ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜 作:村人A
「アンタが、前原圭一くんだね。詩音から話は聞いてるよ」
静かな声だった。笑顔はない。険しい、値踏みするような目がこちらに向いている。
ぐっと、奥歯を噛んだ。誠実に。葛西さんの言葉を頭の中で繰り返す。誠実に、誠実に——でも誠実って具体的にどういう顔をすればいいんだ。
沈黙が続く。
茜さんが、ゆっくりとこちらを見ている。頭のてっぺんから足先まで、値踏みするような視線がじわじわと動く。何を測っているのか分からない。でも測られていることだけははっきり分かる。その視線が重い。
父親は依然として無言だ。座っているだけなのに、その存在感が部屋を満たしている。さっき一度だけ目が合った。それ以来、視線を向けるのが怖くて、座卓の木目をなんとなく数えていた。
葛西さんが隣で微動だにしない。詩音は——こちらを窺っているような気がするが、うかつに目が合わせられない。
何秒経ったか分からない。やけに長い沈黙だった。
茜さんが口を開く——と思った瞬間、ふっと表情が崩れた。険しさが、嘘のように消えた。
「いやー、よく決断してくれたもんだ。この状況の中でさ。」
それどころか、柔らかな笑顔を向けてくる。
「け、決断、ですか」
「えっと……お母さん?何の話してます?」
決断?その言葉が頭の中で空回りした。何の話だ。詩音を見ると、詩音も微かに眉根を寄せている。
「なんのって——」
茜さんが目を丸くした。まるで当然のことを聞かれたような顔で、こちらと詩音を交互に見て。
「婿入りしてくれるんだろう?圭一くんが、詩音に」
・・・・
・・・
・・
ん?
「「……はああああっ!?」」
俺と詩音の声が、いや絶叫が、室内に響き渡った。
「な、ななな何を言ってんですか!!なんで私が圭ちゃんと結婚しなきゃならないんです!?こんな歩くノンデリで変態で斜に構えてて、デリカシーがなくて、口が悪くて、素直じゃなくて、変なとこ頑固で乙女心の欠片もわからなくて!!」
「そこまで言うこたぁねぇだろ!!ってか落ち着け!」
詩音の肩をつかんでなだめる。父親は無言でこの騒ぎを見ているが、茜さんはというと――
「あっはっは、なーに照れてんだい詩音」
「照れてません!!」
どこ吹く風だった。それで詩音がさらにカッとなる。収拾がつかない。
とにもかくにも、なんとか詩音をなだめて、深呼吸させる。
「……お前、俺のことなんて説明したんだ」
「なんてって……」
詩音曰く、茜さんに電話した時の内容とは。
『ちょーっとばかし、人生預かっちゃうヒトができたんで、紹介しちゃいますね☆』
「……そりゃ勘違いされるわ」
「し、仕方じゃないですか、事実なんですから!大体、人生やるってややこしい言い方したのは圭ちゃんでしょ!」
「うっ……」
仰る通り。あの病室で確かにそう言った。煮るなり焼くなり好きにしてくれ、と。そりゃ茜さんが勘違いするのも無理はない。
非を認めざるを得なかった。
誤解を解くのに、一番手間取ったのはいうまでもなく詩音だった。
とにかく怒っている、ってか暴走する寸前だったかもしれない。むろん、婿入り発言の怒りだ。よく考えれば当然で――詩音には悟史がいる。ずっと待ち続けてきた人間がいる。なのに、どこの馬の骨とも分からない男と結婚するだのなんだのと勘違いされたら、そりゃキレるに決まってる。
落ち着かせようとするたびに「だってお母さんが」「いや圭ちゃんも圭ちゃんで」「そもそも人生やるって」と、怒りがぐるぐると同じところを回り続ける。茜さんはそれをからからと笑って眺めているし、父親は相変わらず無言だし、葛西さんは微動だにしない――というか、なんか楽しんでいないかこの人。
結局、詩音が自分で深呼吸して「……分かりました、説明します」と言い出すまで、それなりの時間がかかった。
改めて茜さんたちには、俺たちがそんな関係ではないこと。ゆえに当然これは結婚の挨拶ではなかったこと。それをまずは説明した上で――
「彼は、私の付き人として雇いました。学校にも通わせてます。衣食住も全部こちらで手配しているので」
淡々と話す詩音。単なる決定事項を、淡々と報告するように。
両親への許可を取るつもりは毛頭ない、というスタンスなのが明らかだ。
