ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜   作:村人A

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威厳とは

 

 

 その部屋には、昼間だというのに、すりガラス越しの淀んだ光しか差していなかった。

 

 壁際には黒革の応接ソファ。中央のローテーブルには、灰皿代わりの空き缶が転がり、吸い殻が山を成している。奥の窓を背にした一際大きな机——そこが、上座だ。壁には大きく一筆、『仁義』と書かれた額。煙草の煙が、天井近くで横に層を成して漂っている。

 

 そう。ここは、興宮高校生徒会室である。

 

 応接ソファの前で、サッカー部の連中が三人、揃って床に額をこすりつけていた。

 

「お願いします! どうか、どうか野球部を連中の黙らせてくだせえ!」

 

 俺は煙草を指に挟んだまま、足を組んでソファにふんぞり返り、そいつらを冷たく見下ろす。

 曰く、野球部がコイツらのグラウンド(シマ)を我が物顔で荒らし回っているというのだ。その後始末をしろ、と。

 

「あぁ?」

 

 低く、ドスを利かせてやると、連中は肩を震わせて縮こまる。

 

「てめえら、こんなはした金で、俺たちに何をどうしろってんだ。グラウンドの割り当ての仲介?寝言は寝て言え」

「そ、そんな……!」

「人にものを頼むときゃあ、それなりの誠意ってもんがいるんじゃねえのか、ええ?」

 

 更に凄んでやると、リーダー格の一人(恐らく主将だろうか)が、顔を真っ青にして額の汗を拭った。

 

「で、ですが、うちは予算がかつかつで……生徒会に納めてる部費(みかじめ)も、これ以上はとても……」

「ないない、っつってなぁ」

 

 俺は空き缶の灰皿に、とん、と煙草を打ちつけた。

 

「ガキの使いじゃねえんだよ。ないなら作ってこい。それが筋ってもんだろうがよ」

「ひ、ひぃっ……!」

「まあまあ」

 

 すると、横から柔らかい声が割って入った。

 

 姐さん──真田あかりが、和装に身を包み、ゆったりとした所作で、俺の肩にそっと手を置く。おっとりとした微笑みの奥に、底の知れない凄みがある。

 

「そう凄んでばっかりじゃ、埒があかないよ。話くらい、聞いてやってもいいんじゃないかい」

「……けど、姐さん」

 

 俺は口を尖らせつつも、すっと身を引いた。姐さんに言われちゃあ、仕方ねえ。この組で姐さんに逆らえる人間は、ただ一人しかいねえからな。

 

「ねえ、会長」

 

 姐さんが、奥の上座へ、静かに声をかけた。

 その瞬間。

 部屋の空気が、ずん、と重くなった。

 

 奥の革張りの椅子。そこから、ゆらりと立ち上がる影がある。圧倒的な──そう、圧倒的としか言いようのないオーラを放ちながら、そいつはこちらへ歩いてくる。一歩ごとに、サッカー部の連中が後ずさる。足音もないのに、地響きがするようだった。

 

 園崎詩音。この生徒会(くみ)を束ねる、生徒会長(おやぶん)その人である。

 

「構わないよ」

 

 低く、艶のある声。詩音は薄く笑って、ソファの背に手をかけた。

 

「話を聞いてやろうじゃないか」

「ほ、本当ですか!?」

 

 サッカー部のリーダーが、ぱっと顔を上げる。希望に縋るような目だ。だが──その先に待っていたのは、ぞっとするほど不敵な、会長の笑みだった。

 

「けど、そうだねぇ」

 

 詩音が、すうっと目を細める。

 

「あたしらの貴重な時間を割いてやるんだ。タダってわけにゃ、いかないよねぇ?」

「で、でも、もううちには予算が……!」

「金の話なんざ、してないよ」

 

 詩音は、にぃ、と口角を吊り上げた。

 

「爪。三枚。——剥がしてきな。そしたら、話を聞いてやろうじゃないか」

「ひいいいいいいッ!?」

 

 ここは、興宮高校生徒会。今日もまた、哀れな子羊たちの悲鳴がコダマする。

 

 

