押入商会侯爵領事業所の机の上で、注文票の紙束が小さく鳴った。
夕方の押入家具工房は、木屑の匂いと、乾いた木材の甘い匂いが混じっている。作業場の奥では職人たちが片づけに入り、細い鉋屑が床の端へ寄せられていた。その一角だけ、澪が持ち込んだ電灯の白い光が落ちている。
その光の下で、ミラ・セイルは注文票を一枚ずつ見ていた。
紙面を読む目は静かだ。声も小さい。けれど、前とは違うところがあった。
ミラは一枚の注文票の端を指で押さえ、眉を寄せる。
「ここ、何か足りない気がします」
澪は横から覗き込んだ。
木材の種類、注文者名、納品先、寸法、検品欄。順に目で追っていくと、日付の欄が空いていた。
「あ、本当です。日付が抜けています」
ミラは、ほっとしたように紙を胸の前へ戻した。
「見えた、というより、紙のそこだけ気になりました」
「鑑定:1でも、ちゃんと仕事に使えていますね」
澪が言うと、ミラは小さく頷いた。
隣では、ピナ・ロッテが布包みを両手に乗せていた。包みの中身は検品済みの小さな部材である。彼女はそれをじっと見つめ、そっと息を止める。
布包みが、ふっと消えた。
ピナは慌てず、両手を同じ形に保ったまま、今度は小さく息を吐く。
布包みが、元の場所へ戻る。
包み角は崩れていなかった。
「戻す時に、角が少しずれる気がします」
「ずれていませんよ」
「でも、少し怖いです」
「怖いと思っているくらいが、今はちょうどいいです」
澪がそう答えると、ピナは真面目な顔で頷いた。
少し離れたところでは、トル・バッカが空の封筒を手のひらに乗せていた。
消す。
出す。
消す。
出す。
消す。
出す。
そのたびに、顔が得意げになる。
マルテ・ロウは記録板から顔を上げずに言った。
「トル、空封筒収納、十二回目」
「数えなくていいです」
「仕事で繰り返すなら、回数は大事です」
「空の封筒です」
「空の封筒でも、十二回目です」
トルは口を尖らせたが、封筒をもう一度収納へ入れようとして、マルテの視線に気づいてやめた。
澪はその様子を見ながら、机の横にノートPCを置いた。
続いて、プロジェクターを出す。
白い布を壁に張る。
その瞬間、三人がほぼ同時に動きを止めた。
前回の電気授業を思い出したのだろう。ミラは紙をそっと揃え、ピナは布包みを机に置き、トルは椅子から半分立ち上がった状態で固まった。
「今日はまたビリビリですか」
トルの声には、期待が混じっていた。
「今日は水です」
「水を出すのですか」
ピナが首を傾げる。
「出すだけではありません。冷やして、温めて、逃がして、戻します」
トルがすぐに食いついた。
「水が逃げるんですか」
「そこから授業です」
澪はプロジェクターの角度を直し、白布へ光を当てた。
白い布の上に、青い雲と、丸い水滴の絵が浮かび上がった。
マルテは記録板に、仕事後教育、水、と書いた。
白布の中で、雲から雨が降り始めた。
小さな水滴が、ぽつぽつと地面へ落ちる。地面には水たまりができ、細い流れが川へ向かう。やがて太陽が出ると、水たまりはゆっくり小さくなり、最後には消えた。
ミラが、画面を見たまま呟いた。
「消えました」
「消えたように見えますが、水が空気の中へ逃げました」
「逃げたんですね」
トルは、妙に納得した顔で頷く。
マルテが記録板に書いた。
「水、逃げる」
「正式には蒸発です。でも、最初は逃げた、でいいです」
澪は訂正したが、マルテはその横に小さく「蒸発」と書き足しただけだった。
次のアニメでは、鍋の中の水が温められていた。鍋の上に白い湯気が立ちのぼる。
ピナが布を畳む時の目つきで、白布を見つめる。
「水が白くなっています」
「水が温まって、見えにくい姿になって、さらに冷えて小さな水の粒として見えているところです」
「見えにくい姿」
ミラが紙に書く。
トルは両手を前へ出して、湯気を掴む真似をした。白布の中の湯気なので、当然、手には何も入らない。
本人も分かっているらしく、少しだけ不満そうだった。
次に、氷が映った。
透明な氷が、ゆっくり溶けて水になる。
トルの目が大きくなる。
「氷は水なんですか」
「水です。冷えると固まります。温まると戻ります」
「投げられますか」
「今は投げません」
「今は」
「授業中は投げません」
マルテが何かを書こうとしたので、トルが慌てて口を閉じた。
次に映ったのは、たくさんの小さな丸だった。
丸は並んだり、離れたり、ぶつかったりしながら動いている。冷たい時はあまり動かず、温かくなると揺れが大きくなり、さらに熱くなるとばらばらに飛び回る。
