朝の押入商会侯爵領事業所は、昨日より少しだけ静かだった。
昨日の騒ぎと、真壁式レベリングという名のよく分からない残敵掃討と、真壁久忠の商人レベル急上昇が、一晩明けても机の上に残っている。
記録帳。
地図。
昨日使った伝言札。
ミラの細かい文字。
ピナが畳み直した布。
トルが「待機命令理解」と書かれた自分の表示にまだ少し納得していない顔。
そして、澪の収納レベル表。
真壁はその紙を、朝から静かに読んでいた。
紙は澪の字だった。きれいというより、あとで自分が困らないために急いで整えた字である。収納一、収納二、収納三、と段階ごとに重さの目安が書かれ、その横に分類保持、形状保持、状態保持、時間遅延の備考が小さく添えられている。
収納一は、紙束や小道具。
収納二は、工具箱や小型木箱。
収納三は、五十キロ前後。書類、小箱、金具箱、小型荷物一式。分類保持が実務入口。状態保持はごく弱いか未発現。時間遅延は基本未発現。
真壁はそこで、自分の現在地を確認するように指を止めた。
現在の自分は収納三。
確かに、昨日の残敵掃討では役に立った。記録札、小道具、道具袋、回収した危険物。そうしたものをしまうには十分だった。
だが、澪が抱えている荷は、そういうものではない。
家具。
木材。
仕入れ品。
現代側で撮影し、説明し、納品し、怪しまれないように運ばなければならない品物。
真壁は紙を畳まなかった。
澪が事業所へ顔を出した時、真壁はいつもの低く整った声で言った。
「澪君、今日は収納の拡張をしてこようと思っているが、良い訓練材料はないか?」
澪は、扉を開けた姿勢のまま一瞬止まった。
「おはようございます、の前にそれですか」
「おはよう。では改めて聞く。良い訓練材料はないか?」
「改めても早いです」
澪はそう言いながらも、真壁が広げている収納レベル表を見て、すぐに表情を変えた。
収納三では、足りない。
それは澪にも分かる。
真壁が収納を伸ばせば、押入家具工房から現代側へ持ち込む荷物の一部を任せられる。家具本体はまだ無理でも、金具箱、撮影用の布、小型部材、資料、梱包材、仕入れ品の一部を真壁が持てるだけで、澪の手間は減る。
出荷量も、少し増やせるかもしれない。
現代側への搬出入も、怪しまれない形に整えやすくなる。
澪は、少し考えた。
「訓練材料……水、ですかね」
「水」
「前に、ミラ、ピナ、トルと訓練した池があります。ビッグバスがいた管理池です。今はだいぶ数も減ってるはずなので、水を使うなら、あそこがいいかもしれません」
「水は重い。形がない。失敗しても壊れにくい。悪くない」
真壁はすぐに頷いた。
澪はその反応の早さに、やや不安になった。
「今回は、私と真壁さんだけで行きましょう」
「子どもたちは連れていかないのか」
「連れていきません」
澪は即答した。
ビッグバス池。
収納訓練。
水。
真壁。
この組み合わせで、何かが起きる気がしてならない。そこにトルがいたら、絶対に「僕もやりたいです」と言う。ミラがいれば記録する。ピナがいれば布で受け止める。リュシアがいれば商売にする。セルマがいれば錬金に応用する。
まずは、真壁だけでいい。
澪はそう判断した。
「では、行きましょう」
「案内を頼む」
真壁は収納レベル表を丁寧に折り、胸元へしまった。
それだけの仕草なのに、なぜか戦場地図を懐へ入れる指揮官のように見えた。
池へ向かう道は、朝の光で明るかった。
昨日の残敵掃討の後だからか、町外れの道は少し落ち着いている。畑の向こうに水路があり、その先に低い木立がある。ビッグバス池は、その奥にあった。
以前、ミラ、ピナ、トルが雷と収納と度胸をまとめて伸ばした場所。
澪にとっては、少し目をそらしたい思い出でもある。
