押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第69話 水の授業

 

 押入商会侯爵領事業所の机の上で、注文票の紙束が小さく鳴った。

 

 夕方の押入家具工房は、木屑の匂いと、乾いた木材の甘い匂いが混じっている。作業場の奥では職人たちが片づけに入り、細い鉋屑が床の端へ寄せられていた。その一角だけ、澪が持ち込んだ電灯の白い光が落ちている。

 

 その光の下で、ミラ・セイルは注文票を一枚ずつ見ていた。

 

 紙面を読む目は静かだ。声も小さい。けれど、前とは違うところがあった。

 

 ミラは一枚の注文票の端を指で押さえ、眉を寄せる。

 

「ここ、何か足りない気がします」

 

 澪は横から覗き込んだ。

 

 木材の種類、注文者名、納品先、寸法、検品欄。順に目で追っていくと、日付の欄が空いていた。

 

「あ、本当です。日付が抜けています」

 

 ミラは、ほっとしたように紙を胸の前へ戻した。

 

「見えた、というより、紙のそこだけ気になりました」

 

「鑑定:1でも、ちゃんと仕事に使えていますね」

 

 澪が言うと、ミラは小さく頷いた。

 

 隣では、ピナ・ロッテが布包みを両手に乗せていた。包みの中身は検品済みの小さな部材である。彼女はそれをじっと見つめ、そっと息を止める。

 

 布包みが、ふっと消えた。

 

 ピナは慌てず、両手を同じ形に保ったまま、今度は小さく息を吐く。

 

 布包みが、元の場所へ戻る。

 

 包み角は崩れていなかった。

 

「戻す時に、角が少しずれる気がします」

 

「ずれていませんよ」

 

「でも、少し怖いです」

 

「怖いと思っているくらいが、今はちょうどいいです」

 

 澪がそう答えると、ピナは真面目な顔で頷いた。

 

 少し離れたところでは、トル・バッカが空の封筒を手のひらに乗せていた。

 

 消す。

 

 出す。

 

 消す。

 

 出す。

 

 消す。

 

 出す。

 

 そのたびに、顔が得意げになる。

 

 マルテ・ロウは記録板から顔を上げずに言った。

 

「トル、空封筒収納、十二回目」

 

「数えなくていいです」

 

「仕事で繰り返すなら、回数は大事です」

 

「空の封筒です」

 

「空の封筒でも、十二回目です」

 

 トルは口を尖らせたが、封筒をもう一度収納へ入れようとして、マルテの視線に気づいてやめた。

 

 澪はその様子を見ながら、机の横にノートPCを置いた。

 

 続いて、プロジェクターを出す。

 

 白い布を壁に張る。

 

 その瞬間、三人がほぼ同時に動きを止めた。

 

 前回の電気授業を思い出したのだろう。ミラは紙をそっと揃え、ピナは布包みを机に置き、トルは椅子から半分立ち上がった状態で固まった。

 

「今日はまたビリビリですか」

 

 トルの声には、期待が混じっていた。

 

「今日は水です」

 

「水を出すのですか」

 

 ピナが首を傾げる。

 

「出すだけではありません。冷やして、温めて、逃がして、戻します」

 

 トルがすぐに食いついた。

 

「水が逃げるんですか」

 

「そこから授業です」

 

 澪はプロジェクターの角度を直し、白布へ光を当てた。

 

 白い布の上に、青い雲と、丸い水滴の絵が浮かび上がった。

 

 マルテは記録板に、仕事後教育、水、と書いた。

 

 

 

 

 白布の中で、雲から雨が降り始めた。

 

 小さな水滴が、ぽつぽつと地面へ落ちる。地面には水たまりができ、細い流れが川へ向かう。やがて太陽が出ると、水たまりはゆっくり小さくなり、最後には消えた。

 

 ミラが、画面を見たまま呟いた。

 

「消えました」

 

「消えたように見えますが、水が空気の中へ逃げました」

 

