ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜   作:村人A

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第三章
待ち人


 

 

「悟史くんのことを、少し話しましょうか」

 

 詩音がそう言ったのは、夕暮れの興宮に差し掛かったところだった。

 俺は何も言わず、頷きもせず、ただ隣を歩いた。

 

 詩音はすぐに言葉は続けなかった。話すと言い出したくせに黙っている——でもそりゃそうか。どこから話すか、整理してるんだろう。急かす気にはなれない。その必要もない。

 

 橙色の光が街の輪郭を染めている。見知らぬ自転車が一台、脇をすり抜けていく。

 ふと、西の方角に目がいった。

 雛見沢があった方角だ。空の色が、他より少しだけ暗く見える。気のせいかもしれない。でも俺にはそう見えた。夕暮れの色が、あの方角だけ違う。沈みかけた太陽が、あそこだけを先に暗くしているみたいに——前はあの方角に目を向けることすら、出来なかったのにな。

 

 

 しばらく歩いたところで、詩音が不意に歩調を緩めた。道沿いに小さな公園がある。人気がない。ブランコが一つ、ベンチが一つ。街灯がまだ点いていない、夕暮れの中にぽつんとある。

 詩音はそちらへ向かった。迷う様子もなく。最初からここに来るつもりだったのか、それとも足が自然に向いたのか——どっちでもよかった。

 

 並んでベンチに腰を下ろす。しばらく、二人とも黙っていた。遠くで車の音。どこかの家から夕飯の匂い。興宮の、ありふれた夕方だ。こういう何でもない時間が、まだ世界のどこかにあるんだな、とぼんやり思う。

 

 

「……どこから話しましょうか」

 

 ポツリと、独り言みたいな声。

 

「どこからでもいいぜ」

 

 俺もぼんやりと空を見上げながら、そう返す。

 少しの間があって——それから、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「悟史くんと出会った時の話をするには、まず私自身の話からしないといけないんですよね」

 

 詩音が、どこか独り言めいた口調で言った。俺は黙って続きを待つ。

 

「私、つい最近まで聖ルチーア学園ってところにいたんですよ。笑っちゃうかもですけど、コテッコテのお嬢様学校です」

「聞いたよ、葛西さんから」

 

 「刑務所のがマシだ」と詩音がよく口にしていたのだと。

 

「全寮制の、外に自由に出られないのはおろか、連絡すらろくに取れない場所です。生徒をがんじがらめにして自由を奪う、最低最悪の牢獄でしたよ」

 

 牢獄か。さらっと言ってるから、あまりイメージが沸かないが……例の週刊誌報道のあった学校でも、そんな表現をされてたっけ。教育というのは与える側にとって、随分便利な言葉らしい。

 

「ま、限界を迎えて、脱走しました。葛西に迎えに来てもらって興宮に戻ってきて、すぐ魅音に連絡して。園崎本家にばれないよう、私が魅音の格好をして魅音として動くことにしたんです。服と髪型さえ合わせちゃえば、まず見分けはつかないですから」

「バレると、そんなにヤバかったのか?」

「えぇ、まず間違いなく強制送還でしょうね。そして一生檻の中」

「……まさに脱獄か」

 

 退学したいとでも家に泣きつけばいいのにとも思ったが、そう簡単な事情ではなさそうだ。やはり、昨日の葛西さんが口にしていたように、詩音と園崎家にはまだまだ深い何かがあるらしい。

 

 しかしなるほど。あの二人なら入れ替わってもバレないし、隠れるにはうってつけだ。てか、最初は俺も詩音を魅音だと疑ってたくらいだしな。

 

「私が出歩くときは、ちょっとだけ魅音には隠れてもらって。で、私は園崎魅音という鎧を着たまま、興宮の街を歩いてたんです。そういう生活をしてた時に——」

 

 詩音の視線が、少し落ちた。

 

「悟史くんと、出会ったんですよ」

 

 その瞳が、あまりにも悲しそうで。淡々と話しているはずで、表情だって──なのに、彼女の瞳の奥が、どうしようもなく儚くて。ズキリと、胸の奥が軋んだ気がした。

 

「路地裏で、不良に絡まれたんですよ。興宮に戻ってきてすぐの頃です。魅音として街を歩いてたら、三人組に囲まれて」

「……そりゃ災難だな」

「まぁ、そういう時の対処法は心得てるんですよ。嘘泣きで大抵の男はひるませられる——わーんわーんって泣き出せば面倒くさくなって引き下がるもんなんです。そういう輩って、泣かせたいわけじゃなくて、びびらせたいだけですから。で、作戦通り泣いてたら」

