押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第51話 家具、怖い

 

 押入家具商会の工房では、朝から短い回転音が何度も響いていた。

 

 ヴィ、と鳴って、止まる。

 

 また、ヴィ、と鳴って、止まる。

 

 そのたびに、マホガニーの細い脚材へ下穴が入っていく。棟梁は最初、腕を組んだままその様子を見ていた。だが、3本目の脚材に、同じ位置、同じ角度で穴が入ったところで、とうとう黙っていられなくなった。

 

「下穴が揃うと、組み上がりまで違うな」

 

 澪は作業台の横で、保護メガネを掛けたまま頷いた。

 

「はい。穴の位置が揃うと、ネジを入れた時にずれにくいです」

 

 脚物職人は、クランプで固定された脚材を覗き込んでいた。2本の脚材が直角に押さえられ、差し金を当てても角が逃げない。

 

「手で押さえていたら、少しずつ逃げるところだ」

 

「クランプで止めてから作業します。手を入れる場所を減らせるので、安全にもなります」

 

「安全で、速い」

 

 脚物職人は低く言った。

 

「これはまずい」

 

「まずいんですか?」

 

 澪が聞き返すと、脚物職人は、真顔で答えた。

 

「楽しくなる」

 

 リュシアが、工房の入口近くで腕を組み、楽しそうに笑った。

 

「職人がハイになってるね」

 

 実際、職人たちは少しおかしかった。

 

 キャビネット職人は、扉用の板をクランプで仮止めし、ノギスで厚みを確かめ、差し金で角を見るたびに、口元を押さえていた。

 

「扉の隙間が、最初から近い」

 

 それは褒め言葉なのか、恐怖なのか、澪にはよく分からなかった。

 

 金具職人は、皿取り錐で作った浅い穴を指で撫でている。ネジ頭が沈む。金具が浮かない。取っ手の座が、板にぴたりと寄る。

 

「今まで、ここを合わせるのに、どれだけ削ったと思っている」

 

「すみません」

 

「謝るな。腹が立つほど便利だ」

 

 仕上げ職人は仕上げ職人で、サンダーを使った後のマホガニーの面を、斜めから光にかざしていた。均一に整った面に、木目が深く浮かぶ。その後、手で磨くと艶が一段上がる。

 

「機械だけでは駄目だな」

 

 仕上げ職人が言った。

 

「最後は手で触らないと分からない」

 

「はい。そこは職人さんの仕事です」

 

「だが、そこへ行くまでが速い」

 

 仕上げ職人は、嬉しそうに、少し悔しそうに言った。

 

 黒板の工程欄には、白い線が1本ずつ引かれていく。

 

 木材選定。

 

 板取り。

 

 下穴。

 

 皿取り。

 

 仮組み。

 

 補強。

 

 研磨。

 

 仕上げ。

 

 今まで親方の頭の中と職人の手の中にあった流れが、黒板の上で白い文字になり、職人たち自身がそこへ線を引いていく。

 

 澪はその光景を見ながら、思った。

 

 この人たちは、道具に負けていない。

 

 道具で、もっと面倒なことをやろうとしている。

 

 

 

 

 

 最初に安定したのは、サイドテーブルだった。

 

 マホガニーの木目を見せる天板。細く見える脚。座って見る高さでは目立たない内側補強。小さな引き出し。取っ手は控えめで、触ると分かる程度の存在感に抑えられている。

 

 脚物職人が、完成した1台を床へ置いた。

 

 棟梁が天板の角を押す。

 

 ぐらつかない。

 

 キャビネット職人が引き出しを開ける。

 

 引っかからない。

 

 仕上げ職人が天板に手を滑らせる。

 

 木目が手の下で静かに流れる。

 

 澪は鑑定をかけた。

 

----------------------------------

マホガニー・サイドテーブル

 分類:家具/販売候補

 素材:マホガニー

 構造:天板、細脚、内側補強、小引き出し

 木目:良

 脚の安定:良

 引き出し:滑り良

 仕上げ:良

 写真適性:高

 販売候補:可

----------------------------------

 

