押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第50話 黒板とマホガニーの家具工房

 

 

 六畳間のローテーブルの上に、澪は3つのものを並べていた。

 

 1つ目は、侯爵家ブランド付け爪の報酬記録。

 

 2つ目は、異世界側で増えていく金貨の残高メモ。

 

 3つ目は、現代側の法人カード引き落とし予定表。

 

 どれも数字だった。数字は好きだ。帳簿に入れられる。比べられる。増えたのか減ったのか分かる。

 

 ただし、問題は、増えている数字と減っている数字が、同じ場所にいないことだった。

 

 侯爵家ブランドの付け爪は、領外の貴族相手に動き始めていた。エレナが試した淡いチェリー色と琥珀色の爪飾りは、茶会で話題になり、侯爵家には少しずつ資金が戻ってきている。セルマはセルマで、色材と定着剤の開発に目処をつけ、澪の国のサンプルに頼り続けない形を作り始めていた。

 

 つまり、プロデュースは成功だった。

 

 成功だったのだが、澪の目の前にあるのは、また金貨だった。

 

 澪は異世界金貨の残高メモを見て、それから法人カードの引き落とし予定を見た。

 

「使えないお金じゃない。こっちではすごく使える。でも、カード引き落としには使えない……」

 

 声に出すと、余計に切実だった。

 

 金貨を現代側へ持ち出して換金しない方針は変えない。侯爵領の市場から金を抜くようなことはしない。だから、金貨をそのまま現代円に変えるのではなく、金貨を使って商品に変える。

 

 現代側で売れる形にする。

 

 澪は、机の端に置いていた厚いカタログへ手を伸ばした。

 

 北欧家具メーカーのカタログだった。

 

 表紙からして、もう六畳間には似合わなかった。白い壁、広い床、余白のある部屋、木目の美しいテーブル、細い脚の椅子。余計な物がない。段ボールもない。レシートの封筒もない。押し入れから異世界へ行く商会代表の生活感もない。

 

 澪はページをめくり、価格欄で指を止めた。

 

「ダイニングテーブルで30万円以上……椅子1脚で10万円……」

 

 しばらく黙った。

 

「家具って、こんなにするの?」

 

 もう一度、写真を見る。

 

 高い。高いけれど、安物には見えない。天板の木目、脚の線、椅子の角度、部屋に置いた時の余白。写真の中で、家具が生活の中心みたいに写っている。

 

 澪はキャビネットのページを開いた。扉の木目が左右でつながっている。取っ手は小さい。金具は目立たない。飾りは少ない。けれど、扉の隙間がきれいで、脚が床から少し浮かせていて、写真で見た時に軽く見える。

 

 次にサイドテーブルのページを見る。小さな引き出しが1つ。天板の角は丸い。脚は細いが、頼りないわけではない。

 

「でも、木目と仕上げと写真で、ちゃんと高く見える」

 

 澪はカタログに付箋を貼った。

 

 サイドテーブル。

 

 キャビネット。

 

 丸写しするわけではない。デザインを盗むのではなく、現代で売れる線、余白、寸法感、写真映えを学ぶための資料だ。

 

 澪はノートを開き、事業の流れを書いた。

 

 異世界金貨。

 

 異世界側商会が木材・職人・工房へ投資。

 

 サイドテーブル/キャビネット制作。

 

 異世界側工房で保管。

 

 現代側の押入商会が異世界側商会から輸入購入した扱いで仕入れ。

 

 現代で家具として転売。

 

 書いてから、澪は自分の字を見下ろした。

 

「金貨を持ち出さない。商品として仕入れる。家具として売る」

 

 鑑定欄が浮かんだ。

 

----------------------------------

家具事業案

 目的:異世界金貨の商品化

 現代側処理:輸入購入扱いの仕入れ、転売

 異世界側処理:木材調達、職人工賃、工房保管

 商品候補:サイドテーブル、キャビネット

 注意:写真、寸法、木材、仕上げ、配送条件の記録必須

----------------------------------

 

「やっぱり記録は必須……」

 

 澪はそのまま、明石さんへ相談するためのメモを作った。

 

 

 

 

 

 オンライン面談の画面の向こうで、明石さんは、澪の説明を最後まで聞いてから、ゆっくり頷いた。

 

「つまり、押入商会が、外国側の商会から家具を仕入れて、国内で転売する形にしたい、という理解でよいですか」

 

「はい。外国工房用の木工道具を買う必要があります。これは法人で買えますよね」

 