「逃げたんですね」

 

 トルは、妙に納得した顔で頷く。

 

 マルテが記録板に書いた。

 

「水、逃げる」

 

「正式には蒸発です。でも、最初は逃げた、でいいです」

 

 澪は訂正したが、マルテはその横に小さく「蒸発」と書き足しただけだった。

 

 次のアニメでは、鍋の中の水が温められていた。鍋の上に白い湯気が立ちのぼる。

 

 ピナが布を畳む時の目つきで、白布を見つめる。

 

「水が白くなっています」

 

「水が温まって、見えにくい姿になって、さらに冷えて小さな水の粒として見えているところです」

 

「見えにくい姿」

 

 ミラが紙に書く。

 

 トルは両手を前へ出して、湯気を掴む真似をした。白布の中の湯気なので、当然、手には何も入らない。

 

 本人も分かっているらしく、少しだけ不満そうだった。

 

 次に、氷が映った。

 

 透明な氷が、ゆっくり溶けて水になる。

 

 トルの目が大きくなる。

 

「氷は水なんですか」

 

「水です。冷えると固まります。温まると戻ります」

 

「投げられますか」

 

「今は投げません」

 

「今は」

 

「授業中は投げません」

 

 マルテが何かを書こうとしたので、トルが慌てて口を閉じた。

 

 次に映ったのは、たくさんの小さな丸だった。

 

 丸は並んだり、離れたり、ぶつかったりしながら動いている。冷たい時はあまり動かず、温かくなると揺れが大きくなり、さらに熱くなるとばらばらに飛び回る。

 

「これは、本当の姿そのものではなく、水をものすごく小さく見た時の粒のイメージです。分子、と言います」

 

 三人の顔が、分子という言葉で止まった。

 

 澪はすぐに言い直す。

 

「難しい言葉なので、今日は水の小さな粒、でいいです」

 

 ミラは紙にまとめていく。

 

「冷たい、あまり動かない。熱い、よく動く。とても冷たい、固まる」

 

 ピナは、湯気の絵と鍋の絵を交互に見た。

 

「だから温かい器は危ないのですね」

 

「はい。水だけではなく、器も熱くなります」

 

「包む時も、器を見ないといけませんね」

 

「その通りです」

 

 トルは、水の粒のアニメをじっと見つめていた。

 

「動くなら捕まえられますか」

 

「水の粒は捕まえにくいです」

 

 マルテが記録板に書く。

 

「トル、水の粒捕獲を検討。不可」

 

「また不可ですか」

 

「今回は不可です」

 

 澪が答えると、トルは少し残念そうに椅子へ座り直した。

 

 澪は、ノートPCを操作して動画を止めた。

 

 白布には、動きを止めた小さな水の粒が並んでいる。

 

「次は、見ながら作業します」

 

 澪は机の中央に、小瓶の水を置いた。

 

 

 

 

 小瓶の中の水は、何の変哲もない透明な水だった。

 

 けれど、澪はそれを机の中央に置く時、わざと少し丁寧に置いた。

 

 三人が、その意味を読むように小瓶を見る。

 

「今日は、水そのものも大事ですが、もっと大事なのは鑑定の使い方です」

 

 ミラが顔を上げる。

 

「終わってから見るのではないのですか」

 

「終わってからだと、失敗した理由が分からないことがあります。だから、途中で見ます」

 

 澪は小瓶を指した。

 

「まず鑑定。今の水がどういう状態かを見る」

 

 ミラは頷き、両手を紙の上に置いたまま、小瓶を見る。

 

----------------------------------

小瓶の水

 分類:水

 状態:常温

 濁り:なし

 飲用:可

 温度変化:なし

----------------------------------

 

 ミラは一行ずつ読み上げ、紙へ写した。

 

 マルテも横で記録する。

 

「作業前鑑定」

 

 澪は小瓶を手に取る。

 