「写真適性、高いです」

 

 澪が言うと、仕上げ職人が眉をひそめた。

 

「写真適性とは何だ」

 

 リュシアがすぐに答えた。

 

「澪の国では、写真に好かれるかどうかも値段になるんだよ」

 

 脚物職人が完成したサイドテーブルを見下ろした。

 

「家具が写真に好かれる……嫌な国だ」

 

「売れる国です」

 

 澪は真面目に答えた。

 

 嫌な国でも、売れる国なのだ。

 

 2台目は、1台目より早くできた。

 

 3台目は、脚の角度を測る前に、脚物職人が自分でノギスを取りに行った。

 

 4台目になると、黒板の前で棟梁と脚物職人が、内側補強の位置を少し変える相談を始めた。

 

「写真では見えにくく、強度は落とさない」

 

「こっちへ逃がす」

 

「いや、引き出しと干渉する」

 

 澪はその会話を聞いて、黙ってメモを取った。

 

 もう、澪がいちいち指示しなくても、職人たちが「あたしの国で売る家具」の条件を自分たちの言葉に変え始めている。

 

 それが嬉しい。

 

 そして、少し怖い。

 

 なぜなら、できる家具の数が増え始めていたからだ。

 

 

 

 

 

 キャビネットは、もっと面倒だった。

 

 箱組み。扉。引き出し。棚板。脚。金具。仕上げ。

 

 どこか1つがずれると、写真で見た時に分かる。澪がそう言ってしまったせいで、キャビネット職人は、扉の隙間を見るたびに眉間に皺を寄せるようになった。

 

「隙間を見られると言われると、気になって眠れん」

 

「すみません」

 

「だが、揃うと気持ちいい」

 

 澪は返事に困った。

 

 金具職人は、取っ手の取り付け位置を何度も確認している。下穴を開け、皿取りをして、座金を合わせる。取っ手は小さい。目立たない。だが、指をかけると冷たすぎず、角が当たらない。

 

「取っ手が目立たないのに、触ると分かる。こういう金具も悪くない」

 

 金具職人は、少し不本意そうに言った。

 

 澪は鑑定をかける。

 

----------------------------------

マホガニー・キャビネット

 分類:家具/販売候補

 素材:マホガニー

 構造:箱組み、左右扉、引き出し、脚付き

 木目連続:良

 扉隙間:均一

 取っ手:控えめ、触感良

 仕上げ:艶良

 写真適性:非常に高

 販売候補:可

----------------------------------

 

「写真適性、非常に高いです」

 

 キャビネット職人が、勝ったような顔をした。

 

 リュシアが笑う。

 

「文句を言いながら、全員楽しそうだね」

 

「楽しくはない」

 

 キャビネット職人は即答した。

 

 だが、その手は、次の扉板の木目を合わせに行っていた。

 

 仕上げ職人は、扉の左右で木目がつながる位置を確認しながら、低く言った。

 

「次はもっと合わせられる」

 

 棟梁がそれを聞き、苦笑した。

 

「全員、うるさくなったな」

 

「売れてから、もっと言いますよ」

 

 リュシアが言うと、職人たちは嫌そうな顔をした。

 

 でも、誰も手を止めなかった。

 

 

 

 

 

 サイドテーブルとキャビネットが予定より早く仕上がり始めると、棟梁がマホガニーの大きな板を見て言った。

 

「この道具とこの木なら、大きい天板もいける」

 

 澪は、嫌な予感と期待を同時に覚えた。

 

「ダイニングテーブルですか」

 

「そうだ」

 

 脚物職人が、すぐに口を挟む。

 

「椅子もだ。椅子は脚と背で嘘が出る」

 

「椅子も……」

 

 澪は北欧家具カタログで見た価格を思い出した。

 

「あたしの国で椅子1脚10万円級を見ました」

 

 工房が止まった。

 

 職人たちが、ほとんど同時に澪を見た。

 

「椅子で?」

 

