押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第63話 異世界混乱5

 

 セルマの工房へ向かう途中、澪は手帳を開いて、すぐに閉じた。

 

 開けば、書くことが増える。

 

 書かなければ忘れる。

 

 どちらを選んでも負けている気がした。

 

 石畳の道を歩くアルベルトの足取りは、相変わらず迷いがない。横には記録用の板を抱えた文官がいて、少し後ろを家令が歩いている。リュシアも同行していた。市場側の話が出るなら自分も聞く、と言ってついてきたのだ。

 

 澪は、その横で小さく息を吐いた。

 

「職業別説明会って、言葉だけ聞くと大学のオリエンテーションみたいなんですよね」

 

「また澪の国の言葉かい」

 

 リュシアが横目で見る。

 

「はい。人が集められて、説明を聞いて、紙をもらって、だいたい一回では理解できないやつです」

 

「嫌な予感しかしないね」

 

「私もです」

 

 澪がそう答えたところで、工房の扉が見えた。

 

 いつものように、工房の前には素材を入れた木箱が積まれている。乾いた草の束、砕いた石、瓶に入った粉、よく分からない金属片。扉の隙間からは、薬草と金属と熱の混じった匂いが流れてきた。

 

 中から、何かを磨く音がする。

 

 扉を叩く前に、内側から開いた。

 

 セルマが立っていた。

 

 派手な驚きはない。慌てた様子もない。ただ、目の奥に、すでにいくつかの答えを並べて待っていた人の静けさがあった。

 

「そろそろ来ると思っていたわ」

 

 澪は一瞬、言葉を失った。

 

「ええと、まだ何も説明してません」

 

「だから、そろそろ説明に来ると思っていたの」

 

 セルマは澪を見て、少しだけ笑った。

 

「工房の中でも、もう始まっているから」

 

 その言い方で、澪は手帳を抱え直した。

 

 やっぱり、ここにも届いていた。

 

 アルベルトが一礼する。

 

「急な訪問を許してほしい」

 

「急ではないわ。こちらも、偶然で片づけるには少し多すぎると思っていたところよ」

 

 セルマは扉を大きく開けた。

 

「入って。話は中で聞くわ」

 

 工房に足を踏み入れると、いつもの作業音が澪を包んだ。

 

 水を張った桶で素材を洗う音。石をすり潰す音。瓶を置く音。奥では小さな火が灯り、錬金釜のそばで弟子が何かをかき混ぜている。

 

 なのに、工房の空気はいつもより少し張っていた。

 

 弟子たちが、澪たちを見る。

 

 好奇心。

 

 不安。

 

 そして、自分にも何か起きているのではないかという、落ち着かない期待。

 

 セルマは作業台の前に立つと、澪を促した。

 

「それで、何が起きているの」

 

 澪はうなずいた。

 

 そして、説明を始めた。

 

 世界改変。

 

 レベル。

 

 ジョブ。

 

 スキル。

 

 教会での職業確認。

 

 司祭様にも表示が見えたこと。

 

 市場で商人たちがざわついたこと。

 

 リュシアに鑑定の芽が出たこと。

 

 農場作業員に作物観察の芽が出たこと。

 

 帳簿係が数字のずれに気づきやすくなったこと。

 

 訓練生に剣術の芽が出たこと。

 

 話しながら、澪は自分でも、説明が横へ横へ広がっていくのが分かった。説明しているはずなのに、途中で説明の枝が増えていく。

 

 セルマはしばらく聞いていたが、やがて片手を上げた。

 

「澪、落ち着いて。今の説明だと、聞いた人が先に疲れるわ」

 

 澪は固まった。

 

「私も疲れてます」

 

「でしょうね」

 

 セルマは小さく笑った。

 

 責める笑いではない。作業台に散らかった道具を見て、まず分類しましょう、と言う時の顔だった。

 

「つまり、神様が人の仕事や成長を見える形にし始めた。教会では職の確認ができる。けれど、仕事の中で起きる変化は、それぞれの現場で見ないと分からない。そういうことね」

 

 澪は少しだけ救われた。

 

「はい。かなり整理されました」

 