 澪は少し前のめりになって言った。

 

 薬草畑の時と違う。

 

 今回は、押入商会の商品制作に関わる道具である。現代で家具として売る。説明できる。記録もできる。法人カードが使える可能性が高い。

 

 明石さんは、表情を変えずに言った。

 

「買えます。販売用家具の制作に使う工具ですから」

 

「薬草畑の時と違って?」

 

「違います。今回は商品制作に関わる設備です。工具一覧、購入明細、使用目的、保管先を残してください」

 

 澪は小さく拳を握った。

 

「やった……法人カードが使える……」

 

「私物化しないでください」

 

「急に釘が来た」

 

「釘も工具扱いになりますね」

 

「明石さん、今の冗談ですか」

 

「少しだけ」

 

 澪は笑っていいのか迷った。明石さんの冗談は、領収書と同じくらい乾いている。

 

「高額な工具は備品扱いになる可能性があります。消耗品、替刃、紙やすり、塗装用品、梱包材は別に記録してください。工具をどこで使うのか、保管先も書いてください」

 

「保管先は、外国側の家具工房です」

 

「では、そのように記録を。写真も残してください」

 

「写真……工具の写真もですか」

 

「はい。後で何を買ったか分からなくなるよりましです」

 

 澪はメモに大きく書いた。

 

 工具一覧。

 

 購入明細。

 

 使用目的。

 

 保管先。

 

 写真。

 

 法人カード。

 

 私物化禁止。

 

「最後のが一番怖いですね」

 

「一番大事です」

 

 明石さんは真顔だった。

 

 

 

 

 

 ホームセンターと工具店を回った澪は、法人カードのありがたみを全身で感じていた。

 

 充電式ハンドドリル、というより、家具用ならドリルドライバー。ビット。下穴錐。皿取り錐。クランプ。差し金。ノギス。サンダー。保護メガネ。手袋。作業灯。予備バッテリー。

 

 買い物かごでは足りず、カートになった。

 

 そして、丸ノコの前で固まった。

 

「電ノコって、いくらかしら」

 

 澪はスマホで型番を調べ、棚の値札を見た。

 

「本体だけならまだしも、バッテリーと充電器と替刃とガイド……」

 

 想像より高い。

 

 木を切るだけではない。まっすぐ切るためのガイドがいる。替刃がいる。安全に使うための保護具がいる。バッテリーがいる。充電器がいる。切った後に整えるサンダーがいる。

 

 カタログのキャビネット写真の扉は、何事もなかったようにまっすぐ閉じていた。隙間もそろっていた。だが、あの「何事もなさ」は、道具と技術と手間の上にある。

 

「そりゃ、家具が高いわけだ」

 

 澪は丸ノコ本体を見て、それから法人カードを見た。

 

「法人カードが使えるの、本当にありがたい」

 

 レジでは、明細が長く出た。澪はレシートを折らずにクリアファイルへ入れ、工具を1つずつスマホで撮影した。

 

 工具の写真を撮りながら、自分が何の仕事をしているのか一瞬分からなくなった。

 

 押入商会代表。

 

 家具事業準備中。

 

 外国工房用工具購入。

 

 ただし、その外国は押し入れの向こう。

 

 澪は考えるのをやめた。

 

 考えると、経費処理より先に頭が割れる。

 

 

 

 

 

 六畳間へ戻った澪は、工具類を収納に入れる前に、太陽電池発電のリストも確認した。

 

 セルマ工房で使った仕組みを、家具工房にも入れる。

 

 太陽電池パネル。

 

 ポータブル電源。

 

 延長コード。

 

 充電器。

 

 バッテリー保管棚。

 

 作業灯。

 

 簡易換気用具。

 

 大型機械を常時回すわけではない。バッテリー工具を中心にし、充電して使う。穴あけ、下穴、研磨、作業灯。それだけでも、異世界側の家具工房には大きな差になる。

 

「セルマさんの工房でできたなら、家具工房にも入れられるはず」

 

 澪は太陽電池パネルの箱に手を置いた。

 

 ただし、説明はまた必要だ。

 

 光で力を貯める箱。

 

 使いすぎると空になる。

 

 数字表示は、異世界側の人には読めない。残量や出力は澪が説明するしかない。

 

「電気の説明、だんだん生活の一部になってきたな……」

 

 澪は工具と太陽電池一式を収納に入れた。

 

 次は、家具工房だ。

 

 

 

 

 