「椅子で」

 

 澪は頷いた。

 

 リュシアが、職人たちの顔を見回した。

 

「全員、目が変わったね」

 

 椅子は、小物ではない。

 

 ダイニングテーブルも、小物ではない。

 

 けれど、この工房には保管場所がある。作る職人がいる。現代側に全部持ち込む必要はない。写真を撮り、寸法を書き、売れる分だけ押入商会が仕入れる。

 

 澪は深く息を吸った。

 

「やりましょう。ただし、工程表を作ってからです」

 

 棟梁が黒板へ向かった。

 

「なら、脚からだ」

 

 脚物職人がその横に立つ。

 

「椅子は背の角度も書け」

 

 キャビネット職人が、呆れたように笑った。

 

「箱物だけでは済まなくなったな」

 

 リュシアが満足そうに腕を組んだ。

 

「家具商会らしくなってきたじゃないか」

 

 澪は小さく呟いた。

 

「家具、怖い」

 

 まだ売れてもいないのに、怖かった。

 

 

 

 

 

 現代側の六畳間では、澪が販売ページ作りに追われていた。

 

 北欧風マホガニー家具。

 

 サイドテーブル。

 

 キャビネット。

 

 ダイニングテーブル。

 

 椅子。

 

 写真、寸法、材質、重量、木目の個体差、配送条件、返品条件、輸入仕入れ品であること。

 

 書くことが多い。

 

 多すぎる。

 

 澪はノートパソコンの画面を見ながら、何度も手を止めた。

 

 家具は写真で買われる。

 

 でも、写真で信用を失うこともある。

 

 木目は1台ごとに違う。傷ではない揺らぎもある。重量も書く。搬入経路の確認も必要。返品条件も書く。配送は専門便を使う。六畳間に全部置かない。完成品の大部分は異世界側工房で保管する。

 

「小さくしない。家具として売る」

 

 澪は自分に言い聞かせるように呟いた。

 

 フリマアプリにも一部を出すが、家具は専用ページを作る。写真を並べ、制作風景へ飛べるようにし、職人の手元を見せる。安心して購入できる雰囲気を作る。

 

 ただの「珍しい家具」では足りない。

 

 ちゃんと作っている家具だと思ってもらう必要がある。

 

 澪はスマホを持って、再び押し入れへ向かった。

 

 次は動画だ。

 

 

 

 

 

 家具工房では、澪がスマホを構えるたびに職人たちが微妙な顔をした。

 

「作るところまで見せるのか」

 

 棟梁が言った。

 

「見せます。あたしの国では、どう作っているかを見ると安心する人がいます」

 

「手元を見られるのは落ち着かん」

 

 棟梁はそう言ったが、仕上げ職人は別だった。

 

「だが、磨きは見せたい」

 

 リュシアが目ざとく拾う。

 

「見せたいんだね」

 

「艶が出るところは、見せたい」

 

 仕上げ職人は、マホガニーの板に光を当て、手で磨きながら角度を変えた。濃い木目が、ゆっくりと艶を増していく。

 

 澪はそこを撮った。

 

 ハンドドリルで下穴を開ける手元。

 

 皿取り錐でネジ頭の穴を整えるところ。

 

 サンダーで面を揃え、最後に手で磨くところ。

 

 黒板の工程表に白い線が引かれるところ。

 

 キャビネットの扉を閉めた時、木目が左右でつながるところ。

 

 職人の顔は映しすぎない。手元、木材、道具、工房の空気を中心に撮る。

 

 リュシアが横で見ていた。

 

「職人の顔を出さないのかい」

 

「出しすぎると、いろいろ聞かれます。手元と雰囲気で十分です」

 

「澪の国は、写真だけでなく動画でも面倒だね」

 

「はい。でも、売れます」

 

「便利な言葉だ」

 

 澪は否定しなかった。

 

 

 

 

 

 撮影用に整えた部屋には、完成したサイドテーブルとキャビネットが置かれていた。

 

