ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜   作:村人A

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彼女らしくなくても

 

 

 

 

 

 今日もノックはなかった。

 

 

 朝の七時半を少し回った頃だ。いつもなら返事をする前にドアが開いて、彼女の顔が覗く。ここ数ヶ月、毎朝そうだった。当たり前の朝、といってしまうのもなんだか妙な気はするが、現実問題そうだったのだから仕方がない。

 

 

 でも、今日で三日連続で、ノックは来ていない。 

 

 ……無理もない。言うまでもなく、だ。

 

 

 最初の朝、葛西さんに一言だけ聞いた。「詩音さんは、体調不良です」と。穏やかな、いつもと変わらない声で。それ以上は聞かなかったし、葛西さんも補足しなかった。いくら俺にだって、それ以上追及はできない。

 

 あれだけの事実を突きつけられたんだ。

 

 悟史が入江診療所の地下にいた。きっと悟史は、大災害のその時も、雛見沢にいた。遺体こそないが、生きている可能性はほぼない──そういうことだ。

 多分、詩音だって彼が生きていない可能性だって考慮していたはずだ。覚悟だって……多分。でも、だからって。ずっと待ち続けてきた相手の、事実上の死を突きつけられて、そのまま受け入れられる人間がどこにいる?

 

 

 通学路をぼんやりと歩く。ついこの前までは、隣にあった靴音が、今は一人分しかない。商店街を抜けて、坂道を上って、校門をくぐる。左隣が空いたままだ。三日経っても慣れない。

 

 ……慣れない?なぜ?

 答えが出ないまま、教室の席に着く。HRが始まってすぐ、真田さんが振り返ってきた。声がいつもより少し小さい。

 

「ねえ岡崎くん……詩音ちゃん、今日も来てないよね」

「あぁ。今年の風邪はタチが悪いみたいだな」

「もう、三日だよね……本当に大丈夫なのかな。お見舞い、行った方がいいかな」

 

 心配そうに眉を寄せる真田さんに、俺は大袈裟に肩を竦めてみせた。

 

「心配ねぇよ。もう少し休んだら、きっとまた明るく登校してくるだろうさ」

「……そっか。うん、待ってるね」

 

 真田さんは納得しきれていない顔のまま、前を向いた。きっと彼女は、風邪だけじゃないことくらい察しているんだろう。それでも聞かずにいてくれる。いい友人を持ってるな……アイツは。

 

 

 授業中もほとんど上の空だった。

 教科書に目を落としても、内容は頭に入ってこない。教師の話ももちろん、右から左だ。

 

 俺はどうするべきなのか。声をかけに行くべきか。

 行ったとして──何を言えばいい?

 「大丈夫か?」大丈夫なわけがないだろ、そんなの分かりきってる。じゃあ励ます。「悟史はきっと生きてる」──今の俺にそれを言う資格があるのか。根拠もなく希望を押し付けて、それで詩音の気持ちが楽になるとは思えない。むしろ余計に傷つけるだけじゃないのか。

 

 ただそばにいる、という手もある。何も言わずに。

 

 けれどそれが今の詩音に必要なものなのかどうかも、俺には分からなかった。一人でいたい時に踏み込んでくる人間ほど邪魔なものもない。

 ……村にいた時の俺だったら、無理矢理にでも踏み込んでいったのかもしれないけど。

 

 なんにもできないじゃないか、結局。

 ……いや、そんなこと初めから分かってた事じゃねぇか。所詮は単なる駒でしかないんだから。

 そんな事ばかり考えていたら、いつのまにかの放課後。

 今日は何をしたっけ?そんなことをぼんやり考えながら、鞄を持って教室を出た。

 

 

「……」

 

 いつもの帰り道。初夏の生温い風が肌を撫でる。人通りもまばらな商店街を歩いていると、角の喫茶店に見知った顔をみつけた。

 パラソルの下、テラスに一人。アイスコーヒーのグラスを前に、ぼんやりと通りを眺めている──詩音が。

 そして、彼女と目が合う。

 

「はろろーん、圭ちゃん」

 

 明るい声だった。手をひらひらと振りながら、屈託なく笑っている。

 俺は足を止めたまま、しばらく詩音の顔を見つめていた。泣き腫らした目をしているわけでもない。無理に作ったような笑顔でもない。ただ──どこか、妙に凪いでいた。

 

 強がってるのかもしれない。けど、違うかもしれない。

 

「今、暇です?」

 