「——なんて、指定高等集団・園崎組が、荒々しい船出すると思ってたんだがなぁ」

 

 ごつん。

 

「いって」

 

 脳天に衝撃が走った。見れば、詩音が手刀を振り下ろした体勢で、半眼になっている。

 

「なるわきゃないでしょう、そんなもん。アホですかアンタは」

 

 妄想は、そこで霧散する。

 

 現実の生徒会室は、煙草の煙も『仁義』の額もない、ごく普通の小綺麗な一室だ。差し込む西日は健全そのもので、灰皿代わりの空き缶もなければ、土下座するサッカー部もいない。あるのは書類の山と、椅子に座って頭をさすっている俺と、呆れ顔の会長と──

 

「わ、私、そんなしゃべり方しないよぅ……」

 

 書記の真田さんが、頬を赤らめて、おろおろと困惑していた。さっきまで脳内で姉御を張っていた人物とは思えない、いつものおっとりした彼女である。

 

「悪い、あんまり退屈だったもんでな」

「人を勝手にヤクザの姐御にしないでください。あかりさんが可哀想でしょう」

 

 ごもっともだった。てかお前は良いのかよ……いや、良いのか。次期当主候補だったわ。

 

 

「それよりも、来週のイベントの段取りについて──」

 

 まあ、要するに、だ。

 

 俺はこの数週間、ずっと身構えていたのである。詩音が──あの園崎詩音が、生徒会長なんていう権力を握ったら、いったい何をやらかすか、と。校則を私物化するか、生徒会費でパフェを食い潰すか、逆らう部活を片っ端から潰しにかかるか。妄想の園崎組も、あながち冗談ばかりとは思っていなかった。

 

 ところが、だ。

 蓋を開けてみれば、生徒会は、まだ始まったばかりとはいえ、非常にスムーズに回っていた。

 

 詩音は、めちゃくちゃをやらかすどころか──前任の会長の方針を、驚くほど律儀に受け継いでいる。段取りを崩さず、決まり事を守り、各委員会との連絡もそつなくこなす。会議では無駄な議論を切り上げる手際の良さを見せ、揉め事があれば、双方の言い分を聞いた上で、きっちり落としどころを作る。あの和風美人の前会長が「安心して任せられる」と言ったのも、なるほど頷ける働きぶりだった。

 

 もとより要領のいいやつだとは思っていた。だが、それだけじゃない。人の上に立って、全体を見回して、的確に采配を振るう──これは、要領だけじゃどうにもならない部分だ。器、とでも言うのだろうか。

 

 他の役員たちも優秀だった。そもそも学年が俺たちより一つ上、だというのに自分から立候補しただけあって、皆きびきびとよく動く。年下の詩音の指示にも、嫌な顔一つせず従ってくれる。おかげで、副会長なんていう柄でもない役回りの俺でも、なんとか格好がついていた。

 

「……存外、悪くねぇのかもな」

 

 書類を仕分けしながら、ぽつりと呟く。

 

 あれだけ道連れにされたことを恨んだが──こうして見ていると、これはこれで、悪くない気もしてきた。詩音が真っ当に人を率いている姿は、なんというか、見ていて少し、安心するような。

 

「圭ちゃん、何ニヤニヤしてるんですか。いつにも増して気持ち悪いですよ」

「いつにも増しては余計だろ」

「気持ち悪いはいいんですか……」

 

 変な顔をしていた自覚はあるので、俺は慌てて書類に目を戻す。

 まぁまだ始まったばかりだが……彼女は園崎家の当主を引き継ぐ可能性のある身だ。人の上に立つ者として、生徒会長というのはちょうど良い予行演習になるかもしれない。

 

「いや……当主と生徒会長を一緒にされても」

「人の心を読むなよな」

「圭ちゃんが勝手に口に出してたんでしょ」

 

 マジでか。

 

 

「それで、ですね。来月の上旬には、もう定期考査ですよ」

 

 業務が一段落して、生徒会室に三人だけになった頃。書類を片付けながら、詩音がうんざりした声で言った。

 

「会長になって早々、テストとか勘弁してほしいんですけど。誰ですか、こんな日程組んだの」

「そりゃお前、学校だろ」

 

