押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

79 / 82
第79話 古い採石場跡

 

 ビッグバス池は、町の小さな名所になりかけていた。

 

 澪が押入商会侯爵領事業所へ向かう途中、すでにその気配はあった。

 

 市場へ向かう女たちが、籠を抱えたまま道の端で足を止めている。

 

「見た? あの池」

 

「水が澄んでたねえ」

 

「水路脇の草が一晩で刈られてたって」

 

「一晩で?」

 

「澪さんの国から来た、真壁って人がやったらしいよ」

 

「水で草を切ったとか」

 

「水で?」

 

「だから見に行く子が増えてるんだって」

 

 澪は、通り過ぎながら足が少し遅くなった。

 

 聞かなかったことにしたい。

 

 とてもしたい。

 

 だが、聞こえてしまった。

 

 押入商会侯爵領事業所の前では、トルがすでにそわそわしていた。ミラは記録板を抱え、ピナは布包みを片づけながらも、ちらちらと外を見ている。

 

「澪さん」

 

 トルが真っ先に言った。

 

「池、見に行っていいですか」

 

「だめです」

 

「まだ何も説明してません」

 

「説明される前にだめです」

 

 トルは少し不満そうな顔をした。

 

 ミラが小さく頷く。

 

「見に行きたい理由は、だいたい分かります」

 

「ミラまで」

 

「記録上、非常に気になります」

 

「もっとだめです」

 

 ピナは布包みを畳みながら、少し控えめに言った。

 

「でも、道がきれいになっているなら、見に行く人は増えると思います」

 

 澪は額に手を当てた。

 

 そこへリュシアが来た。

 

 いつものように商人らしく足取りは軽いが、目は完全に面白がっている。

 

「池、もう訓練場には向かないね。人が見に来る」

 

 澪は、何も言わずに両手で顔を覆った。

 

「やっぱりそうなりますか」

 

「なるよ。水が澄んで、水路の草が刈られて、桶まで並んでたら、そりゃ見る」

 

「桶は片づけたはずなんですけど」

 

「見た人が話を盛るのも、町の仕事だからね」

 

 リュシアは悪びれずに言った。

 

 事業所の奥で、真壁久忠が静かに地図を見ていた。澪が視線を向けると、真壁は地図から目を上げる。

 

「人目がある場所で、圧力水と残渣分離の訓練を続けるのは品がない」

 

「品の問題ですか」

 

「秘匿の問題でもある」

 

「最初からそっちを言ってください」

 

 真壁は地図の端を指先で押さえた。

 

 その地図は、侯爵領の古い道や施設が書かれたものだった。澪が見慣れている町周辺の簡易地図よりも古く、線が曖昧で、ところどころに書き込みがある。

 

 リュシアが横から覗き込む。

 

「ああ、そこ。古い採石場跡だね」

 

「採石場?」

 

 澪が聞き返す。

 

「侯爵領の外れ。今はほとんど使われてないよ。昔は石を切り出してたらしいけど、石が悪くてね。建築石にしづらい場所が多いし、炉に入れても嫌がられる変な石や黒い砂が出るって聞いたことがある」

 

「炉が嫌がるんですか」

 

「職人がそう言うんだから、そうなんだろうね。私は売り物にならない石には詳しくない」

 

 リュシアは肩をすくめた。

 

 真壁の目が、少しだけ地図に深く沈む。

 

「石壁、くぼ地、溜まり水、石粉、泥、黒い砂、人目の少なさ」

 

 彼は静かに言った。

 

「失敗しても壊れるものが少ない。訓練場としては品がある」

 

 澪は真壁を見た。

 

「失敗前提なんですね」

 

「失敗しない訓練など、信用ならん」

 

「その考え方は分かりますけど、言い方が怖いです」

 

 真壁は地図を畳んだ。

 

「行ってみよう」

 

「今からですか」

 

「人目が集まる前に、次の場所を確保する。商会の訓練も、置き場所がいる」

 