「次に、収納へ入れて少し冷やします」

 

 小瓶が澪の収納へ消えた。

 

 少しだけ待つ。

 

 澪は、冷たい場所へ置くイメージを持つ。凍らせるほどではない。水の粒の動きを少し小さくする。先ほどのアニメを思い出しながら、そう意識する。

 

 小瓶を取り出すと、瓶の表面はひんやりとしていた。

 

 ピナがそっと触れる。

 

「冷たいです」

 

「触った感覚だけでなく、鑑定します」

 

 ミラがもう一度鑑定する。

 

----------------------------------

小瓶の水

 分類:水

 状態:冷水

 濁り:なし

 飲用:可

 温度変化:低下

 注意:容器外側に水滴が発生

----------------------------------

 

 ピナが「あ」と声を上げた。

 

 小瓶の外側に、小さな水滴がついている。薄く曇ったような瓶の表面に、粒が集まっていた。

 

「瓶の外に、水がついています」

 

「冷たい瓶の周りで、空気の中にあった水が集まったんです」

 

 澪が言うと、トルが身を乗り出した。

 

「水が戻ってきたんですか」

 

「かなり良い言い方です」

 

 トルは褒められて、少し得意げになった。

 

 澪は机を軽く叩く。

 

「これが基本です。鑑定してから動く。動いたら、また鑑定する」

 

 ミラは、その言葉を紙に大きく書いた。

 

「鑑定してから動く。動いたら、また鑑定する」

 

 マルテも記録板に書く。

 

「基本手順:鑑定してから動く。動いたら再鑑定」

 

 ピナは瓶を見つめたまま、ぽつりと言った。

 

「中だけじゃなくて、外も変わるんですね」

 

「はい。そこに気づくのが大事です」

 

 澪は小瓶をもう一度持ち上げる。

 

「では、もっと冷やすとどうなるか見ます」

 

 

 

 

 小瓶が再び収納へ入った。

 

 今度は、澪はもう少し強く冷やすイメージを持つ。水の粒の動きをさらに小さくする。アニメで見たように、粒が並んで固まり始めるところを思い浮かべる。

 

 取り出した小瓶の表面には、薄い氷が張っていた。

 

 トルの目が輝く。

 

「投げられますか」

 

「投げません」

 

「小さいです」

 

「小さくても投げません」

 

 ピナは、小瓶そのものを心配そうに見ていた。

 

「瓶、大丈夫ですか」

 

「鑑定してみましょう」

 

 ピナは小瓶を両手で持たず、机の上に置いたまま鑑定した。

 

----------------------------------

小瓶

 分類:容器

 状態:冷却中

 損傷:なし

 注意:急激な温度変化で割れる可能性あり

----------------------------------

 

 ピナは表示を読むと、すぐに手を引いた。

 

「急に冷やすと割れるかもしれません」

 

「だから、容器も鑑定します。中身だけ見ていると、瓶が割れます」

 

 マルテが記録する。

 

「鑑定対象:中身だけでなく容器も必要」

 

 ピナはその一文を見て、うん、と頷いた。

 

「包みも、器も、仕事の一部です」

 

「そうです」

 

 澪は小瓶を脇へ寄せ、今度は小さな器に入れた水を収納へ入れた。

 

 次は温める。

 

 水の粒がよく動くところを思い浮かべる。火ではない。収納の中で、温度だけを少し上げるイメージだ。

 

 器を取り出すと、ふわりと湯気が上がった。

 

 トルがすぐに覗き込む。

 

「水が逃げています」

 

 澪は笑いそうになった。

 

「逃げているように見えますが、水が気体になっています」

 

 ミラが鑑定する。

 

----------------------------------

温めた水

 分類:水

 状態:温水

 湯気:あり

 水量:わずかに減少

 注意:器が熱い

----------------------------------

 

 ピナが器の縁に触れようとして、鑑定表示を見て手を止めた。

 

「熱い、と出ています」

 