 

 詩音が少し間を置いた。

 

「急に、横から誰かが割って入ってきたんですよ。『その子から離れろっ!!』って──強がったような言い方で、でもちゃんと声に張りがあって」

 

 それが……

 

「……悟史だったのか」

「ええ。細くて、そんなに大きくもなくて、どう見ても三人に勝てるような体格じゃなかった。結局やられてましたよ、三人相手じゃ無理もないですけど。でも逃げなかったんですよね、最後まで。私が逃げるまで、ずっとそこに立ってた」

 

 不思議だ。詩音の口から出てくる悟史は、まるでさっきまでそこにいたようなリアリティを持って俺の脳裏に飛び込んでくる。

 

「最初は、なんか損な生き方してる人だなって思いましたよ。その時北条家がどういう立場なのか——それでもわざわざ他人のために、「魅音」のために体張って」

「損得で動いてなかったんだろ、あいつは」

 

「そうですね」と詩音は静かに言った。

 

「放っておけないから動く、ただそれだけの人だって、話してたら分かったんです。本当は重たいものをたくさん抱えてるのに、当たり前みたいな顔で背負って——あの人の笑い方って、妙に明るいんですよね。重さに似合わないくらい」

 

 俺は悟史と会ったことは一度もないが、何となくイメージしている人物像に違わない気がする。何でだろうな。

 

 

 詩音はそれから、悟史を取り巻いていた環境の話も続けてくれた。

 北条家がダム建設に賛成したせいで村八分になったこと。両親を相次いで亡くして、悟史と沙都子の二人だけが残されたこと。引き取り先の鉄平に、沙都子がずっと虐待され続けていたこと。

 

 それは、俺も知っていた。断片的ではあるものの、村にいた時に皆から聞いていた。村の暗部でもあるから、積極的に教えてくれた訳じゃないが。

 詩音の口から聞くと、重さが違った。悟史はそれを毎日背負いながら、笑っていたのだ……なんて強いヤツなんだよ。

 

『強いが故に、踏み外すと脆い』

 

 昨日の葛西さんの言葉を胸の中で反芻する。

 

「私は、悟史くんが入江監督の草野球チームのメンバーだったので、マネジャーとして混じらせてもらうことにしたんです。そうすればずっと傍にいられるから。でもずっと魅音として、でしたよ。一年間、本名を名乗れないまま、ずっと」

 

 詩音の視線が、少し落ちた。公園の街灯が、いつのまにか灯っていた。オレンジ色の光が、詩音の横顔を淡く照らしている。夜の虫の声が、静かに続いていた。

 

「詩音として名乗ったのは……あの時が最初ですね。そして最後でもあって」

 

 綿流しの夜、北条玉枝が殺された。

 悟史の叔母で、二人を虐待していた叔母が何者かに撲殺されていた。当然だが当日の夜、アリバイがなかった悟史に真っ先に容疑がかかる。そして多分、いや間違いなく……悟史は叔母を。

 

「綿流しの翌日、興宮で悟史くんを見かけたんです。ショーウィンドウの前で立ち止まって、クマのぬいぐるみをじっと見てて。沙都子へプレゼントにしたいからバイトを探してるって、そう言ってて」

 

 ……そんな状況でも、悟史は。沙都子のことを。

 

「そこへ大石刑事が現れて、悟史くんのアリバイを聞き出そうとしました。叔母さんが死んだ件で——気がついたら口が動いてた」

 

 悟史くんにアリバイがないの、知ってましたから。そう悲しそうに続ける詩音。

 

「ずっと魅音として話してたのに、その時だけ、詩音として悟史くんの前に立って。嘘のアリバイを証言したんです」

「……」

「当然、園崎本家にはすぐ伝わりました。北条家の人間と付き合うなって、前から言われてたので。でも私、啖呵切っちゃったんですよね。自分の勝手でしょって」

 

 詩音が少し自嘲するように息をついた。

 

「そしたら——葛西や、匿ってくれた親戚がどうなるか分からないって言われて。そういう脅し方をされると、もう逆らえないんですよ。だからケジメを受けることになったんです。爪を、剥がされました」

 

 まるで他人事みたいに笑う彼女。

 

 なんて、理不尽なのだろう。好きな人と一緒にいたい。ただそれだけのことなのに。なんて……

 

 頭では分かる。

 どんな世界にも、掟やしきたりがある。村八分だってそうだ。村が別の何かに置き換わるだけで、どんな場所にも村八分と同じ現状は散在しているはずだ。学校だって、会社だって、どこにだって。

 今、この俺の感覚で理不尽と感じる話も、その中で生きてきた人間にとっては、それが世界のルールなのだ。

 

 でも、それが何だ?それがどうした?

