押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第5話 押入商会、露店をやめる

「澪」

 

「はい」

 

「盾とスプレーは分かったけどね」

 

 リュシアはそこで言葉を切り、澪を上から下まで見た。

 

 厚手のジャケットに手袋。安全ゴーグルをつけ、首元にはホイッスル。左手には昨日見せた透明な盾がある。

 

「それ、全部つけて市場を歩くのかい?」

 

「安全装備ですから」

 

「安全なのは分かるよ。目立つって言ってるんだよ」

 

 澪は自分の格好を見下ろした。

 

「……透明なんですけど」

 

「盾が透明でも、持ってる澪は消えないだろ」

 

「それはそうですけど」

 

「その目につけてるのも、ずっと必要なのかい?」

 

「ゴーグルです。目を守ります」

 

「何から?」

 

 聞かれて、澪は黙った。

 

「……何か飛んできた時に」

 

「必要になったらつけな」

 

「間に合います?」

 

「市場を歩いてる間ずっとその顔でいるよりはいいよ」

 

 リュシアは首元も指した。

 

「笛もしまいな。鳴らす時に出せばいい」

 

 澪はホイッスルをジャケットの内側へ入れ、ゴーグルも外した。

 

 熊撃退スプレーはリュックの中だ。昨日、リュシアに見せたあとから表には出していない。

 

 残った透明盾を抱え直す。

 

「これは?」

 

「持ってたいのかい?」

 

「昨日のことがあるので」

 

「なら持ってな。ただ、倉庫にいる間まで抱えてなくていいだろ」

 

「それもそうですね」

 

 澪は透明盾を木箱の脇へ立てかけた。

 

「高かったんですけどね……」

 

「危ない目に遭えば使えるよ」

 

「元を取りたくない買い物ですね」

 

「なら使わずに帰りな」

 

 リュシアは笑い、澪のリュックへ目を向けた。

 

「ほら。今度は商売だよ」

 

「はい」

 

 澪はいつもの布を取り出した。

 

 木箱の上へ広げようとすると、その端をリュシアにつままれた。

 

「それもいらないよ」

 

「布ですか?」

 

「表で店を広げるのは、もうやめな」

 

 澪の手が止まった。

 

「……露店、やめるんですか?」

 

「やめる」

 

「始めたばかりなんですけど」

 

「知ってるよ」

 

「早い……」

 

「商売をやめるわけじゃないだろ」

 

 リュシアは手鏡を1つ取り、木箱へ置いた。

 

「澪は品を持ってくる。私は売る。それでいくよ」

 

「私は売らないんですか?」

 

「売りたいのかい?」

 

 返事に詰まった。

 

 手鏡を覗いた女性たちが騒いだ時は楽しかったし、爪切りを初めて見た商人の顔も覚えている。

 

 ただ、値段を聞かれるたびに困った。

 

 金を渡されても困った。

 

 昨日は、その金を持ったまま後をつけられた。

 

「……少しは楽しかったです」

 

「じゃあ、たまには客をこっちへ連れてくるよ」

 

「いいんですか?」

 

「私が大丈夫だと思った相手だけね」

 

 リュシアが倉庫の外を見た。

 

「表に珍しい品を並べてたら、買わない奴まで寄ってくる。澪が金を受け取るところだって見える」

 

「昨日の人たちも?」

 

「どこから見てたかは知らないよ。でも、もうわざわざ見せる必要はないね」

 

「なるほど……」

 

「ここなら私が相手を選べる。支払いも中で済む。澪は仕入れに専念しな」

 

「リュシアの仕事、増えません?」

 

「その分、私も儲けるよ」

 

「よかった」

 

「何がだい?」

 

「全部、親切でやられたら申し訳ないので」

 

「商人に向かって変な心配するんじゃないよ」

 

 澪は布を畳んだ。

 

「では、押入商会の露店は閉店です」

 

「閉店じゃないって言ってるだろ」

 

「でも、これ片づけますよ」

 

「布1枚じゃないか」

 

「店です」

 

「はいはい。早くしまいな」

 

 リュシアが手を振った。

 

 澪は畳んだ布をリュックへ戻した。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 リュシアは棚から木札を何枚か持ってきた。