「はい。鑑定してから動くと、やけどを避けられます」

 

 ピナは布を一枚取り、器を布越しに持った。指先の動きが慎重だ。

 

 トルは湯気へ手を伸ばした。

 

 両手で包むようにして、すぐに開く。

 

「ありません」

 

 マルテが記録する。

 

「トル、湯気捕獲失敗」

 

「また書かれました」

 

「次に直すためです」

 

「直せますか」

 

 澪は少し考えた。

 

「たぶん無理です」

 

「不可ですか」

 

「不可寄りです」

 

 トルは不満そうだったが、湯気をもう一度掴もうとはしなかった。

 

 澪は、器から上がる薄い湯気を見た。

 

「次は、この逃げた水を、見える形にします」

 

 

 

 

 澪は、収納で温めた水の器と、冷やした板を机の上に並べた。

 

 冷たい板の表面には、すでに薄く水滴がつき始めている。ピナがそれに気づき、布で机が濡れないように下へ敷いた。

 

「この板に、湯気を近づけます」

 

 澪は温かい水から上がる湯気を、冷たい板の近くへ寄せた。

 

 ふわり、と白いものが広がる。

 

 それは湯気よりも低く、机の上を薄く漂った。

 

 ミラが目を細める。

 

「湯気と霧は違うのですか」

 

「湯気として出た水が冷えて、小さな水の粒として見えているものが霧に近いです」

 

 ピナは冷たい板の表面を見ていた。

 

「ここに集まっています」

 

 小さな水滴が、冷たい板の端で丸くなっている。

 

「そうです。冷たいところに、水が戻ってきています」

 

 トルは白い霧の動きを追っていた。

 

「こっちへ行きます」

 

「温かいところから、冷たいところへ動いたり、空気の流れに乗ったりします」

 

「流れですか」

 

「はい。トルさんは、こういう動きを見るのが得意かもしれません」

 

 トルは少し嬉しそうに、霧を鑑定した。

 

----------------------------------

白い霧

 分類:細かな水滴

 状態:空気中に拡散

 発生:温水と冷却面の温度差

 注意:長時間の維持は困難

----------------------------------

 

「長くは出せないんですね」

 

「今は少しだけです。でも、出せました」

 

 澪は、白く広がって薄く消えていく霧を見ながら考えた。

 

 暑い日の屋台。

 

 菌床の湿度。

 

 冷風箱の演出。

 

 農場の乾燥対策。

 

 水を霧にできるなら、使い道はいくつもある。だが、今はそこへ広げない。今日は授業だ。広げると、また机の上が仕事で埋まる。

 

 マルテが記録する。

 

「収納実験により霧発生。少量。長時間維持は困難」

 

 トルが霧をもう一度出してほしそうにしていたが、澪は別の小瓶を取り出した。

 

 中には、泥を少し混ぜた水が入っている。

 

「次は、汚れた水を見ます」

 

 

 

 

 泥水の小瓶を見て、ミラは分かりやすく顔をしかめた。

 

 ピナも、これは包みたくない、という顔をした。

 

 トルは、それでも興味が勝ったらしい。

 

「飲めますか」

 

「飲みません。まず鑑定します」

 

 澪が答えると、ミラが小瓶を鑑定した。

 

----------------------------------

濁った水

 分類:水/泥混じり

 状態:濁りあり

 沈殿:未

 飲用:不可

 注意:そのまま飲まないこと

----------------------------------

 

「そのまま飲まないこと、と出ています」

 

「はい。飲みません」

 

 澪は小瓶を机の端へ置いた。

 

 しばらく待つ。

 

 その間、ミラは紙に「濁り」「沈殿」「飲用不可」と書く。ピナは布を何種類か出し、目の細かさを指で確かめていた。トルは小瓶の底を見て、泥が下がっていくのを不思議そうに眺めている。

 

 やがて、底に泥が沈み、上の方が少しだけ澄んだ。

 

