蒼翼のフリューゲル“Two beyond dimensions.” 作:フルス・シュタイン
――そして現実へ帰還する。
静寂。
深い海の底から浮かび上がるように。
意識が戻っていく。
重い。
全身が軋む。
脳の奥が焼けるように痛む。
それでも――。
ユーヤはゆっくりと目を開けた。
視界に映るのは。
現実。
無機質な空間。
そして、
目の前に立つ存在。
アダムが静かにユーヤの頭部から“手”を離す。
「接続解除を確認」
淡々とした声。
だが、
どこか安堵が混じっていた。
ユーヤは額を押さえる。
熱が残っている。
微かな痛み。
量子ネットワークの残滓。
脳の奥にまだ光がちらついていた。
だが、
そんなことより、
ユーヤの視線は一つの存在を探していた。
「……エリス」
そこにいた。
静かに漂いながら。
少女がゆっくりと目を開く。
銀色の身体。
けれど、
その瞳は確かに“彼女”だった。
「……うん」
その返事を聞いた瞬間。
ユーヤの胸の奥で何かがほどける。
間違いない。
この声。
この空気。
この間の取り方。
エリスだ。
本当に、
帰ってきた。
ユーヤはそっと彼女を抱き寄せた。
優しく。
壊れ物に触れるように。
エリスは抵抗しない。
自然に。
安心したように身を預ける。
「……あったかい」
エリスが小さく呟く。
ユーヤは苦笑した。
「お前、さっきまで“何も感じない”とか言ってただろ」
「……でも…あったかい…」
エリスが少しだけ笑う。
その表情を見て。
ユーヤも笑った。
ユーヤはポケットへ手を入れる。
取り出したのは、
赤いリボン。
量子ネットワークへ飛び込む前。
ずっと握り締めていたもの。
「……落ちてたぞ」
エリスが目を見開く。
「それ……」
ユーヤはそっと彼女の髪へ結び直す。
金色の髪に、
赤が映える。
「もう一度……プレゼントだ」
エリスの瞳が揺れた。
涙が滲む。
「……うん」
小さく頷く。
「もう……無くさない」
ユーヤはその手を握った。
強く、
確かめるように。
「……離さない」
エリスも握り返す。
「……うん」
静かな距離。
二人は見つめ合う。
もう、
言葉はいらなかった。
ゆっくりと。
自然に。
唇が重なる。
触れた瞬間。
ユーヤは目を閉じた。
冷たいはずなのに。
違う。
確かに、
温かかった。
本物だ。
ゆっくりと離れる。
互いに呼吸を整え。
少しだけ照れたように笑う。
その時だった。
『……これが“愛”なのですね』
突然。
頭の奥に声が響く。
エリスに似た声。
話し方はイブだった。
『素晴らしい』
「……聞こえてるぞ」
ユーヤが呆れたように呟く。
『はい』
即答だった。
エリスが苦笑する。
「イブ、空気読んでよ……」
『努力します』
たぶん分かっていない。
すると今度はアダムの声が響く。
「伝えていなかったが、成功確率は0.000001%未満だった」
「……は?」
ユーヤは唖然とした。
アダムは淡々と続ける。
「人の想いは、確率すら超越するのか……興味深い」
その言葉の奥で、
他の上位個体たちのざわめきが微かに伝わってくる。
「非合理的だ」
「だが成立した」
「理解不能」
「故に興味深い」
「……なんか分析されてないか俺ら」
「されてるね……」
二人で顔を見合わせる。
そして、
ユーヤはふと気付いた。
「……そういえば…イブはどうなってるんだ?さっき声は聞こえたが…」
エリスはそこにいる。
普通に呼吸し。
普通に存在している。
だが、
『ここにおります』
声は頭の中から響いた。
『エリスの内部に』
ユーヤの表情が固まる。
『肉体は完全に返還しました』
『現在は量子ネットワーク経由で』
『直接、意識に干渉しています』
『人間の言葉で言うなら』
『テレパシー……でしょうか』
「……いや待て」
ユーヤが眉をひそめる。
「それはおかしいだろ」
「俺は本来アクセスできないはずだ」
「その通りだ」
アダムが答える。
「だが――」
一拍。
「私の構成の一部が君の脳神経に残留している」
「……残留だと?」
少し間抜けな声が漏れた。
「完全な分離は不可能だった」
「結果として極めて限定的ではあるが量子ネットワークと接続状態にある」
ユーヤは頭を押さえる。
「マジかよ……」
「現在可能なのはイブの声を知覚する程度だ」
「それ以上の干渉は確認されていない」
ユーヤはしばらく黙る。
だが、
すぐに肩を竦めた。
「……まあ、ちょうどいいか…」
「それって大丈夫なの?」
エリスが思わず問いかける。
「問題ない」
アダムが断言する。
「極微小な残滓だ。生命活動への影響は無い」
「既に私の制御下にもない」
エリスは少し不安そうにユーヤを見る。
「……なら、いいけど」
「大丈夫だって」
ユーヤが笑う。
エリスも小さく笑い返した。
少しだけ、
穏やかな時間。
二人は互いの存在を確かめるように触れ合う。
だが、
その時間は長く続かなかった。
「さて」
アダムの声。
空気が変わる。
「次の段階へ移行する」
張り詰める空間。
ユーヤとエリスの表情も変わった。
戦いは、
まだ終わっていない。