押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第80話 採石場の隠れ家

 朝の押入商会侯爵領事業所には、まだ夜の湿り気が少し残っていた。

 

 机の上には、小さな瓶が二つ並んでいる。

 

 一つには黒い重砂。

 もう一つには、淡い色をした鉱石片。

 

 どちらも、昨日までなら澪にはただの石に見えただろう。

 

 けれど今は違う。

 

 黒い砂はただの砂ではない。

 淡色の石片も、ただの石ではない。

 

 鑑定表示に、チタン系鉱石候補と出た。

 

 金ではない。

 白金でもない。

 今すぐ売れば大金になる素材でもない。

 

 なのに、机の上に置いてあるだけで、仕事が増える気配がした。

 

 澪は瓶を見つめながら、湯呑みに手を伸ばした。

 

 ちょうどその時、扉が静かに開いた。

 

「おはよう、澪君」

 

 真壁久忠が入ってきた。

 

 いつも通り、姿勢がよい。

 声も落ち着いている。

 だが澪には、もう分かる。

 

 この人が落ち着いている時ほど、たいてい話が大きい。

 

「おはようございます」

 

 澪は湯呑みを置いた。

 

「真壁さん、昨日の黒砂の件ですけど」

 

「その件だ」

 

 真壁は机の前に立ち、小瓶を見下ろした。

 

「澪君の鑑定と収納を借りれば早い。だが、それでは澪君の荷が減らん」

 

「つまり?」

 

「私ができるようにする。鑑定と収納を、もう二段上げる」

 

 澪は、湯呑みを持つ手を止めた。

 

「また採石場ですか」

 

「あそこは訓練場として優れている。石も水も泥も残渣もある。失敗しても壊れるものが少ない」

 

「それ、前回も聞きました」

 

「今回は壊さない。整える」

 

 澪はゆっくり瞬きをした。

 

「整える?」

 

 嫌な予感がした。

 

 昨日、真壁はビッグバス池を整えた。

 その結果、池は町の小さな見物場所になった。

 

 真壁の「整える」は、澪の知る「少し片づける」と違う。

 

 たぶん、かなり違う。

 

「真壁さん」

 

「何だ」

 

「整えるの意味を、事前に確認してもいいですか」

 

「作業に必要な環境を、安全かつ効率よく使える状態にする」

 

「すごく正しい言葉なのに、不安が消えません」

 

 真壁は、少しだけ目元をやわらげた。

 

「正しい言葉は、不安を消すためだけにあるわけではない」

 

「朝から名言っぽいことを言わないでください」

 

 澪は額に手を当てた。

 

 そこへリュシアが顔を出した。

 

「朝から何の話?」

 

「真壁さんが、また採石場へ行くそうです」

 

「ああ」

 

 リュシアは一瞬で理解した顔になった。

 

「澪がいないところで回るなら、商会としては良いことだね」

 

「回り方が濃いんです」

 

「そこは否定しない」

 

 リュシアは机の小瓶を見た。

 

「これが、昨日の黒い砂?」

 

「はい。チタン系鉱石候補です」

 

「まだよく分からないけど、澪が頭を抱えるものだってことは分かる」

 

「その理解が早すぎます」

 

 真壁は黒砂の小瓶と記録板を手に取った。

 

 澪は反射的に立ち上がりかける。

 

「私も行った方が」

 

「今日は来ない方がいい」

 

 真壁は静かに言った。

 

 拒絶ではない。

 命令でもない。

 

 ただ、最初から決めていた言い方だった。

 

「君が横にいれば、私は君の力を使いたくなる。今日はそれを避ける」

 

 澪は少し黙った。

 

「使いたくなるって、正直ですね」

 

「便利な力を使わぬのは難しい。だから、最初から離す」

 

 その言葉は、妙に真っ直ぐだった。

 

 澪は反論しかけて、やめた。

 

 真壁の目的は、チタン鉱石を今すぐどうにかすることではない。

 澪に頼らず、真壁自身が扱えるようになることだ。

 

 それは、押入商会にとって本当に必要なことだった。

 

「……分かりました。でも、疲労度を見て、無理はしないでください」

 

「承知した」

 

「承知した人ほど、承知してないことがあります」

 

「記録する」

 

「それ、安心材料じゃないです」

 

