蒼翼のフリューゲル“Two beyond dimensions.” 作:フルス・シュタイン
朝の光が、静かに差し込んでいた。
キッチンに立つ少女は、音を立てずにフライパンを操って
いる。油の弾ける音すら控えめで、まるで空気に溶け込ん
でいるかのようだった。
「……おはよう、ユーヤ」
振り向かずに、彼女は言う。
寝ぼけた様子もなく、少年――ユーヤは椅子に腰を下ろしてた。
「おはよう」
それだけのやり取り。
だが、それが二人にとっての“普通”だった。
テーブルに並べられた朝食は、見た目にも完成度が高い。
栄養バランスも、味も、すべて計算され尽くしているよう
に見える。
エリスは向かいに座り、静かにユーヤを見る。
ユーヤは何も言わずに食べる。
時折、エリスの視線がわずかに揺れる。
――それだけで、十分だった。
午前中は通信授業。
二人は同じ空間にいながら、それぞれ端末に向かう。教師
の声が淡々と流れる中、ユーヤは無駄のない速度で課題を
処理していく。
エリスは、時折画面から視線を外した。
その先にいるのは、ユーヤだけだった。
昼過ぎ。
二人は復興都市の中心街に出ていた。
人の流れは穏やかで、整然としている。かつての混乱が嘘
のように、この世界は“日常”を取り戻していた。
店先のディスプレイ。行き交う人々。子供の笑い声。
エリスは、ほんの少しだけ歩幅を合わせる。
「……こういうの、好き」
ぽつりと、そう言った。
ユーヤは横目で彼女を見る。
「そうか」
短い返事。
それでもエリスは、ほんの少しだけ笑った。
その表情は、年相応の少女そのものだった。
――その時だった。
空気が、揺れた。
誰も気づかないほどの、微かな違和感。
だが――エリスの足が止まる。
視線が、空を捉えた。
「……?」
次の瞬間。
都市全体に警報が鳴り響いた。
『警告。ギアノイド反応を確認。繰り返す――』
ざわめきが、一瞬で恐怖に変わる。
人々が走る。叫ぶ。崩れる日常。
空間が――裂けた。
空から現れたのは、金属質の巨体。無機質でありながら、生物のような異形――ギアノイド。
十年。
沈黙していたはずの“それ”が、再び現れた。
ユーヤの目が変わる。
「エリス、ここを離れる」
即断だった。
エリスは、その袖を掴む。
「……行くの?」
ほんの一瞬。
ユーヤは彼女を見る。
「行く」
迷いはなかった。
輸送車が、緊急ルートを駆け抜ける。
外ではすでに戦闘が始まっていた。量産型バスターアーム
ズが応戦しているが、数が違う。
十年ぶりの襲撃。
誰もが、明らかに浮足立っていた。
指令室の扉が開く。
「状況は!」
ナツキが叫ぶ。
「連合防衛軍、応戦中! ですが……押されています!」
オペレーターの声が震える。
中央で腕を組むゲンゾウが、低く呟いた。
「……十年ぶりか。あれほど警告しておったというのに。連合軍本部も、甘い」
その時、扉が再び開く。
「状況は?」
ユーヤだった。
「!? どうしてここに――」
「どうしてって、決まってるだろ」
ナツキの言葉を遮る。
「ダメよ。使わせない」
「そんなこと言ってる場合かよ」
ユーヤは、ゲンゾウを見る。
「じいちゃん。もたないぞ。分かるだろ?」
沈黙。
「……じいちゃん」
その呼びかけに、わずかな間が生まれる。
「……分かっておる」
小さく、呟く。
そして、視線をユーヤに向ける。
「じゃがな、お前はまだ――」
一瞬、言葉が止まる。
“子供だ”と、言いかけたのだ。
だが、言わない。
ユーヤは、すでに理解している。
自分が何をするべきか。
やがてゲンゾウが口を開いた。
「……やむを得んか」
そして、静かに告げる。
「フリューゲル、緊急発進準備!!!」
ユーヤが駆け出す。
「待ちなさい、ユーヤ!」
ナツキの声が飛ぶ。
「お父さん!」
「……所長と呼べ」
ゲンゾウは冷静に言った。
「覚悟を決めろ、ナツキ。今、何をすべきか――分かるはずじゃ」
ナツキは唇を噛む。
そして――
「……了解」
顔を上げた。
「フリューゲル、出撃準備!」
格納庫。
白と青の機体が、静かに佇んでいる。
フリューゲル。
未完成の翼を持つ、唯一の機体。
「神経接続、開始」
ユーヤの意識が沈む。
機体と――繋がる。
『接続安定』
『粒子圧、正常域』
『出力制限、維持』
制限状態。それでも、他の機体とは比較にならない。
「フリューゲル、発進許可!」
ナツキの声。
「ユーヤ…武装の準備も間に合ってない…無茶はしないで…」
「…わかってる」
ユーヤは計器に目を落とす。
現状持ち出せる武装は連合軍が使用している汎用ライフル一丁のみ。
一瞬だけ目を閉じた。
浮かぶのは――エリスの顔。
一呼吸着く。そして―――――
「…フリューゲル、出る!!」
射出。
重力を切り裂くように、機体が前へと弾き出される。
背部ユニットが展開し、青い光が溢れた。
翼が――開く。
白い機体が空へと上がる。