 澪はリュシアを見る。

 

 リュシアは笑っていた。

 

「私は行かないよ。採石場で水を切ったり石を分けたりされても、今は商売にならないし」

 

「今は、ですか」

 

「将来は分からない」

 

「やめてください、そういう伏線みたいな言い方」

 

 リュシアは楽しそうに手を振った。

 

 トルがもう一度口を開きかけたが、ミラが肩を押さえた。

 

「今日は行かない方がいいです」

 

「まだ何も言ってない」

 

「顔が言っています」

 

 ピナも頷く。

 

「高圧水って聞こえました」

 

「聞こえただけです」

 

 澪は、三人を見て、そして真壁を見た。

 

 やはり今回は、澪と真壁だけで行くべきだ。

 

 そう判断した。

 

   

 

 

 町を離れると、人の声はすぐ薄くなった。

 

 市場の匂いも、工房の木の香りも、門の近くのざわめきも遠ざかっていく。代わりに、乾いた草と、土と、古い石の匂いが近づいた。

 

 古い荷車道は、ところどころ草に呑まれていた。

 

 車輪が通った跡らしい浅い溝が残り、その脇に低い石積みが続いている。いくつかは崩れ、いくつかは草の根に押されて傾いていた。

 

 澪は足元を見ながら歩いた。

 

「人、来なさそうですね」

 

「よいことだ」

 

「真壁さんの訓練場所としては、ですか」

 

「町の噂話にも、限度がある」

 

「昨日の池は限度を超えましたか」

 

「少し整えすぎた」

 

「少し?」

 

 澪は横目で見た。

 

 真壁は答えなかった。

 

 道の先に、崩れた標柱が見えた。文字は薄れ、何と書かれていたのか分かりにくい。だが、そこから先は土の色が変わった。

 

 草の間に、白っぽい粉が混じる。

 

 赤茶けた泥。

 

 黒い砂。

 

 割れた石。

 

 そして、切り立った石壁。

 

 採石場跡は、山をえぐったような形でそこにあった。

 

 古い削り跡が斜めに走り、雨水が溜まったくぼ地がいくつもある。石壁の下には、白い石粉が乾いて薄く積もり、濡れた場所では泥と混ざって灰色に濁っていた。

 

 ところどころに苔がつき、雨が流れた跡が黒い筋になっている。

 

 澪は少しだけ息を呑んだ。

 

 使われなくなった場所には、独特の静けさがある。

 

 誰かが働いていた痕跡はあるのに、今は誰もいない。切り出された石壁は、ただそこに残り、溜まり水は空を映し、黒い砂は踏まれることもなく端に寄っていた。

 

 真壁は周囲を見回した。

 

 その視線は、ただ景色を見ているだけではない。

 

 水の量。

 

 泥の位置。

 

 石壁の硬さ。

 

 崩れた石材。

 

 黒い砂の溜まり。

 

 高圧水を使っても、人や建物に当たらない方向。

 

 真壁は一つずつ確認している。

 

「水、泥、石粉、硬い壁、脆い石、重い砂。訓練材料としては申し分ない」

 

「訓練材料の言い方がだんだん怖くなってます」

 

「前の池よりよい。ここなら、結果として整っても人目につきにくい」

 

「整う前提なんですね」

 

「訓練の結果は残る」

 

「便利な言い方ですね」

 

 澪はそう言いながら、くぼ地の溜まり水を覗き込んだ。

 

 水は濁っていた。

 

 白い石粉、赤茶けた泥、細かな黒い砂が混じっている。池の水よりずっと荒い。生き物は少なそうだが、分ける対象としては複雑だった。

 

 真壁も同じ水を見る。

 

 鑑定表示が浮かんだ。

 

----------------------------------

採石場の溜まり水

 分類:雨水/石粉混入水

 状態:濁りあり

 含有:石粉/泥/微細な黒砂

 注意:収納分離訓練に適しています

----------------------------------

 