「これは、本当の姿そのものではなく、水をものすごく小さく見た時の粒のイメージです。分子、と言います」
三人の顔が、分子という言葉で止まった。
澪はすぐに言い直す。
「難しい言葉なので、今日は水の小さな粒、でいいです」
ミラは紙にまとめていく。
「冷たい、あまり動かない。熱い、よく動く。とても冷たい、固まる」
ピナは、湯気の絵と鍋の絵を交互に見た。
「だから温かい器は危ないのですね」
「はい。水だけではなく、器も熱くなります」
「包む時も、器を見ないといけませんね」
「その通りです」
トルは、水の粒のアニメをじっと見つめていた。
「動くなら捕まえられますか」
「水の粒は捕まえにくいです」
マルテが記録板に書く。
「トル、水の粒捕獲を検討。不可」
「また不可ですか」
「今回は不可です」
澪が答えると、トルは少し残念そうに椅子へ座り直した。
澪は、ノートPCを操作して動画を止めた。
白布には、動きを止めた小さな水の粒が並んでいる。
「次は、見ながら作業します」
澪は机の中央に、小瓶の水を置いた。
小瓶の中の水は、何の変哲もない透明な水だった。
けれど、澪はそれを机の中央に置く時、わざと少し丁寧に置いた。
三人が、その意味を読むように小瓶を見る。
「今日は、水そのものも大事ですが、もっと大事なのは鑑定の使い方です」
ミラが顔を上げる。
「終わってから見るのではないのですか」
「終わってからだと、失敗した理由が分からないことがあります。だから、途中で見ます」
澪は小瓶を指した。
「まず鑑定。今の水がどういう状態かを見る」
ミラは頷き、両手を紙の上に置いたまま、小瓶を見る。
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小瓶の水
分類:水
状態:常温
濁り:なし
飲用:可
温度変化:なし
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ミラは一行ずつ読み上げ、紙へ写した。
マルテも横で記録する。
「作業前鑑定」
澪は小瓶を手に取る。
「次に、収納へ入れて少し冷やします」
小瓶が澪の収納へ消えた。
少しだけ待つ。
澪は、冷たい場所へ置くイメージを持つ。凍らせるほどではない。水の粒の動きを少し小さくする。先ほどのアニメを思い出しながら、そう意識する。
小瓶を取り出すと、瓶の表面はひんやりとしていた。
ピナがそっと触れる。
「冷たいです」
「触った感覚だけでなく、鑑定します」
ミラがもう一度鑑定する。
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小瓶の水
分類:水
状態:冷水
濁り:なし
飲用:可
温度変化:低下
注意:容器外側に水滴が発生
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ピナが「あ」と声を上げた。
小瓶の外側に、小さな水滴がついている。薄く曇ったような瓶の表面に、粒が集まっていた。
「瓶の外に、水がついています」
「冷たい瓶の周りで、空気の中にあった水が集まったんです」
澪が言うと、トルが身を乗り出した。
「水が戻ってきたんですか」
「かなり良い言い方です」
トルは褒められて、少し得意げになった。
澪は机を軽く叩く。
「これが基本です。鑑定してから動く。動いたら、また鑑定する」
ミラは、その言葉を紙に大きく書いた。
「鑑定してから動く。動いたら、また鑑定する」
マルテも記録板に書く。
「基本手順:鑑定してから動く。動いたら再鑑定」
ピナは瓶を見つめたまま、ぽつりと言った。
「中だけじゃなくて、外も変わるんですね」
「はい。そこに気づくのが大事です」
澪は小瓶をもう一度持ち上げる。
「では、もっと冷やすとどうなるか見ます」
小瓶が再び収納へ入った。
今度は、澪はもう少し強く冷やすイメージを持つ。水の粒の動きをさらに小さくする。アニメで見たように、粒が並んで固まり始めるところを思い浮かべる。
取り出した小瓶の表面には、薄い氷が張っていた。
トルの目が輝く。
「投げられますか」
「投げません」
「小さいです」
「小さくても投げません」
ピナは、小瓶そのものを心配そうに見ていた。
「瓶、大丈夫ですか」
「鑑定してみましょう」
ピナは小瓶を両手で持たず、机の上に置いたまま鑑定した。
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小瓶
