ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜 作:村人A
腹を括る。そう決めた。
昨晩のあの誓いは本物だ。詩音のためなら何だってやる。命に代えても——そう思った。思ったのだが。
それは思った以上に早くやってくることになった。
「今日、園崎に行きますよ」
朝食の席だ。園崎家次期当主候補様はさらりとそう口にされたのだ。
今日?本日?today?
「午後から実家に顔出しに行きますんで。圭ちゃんも一緒に来てください」
「今日の、午後?」
「そう言ってんじゃないですか」
おうむ返しとか芸がないですよ、と能天気に突っ込む次期当主候補様。当然俺は不満を口にする。
「お前……何でもっと早く教えてくれねぇんだよ」
「何でって。わざわざ前もって言うような場所じゃないですし。帰り道ふらっと寄る感じしゃあないですか」
「ヤクザ事務所をコンビニ感覚で言うなよ」
こちらと死人でも元々パンピーなんだぞ。お前らの価値観で考えられちゃ堪らない。
俺の反応に何かを察したのか、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべて来る詩音。
「おやぁ?何です圭ちゃん、ビビっちゃってんですか?」
「だ、誰がビビビってんだよ!」
「ビが一つ多いですねぇ」
「ビバブビってなんかねぇっ!」
「物凄いビバブビってますね……」
詩音が若干呆れたような目でこちらを見ている。噛んだだけだ、断じてビバブビってなんかない。
「服装って、どうすればいい。スーツとか必要か」
「喪服とかでいいんじゃないですか?」
「真面目に聞いてんだよ」
「普段着でいいですよ。むしろスーツで来たら笑われます」
……それはそれで不安だ。別に俺自身は服装どうこうは気にしないけど、誠意を見せる形の一つとして服装というのは重要でもある。
「えーと、他になんか気をつけることはあるか?」
「指の方はですね、どの指を差し出すか事前に慎重に選んでおいた方がいいですよ。園崎的には利き手の小指が正式なんで」
「指……」
ヤクザだもんな……やっぱ。誠意ってのは見た目じゃなくて、漢気で見せろってことかよ。いや……小指詰めるのって漢気か?
俺はじっと右手の小指を見つめる。
「くすくす、冗談ですよぅ」
「お前な……」
相手はヤクザ。未知の世界。どこからどこまでが本当なのか正直さっぱりだ。「もし本当だったら」という可能性が頭から拭えない。
「あ、でも真面目に父には気ぃ付けてくださいね。寡黙な人なんですけど、すぐ懐に手を入れる癖があるので発言には気をつけてくださいよ」
懐に手を入れる——つまり、アレか。弾き的なアレ。想像して、ぐっと生唾を飲み込んだ。
「私の悪口とか言ったら一発退場ですよー、この世から」
「……お前にも敬語使った方がいいか?」
「あ、それ試しにやってみてください」
軽く先払いをして、詩音に目を向ける。
「……し、詩音さん、おはようございます。本日はお日柄もよく、えーと。その、至らぬ点もあるかと存じますが今後も何卒ご容赦のほど」
途端に詩音が盛大に吹き出した。
「あっははははは!似合わなーいっ」
「……」
腹を抱えて笑っている。部屋中に笑い声が響いた。コイツ……人の気も知らねぇで。
笑い転げている詩音を一瞥する。
なんで昨晩、俺はこいつのために命を賭けても、なんて思ったんだろう。なんだか無性に腹立たしく、そして恥ずかしくなってくる。あれは一種の気の迷いだったんじゃないか……もうそういうことにしていいか?
「お前……ロクな死に方しねぇぞ」
「おやぁ?昨晩は寄り添って手を握ったりまでしてくれたのに、酷い言い草ですねぇ」
「ぐっ……昨晩に戻ってあの時の俺をぶん殴ってやりてぇ」
「くすくす」
ふと、黙っていた葛西さんと目が合う。サングラス越しだが、あの人も笑っているような――いやほんと、笑いごとじゃないんですけど。
「……葛西さん。何か心構えとかありますか」
まだくすくす笑っている人の心がない上司を横目に、藁にもすがる思いでもう一人の上司に話を振った。
葛西さんがコーヒーカップをソーサーに置いた。少し間を置いてから、静かに言った。
「前原さんらしく、誠実に。それだけで十分かと思います」
「それだけですか」
俺らしく……俺らしくってなんだろうか。
「あの方々の人を見抜く目は確かです。誤魔化しは通じません」
「……余計に緊張するんですが」
俺らしく……自分がどんな性格だったのか、いやどうなりたいのかも……だが、葛西さんのサングラスの奥が、わずかに細くなった。
「誠実に臨めば、お二人にも伝わるかと存じます」
「……」
いつのまにか笑い終わったのか、詩音がふん、と鼻を鳴らした。何か言いたげだったか、口を開くことはない。
まあ、やるしかないか。コーヒーを一口飲んで、俺は小さくため息をついた。
玄関を出たところで、詩音が思い出したように振り返った。
「あ、そうだ。母がどんなことを言っても、あまり真に受けなくていいですよ。ちょっと変な人なので」
「変?」
まあヤクザ組織――組長の奥さんなら、そりゃ単なる専業主婦とかではあるまいが。
「ま、着いたら分かりますよ」