池は、思ったより静かだった。水面には細かな波が立ち、岸辺の草が風に揺れている。以前は大きな魚影が時々ぬっと動き、澪の心臓に悪かったが、今はそういう気配が少ない。
真壁は池の前で足を止め、黙って水面を見た。
そして鑑定する。
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管理池
分類:隔離池/訓練使用済
水量:多
状態:安定
大型魚反応:少数
ビッグバス密度:大幅低下
小型生物:あり
泥砂:底部に多い
注意:水収納訓練に使用可能
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「大幅低下」
真壁は表示を読み、わずかに頷いた。
「以前の危険な訓練が、今日の訓練場を作ったわけだな」
「結果で正当化しないでください」
「結果を無視するのも、品がない」
「その理屈、便利に使いすぎです」
澪はそう言いながらも、反論しきれなかった。
ビッグバスの数が減っているのは事実だ。池は以前より安全になっている。水収納の訓練場としては、確かに使いやすい。
真壁は池の縁に立ち、水面をじっと見つめた。
ただ水を見る目ではない。
値を見る目でもない。
地形を見る目、物資を見る目、危険を見る目。真壁は池を、訓練材料として分解して見ていた。
「では」
真壁は低く言った。
澪は少し身構える。
真壁は池を見つめたまま、ゆっくり意識を絞った。
「空間把握。一般男性一人分程度の水。植物性プランクトン、動物性プランクトン含有。泥砂含まず。小型生物除外。収納」
言葉は静かだった。
けれど、その瞬間、池の水面に妙な沈みが生まれた。
こぽっ。
水そのものが小さな音を立てて消えたように見えた。
真壁の頭の中に、何かが収まる感覚があったのだろう。彼は眉間をほんの少しだけ寄せた。
目の前では、失われた空間に周囲の水が流れ込んでいた。
水面が丸く沈み、周囲から波が寄り、すぐに元の高さへ戻っていく。まるで池が、自分の失った部分を慌てて埋め直したようだった。
澪は息を呑んだ。
「今の、入りました?」
「入った」
真壁は池ではなく、自分の頭の奥を確認するように、少しだけ目を細めた。
「腕には来ない。腰にも来ない。だが、頭の奥が重い」
「頭の奥」
「これは荷を持つ力ではない。荷を定義する力だな」
澪は一瞬、言葉を失った。
一回でそこまで行くのか。
真壁は水面を見る。
「水はよい。抜いた範囲が、波で返ってくる。木箱ではこうはいかん。私は今、重さだけではなく、空間を指定した」
真壁は片手を池の上へ向けたまま、さらに続けた。
「泥砂を含まず、小型生物を除外した。つまり、収納は吸い込む力ではない。条件で選んでいる。植物性、動物性の細かなものは含めたが、底の泥と小さな生き物は外した」
澪は、真壁の横顔を見た。
声は落ち着いている。
けれど、目が少しだけ明るい。
この人、もう楽しくなっている。
澪はそう思った。
真壁が自分の収納を鑑定する。
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真壁久忠の収納
分類:収納技能
スキルレベル:収納:3
収納対象:池水
収納指定:空間指定/成分指定/除外指定
現在収納重量:約65kg
安定運用重量:35kg前後
負荷:高
疲労増加:+8%
分類保持:普通
分離精度:低 → 普通
状態:高負荷
注意:重量より条件指定による認識負荷が大きい
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「安定運用重量は超えていますね」
澪が言う。
「入ったが、仕事で使える入り方ではない。限界を触っただけだ」
真壁は水面を見たまま答える。
「だが、触らねば限界は測れん」
「真壁さん、今日ずっとその調子ですか」
「調子が良い」