分類:容器
状態:冷却中
損傷:なし
注意:急激な温度変化で割れる可能性あり
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ピナは表示を読むと、すぐに手を引いた。
「急に冷やすと割れるかもしれません」
「だから、容器も鑑定します。中身だけ見ていると、瓶が割れます」
マルテが記録する。
「鑑定対象:中身だけでなく容器も必要」
ピナはその一文を見て、うん、と頷いた。
「包みも、器も、仕事の一部です」
「そうです」
澪は小瓶を脇へ寄せ、今度は小さな器に入れた水を収納へ入れた。
次は温める。
水の粒がよく動くところを思い浮かべる。火ではない。収納の中で、温度だけを少し上げるイメージだ。
器を取り出すと、ふわりと湯気が上がった。
トルがすぐに覗き込む。
「水が逃げています」
澪は笑いそうになった。
「逃げているように見えますが、水が気体になっています」
ミラが鑑定する。
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温めた水
分類:水
状態:温水
湯気:あり
水量:わずかに減少
注意:器が熱い
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ピナが器の縁に触れようとして、鑑定表示を見て手を止めた。
「熱い、と出ています」
「はい。鑑定してから動くと、やけどを避けられます」
ピナは布を一枚取り、器を布越しに持った。指先の動きが慎重だ。
トルは湯気へ手を伸ばした。
両手で包むようにして、すぐに開く。
「ありません」
マルテが記録する。
「トル、湯気捕獲失敗」
「また書かれました」
「次に直すためです」
「直せますか」
澪は少し考えた。
「たぶん無理です」
「不可ですか」
「不可寄りです」
トルは不満そうだったが、湯気をもう一度掴もうとはしなかった。
澪は、器から上がる薄い湯気を見た。
「次は、この逃げた水を、見える形にします」
澪は、収納で温めた水の器と、冷やした板を机の上に並べた。
冷たい板の表面には、すでに薄く水滴がつき始めている。ピナがそれに気づき、布で机が濡れないように下へ敷いた。
「この板に、湯気を近づけます」
澪は温かい水から上がる湯気を、冷たい板の近くへ寄せた。
ふわり、と白いものが広がる。
それは湯気よりも低く、机の上を薄く漂った。
ミラが目を細める。
「湯気と霧は違うのですか」
「湯気として出た水が冷えて、小さな水の粒として見えているものが霧に近いです」
ピナは冷たい板の表面を見ていた。
「ここに集まっています」
小さな水滴が、冷たい板の端で丸くなっている。
「そうです。冷たいところに、水が戻ってきています」
トルは白い霧の動きを追っていた。
「こっちへ行きます」
「温かいところから、冷たいところへ動いたり、空気の流れに乗ったりします」
「流れですか」
「はい。トルさんは、こういう動きを見るのが得意かもしれません」
トルは少し嬉しそうに、霧を鑑定した。
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白い霧
分類:細かな水滴
状態:空気中に拡散
発生:温水と冷却面の温度差
注意:長時間の維持は困難
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「長くは出せないんですね」
「今は少しだけです。でも、出せました」
澪は、白く広がって薄く消えていく霧を見ながら考えた。
暑い日の屋台。
菌床の湿度。
冷風箱の演出。
農場の乾燥対策。
水を霧にできるなら、使い道はいくつもある。だが、今はそこへ広げない。今日は授業だ。広げると、また机の上が仕事で埋まる。
マルテが記録する。
「収納実験により霧発生。少量。長時間維持は困難」
トルが霧をもう一度出してほしそうにしていたが、澪は別の小瓶を取り出した。
中には、泥を少し混ぜた水が入っている。
「次は、汚れた水を見ます」
泥水の小瓶を見て、ミラは分かりやすく顔をしかめた。
ピナも、これは包みたくない、という顔をした。
トルは、それでも興味が勝ったらしい。
「飲めますか」
「飲みません。まず鑑定します」
澪が答えると、ミラが小瓶を鑑定した。
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濁った水
分類:水/泥混じり
状態:濁りあり
沈殿:未
飲用:不可
注意:そのまま飲まないこと
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「そのまま飲まないこと、と出ています」
「はい。飲みません」
澪は小瓶を机の端へ置いた。
しばらく待つ。
その間、ミラは紙に「濁り」「沈殿」「飲用不可」と書く。ピナは布を何種類か出し、目の細かさを指で確かめていた。トルは小瓶の底を見て、泥が下がっていくのを不思議そうに眺めている。
やがて、底に泥が沈み、上の方が少しだけ澄んだ。
ミラが再び鑑定する。
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濁った水
分類:水/泥混じり
状態:上澄みあり
沈殿:あり
飲用:不可
注意:上澄みのみ分離可能
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「上の方だけ少し違います」
「その上だけ分けます」
澪は上澄みを別の小瓶へ移した。
次に、布でこす。
ピナが一枚の布を選び、鑑定する。
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布
分類:布材
目の細かさ:粗い
用途:大きな汚れの除去向き
注意:細かな濁りは通過します
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「細かいものは通るそうです」
「では、別の布を選んでください」
ピナは少し考え、もっと目の細かい布を選んだ。
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布
分類:布材
目の細かさ:細かい
用途:細かな濁りの軽減向き
注意:完全な浄水ではありません
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「完全な浄水ではありません」
ピナが読み上げる。
「布でこすだけでは、完全ではありません」
澪は頷いた。
ミラが紙に書く。
「布こし、完全な浄水ではない」
次に、澪は収納内の温度差を使った。
濁った水を温める。出てくる水の気体を冷やす。別の器に水滴として集める。
現代側の装置を作るわけではない。収納内の小さな実験空間で、温かいところと冷たいところを分けるイメージだ。
最初は失敗した。
取り出した器の外側に、水滴がついていた。
受け器の中には、ほとんど入っていない。
トルが覗き込む。
「逃げました」
「逃げましたね」
澪は素直に認めた。
ピナが器を鑑定する。
「冷やす位置が、ずれているみたいです」
ミラは水滴の数を記録する。
「受け器の外、三滴。中、一滴未満」
「一滴未満って何ですか」
トルが聞く。
「入っていない、に近いです」
ミラが真面目に答えた。
トルは霧の流れを見る。
「こっちに逃げています」
澪は位置を変えた。
温める場所。
冷やす場所。
水滴が落ちる場所。
それぞれを収納の中で少しずつずらす。
もう一度、温度差を作る。
今度は、透明な水滴が、別の器にぽたりと落ちた。
一滴。
机の周りが静かになった。
トルが少し不満そうに言う。
「一滴です」
「一滴でも、仕組みが分かれば増やせます」
ミラが鑑定する。
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集めた水滴
分類:水
状態:透明
濁り:なし
量:少量
飲用:要確認
注意:容器の清潔確認が必要
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ピナが受け器を鑑定した。
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受け器
分類:容器
状態:清潔
損傷:なし
注意:使用前後の洗浄推奨
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「容器は清潔です」
「では、水をもう一度見ます」
澪が鑑定する。
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集めた水
分類:水
状態:透明
濁り:なし
飲用:可
量:少量
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ミラが小さく息を吸った。
ピナは受け器を両手で囲むように持った。
