは、すでに錬金術師の顔をしている。

 

「その通りね。澪ひとりが作れる品は珍品よ。侯爵家の商品にするなら、こちらの職人が作れなければならない」

 

 リュシアが机に肘をつく。

 

「澪は売り方と形を作る。作るのは領の職人。そういうことだね」

 

「はい。あたしは見本と、最初の色剤と定着剤のサンプルを出します。でも続ける分は、この領の中で作れるようにした方がいいです」

 

 アルベルトは、ネイルチップを小箱へ戻した。

 

「では、素材から決める必要がある」

 

「はい。軽くて、薄くできて、割れにくくて、爪に乗せても負担が少ないものです」

 

 セルマが立ち上がった。

 

「素材置き場へ行きましょう。爪にするなら、まず爪材を探すところからね」

 

 

 

 

 

 セルマ工房の奥には、素材置き場がある。

 

 薬草、鉱石、樹脂、貝殻、骨、角、用途不明の乾いた塊。澪から見ると、実験室と倉庫と骨董市が混ざったような場所だった。

 

 セルマは棚からいくつかの素材を取り出した。

 

 蹄片。

 

 角の薄片。

 

 骨片。

 

 貝殻。

 

 薄く削れる樹脂状素材。

 

 澪はそれらを作業台に並べ、現代のネイルチップを横に置いた。大きさを比べる。厚みを見る。指先に乗る重さを想像する。

 

 まず蹄片を鑑定する。

 

----------------------------------

爪材候補

 素材:蹄片

 加工可否:可

 特徴:薄く削れる、軽い、やや反りあり

 注意:臭い処理、表面磨き、割れ防止

 適性:高

----------------------------------

 

「蹄、適性高いです」

 

 エレナが少し顔をしかめた。

 

「蹄を爪にするの?」

 

「素材としてです。ちゃんと処理します。見た目も匂いも、そのままでは使いません」

 

「匂うの?」

 

「今のままなら、少し」

 

 エレナは椅子ごと半歩下がった。

 

 リュシアが笑う。

 

「姫様、商品になる頃には姫様の鼻に届かないようにするよ」

 

 次に骨片を鑑定する。

 

----------------------------------

爪材候補

 素材:骨片

 加工可否:条件付き可

 特徴:硬い、白色、薄くすると割れやすい

 注意:厚み管理、縁割れ

 適性:中

----------------------------------

 

「骨は硬いけど、薄くすると割れやすいです。白い色はきれいですが、扱いが難しそう」

 

 貝殻を鑑定する。

 

----------------------------------

爪材候補

 素材:貝殻

 加工可否:可

 特徴:光沢あり、薄片化可、割れやすい

 注意:欠け、重ね加工

 適性:装飾向き

----------------------------------

 

「貝殻は、爪材本体より装飾向きかもしれません。光沢はきれいです」

 

 セルマは素材を手に取り、指先で曲がりを確かめた。

 

「ただ削るだけでは無理ね」

 

「無理ですか」

 

「薄く、軽く、同じ反りで、割れない。しかも10枚そろえる。錬金術師側に整形の訓練がいるわ」

 

 アルベルトがすぐに判断した。

 

「錬金術師を集める」

 

 セルマは頷く。

 

「私が見る。澪は見本と基準を出して」

 

「基準……」

 

 澪は小箱のネイルチップを見た。

 

 厚み。

 

 反り。

 

 左右差。

 

 縁の丸さ。

 

 爪につけた時の痛くなさ。

 

 それを、異世界の錬金術師に伝える必要がある。

 

 プロデュースだけ、と思ったのに、急に講習会の先生みたいになってきた。

 

「爪の先生……」

 

「何か言ったかい」

 

 リュシアが聞いた。

 

「いえ。まだ逃げてません」

 

「逃げる気はあったんだね」

 

 

 

 

 

 侯爵家の呼びかけで、錬金術師たちがセルマ工房に集められた。

 