 真壁は小瓶と記録板だけを持ち、外へ出ていった。

 

 リュシアはその背中を見送りながら、少し笑った。

 

「澪がいないところで、ちゃんと回り始めてるじゃない」

 

「回り始めてるのはいいんです」

 

 澪は小さく息を吐いた。

 

「方向が、たまに怖いんです」

 

   

 

 

 古い採石場跡は、朝の光の中で静かだった。

 

 町の声は届かない。

 

 市場のざわめきも、工房の音も、子どもたちの足音もない。

 

 切り立った石壁が影を作り、溜まり水は白っぽく濁っている。石粉は風に乾き、黒い重砂は前日に分けた場所に細い筋を作って残っていた。

 

 真壁は一人で採石場へ入った。

 

 前回よりも、見えるものが多い。

 

 石壁の黒い筋。

 赤茶けた泥。

 白い石粉。

 黒い重砂。

 淡色鉱石片。

 溜まり水。

 水路の詰まり。

 苔。

 雨水の流れ。

 

 それらが、ばらばらの景色ではなくなっている。

 

 どこで見るか。

 

 どこで分けるか。

 

 どこへ戻すか。

 

 どの状態で保つか。

 

 真壁は石壁の前に立ち、低く呟いた。

 

「必要なのは、見る場所、分ける場所、戻す場所、保つ場所だ」

 

 まず、水場を見る。

 

 次に、洗浄に使えそうな傾斜を見る。

 

 石粉と重砂を分けるには、低いくぼみが使える。

 

 試料を保管するなら、雨の当たりにくい張り出しの下がいい。

 

 記録板を書くには、平らな石が必要だ。

 

 真壁は歩きながら、石を見て、水を見て、地面の傾きを見た。

 

 採石場跡は、ただの場所ではなくなりつつあった。

 

 工程を組む場所になる。

 

 真壁は小瓶から、黒い重砂をほんの少しだけ取り出した。

 

 手のひらの上に広げる。

 

 黒い砂。

 白い石粉。

 赤茶けた鉄分。

 泥。

 水分。

 重い成分。

 軽い成分。

 

 収納で分ける。

 

 意識を細くする。

 

 見えている。

 

 だが、まだ境界がにじむ。

 

 どこまでが黒い重砂で、どこからが赤茶けた鉄分か。

 どこまでが石粉で、どこからが微細な残渣か。

 分けられるが、掴みきれない。

 

 鑑定表示が浮かんだ。

 

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黒い重砂

 分類:鉱物混合物

 主成分候補:チタン酸化物/鉄分含有

 混入:石粉/泥/微細残渣

 分離状態:不完全

 注意:成分境界の認識が不足しています

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 真壁は表示を見た。

 

「見えているが、まだ掴みきれん」

 

 収納七では、かなり分けられる。

 

 だが、足りない。

 

 澪に頼らず進めるなら、足りない。

 

 真壁は手のひらの砂を戻し、採石場の溜まり水へ向かった。

 

 まず、水だけを抜く。

 

 濁り水から、石粉だけを残す。

 

 次に、石粉を乾いたものと湿ったものに分ける。

 

 黒い砂だけを残す。

 

 苔で滑りそうな石床を高圧水で洗う。

 

 石壁の黒い筋を露出させる。

 

 詰まった水路へ、細く水を通す。

 

 泥を一箇所に寄せる。

 

 残渣をまとめる。

 

 ひとつひとつの作業は、訓練だった。

 

 だが、結果として採石場は少しずつ整っていく。

 

 濁った水が澄む。

 

 石粉が一箇所へまとまる。

 

 黒い砂が細いくぼみに集まる。

 

 苔が落ち、足元の石肌が見える。

 

 水路の詰まりが抜け、雨水の流れが見える。

 

「水が濁るなら、濁らぬよう通せばよい」

 

 真壁は濁った水を見て、淡々と言った。

 

 水路の流れを調整する。

 

 石粉が散る。

 

 真壁は収納で回収する。

 

「石粉が邪魔なら、先に分ければよい」

 

 苔で足元が滑る。

 

 高圧水で洗い落とす。

 

「足元が悪いなら、洗えばよい」

 

 それは、本人の中では合理的な判断の積み重ねだった。

 

 水が邪魔なら通す。

 

