押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第72話 時間の授業

 

 押入商会侯爵領事業所の机には、今日も紙が多かった。

 

 注文票、検品札、持ち帰り待ちの控え、工房へ渡す伝言札。昨日の火の授業で作った火元確認の紙も、まだ端の方に置かれている。火を使ったわけでもないのに、トルがその紙の「不可」の文字を見るたびに、少しだけ顔をしかめるのが面白かった。

 

 夏の夕方だった。

 

 押入家具工房の壁には、昼の熱がまだ残っている。工房側からは、木を削った匂いと、乾いた布の匂いが混ざって流れてきた。戸口は開いているが、入ってくる風は涼しいというより、温い空気を少し動かすだけだった。

 

 ミラは注文票の端を揃えていた。

 

 ピナは小さな布包みの角を直していた。

 

 トルは伝言札を持って戻ってきたばかりで、少し汗をかいていた。

 

 マルテは記録箱の蓋を閉める前に、中の紙束をもう一度確認している。

 

 澪は、その机の上に、現代側から持ってきた小型時計を四つ並べた。

 

 小さな丸い時計だった。落としにくいように、紐を通して首から下げられるようにしてある。澪が一つずつ置いていくと、金属とガラスが机の上で小さく鳴った。

 

 トルが真っ先に顔を寄せる。

 

「これは何ですか」

 

「時計です」

 

「とけい」

 

 ミラが小さく繰り返した。すぐに数字を見る。文字と数字を見る時のミラは、周りの音が少し遠くなるらしい。

 

 ピナは時計を両手で持ち上げた。

 

「落としたら割れますか」

 

「割れる可能性はあります。なので紐をつけました」

 

 ピナは紐の結び目を確かめ、時計の裏側まで見た。

 

 トルは秒針を見ていた。

 

 細い針が、かち、かち、と少しずつ進む。

 

「これ、走っています」

 

「秒針は走っているように見えます」

 

 澪が言うと、トルの目がさらに明るくなった。

 

「時間は走りますか」

 

「逃げることはあります」

 

 その言い方に、ミラが顔を上げた。

 

「逃げるのですか」

 

「使わないまま過ぎる、という意味です」

 

 マルテは時計を受け取ると、すぐに記録板へ目を落とした。

 

「作業開始時刻、終了時刻、納期確認に使えます」

 

「はい。今日は、それをやります」

 

 澪は四人に一つずつ時計を渡した。

 

 ミラは数字を読み上げようとしている。ピナは布で包もうとして、澪に「見えなくなります」と言われて手を止めた。トルは秒針を追い続けている。マルテは、記録板に「時計四個、配布」と書いた。

 

「今日は、時間の授業です」

 

 澪が言うと、トルは時計から目を離さないまま聞いた。

 

「時間を捕まえる授業ですか」

 

「捕まえません。測ります」

 

「測るんですか」

 

「はい。仕事では、測れる方が強いです」

 

 ミラが紙を一枚引き寄せた。

 

「では、書きます」

 

 もう授業を受ける顔になっている。

 

 澪はノートPCとプロジェクターを出し、白布を壁に張った。

 

 小さな事業所の机の上で、四つの時計が、少しずつ同じ音を刻み始めていた。

 

 

 

 

 白布に、大きな時計のアニメが映った。

 

 丸い文字盤の上を、赤い秒針が一つずつ進んでいく。秒針が一周すると、分針が少し動いた。分針が何度も動くと、時針がゆっくり動いた。

 

「短い時間が秒。秒が集まって分。分が集まって時です」

 

 澪が言うと、ミラはすぐ紙へ書いた。

 

「六十秒で一分。六十分で一時間」

 

 トルが嫌そうな顔をした。

 

「六十が多いです」

 

「十ずつではありません」

 

 ミラが淡々と答える。

 

「時間、面倒です」

 

 マルテが記録板に書いた。

 

「トル、十進法を希望」

 

「何ですか、それ」

 

「十ずつがよい、という希望です」

 

「記録しなくていいです」

 

「希望は記録します」

 

 澪は苦笑しながら、机の上から一枚の注文票を取った。

 

「でも、仕事では必要です。いつ注文が来たか、いつ検品したか、いつ渡すか、全部時間です」

 

 ミラは注文票の日付欄と納期欄を見る。

 

「ここに書く時間ですか」

 

「そうです」

 