 人数は多くない。だが、全員が素材の変化や固化に慣れている職人寄りの錬金術師だった。机の上には、現代のネイルチップの見本、蹄片、角、骨片、貝殻、樹脂状素材が並んでいる。

 

 澪は見本のチップを1枚、白い紙の上に置いた。

 

「目指すのは、これくらいの薄さです。爪に乗せるので、軽くて、縁が痛くなくて、反りが合うことが大事です」

 

 錬金術師の1人が蹄片を持ち、眉を寄せた。

 

「この薄さまで均一にするのですか」

 

「はい」

 

「割れます」

 

 セルマがすぐ言った。

 

「割らずに薄くするの。爪に乗せるのだから」

 

 最初の試作は、見事に失敗した。

 

 厚すぎる。

 

 反りが強すぎて、爪に乗せると端が浮く。

 

 薄くしすぎて、机に置いた瞬間に割れる。

 

 縁が鋭くて、指に当てると痛い。

 

 10枚の大きさがばらばら。

 

 表面が曇って、色を乗せてもきれいに見えない。

 

 澪は1枚ずつ鑑定しながら、駄目な理由を言語化していった。

 

----------------------------------

試作爪材

 形状:爪型未満

 厚み:過多

 反り:強すぎ

 縁:鋭利

 装着感:痛みあり

 推奨:厚み低下、反り緩和、縁丸め

----------------------------------

 

「ここ、縁が痛いです。あと、反りが合ってません」

 

 錬金術師が肩を落とす。

 

「小さすぎる……」

 

 リュシアが横から言った。

 

「小さいから高く売れるんだよ」

 

「高く売れる物は、だいたい面倒なのね」

 

 別の錬金術師が呟いた。

 

 セルマが、試作の割れた爪材を手に取り、光にかざした。

 

「澪の収納整形は、完成形を強く持ってから形を変える。錬金術でも、ただ薄くするのではなく、どこを残してどこを逃がすかを決めないと割れるわ」

 

「逃がす?」

 

 錬金術師が聞く。

 

「厚みを均一に見せながら、縁だけ少し丸くする。爪先へ向けて薄く、根元は少し柔らかく。全体を一枚の板だと思うから割れるの」

 

 澪はセルマの説明に頷いた。

 

「爪に乗せる薄い飾り板、というより、爪に沿う薄い殻です」

 

 錬金術師たちは、割れた試作品を見ながら一斉に黙った。

 

 新しい技能が要る。

 

 整形。

 

 それは、ただ溶かして固めることではない。

 

 薄く、軽く、同じ反りで、10枚をそろえることだった。

 

 

 

 

 

 澪は大きめの紙を広げ、工程を書き出した。

 

 アルベルト、リュシア、セルマ、錬金術師たち、そして呼ばれた加工職人が机を囲む。

 

「一人で全部やる商品じゃありません。工程を分けます」

 

 澪はペンで大きく番号を書いた。

 

 ①錬金術師が素材を溶かし、薄板または小片として固化整形。

 

 ②職人が爪の形に削り、厚み、反り、爪先、縁を整える。

 

 ③着色。

 

 ④宝石職人が極小石やチャームを作成。

 

 ⑤銀細工職人が極小座金や銀線を作り、チャームを固定。

 

 リュシアが紙を覗き込む。

 

「工程を分けると、誰の腕で値がつくか分かる」

 

 アルベルトも頷いた。

 

「侯爵家の名で保証するなら、工程の責任も分ける必要がある」

 

「はい。あと、不良が出た時に、どこで出たか分からないと直せません」

 

 澪は、明石さんの「商売は記録です」という声を思い出した。

 

 異世界でも同じだ。工程を分けなければ、責任も改善点も分からない。

 

 職人は、錬金術師が固化した薄板を受け取ると、目を細めた。

 

「木でも骨でもない。薄すぎる飾り板だな」

 

「爪に乗るので、痛いと駄目です」

 

「爪に乗せる飾り板……妙な仕事だ」

 