 石粉が邪魔なら分ける。

 

 苔が邪魔なら落とす。

 

 休む場所がなければ作る。

 

 記録を書く台がなければ整える。

 

 その一つ一つが、採石場跡を住める方向へ押していることに、真壁はまだあまり関心を払っていなかった。

 

 関心があるのは、分けられるか。

 

 保てるか。

 

 戻せるか。

 

 工程として組めるか。

 

 やがて、鑑定表示が浮かんだ。

 

----------------------------------

真壁久忠

 分類:人間/異界漂着者

 現在ジョブ:商人

 レベル:9 → 10

 状態:採石場個人訓練中/高集中

 既得スキル:鑑定:7 → 8

 既得スキル:収納:7 → 8

 既得スキル:商才:3

 成長:成分境界把握:1

 成長:密閉収納:1

 成長:微細残渣分離:1

 成長:作業場整備:1

 注意:収納内状態保持の精度が上昇しています

----------------------------------

 

 続いて、収納そのものの表示が開く。

 

----------------------------------

真壁久忠の収納

 分類:収納技能

 スキルレベル:収納:7 → 8

 収納可能重量:1,500kg前後 → 3,000kg前後

 分類保持:高

 形状保持:高

 状態保持:普通 → 高

 時間遅延:弱

 密閉保持:芽あり

 減圧保持:芽あり

 成分分離:良

 注意:収納内で分離状態を保持できます

----------------------------------

 

 真壁は、手の中の黒い砂を見た。

 

 分けることはできる。

 

 だが、分けたものが混ざり直しては意味がない。

 

 収納内で、その状態を保つ。

 

 それが見え始めた。

 

「分けるだけではない。分けた状態を保てるか」

 

 真壁は記録板へ書いた。

 

 分ける。

 保つ。

 

 それから顔を上げた。

 

 雨が降った時、試料が濡れる。

 

 濡れれば分離条件が変わる。

 

 記録板も濡れる。

 

 座る場所がなければ、疲労で判断が鈍る。

 

 足場が滑れば、作業が乱れる。

 

 水路が詰まれば、濁りが戻る。

 

 真壁は周囲を見た。

 

 雨水が流れ込む溝を通す。

 

 石粉が溜まる場所を分ける。

 

 黒砂だけ集まる浅いくぼみを作る。

 

 泥を脇へ寄せる。

 

 石床を高圧水で洗う。

 

 苔を落として滑りにくくする。

 

 崩れた石材を平らに並べる。

 

 割れた石を作業台代わりにする。

 

 大きな板状の石を、張り出しの下へ移す。

 

 休める石の段を作る。

 

「座れる場所が必要だ。判断力は疲労で鈍る」

 

 平たい石を少し削り、座れる高さに整える。

 

「雨を避ける場所がいる。試料が濡れる」

 

 張り出しの下へ、平らな石を置く。

 

「記録を書く台がいる」

 

 大きな平石を洗い、表面の石粉を収納で取り除く。

 

 作業台ができた。

 

 水路が通った。

 

 試料置き場ができた。

 

 休憩場所ができた。

 

 真壁の認識では、安全確保、作業効率化、試料管理、訓練環境整備である。

 

 もし澪が見ていれば、別の言葉を使っただろう。

 

 住居化、と。

 

   

 

 

 昼を過ぎても、真壁は止まらなかった。

 

 もちろん、本人は止まっているつもりだった。

 

 作業ごとに確認する。

 

 疲労を見る。

 

 水を飲む。

 

 記録する。

 

 だが、次の確認がすぐ始まる。

 

 黒い重砂から、鉄分寄りを分ける。

 

 チタン酸化物寄りを探る。

 

 石粉を抜く。

 

 泥を除く。

 

 微細残渣を取り除く。

 

 淡色鉱石片から、付着石粉を落とす。

 

 表面風化部分を取り除く。

 

 収納内で密閉状態を試す。

 

 弱い減圧のような保持を試す。

 

 水分を抜く。

 

 残渣を抜く。

 

 分離状態を保つ。

 

 そのたびに、見える境界が細くなる。

 

 曖昧だったものが、線になる。

 

 線だったものが、層になる。

 

 層だったものが、対象になる。

 

 表示が開いた。

 