「適しています」

 

 澪が表示を読んだ。

 

「はい、そうですか、という感じですね」

 

「よい表示だ」

 

 真壁はくぼ地の横に立つと、手をかざした。

 

 池の時と違い、今度は水だけではない。

 

 水。

 

 石粉。

 

 泥。

 

 黒い砂。

 

 どれを入れ、どれを残すか。

 

 真壁は一度目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。

 

「水のみ。石粉、泥、黒砂を残す。収納」

 

 濁った水面がすっと下がった。

 

 だが、くぼ地の底には湿った石粉と泥、そして黒い細かな砂が残る。水が抜けた分だけ、残ったものの輪郭が見えるようになった。

 

「池より難しいですね」

 

「混ざり方が荒い。だが、区別はしやすい」

 

 真壁は残った泥を見た。

 

「次は石粉だけだ」

 

 澪は、嫌な予感と興味の半分ずつで見守った。

 

 真壁は湿った石粉の一部を収納する。泥が少し残り、黒い砂が底に見える。

 

 さらに、黒い砂だけを残すように意識する。

 

 濡れた泥が少し動き、白っぽい石粉が減り、黒い砂が小さな筋のように残った。

 

 真壁は、静かに頷いた。

 

「よい。これは池より訓練になる」

 

「真壁さん、顔が楽しそうです」

 

「顔は平常だ」

 

「目が違います」

 

「目は時々余計なことを言う」

 

 澪はその返しに、昨日も聞いた気がすると思った。

 

 真壁は石壁に近づき、苔のついた場所を見る。

 

 水を細く出す。

 

 圧をかけすぎないように、しかし苔だけを落とす程度に絞る。

 

 細い水の線が石肌をなぞり、緑の苔が湿って剥がれた。苔の下に、石の色が出る。白っぽい部分、赤茶けた筋、そして黒い細い筋。

 

 真壁は、その黒い筋を見た。

 

 まだ、そこでは何も言わなかった。

 

 ただ、石肌を洗った。

 

 水を岩の溝に沿わせる。

 

 溜まった石粉を流す。

 

 流れた先で、重い黒砂が底に残る。

 

 澪は最初、横で見ていた。

 

 だが、真壁の没入は早かった。

 

 石粉を分ける。

 

 泥を分ける。

 

 黒砂を残す。

 

 水を通す。

 

 苔を落とす。

 

 石肌を洗う。

 

 淡々としているのに、止まる気配がない。

 

「真壁さん」

 

「何だ」

 

「私は一度、事業所と現代側の確認に戻ります」

 

「分かった」

 

 即答だった。

 

 澪は眉を寄せる。

 

「……今回は採石場を整備しすぎないでくださいね」

 

「訓練の結果、整うことはある」

 

「それを整備と言うんです」

 

「では、記録しておく」

 

「また保証になってません」

 

 真壁は少しだけ口元を動かした。

 

「戻る頃には、少し見やすくなっているだろう」

 

「その言い方がもう怖いです」

 

 澪は不安を残しながら、採石場跡を離れた。

 

 背後で、水が石を洗う細い音が続いていた。

 

   

 

 

 真壁は一人になった。

 

 採石場跡の静けさは、池よりも深い。

 

 町の声は届かない。

 

 子どもの足音もない。

 

 リュシアの商売声も、セルマの工房の音もない。

 

 あるのは、石と水と泥と砂だけだった。

 

 真壁は、まず溜まり水を使った。

 

 水だけを抜く。

 

 石粉を残す。

 

 泥を残す。

 

 黒い砂を残す。

 

 次に、石粉だけを収納する。

 

 乾いたもの。

 

 湿ったもの。

 

 細かいもの。

 

 粗いもの。

 

 同じ白っぽい粉でも、指先で触れた感覚が違う。鑑定の見え方も違う。

 

 次に、泥と石粉を分ける。

 

 水を細く流し、泥の流れ方を見る。

 