 職人は小刀のような道具と細いヤスリを使い、試作爪材の縁を整えた。澪は現代ネイルチップを横に置き、厚みと反りを見比べる。鑑定する。

 

----------------------------------

試作爪材

 形状:爪型

 厚み:やや厚い

 反り:不足

 縁:右側に引っかかり

 装着感:違和感あり

 推奨:縁丸め、厚み調整、反り修正

----------------------------------

 

「右側が引っかかります。あと、反りが足りません」

 

 職人は眉をひそめながら、もう一度削る。

 

「これ以上削ると薄すぎないか」

 

「薄すぎたら割れます。鑑定しながら見ます」

 

「便利だな、その目」

 

「便利ですけど、駄目出しも増えます」

 

 澪が言うと、職人は短く笑った。

 

「なら、良い目だ」

 

 

 

 

 

 色材と定着剤の話になると、セルマの目つきが変わった。

 

 澪は現代側から持ってきた色剤と定着剤の小瓶を机に並べる。

 

「これは見本です。続けて使う分は、こちらで作れるようにした方がいいです」

 

「色材と定着剤は私が見るわ」

 

 セルマは小瓶を持ち上げ、光に透かした。

 

 アルベルトが尋ねる。

 

「領内で調達できるか」

 

「顔料、染料、鉱石粉、貝殻粉、花の色、樹脂、膠、油。候補はある。爪材に乗るか、剥がれないか、傷めないかを調べる」

 

「色が乗っても、爪材が割れたり、剥がれたりしたら駄目です」

 

 澪が言うと、セルマは頷いた。

 

「色が美しいだけでは商品にならない。薄く乗り、乾き、はがれず、爪材を侵さない。面倒ね」

 

「面倒です」

 

「売れそうね」

 

 セルマまでリュシアみたいなことを言い始めた。

 

 最初の着色試作には、澪の色剤を使う。淡いチェリー色、琥珀色、透明に近いグラデーション。エレナの赤毛や琥珀色の瞳を連想させる色を、薄い蹄系爪材へ乗せていく。

 

 鑑定する。

 

----------------------------------

試作付け爪

 色:淡いチェリー色

 発色:良

 定着:仮

 爪材への影響:なし

 評価:試作可

 注意:長時間耐久未確認

----------------------------------

 

 エレナが覗き込んだ。

 

「これ、私の髪の色みたい」

 

「侯爵家らしい色として使えます」

 

 リュシアがすかさず言った。

 

「姫様色、売れるね」

 

「姫様色って言わないで」

 

 エレナが頬をふくらませる。

 

 けれど、目は離せていなかった。

 

 

 

 

 

 宝石職人と銀細工職人が呼ばれると、作業台の上はさらに細かくなった。

 

 澪は、現代ネイルチップの装飾付き見本を見せる。爪先に小さな石が1つ。あるいは、細い金属の線が入っているもの。大きい宝石ではない。むしろ、宝石職人からすれば削り落としのような大きさの石だ。

 

 宝石職人は見本を見て、目を細めた。

 

「この大きさの石を、さらに小さく?」

 

「爪に乗せるので、大きいと重いです」

 

 銀細工職人も、細い銀線を指でつまみながら眉を寄せる。

 

「爪に銀を載せるのか」

 

「少しだけです。重くしすぎないでください」

 

「少しだけが一番難しい」

 

 職人たちが同時にため息をついた。

 

 それでも手は動いた。

 

 宝石職人は極小石を選び、小粒のチャームへ整える。欠けやすいものは除く。厚みがあるものは避ける。光が弱くならないぎりぎりまで小さくする。

 

 銀細工職人は細い銀線を曲げ、極小座金を作った。銀ろうでチャーム側を固定する。だが、爪材に直接熱を入れると歪む。そこで、チャーム側の固定と、爪材への取り付けを分ける。座金と定着剤を併用する方法を試す。

 

 澪は鑑定する。

 