「そういう意味ではないんですが」
澪は少しだけ不安になった。
真壁が収納した水を、今度は出す番になった。
澪は池のそばに置かれていた古い桶を見つけ、底に穴がないことを確認してから、真壁の前に置いた。
「水は、出す時も工夫できます」
「入れる時だけではなく、出す時もか」
「はい。一気に出すと、ただの水ぶちまけになります。桶に出すなら桶の中へ。布を湿らせるなら、布に染み込ませる感じで。細く出すことも、広げて出すこともできます」
「できる、ではなく、できることがある、か」
「私もまだ全部は分かってません」
「よい。分からぬものを分かると言い切るより、よほど品がある」
澪は褒められた気がしたが、あまり嬉しくない。
真壁は桶の前に立ち、収納内の水を意識した。
「では、出す」
次の瞬間、桶の上に水が現れた。
ただし、少し勢いが強かった。
ばしゃ、と音がして、桶の縁から水が跳ねる。澪は一歩引き、真壁の靴先が濡れた。
真壁は濡れた靴先を見下ろし、静かに頷いた。
「出す場所、量、勢いの指定が甘い」
「一回目でそこまで冷静に言えます?」
「濡れた理由を知らぬまま二回目を行うのは、品がない」
「今日の品がない、便利ですね」
真壁はもう一度、桶を見た。
今度は水の出る場所を桶の中央に絞り、勢いを弱める。水は少し太い糸のように現れ、桶の内側へ落ちた。先ほどのような跳ねはほとんどない。
桶の中に、水面が静かに上がっていく。
「改善」
真壁が言った。
「早いですね」
「水は失敗が見える。よい訓練材料だ」
澪は頷いた。
「家具でこれをやると危ないです」
「水で済ませて正解だな」
真壁は桶の中の水を見つめた。
「収納とは、荷を消す力ではない。荷を定義し、保ち、戻す力だ」
その言葉に、澪は少しだけ黙った。
真壁は収納を、もう荷物袋として見ていない。
技術体系として見始めている。
それは頼もしい。
とても頼もしい。
そして、かなり怖い。
「では、私の方で少し見せます」
澪は池の水を見た。
真壁が使う水は真壁の収納水。澪は自分の収納内の水を少しだけ意識する。
一気に出すのではない。
桶へ注ぐのでもない。
水を、細かく、細かく、空気の中へほどく。
収納の出口を、ごく細くする。
水を押し出す。
ふわり、と白い霧が池のほとりに広がった。
朝の光がそこへ斜めに差し込む。
最初は、ただ薄く濡れた空気に見えた。けれど次の瞬間、霧の向こう側に淡い色が浮いた。
赤、橙、黄、緑、青。
細く、薄く、けれど確かに、虹がかかっていた。
澪は少しだけ得意になりかけた。
だが、真壁は虹そのものを見ていなかった。
真壁は、水の出た場所を見ていた。
「……圧力」
低い声だった。
澪が振り向く。
「え?」
「いま、君は水を細く絞った。出口を狭めた。だが、水は止まらず、霧になって出た」
真壁の視線は、消えかける霧を追っている。
「圧力……収納内に圧力をかけられるのか」
「圧力、ですか?」
「水を出す場所、量、形、勢い。そこまでは分かる。だが今のは、出口を細くしただけではない。押し出した」
澪は自分の手を見た。
確かに、霧にする時は、水を細かくして、押し出すように意識した。蛇口ではない。ノズルでもない。けれど、頭の中で細く絞った出口を作った。
真壁の目が、少し鋭くなる。
それは危ないことに気づいた目ではある。
だが、止める目ではなかった。
「少し試す」
真壁はそう言って、池のそばの藪へ歩いていった。
澪の背中に嫌な予感が走る。
「真壁さん?」
真壁は藪の前で立ち止まり、人差し指を立てた。
その仕草は、剣を抜くより静かだった。
「細く、細く」
低い声が落ちる。
「超高圧をかけて、出力」
次の瞬間、指先から水が出た。
水、というより、細い線だった。
白く光るほど細い水の線が、真壁の指先から伸びる。
真壁はその指を、右から左へゆっくり移動させた。
藪が、遅れて揺れた。
葉が落ちる。
細い枝が、ぱらぱらと音を立てて落ちる。
少し太い草の茎も、同じ高さで切れていた。
澪は両手で顔を覆いかけた。
「水で切れた……」
真壁は切れた藪の断面を見て、静かに頷いた。
「草刈り機程度の役には立つか」
「そこですか」
「まず用途を小さく置くべきだ。使い道を広く考えるのは、その後でよい」
「もう十分広いです」
澪はそう言ったが、真壁はまだ藪を見ている。
「水路脇の草、工房周辺の雑草、埃落とし、粉塵抑制、洗浄、布湿らせ、火元周辺の湿らせ。戦うためではなく、作業を整えるために使える」
「今、戦うためにも使えるって言いかけましたよね」
「言っていない」
「目が言いました」
「目は時々余計なことを言う」
澪は深く息を吐いた。
ここにトルがいなくて本当によかった。
ミラがいれば記録しただろう。
ピナがいれば切れた枝を布で包んだだろう。
リュシアがいれば、草刈りの料金を考えたかもしれない。
セルマがいれば、工房の洗浄に使おうとしたかもしれない。
そして今、一番危ない分析をしているのは真壁だった。
澪は、池の浅いところに濁りが溜まっているのを見つけた。
泥砂が混じり、細かな草の破片が浮いている。真壁の高圧水で切れた藪の一部も、水際に落ちていた。
「水と残渣も、分けられるかもしれません」
澪が言うと、真壁はすぐに振り返った。
「残渣」
「水の分子だけを意識して取り出す感じです。泥とか砂とか、細かい残りものを残して、水だけ抜く。私の収納だと、ある程度できます」
「水分子だけを対象にするのか」
真壁の声が、また少し明るくなった。
澪はその明るさに不安を覚えながらも、実演した。
濁った浅い水へ意識を向ける。
水。
水分。
泥砂ではなく、残渣ではなく、小さな生き物でもなく、水そのもの。
収納。
濁り水の一部が、すっと消えた。
底に泥砂が残る。
澪は収納した水を桶へ出した。完全な透明ではないが、池の浅瀬よりはずっと澄んでいる。
真壁はそれを見て、目を細めた。
「分離か」
「はい。ただ、私でも完全ではないです。水として扱いやすいところを抜く感じですね」
「やってみよう」
真壁は浅瀬の濁りへ向かった。
今度は、先ほどよりも長く沈黙した。
空間ではなく、成分を掴もうとしている。
水。
泥砂ではなく。
残渣ではなく。
水分子。
小型生物除外。
収納。
濁りがわずかに動いた。
真壁は桶へ水を出す。
澪が鑑定した。
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収納水
分類:池水/分離試行
含有:水分主体
混入:泥砂少量
小型生物:除外成功
残渣分離:不完全
状態:収納直後
注意:水分子指定には鑑定精度と収納精度が不足しています
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「不完全ですね」
澪が言うと、真壁はむしろ満足そうに頷いた。
「不完全であることが見えるのはよい。何が足りぬかが分かる」
「前向きですね」
「水を抜いた。泥砂は少し混じった。小型生物は除外できた。つまり、生命反応の除外は比較的効く。泥砂は水に近く、分けにくい」
真壁は桶の水を見た。
「収納は、物体単位ではない。成分単位で対象を指定できる。これは荷袋ではない。分ける技術だ」
澪は頭を抱えた。
「また増えた……」
「何が増えた」
「収納の説明です」
「よいことだ」
「よいことなんですけど、よくないんです」
真壁はそこをあまり理解していない顔で、濁り水と残った泥を見比べていた。
澪は、現代側の仕事を思い出した。
問い合わせの返信。
家具写真の整理。
発送予定の確認。
現代側の納品連絡。