 泥は広がる。

 

 石粉は沈む。

 

 黒い砂はさらに残る。

 

 次に、高圧水で苔を落とす。

 

 強すぎれば石粉まで削れる。

 

 弱すぎれば苔が残る。

 

 真壁は何度も圧を変え、石肌に残る跡を見た。

 

 次に、砕けた石材を粒の粗さで分ける。

 

 大きな欠片。

 

 粗い砂。

 

 細かい粉。

 

 重い砂。

 

 軽い砂。

 

 収納の対象指定は、昨日より明らかに細かくなっていた。

 

 真壁は記録した。

 

 水ではない。

 

 泥でもない。

 

 石だ。

 

 石は黙っているが、混ざり方は嘘をつかない。

 

 途中で、鑑定表示が浮かんだ。

 

----------------------------------

真壁久忠

 分類:人間/異界漂着者

 現在ジョブ:商人

 レベル:7 → 8

 状態:採石場訓練中/高集中

 既得スキル:鑑定:5 → 6

 既得スキル:収納:4 → 5

 成長:鉱物分離:1

 成長:粒径分離:1

 成長:石粉洗浄:1

 成長:高圧水洗浄:1

 注意:石粉・泥・砂の分離精度が上昇しています

----------------------------------

 

 真壁は表示を見た。

 

「まだ粗い」

 

 そう呟く。

 

 普通なら十分な成果だった。

 

 だが、真壁にとっては途中だった。

 

 彼は止まらない。

 

 ただし、無計画ではなかった。

 

 石壁のどこを洗ったか。

 

 どのくぼ地の水を抜いたか。

 

 どの砂が残ったか。

 

 どの圧で苔が落ち、どの圧で石粉が削れたか。

 

 すべてを記録しながら、訓練は続いた。

 

 同じ黒い砂でも、重さが違う。

 

 同じ石粉でも、色が違う。

 

 赤茶けたもの。

 

 黒いもの。

 

 白っぽいもの。

 

 水で洗うと流れるもの。

 

 水で洗っても、底に残るもの。

 

 普通の石粉は流れる。

 

 重い砂は底へ残る。

 

 真壁は、石壁の黒い筋をさらに洗った。

 

 高圧水で苔を落とす。

 

 水を溝に沿わせる。

 

 崩れた石粉を収納で取り除く。

 

 黒い筋が、少しはっきり見えた。

 

 そこに、重い砂が残る。

 

 真壁は、指先でその砂をすくった。

 

 濡れている。

 

 黒い。

 

 細かい。

 

 だが、鉄砂と呼ぶには、少し違う。

 

 また鑑定表示が浮かぶ。

 

----------------------------------

真壁久忠

 分類:人間/異界漂着者

 現在ジョブ:商人

 レベル:8 → 9

 状態:採石場訓練中/鉱物識別開始

 既得スキル:鑑定:6 → 7

 既得スキル:収納:5 → 7

 既得スキル:商才:3

 成長:鉱物識別:1

 成長:成分分離:1

 成長:重砂選別:1

 成長:採石場調査:1

 注意:鑑定と前世知識の照合精度が上昇しています

----------------------------------

 

 真壁は、その表示を見て、しばらく黙った。

 

 見え方が変わった。

 

 石粉は石粉ではない。

 

 砂は砂ではない。

 

 黒い重砂には、性質がある。

 

 割れた石材の光沢には、癖がある。

 

 石壁の筋には、鉱脈の走り方がある。

 

 地質学。

 

 鉱物。

 

 前世で見た資料。

 

 軍需。

 

 工業素材。

 

 耐熱性。

 

 軽量高強度。

 

 重い黒砂。

 

 酸化物。

 

 炉で嫌われる石。

 

 真壁の中で、ばらばらだった記憶が、鑑定表示とつながった。

 

 彼は、指先の黒い砂を見つめた。

 

「……これは、知っている」

 

   

 

 