茜さんも眉間を寄せて「随分また勝手なことをしてくれたねぇ」と苦笑している。隣の父親は黙って聞いているが、その目が、ずっとこちらを見ていた。値踏みが、まだ続いているような。
しかし、一方的に詩音が説明を終えたところで――
「では、用事も済みましたんでこの辺で」
そくさくと詩音が立ち上がり、踵を返す。え?もう終わり?というくらいあっさり。そして、両隣の俺と葛西さんに視線だけを向けて。
「行きますよ、葛西、圭ちゃん」
「――待ちな」
茜さんの声が、初めて少しだけ低くなった。呼び止められた詩音は軽く舌打ちをした気がした。
「結婚を誓い合ったわけでもない男をそばに置くってんなら、それなりの手順ってもんがあるだろう。大事な娘を預けることになるんだ。彼が園崎として信用のおける人間なのかどうか——見極める必要があるだろう?」
振り返った詩音の目は氷のように冷たい色を帯びている。
「大事な娘?いまさら親みたいな面しないでもらえます?」
「そうは言ってもね……実際アンタの親なんだから仕方ないさね」
対する茜さんがまるで気にしていない。まるで柳のように、詩音の視線を受け流す。
なんだこの親子は……仲が良さそうに見えたのに、なにか大きな遺恨が。でもどこか——この二人は同じ匂いがする気もして。
「具体的にどうしろと?」
「アンタの付き人になるってことは、すなわち園崎に加わるのと同義さね。決意を示してほしい」
決意……ってのは、詰まるところ……ん?横にいる詩音の空気が変わったような気がした。まるで体温が、一気に上がったような。
「ハッ——またつまらないケジメですかッ」
短い、嘲るような息。それからは堰を切ったように彼女から溢れ出す。
「アンタらはいつもそうですよねッ!口を開けばやれケジメだ家訓だって!!そのくせ都合が悪くなったら知らんぷりで、結局守られるのはいつも家の名前だけッ!」
「……」
「下らないメンツ守るために、アンタたちが雛見沢で何をしてきた!?アンタたちのつまらないプライドを守る為に、これまでどれだけの人間が——私たちが犠牲になってきたと思ってんですかッ!!」
怒り──声を震わせるほどの怒りや憎しみ、それが瞳の奥に渦巻いてる。きっと彼女を見た多くの人がそんな感想を抱くかもしれない。
でも俺には……助けを求めてるようにしか見えなかった。苦しくて悲しくて、誰かに助けて欲しい。そんな叫びが、他の誰でもない──両親に向けられているような気がして、ならなかった。
「……」
しかし、茜さんも父親も黙っている。その沈黙にまたカッとなった詩音が吐き捨てるように続ける。
「お得意のだんまりですかッ、もういいですよ」
愛想が尽きたとでもいうように、再び踵を返す詩音。怒りに震えてるはずのその両肩が──助けてもらえなくて泣いているように思えて。
「——ちょっと待った」
自然と声が出ていた。皆の視線が一気に集まるのを感じる。けれど、んなもんはカンケーねぇ。
「詩音のお父さん、お母さん」
正座のまま、二人に向かって三つ指をついた。
「天地神明に誓って、詩音には一切手は出してませんし、そんなことを考えて彼女のそばにいるわけでもありません」
二人の視線がじっとこちらを捉える。
「確かにアンタらにしてみりゃ、どこの馬の骨とも分からないクソガキが、大事な跡取りの周りをうろちょろしようってんですから、認めてくださいはいそうですかで済まねぇ事ぐらい分かってます」
親子に何があったのか、なんて今は関係ない。ただ、伝えてやりたいんだ。詩音が──アイツがどれだけ頑張っているのか。
「けど、だけどっ!!俺には詩音の側にいる理由があるんです、周りの意見なんざぁ知ったこっちゃねぇ!!」
すぐ近くに立てかけてあったドスを、乱暴に手に取った。鞘に収まったまま、柄をどんっと畳に叩きつける。
アイツは笑いながら全部背負ってきた。誰にも言わずに、ずっと。
「詩音は——どん底にいると思い込んで、世界を知った気でいたクソガキに頭から冷水をぶっかけてくれた!!思い切り喝入れて目を覚させてくれたっ!俺が——俺が絶対に逃げないように、罪に向き合うチャンスをくれたんだよっ!!」
自分だって精一杯なのに、一人だけ悲劇の主人公ぶった大馬鹿野郎の頬をぶん殴ってくれたんだ!!