 異世界側商会が確保した工房は、町の通りから少し奥に入った場所にあった。

 

 リュシアの屋台裏でも、誰かの一時的な作業場でもない。家具事業用に確保した専用の工房だ。入口は荷車が入れる幅があり、奥には木材を立てかけられる壁がある。中央には大きな作業台を置ける空間があり、端には金具や道具を管理できそうな棚もある。

 

 まだ新しい木屑の匂いはしない。むしろ、これから木屑の匂いをつけていく場所だった。

 

 リュシアは腕を組み、工房の中を見渡した。

 

「仮の作業場じゃ足りない。家具を商売にするなら、工房がいる」

 

「はい。ここで作って、ここで保管して、必要な分だけあたしの国へ持っていきます」

 

 澪がそう言うと、壁際にいた家具職人の1人が首を傾げた。

 

「品を見ずに買う客がいるのか」

 

「写真で買う人がいます。だから写真に負ける家具は駄目です」

 

 工房内が、少しざわついた。

 

 写真に負ける家具。

 

 職人たちにはまだよく分からない言葉だ。だが、嫌な予感だけは伝わったらしい。

 

 リュシアは澪を見て、少し楽しそうに笑った。

 

「嫌な言葉を覚えさせるね」

 

「現代で売るなら必要です」

 

「澪の国じゃなくて、あたしの国、だろう?」

 

「あ、はい。あたしの国です」

 

 澪は慌てて言い直した。

 

 工房には、5人の家具職人が集まっていた。

 

 木工棟梁格の男は、背が高く、手が分厚い。木材を見る前から、構造と強度を考える目をしている。

 

 キャビネット職人は、箱物を得意とするらしく、扉や引き出しの話になると目が細くなる。

 

 脚物職人は、椅子や机の脚を見慣れているのか、立っている時から床の傾きと足元を気にしていた。

 

 仕上げ職人は、爪先で床を軽く擦りながら、光の入り方を見ている。木目と艶を見る人だ。

 

 金具取り付け職人は、腰に小さな道具袋を下げており、扉や取っ手を見る前から工房の棚の蝶番を見ていた。

 

 澪は5人へ頭を下げた。

 

「小物ではなく、家具として値段がつくものを作ります。サイドテーブルとキャビネットです」

 

 棟梁が眉を上げた。

 

「いきなり箱物と脚物か」

 

「はい。あたしの国で売るなら、家具として見られるものが必要です」

 

 仕上げ職人が聞いた。

 

「飾りはどれだけ入れる」

 

「今回は、飾りを盛るより木目を見せます」

 

 5人の視線が、そこで少し変わった。

 

 家具の話だ。

 

 ただの珍品ではない。

 

 木をどう見せるかの話だ。

 

 

 

 

 

 工房の壁際に、黒板が立てられた。

 

 澪が持ち込んだものは、職人たちには妙に多かった。

 

 北欧家具カタログ。

 

 引き伸ばしたキャビネット写真。

 

 サイドテーブル写真。

 

 方眼紙。

 

 メジャー。

 

 差し金。

 

 ノギス。

 

 黒板用の白いチョーク。

 

 澪は黒板に大きく書いた。

 

 サイドテーブル。

 

 キャビネット。

 

 寸法。

 

 木目。

 

 脚。

 

 扉。

 

 引き出し。

 

 金具。

 

 写真で見える隙間。

 

 仕上げ。

 

 棟梁が黒板を見て、低く唸った。

 

「作る前に、これだけ書くのか」

 

「はい。あたしの国では、写真と寸法で買われます」

 

 金具取り付け職人が、黒板の文字を見て嫌そうな顔をした。

 

「写真で隙間まで見られるのか」

 

「見られます」

 

「取っ手の曲がりもか」

 

「見られます」

 

 仕上げ職人がぼそりと言った。

 

「木目の粗も見られるな」

 

「見られます」

 

 リュシアが腕を組んだ。

 

「嫌な国だね」

 

「売れる国でもあります」

 

 澪は机の上に、引き伸ばしたキャビネット写真を広げた。現代側でカタログから選んだものだ。丸写しするためではない。現代で売れる線、余白、脚、扉、木目の見せ方を説明するための資料である。

 

 棟梁が写真を覗き込み、眉を寄せた。

 

「飾りが少ないな」

 

「はい。少ないです」

 

 キャビネット職人も、写真の扉を見た。

 

「金具も目立たない」

 

「はい。目立たせません」

 