----------------------------------

装飾付き試作爪

 爪材:蹄系整形材

 色:淡い琥珀

 装飾:極小石チャーム

 固定:座金+定着剤

 銀細工:細線装飾

 重さ:許容範囲

 装着感:やや重い

 推奨:石を一回り小さく、座金を薄く

----------------------------------

 

「やや重いです。石を一回り小さく、座金を薄くした方がいいです」

 

 銀細工職人が顔をしかめた。

 

「これ以上薄くすると、座金が曲がる」

 

 宝石職人もすぐに言う。

 

「石を小さくすると、光が弱くなる」

 

「爪に乗せた時に重いと、商品としては駄目です」

 

 澪は申し訳なさそうに言った。

 

 リュシアが、にやりと笑う。

 

「贅沢なのに軽い。そこが値段だね」

 

 宝石職人と銀細工職人は、同時に澪を見た。

 

 澪はそっと視線を外した。

 

 また面倒な値段の作り方をしてしまった気がする。

 

 

 

 

 

 最初の試着は、エレナの小部屋で行うことになった。

 

 窓際の机に白い布を敷き、その上に試作付け爪を並べる。淡いチェリー色。琥珀色。透明に近い色。極小石のついたものは、まず1本だけ。

 

 澪はエレナの手を見た。指は細く、爪も小さい。試作をいきなり全部つけるのは危ない。まず1本。次に片手分。

 

「動かさないでくださいね」

 

「分かっているわ」

 

 エレナは椅子に座り、いつになく真剣な顔で手を差し出した。

 

 澪は定着剤の仮サンプルを少量だけ使い、試作爪を1本乗せた。押さえすぎない。ずれないように、そっと指を離す。

 

 エレナが息を止めた。

 

「爪が、着替わった」

 

 声が、本当に嬉しそうだった。

 

 澪は鑑定する。

 

----------------------------------

試作付け爪セット

 装着者:エレナ

 装着感:良

 見栄え:高

 重さ:許容範囲

 外れやすさ:低

 注意:長時間使用非推奨、水仕事非推奨

 評価:販売試作候補

----------------------------------

 

「装着感は良。見栄えも高いです。重さも許容範囲」

 

「では、片手全部」

 

「その前に注意です」

 

 エレナが少し不満そうにした。

 

「水仕事には向きません。長時間つけっぱなしも駄目です。火の近くも避けてください。小さいので、子どもが口に入れないように注意も必要です」

 

「注意が多い」

 

「高級品ほど、扱いの説明が大事です」

 

 リュシアが横から頷いた。

 

「説明なしで売ると、苦情が来るからね」

 

 エレナは自分の指先を光にかざした。

 

「でも、きれい」

 

 その一言で、作業台の職人たちの空気が少し変わった。

 

 高い、面倒、小さい、割れる、重い。

 

 全部その通りだ。

 

 でも、貴族令嬢が手元を見て、目を輝かせている。

 

 それは商品として、強い。

 

 

 

 

 

 応接室へ戻ると、机の上には試作爪、工程表、素材候補、箱の見本に使えそうな小箱が並んだ。

 

 アルベルトは、試作付け爪を見ながら言った。

 

「侯爵家の名で、数を絞る」

 

「安売りしない。箱と説明も値段のうちだね」

 

 リュシアが続ける。

 

 澪はノートに販売方針を書き込んだ。

 

 数量限定。

 

 小箱入り。

 

 侯爵家紋章つき。

 

 色と柄は季節ごと。

 

 最初は茶会・舞踏会向け。

 

 説明書つき。

 

 修理・調整窓口あり。

 

 エレナが使えば、自然に広がる。

 

 澪は顔を上げた。

 

「これは普段使いじゃなくて、特別な日の装飾品です」

 

「茶会や舞踏会か」

 

「はい。普段の水仕事や長時間の作業には向きません。だから、使う場面を絞ります」

 

 アルベルトは頷いた。

 

「ヴァルディス侯爵家公認付け爪。あるいは、茶会用爪飾り、舞踏会用爪飾り」

 

 エレナがすぐに口を挟む。

 

「爪を着替える、がいいわ」

 