 ピナが乾いた布包みを見た。

 

「布を乾かす時間もですか」

 

「はい」

 

 トルが自分の胸を指した。

 

「走って届ける時間もですか」

 

「はい」

 

 ミラがすぐ聞いた。

 

「納期もですか」

 

「もちろんです」

 

 澪は白布の時計を指した。

 

「時間を見られると、仕事を順番にできます。急ぐもの、待てるもの、今日中のもの、明日のもの。全部、時間で分けられます」

 

 トルはまだ納得しきっていない顔だった。

 

「でも、秒はすぐ逃げます」

 

「かなり良い言い方です」

 

 澪がそう言うと、ミラが紙の端に「秒はすぐ逃げる」と書きかけた。

 

 マルテがそれを見た。

 

「正式な記録には向きませんが、覚えるには有効です」

 

「では、小さく書きます」

 

 ミラは真面目な顔で、小さく書いた。

 

 秒はすぐ逃げる。

 

 澪は、それを消さなかった。

 

 仕事には正確な言葉が必要だが、最初に理解するための言葉も必要だった。

 

 白布の時計は、かち、かち、と一秒ずつ進み続けている。

 

 トルがぽつりと言った。

 

「これ、見ているだけで時間がなくなります」

 

「それも、かなり良い気づきです」

 

 マルテがまた記録した。

 

「時計観察中、時間消費」

 

「それは記録しなくていいです」

 

「今後、トルが時計を見続けた場合に必要です」

 

 トルは時計から目をそらした。

 

 

 

 

 澪は、机の上に三つの作業を並べた。

 

 ミラの前には注文票が五枚。

 

 ピナの前には布包みが三つ。

 

 トルの前には工房の入口まで届ける伝言札が一枚。

 

 マルテは時計と記録板を持って、少しだけ背筋を伸ばしている。時計を手にしたマルテは、いつもの記録係よりも事業所長候補らしく見えた。

 

「今から、それぞれの作業時間を測ります」

 

 澪はまずミラを見る。

 

「ミラさんは、注文票五枚の空欄確認」

 

「はい」

 

「ピナさんは、布包み三つを崩さず包み直す」

 

「はい」

 

「トルさんは、工房の入口まで伝言札を持って行って、戻ってくる」

 

「はい」

 

「ただし、速ければよいわけではありません」

 

 トルは少し肩を落とした。

 

「先に言われました」

 

「先に言います」

 

 マルテが時計を見る。

 

「開始します」

 

 作業が始まった。

 

 ミラは注文票を一枚ずつ見た。日付、品名、持ち帰り予定、検品欄。目が紙の上を滑っていくのに、手元は急ぎすぎない。三枚目で少し止まり、空欄に小さく印をつけた。

 

 ピナは布包みをほどき、角を合わせ直した。布が乾いているので、折り目が硬い。ピナは指先でそこを押さえ、包みの角が浮かないように結び直した。

 

 トルは伝言札を握って走った。

 

 工房入口までは近い。けれど、途中に木材の束があり、床に置かれた小箱もある。トルはそれを避け、入口まで行き、戻ってきた。

 

「戻りました」

 

 少し息が上がっている。

 

 マルテが時計を見て記録した。

 

「トル、往復時間、五十二秒。ただし伝言札を握りしめすぎ」

 

 トルは誇らしげだった顔のまま、手の中の伝言札を見た。

 

 角が少し曲がっている。

 

「速かったです」

 

 ミラが注文票から顔を上げた。

 

「伝言札が曲がっています」

 

「速かったです」

 

「曲がっています」

 

 トルはもう一度言う。

 

「速かったです」

 

 澪が言った。

 

「速さだけでは仕事になりません」

 

 トルは黙った。

 

 マルテが続けて記録する。

 

「ミラ、確認時間、三分二十秒。空欄一件発見」

「ピナ、梱包時間、四分十秒。布包み三件、崩れなし」

 

 ピナは少しだけほっとした顔をした。

 

 ミラは自分の時計を見る。

 

「時間が分かると、比べられます」

 

「はい。昨日より早いか、前より丁寧か、どこで詰まったか、分かります」

 

 澪は伝言札をトルへ返した。

 

「トルさんは、次は速さと札の状態、両方です」

 

「両方ですか」

 

「両方です」

 

 トルは時計を見た。

 

「秒、逃げますね」

 

「だから、何を急いで、何を守るかを決めます」

 

 時間の授業は、ただ時計を読む授業ではなくなっていた。

 

 机の上の注文票にも、布包みにも、伝言札にも、時間が乗り始めていた。

 

 

 

 

 澪は、時計をいったん机の端へ寄せた。

 

 代わりに、封筒、注文票、検品札、布包み、小さな金具箱、木片を並べる。どれも事業所で実際に扱うものだった。

 

 トルの目が、すぐ金具箱に向いた。

 

「次は何ですか」

 

「収納の限界を測ります」

 

 トルの表情が明るくなる。

 

「限界まで入れるんですか」

 

「限界近くまでです。無理だと思ったら、そこでやめます」

 

「限界までじゃないんですか」

 

「限界を越えたら、仕事になりません」

 

 澪はそう言って、自分の手元に一枚の紙を置いた。

 

「私も最初から重いものを入れられたわけではありません。大きな鍋を収納して、収納が二になりました。その後、大豆五十キロで三、水百キロで四、大豆工場で二百キロを扱って五に上がりました」

 

 ミラがすぐに書き始めた。

 

「大鍋、収納二」

「大豆五十キロ、収納三」

「水百キロ、収納四」

「大豆工場二百キロ、収納五」

 

 トルが目を丸くする。

 

「二百キロ」

 

「走って持つものではありません」

 

 澪が先に言った。

 

「まだ言ってません」

 

「言いそうでした」

 

 マルテが記録する。

 

「澪、予防発言」

 

「それも記録するんですか」

 

「流れとして必要です」

 

 澪は少し負けた気分になりながら、収納レベル表を書き始めた。

 

 本文用の表ではない。事業所の机の上に置く、授業用の紙である。

 

 澪は一行ずつ書いた。

 

 収納一は十キロ前後。紙束、封筒、布包み、小道具、小型部材。

 

 ミラが読み上げる。

 

「初期収納。分類保持は弱い」

 

 トルが自分の胸を指す。

 

「僕です」

 

「はい。今のトルさんです」

 

 少し悔しそうだった。

 

 澪は次の行を書く。

 

 収納二は三十キロ前後。大鍋、工具箱、小型木箱、まとまった布包み。

 

 ピナが反応した。

 

「小型木箱まで入るんですね」

 

「ただし、出す場所を考えないと危ないです」

 

 澪は続ける。

 

 収納三は五十キロ前後。大豆袋一袋、大きめの箱、重めの材料箱。

 

 ミラが「大豆五十キロ」と横に書いた。

 

 収納四は百キロ前後。水百キロ、複数の材料箱、大型容器。

 

 収納五は二百キロ前後。大豆工場で扱う量、まとまった原材料、複数箱。

 

 収納六は五百キロ前後。小型家具、工房用材料一式、小型機材。

 

 収納七は千五百キロ前後。大型家具、複数家具部材、作業台、工房設備の一部。

 

 トルが言った。

 

「千五百キロって、走れません」

 

「走って持つものではありません」

 

 今度は本当に言ったので、澪も遠慮なく返した。

 

 ピナは収納七の欄を見て、少し真面目な顔をした。

 

「収納に入れる場所と、出す場所を間違えたら危ないですね」

 

「そこが大事です」

 

 マルテが記録板へ書く。

 

「収納レベル表、最大重量と安定運用重量は別」

 

 澪は頷いた。

 

「最大で入ることと、仕事で安全に使えることは別です。今日測るのは、安定して使えるところまでです」

 

 ミラは紙に「最大」と「安定」を分けて書いた。

 

 トルが手を挙げる。

 

「最大まで入れた方が強くなりませんか」

 

「その場で壊れたら、仕事になりません」

 

「壊れるんですか」

 

「収納が壊れるというより、取り出せない、混ざる、疲れすぎる、そういうことになります」

 

 澪は少しだけ言葉を区切った。

 

「限界を知って、慣れて、無理だと思ったら止める。記録する。食べて、寝る。寝ている間に身体も能力も育ちます」

 

 マルテが頷きながら書いていた。

 

 そこで、澪は続けてしまった。

 

「成長は、若いほど早いと思います」

 

 マルテの筆が止まった。

 

「若いほど」

 

 空気が一瞬止まる。

 

 トルがマルテを見た。

 

 ミラも見た。

 

 ピナも見た。

 

 澪は即座に言った。

 

「二十七は若いです」

 

 マルテがゆっくり顔を上げる。

 

「今、言う前に言いましたね」

 

「二十七は若いです」

 

 澪はもう一度言った。

 

 トルが首を傾げる。

 

「僕たちよりは若くないです」

 

「トル」

 

 ミラが止めた。

 

 ピナも小さく言う。

 

「今のは、火より危ないです」

 

 マルテは表情を変えずに記録板へ書いた。

 

「トル、年齢発言注意」

 

 トルは目を丸くした。

 

「また不可ですか」

 

「今回は注意です」

 

「不可より軽いですか」

 

「内容によります」

 

 澪は授業用の紙を押さえた。

 

 収納レベル表の横で、時計が一秒ずつ進んでいる。

 

 そして、マルテの筆もまた動き始めた。

 

 

 

 

「では、今の収納を鑑定します」

 

 澪が言うと、ミラは背筋を伸ばした。

 

 ピナは時計を胸元に下げ直す。

 

 トルは、少しだけ得意げに立った。収納を見られるのは、性能を見られるようで嬉しいらしい。

 

 澪はまずミラを見る。

 

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ミラ・セイルの収納

 分類:収納技能

 スキルレベル:収納:1

 収納可能重量:10kg

 安定運用重量:5kg

 現在収納重量:なし

 余裕:10kg

 収納可能点数:5点

 分類保持:低

 取り出し速度:普通

 状態保持:未発現

 時間停止:未発現

 状態:安定

 注意:紙類、封筒、検品札、小型部材向き

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 ミラは表示を一字ずつ読んだ。

 

「収納可能重量、十キロ。安定運用重量、五キロ」

 

「最大と安定が違います」

 

 澪が言うと、ミラはすぐ紙に二つの欄を作った。

 

 次にピナ。

 

----------------------------------

ピナ・ロッテの収納

 分類:収納技能

 スキルレベル:収納:2

 収納可能重量:30kg

 安定運用重量:20kg

 現在収納重量:なし

 余裕:30kg

 収納可能点数:8点

 分類保持:普通

 取り出し速度:普通

 状態保持:低

 時間停止:未発現

 状態:安定

 注意:布包み、小物、金具箱、小型木箱向き

----------------------------------

 

 ピナは「状態保持:低」のところを見た。

 

「少しは保てるのですか」

 

「はい。ピナさんは布包みや小物を崩さず保つ感覚がもうあります」

 

 ピナは少し嬉しそうに、手元の布包みを撫でた。

 

 次はトル。

 

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トル・バッカの収納

 分類:収納技能

 スキルレベル:収納:1

 収納可能重量:10kg

 安定運用重量:8kg

 現在収納重量:なし

 余裕:10kg

 収納可能点数:4点

 分類保持:低

 取り出し速度:速い

 状態保持:未発現

 時間停止:未発現

 状態:安定

 注意:伝言札、小道具、携行品の即時取り出し向き

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 トルはすぐに言った。

 

「取り出し速度、速いです」

 

「はい」

 

「速いです」

 

「はい」

 

 ミラが静かに言う。

 

「分類保持は低いです」

 

 トルの顔が少し曇った。

 

「速いです」

 

「分類保持は低いです」

 

「速いです」

 

 マルテが淡々と書く。

 

「トル、速さを主張。分類保持は低い」

 

「そこも記録しますか」

 

「します」

 

 最後に、澪はマルテを鑑定した。

 

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マルテ・ロウ

 分類:人間/事業所長候補

 役割:記録管理/限界管理

 現在ジョブ:書記官見習い

 既得スキル:記録:3

 既得スキル:帳簿:2

 成長:収納成長記録:1

 状態:収納技能は未取得

 注意:商人系スキル取得には、商人系ジョブ適性確認が必要です

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 マルテは表示を見て、少しだけ複雑そうな顔をした。

 

「私には収納表示が出ませんね」

 

「マルテさんは商人ジョブではありませんから。今回は記録と限界管理をお願いします」

 

 マルテはすぐに表情を戻した。

 

「記録で伸びます」

 

「はい。むしろ今回はそこが重要です」

 

 トルが小声で言う。

 

「収納ないんだ」

 

 ミラがすぐに睨む。

 

「トル」

 

 ピナも言った。

 

「今のは、年齢の話より少し軽いですが危ないです」

 

 マルテは記録板に書いた。

 

「トル、職能発言注意、予備」

 

「予備って何ですか」

 

「次で正式です」

 

 トルは黙った。

 

 澪は、机の上に並べた封筒や布包みを見た。

 

 ここからが本番だった。

 

 

 

 

 最初はミラだった。

 

 澪は封筒、注文票、検品札、小型部材を、重さごとに小分けして机に置いた。現代側の小さな秤も使う。マルテが重量を記録し、ミラが一つずつ収納していく。

 

「一キロです」

 

 マルテが言った。

 

 ミラは問題なく収納した。

 

 三キロ。

 

 まだ表情は変わらない。

 

 四・五キロ。

 

 ミラの眉が少し寄った。

 

「中が詰まる感じがします」

 

 澪はすぐ鑑定した。

 

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ミラ・セイルの収納

 分類:収納技能

 スキルレベル:収納:1

 収納可能重量:10kg

 安定運用重量:5kg

 現在収納重量:4.8kg

 余裕:5.2kg

 収納可能点数:5点

 分類保持:低

 取り出し速度:普通

 状態保持:未発現

 時間停止:未発現

 状態:安定運用限界接近

 注意:これ以上の収納は分類混同の可能性あり

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 トルが覗き込む。

 

「余裕、まだありますよ」

 

「最大重量の余裕はあります。でも仕事で安定して使う余裕は少ないです」

 

 ミラが表示を見て頷いた。

 

「混ざったら仕事で使えません」

 

「はい。そこで終わりです」

 

 ミラはすぐに収納を止めた。

 

 次はピナだった。

 

 布包み、小物、金具箱、小型木箱。ピナは一つずつ、形が崩れないように収納していく。

 

 十キロ。

 

 十五キロ。

 

 十九キロ。

 

 ピナは手を胸元に当てた。

 

「まだ入ります。でも、布包みの角が気になります」

 

 澪は頷いた。

 

「そこで終わりです。ピナさんは形を崩さないことが大事です」

 

 ピナはほっとしたように息を吐いた。

 

 無理をすれば入ったかもしれない。

 

 けれど、布包みの角が崩れると、検品済みか、持ち帰り待ちか、梱包済みか、後で分からなくなる可能性がある。

 

 ピナの仕事は、入れることではなく、崩さず保つことだった。

 

 最後はトルである。

 

 伝言札、封筒、小道具、軽い工具。トルは、収納に入れて、すぐ出すのが速い。

 

「速いです」

 

「まだ測っていません」

 

「でも速いです」

 

 マルテは時計を見ている。

 

 トルは一つ、二つ、三つと収納した。取り出す。速い。たしかに速い。

 

 四つ目。

 

 五つ目。

 

 六つ目。

 

 取り出した。

 

 出てきた封筒を見て、ミラがすぐ言う。

 

「それ、三番目です」

 

 トルは胸を張った。

 

「出ました」

 

「出ればいいわけではありません」

 

「出ました」

 

「三番目です」

 

 マルテが記録する。

 

「収納数増加。ただし分類不可」

 

 トルが机に手をついた。

 

「性能アップしてるのに怒られました」

 

「仕事で使える性能にします」

 

 澪が言うと、トルは渋々頷いた。

 

 速い。

 

 でも混ざる。

 

 それが今のトルだった。

 

 澪は全員の顔を見た。

 

「今日の限界確認はここまでです」

 

「もう終わりですか」

 

 トルが言う。

 

「収納の訓練は、詰め込めばよいものではありません」

 

 澪は、机の上に並んだ時計へ目をやった。

 

「次は、時間です。収納の中で、時間がどうなるかを見ます」

 

 

 

 

 澪は時計を二つ並べた。

 

 一つは机の上に置く。

 

 もう一つは、澪の収納へ入れる。

 

 ミラが紙を用意した。

 

「外の時計と、収納内の時計を比べます」

 

「はい」

 

 マルテが開始時刻を記録する。

 

 五分。

 

 それだけ待つ。

 

 ただ待つだけの時間は、意外に長い。トルは秒針を見そうになり、ミラに「見すぎると時間が遅く感じます」と言われて顔をしかめた。

 

 五分後、澪は収納から時計を取り出した。

 

 机の上の時計は五分進んでいる。

 

 収納内の時計は、ほとんど進んでいなかった。

 

 ミラの手が止まる。

 

「外、五分。収納内、ほぼ停止」

 

 マルテも書いた。

 

 ピナは時計を覗き込む。

 

「壊れたのではないですか」

 

「鑑定します」

 

 澪が時計を鑑定すると、故障ではなかった。

 

 針が進んでいない。

 

 澪の収納内で、時間の進みが極端に遅い。

 

 次に、氷を使った。

 

 机の上の皿に氷を置く。

 

 同じ大きさの氷を収納へ入れる。

 

 しばらく待つと、外の氷は端から溶けて水になった。収納内の氷は、ほとんど形を保っている。

 

 濡れ布も同じだった。

 

 外の布は端が乾き始めた。収納内の布は、しっとりしたまま戻ってきた。

 

 切った果物は、外では色が少し変わり始めた。収納内のものは変化が遅い。

 

 ピナが果物を鑑定する。

 

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切った果物

 分類:食材

 状態:切断後

 外置き:変色開始

 収納内:変色遅延

 注意:長時間保存には追加確認が必要

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「変色が遅いです」

 

 ミラが書く。

 

「氷、溶けにくい。布、乾きにくい。果物、変色が遅い。時計、ほぼ停止」

 

 トルが収納から戻ってきた時計を見て言った。

 

「中の時間、遅れてます」

 

「かなり良い言い方です」

 

 澪は自分の収納の中を意識した。

 

 止まれ、ではない。

 

 それだと、何かを押さえつける感じになる。

 

 そうではなく。

 

 今の状態を保つ。

 

 水の温度。

 

 布の湿り気。

 

 果物の色。

 

 時計の針。

 

 入れた時のまま、置く。

 

 変わらないように、乱さないように、収納の中でそっと包む。

 

 その感覚が、奥の方でかちりと合った。

 

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篠原 澪の収納

 分類:収納技能

 スキルレベル:収納:8

 収納可能重量:高

 現在収納重量:実験中

 収納可能点数:多

 分類保持:高

 取り出し速度:高

 状態保持:高

 温度操作:芽あり

 時間停止:芽あり

 成長:収納内時間停止の感覚を掴み始めています

 注意:生物収納、火種収納、危険物収納には不向き

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 澪は表示を見て、少し固まった。

 

「出ました」

 

 トルが身を乗り出す。

 

「時間も止まるんですか」

 

「まだ芽です。でも、かなり大事です」

 

 ミラは真剣な顔で表示を書き写している。

 

 ピナは濡れ布を見て、指先で湿り気を確かめた。

 

「保てると、保管が変わります」

 

「はい」

 

 澪は頷く。

 

「ただし、何でも入れてよいわけではありません。生き物、火種、危険なものは入れません」

 

 トルが言った。

 

「火は駄目ですか」

 

「駄目です」

 

「雷は」

 

「入れません」

 

 マルテが記録する。

 

「トル、危険物収納案。不可」

 

「まだ案です」

 

「案の時点で不可です」

 

 澪は子どもたちにも小規模に試させた。

 

 ミラは紙と小型時計。

 

 ピナは濡れ布と冷たい小瓶。

 

 トルは伝言札と小型時計。

 

 完全に止まるわけではない。

 

 けれど、出した時に、三人とも少し違和感を覚えた。

 

 中の時間が、外より少し遅い。

 

 まだ芽にも満たないような小さな感覚。

 

 でも、入口は見えた。

 

 

 

 

「もう一回入れたら、もっと増えませんか」

 

 トルが、当然のように言った。

 

 澪はすぐ首を横に振った。

 

「今日はここまでです」

 

「まだできます」

 

「できることと、伸びることは別です。無理を感じたら、やめて、食べて、寝ます」

 

 ピナは自分の手元を見た。

 

「収納を使うと、手ではなく奥が疲れる感じがします」

 

 ミラも頷いた。

 

「頭の奥が重いです」

 

 それは眠いとも違う。痛いとも違う。使ったことのない場所を使った後の、奥に残る重さだった。

 

 マルテが記録する。

 

「収納訓練後、疲労感あり。停止判断」

 

 澪は時計を見る。

 

 授業開始から、思っていたより時間が経っていた。

 

「それが限界の合図です。寝るまでが訓練です」

 

 トルの顔が少し明るくなる。

 

「寝るのも訓練ですか」

 

「はい」

 

「それは得意です」

 

 マルテが記録した。

 

「トル、睡眠訓練に自信あり」

 

「これは良い記録です」

 

 トルが胸を張る。

 

 ミラが静かに言う。

 

「寝坊は別です」

 

「それは違います」

 

 トルはすぐ否定した。

 

 ピナは、濡れ布と時計を片づけながら、少し名残惜しそうに収納を見ていた。

 

「明日、増えますか」

 

「増えるかどうかを、明日測ります」

 

 澪はそう答えた。

 

 ミラが紙に「翌朝再鑑定」と書く。

 

 マルテはそれを見て、収納成長表の枠を作り始めた。

 

 名前。

 

 訓練前。

 

 限界接近。

 

 疲労感。

 

 睡眠後。

 

 成長。

 

 そこまで書くと、事業所の机はもう完全に仕事場で、学校で、研究所だった。

 

 澪は時計を四つ回収せず、それぞれに持たせたままにした。

 

「明日、忘れずに持ってきてください」

 

 トルが時計を首にかけ直す。

 

「寝る時もですか」

 

「寝る時は外してください」

 

「寝る訓練なのに」

 

「時計を壊さない訓練もしてください」

 

 ピナがすぐ頷いた。

 

「それは大事です」

 

 トルは少し悩んだ顔で、時計を胸元にしまった。

 

 その日の授業は、そこで終わった。

 

 

 

 

 翌朝、押入商会侯爵領事業所の机の前に、三人はいつもより早く集まっていた。

 

 ミラは時計をきちんと持っている。紐も絡んでいない。

 

 ピナの時計は、柔らかい布袋に入っていた。取り出す時も両手で支えている。

 

 トルは首から時計を下げていたが、紐が少し斜めになっている。走ってきたのが分かる。

 

 マルテは前日の記録表を広げていた。

 

「再鑑定します」

 

 澪が言うと、三人の顔が揃って緊張した。

 

 まずミラ。

 

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ミラ・セイルの収納

 分類:収納技能

 スキルレベル:収納:1 → 2

 収納可能重量:10kg → 30kg

 安定運用重量:5kg → 18kg

 現在収納重量:なし

 余裕:30kg

 収納可能点数:5点 → 8点

 分類保持:低 → 普通

 取り出し速度:普通

 状態保持:未発現

 時間停止:芽あり

 成長:収納量増加/分類保持向上/時間記録適性上昇

 状態:睡眠後、収納性能が上昇しました

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 ミラは息を止めた。

 

 それから、紙を胸元へ抱えるように持った。

 

「紙類なら、前より混ざらない気がします」

 

「実際に試しましょう」

 

 澪が注文票と検品札を渡すと、ミラは収納し、取り出した。

 

 昨日より、順番が崩れていない。

 

 次はピナ。

 

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ピナ・ロッテの収納

 分類:収納技能

 スキルレベル:収納:2 → 3

 収納可能重量:30kg → 50kg

 安定運用重量:20kg → 40kg

 現在収納重量:なし

 余裕:50kg

 収納可能点数:8点 → 12点

 分類保持:普通 → 良

 取り出し速度:普通

 状態保持:低 → 普通

 時間停止:芽あり

 成長:収納量増加/収納内整理向上/状態保持向上

 状態:睡眠後、収納性能が上昇しました

 注意:布包み、小物、金具箱を崩さず保管しやすくなりました

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 ピナは布包みを一つ収納して、すぐ取り出した。

 

 昨日より、角が崩れていない。

 

 結び目も潰れていない。

 

 ピナは少しだけ笑った。

 

「形が、残っています」

 

「ピナさん向きの伸び方です」

 

 ピナは布包みを大事そうに机へ置いた。

 

 最後にトル。

 

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トル・バッカの収納

 分類:収納技能

 スキルレベル:収納:1 → 2

 収納可能重量:10kg → 30kg

 安定運用重量:8kg → 25kg

 現在収納重量:なし

 余裕:30kg

 収納可能点数:4点 → 6点

 分類保持:低

 取り出し速度:速い → とても速い

 状態保持:未発現

 時間停止:芽あり

 成長:収納量増加/即時取り出し向上/伝達時間短縮

 状態:睡眠後、収納性能が上昇しました

 注意:分類保持は引き続き記録補助が必要です

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 トルは跳ねそうになった。

 

「速くなりました」

 

「分類はまだ低いです」

 

 ミラがすぐに言った。

 