トルは、一滴の水を見てから、泥水の小瓶を見た。
「泥の水から、これが取れたんですね」
「はい。少量でも成功です」
マルテが記録板に書く。
「収納内温度操作により水分離成功。量は少量」
澪は、机の上に冷水、温水、薄い氷、霧を出した冷たい板、そして澄んだ水を並べた。
「今日の成果を確認します」
押入商会侯爵領事業所の机は、仕事後の机ではなくなっていた。
注文票の横に、小瓶が並んでいる。
冷たい小瓶。
湯気の出る器。
薄い氷の張った水。
白い霧を出した冷たい板。
ほんの少しだけ澄んだ水。
ミラは水の状態を書いた紙を整理していた。濁り、沈殿、温度、飲用、容器。彼女の紙の上では、水がただの水ではなく、いくつもの項目に分かれている。
ピナは濡れた布をどこへ干すか迷っていた。机の上に置けば紙が濡れる。床に置けば汚れる。結局、椅子の背へ仮に掛け、あとで専用の紐が必要だと呟いた。
トルは霧をもう一度出したがっていた。
「少しだけ」
「後でです」
「後で出していいんですか」
「後で、記録してからです」
マルテがすぐに記録板を構える。
「霧再実験、後日検討」
「今のも書くんですか」
「忘れると困ります」
澪は、そのやり取りを聞きながら、自分を鑑定した。
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篠原 澪
分類:人間/異界渡航者
役割:押入商会代表/理科授業実施者
現在ジョブ:商人
既得スキル:鑑定:7
既得スキル:収納:8
既得スキル:雷:8
既得スキル:錬金:4
既得スキル:並行思考:芽あり
成長:収納内温度操作:芽あり
注意:大容量処理には反復訓練が必要
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澪は表示の一行で固まった。
「収納内温度操作……」
ミラが顔を上げる。
「また何か出ましたか」
「出ました」
トルが目を輝かせる。
「水もビリビリみたいに育つんですか」
「育て方は違いますが、育つかもしれません」
澪は続いて、三人を鑑定した。
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ミラ・セイル
分類:人間/商人
役割:記録補助/状態確認
現在ジョブ:商人
既得スキル:鑑定:1 → 2
既得スキル:収納:1
既得スキル:雷:8
成長:状態記録:1
注意:温度、濁り、沈殿の確認に向きます
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ミラは表示を見て、手元の紙をそっと押さえた。
「途中を見るのが、少し分かりました」
「はい。ミラさんは、そこが強いです」
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ピナ・ロッテ
分類:人間/商人
役割:容器管理/梱包補助
現在ジョブ:商人
既得スキル:鑑定:1
既得スキル:収納:1 → 2
既得スキル:雷:8
成長:容器扱い:1
注意:温度差による破損確認に向きます
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ピナは、濡れた布と小瓶を見比べた。
「容器や布も、仕事の一部なんですね」
「そうです。中身だけでは仕事になりません」
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トル・バッカ
分類:人間/商人
役割:実地確認/連絡補助
現在ジョブ:商人
既得スキル:鑑定:1
既得スキル:収納:1
既得スキル:雷:8
成長:流れ読み:1
注意:霧、湯気、熱気の動きに気づきやすい
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トルは白い霧の出た冷たい板を見た。
「流れを見るの、面白いです」
「走る時にも、空気や人の流れを見ることがありますからね」
「それも仕事ですか」
「商人の仕事です」
トルは、少しだけ得意げに頷いた。
マルテが記録する。
「水の授業、成果あり」
澪は手帳を開き、今日の最後に一行を書いた。
電気の次は水。収納は、どうやら小さな実験室にもなる。
押入商会侯爵領事業所の机の上には、注文票の横に、冷たい瓶と、湯気の出る器と、ほんの少しだけ澄んだ水が並んでいた。仕事を置くための机は、いつの間にか、小さな理科室にもなり始めていた。