ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜 作:村人A
場所を移した先──宴の席は奥の座敷だった。
畳張りの広い部屋に、低いテーブルと座布団。縁側の向こうに、手入れされた庭が見える。
茜さんが実に楽しそうだった。
さっきまでの険しい顔はどこへやら、杯を片手に笑いながらよく喋った。父親さんはほとんど喋らず、黙々と飲んでいたが。
話題は雛見沢のことから始まった。お魎のこと、御三家のこと——そして、父親との結婚をお魎に認めさせようとして大立ち回りになった話。
葛西さんが興宮で「散弾銃の辰」と呼ばれていたことも、この席で初めて知った。茜さんがにやにやしながら暴露するのを、葛西さんは「昔の話です」と一言だけ言ってグラスを傾けた。
一方、詩音はずっと不機嫌そうだった。
茜さんが何か言うたびに「はいはい」とそっけなく返すか、黙ってコップを口に運ぶか。愛想笑いすらしない。さっきのあれこれが、まだ尾を引いているんだろう。まあ無理もないが——どうやって機嫌を直してもらえばいいのか、見当がつかない。
宴がひとしきり続いたところで、茜さんがいい感じに酔ってきたらしかった。
「それにしても、さっきの口上は良かったよ圭一くん」
「え?」
急にこちらに向いてきた。
「わたしゃぁ、惚れ惚れしたね。なぁ本当に婿に来ないかい?今からでも詩音とそういう関係になればいいじゃないか」
「ちょっ、いい加減にしてください!」
詩音が勢いよく食ってかかった。珍しく、顔まで赤くなっている。
「なんだいこの子は。こーんなに良い男を付き人にしとくなんて勿体ないさね。しかもあんなにアンタの事を想ってくれてるのに……」
バシバシと、茜さんは遠慮なく俺の肩を叩く。詩音が何かを喚いているが、俺にはあまり要領を得なかった。ただ、なんというか──賑やかな家族だなと。
家族、か。
俺は結局……親孝行の一つすら、出来なかったな。
帰りの車の中、詩音は一言も喋らなかった。
乗り込んだ瞬間から窓の外を向いて、腕を組んで、完全にこちらを遮断している。声をかけようとしたが、その背中の角度はあまりにも「話しかけるな」と主張している。
……怒ってるん、だよな。
でも何に怒っているのか。心当たりがあるとすれば、茜さんの勘違いか。悟史がいるのに、あんな勘違いされたらそりゃ怒るに決まってる。
それとも指を詰めようとしちまったからか。詩音の許可なくケジメを付けようとしたから。勢い余ったとはいえ、確かにやり過ぎたとは思ってる。計算でやった訳じゃない……何というのか、彼女の慟哭を耳にした途端、勝手に身体が動いてしまったというか。
いや、別に原因はどうでもいい──今考えるべきなのは、どうやって機嫌を直してもらえるかを考えなくては。
なんか差し入れでも買うか。甘いものがいいか……いや、そういう問題じゃないか。まずは謝るか。でも何を謝ればいいんだ──経験則としては理由もなく謝ると余計に拗れる気も。
んな事を頭でぐるぐる考えているうちに、車が止まった。今ではすっかり自宅となったマンションだ。
バックミラー越しに葛西さんを見ると、穏やかな表情をしていた。この状況を全部分かった上で、あえて何も言わない。あの人はいつもそうだ。
「お疲れ様でした」
葛西さんがそれだけ言って、さっさと駐車場の奥へ消えていった。まぁそうなると……二人だけ残る訳なんだが。
……まぁ、気まずい。
詩音は黙ったまま、さっさとエントランスへ向かって歩いていった。少し空けて、その背中を追う。
「なぁ……怒ってるか」
「別に」
その口調で、あぁ良かった、怒ってないんだ。と心から納得する人間がもしいたなら、人類は新しいステップに踏み出したんだと納得するしかないだろうな。
「嘘つけ」
「怒ってません」
取りつく島もない、とはまさにこのこと。これ以上聞いても火に油だろう。そう判断して、黙ってついていくことにした。
正直、付き人を一月近くやってて機嫌の直し方が分からない、というのも問題なのだろうか。葛西さんなら、こういう時どうするんだろう。
嵐が過ぎ去るのを待つしかないのだろうか。だいたい怒っている時のコイツに何かを言っても逆効果な気がするしなぁ。じゃあ黙ってろってことか。沈黙は金なりと古人は言う。やなり黙ってついていくのが正解か。でもそれはそれで機嫌が悪化しないか——
恐らく答えがないであろう考えをぐるぐると巡らせてるうちに、エレベーターが来た。乗り込んで、扉が閉まる。
こう言う時ほど、エレベーターという乗り物を恨む日はない。誰だこんな小さな箱物の移動方法を考えやがった輩は。もっとヒップホップとかが流れまくってるような陽気で頭を空っぽにできる移動手段はないものか……まったく。
「……馬鹿じゃないですか」
詩音が、ぽつりとそう口にした。
詩音が腕を組んだまま、正面を向いて。
「指、切り落とすつもりだったでしょ。葛西が止めなかったら本当にやってたじゃないですか」
「……かもな」
「かもな、じゃないです」
少し間があった。
「……圭ちゃんが指何本切り落とそうが、切腹しようが、ダイナマイト巻きつけて自爆しようが、そりゃ普段なら私にカンケーないですけど」