「性能アップしてるのに、また注意があります」

 

 トルが抗議すると、マルテが静かに言った。

 

「注意も性能の一部です」

 

「注意もですか」

 

「はい。読めない注意は事故になります」

 

 トルは、少し納得したような、していないような顔をした。

 

 澪は最後にマルテを鑑定する。

 

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マルテ・ロウ

 分類:人間/事業所長候補

 役割:記録管理/限界管理

 現在ジョブ:書記官見習い

 既得スキル:記録:3

 既得スキル:帳簿:2

 成長:収納成長記録:1 → 2

 成長:作業時間管理:1

 成長:限界管理:1

 状態:収納技能は未取得

 注意:商人系スキル取得には、商人系ジョブ適性確認が必要です

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 マルテは静かに表示を見た。

 

「私は収納ではなく、記録が伸びました」

 

「事業所には必要です」

 

 澪が言うと、マルテは頷く。

 

「必要なら問題ありません」

 

 トルが悪気なく聞いた。

 

「収納ないんですか」

 

「トル」

 

 ミラが止める。

 

 ピナも続いた。

 

「今のは、年齢の話の次くらいに危ないです」

 

 マルテは記録板へ筆を置いた。

 

「記録します。トル、職能発言注意」

 

「また不可ですか」

 

「注意です。二回続けば不可です」

 

 トルは口を閉じた。

 

 澪は少し笑いそうになったが、我慢した。

 

 この事業所では、スキルだけでなく、発言も成長管理の対象らしい。

 

 

 

 

 澪は、前日の実験品を片づけ、実務の物を机に並べた。

 

 注文票。

 

 検品札。

 

 布包み。

 

 小さな金具箱。

 

 工房への伝言札。

 

「では、仕事に使います」

 

 三人の顔が変わった。

 

 ミラは注文票と検品札を分類して収納した。昨日なら少し迷った量でも、今日は取り出す順番が崩れない。注文票は注文票。検品札は検品札。紙の端が揃ったまま出てくる。

 

 ミラはほっとした顔で言った。

 

「前より、分かれています」

 

 ピナは布包みと金具箱を収納した。

 

 出した時、布の角は潰れていなかった。金具箱も傾いていない。

 

「中で、押されていない感じがします」

 

「状態保持が上がっています」

 

 澪が言うと、ピナは布包みをもう一度見て、嬉しそうに頷いた。

 

 トルは伝言札と小道具を収納し、工房入口まで走った。

 

 時計で時間を測る。

 

 昨日より少し速い。

 

 戻ってきたトルは、すぐ伝言札を出した。

 

 速い。

 

 ただし、ミラが確認する。

 

「札は合っています」

 

 トルの顔がぱっと明るくなった。

 

「合ってます」

 

「今回は合っています」

 

「今回は」

 

 マルテが記録する。

 

「トル、伝達時間短縮。札の状態、良。分類、要継続確認」

 

「最後に注意がつきました」

 

「仕事です」

 

 マルテは時計と記録表で、作業時間、収納重量、取り出し成功率をまとめていく。

 

 その手つきは、昨日より迷いが少なかった。

 

 澪は机の上を見た。

 

 四つの時計。

 

 収納成長表。

 

 注文票。

 

 検品札。

 

 布包み。

 

 小さな金具箱。

 

 水と空気と火を学んだ机が、今度は時間を測り、収納の限界を記録する机になっていた。

 

 時計を渡しただけではない。

 

 時間を見て、限界を見て、寝て伸びて、仕事に戻す。

 

 それが、事業所の訓練になっている。

 

 ミラは昨日より多く、紙を混ぜずに扱えるようになった。

 

 ピナは昨日より重く、形を崩さず保管できるようになった。

 

 トルは昨日より速く、必要なものを出せるようになった。

 

 マルテは、三人の伸びを仕事へ戻すための記録を作っている。

 

 澪は手帳を開いた。

 

 時間の授業。収納は、限界を見て、寝て伸びる。

 

 そう書いてから、少しだけ考えて、もう一行足した。

 

 子どもたちは、昨日より仕事ができる。

 

 押入商会侯爵領事業所の机の上には、注文票と検品札と、四つの時計と、収納成長表が並んでいた。水と空気と火を学んだ子どもたちは、今度は時間を見ながら、昨日より少し多く、少し正確に、仕事をしまえるようになっていた。

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