 ミラが再び鑑定する。

 

----------------------------------

濁った水

 分類:水/泥混じり

 状態:上澄みあり

 沈殿:あり

 飲用:不可

 注意:上澄みのみ分離可能

----------------------------------

 

「上の方だけ少し違います」

 

「その上だけ分けます」

 

 澪は上澄みを別の小瓶へ移した。

 

 次に、布でこす。

 

 ピナが一枚の布を選び、鑑定する。

 

----------------------------------

 分類:布材

 目の細かさ:粗い

 用途:大きな汚れの除去向き

 注意:細かな濁りは通過します

----------------------------------

 

「細かいものは通るそうです」

 

「では、別の布を選んでください」

 

 ピナは少し考え、もっと目の細かい布を選んだ。

 

----------------------------------

 分類:布材

 目の細かさ:細かい

 用途:細かな濁りの軽減向き

 注意:完全な浄水ではありません

----------------------------------

 

「完全な浄水ではありません」

 

 ピナが読み上げる。

 

「布でこすだけでは、完全ではありません」

 

 澪は頷いた。

 

 ミラが紙に書く。

 

「布こし、完全な浄水ではない」

 

 次に、澪は収納内の温度差を使った。

 

 濁った水を温める。出てくる水の気体を冷やす。別の器に水滴として集める。

 

 現代側の装置を作るわけではない。収納内の小さな実験空間で、温かいところと冷たいところを分けるイメージだ。

 

 最初は失敗した。

 

 取り出した器の外側に、水滴がついていた。

 

 受け器の中には、ほとんど入っていない。

 

 トルが覗き込む。

 

「逃げました」

 

「逃げましたね」

 

 澪は素直に認めた。

 

 ピナが器を鑑定する。

 

「冷やす位置が、ずれているみたいです」

 

 ミラは水滴の数を記録する。

 

「受け器の外、三滴。中、一滴未満」

 

「一滴未満って何ですか」

 

 トルが聞く。

 

「入っていない、に近いです」

 

 ミラが真面目に答えた。

 

 トルは霧の流れを見る。

 

「こっちに逃げています」

 

 澪は位置を変えた。

 

 温める場所。

 

 冷やす場所。

 

 水滴が落ちる場所。

 

 それぞれを収納の中で少しずつずらす。

 

 もう一度、温度差を作る。

 

 今度は、透明な水滴が、別の器にぽたりと落ちた。

 

 一滴。

 

 机の周りが静かになった。

 

 トルが少し不満そうに言う。

 

「一滴です」

 

「一滴でも、仕組みが分かれば増やせます」

 

 ミラが鑑定する。

 

----------------------------------

集めた水滴

 分類:水

 状態:透明

 濁り:なし

 量:少量

 飲用:要確認

 注意:容器の清潔確認が必要

----------------------------------

 

 ピナが受け器を鑑定した。

 

----------------------------------

受け器

 分類:容器

 状態:清潔

 損傷:なし

 注意:使用前後の洗浄推奨

----------------------------------

 

「容器は清潔です」

 

「では、水をもう一度見ます」

 

 澪が鑑定する。

 

----------------------------------

集めた水

 分類:水

 状態:透明

 濁り:なし

 飲用:可

 量:少量

----------------------------------

 

 ミラが小さく息を吸った。

 

 ピナは受け器を両手で囲むように持った。

 

 トルは、一滴の水を見てから、泥水の小瓶を見た。

 

「泥の水から、これが取れたんですね」

 

「はい。少量でも成功です」

 

 マルテが記録板に書く。

 

「収納内温度操作により水分離成功。量は少量」

 

 澪は、机の上に冷水、温水、薄い氷、霧を出した冷たい板、そして澄んだ水を並べた。

 

「今日の成果を確認します」

 

 

 

 

 押入商会侯爵領事業所の机は、仕事後の机ではなくなっていた。

 

 注文票の横に、小瓶が並んでいる。

 