 脚物職人が、写真の下部を指差す。

 

「脚で床から浮かせている」

 

「はい。重く見せないためです」

 

 金具職人が納得いかない顔をした。

 

「これで高いのか」

 

「高いです」

 

 職人たちの目が一斉に澪を向いた。

 

 リュシアが代わりに笑った。

 

「板を減らして値を上げるわけじゃないよ。澪の国では、線と木目で値がつくんだ」

 

 澪は頷いた。

 

「彫刻を足せば高く見えるわけではありません。盛りすぎると、逆に安く見えることがあります」

 

 金具職人が、さらに嫌そうな顔をした。

 

「金具を見せない家具とは」

 

「金具は、触った時に気持ちいいところに使います。主役じゃなくて、支える役です」

 

「金具に主役をさせない」

 

「今回は、です」

 

 リュシアが小さく吹き出した。

 

「職人の矜持に刺さってるね」

 

「刺したくて刺してるわけじゃないです」

 

 

 

 

 

 木材置き場には、候補の板が並べられていた。

 

 硬い木。柔らかい木。目の詰まった木。色の淡い木。濃い木。澪は1枚ずつ見て、触り、鑑定した。けれど、探しているのはすぐ分かっていた。

 

 硬く、木目が美しく、艶が出る木。

 

 マホガニー。

 

 濃い赤褐色の板を見た時、仕上げ職人の目が変わった。

 

 澪はその板に手を置いた。

 

「この家具は、彫刻で盛るんじゃなくて、マホガニーの木目を見せます」

 

 棟梁が板の端を持ち上げた。

 

「硬いぞ。刃物を食う」

 

 仕上げ職人が、指の腹で木目をなぞった。

 

「だが、磨けば艶が出る。木目も深い」

 

「そこを売ります。写真で木目が見える家具にします」

 

 キャビネット職人は、板の流れを見ながら言った。

 

「扉の左右で木目を合わせるなら、板取りから考える必要がある」

 

「お願いします。そこが価値になります」

 

「板を切る前から、扉の写真を考えるのか」

 

「はい」

 

 棟梁は低く笑った。

 

「面倒な家具だ」

 

「高く売る家具です」

 

 リュシアがすかさず言った。

 

「面倒と高いは、だいたい仲がいいよ」

 

 澪は否定できなかった。

 

 

 

 

 

 サイドテーブルの写真を黒板の横に貼ると、脚物職人がすぐに前へ出た。

 

 澪は方眼紙に簡単な正面図と側面図を描いた。

 

「これは、椅子や寝台の横に置く家具です。飲み物、本、灯りを置きます」

 

 脚物職人は、写真の脚を指で叩いた。

 

「この脚は細い。荷を置いたらぐらつく」

 

「細く見せたいです。でも弱くしたいわけではありません」

 

 棟梁が腕を組む。

 

「補強を見せるのか、隠すのか」

 

「できれば、座って見る高さでは目立たないように」

 

「なら、脚の内側へ逃がす」

 

「逃がす?」

 

「横から見た時に軽く見えるようにして、下から見れば支えがある形だ」

 

 澪は黒板に、脚の内側補強、と書いた。

 

 リュシアが笑う。

 

「見た目は軽く、値段は軽くしないってことだね」

 

「そうです。あと、引き出しを1つ入れたいです」

 

 キャビネット職人が目を細めた。

 

「この大きさで引き出しを入れるなら、前板の木目を天板と喧嘩させるな」

 

「喧嘩」

 

「木目が違いすぎると、そこだけ浮く」

 

 澪はまた黒板に書いた。

 

 引き出し前板、木目確認。

 

 職人たちが黒板を見る。

 

 今まで頭の中でやっていたことが、文字になっていく。

 

 それが面倒そうで、少し面白そうだった。

 

 次に、キャビネットの設計へ移った。

 

 澪は引き伸ばした写真を黒板の横へ移し、扉、引き出し、脚、取っ手、棚板の位置を指で示した。

 

 金具職人が取っ手を見て、鼻を鳴らした。

 

「取っ手が小さい」

 

「目立ちすぎない方がいいです」

 

「飾り金具で売るんじゃないのか」

 

「今回は、木目と形で売ります。金具は触った時に気持ちいいところに使います」

 

 仕上げ職人が、写真の扉をじっと見た。

 

「この扉、板の模様が左右でそろっている」

 

「そこ、大事です。写真で見た時に、木目がつながっていると高く見えます」

 