「この恩は——どんな事をしても返させてもらうと決めたっ!!俺の命に代えてでもっ!!」
叫びと共に鞘を抜いた。室内がざわめいた気がしたが、知ったことか。
「なっ、圭ちゃん!?」
詩音の声が聞こえるが、もう止まらなかった。
「ちょっと葛西!」
葛西さんが、彼女を止めてくれているのか。だったら、遠慮なく……
「アンタたちのケジメってのが一体何を指してんのかわからねぇけど……決意を示せってんなら」
刀身を、右手の小指にあてがった。恐怖はない、沸騰したはずの頭は一気に冷静になっていた。どうせあの病院で朽ち果てていた身だ。指の一本や二本、いくらでもくれてやる。
それで、アイツの目的に協力できるのなら──ッ
そのまま一気に振り下ろした──はずだったのだが。
「前原さん──十分です」
ガッチリと、その腕が止められていた。びくとも動かない、力強くも優しい手。振り返ると、葛西さんが引き倒さんばかりに、俺の腕をホールドしていた。
「……葛西さん」
見れば小指から血が滲んでいる。痛みもある。だが、指先は動く……切断には至らなかったらしい。
ふと詩音の方を見れば、声を失ったまま、へなへなとその場に崩れ落ちていた。
茜さんたちは静かに顔を見合わせていたが、やがてこちらに向き直る。そして茜さんが、ぽつりと言った。
「……いい男じゃないか、魅音に聞いてた通りだ」
「え?」
「雛見沢であの子からもしょっちゅうアンタの話を聞いてたさね」
茜さんがこちらを見て、目を細める。
「なるほど、話に違わず熱い男だ」
「えーと……」
魅音——あいつが、茜さんにそんな話を。茜さんが今度は詩音に向かって、にやりとした。
「詩音、アンタどうやって口説き落としたんだい?やるじゃあないか」
「……へ?」
詩音が腰を抜かしたまま、呆然とした顔でこちらを見た。
「アンタのために、命賭けるって言ってくれてんだ、この子は。自分のことをここまで想ってくれてる男はそういないよ。葛西が止めなきゃ、本気で指落としてたさね」
「……」
詩音は何も言わなかった。ただ、顔だけが真っ赤になって、ゆっくりとうつむいていった。耳の先まで赤い……まずい、また怒らせてしまったかも。
茜さんが、改めてこちらに向き直った。表情が、さっきまでとは少し変わっている。さっきの柔らかい表情よりももう一段柔らかい、というか。
「勘違いさせてしまって悪かったね、圭一くん。ケジメなんて求めてないさ。決意ってのは——なんでアンタが詩音の付き人をやるのか、この子のことを本気で守る覚悟があるのかを、アンタの口から聞きたかっただけさ」
……そうなのか?ケジメって意味じゃなかった?
同じことを思ったのだろう、うつむいたままの詩音が、ぼそりと抗議した。
「……な、なら最初からそう言ってくださいよ!ややこしい言い回しをして」
「アンタが勝手に勘違いして吠えたんだろうに」
「うぐッ……」
茜さんが楽しそうに笑った。それから、しみじみとした口調で続ける。
「けど圭一くんの詩音への想いはしかと受け取ったよ。いやー、おばさん惚れちまいそうだったよ。詩音なんかにはもったいないね、アタシがもう十五若けりゃ絶対に奪ってやったのに」
「オイ……」
父親さんが、初めて口を開いた。一言だけ。茜さんが「冗談じゃないか、アンタ」と思い切り肩を叩く。
その姿が——なんだかただの夫婦に見えて、少し力が抜けた。
父親さんもこちらに向いた。ゆっくりと、でも真っ直ぐに。
「前原くん……娘は多分迷惑をかけていると思うが、これからもよろしく頼む」
「いえ、こちらこそ」
結局なんだか結婚の挨拶みたいになってるな……ってこんな事考えるとまた詩音にキレられそうだが。
「せっかくだ!今日は一杯付き合っていきな」と茜さん。
「えぇ……」
詩音が露骨に嫌な顔をする。
「そんなあからさまに嫌な顔しなさんな。私たちだって圭一くんともっと話したいさね」
「それが嫌なんですけど……」
じわじわと小指が痛み出す。血は流れる指をきつく、親指で圧迫する。
今更ながら勢い任せでえらいことしちまいそうだったな。葛西さんが止めてくれなきゃホントに任侠の世界に入門するところだった。
彼の方を見ると、サングラス越しに、こちらに向かって頷いてくれた。
今度、なんかお礼でもしなきゃな。ぼんやりと、そんな事を考えていた。