 冷たい小瓶。

 

 湯気の出る器。

 

 薄い氷の張った水。

 

 白い霧を出した冷たい板。

 

 ほんの少しだけ澄んだ水。

 

 ミラは水の状態を書いた紙を整理していた。濁り、沈殿、温度、飲用、容器。彼女の紙の上では、水がただの水ではなく、いくつもの項目に分かれている。

 

 ピナは濡れた布をどこへ干すか迷っていた。机の上に置けば紙が濡れる。床に置けば汚れる。結局、椅子の背へ仮に掛け、あとで専用の紐が必要だと呟いた。

 

 トルは霧をもう一度出したがっていた。

 

「少しだけ」

 

「後でです」

 

「後で出していいんですか」

 

「後で、記録してからです」

 

 マルテがすぐに記録板を構える。

 

「霧再実験、後日検討」

 

「今のも書くんですか」

 

「忘れると困ります」

 

 澪は、そのやり取りを聞きながら、自分を鑑定した。

 

----------------------------------

篠原 澪

 分類:人間/異界渡航者

 役割:押入商会代表/理科授業実施者

 現在ジョブ:商人

 既得スキル:鑑定:7

 既得スキル:収納:8

 既得スキル:雷:8

 既得スキル:錬金:4

 既得スキル:並行思考:芽あり

 成長:収納内温度操作:芽あり

 注意:大容量処理には反復訓練が必要

----------------------------------

 

 澪は表示の一行で固まった。

 

「収納内温度操作……」

 

 ミラが顔を上げる。

 

「また何か出ましたか」

 

「出ました」

 

 トルが目を輝かせる。

 

「水もビリビリみたいに育つんですか」

 

「育て方は違いますが、育つかもしれません」

 

 澪は続いて、三人を鑑定した。

 

----------------------------------

ミラ・セイル

 分類:人間/商人

 役割:記録補助/状態確認

 現在ジョブ:商人

 既得スキル:鑑定:1 → 2

 既得スキル:収納:1

 既得スキル:雷:8

 成長:状態記録:1

 注意:温度、濁り、沈殿の確認に向きます

----------------------------------

 

 ミラは表示を見て、手元の紙をそっと押さえた。

 

「途中を見るのが、少し分かりました」

 

「はい。ミラさんは、そこが強いです」

 

----------------------------------

ピナ・ロッテ

 分類:人間/商人

 役割:容器管理/梱包補助

 現在ジョブ:商人

 既得スキル:鑑定:1

 既得スキル:収納:1 → 2

 既得スキル:雷:8

 成長:容器扱い:1

 注意:温度差による破損確認に向きます

----------------------------------

 

 ピナは、濡れた布と小瓶を見比べた。

 

「容器や布も、仕事の一部なんですね」

 

「そうです。中身だけでは仕事になりません」

 

----------------------------------

トル・バッカ

 分類:人間/商人

 役割:実地確認/連絡補助

 現在ジョブ:商人

 既得スキル:鑑定:1

 既得スキル:収納:1

 既得スキル:雷:8

 成長:流れ読み:1

 注意:霧、湯気、熱気の動きに気づきやすい

----------------------------------

 

 トルは白い霧の出た冷たい板を見た。

 

「流れを見るの、面白いです」

 

「走る時にも、空気や人の流れを見ることがありますからね」

 

「それも仕事ですか」

 

「商人の仕事です」

 

 トルは、少しだけ得意げに頷いた。

 

 マルテが記録する。

 

「水の授業、成果あり」

 

 澪は手帳を開き、今日の最後に一行を書いた。

 

 電気の次は水。収納は、どうやら小さな実験室にもなる。

 

 押入商会侯爵領事業所の机の上には、注文票の横に、冷たい瓶と、湯気の出る器と、ほんの少しだけ澄んだ水が並んでいた。仕事を置くための机は、いつの間にか、小さな理科室にもなり始めていた。

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