 

 澪には、そこに書かれた文字がまだ読めない。

 

「鏡が2つ。針が3つ。ムシメガネが1つ。爪切りが3つ」

 

「虫眼鏡です」

 

「まだやるのかい?」

 

「リュシアが直せば終わります」

 

「ムシメガネ」

 

「……はい」

 

 商品を出していると、リュシアが澪のメモ帳へ目を落とした。

 

「ちょっと待ちな」

 

「はい?」

 

「この値段、何だい?」

 

「自分なりに考えてきました」

 

「安いね」

 

「でも、ゲンダイでは安く買える物なので」

 

「それは澪が買う時の値段だろ?」

 

 リュシアは爪切りを1つ取った。

 

「これは銀貨2枚で買うよ」

 

「2枚?」

 

「高いと思った?」

 

「はい」

 

 ぱちん。

 

 爪切りが鳴る。

 

「便利だけど、爪なら小刀でも切れる。代わりがあるからこのくらい。私が客へ出すなら銀貨3枚か4枚だね」

 

 澪はメモ帳の数字を書き直した。

 

 次にリュシアが手鏡を取る。

 

「鏡は銀貨5枚」

 

「上がりましたね」

 

「こっちは代わりが少ないからね」

 

 自分の顔を映し、少し角度を変える。

 

「ここまできれいに映る鏡は、そうそうないよ。売るなら銀貨8枚から。相手によっては小金貨1枚」

 

 澪のペンが止まった。

 

「小金貨……」

 

「髪結いなら仕事に使えるし、貴族の侍女ならもっと出すかもしれないね」

 

「これ、ゲンダイでは――」

 

「言わなくていい」

 

「まだ最後まで言ってません」

 

「顔に書いてあるよ」

 

 小金貨5枚を売った時の入金額が、一瞬だけ頭をよぎった。

 

 手鏡を見る目が変わったらしい。

 

「ほら。またその顔」

 

「直すの難しいです」

 

「商人なんだから練習しな」

 

 裁縫針は袋ごと明るい方へ向けた。

 

「針は銀貨3枚。仕立て屋がまとめて買うなら少し下げる」

 

「まとめて買うと安くするんですか?」

 

「何度も来て、数を買う相手ならね」

 

 リュシアは針を戻し、虫眼鏡を取った。

 

 こちらは手にした途端、扱いが少し慎重になる。

 

「ムシメガネは小金貨1枚」

 

「早い」

 

「何が?」

 

「迷わなかったので」

 

「欲しいって言ってる客がいるからね」

 

 リュシアは古い銀貨をレンズ越しに覗いた。

 

「私が売るなら小金貨1枚と銀貨5枚から。相手によっては小金貨2枚」

 

「私の心臓には高いです」

 

「澪の心臓は値札じゃないよ」

 

「百円ショップの虫眼鏡ですよ?」

 

「薬草屋なら葉の傷を見る。宝石を扱う奴なら欠けを見る。硬貨の刻印だって見える」

 

 リュシアは銀貨を裏返した。

 

「同じことができる道具を、私は知らないね」

 

「でも、私が買う時は安いんですよ」

 

「それは覚えときな」

 

「覚えてていいんですか?」

 

「当たり前だろ。澪がいくらで仕入れたか分からなくなったら、損してても分からないじゃないか」

 

「ああ……」

 

「ただ、こっちで売る値段まで同じにするなって言ってるんだよ」

 

 澪はメモ帳へ数字を書いた。

 

「難しいですね」

 

「慣れな」

 

「短い」

 

「長く言っても同じだよ」

 

 リュシアは糸切りばさみと髪留めも手元へ寄せた。

 

「こっちは急がなくていい。似た物が市場にあるからね」

 

 メモ帳と鉛筆は一緒に使わせる。

 

 小さなステンレス皿は、まず使い道を聞いてから相手を探すことになった。

 

 全部に高い値がつくわけではないらしい。

 

 その方が澪には少し安心できた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「鏡、2つ」

 

 リュシアが木札を指した。

 

 澪が渡すと、傷がないか確かめてから布へ包む。

 

「針は3つ。ムシメガネは1つ」

 

「はいはい」

 

「返事が雑になったね」

 