「ちょっと待て、俺を誰と戦わせる気だよお前は」
「黙って聞くっ!」
「うっ……はい」
ぴしゃりと言われて思わず背筋が伸びる。まるで親に怒られる子供だな俺は、そんなことを考えつつも。
「今のアンタは私の付き人なんです。勝手な事されちゃ、困ります」
「……」
……これは、もしかして。
「えっと、心配してくれたのか?」
「はぁ!?」
「あ、いや」
ぎろっと睨まれて慌ててまた背筋が伸びる。
「私のせいにされちゃ、後味悪いってんです!迷惑です、そういうこと!すっごく変な勘違いもされちゃいましたし、もう絶対にやらないでください」
やっぱり、“それ”が怒りの根源か。いや、当たり前だな。勘違いされて、はらわたが煮えくり返ってるってことだ。
「すまん。ご両親の誤解は解けたとはいえ、気分良いもんじゃねぇよな。またちゃんと説明するから。お前には悟史がいるって、俺は単なる駒だって」
「……別にそれは、どうこうじゃなくて、ですね」
詩音はさっきまでの勢いが一気に削がれたのか、もにょもにょと何かを言っていたが、声が小さくてほとんど聞こえなかった。かと思えばまたキッとこちらを睨みつけてきて。
「とにかく!もうここにいる間は無闇にケジメだのなんだので、自傷するのは止めてください!」
「お、おう」
「分かりましたか?」
「……はい」
その様子に気圧されて、おずおずと頷く。彼女はまた腕を組んだまま黙り込んでしまった。
さて、このままこの気まずい空気がいつまで続くのかと考えていたが。
エレベーターを降りて、廊下を歩く途中、詩音はまだぶっきらぼうな様子ながら、口を開いた。
「……お茶でも飲みませんか」
前を向いたまま、短くそう言った。振り返らない。でも——それだけで少し、今夜の空気が変わった気がした。
俺も、聞きたいことがいくつかあった。今日の宴の席で感じた、詩音と実家の間にある微妙な空気のこと。園崎家のこと。だからお言葉に甘えることにした。
詩音の部屋に入るのは初めてだった──いや、年頃の女子の部屋に入ること自体初めてだ。
玄関に入った瞬間から、もう甘い香りがする。……え?俺はマジで入って良いのか?なんか、緊張してきたぞ。
こじんまりとした部屋だった。間取りは俺の部屋と同じ、1LDKの部屋。まぁ俺には勿体ないくらい広くて、最低限の家具だけある無機質な空間で、部屋なんて一つまるまる空っぽなんだが……詩音の部屋は違った。可愛らしい小物が並んでいて、クッションがあって——あぁ、なんというか、女の子の部屋だな、と。まずい、なんか異様に緊張してきた。
なんだろう、ヤクザの拠点に行った時と同等の落ち着かなさ、いや、それ以上かもしれない。
なにビビってやがる、前原圭一!こんなの別に何でもない。何でもないが、なんとなく、どこに視線を置けばいいのか分からなくなってきた。
「変なこと考えてたらダメですよ」
詩音がお茶の用意をしながら、こちらを見ずに言った。声はまだ少し堅い。
「ここで夜這いしよう、なんて考えたら明日には圭ちゃん名古屋湾で水死体で発見されちゃいますからね」
「んなこと考えるかっ!」
ていうか水死体なのか。形があるだけまだマシなんじゃないか?
「ただ……女子の部屋とか、初めてで……落ち着かねーっていうか」
「はぁ……お姉はなーにしてたんだか」
「魅音がどうかしたのか?」
「なんでもないです。多分言っても無駄でしょうし」
さらっと流される。お茶を二つ持ってきた詩音が、向かいに腰を下ろした。しばらく二人でお茶を飲んでいた。遠くで車の音。静かな時間だった。
詩音の横顔を、ちらりと見る。さっきまでの怒ったような表情が、少しずつ和らいできているような気がした──少し安心する。
部屋の灯りの下で見る詩音は、昼間より少し違う顔をしているような……いや、何を考えてんだ俺は。お茶を飲め。お茶を。
「圭ちゃん」
詩音がカップを置いた。
「私たちのこと……園崎家のこと、聞きたいんじゃないですか?」
「……」
なるほど、だから誘ってくれたのか。そう得心しながら、素直に頷いた。
「……まぁ、な。今日色々あったし」
「ですよね」と詩音は静かに言った。
「何から聞きたいですか」
「茜さんと……というか園崎家とお前、なんというか」
言葉を探した。また変に機嫌を損ねられないように……変な詮索と受け取られないように。けど、付き人として最低限把握しておかなきゃいけないことを。
「仲が悪い……ってわけでもないんだろう」
「どーですかねぇ」と詩音は少し考えるような顔をした。
「良いとか悪いとか、そんな簡単に割り切れる感じでもないかもです」
「まぁ、そりゃそうだよな……大災害からまだ、間もないし」
「そうですね……」
詩音がお茶を一口飲んだ。
「けど、大災害があって、少しマシになったくらいかもしれません。私たちは」
「……」
その言葉を、どう受け取ればいいのか分からない。どういう意味なのか。聞こうとして、やめた。詩音が続けるまで、待った方がいい気がしたからだ。しばらく沈黙が続いた後、詩音がゆっくりと口を開いた。
「……圭ちゃんって、魅音と私が双子だって知ってますよね」
「勿論」
「双子って、園崎家では禁忌なんですよ」
おもむろに、詩音は語り始めた。