 詩音が向かいの椅子に視線を向ける。座れ、ということらしい。俺は鞄を持ち直して、向かいに腰を下ろす。すぐに飛んできたウェイターに、アイスコーヒーを頼んだ。

 

「堂々とサボりか。委員長の鏡だな」

 

 そう言うと、詩音はあははと笑ってみせた。

 

「たまにはいいんですよ。こういうのも大事ですって」

「仮病でもいいから、せめて寝てた方がよかったんじゃねぇか」

「仮病は面倒くさいので嫌いなんですよね、色々と」

 

 言いながらグラスのストローをくるくると回す。初夏の風が、テラスをゆるく通り抜けていった。

 

 

 彼女の顔を、そっと盗み見る。

 強がりにしては、どこか妙に落ち着きすぎている。泣いた後の顔でもない。錯乱してるような様子も無さそうだ。なんというか──嵐の後の海みたいな、静かさのような。

 

 

 アイスコーヒーが来た。一口飲む。苦い。

 

「……薄々は、思ってたんですよね」

 

 詩音が、ふいに口を開いた。声のトーンが、一段だけ静かになる。

 

「もう、いないんじゃないかなって。ずっと前から」

 

 誰が、とは敢えて口にはしない。

 そうだろうな、と同意するのは酷すぎるか。でも、やっぱり……コイツは薄々感じていたんだ。その目で事実を見届けるまでは諦めないと、そう思いながらも……でも、心のどこかで。

 

「確認するまでは諦めない、ってずっと言い聞かせてたんですけど。でもここまで事実が揃っちゃうと——なんか、すとん、と来ちゃったんですよね。ああそうか、って」

 

 すとん、と。その言葉の軽さが、逆に重い。

 

「……私、あの時本当にショックだったんです。正直、ベッドから起き上がらないくらいに。でも、それは悟史くんがもういないって事実にじゃない……自分に、自分の気持ちに対して、です」

「自分に?」

「……安心、しちゃったんですよね。私」

 

 ストローを回す手を止めて、けれど視線は下に向けられたまま。

 

「あぁ、これでやっと諦められるって。やっと、悟史くんと向き合うことから離れられるって」

 

 八つ当たりのように指で何度もストローを弾く。

 

「……待ち続けるって、思ってた以上に消耗するんですよね。毎日じゃないんですよ、辛いのは。普通に笑えるし、ご飯も食べられる。でもふとした瞬間に、あの人はどこにいるんだろうって考えてしまう。今どんな顔をしてるんだろう、生きてるんだろうかって。それがずっと続くと……もうやめたいって、思ってしまうこともあって」

「……詩音」

「そんな最低最悪な自分に……そんな気持ちが湧き上がってしまった自分が……どうしようもなくショックで」

 

 あの悟史の件について。初めて感情を吐露する彼女は……しかし感情を押し殺しているのか、それともどこかに感情を忘れてきてしまったのか、そう思ってしまうくらい、淡々としていて。

 

「まだ、厳密には悟史は見つかってねぇけど」

「でも、ここまで事実として揃っちゃいましたから」

 

 詩音は静かにそう返した。

 

 風がまた一度、テラスを抜けた。詩音がグラスをテーブルに置いて、少しだけ真剣な目をした。

 

「……良いんですよね?これで」

 

 詩音の目が、こちらを見てくる。

 

「ずっと待ってるだけって辛いですから。どこかで区切りを付けないと、いつまで経っても前に進めないですもん。私だって……前に、進みたいんです」

 

 グラスのストローを、またゆっくりと回して。

 

「悟史のことを……忘れるっていうのか?」

「良いじゃないですか、全てを綺麗に忘れたって。待っていた分も、想いは無駄じゃないですから。悟史くんへ持っていた気持ちを否定するわけじゃないです。でも──初恋なんて、長い人生で考えたら実る方が珍しいですよ」

 

 だったら。

 詩音は少しだけ、身を乗り出した。

 

「全部忘れて……区切りをつけて。新しい一歩を踏み出したって、良いんじゃないかなって」

 

 胸の奥に、ずっと形の掴めないまま居座っていたものがある。詩音の言葉を聞きながら、それがようやく輪郭を持ち始めた気がした。もやもやと蠢いていたものの、端っこを、ようやく手でつかめたような。ああ、だから俺は——

 

「……ダメだな」

 

 はっきりと、彼女に伝えるべき言葉がある。

 