真壁の収納訓練は重要だが、押入商会は現代側の仕事を放置するとすぐに詰まる。澪のスマホには、まだ未読の通知が残っている。
澪は池のほとりで、少し迷った。
真壁は、完全に楽しそうだった。
いや、顔はいつも通り静かである。
だが、目が違う。
江古田の古道具屋で、壺の置き方を見ていた時の目に近い。価値を見つけた人間の目だ。
「真壁さん」
「何だ」
「私はいったん現代側の仕事に戻ります」
「分かった」
返事が早い。
それはそれで不安だった。
「やりすぎないでくださいね」
「やりすぎる前に記録する」
「それ、止まる保証ではないですよね」
「止まるためにも記録は要る」
澪はしばらく真壁を見た。
「……本当に、無理はしないでください」
「疲労度は見る。限界は超えん」
「限界の定義が人より遠そうなんですよ」
「遠い限界も、見えていれば限界だ」
澪は、もう一度だけ池の周りを見た。
薄い虹の残り。
切れた藪。
澄んだ水の桶。
泥砂の残った浅瀬。
この時点ですでに、かなりおかしい。
だが、たしかに実用的でもある。
澪は押し入れ側へ戻るため、町へ向かって歩き出した。
途中で一度振り返る。
真壁はもう池の水面を見ていた。
完全に、次を考えている顔だった。
真壁は一人になった。
池のほとりに、風が流れる。
水面が揺れる。
切れた藪の葉が、少しだけ水へ落ちる。
真壁は胸元から、澪の収納レベル表を取り出した。
収納三。
五十キロ前後。
状態保持はほぼ未発現。
時間遅延なし。
収納四。
百キロ前後。
水百キロ級。
分類保持が安定し始める。形状保持の芽。状態保持は弱い。時間遅延は未発現またはごく短時間の違和感程度。
真壁は表を畳んだ。
「まず、四だな」
声は低い。
だが、池の周りに人がいたなら、彼が静かに高揚していることに気づいただろう。
真壁は水を収納した。
今度は、先ほどより範囲を少し広げる。
泥砂を除く。
小型生物を除く。
水量を指定する。
水が抜け、波が戻る。
頭の奥に重みが来る。
真壁はそれを記録する。
次に、桶へ出す。
最初より静かに出る。
桶の縁は濡れない。
記録する。
次に、細い水流。
地面へ向ける。
土が黒く濡れ、筋を作る。
勢いを少し上げると泥が跳ねる。
記録する。
次に、霧。
澪のものほど細かくはない。虹は薄い。けれど、朝よりは粒が揃う。
記録する。
次に、布。
池のそばに置いてあった古布へ、水を少しずつ含ませる。最初は一部だけ濡れすぎる。次に、広く薄く湿らせる。
記録する。
次に、濁り水。
水分子を意識する。
泥砂を残す。
残渣を残す。
小型生物除外。
澄んだ水が少し増える。
完全ではない。
記録する。
次に、藪。
先ほど切った場所の隣へ立つ。
細く、細く。
出力を絞る。
指先をゆっくり動かす。
草が同じ高さで落ちる。
切りすぎない。
太い枝には使わない。
草刈り用途。
記録する。
次に、水路脇。
池へ流れ込む細い水路の縁に、草が茂っていた。真壁は足場を確かめ、指先の水線を短く出し、草だけを落とす。泥を跳ねさせないよう、出力を抑える。
水路が少し見える。
記録する。
次に、桶を三つ並べる。
濁り水。
分離した水。
残渣。
それぞれの違いを見る。
鑑定する。
記録する。
真壁の顔は、ずっと静かだった。
しかし、やっていることは完全に暴走だった。
本人の中では、すべてが商会の道具へつながっている。
家具搬出前の埃落とし。
工房の粉塵抑制。
夏場の打ち水。
布の湿潤。
水路掃除。
藪払い。
簡易洗浄。
濁水分離。
素材洗浄。
火元周辺の湿らせ。
収納は、荷物を入れるだけではない。
商会の手足になる。
真壁は、そう結論づけながら、もう一度池の水を収納した。
夕方近く。
澪は現代側の仕事を終え、もう一度池へ戻った。
戻る途中から、嫌な予感はしていた。
水路の流れが、朝より見える。
池のそばの藪が、なぜかきれいに刈られている。