 マホガニーの濃い木目に、柔らかい布と本、小さな花瓶を合わせる。キャビネットの上には余計な物を置かない。扉を開けた写真も撮る。引き出しに手をかける写真も撮る。

 

 そこへ、エレナが入ってきた。

 

 貴族風の衣装を着ている。熟したチェリーのような赤毛が、きれいに結われ、琥珀色の目がマホガニーの艶と妙に合っていた。

 

 澪は、一瞬だけ言葉を失った。

 

 これは、映える。

 

「家具の横に立つだけでいいの?」

 

 エレナが聞いた。

 

「立つだけではなく、椅子に座ったり、サイドテーブルへ本を置いたり、扉を開けたりしてください」

 

「家具の使い方を見せるのね」

 

「はい。あたしの国では、使っているところが見えると、部屋に置いた時を想像しやすいです」

 

 リュシアが、にやりと笑った。

 

「姫様が広告塔になるわけだね」

 

「あたしの国では、姫様とは言いません」

 

「じゃあ何て言うんだい」

 

「クラシック衣装のモデル、です」

 

 エレナが少し首を傾げた。

 

「クラシック?」

 

「古風で上品、くらいの意味です」

 

「それならいいわ」

 

 エレナはキャビネットの横に立ち、片手を扉の取っ手へ添えた。

 

 澪はスマホの画面越しに見る。

 

 家具の木目。

 

 エレナの赤毛。

 

 衣装の布。

 

 取っ手に添えられた指。

 

 これは家具の写真だ。

 

 家具の写真なのだ。

 

 澪は自分に言い聞かせながら、撮影ボタンを押した。

 

 

 

 

 

 動画を投稿すると、反応は想像より早かった。

 

 澪は六畳間で、スマホのコメント欄を見ていた。タイトルは、北欧風マホガニー家具、職人の手仕事、サイドテーブル制作、キャビネット制作。説明文には、輸入仕入れ品、手仕事、木目の個体差、受注・配送条件を丁寧に書いている。

 

 コメント欄は、まず木目に反応した。

 

 それから、職人の手元。

 

 それから、エレナ。

 

----------------------------------

コメント欄

 

「木目がすごい」

「この職人の手元ずっと見ていられる」

「キャビネットの扉の木目がつながってる」

「モデルさんが映画みたい」

「家具よりモデルが気になる」

「どこの撮影スタジオ?」

「本当に手作りなのに精度高い」

----------------------------------

 

 澪はスマホを見ながら、頭を抱えた。

 

「家具を見てください。いや、見てくれてる。見てくれてるけど、エレナさんも見られてる……」

 

 ただ、結果として家具ページへの流入は増えた。

 

 マホガニーのサイドテーブルに問い合わせが来る。キャビネットの扉の木目について質問が来る。椅子の入荷予定を聞かれる。ダイニングテーブルのサイズ違いはあるかと聞かれる。

 

 澪は返信テンプレートを整え、寸法表を確認し、配送条件を見直した。

 

 六畳間の机の上には、家具の写真、動画のメモ、配送業者のページ、会計メモ、明石さんへの相談下書きが広がる。

 

 家具は大きい。

 

 やることも大きい。

 

 そして数字も、大きくなり始めていた。

 

 

 

 

 

 1か月後。

 

 澪は販売管理画面を見たまま、しばらく動かなかった。

 

----------------------------------

販売管理画面

 

サイドテーブル

 完成数:20台

 販売数:18台

 販売価格:128,000円

 売上:2,304,000円

 

キャビネット

 完成数:10台

 販売数:8台

 販売価格:360,000円

 売上:2,880,000円

 

ダイニングテーブル

 完成数:3台

 販売数:3台

 販売価格:580,000円

 売上:1,740,000円

 

椅子

 完成数:24脚

 販売数:20脚

 販売価格:128,000円

 売上:2,560,000円

 

合計販売済み売上:9,484,000円

完成品総額:10,972,000円

----------------------------------

 

「え、1か月で948万円?」

 

 澪は声に出した。

 