「前もって教えてくれねぇか、そういうの」
「ふふ、頑張ってくださいな。口先の魔術師さん」
それだけ言って、さっさと車に乗り込んでしまった。口先の魔術師、ねぇ……なんだって俺はそんな大それたもんを自称してしまってたんだろうなぁ。
葛西さんが運転する車に乗って、十数分。興宮の街並みは少し見覚えのない景色に変わっている。まあ、こっちの方まで来たことはないからなぁ。
後部座席に詩音と並んで座っている。詩音はいつも通りの顔だ。緊張している様子が微塵もない。そりゃまあ実家に行くだけだからな……場所が場所だが。対してこちらは――まあ、平静を装ってはいるが。
しばらく走ったところで、車が速度を落とした。目的地に着いたらしいが――目の前には、まるで武家屋敷かと思うほどに立派な家屋が。
組事務所というくらいだから、どこかの雑居ビルか何かだろうと思っていたが。重厚な石造りの正門。その表面に、「園崎」と刻まれている。
門の奥に見えるのは――それはそれは立派な日本家屋だ。どっしりとした造りの。雛見沢にあった園崎本家と、どこか似た雰囲気がある。あそこより規模は小さいが、その分だけ街の中で異質に映る。興宮の普通の住宅街に、ぽつんとこれだけが時代を間違えたように建っている。黒い瓦屋根。白い漆喰の壁。手入れの行き届いた庭木が、正門の内側からわずかに覗いている。
思わず息を呑む。
これが……園崎家の興宮拠点――園崎組か。
車を降りると、正門の前に背広姿の男が二人立っていた。こちらを一瞥して、詩音を認めると無言で道を開けた。その動作に無駄がない。体の動かし方からして、普通の人間じゃないと分かる。
つーか、まじでこういう光景ってあるんだな……任侠ドラマの世界に迷い込んだみたいだ。
正門をくぐる。玉砂利が足元で鳴った。思いのほか広い前庭だ。左手に離れのような建物が見える。右手には手入れされた松の木が数本。どこかの料亭に迷い込んだような、そういう空気がある。でも、随所に人の目がある。さりげなく立っている男たちの視線が、こちらの動きを追っているのが分かった。
玄関に入ると、廊下の奥に組員が何人か控えていた。全員が詩音にさっと頭を下げて、そして隣の俺を見ている。いや見てくるというか……睨まれてる、な。値踏みするような睨みだ。
居心地が悪い、とかそういう次元じゃない。品定めされている。一人一人の目が、前原圭一という人間が園崎の隣に立つに足る人間かどうかを測っている――そういう目だ。
よく視線を感じる、とか視線が刺さる、みたいな比喩をすることがあるが、あれはマジなんだな。視線だけでハチの巣にされそうだぞ、オイ。
一方の詩音はそれをまるで気にしない。いつもの飄々とした表情で、つかつかと廊下を歩いていく。けど、だから余計にその姿が頼もしく見える。さすが次期当主候補様だ。
組員たちに「はろろーん」なんて気の抜けた挨拶も投げているが、それすらも格好よく見えてきたぞ。
廊下を進む。床板が、足を置くたびに微かに軋む。古い建物だ。でもその古さが、この家の歴史を物語っているような気もした。壁には額装された書が何枚か飾られている。読めないが、きっと家訓か何かだろう。廊下の突き当たりを曲がると、重厚な引き戸の前に出た。
組員の一人が無言で引き戸を開ける。
目の前に広がるのは、一面畳の応接室だった。
三十畳はあるだろう広々とした和室。中央に重そうな座卓、周囲に座布団が並んでいる。床の間には掛け軸と、小ぶりの生け花。タバコの煙が微かに残った空気。それ以外は、妙なほど静かだ。
促されるがまま、座布団に腰を下ろす。畳の感触が、妙に久しぶりな気がした。
緊張している。今更言うまでもないが、緊張している。背中がじりじりする。正座をすべきか胡坐をかくべきか、それだけで五秒くらい悩んだ。結局正座にした。葛西さんが隣に静かに座っている。その背筋の伸び方が完璧で、余計に自分の不格好さが気になった。
しばらくして、引き戸が開いた。
先に入ってきたのは、和服を着た緑の髪の女性だった。
……思い出す。以前、一度だけ雛見沢の園崎家に遊びに行ったときに見かけた事がある──魅音のお母さん、茜さんだ。その時挨拶こそ出来なかったが、詩音の母親でもあるわけで……組長の奥様、実質的なナンバー2ってことになる、のか?
「おやぁ、久しぶりだね詩音。元気そうじゃないか」
詩音が「まあそれなりに」とそっけなく返す。
続いて大柄な男性が入ってきた。明らかにこれまで見た組員とは佇まいが違う。この人が入ってきただけで、部屋の重力が変わったような気がした。
間違いない。この人が詩音の父親――園崎組の親分だろう。寡黙な人だというのは詩音の言う通りで、入ってから一言も発していない。ただ、こちらを一度だけ真っ直ぐに見た。
普通に、怖い。
二人が座布団に腰を下ろす。しばらく、誰も口を開かなかった。父親は黙ったまま、じっとこちらを見ている。その視線から目を逸らすのも失礼な気がして、かといってまともに受け止め続けるのも限界に近い。
と、茜さんが、口を開いた。笑顔はなく。険しい、静かな表情のままで——
「アンタが、前原圭一くんだね。詩音から話は聞いてるよ」
俺はぐっと、奥歯を噛んだ。