草の高さがそろっている。
しかも、刃物で雑に刈った感じではない。妙にすっきりしている。
池のほとりへ着いた澪は、足を止めた。
桶が並んでいた。
澄んだ水の桶。
少し濁った水の桶。
泥砂と残渣が沈んだ桶。
湿った布。
水路脇から払われた草。
浅瀬の泥砂を分けた皿。
そして、真壁が池のそばで淡々と記録をつけていた。
澪はしばらく動けなかった。
「私が仕事している間に、何をしていたんですか」
真壁は顔を上げた。
「収納訓練だ」
「規模がおかしいです」
「訓練材料がよかった」
「池を整備しろとは言ってません」
「結果として整った」
「結果で正当化しないでください、二回目です」
真壁は記録を閉じた。
「成果も出た」
その言葉と同時に、鑑定表示が澪の視界に浮かぶ。
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真壁久忠
分類:人間/異界漂着者
現在ジョブ:商人
レベル:6 → 7
状態:収納拡張訓練中/高集中
疲労度:48% → 63%
既得スキル:鑑定:4 → 5
既得スキル:収納:3 → 4
既得スキル:商才:3
成長:水量指定:1
成長:空間把握:1
成長:排出制御:1
成長:圧力制御:1
成長:残渣分離:1
成長:水路整備:1
獲得SP:1
未使用SP:2 → 3
注意:収納を荷物保管ではなく、対象指定・排出制御として理解し始めています
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澪は目を閉じた。
開けたら消えているかと思った。
消えていなかった。
さらに表示が続く。
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真壁久忠の収納
分類:収納技能
スキルレベル:収納:3 → 4
収納可能重量:50kg前後 → 100kg前後
安定運用重量:35kg前後 → 75kg前後
収納可能点数:8点 → 12点
分類保持:普通 → 良
形状保持:低 → 普通
状態保持:未発現 → 低
時間遅延:未発現
排出制御:芽あり
圧力制御:芽あり
残渣分離:芽あり
状態:収納拡張成功
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「収納四……鑑定五……」
澪はゆっくり表示を読み上げた。
「排出制御。圧力制御。残渣分離。水路整備」
「水路整備は、使える」
「そこじゃないです」
「澪君」
真壁は池の水面を見る。
「収納は荷袋ではない。扱い方を覚えれば、商会の手足になる」
澪は、整備されすぎた池のほとりを見た。
朝には藪だった場所が草刈りされている。
濁っていた水が分けられている。
桶が並び、布が湿り、水路が少し流れやすくなっている。
便利だ。
間違いなく便利だ。
家具本体を運ぶにはまだ足りない。収納四では、大型家具には届かない。けれど、工具箱、金具箱、水、布、清掃、冷却、草刈り、仕入れ品の一部は任せられるようになる。
澪の荷は、少し減る。
確実に減る。
それが一番厄介だった。
「真壁さん、便利になる速度が怖いです」
「速度は悪ではない。制御しない速度が悪だ」
「それ、また私の仕事が増える言い方です」
「減らすために増やしている」
澪は反論できなかった。
真壁久忠は、池の水をしまい、出し、霧にし、虹を作り、藪を刈り、水と残渣を分けた。
そして夕方には、何事もなかったような顔で、収納は荷袋ではないと言った。
澪は、整備されすぎた池のほとりに立ち、深く息を吐いた。
押入商会はまた一つ便利になった。
そして、また一つ危なくなった。
だが、真壁の収納が上がれば、たしかに澪の荷は減る。
その事実が、何より厄介だった。