 俺は当たり前のことを返しながら、ふと思いついた。

 

 定期考査。そういえば、こいつはこれから「生徒会長」として、人前に立つ機会が増える。全校集会の挨拶やら、行事の取り仕切りやら。そういう立場の人間が──たとえばだ。学年で平均点うろうろの成績だと知れたら、どうなる。

 

「なあ、詩音。お前、生徒会長だろ」

「急になんです?まーた組長だ姉御だってアホな事言い出す気ですか?」

「違ぇよ。生徒会長ってのは、謂わば生徒のトップ。そんなトップの人間な、やっぱテストでも上位を取らねぇと格好つかねぇんじゃねぇか」

 

 詩音の手が、ぴたりと止まった。嫌な予感がしたのだろう、彼女の瞳が露骨に逸らされる。が、構わずに続けることにする。

 

「考えてもみろ。天下の生徒会長サマが平均点ギリギリですなんて、威厳もクソもねぇだろ。人の上に立つ人間ってのはな、こういうとこで舐められちゃいけねぇんだよ。学力ってのは、ある種の武器であり、人を統べるツールでもある」

「なに語ってるんですか急に」

「現に、前の生徒会長は学年トップだったんだろ。そりゃもうお前、周りの生徒は大名行列に遭遇した百姓のごとく、道の端で頭を下げてたろうよ」

 

 露骨に眉を顰める。俺がこれから何を言い出すのか、警戒しているのがありありと伝わってくる。なので結論を手短に伝えてやることにする。

 

「だから──目標は学年二十位以内だ。今度のテストでコイツを目指そう」

 

 俺は、びしっと指を突きつけた。

 

 うちの学年は、だいたい二百五十人。その上位一割以内であれば、まぁ生徒会長の肩書きに見合う、十分な数字だろう。

 詩音は、しばらく無言で俺を見つめていたが──やがて、心の底から面倒くさそうな顔で、ぶんぶんと首を横に振った。

 

「無理無理。絶対無理です。なに言ってんですか」

「やる前から諦めんなよ」

「だって二十位ですよ?私、いつも真ん中ちょい上くらいですもん。そんな急に上がるわけ──」

「詩音ちゃんなら、絶対できるよ!」

 

 ぽん、と。横から真田さんが、にこやかに無責任なエールを飛ばした。

 

「あ、あかりさん?」

「私も、岡崎くんの意見に賛成。先生の中には詩音ちゃんのこと、サボったりしてる問題児だって勘違いしてる人もいるんだよ。生徒会長になったのも、あんまり良く思ってない人もいるみたいなの」

 

 詩音が、じとっとした目を真田さんに向ける。仲間だと思っていた友人から、まさか梯子を外されるとは思わなかったらしい。

 しかし、真田さんの話が本当なら尚のこと対策は打つ必要があるな……いやまぁ、教師陣の考えも分からんでもないが。普段のコイツの態度を考えたら。

 

「なら、寧ろ好都合だな。テストで黙らせらりゃいい。雑音は実力でかき消せば万事解決だ」

「そうだよ!それに詩音ちゃん、頭いいもん。ちゃーんとやれば二十位くらいなんてことないよ」

 

 両サイドからのエールに、詩音は小さくため息をつく。

 

「あかりさん、確か前回……学年十八位、でしたよね」

「え?うん、そのくらいだったかな」

 

 真田さんはきょとんと小首を傾げる。

 

「で、圭ちゃんに至っては、まさかの学年二位ですし」

「あぁ」

 

 俺は曖昧に頷いた。別に自慢するようなことでもない。東京にいた頃、それこそ取り憑かれたみたいに勉強していた時期があった。今となっては、思い出したくもない理由でだが──今は貯金だけはあるってだけだ。

 

 すると、詩音が腕を組んで、ふんぞり返った。

 

「ほぉら出た。それですよ、それ」

「なんだよ」

「二人とも、頭がいいから、そうやって無責任なことが言えるんです。持ってる側の人間ってのは、いっつもそうだ。自分ができるから、相手もできて当然だと思ってる」

 

 詩音はじーっとこちらを睨め付ける。

 

「いいですか、圭ちