押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第53話 夏の屋台改善計画

 

 市場の石畳は、朝からすでに焼けていた。

 

 まだ昼前だというのに、通りを歩く人々の足取りは重い。屋台の布屋根は日差しを遮っているはずなのに、下へ入ると熱がこもっていて、鍋の湯気と炭の匂いと人の汗が混じり、空気そのものが煮詰まった汁のようになっていた。

 

 リュシアの屋台の横では、子どもたちが木箱に腰掛け、ペットボトルを両手で持っていた。中には、いつもの補水飲料が入っている。ひとりが飲み、フタを閉め、隣の子がうちわで自分の顔を扇ぐ。もう、その動きは珍しいものではなく、暑い日の決まりごとのようになっていた。

 

 澪はそれを見て、少しだけ胸を撫で下ろした。

 

 倒れる子はいない。少なくとも、水を飲むことは覚えている。

 

 けれど、暑い。

 

 とにかく暑い。

 

 補水飲料の木箱は、屋台の調理場に近すぎた。子どもたちの休憩場所も、客が並ぶ場所も、鍋の熱気を受ける場所とほとんど変わらない。日陰はあるが、風の通り道に荷物が積まれている。水場へ行く動線には、空の籠と布袋が置かれていて、通るたびに誰かが足を止めていた。

 

 澪は屋台の周りを1周してから、額の汗を手の甲で拭った。

 

「倒れる人は出ていないけど、屋台の周りが全部暑いですね」

 

 リュシアは焼き台の横で手拭いを首に掛け、笑うでもなく肩をすくめた。

 

「暑い日は、屋台も客も煮えるよ」

 

「煮えない屋台にしましょう」

 

「料理じゃなくて屋台を?」

 

「はい。今日は屋台の方です」

 

 リュシアは少し目を細めた。

 

 その顔は、面倒な話が始まると分かっている顔だった。ただし、面倒でも儲かるかもしれない話なら聞く顔でもあった。

 

「じゃあ、日陰に入ろう。澪が暑さで倒れたら、屋台どころじゃない」

 

「それは困ります」

 

「こっちも困るよ。便利な押し入れが倒れる」

 

「人間として心配してください」

 

「半分はしてる」

 

「半分」

 

 澪はその返事に抗議しようとして、暑さで諦めた。

 

 

 

 

 

 屋台裏の日陰に、薄い木板が立てかけられた。

 

 リュシアの手伝い衆が持ってきたものだ。澪はそこへ炭の欠片で、屋台の位置、通り、井戸へ向かう道、客が並ぶ場所を描いていく。線はまっすぐではないが、場所の関係は分かる。家具工房で黒板を使った時と同じように、澪は考えを目に見える形へ落としていった。

 

 リュシアがその横から覗き込む。

 

「家具工房みたいになってきたね」

 

「黒板は便利です」

 

「澪は何でも黒板に書くね」

 

「書かないと、誰がどこで何をするか分からなくなるんです」

 

 澪は板に、調理場、客の並ぶ場所、補水飲料置き場、日陰休憩場所、うちわ置き場、ミスト場所、水場への動線、冷やすものの管理場所、切り分け台、皮と種の回収箱、と順番に書いていった。

 

 文字を読める者ばかりではないので、横に簡単な絵も描く。甕は丸。切り分け台は四角。うちわは扇形。スイカは縞模様をつけた丸。

 

 トトなら分かるだろうか。

 

 そう思ったところで、後ろから元気な声がした。

 

「今日は冷たい赤い果物、ある?」

 

 振り返ると、トトがうちわを片手に立っていた。リュシアの屋台まわりの子どもたちに混ざって、すっかり休憩場所の一部になっている。前より少し日に焼けた顔で、汗をかきながらも目だけは元気だった。

 

「スイカですね。あります」

 

「やった」

 

 トトが両手を上げる。

 

 そのさらに後ろで、人の流れが少し割れた。

 

 エレナ・ヴァルディスが、護衛を伴って市場の通りから入ってきた。薄い夏向きの外出着を着ているが、見るからに暑そうだった。けれど本人は暑さに負けているというより、暑いからこそ面白いものを見に来た顔をしている。

 

 護衛はその半歩後ろに立ち、人混みと屋台と焼き台を同時に見ていた。視線が忙しい。火、鍋、包丁、子ども、客、屋台の狭さ。全部を警戒している。

 

「ここで、夏の屋台を作り替えるのか?」

 

 エレナが木板を見て、目を輝かせた。

 

 リュシアが軽く頭を下げる。

 

「姫様が来るには暑い場所ですよ」

 

「暑いから見に来ただけだ」

 

 澪は思わず言った。

 

「理由が強い」

 

 護衛が一歩近づいた。

 

「姫様、火の近くには寄りすぎませんよう」

 

「分かっている」

 

 エレナは返事をしたが、視線はもう焼き台の向こうの大きな甕へ向いている。

 

 リュシアがぼそりと言った。

 

「分かってる顔じゃないね」

 

 護衛は聞こえたはずだが、否定しなかった。

 

 

 

 

 

 澪は木板の横に立ち、さっそく本題に入った。

 

「冷えたスイカを配るなら、置き場が問題なんです。あたしの国なら冷蔵庫なんですけど……こっちで、冷やしたまま置く方法ってありますか」

 

 リュシアは少し考えるまでもなく答えた。

 

「冷蔵庫ってのは分からないけど、冷やすだけならあるよ」

 

「あります?」

 

「井戸水だね。大きな甕に井戸水を張って、丸のまま沈める。上から濡れ布をかけて、日陰に置く。切るのは売る直前」

 

 澪は、木板に大きく「大甕」と書き足した。

 

「水冷……」

 

「大店なら地下蔵もある。貴族家なら氷室を持ってるところもあるよ。ただ、市場の屋台で氷を使うのは高い」

 

「氷はあるんですね」

 

「あるにはある。でも屋台で使うもんじゃないね。高いし、溶けるし、運ぶのも面倒だ」

 

 エレナが、そこで少し顎に指を当てた。

 

「侯爵家なら氷は出せる。だが、屋台で毎日使うものではないな。客を招く部屋か、病人のためならともかく、市場で毎日となると無駄が多い」

 

 リュシアが感心したように笑う。

 

「さすが姫様、分かってる」

 

 エレナは少し得意そうな顔をした。

 

 護衛はその後ろで、当然です、と言いたげな顔をしていたが、エレナが得意げに屋台の奥へ一歩出た瞬間、すぐ同じだけ近づいた。

 

「じゃあ、屋台では井戸水と大甕と濡れ布」

 

 澪が確認すると、リュシアは頷いた。

 

「切る直前まで丸のまま。切ったら長く置かない。昼前に売り切る」

 

「残った切り身は?」

 

「出さない。悪くなったら、客も店も損をする」

 

「正しい」

 

 澪は大きく頷いた。

 

 クーラーボックスを持ち込めば、冷たさは保てる。保冷剤もある。けれど、それは澪が来る日にしか成立しない。澪がいない日に真似して、ぬるくなった切り身を出したら危ない。

 

 屋台は、澪の収納で回してはいけない。

 

 リュシアの屋台は、リュシアの手で回らなければならない。

 

 

 

 

 

 澪は、収納からクーラーボックスを出した。

 

 白と青の箱が日陰に置かれると、トトがすぐに近づいた。エレナも、明らかに興味を持っている。護衛が、ほんの少し肩に力を入れた。

 

「これは、あたしの国のクーラーボックスです。冷たいものを入れておく箱です」

 

 リュシアは箱を叩いて、蓋の厚みを見た。

 

「冷やし箱だね」

 

「名前が早い」

 

 トトが蓋に手をかける。

 

「開けていい?」

 

「開けっぱなし禁止です」

 

 エレナも少し身を乗り出した。

 

「少しだけならよいだろう」

 

「姫様もです」

 

「姫様」

 

 護衛が短く呼ぶ。

 

「見ない。少ししか」

 

「見てます」

 

 澪が言うと、エレナは少し不満そうに口を結んだ。

 

 リュシアはそのやり取りを横目で見ながら、蓋を閉じたまま言った。

 

「ただ、澪が来る日にしか冷えないなら、屋台の仕組みにはならないよ」

 

「ですよね……」

 

「井戸水、大甕、濡れ布、日陰。こっちで毎日できる形にする。冷やし箱は澪がいる日の助けだね」

 

「正しい商人……」

 

「商人は、毎日開けるから商人なんだよ。たまに奇跡が来る店は、商売じゃなくて見世物だ」

 

 澪はその言葉を、木板の端に小さく書きそうになって、やめた。

 

 今日の板は、屋台改善用である。

 

 格言帳ではない。

 

 

 

 

 

 大甕は、手伝い衆が2人がかりで運んできた。

 

 井戸水を張ると、甕の内側が濡れて黒く光る。リュシアが丸のままのスイカをそこへ沈めると、水面が大きく揺れた。上から濡れ布をかけ、日陰に置く。布の端から水がぽたりと落ちた。

 

 澪は木板へ、次々に書き込む。

 

 大甕置き場。

 

 井戸水交換担当。

 

 濡れ布担当。

 

 日陰位置。

 

 切り分け台。

 

 手洗い用水。

 

 皮と種の回収箱。

 

 子どもの休憩場所。

 

 昼前売り切り。

 

 残った切り身は出さない。

 

「切ったスイカを置きっぱなしにしない」

 

「丸のまま冷やして、切ったらすぐ出す」

 

 リュシアが同じ意味を、屋台の言葉に直して確認する。

 

「皮と種の回収箱も要ります」

 

 澪が言うと、トトが手を上げた。

 

「種、植えたら生える?」

 

「試験栽培なら、別に分けましょう。食べる場所には撒かないでください」

 

 エレナも目を輝かせた。

 

「庭に植えたらどうなる」

 

 護衛が即座に言った。

 

「庭師が驚きます」

 

 リュシアが笑う。

 

「姫様、食べる場所で畑を始めるんじゃないですよ」

 

「分かっている。食べる場所ではしない」

 

 エレナの言い方は、食べる場所以外ならやる、という響きだった。

 

 澪は、試験栽培用の種を別袋に分ける、と板の隅に書いた。

 

 たぶん、これは後で誰かが本当にやる。

 

 

 

 

 

 次は、屋台の外側だった。

 

 手伝い衆が日よけ布を張り直す。布の端を柱に結び、客が並ぶ場所へ影が落ちるように角度を変える。荷物の山をひとつどかすと、通りから風が抜ける道ができた。打ち水用の桶を置き、朝と昼前に水を撒く場所を決める。

 

 澪は収納から少量の清潔な水を出し、細かな霧にして日陰へ散らした。

 

 トトがすぐに手を伸ばす。

 

「もう一回!」

 

「水を使うので、やりすぎません」

 

 エレナも手の甲に霧を受けて、目を丸くした。

 

「これ、客間の庭でも使えるのではないか」

 

 護衛がすぐ横へ来る。

 

「姫様、まず屋台の方を」

 

 リュシアが商人の顔になる。

 

「姫様、それは高い方の使い道ですね」

 

「やっぱり売る方に考えましたね」

 

 澪が言うと、リュシアは悪びれない。

 

「暑いんだから、涼しいものは売れるよ。ただ、屋台ではミストだけでは駄目だね」

 

「ミストだけでは涼しくなりません。日陰と風と一緒に使います」

 

「水をまいて、布で日を切って、風を通す。そこに細かい水だね」

 

「そうです」

 

 リュシアは木板の端を指で叩いた。

 

「収納持ち候補には、水運びとミストの練習をさせるよ」

 

「人材育成になってる……」

 

「暑さ対策は、人を動かさないと続かないからね」

 

 リュシアは簡単に言ったが、そこが大事だった。

 

 うちわも、補水飲料も、ミストも、勝手には動かない。誰かが置き、配り、声をかけ、片付ける。屋台を夏に強くするというのは、物を置くことではなく、人の動きを変えることだった。

 

 

 

 

 

 澪は次に、体の中から冷やすものの話をした。

 

 冷たい飲み物は大事だ。補水飲料は続ける。けれど、暑い日の昼に、それだけでは足りない人もいる。反対に、冷たい水ばかり飲むと腹を冷やしすぎる人もいる。

 

「冷たい飲み物だけだと、お腹を冷やしすぎるかもしれません。少し塩の入った、冷えた薄いスープなら、汗をかいた人にも出しやすいです」

 

 リュシアはすぐに言った。

 

「飲み物と飯の間だね」

 

 トトが首を傾げる。

 

「飲むご飯?」

 

「だいたい近いです」

 

 エレナは少し意外そうだった。

 

「冷たいスープを屋台で出すのか?」

 

「暑い日用です。野菜とか豆とか、少し薬草を入れてもいいかもしれません。薬にしすぎないで、軽い食事です」

 

「薬にしすぎない、というのは?」

 

「薬っぽい味になると、子どもが逃げます」

 

 トトが真顔で頷いた。

 

「苦いのは逃げる」

 

「証言が出ました」

 

 リュシアは腕を組んだ。

 

「暑い日に売れるよ。熱い汁はきついけど、冷えた汁なら入る」

 

「ただし、作り置きしすぎない。昼前に売り切る」

 

「屋台は残すと損、悪くなるともっと損だ」

 

 澪は小さく頷いた。

 

 冷製スープは、補水飲料とは別だ。水分補給のための飲み物ではなく、暑い日の休憩食。少量。塩分。野菜。豆。薬草はほんの少し。壺ごと井戸水や石蔵で冷やす。

 

 ここまでは、リュシア側だけでも回せる。

 

 問題は、そこへ何を合わせるかだった。

 

 澪は収納から、白い細い束を取り出した。

 

 

 

 

 

 そうめんの束を見たリュシアが、まず眉を上げた。

 

「細いね」

 

 トトが覗き込む。

 

「糸?」

 

「これは、あたしの国の細い麺です。暑い日に、冷やして食べます」

 

「麺を冷やすのかい」

 

 リュシアが聞く。

 

 エレナも不思議そうに言った。

 

「麺は温かいものではないのか?」

 

「冷やします。で、冷えたスープとか、つゆにつけます」

 

 トトがすぐに聞いた。

 

「汁に入れるんじゃなくて?」

 

「つけます」

 

 リュシアも同じところで止まった。

 

「汁に入れるんじゃなくて、つける?」

 

「つけます」

 

 護衛まで、ぽつりと復唱した。

 

「……麺を、汁につける」

 

「護衛さんまで復唱しないでください」

 

 護衛は少しだけ視線を逸らした。

 

 トトがさらに聞く。

 

「なんで?」

 

 リュシアがトトの頭を軽く押さえた。

 

「食べてから聞きな」

 

 子どもたちが集まり、そうめんの束をじっと見る。細い。白い。乾いている。屋台で見慣れた麺とは、明らかに違う。

 

「麺を水で冷やすの?」

 

「はい。茹でて、水で締めます」

 

 リュシアが言った。

 

「締めるって、麺を縛るわけじゃないんだね」

 

「違います」

 

「澪の国の料理言葉は、たまに物騒だね」

 

「そうですか?」

 

 澪は首を傾げながら、鍋の準備に入った。

 

 

 

 

 

 屋台裏の調理場で湯が沸くと、熱気が一気に上がった。

 

 それだけで、調理場と休憩場所を分ける必要があることが全員に伝わった。日よけ布の下にいるとまだましだが、鍋の横は暑い。澪はそうめんを湯へ入れ、細い麺が白く揺れるのを箸でほぐした。

 

 トトと子どもたちは、少し離れた場所から覗き込んでいる。

 

 エレナも興味を隠せず近づこうとし、護衛がさりげなく横へ移動して距離を測った。火と鍋と姫様の距離を、目でずっと測っている。

 

「茹でたら水で冷やします。ぬるいままだとおいしくないです」

 

 澪は茹で上がった麺をざるへ上げ、用意した水へさらした。白い麺が水の中で揺れ、熱が抜ける。手で軽く洗うようにして締めると、麺の表面がきゅっとした。

 

「冷たい麺、変」

 

 トトが言う。

 

「だが、きれいだ」

 

 エレナが小さく言った。

 

 リュシアは麺の細さをじっと見ている。

 

「この細い麺を、麦で作るなら職人がいるね」

 

「最初は短く切った細麺でもいいと思います」

 

「麺職人に聞くよ」

 

 その返事が早い。

 

 澪は、また新しい仕事が増えた気がしたが、今回は黙っておいた。

 

 そうめんは見本だ。

 

 継続供給はしない。

 

 ここでリュシアが現地の細い麦麺へ置き換えると言った時点で、話は正しい方向へ進んでいる。

 

 

 

 

 

 冷えた薄味スープは、小さな壺で用意した。

 