 キャビネット職人が黒板を見る。

 

「扉の隙間も見られるのか」

 

「見られます」

 

「嫌な国だ」

 

「売れる国です」

 

 澪が言うと、リュシアが笑いをこらえた。

 

 棟梁が写真から目を離し、マホガニーの板を見た。

 

「ただの箱じゃないな」

 

「ただの箱だと、あたしの国で高く売れません」

 

 その言葉で、職人たちの顔つきがまた変わった。

 

 高く売るための、手間。

 

 飾りを減らして、手を抜けない家具。

 

 そこに職人の興味が乗った。

 

 

 

 

 

 設計会議が一段落したところで、澪は収納から工具を出した。

 

 充電式ハンドドリル、ドリルビット、下穴錐、皿取り錐、クランプ、差し金、ノギス、サンダー。丸ノコは、今日は実演だけに留める。安全確認なしに動かすには怖すぎる。

 

 家具職人たちは、ハンドドリルを見ても最初はよく分かっていなかった。

 

「これは、穴を開ける道具です」

 

「手回しではないのか」

 

「回ります」

 

「どうやって」

 

「この中に力を入れてあります」

 

 説明を簡略化しすぎて、セルマが横で少し笑った。

 

 澪は試し材を作業台へ置き、クランプで固定した。

 

「まず、材を固定します。動くと危ないです」

 

 クランプの締めつけに、棟梁が少し反応した。

 

「手で押さえないのか」

 

「押さえてもいいですが、穴を開ける時は動かない方が安全です」

 

 澪は下穴錐を取り付け、スイッチを軽く押した。

 

 短い回転音が工房に響いた。

 

 家具職人たちが、一斉に黙った。

 

 木に、まっすぐ穴が入る。

 

 澪は手を止め、ドリルを離した。

 

「穴が、勝手にまっすぐ入ったぞ」

 

 脚物職人が言った。

 

「勝手ではないです。押し方と角度を間違えると曲がります」

 

 棟梁が穴を覗き込んだ。

 

「だが、手回しより速い」

 

「速すぎるので、割らないでください」

 

 次に、澪は皿取り錐へ替えた。ネジ頭を沈めるための浅い穴を作る。職人たちは、穴の周りが整うのを見て、さらに前のめりになった。

 

「頭を隠す穴か」

 

「はい。表面を平らにしたい時に使います」

 

 金具職人の目が光った。

 

「取っ手の座にも使えるな」

 

「使えます。ただし、深くやりすぎると駄目です」

 

 澪はノギスで板の厚みを測った。

 

 表示を見て、自分で読んで説明する。

 

「これは厚みを見る道具です。数字はあたしが読みます。この板は、さっきの板よりほんの少し厚いです」

 

 仕上げ職人がサンダーを見た。

 

「これは何をする」

 

「表面を均一に磨く道具です。ただし、やりすぎると木目が変になります」

 

 リュシアが後ろから言った。

 

「便利な道具ほど、壊すのも早いってことだね」

 

「はい。木も指もです」

 

 澪が真顔で言うと、職人たちは急に真剣になった。

 

「安全説明をします。指を近づけない。固定する。無理に押さない。音が変なら止める。疲れている時は使わない」

 

 棟梁が頷いた。

 

「道具は速いが、急ぐためだけに使うものではないな」

 

「精度をそろえるためです。職人さんの腕を置き換える道具ではありません」

 

 澪がそう言うと、棟梁は少しだけ満足そうにした。

 

 

 

 

 

 工房の外に太陽電池パネルを出した時、家具職人たちはまた黙った。

 

 セルマ工房での経験があるセルマは、澪の横で慣れた顔をしている。ポータブル電源を工房の隅に置き、延長コードと充電器をまとめる。バッテリー保管棚も作業台の近くに置いた。

 

 家具職人の1人が、太陽電池パネルを指差した。

 

「この板が、力を集めるのか」

 

「光を受けて、こっちの箱に力を貯めます」

 

 澪はポータブル電源を軽く叩いた。

 

「火も水車も使わずに?」

 

 別の職人が聞く。

 

 セルマが答えた。

 

「使いすぎれば空になるわ。セルマ工房でも同じよ」

 

 リュシアが腕を組んだ。

 

「金と同じだね」

 

「電気の説明が急に商人向けになった」

 

 澪はポータブル電源の表示を見た。数字は異世界側の人には読めない。だから、今は半分くらい、あとで光に当てる、使いすぎると止まる、と言い換える。

 