 六畳間は静かだった。静かなのに、画面の数字だけがうるさい。

 

「いや、売上です。利益じゃないです。送料も手数料も仕入れも税金もあります。ありますけど……」

 

 もう一度、数字を見る。

 

 変わらない。

 

「家具、怖い」

 

 怖いので、計算する。

 

 計算しないともっと怖い。

 

 澪はスプレッドシートを開いた。販売価格のおおむね3分の1を、異世界側の押入家具商会への仕入れとして入れる。家具そのものの代金だ。そこから異世界側で、職人給金、木材代、金具代、工房維持費、次回材料費が払われる。

 

----------------------------------

家具販売・仕入れ整理

 

合計販売済み売上:9,484,000円

押入家具商会への仕入れ:約3,161,000円相当

現代側・押入商会の粗利:約6,323,000円

 

設備貸付返済:初月800,000円相当

残額:次月以降返済予定

 

控除・引当:

 販売手数料

 送料

 梱包材

 広告費

 税金見込み

 返品引当

 設備貸付返済処理

----------------------------------

 

「売上、948万4000円」

 

 澪は指で数字をなぞった。

 

「仕入れが、だいたい316万円相当」

 

 さらに電卓を叩く。

 

「現代側の粗利が、約632万円」

 

 そこで、一度息を吸う。

 

「ここから手数料、送料、梱包、広告、税金、返品引当……」

 

 画面を見る。

 

「やっぱり家具、怖い」

 

 怖いが、数字は動いている。

 

 現代円が、入っている。

 

 

 

 

 

 異世界側の押入家具商会では、リュシアが帳面を開いていた。

 

 机の上には金貨と銀貨が小皿ごとに分けられている。職人給金。木材代。金具代。仕上げ材料。工房維持費。次回材料費。設備返済分。

 

 リュシアは、金貨を数えながら笑った。

 

「金貨を寝かせるより、木にして売った方が動くね」

 

 棟梁は給金袋を受け取り、重さを確かめた。

 

「これだけ動くなら、次の材も仕入れられる」

 

 木材商が、工房の端に立てかけられた板を見ながら言った。

 

「マホガニーをもっと見るか」

 

「見るよ。ただし、板取りで売れるものをね」

 

 リュシアが即答する。

 

 金具職人は、自分の取り分を受け取りながら、次の取っ手の形を考えている顔をしていた。仕上げ職人は、仕上げ用の油と布を増やす相談をしている。脚物職人は、椅子の背の角度を黒板に書き始めていた。

 

 金貨が動いている。

 

 職人へ渡り、木材商へ渡り、金具へ渡り、工房へ渡る。

 

 澪が溜めていた金貨が、寝たままではなく、町の中を回り始めていた。

 

 リュシアは帳面を閉じずに、次の小皿へ金貨を移した。

 

「こっちは、澪への道具代の返しだね」

 

 

 

 

 

 六畳間で、澪は明石さんとの通話メモを前にしていた。

 

「家具の仕入れ値と、道具代の返済は分けます」

 

 自分で言いながら、メモに線を引く。

 

「家具は家具として、押入家具商会から買う。工具代は、工房立ち上げの立替金として、押入家具商会に返してもらう」

 

 画面の向こうで、明石さんが頷いた。

 

「分けてください」

 

「混ぜると、明石さんに怒られる」

 

「怒るというより、分けてください」

 

「同じ意味です」

 

「違います」

 

 澪は少しだけ笑った。

 

 木工道具、太陽電池、ポータブル電源、バッテリー、充電器、作業灯。それらは現代側の押入商会が先に購入した。工房立ち上げ用設備として、異世界側の押入家具商会へ貸付、あるいは立替として記録する。

 

 家具の仕入れ代金と、設備貸付返済は別。

 

 広告費も別。

 

 送料も別。

 

 梱包材も別。

 

 税金見込みも別。

 

 全部、別。

 

 澪はメモの端に、小さく書いた。

 

 家具は大きい。

 

 帳簿も大きい。

 