「悟史の死はまだ確定してるわけじゃない。実際にこの目で見たわけじゃない。ノートの残骸で得た真偽すら不明な情報だけを信じてるにすぎない」

「……」

「悟史は生きてる。どこかで、きっと……生きてる。だから、お前のその目でしっかりと見るまでは……園崎詩音は、北条悟史を信じて探し続けなきゃならない」

 

 間を置いて、詩音が息を、ゆっくりと吸う音がした。だが、俺は……

 

「──なんて、言うとでも思ったか?」

「……え?」

 

 まるで鳩が豆鉄砲を食ったようにきょとんとしている詩音に向けて、俺はニヤリと笑う。

 

「全て忘れる。良いんじゃねぇか、それで。お前が考えて、決めたことなんだ、俺は全く文句ねぇよ」

「……圭、ちゃん?」

「悟史は忘れる。綺麗さっぱりって訳には、流石にいかねぇだろうけどよ。でもお前の言う通り、想い続けた時間も気持ちも無駄なんかにゃならねぇだろ。だから、それを糧にお前は新しい道に進むんだ」

 

 詩音は、何か言おうとして、止まった。困惑しているような、そんな表情のまま。

 しかし、彼女の言葉なんて待つつもりもなく、俺は続ける。

 

「だから、詩音も自分の選択を信じろ。この先も、ブレる事なく」

 

 言葉が、口をついて出てくる。

 

「園崎詩音は北条悟史を待ち続けなきゃいけない。園崎詩音は北条悟史を探し続けなきゃならない。そんな風に周りが、世界が押し付けてこようが──んなもんは全部無視しろ。必要なら俺が耳を塞いでやる。園崎詩音らしくない、園崎詩音はこんなこと考えない、そんな押し付けは無意味で無価値だ。それでも気になるなら俺が一つ一つ、それら全部を否定してやる」

「……」

「お前はお前だ。今この場所にいる園崎詩音は、他の誰でもねぇんだから」

 

 言い切ってから、なぜ自分がこんなことを言ったのか、正直よく分からなかった。ただ──言わなきゃならない気がした。理屈なんか考えちゃあいない。

 

 詩音は動かなかった。グラスも、ストローも、そのままで。ただ、こちらを惚けたように見ている。

 

「……圭ちゃん」

 

 居心地が悪い。こういう顔をされると、どうにも落ち着かない。俺は椅子から立ち上がって、わざとらしく背筋を伸ばした。

 

「にしても長いようで短かったなぁ。ま、ドラマや映画じゃあねぇんだ。結末なんて案外こんなもんだろうよ」

 

 あっけらかんとそう言って、椅子に立てかけていた鞄を手に取る。

 

「学校サボってんだし、このままどっか遊びにでも行くか?あ、そういや向こうに新しくボウリング場ができたんだったか。気晴らしに体でも動かしにいくか」

 

 詩音は一瞬、きょとんとした顔をして。それから──吹き出した。

 

 口を押さえようとして、間に合わなかったらしい。腹を抱えて、肩を揺らして、声を上げて笑った。テラスの他の客が何事かとこちらを見たが、詩音はお構いなしだ。笑って、笑って、目尻に涙が浮かんで、それでもまだ笑っていた。

 

 しばらくしてようやく笑いが収まってきて、詩音は目尻の涙を指で拭った。

 

「ほーんと圭ちゃんって最低ですね。最低最悪です」

「あん?」

 

 いきなりひでぇな、オイ。

 

「こういう時は、諦めるなって励ます所ですよ。『俺は何があっても絶対諦めない、だから詩音も信じろ』って──以前の圭ちゃんなら絶対そう言ってました。あーあ、今そういう風に言われたら、圭ちゃんにコロッといっちゃう所だったのに」

 

 コロッと、ね。なるほど。

 

「くっくっく……生憎と、その”俺”は村と一緒に死んじまったからな。ご期待に添えなくて悪いけどよ……まぁでもやり直しが許されんなら、そう励ましてやろうか?」

「おあいにく様。やり直しなんて効くわけないでしょう?圭ちゃんはたった今失格になっちゃいましたよぅ」

「そいつは残念」

 

 思わず笑ってしまう。つられて、詩音もまた笑った。今度は短く、でも柔らかく。

 

「女の子が挫けそうになってたら、手を差し伸べて、優しく抱き起こしてあげるのがマナーでしょう。乱暴に背中押してどーすんですか」

「別に挫けたっていいだろ。人間誰だって折れたくなる時もある。大体、そんな時に熱血されても鬱陶しいだけじゃねぇか」

「うーわ、かつての自分全否定」

 

 違いない。ここまで見事に粉々にしてしまっては、もう俺は誰なんだって話だ。

 