 井戸水で冷やした壺から、小鉢へ少しずつ注ぐ。野菜の甘みと塩気がある。豆のとろみがわずかに残り、薬草は香り程度で、苦くならないように抑えた。

 

 澪はそうめんを少量ずつ取り、冷えたスープの小鉢へつけて食べてみせた。

 

「こうです。全部入れっぱなしにしないで、食べる分だけつけます」

 

 トトが真似をした。

 

 そして、麺を落とした。

 

「あ」

 

「ゆっくりでいいです」

 

 エレナは上品に食べようとして、逆に麺の端を持て余していた。護衛が無表情で、なぜか一度でうまく食べる。エレナがそれを見て、少し悔しそうな顔をした。

 

「慣れているのか?」

 

「初めてでございます」

 

「初めてでそれなのか?」

 

 護衛は何も言わず、小鉢を置いた。

 

 トトは2回目で成功した。冷たい麺とスープを口に入れ、目を丸くする。

 

「もう一回」

 

「ゆっくり食べてください。お腹が冷えます」

 

 リュシアは小鉢を持ったまま、少し黙った。

 

 商人の顔になっている。

 

「これは、飲み物と飯の間だね」

 

「夏の軽食です」

 

 エレナも、ようやく麺を口に運んだ。冷えたスープを含んだ細い麺が、暑さで重くなっていた喉をすっと通る。驚いたように目が開いた。

 

「屋台で食べるものなのに、涼しいのだな」

 

 護衛が小さく身を乗り出す。

 

「姫様、汁が袖に」

 

「分かっている」

 

 リュシアが笑った。

 

「姫様、それが売り文句になりますよ」

 

「姫様を売り文句にしないでください」

 

 澪がすぐに言うと、リュシアは悪びれない。

 

「少量で出す。昼だけ。暑い日に売る。これはいけるよ」

 

「そうめんは見本です。次からは現地の細い麦麺で」

 

「分かってる。澪が来ないと出せない飯にはしない」

 

 澪はその言葉を聞いて、安心した。

 

 今日の目的は、珍しい食べ物を見せることではない。

 

 リュシアの屋台が、暑い日に自分で回せるメニューを持つことだった。

 

 

 

 

 

 食べ終わったあと、木板の前に全員が戻った。

 

 リュシアは腕を組み、澪は炭を持つ。トトは皮と種の回収箱の横に立ち、エレナは日よけ布の下から屋台全体を見ている。護衛は、そのエレナと火元の間に自然に立っていた。

 

 澪は板へまとめていく。

 

 補水飲料は継続。休憩時に必ず飲む。

 

 打ち水は朝と昼前。

 

 日よけ布は客の列と休憩場所へ。

 

 風通しのため、荷物をどかす。

 

 うちわは休憩場所へ。

 

 ミストは収納持ち候補が練習。多用禁止。

 

 スイカは丸のまま大甕。切る直前。昼前売り切り。

 

 皮と種は回収箱。

 

 冷製スープは少量。壺ごと冷やす。

 

 冷製麺は現地細麦麺で試作。

 

 熱い調理場と涼む場所を分ける。

 

 最後に、澪は少し大きく書いた。

 

 澪が来ない日でも回す。

 

「一番大事なのは、あたしが来ない日でも回ることです」

 

 リュシアは頷いた。

 

「そこは分かってる。澪が来る日は助かる。でも商売は、澪の顔色を見て開けるもんじゃない」

 

「言い方」

 

「正しいだろう?」

 

「正しいです」

 

 トトが回収箱を少し持ち上げた。

 

「皮と種の箱、こっちがいい」

 

「理由は?」

 

「食べるところの横だと、みんな入れる」

 

 リュシアがすぐに頷く。

 

「いいね。現場の意見だ」

 

 エレナは日よけ布の端を見上げた。

 

「日陰の席、もう少し布を広げた方が見た目も涼しい」

 

 リュシアが目を向ける。

 

「貴族の目から見ても、そこは大事ですか」

 

「暑そうな席には座りたくないものだ」

 

 護衛が短く付け加えた。

 

「火元と客席の間は、もう少し空けた方がよろしいかと」

 

 澪はその言葉をすぐに板へ書いた。

 

「安全動線ですね。書きます」

 

 リュシアが護衛を見る。

 