----------------------------------

真壁久忠

 分類:人間/異界漂着者

 現在ジョブ:商人

 レベル:10 → 11

 状態:採石場個人訓練中/高集中/工程構築前

 疲労度:52% → 71%

 既得スキル:鑑定:8 → 9

 既得スキル:収納:8 → 9

 既得スキル:商才:3

 成長:高度成分分離:1

 成長:密閉保持:1

 成長:減圧保持:1

 成長:状態保持:1

 成長:試料管理:1

 注意:収納内で小規模な工程場を構築可能になりました

----------------------------------

 

 続いて、収納の表示が出る。

 

----------------------------------

真壁久忠の収納

 分類:収納技能

 スキルレベル:収納:8 → 9

 収納可能重量:3,000kg前後 → 8,000kg前後

 分類保持:高

 形状保持:高

 状態保持:高

 時間遅延:弱 → 普通

 密閉保持:可

 減圧保持:可

 圧力制御:普通

 成分分離:高

 残渣分離:高

 工程保持:芽あり

 注意:小試料であれば収納内工程の構築が可能です

----------------------------------

 

 真壁は表示を見て、静かに息を吐いた。

 

「これなら、澪君を使わずに試せる」

 

 その声には、満足よりも確認があった。

 

 澪を使わない。

 

 澪の収納を借りない。

 

 澪の鑑定を前提にしない。

 

 真壁自身が、小試料で工程を組む。

 

 それが目的だった。

 

 真壁は、黒い重砂と淡色鉱石片を作業台の上に置いた。

 

 危険な現実の手順をここで再現するわけではない。

 

 必要なのは、工程名ではない。

 

 目的だ。

 

「現実の工程は長い。だが、意味は分解できる」

 

 真壁は記録板へ、ゆっくり書いた。

 

 分ける。

 

 保つ。

 

 抜く。

 

 戻す。

 

「酸素を外す。不純物を分ける。金属分を残す」

 

 それ以上は書かない。

 

 細かな手順ではなく、目的だけを置く。

 

 収納が分ける力を持つなら。

 

 密閉できるなら。

 

 状態を保てるなら。

 

 小試料なら、工程を短くできる可能性がある。

 

 真壁は記録板を閉じた。

 

 実験は、まだしない。

 

 今日は、準備の日だ。

 

 ただし、真壁が準備と呼んだものは、採石場跡をまるごと作業場へ変える作業でもあった。

 

   

 

 

 夕方、澪は採石場跡へ戻った。

 

 近づく前から、違和感があった。

 

 入口の草が減っている。

 

 足場が歩きやすい。

 

 前は足首に引っかかっていた枯れ草が、道の端へ寄せられている。

 

 白い石粉が道に散っていない。

 

 水路らしい細い流れが、採石場の外へ向かって通っている。

 

 澪は足を止めた。

 

「……あれ?」

 

 中へ入ると、さらにおかしかった。

 

 壁が洗われている。

 

 苔が落ち、石肌が見えている。

 

 水路が整っている。

 

 濁っていた溜まり水の一部が澄んでいる。

 

 黒砂、石粉、泥、残渣が、それぞれ別の場所に分けて置かれている。

 

 大きな平石が、どう見ても作業台になっている。

 

 石の段が、どう見ても椅子のようになっている。

 

 雨除けになる張り出しの下には、試料置き場らしい平らな石が置かれ、記録板まで置いてある。

 

 水もある。

 

 座る場所もある。

 

 荷物を置く場所もある。

 

 歩きやすい。

 

 見やすい。

 

 休めそう。

 

 澪は固まった。

 

「真壁さん」

 

 奥の作業台の前で、真壁が記録板を整理していた。

 

「戻ったか」

 

「ここ、住めますよね?」

 

「雨はしのげる。水もある。作業台もある」

 

「住めるようにしたんじゃないですか」

 

「作業に必要な環境を整えた結果だ」

 

「それを住居化と言います」

 

 真壁は周囲を見た。

 

 水路。

 

 作業台。

 

 試料置き場。

 

 休憩用の石段。

 

 雨除け。

 

 澄んだ溜まり水。

 

 分けられた黒砂。

 

 真壁は少しだけ頷いた。

 

「隠れ家としても悪くない」

 

「認めないでください」

 

 澪は両手で頭を押さえた。

 