 と、詩音が不意に背筋を伸ばした。椅子から立ち上がって、宣言するように言う。

 

「よし。私、決めました!」

「なんだ急に」

 

 忙しい奴だな。

 

「私、前に進みます。私が私であるために、ちゃんと区切りをつけます」

「……」

「けど、悟史くんは探し続けます」

「どういうこった?」

 

 聞き返すと、詩音はニヤリと不敵に笑って見せる。

 

「探し続けながら、前にも進むんです。悟史くんが生きてるって信じながら、でも新しい人生にも踏み出すんです。別に、悟史くんの生死がハッキリするまで、私が新しい恋も生活もしちゃいけない、お姫様のようにただ座ってなきゃいけない、なんて誰が決めたんです?そもそも、なーんで私がそんな修行僧みたいなコトしなきゃいけないんですか」

「……お前、数分前の自分の発言思い返してみろよ」

 

 そして、彼女は笑い飛ばすように。

 

「ハッ、そんな昔のことは忘れちゃいましたね!ともかく、悟史くんのことは探し続けます。もし生きてるなら、ちゃーんとケジメをつけないといけないことありますから。ちゃんと、伝えなきゃいけないことがありますから」

 

 俺はその顔を見た。さっきまでの静けさとは少し違う。前を向いている顔だ。まだ傷は残っているだろうけど、それでも──確かに前を向いている。

 

 

 それが何だか、どうしようもなく安心して。この三日間、燻り続けていた胸の内を溶かしていってくれるようで。

 

「けど、それと並行して私も新しい道に進みます。文句がある奴がいるならかかってこいってんです、園崎詩音を敵に回す覚悟があるならね」

「……そうか」

 

 だからこそ……本当の意味で笑えた気がした。

 

「んじゃまぁ、もう少し付き人生活は続くわけだな」

「えぇ、そりゃもう。馬車馬のように働いてもらいますよぅ」

 

 

 夕方前の興宮の街に、仕事帰りらしい人間がぽつぽつと混じり始めていた。会計を済ませて喫茶店を出る直前、後ろから不意に聞こえたのは。

 

「……ありがとう、圭ちゃん」

 

 詩音の声。ただ、それは本当に小さな声で……でもはっきりと、聞こえてしまった。今振り返ったら、こいつは困るだろうな。

 

「……なんか言ったか?」

「べーつに。デリカシーのないトコだけは相変わらずの圭ちゃんだなーって」

「そりゃどうも」

 

 詩音は少しだけ早足になって、俺の隣に並んだ。

 

「そういえば圭ちゃん、最初の契約、覚えてます?」

 

 少し間を置いてから、詩音が言った。

 

「悟史を探すって話だろ」

「それに──悟史くんを探す以外にも、もう一つ、圭ちゃんに協力してほしいことがあるって言いましたよね」

 

 あぁ……そういやそうだったな。あの病室で、確かに言っていた。その時は深く聞かなかったが。

 

「……なんなんだ、それ?」

「うーん、もう少ししたら、ちゃんとお話しますね。今はまだその時じゃないので。ただ、悟史くんを探すよりもずっと大変かもです」

「マジかよ。なんだか怖ぇな……」

「くすくす……ま、期待しといちゃってください」

 

 小悪魔めいた笑みでそう付け加える詩音。

 ……うん、本気で怖いんだが。

 

「じゃ、ボウリングでぱーっとストレス発散しましょっか!」

「……もうすっかり吹っ切れたみたいだし、ボウリングはやめても良いんじゃねぇか。それよか、期末考査も近いし、図書館寄って勉強してこうぜ」

「やだ」

 

 即答だ。

 

「それとこれとは話が別です。ボウリング行きますよ、さっきそう言ったじゃないですか」

「アレは、お前を励ますために誘ったんであって──」

「関係ないです。行きますよ、当主命令です」

「まだ候補だろお前は」

 

 詩音はそれでもお構いなしで、すたすたと歩き出した。ボウリング場の方向へ、迷いなく。

 

 ……まぁ、いいか。三日前のあの重さが、詩音の足取りにはもうないから。

 俺は苦笑いしながら、その背中を追いかける。

 

「ちなみに圭ちゃん、ボウリング得意ですか?」

「さぁな。ほとんどやったことねぇ」

「あはは、じゃあ私の圧勝ですね」

「言ってろ」

 

 軽口を叩きながら、二人で並んで歩いていく。

 見上げた初夏の夕空が、妙に広く感じた。

 

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