「原因は分かってます」

 

 爪切りを3つ出す。

 

 リュシアはそのうち1つを手に取り、

 

 ぱちん。

 

 と鳴らした。

 

「これ、旅人が面白がるんだよね」

 

「爪を切る道具なのに?」

 

「ちゃんと切れるのもいいけど、この音が気に入った奴がいてね」

 

 もう一度鳴らす。

 

 ぱちん。

 

「ゲンダイなら誰も気にしませんよ」

 

「こっちで気に入る奴がいるなら、それでいいじゃないか」

 

 爪切りも木札の横へ置かれた。

 

「もう注文になってるんですね」

 

「前に買った奴が、ほかへ見せるからね。欲しがるのが出れば話が来る」

 

「私、何もしてない」

 

「持ってきただろ」

 

「それだけです」

 

「それが澪の仕事になるんだよ」

 

 リュシアは棚の下から小袋を3つ出した。

 

「これが今日持ってきた分」

 

 1つ目。

 

「前に売った分の追加」

 

 2つ目。

 

「こっちが次の分。ムシメガネ、多めに頼むよ」

 

 3つ目を受け取って、澪が手を止めた。

 

「これ、前払いですか?」

 

「そうだよ」

 

「いいんです?」

 

「澪がゲンダイで仕入れるのに金が要るんだろ?」

 

「要りますけど」

 

「なら使いな」

 

 澪は袋を開けず、そのままリュックへ入れた。

 

 リュシアが見ていた。

 

「今日は数えないんだね」

 

「金を持ってる顔をするなって言ったの、リュシアですよ」

 

「少しは覚えたじゃないか」

 

「少しなんですか?」

 

「全部覚えたと思う方が危ないよ」

 

 そう言いながら、リュシアはもう別の木札を取っている。

 

「次はこれにも見せるよ」

 

「読めません」

 

「知ってる」

 

「最近、それで済ませますね」

 

「宝石を扱ってる商人だよ。ムシメガネを試したいってさ」

 

「宝石商?」

 

「そんなところだね」

 

「面倒な人ですか?」

 

「値段には細かいよ」

 

 澪はリュシアを見た。

 

「リュシアも細かいですよね」

 

「だから商人やってるんだろ?」

 

 何も気にしていなかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 取引が終わり、澪が透明盾を持ち上げたところで、リュシアが倉庫の外へ顔を出した。

 

「トト!」

 

 少し離れたところから、少年が走ってきた。

 

「なに、リュシア姉ちゃん」

 

「澪を送ってきな」

 

 トトは澪を見上げた。

 

「澪姉ちゃん?」

 

「そう。あっちの通りまででいいよ」

 

 リュシアが押入れへ続く路地の方を指す。

 

「分かった」

 

 返事が早い。

 

「ちょっと待ちな」

 

 走り出しかけたトトの襟元を、リュシアがつかんだ。

 

「走らなくていい」

 

「走ってない」

 

「今、走ろうとしただろ」

 

「ちょっとだけ」

 

「それを走るっていうんだよ」

 

 トトは不満そうな顔をした。

 

 リュシアは手を離し、今度はきちんと顔を見て言った。

 

「いいかい。変なのがいたら、澪と一緒に大声で叫びな」

 

「うん」

 

「それから戻って、私を呼びに来な。自分で何とかしようとするんじゃないよ」

 

「俺だって――」

 

「呼びに来な」

 

「……分かった」

 

「本当に?」

 

「分かったって」

 

 トトが頬を膨らませた。

 

 澪はそのやり取りを見ながら、少し申し訳なくなる。

 

「私1人でも大丈夫ですよ」

 

「昨日、それで危なかっただろ」

 

 即座に返された。

 

「はい」

 

「トトならこの辺の道も顔も知ってる。澪1人よりはいいよ」

 

「俺、道知ってる」

 

 トトが胸を張った。

 

「それと、澪姉ちゃんが危なかったら俺が叫ぶ」

 

「そこは頼もしいです」

 

「大きい声出せるよ」

 

「知ってるよ」

 

 リュシアが先に答えた。

 

「だから頼んでるんだろ。ほら、行ってきな」

 

「うん」

 