 澪が戻ってきた時、採石場跡は少しだけ変わっていた。

 

 いや、少しではないかもしれない。

 

 石壁の苔が一部落ち、黒い筋が見えている。

 

 溜まり水のいくつかは澄み、いくつかのくぼ地には石粉と黒い砂が分けて残されている。

 

 割れた石材が、粗さごとに並んでいる。

 

 水の流れ道まで、妙にきれいに出ていた。

 

 澪は、足を止めた。

 

「また整ってる……」

 

 真壁は、採石場の奥で黒い砂を小さな瓶に入れていた。

 

 澪が近づくと、真壁は顔を上げる。

 

「戻ったか」

 

「戻りました。……また何か見つけました?」

 

「訓練材料の中に、鉱物が混じっていた」

 

 澪は一瞬、言葉を失った。

 

「採石場ですからね」

 

「ただの石ではない。これは、おそらくチタン系だ」

 

「チタン」

 

 澪はその言葉を繰り返した。

 

 現代側の知識として、名前だけは聞いたことがある。軽くて強い金属。航空機や医療用金属、高級素材。だが、自分の目の前にあるのは、黒い砂と石片だった。

 

「これが?」

 

「まだ鉱石だ。金属ではない」

 

 真壁は黒い重砂を澪へ見せた。

 

「鑑定してみろ」

 

 澪は息を整え、黒い砂を見る。

 

----------------------------------

黒い重砂

 分類:鉱物/チタン系鉱石

 主成分候補:チタン酸化物/鉄分含有

 性質:重い/黒色/炉で扱いにくい

 純度:低〜中

 用途:現時点では未利用

 注意:通常炉では金属化困難

 注意:鉱石のままでは高額素材ではありません

----------------------------------

 

 続いて、真壁が淡い色の石片を差し出した。

 

 澪は鑑定を重ねる。

 

----------------------------------

淡色鉱石片

 分類:鉱物/高純度チタン系鉱石候補

 主成分候補:チタン酸化物

 不純物:少

 性質:硬い/耐熱性高い/加工困難

 用途:研究対象

 注意:金属化には高度な分離工程が必要

----------------------------------

 

「高純度チタン系鉱石候補……」

 

 澪は表示を読み上げ、眉を寄せた。

 

「でも、鉱石のままでは高額素材ではありません、って出てます」

 

「そうだ。鉱石のままでは鈍い」

 

「鈍い」

 

「金や白金とは違う」

 

 真壁は石壁の方を見た。

 

 洗われた石肌の一部には、黒い筋が残っている。その周辺には、切り出されず捨てられたような石片が転がっていた。

 

「鉄より溶けにくい。炉が嫌うわけだ」

 

「だから見向きされなかったんですか」

 

「扱えぬ者にとっては邪魔物だ。扱える者にとっては財になる」

 

 澪は、黒い砂の瓶を見た。

 

「今、扱えるんですか」

 

 真壁は、すぐには答えなかった。

 

 その沈黙が、むしろ正直だった。

 

「今は、見えるだけだ」

 

 澪は少し安心した。

 

 そして、すぐに安心しきってはいけないと気づいた。

 

 真壁が「見えるだけ」と言う時は、たいてい次に「では、どう扱うか」へ進む。

 

「白金の時は、重砂を分けてインゴット化できましたよね」

 

 澪は思わず言った。

 

「これもできませんか」

 

 白金の時、澪は白い重砂を分離し、集め、固めた。収納と鑑定と錬金の補助で、金属としてまとめることができた。

 

 なら、これも。

 

 そう考えかけた澪に、真壁は静かに首を横に振った。

 

「白金は、眠っていた金属を集めた。これは違う。石の中から、金属を戻す話だ」

 

「つまり、固める前の段階で詰まってるんですね」

 

「そうだ。酸素を外し、不純物を分け、金属だけを残す必要がある」

 

 澪は黒い砂を見た。

 