 周りもそうだから。他人も苦しいから。だから理不尽だと怒るな、と。そんな馬鹿なことはない。理不尽なことは理不尽だと糾弾し、怒ることを否定する理由にはならない。

 

 俺は、小さく息をついて、キツく握りしめていた拳を緩める。

 もしその時、俺が詩音の付き人だったら──喜んで身代わりになってやれたのに。ケジメだろうが、切腹でもなんでもやってやったのに。なんて、あり得もしない考えまで浮かんでしまって。

 

「お前のおかげで……悟史は、助かったんだよな。逮捕はされなかった」

「そうですね……でも」

 

 詩音はそこから、少しの間押し黙った。何か言葉を選ぶように、いや紡ぐ言葉を反芻して確かめるように。

 

「でも——助けたはずの悟史くんが、消えてしまった」

 

 そう、だったな。悟史は失踪しちまった。綿流しの夜に一人死に、その翌日には一人が消える。それが、オヤシロさまの祟り。

 

「ケジメをつけた。これで終わった——そう思ってたのに。失踪したって知らされて、真っ先に園崎家を疑いました。村八分問題で影響力が一番あったのは間違いなく園崎家ですから。だから悟史くんを消したのもあいつらだと、そう思ったんです」

「……」

「魅音を問い質しに行ったんですよ。お前たちがやったんだろうって。そしたら——」

 

 詩音は手を開いて、爪を見せてくる。

 

「魅音の右手に、私と同じ傷跡があったんです。爪を剥がした、あの傷跡が」

「もしかして……魅音も?」

「えぇ。魅音はね、私が悟史くんと一緒にいることをお魎に認めさせるために、自分でケジメをつけてたんですよ。私のために。それを見て——園崎家が絡んでる訳じゃないって、思い直すことにしたんです」

 

 次期当主として詩音をかばいきれなかった魅音が、それでも陰で同じ痛みを引き受けていた。そういうことか。

 

「魅音は関係なかった。悟史くんが消えたのも、何か別の理由で——」

 

 詩音がそこで言葉を切った。しばらく沈黙が続いた。虫の声。遠くで犬が鳴いている。

 

「……それから、悟史くんへの想いは心の奥深くに。待ち続けるしかないから」

 

 詩音はそれだけ言って、視線を夜空に向けた。

 しばらく、二人とも黙っていたが、やがて詩音が、ゆっくりと口を開いた。そして──

 

「……封印してたんですよ、ずっと。悟史くんのことも、あの一年間のことも。でも——呼び起こしてくれた人がいたんですよね」

 

 こちらを、まっすぐに見た。何故?

 

「圭ちゃんです」

「……俺、が?」

 

 彼女のまっすぐな瞳が射抜くようにして、突き刺さる。悟史を、呼び起こした?心当たりがない。何だ?彼女は何を言い出そうとしている?ざわざわと胸騒ぎがして、冷や汗が頬を伝う。

 

「私、知ってたんですよ。あの日の電話を受けた瞬間に。圭ちゃんが今夜、北条鉄平を殺すんだって」

 

 息が詰まった。

 

「……どういう」

 

 詩音は真っ直ぐ俺を見たまま、やはり瞳の奥に悲しそうな色を浮かべた。

 

「二年前……綿流しの前夜、悟史くんから魅音宛に電話がかかってきたんです。でも、受けたのは私でした」

 

 綿流しの前夜……電話……

 

「『沙都子を祭りに連れてってやってくれないか、僕は用事があっていけない』って。とにかく、その日だけは沙都子を何としても自分から離そうとするような、そんなお願いを」

「……それ、は」

「そして、その日を境に、悟史くんの叔母は殺された。悟史くんは消えた。だから私、ずっと確信してたんですよ。悟史くんが殺したんだって」

 

 ゾッとした。沙都子を祭りに連れてってやってくれ。自分は予定があっていけない——それはあの日、俺が魅音にかけた電話と、寸分変わらない内容だった。

 

 そう、詩音の言う通りだ。悟史は、叔母を殺した。間違いなく。だってその電話は——俺が鉄平を殺した夜と、全く同じだから。同じ理由で、同じ「魅音」に頼み事をして。沙都子を、祭りから遠ざけた。

 

 だとしたら——俺が鉄平を殺す前の夜の電話は。

 

「……俺の電話も、あれは詩音が受けてたんだな」

「はい」

 

 詩音の声は静かだった。俺はしばらく、何も言えなかった。

 

「私ね、このことを魅音に伝えたんです。鉄平の遺体を、園崎の力を使って別の場所に隠してもらうように」

「……え?」

「だから圭ちゃんが必死に探しても、遺体は出てこなかった——もう、どこにもなかったんですよ」

 

 後頭部を思い切り殴られたような、衝撃だった。

 

 俺が鉄平を殺した。その夜のうちに詩音は察して、魅音に連絡して、園崎の組を動かして、遺体を消した?