 トトが先に歩き出した。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「澪姉ちゃん、こっち」

 

 トトは市場の表に近い道を選んだ。

 

「昨日、こっちじゃなかった」

 

「はい。近道したら危なかったので」

 

「リュシア姉ちゃん怒ってた」

 

「やっぱり?」

 

「うん」

 

「私の前ではそんなに怒ってなかったんですけど」

 

「怒ってたよ」

 

 子どもには分かるらしい。

 

 赤い日除けの店を曲がり、香草の匂いが強い一角を抜ける。

 

 澪が昨日通った細い路地よりずっと人が多かった。

 

「トトはいつもこの辺を歩いてるんですか?」

 

「うん」

 

「迷わない?」

 

「迷わないよ」

 

 即答だった。

 

 澪は少し羨ましくなった。

 

「ゲンダイなら地図アプリがあるんですけどね」

 

「チズアプリ?」

 

「今いる場所と、行きたい場所までの道を教えてくれるんです」

 

「すごい」

 

 トトが足を止めて振り返った。

 

「それ持ってる?」

 

「ゲンダイには」

 

「見たい」

 

「持ってきてません」

 

「なんで?」

 

「なくしたら、私が泣くので」

 

「じゃあ駄目だ」

 

 判断が早かった。

 

「トトもそう思います?」

 

「なくして泣くなら持ってこない方がいいよ」

 

「正論……」

 

 少し歩くと、使われていない古い井戸が見えてきた。

 

 トトがそこを指した。

 

「あれ曲がる」

 

「覚えました」

 

「井戸なくなったら?」

 

「……困ります」

 

「じゃあ、あっちの大きい屋根も覚えといて」

 

 言われた方を見ると、少し離れた建物の屋根が周りより高い。

 

「なるほど」

 

「リュシア姉ちゃんが、1個だけ覚えるなって言ってた」

 

「私にも言ってました」

 

「澪姉ちゃん、迷うの?」

 

「ゲンダイではあまり迷いません」

 

「こっちでは?」

 

「これから頑張ります」

 

 トトが笑った。

 

 押入れへ続く通りが見えてきた。

 

 澪には見慣れた路地だ。

 

「あそこまでで大丈夫です」

 

「ほんと?」

 

「はい。ここからなら分かります」

 

 トトは少し先を見て、周囲も見た。

 

 リュシアに言われたからだろう。

 

「変なのいないね」

 

「いませんね」

 

「じゃあ俺、戻る」

 

「送ってくれてありがとう」

 

「うん」

 

 トトは数歩走り、途中で振り返った。

 

「澪姉ちゃん!」

 

「はい?」

 

「危なかったら大きい声だよ!」

 

「分かりました」

 

 今度こそ、トトは市場の方へ駆けていった。

 

「走らなくていいって言われてたのに……」

 

 もう見えなくなっている。

 

 澪は少し笑い、透明盾を抱え直した。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 石畳から畳へ戻る。

 

 襖を閉めると、市場の音が遠くなった。

 

 澪は透明盾を壁際へ立て、リュックをミニテーブルの横へ下ろした。

 

 中から3つの小袋を出す。

 

 今日の分。

 

 前に売った分。

 

 次の仕入れ分。

 

 混ぜる前に、押入商会の帳簿を開いた。

 

 今日持っていった品と、受け取った硬貨を書いていく。

 

 販売方法のところで少し考え、

 

『リュシアへ卸し』

 

 と書いた。

 

 その下へ何か書こうとして、やめる。

 

 帳簿にリュシアから言われた注意事項まで書く必要はない。

 

 帳簿を閉じると、畳んだ露店の布がリュックの底から出てきた。

 

 澪はしばらく眺め、それを商品を置いている箱の下へしまった。

 

 捨てるほど邪魔ではない。

 

 もう一度リュックへ手を入れると、前払いでもらった小袋に指が触れた。

 

「虫眼鏡、多め……」

 

 財布を取り出す。

 

 そこで止まった。

 

「……多めって何個?」

 

 5個なのか、10個なのか。

 

 聞いていない。

 

 財布を持ったまま、閉じた押入れを見る。

 

「トト、まだ戻ってないかな……」

 

 さすがに聞きに戻るほどではなかった。

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