「私、整備しすぎないでって言いましたよね」

 

「壊してはいない」

 

「そういう問題じゃないです」

 

「散らかっていたものを分けた。滑る場所を洗った。雨を避ける場所に試料を置いた。記録を書く台を作った」

 

「全部合わせると、住めるんです」

 

「結果としては、そう見えるかもしれない」

 

「結果が強すぎます」

 

 澪は、もう一度採石場を見渡した。

 

 誰も見向きしなかった古い採石場跡。

 

 昨日まで、捨て場に近かった場所。

 

 それが今は、小さな秘密工房のようになっている。

 

 秘密基地と言ってもよい。

 

 しかも、水場つき、作業台つき、試料置き場つき、休憩スペースつき。

 

 澪は、恐る恐る真壁を鑑定した。

 

----------------------------------

真壁久忠

 分類:人間/異界漂着者

 現在ジョブ:商人

 レベル:11

 前職:指揮官 Lv14

 前職影響:あり

 状態:採石場個人訓練後/高疲労/満足

 疲労度:71%

 既得スキル:商才:3

 既得スキル:鑑定:9

 既得スキル:収納:9

 既得スキル:交渉:7

 既得スキル:指揮:7

 既得スキル:軍略:6

 成長:高度成分分離:1

 成長:密閉保持:1

 成長:減圧保持:1

 成長:状態保持:1

 成長:試料管理:1

 成長:作業場整備:1

 注意:疲労度70%超。継続作業には休息推奨

----------------------------------

 

 澪は表示を見て、しばらく黙った。

 

「鑑定九、収納九……」

 

「これで、澪君に頼らず小試料の工程を組める」

 

「それをやるために、採石場を隠れ家にしたんですか」

 

「隠れ家にしたのではない。工程を組む場を整えた」

 

「同じです」

 

 真壁は反論しなかった。

 

 少しだけ満足そうだった。

 

 その表情が、澪には一番怖かった。

 

 真壁は作業台の上に、小さな容器を二つ並べた。

 

 片方には黒い重砂。

 

 もう片方には淡色鉱石片。

 

 どちらも少量だけ。

 

 真壁は、それをしばらく見た。

 

「次は、戻す」

 

「戻す?」

 

「石の中の金属を、金属へ戻す」

 

 澪は、背筋に妙な緊張が走るのを感じた。

 

 ついに来た。

 

 チタン製錬。

 

 いや、まだ製錬という言葉を使うには早いのかもしれない。

 

 けれど、真壁の目はもう、ただの黒砂を見ていない。

 

 石の中に閉じ込められた金属を見ている。

 

 澪は鑑定表示の疲労度へ視線を戻した。

 

「今日はもう帰って休んでください。疲労度七十一です」

 

「続けられる」

 

「続けられると、休むべきは違います」

 

 真壁は少しだけ黙った。

 

 それから、小さく頷いた。

 

「よい指摘だ」

 

 澪は、ほっとした。

 

 ここで「では続きを」と言われたら、どうしようかと思っていた。

 

「では、今日はここまでだ。次に戻す」

 

「その言い方、怖いです」

 

「言い方の問題ではない」

 

「内容の問題です」

 

 真壁は記録板を閉じた。

 

 澪は採石場跡をもう一度見渡した。

 

 昨日まで誰も見向きしなかった場所。

 

 今日は、水路が通り、石壁が洗われ、黒砂と石粉が分けられ、雨を避ける場所があり、作業台がある。

 

 採石場跡は、訓練場から秘密工房になりかけていた。

 

 いや、ほとんどなっていた。

 

 古い採石場跡は、また姿を変えていた。

 

 捨て場だった場所は訓練場になり、訓練場は隠れ家になり、隠れ家はいつの間にか小さな秘密工房になっていた。

 

 真壁久忠は、それを整備とは呼ばなかった。

 

 作業環境を整えただけだと言った。

 

 澪は、澄んだ溜まり水と、分けられた黒い砂と、妙に座り心地の良さそうな石段を見た。

 

 どう見ても、住める。

 

 そして、その住める採石場の奥で、真壁は次に石の中の金属を戻すつもりでいる。

 

 押入商会は、また一つ便利になった。

 

 そして、また一つ危ない秘密基地を手に入れてしまった。

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