「護衛さんも、いい目をしてるじゃないか」

 

「姫様が近づきそうな危険を見るのが仕事です」

 

 エレナは少しだけ不満そうにしたが、否定はしなかった。

 

 

 

 

 

 昼過ぎ、リュシアは試験営業を始めた。

 

 客の並ぶ場所は、日よけ布の影にずらした。補水飲料の木箱は、調理場から離れた休憩場所へ移した。大甕には丸ごとのスイカが沈み、濡れ布がかけられている。切り分け台の横には手洗い用の水と、皮と種の回収箱が置かれた。

 

 トトは回収箱の係になっていた。

 

「皮と種はこっち!」

 

 小さな声なのに、妙に通る。

 

 子どもたちはスイカを食べ終えると、皮と種を箱へ入れる。ひとりが種を手の中に隠そうとしたが、トトが目ざとく見つけた。

 

「畑にする種は、別!」

 

「えー」

 

「別!」

 

 リュシアは冷製スープを小鉢で出した。客が最初は不思議そうに見たが、暑さに負けて一口飲むと、表情が変わった。

 

「熱い汁より、こっちがいい」

 

 別の客は、細麺を冷たい汁につけながら首を傾げた。

 

「麺をつけるのは変だが、食いやすい」

 

 リュシアは笑って言った。

 

「変でも売れればいいんだよ」

 

 澪は横でメモを取る。

 

「食べ方の説明札、作りましょう」

 

 エレナは日陰の端に座り、小鉢を両手で持っていた。護衛が近くに立ち、人の流れを見ている。

 

「屋台で食べるのは、思ったより楽しいのだな」

 

 エレナが言うと、護衛がすぐに低い声で注意した。

 

「姫様、お声が少し」

 

 リュシアも笑いながら釘を刺す。

 

「姫様、楽しい顔をしすぎると目立ちますよ」

 

「もう遅い気がする」

 

 エレナはそう言いながら、もう一口、冷たい麺をつけた。

 

 澪はその様子を見て、少しだけ笑った。

 

 夏仕様の屋台は、まだ完璧ではない。

 

 細麺は改良が必要だ。スープの濃さも、もう少し調整した方がいい。日よけ布の位置も、客が増えたら足りなくなるかもしれない。ミストは使いすぎないようにする必要がある。水場への動線も、昼の混雑ではもう一度見直すことになる。

 

 でも、動いている。

 

 ただの案ではなく、屋台が変わっている。

 

 

 

 

 

 夕方になると、市場の熱も少しずつ引き始めた。

 

 手伝い衆が大甕の井戸水を替え、濡れ布を広げて干す。スイカの皮と種は分けられ、種の一部は試験栽培用の小袋へ入れられた。冷製スープの壺は空になっている。澪が持ち込んだそうめんの見本も、きれいになくなった。

 

 木板には、明日の改善点が増えていた。

 

 日よけ布、もう1枚。

 

 回収箱の位置、少し前。

 

 冷製スープ、塩を少し調整。

 

 麺、短めも試す。

 

 火元と客席、さらに離す。

 

 澪は木板の最後に、もう一度大きく書いた。

 

 澪がいない日でも回す。

 

 その横に、リュシアが炭を取って、少し小さく書き足した。

 

 売れるなら、もっと回す。

 

「商人の追記が強い」

 

 澪が言うと、リュシアは平然としていた。

 

「売れる仕組みは、回さないともったいないだろう」

 

 トトは皮と種の回収箱を抱え、誇らしそうに胸を張っている。

 

「明日もこれやる」

 

「明日も暑ければね」

 

「暑いよ」

 

 トトは断言した。

 

 エレナは日よけ布の下で、名残惜しそうに空になった小鉢を見ていた。護衛はその背後で、次に来る時の安全な立ち位置をすでに探しているようだった。

 

「次は、最初から客として来る」

 

 エレナが言う。

 

 リュシアはすかさず返した。

 

「姫様、身分を隠す練習からですね」

 

 護衛が小さくため息をついた。

 

 日陰では、子どもたちがうちわを動かしながら、最後の冷たい麦麺を分け合っている。大甕の中では、明日の分のスイカが丸のまま井戸水に沈んでいた。

 

 暑い市場の屋台は、少しだけ、夏に強くなっていた。

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