「商品名としては少し直接的です」

 

 澪が言うと、エレナは残念そうにした。

 

 だが、リュシアは笑っている。

 

「流行らせる言葉としては悪くないよ。商品名と別に、女たちの間では勝手にそう呼ぶさ」

 

 澪は、ああ、これは広がるやつだ、と思った。

 

 だからこそ、自分の役割をはっきりさせなければならない。

 

 澪は新しい紙を出し、自分の役割を書いた。

 

 初期見本提供。

 

 色剤サンプル提供。

 

 定着剤サンプル提供。

 

 品質基準作成。

 

 鑑定補助。

 

 使用上の注意作成。

 

 工程表作成。

 

 販売コンセプト作成。

 

 その横に、しないことも書く。

 

 量産。

 

 継続的な色剤供給。

 

 継続的な定着剤供給。

 

 全商品を収納で作ること。

 

 セルマが紙を見て言った。

 

「色材と定着剤は私が開発する」

 

 錬金術師の1人が、まだ少し不安そうに爪材を見ながら続けた。

 

「爪材の整形は、こちらで練習します」

 

 加工職人が、細いヤスリを布で拭いた。

 

「形と縁は、こちらで詰める」

 

 宝石職人と銀細工職人も、顔を見合わせてから頷いた。

 

「装飾はこちらでやる」

 

 アルベルトは、最後に澪を見た。

 

「押入商会は、何を担う」

 

「プロデュースです。見本を出して、基準を作って、最初の方向を決めます。でも、作り続けるのは侯爵領です」

 

 アルベルトは満足したように頷いた。

 

「それなら、侯爵家の商品になる」

 

 澪は、ようやく少し息を吐いた。

 

 爪を着替えるだけの話だったはずなのに、錬金術師、加工職人、宝石職人、銀細工職人、侯爵家の箱と紋章まで巻き込む話になっていた。

 

 でも、今回は違う。

 

 澪が全部作らない。

 

 澪がいなくても回るようにする。

 

 そこだけは、絶対に守る。

 

 

 

 

 

 六畳間に戻った澪は、ネイルチップの見本、色剤、定着剤の在庫を確認した。

 

 これ以上、大量に持ち込むつもりはない。初期サンプルだけ。あとはセルマが色材と定着剤を開発し、錬金術師たちが爪材を整形し、職人たちが形を詰める。

 

 澪はノートを開き、表紙に大きく書いた。

 

 侯爵家ブランド付け爪計画。

 

 その下に、項目を並べる。

 

 初期見本:提供済み。

 

 色剤:初期サンプルのみ。

 

 定着剤:初期サンプルのみ。

 

 素材:蹄、角、骨、貝殻、樹脂状素材。

 

 錬金術師:整形特訓。

 

 セルマ:色材・定着剤開発。

 

 職人:爪形削り。

 

 宝石職人:極小チャーム。

 

 銀細工職人:極小座金・固定。

 

 侯爵家:箱、紋章、販路、数量管理。

 

 澪:プロデュースのみ。

 

 最後に、太めのペンで大きく書いた。

 

 あたしが作らないこと。

 

 あたしがいなくても回ること。

 

 その下に、小さく付け足す。

 

 ただし最初の見本は、あたしが出す。

 

 スマホの画面には、現代のネイルチップ通販ページが開いたままだった。その横には、侯爵家の色として候補にしたチェリー色と琥珀色のメモがある。

 

 澪はペンを置いて、深く息を吐いた。

 

「爪を着替えるだけで、錬金術師と宝石職人と銀細工職人が集まるとは思わなかった……」

 

 鑑定欄が静かに出る。

 

----------------------------------

侯爵家ブランド付け爪計画

 状態:初期企画成立

 課題:爪材整形、色材開発、定着剤開発、極小装飾固定、品質基準

 澪の役割:プロデュース

 継続条件:侯爵領内生産体制

----------------------------------

 

 澪は表示を見て、少しだけ笑った。

 

「よし。あたしが作らない商品にする」

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