 

 俺一人が勝手にやった殺人のために——魅音が、詩音が、死体遺棄という罪を、全部引き受けていた?

 

 知らなかった。俺は……何も、何も知らなかった。何も知らないまま、勝手に狂乱して、疑心暗鬼になって——その間ずっと、彼女たちは俺の身勝手な罪を黙って抱えてくれていたのか。

 

「……すまねぇ。俺は、一人で、罪を犯したような気になって……」

 

 一人だけが悪だと身勝手に考えて。一人だけが苦しいんだと……なんて、なんて救いようのないクズなんだ、俺は。

 

「良いんです」と詩音は静かに言った。

 

「私が……私たちが勝手にやったことですから」

 

 詩音は静かに笑った。それから、少し間を置いて続けた。

 

「それにね——そのおかげで私、こうして生きてますから。鉄平の遺体を隠す間、アリバイ作りで興宮に戻ってたんです。本当は綿流しの日まで泊まる予定だったんですけど、戻ったら面倒になっちゃって、雛見沢に戻るのやめたんです」

「……詩音」

「圭ちゃんに助けられた命、といえますね。この場合」

 

 言葉が出なかった。魅音と詩音に、そんな罪を背負わせてしまっていたなんて。やはり最低最悪の手段だったと、胸の奥が激しく軋む。

 ふと、詩音の手が、俺の手の上にそっと乗る……冷たい手先だが、不思議と暖かい。

 

「だから、私は圭ちゃんと共犯です」

「……共犯?」

「アンタは殺人、私は死体遺棄。まぁ程度は違いますが……ともに救いがたい犯罪者です」

 

 でも、と詩音は真っ直ぐにこちらを見つめて。

 

「私は貴方を生きながらえさせた。貴方は私を生きながらえさせてくれた。共犯です」

 

 その言葉が、頭の中でゆっくりと形を持った。最低最悪の手段だった。やはり、何度考えてもそうだ。でも——

 

「だから一蓮托生。中途半端な結末は認めませんよ?」

「……そう。そうだな」

 

 俺はゆっくりと、顔を上げる。この罪悪感とも、ちゃんと向き合っていかなきゃいけない。逃げることも、朽ちることも、もう許されない。

 

 だったら、やっぱりやることは決まっている。

 

 昨日葛西さんにも伝えた通りだ。恩を仇で返すわけにはいかない。既に腹を括っているつもりだったが、改めて誓わせて貰おう。

 コイツを助ける為なら何だってやってやる──例え命を賭けることになっても。

 

 そして、必ず悟史を必ず見つけ出す——生きて、詩音の元に戻れるように。詩音には──いや、悟史もだ。二人には幸せになってほしい。心の底から、そう思う。一瞬胸の奥をチクリと何かが刺した気がしたが、どうせ瑣末なことだろうと無視を決め込んだ。

 

「あの……圭ちゃん?」

「ん?」

 

 おずおずとした声に我に帰る。決意のあまり、いつの間にか詩音の手を強く握っていたらしい。

 

「そろそろ手を離してほしいというか……えっと」

「おう、悪い」

 

 急いで手を離す。

 心なしか、彼女の顔が赤い気がする。もしかして、痛がらせてしまったのか。もしくは熱が?具合が悪かったのに無理に帰りを遅らせてしまったのかもしれない。くそっ、恩を返すと言った側からこれかよ。

 

「すまん、体調悪かったのか?なんなら今から病院に」

「……っ、違います!」

「けど、顔赤いぞ」

「なんでもないです!いいからさっさと、帰りますよっ」 

 

 詩音がそっぽを向く。耳まで赤くなっているのが見えたが……本人が大丈夫と言ってるならば、無理強いはできない、か。

 

「ったく……油断も隙もありゃしない」

 

 何かを呟いた気がしたが、それを聞こうとするよりも早く、彼女はベンチから立ち上がるとそくさくと歩いて行ってしまった。

 

 






原作では、圭一が園崎家に電話した段階で、悟史も同じ電話をしたことを伝えられてますが、ここでは伝えられていない設定にしてます!
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