「これは無限ではありません。晴れている日に貯めて、道具の力を戻すために使います。作業灯にも使えます。あと、粉が多い時の風を送る道具にも使います」

 

 仕上げ職人が、サンダーを見た。

 

「磨くと粉が出る」

 

「出ます。吸い込むとよくないので、風と布と掃除も考えます」

 

 棟梁は太陽電池パネルとハンドドリルを交互に見た。

 

「木を切る前に、光を貯める時代か」

 

「たぶん、あたしの国でも全部の工房がそうではないです」

 

「だが、ここではそうする」

 

「はい。ここでは、そうします」

 

 言ってから、澪は少しだけ笑った。

 

 家具工房が、本当に家具工房になり始めている。

 

 

 

 

 

 夕方近く、黒板は白い文字でいっぱいになっていた。

 

 澪はサイドテーブルの工程を書き出した。

 

 木材選定。

 

 板取り。

 

 天板加工。

 

 脚加工。

 

 補強。

 

 引き出し。

 

 金具。

 

 仕上げ。

 

 撮影・寸法記録。

 

 次に、キャビネット。

 

 木材選定。

 

 板取り。

 

 箱組み。

 

 扉。

 

 引き出し。

 

 棚板。

 

 金具。

 

 脚。

 

 仕上げ。

 

 撮影・寸法記録。

 

 その横へ担当を書く。

 

 棟梁。

 

 キャビネット職人。

 

 脚物職人。

 

 仕上げ職人。

 

 金具職人。

 

「今までみたいに、作りながらなんとなく形を決めません」

 

 澪が言うと、棟梁が少し眉を上げた。

 

「職人の勘を使うなということか」

 

「違います。勘を使う場所を、先に決めます」

 

 仕上げ職人が、低く笑った。

 

「面白い言い方をするな」

 

 リュシアが黒板を見上げた。

 

「澪の国では、勘も帳面に書くんだね」

 

「書けるところは書きます。書けないところは、誰が判断したか残します」

 

 キャビネット職人が、黒板の「写真で見える隙間」を見て、嫌そうな顔をした。

 

「この文字、消していいか」

 

「駄目です」

 

「見るたびに気が重い」

 

「現代で売る家具です」

 

「あたしの国、だろう」

 

「あたしの国で売る家具です」

 

 職人たちが少し笑った。

 

 澪は黒板の端に、今度は商流を書いた。

 

 異世界側商会で制作・保管。

 

 押入商会が輸入購入。

 

 現代で家具として転売。

 

「完成品はここで保管します。売る分だけ、押入商会が仕入れます」

 

 家具職人の1人が聞いた。

 

「全部そちらへ運ぶのではないのか」

 

「置く場所がありません。写真と寸法を先に出して、売れる分だけ動かします」

 

 リュシアが頷く。

 

「現物を寝かせる場所はこっち、売る口はあっち。そういう商売だね」

 

「はい。だから、写真、寸法、材質、木目、傷の有無、重量、配送条件を記録します」

 

 金具職人がため息をついた。

 

「家具を作るより、書くことが多い」

 

「高く売るためです」

 

 澪が言うと、リュシアが楽しそうに笑った。

 

「この言葉、便利だね」

 

「便利ですけど、言われる側は嫌だと思います」

 

「だから効くんだよ」

 

 

 

 

 

 会議の終わりに、机の上には2枚の図面が残った。

 

 1つはサイドテーブル。

 

 マホガニーの木目を見せる天板。細く見えるが内側で支える脚。小さな引き出し。座って見る高さでは補強が目立たない形。

 

 もう1つはキャビネット。

 

 左右の木目を合わせた扉。控えめな取っ手。脚で床から少し浮かせた形。写真で見た時に、扉の隙間がまっすぐ通るようにする箱。

 

 黒板の下には、澪の字が残っている。

 

 異世界側商会で制作・保管。

 

 押入商会が輸入購入。

 

 現代で家具として転売。

 

 棟梁が図面を見下ろし、短く言った。

 

「面白い。飾りを減らして、手を抜けない家具だ」

 

 澪は頷いた。

 

「はい。写真で隙間まで見られる家具です」

 

 5人の職人が、少し嫌そうな顔をした。

 

 けれど、その顔は逃げる顔ではなかった。

 

 工房の外では、太陽電池パネルが午後の光を受けていた。中では、黒板の白い文字と、マホガニーの濃い木目が、次の商売の形を作り始めていた。

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