蒼翼のフリューゲル“Two beyond dimensions.” 作:フルス・シュタイン
静寂は、長くは続かなかった。
ギアノイドの脅威は、
決して消えたわけではない。
だが――
かつて世界を覆った、
あの圧倒的な絶望とは違う。
小規模。
散発的。
中核を失った群れ。
統率もなく、
ただ彷徨う残党。
連合艦隊が、
宇宙で迎撃する。
地球へ降りる前に、
すべてを処理する。
「もはや脅威ではない」
誰もが、そう口にする。
安堵とともに。
(……本当にそうか)
ゲンゾウは胸の奥に、
わずかな違和感が残る。
消えきらない棘のように。
宇宙。
連合艦隊基地。
人類が急造した、
前線拠点。
連絡。
補給。
作戦会議。
最前線のすべてがここに集約されている。
ナツキは小さく、吐き出すように。
「……終わった、なんて言えないわね」
「終わらせたつもりでいるだけじゃ」
短く、断じるゲンゾウ。
業務は無数にある。
書類。
報告。
確認。
積み上がる現実を、
淡々と処理していく。
そして、
仕事は終わる。
地上へ帰還前の、
わずかな空き時間。
何もすることがない、
ほんの数分。
基地の重力ブロック通路。
二人は歩く。
並んで。
無言のまま。
前方。
若いパイロットたちの声。
緊張の抜けた、
軽い談笑。
「なあ……聞いてくれよ」
少し興奮した声。
「俺、見たんだよ」
「……何をだよ」
「英雄の亡霊」
一瞬。
空気が、止まる。
「おいおい……やめろよ」
「そんなの人前で言うな」
「頭おかしくなったと思われるぞ」
笑い混じりの制止。
「でもさ……俺だけじゃないんだって」
声が、少しだけ低くなる。
「他にも見たってやつ、いるんだよ」
「黒い幽霊みたいでさ……」
「一瞬だけ現れて……気づいたら、敵が落ちてた」
「はいはい、英雄様のお出ましか」
「夢でも見たんだろ」
軽口。
だが、
どこか完全には否定しきれていない。
「違うって……!」
必死な声。
笑いの中に、
わずかな真実味が滲む。
止まる。
ゲンゾウが立ち止まる。
同じく。
ナツキも立ち止まる。
互いに目を向ける。
言葉はない。
だが――
同じことを考えている。
「……亡霊、ね」
「…そんなものがいるなら会ってみたいもんじゃ…」
誰ともなく。
低く。
消えたはずの英雄は。
今もなお、
どこかで戦い続けているのかもしれない。
そんな希望――
「…ばかばかしい…」
ゲンゾウは悪態をつく。
しかし、なにか引っ掛かる。
2人は地上へ帰還する。
僅かな違和感を抱いたまま。
本当にただの噂なのか。
ばかばかしいと感じながらも、何か引っかかる二人。
それはただの、現実逃避だったのかもしれないが。
ゲンゾウとナツキは、
それぞれ動いた。
同じ結論へ辿り着くために。
連合艦隊の記録。
戦闘ログ。
交戦時の映像。
あらゆるデータを洗い出す。
抜けは許されない。
共通点は、一つ。
ギアノイド残党の出現。
その――直後。
“それ”は現れる。
黒い影。
常識を逸した高速機動。
肉眼では、追えない。
気づいた時には。
すでに終わっている。
敵は――
完全に破壊されている。
映像を再生する。
何度も。
何度でも。
見落としを許さぬように。
ゲンゾウは無言で見つめる。
微動だにせず。
ナツキは食い入るように。
一瞬たりとも見逃さぬように。
輪郭は曖昧。
黒い影。
識別――不可能。
だが―――“動き”だけは、
誤魔化せない。
瞬間の急加速。
鋭すぎる軌道変化。
無駄のない間合い。
すべてが、
完成されている。
沈黙が走る。
再生が止まる。
部屋に静寂が落ちる。
「……ねえ」
ナツキが小さく、確かめるように。
「これ……」
ゲンゾウは目を細める。
記憶と照合するように。
そして――
短く言う。
「……ああ……そっくりじゃ…」
戦場を駆けていた機体。
あの圧倒的な機動。
誰よりも速く、
誰よりも正確に敵を討った存在。
――ブラウフリューゲル。
その名と共に、
一人の姿が脳裏に浮かぶ。
ユーヤ。
「どうりで英雄の亡霊などと呼ばれるわけじゃ…」
「戦闘の癖が本人としか思えん…」
「……まさか…生きているのか」
ナツキは声が震える。
「だったら……なんで……」
「戻ってこないのよ……」
ゲンゾウも状況がつかめない。
「…わからん…そもそもワシはブラウフリューゲルが大気圏で燃え尽きるのを最期まで見たんじゃ……現存しているはずが…」
答えは出ない。
どこにも。
何一つとして。
それでも分かることが、一つある。
今もなお、
どこかで、
確かに戦っているかもしれない。
守るために。
誰にも知られず。
たった一人で。
長い沈黙。
だがそれは、
絶望ではない。
ナツキが顔を上げる。
その瞳に、
もう迷いはない。
「……だったら」
「私たちも、やるしかないわね」
ゲンゾウは小さく頷く。
「ワシらにできることをな」
失ったものは大きい。
取り戻すことは、できない。
それでも――
終わってはいない。
蒼の英雄は、
今もどこかで戦っているかもしれない。
だからこそ。
人類もまた、
戦い続ける。