「澪、説明する相手を間違えると、今度はあなたが迷子になるわ」

 

「もう半分くらい迷子です」

 

「半分で済んでいるなら、まだ戻れるわね」

 

 セルマはそう言って、作業台の方へ視線を移した。

 

 

 

 

 

 セルマは、桶のそばで素材を洗っていた弟子を呼んだ。

 

 まだ若い少女で、手には濡れた草の根が握られている。慌てて手を拭こうとしたが、セルマがそれを止めた。

 

「そのままでいいわ。さっき言っていたことを、もう一度」

 

 弟子は緊張した顔で澪たちを見た。

 

「ええと……いつも洗っている根なんです。でも、今日は乾き方が違うものが分かるというか、同じ束の中でも、こっちは水を吸いすぎているとか、こっちは中まで乾いているとか、そういうのが気になって」

 

「前から見えていた?」

 

「いえ。前は、汚れが落ちたかどうかくらいしか見ていませんでした」

 

 セルマはうなずいた。

 

「それから?」

 

「混ぜる前の粉も、少し違って見えました。まだ混ぜていないのに、これを先に入れたら固まりそうだな、と」

 

 弟子は自信なさそうに言う。

 

「勘違いかもしれません」

 

「一人だけなら、そう思ったわ」

 

 セルマは奥の棚へ視線を向けた。

 

「でも、鍋を直していた職人は、叩く場所が分かる気がすると言った。別の子は、瓶に残った水気が気になると言った。偶然にしては、方向が揃っているの」

 

 澪は工房を見渡した。

 

 素材を洗う桶。

 

 乾燥棚。

 

 金具を置いた台。

 

 錬金釜。

 

 どれも今までと同じに見える。

 

 けれど、その中で働く人たちの目が、昨日と少し違っている。

 

 セルマが静かに言った。

 

「工房の中でも、もう始まっているのね」

 

 澪はうなずいた。

 

「はい。たぶん」

 

 アルベルトは、弟子たちの手元を見ていた。

 

「ここで起きていることは、市場や農場より静かだな」

 

「工房は大声を出すと手元が狂うわ」

 

 セルマがさらりと言った。

 

「でも、静かでも危ないものは危ない」

 

 その一言で、澪は背筋を伸ばした。

 

 錬金術の工房で、見えるものが増える。

 

 それは便利なだけではない。

 

 間違えれば、危険も増える。

 

 

 

 

 

「セルマさん……じゃなくて、セルマ。鑑定してもいいですか」

 

 澪は言いかけて、慌てて言い直した。

 

 セルマが少しだけ目を細める。

 

「変なところで気を遣うのね。いいわ」

 

 アルベルトも静かにうなずいた。

 

「必要な確認だ」

 

 澪はセルマを見る。

 

 落ち着いた立ち姿。

 

 作業台の上の素材を一瞥するだけで、どれがどの工程に使われるか分かっている目。

 

 それを鑑定する。

 

----------------------------------

セルマ

 分類:人間/錬金術師

 役割:工房主/素材加工

 現在ジョブ:錬金術師

 レベル:12

 既得スキル:錬金:7

 既得スキル:素材判断:6

 既得スキル:調合:5

 既得スキル:安定化:5

 既得スキル:工房管理:4

 未開放系統:あり

 注意:既存技能が職業系統に再整理されています

----------------------------------

 

 澪は表示を読んで、少し安心した。

 

 知らない強力な名前はない。

 

 突然、変なものが生えたわけではない。

 

 セルマが今まで積み上げてきた仕事が、分かりやすい名前で整理されている。

 

 澪が内容を伝えると、セルマは少し考えた。

 

「新しい力をもらった、というより、今までの仕事に名前がついた感じね」

 

「たぶん、それです」

 

 澪はうなずいた。

 

「錬金とか素材判断とか、もともとセルマがやっていたことが、ジョブとスキルに整理されて見えてます」

 

 アルベルトが、その言葉に反応した。

 

「それは重要だな」

 

「重要、ですか」

 

「人に説明する時に、突然別人になるわけではないと言える。積み上げたものが見えやすくなる、と」

 

 セルマがうなずく。

 

「その方が、工房の者にも伝わりやすいわ。急に天から力が落ちてきたと言われるより、昨日までの手仕事が形になったと言われた方が、手が浮かれにくい」

 

「手が浮かれる」

 

 澪が繰り返すと、セルマは弟子の方をちらりと見た。

 

「浮かれた手は、薬瓶を落とすの」

 

 弟子がびくっとした。

 

 澪は、セルマの工房では比喩が具体的に危険だと思った。

 

 

 

 

 

 次に、セルマは素材洗浄をしていた弟子を前へ呼んだ。

 

 弟子はさらに緊張した。

 

「私はまだ何もできません」

 

「だから見るの」

 

 セルマは落ち着いて言った。

 

「何ができるかではなく、何に気づいたか」

 

 弟子は、少しだけ肩の力を抜いた。

 

 澪は鑑定する。

 

----------------------------------

錬金工房の弟子

 分類:人間/工房従事者

 役割:素材洗浄/下準備

 現在ジョブ:錬金術師見習い

 レベル:1 → 2

 既得スキル:下準備:1

 芽生え:素材観察:1

 未開放系統:あり

 注意:反復作業により素材の状態に気づきやすくなっています

----------------------------------

 

 澪が読み上げると、弟子の顔がぱっと明るくなった。

 

「錬金術師見習い……」

 

 その声には、喜びがにじんでいた。

 

 セルマはすぐに釘を刺した。

 

「見習いは見習いよ。素材を洗う手を抜いていい理由にはならないわ」

 

 弟子は慌ててうなずく。

 

「はい!」

 

「むしろ、気づくなら余計に丁寧に洗いなさい。汚れに気づいて、残したままにしたら、それは見えない時より悪いわ」

 

「はい!」

 

 澪は、その説明に感心した。

 

 ただ喜ばせない。

 

 ただ抑えつけもしない。

 

 見えるようになった分、責任も増える。

 

 セルマはそれを、工房の言葉で弟子に戻している。

 

 アルベルトも、そのやり取りを見ていた。

 

 制度としてどう書くかではなく、現場でどう伝えるか。

 

 それが、この工房にはある。

 

 

 

 

 

 奥から、若い職人が呼ばれた。

 

 彼は近くの工房に出入りしている職人で、今日は壊れた鍋の縁を直しに来ていたらしい。手には小さな槌を持っている。鍋は作業台の上に置かれ、縁が少し歪んでいた。

 

「昨日までは、どこを叩いても同じように思えたんです」

 

 若い職人は、鍋の縁に指を添えた。

 

「でも今日は、ここを叩くと戻る、ここは叩くと余計に曲がる、そういうのが気になるんです。見えるというより、手が嫌がるというか」

 

 リュシアが小声で言う。

 

「商人の値札と似てるね」

 

「職人の手の値札ですか」

 

 澪が返すと、若い職人が困った顔をした。

 

「値札ではないです」

 

「すみません」

 

 澪は素直に謝った。

 

 鑑定する。

 

----------------------------------

若い職人

 分類:人間/職人

 役割:道具修理/金具調整

 現在ジョブ:細工師見習い

 レベル:1 → 2

 既得スキル:手仕事:1

 芽生え:修理感覚:1

 未開放系統:あり

 注意:反復作業により道具の歪みに気づきやすくなっています

----------------------------------

 

 セルマは表示を聞き、少し目を細めた。

 

「これは錬金術師だけではないわね」

 

 澪はうなずく。

 

「はい。職人系です」

 

「素材を見る目と、形を直す手は、似ているけれど別の仕事よ」

 

 セルマは鍋の縁を指でなぞった。

 

「錬金術師は素材の性質を見る。職人は形と使い心地を見る。重なるところはあっても、同じに扱うと危ないわ」

 

 澪は、自分のスキルツリーを思い出した。

 

 商人系。

 

 錬金術師系。

 

 職人系。

 

 分けて表示されていた理由が、少し分かった気がした。

 

「職人系説明会と錬金術師系説明会、同じ工房でも分けた方がいいかもしれません」

 

「そうね」

 

 セルマは即答した。

 

「同じ場所でやっても、見るものは分ける。素材を見る時間と、道具を直す時間を混ぜない方がいいわ」

 

 文官がすぐに記録した。

 

 澪は、文官の筆の速さにも、そろそろスキルが芽生えそうだと思った。

 

 言わないでおいた。

 

 

 

 

 

 アルベルトは、作業台の上の鍋と素材を見比べてから、セルマへ向き直った。

 

「職人・錬金系の説明役を頼みたい」

 

 セルマはすぐに返事をしなかった。

 

 作業台の端に置かれた乾燥中の素材を少しずらし、空いた場所に手を置く。

 

「範囲を決めましょう」

 

 その言葉は、引き受ける前の線引きだった。

 

「錬金術師や職人の仕事の中で何が起きているかは見ます」

 

 セルマは一つずつ、道具を分けるように言葉を置いた。

 

「でも、職を変えるかどうかは教会」

 

 司祭様が同行していればうなずいたであろう言葉だった。今日は教会側から助祭が一人、記録のためについてきていた。その助祭が小さく頭を下げる。

 

「記録と通達は侯爵家」

 

 文官が筆を止めずにうなずく。

 

「商売に乗せるかどうかは商人」

 

 リュシアが腕を組む。

 

「そこは見るよ。危ないものを便利だからって売ったら、あとで店ごと沈むからね」

 

「私は工房で、危ない芽と役に立つ芽を見分けるだけです」

 

 セルマの声は静かだった。

 

 だが、その静けさの中に、ここから先は持ち込まないで、という強さがあった。

 

 アルベルトはうなずいた。

 

「その線引きでいい。制度全体を君に預けるつもりはない。侯爵家は全体の記録と調整を担う」

 

「なら見ます」

 

 セルマは短く答えた。

 

 澪は、胸の奥が少し軽くなるのを感じた。

 

 誰か一人が全部背負う話ではなくなってきている。

 

 商人は商人。

 

 教会は教会。

 

 侯爵家は侯爵家。

 

 工房は工房。

 

 その当たり前の分担が、今はとてもありがたかった。

 

 

 

 

 

 話が一段落したところで、澪は手帳を開いた。

 

 職人・錬金系説明会。

 

 素材洗浄の弟子。

 

 若い職人。

 

 セルマ工房。

 

 教会確認。

 

 侯爵家記録。

 

 商人側判断。

 

 書いているうちに、またページが埋まっていく。

 

 セルマがそれを見た。

 

 少しだけ笑った。

 

「澪、まさか一人で説明して回るつもりだった?」

 

 澪は即答した。

 

「つもりはないです。ないんですけど、気づいたら説明役に置かれてます」

 

「それは、早めに分けた方がいいわ」

 

「分けたいです。すごく分けたいです」

 

「説明する相手を間違えると、今度はあなたが迷子になるわ」

 

 澪は手帳を見下ろした。

 

 すでに少し迷子である。

 

「セルマ、戻り道を教えてください」

 

「まず、あなたが説明することと、説明しないことを分けなさい」

 

 セルマは作業台を指で軽く叩いた。

 

「工房のことは私が見る。商売のことはリュシアたちが見る。職を変える話は教会。記録は侯爵家。澪は、見えたものを必要な相手に渡すだけでいいわ」

 

 リュシアがにやりとした。

 

「澪、渡すだけだってさ」

 

「その“だけ”が増殖するんですよ」

 

「増えたら分けるんだよ」

 

 セルマが言った。

 

「工房ではそうするわ。材料も作業も、一つの台に積みすぎると壊れるから」

 

 澪はその言葉に、少しだけ救われた。

 

 説教ではない。

 

 仕事の分け方として言ってくれている。

 

 それが、今の澪にはありがたかった。

 

 

 

 

 

 セルマ工房で、職人・錬金系の説明会を行う方針はすぐにまとまった。

 

 ただし、人を詰め込むことはしない。

 

 工房は作業場だ。素材も火も瓶もある。市場の広場のように人を入れれば、説明会ではなく事故になる。

 

 家令が人数を確認する。

 

「最初は工房主、見習い代表、道具修理をする職人、素材採取担当。このあたりに絞りましょう」

 

「作業台の周りに立てる人数までね」

 

 セルマが言う。

 

「口だけで説明しても、たぶん分からないわ。素材を見せて、触って、どこが違うかを比べた方が早い」

 

 澪は、セルマらしいと思った。

 

 現物を出す。

 

 触らせる。

 

 比べさせる。

 

 それが工房の説明なのだ。

 

 アルベルトは文官へ指示する。

 

「記録担当をつける。工房での説明と、教会での職業確認がつながるように」

 

「承知しました」

 

 文官はすでに新しい紙を用意している。

 

 リュシアが言う。

 

「商人側も見に来たいけど、人数を絞るなら私だけでいい。危ないものと売れるものの線引きは、聞いておきたい」

 

「売れるもの、ではなく、売ってよいものね」

 

 セルマが訂正する。

 

 リュシアは少し笑った。

 

「そういうところを聞きに来るんだよ」

 

 澪は、そのやり取りを見て、少しだけ安心した。

 

 セルマとリュシアは方向が違う。

 

 でも、どちらも現場を見ている。

 

 便利だから使う、だけでは止まらない。

 

 危ないなら止める。

 

 そこが見えている。

 

 

 

 

 

 説明会の段取りが固まりかけたところで、セルマは作業台の上に置かれた素材を一つ手に取った。

 

 薄い灰色の石片だった。

 

「これは、便利な力ではありません」

 

 工房の中が静かになった。

 

 弟子たちも、若い職人も、手を止める。

 

「仕事の責任が、少し見えやすくなっただけです」

 

 セルマは石片を光にかざした。

 

「素材を見るなら、見えた分だけ扱いを間違えられなくなる。道具の歪みが分かるなら、直せないとは言いにくくなる」

 

 弟子が喉を鳴らした。

 

 若い職人は、鍋の縁を見た。

 

「見えるようになったから楽になる、ではないわ」

 

 セルマは石片を作業台へ戻す。

 

「見えるようになった分、手を抜いた時に自分で分かるようになる」

 

 澪は、その言葉で少し腑に落ちた。

 

 世界改変。

 

 レベル。

 

 ジョブ。

 

 スキル。

 

 ずっと、ゲームのような言葉に振り回されていた。

 

 けれど、セルマの工房で見ると違う。

 

 それは、人を魔法のように強くするものではない。

 

 昨日まで見落としていたものを、少しだけ見えやすくするものだ。

 

 そして、見えてしまったものには、責任がついてくる。

 

 リュシアが頷いた。

 

「傷が見えるなら、傷ありを傷なしとは売れないからね」

 

「そういうこと」

 

 セルマは短く答えた。

 

 澪は、神様がこれをどこまで考えていたのか、少しだけ疑った。

 

 たぶん、面白がってはいる。

 

 けれど、人の努力と適性を見える形にした、という言葉は嘘ではなかったのかもしれない。

 

 問題は、見えた後に、人がどうするかだ。

 

 

 

 

 

 確認が終わる頃には、工房の空気が少し変わっていた。

 

 市場のようなざわめきはない。

 

 訓練場のような熱もない。

 

 けれど、弟子たちは素材洗浄に戻る時、さっきより少し真剣に根の表面を見ていた。若い職人は、鍋の歪みに槌を当てる前に、一度深く息を吸った。

 

 セルマは説明会の準備に入るため、棚から見本に使えそうな素材を選び始めた。

 

 文官は記録用の紙をまとめ、家令は人数制限と日程を確認している。アルベルトは、工房を一度見回してから、セルマへ短く礼を言った。

 

「助かる」

 

「工房の中で済む範囲なら」

 

 セルマはそう返した。

 

 範囲を超えたものは持ち込まないで、という意味でもある。

 

 澪は、工房の中に広がる静かな変化を見ていた。

 

 誰も叫ばない。

 

 誰も、急に強くなったと騒がない。

 

 ただ、素材を見る目と、道具を握る手が、昨日と同じではなくなっている。

 

 世界改変は、魔法のように人を強くするものではなかった。

 

 昨日まで見落としていた責任を、少しだけ見えやすくするものだった。

 

 そしてそれは、職人の工房にも、もう届いていた。

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