 その下に、さらに小さく書く。

 

 明石さんは怖い。

 

 

 

 

 

 その夜、澪は帳簿を見ていて、ふと手を止めた。

 

 異世界側の金貨を、押入家具商会で職人給金や木材代として使う。

 

 家具ができる。

 

 現代側の押入商会が、家具を輸入購入扱いで仕入れる。

 

 現代で円で売る。

 

 澪には現代円が入る。

 

 構造だけ見ると。

 

 澪は口を開きかけた。

 

「これ、構造だけ見ると……」

 

 そこで、口を閉じた。

 

 家具は本物だ。

 

 職人は働いている。

 

 木材商も金具職人も給金を得ている。

 

 購入者は家具を買って満足している。

 

 帳簿も記録している。

 

 誰も損していない。

 

 澪は、ゆっくり帳簿の摘要欄へ書いた。

 

 押入家具商会より、マホガニー家具仕入れ。

 

 押入商会、国内販売。

 

 設備貸付返済、初月分受領。

 

 そこまで書いてから、もう一度、自分に言い聞かせるように言った。

 

「……家具の輸入販売です」

 

 リュシアがそばにいたら、きっと首を傾げただろう。

 

 何かまずいのかい、と聞いただろう。

 

 澪は答える。

 

 いえ。書類上は、家具の輸入販売です。

 

 ならいいじゃないか、とリュシアは言う。

 

 はい。いいんです。たぶん。

 

 澪は、それ以上考えるのをやめた。

 

 世の中には、考えすぎると寝つきが悪くなる商流がある。

 

 

 

 

 

 翌日、異世界側の家具工房では、黒板がまた白い文字で埋まり始めていた。

 

 サイドテーブル、次回20台。

 

 キャビネット、次回10台。

 

 ダイニングテーブル、天板選定。

 

 椅子、背角度試作。

 

 太陽電池充電、午前。

 

 バッテリー確認、澪。

 

 工具清掃、各自。

 

 キャビネット職人が、黒板の前で腕を組んでいた。

 

「次の扉は、木目をもっと合わせる」

 

 脚物職人は、椅子の背の図を描いている。

 

「椅子は、背の角度を詰めたい」

 

 仕上げ職人は、マホガニーの板を撫でた。

 

「艶はまだ上がる」

 

 棟梁が呆れたように言った。

 

「全員、うるさくなったな」

 

 リュシアが笑う。

 

「売れてるからね」

 

 太陽電池パネルは工房の外で光を受け、ポータブル電源の箱には力が戻っていく。職人たちはもう、その箱をただの奇妙な道具として見ていなかった。ハンドドリルもサンダーも、黒板も、工程表も、工房の一部になり始めている。

 

 澪がいなくても、現場が動く。

 

 それが、この家具事業の一番大事なところだった。

 

 

 

 

 

 六畳間の小さな机の上には、販売管理画面、YouTube動画の再生数、家具工房の写真、帳簿、設備貸付返済メモが並んでいた。

 

 澪は販売管理画面を閉じ、帳簿に最後の行を入れた。

 

 押入家具商会より、マホガニー家具仕入れ。

 

 押入商会、国内販売。

 

 設備貸付返済、初月分受領。

 

 そこまで書いてから、ペンを止める。

 

「……家具の輸入販売です」

 

 もう一度、声に出した。

 

 六畳間の小さな机の上で、現代円の売上と、異世界側の金貨の流れと、マホガニーの木目の写真が並んでいた。

 

 どれも本物だった。

 

 少なくとも、家具は本物だった。

 

 スマホには、エレナがマホガニーのキャビネットの横で微笑んでいる動画のサムネイルが出ている。コメント欄では、家具の木目とモデルの美しさが同じくらい語られていた。

 

 澪は頭を抱えた。

 

「家具、怖い」

 

 その頃、異世界側の家具工房では、職人たちが黒板の前で次のダイニングテーブルの脚の角度について言い争っていた。

 

 太陽電池パネルは、また翌日の光を待っていた。

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