 急に、それがただの砂ではなく、何かが閉じ込められた石に見えてきた。

 

「難しそうですね」

 

「現実の工程は長い。だが、目的は単純だ。酸素を外し、不純物を分け、金属だけを残す」

 

 真壁は細部を語らなかった。

 

 炉の具体的な温度や、危険な薬品や、現代側の工業設備については言わない。

 

 ただ、目的だけを置いた。

 

 酸素を外す。

 

 不純物を分ける。

 

 金属だけを残す。

 

 澪は、それを収納の言葉に置き換えようとして、少し頭が痛くなった。

 

「それを収納で?」

 

「収納が分ける力を持つなら、工程そのものを短くできる可能性がある」

 

 真壁は、黒い砂の瓶を軽く振った。

 

「今日、収納は七まで上がった。成分分離、密閉、圧力制御、状態保持。まだ荒いが、方向は見えた」

 

「密閉とか減圧とか、さらっと混ぜましたね」

 

「必要になる」

 

「必要になる前提なんですね」

 

「今すぐではない。だが、これは訓練する理由になる」

 

 澪は深く息を吐いた。

 

「また真壁さんの訓練理由が増えたんですね」

 

「よい訓練には、よい目的が要る」

 

「目的が重すぎます」

 

 真壁は、そこで少しだけ視線を遠くへ向けた。

 

「金は、持ち出すだけで国を揺らす。澪君が避けた理由は分かる」

 

 澪は瞬いた。

 

「リュシアから聞いたんですか」

 

「聞いた。よい判断だ」

 

 真壁は黒い砂を見る。

 

「だが、これは違う。鉱石のままでは鈍い。製錬できて初めて価値になる。つまり、売る相手を選べる」

 

「B2Bですか」

 

「そうだ。個人にばらまくものではない。工房、商会、侯爵家、あるいは澪君の国の法人向けだ」

 

「また大口案件ですね」

 

「小口にする方が危ない」

 

 澪は反論できなかった。

 

 金は危険だ。

 

 白金も扱い方を間違えれば危ない。

 

 チタン鉱石は、鉱石のままなら地味で鈍い。だが、精錬できれば、用途を持つ素材になる。通貨を揺らすものではなく、産業に触れるものになる。

 

 それは安全という意味ではない。

 

 危険の種類が違うという意味だった。

 

 澪は採石場跡を見渡した。

 

 最初は、人目を避けるための訓練場所だった。

 

 それが今は、違うものに見える。

 

 水収納訓練場。

 

 高圧水訓練場。

 

 残渣分離訓練場。

 

 石粉洗浄訓練場。

 

 黒砂選別場。

 

 そして、チタン系鉱石候補地。

 

「訓練場所を変えただけだったはずなんですけど」

 

 澪は言った。

 

 真壁は、何でもないことのように返す。

 

「訓練場所として来た。素材を見つけてはいけない理由はない」

 

「ついでが大きすぎます」

 

「大きいものほど、早く見つけた方がよい」

 

「それっぽく言えばいいと思ってませんか」

 

「多少は」

 

「認めた」

 

 真壁は黒い重砂と淡色鉱石片を、少量だけ収納した。

 

 大量には持ち出さない。

 

 試料として。

 

 調査対象として。

 

 次の訓練理由として。

 

 澪はその様子を見ながら、深く息を吐いた。

 

 古い採石場跡は、誰にも見向きされない場所だった。

 

 炉が嫌い、職人が嫌い、商人も見なかった、扱いにくい石の捨て場だった。

 

 だが真壁久忠は、その捨て場を訓練場に変え、訓練場を鉱山候補に変えた。

 

 澪は、真壁が収納した黒い重砂の小瓶を見た。

 

 金ではない。

 

 白金でもない。

 

 今すぐ売れる宝でもない。

 

 けれど、精錬できれば、これは金とは違う形で押入商会の柱になるかもしれない。

 

 問題は、その「できれば」が、またとんでもなく重いことだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。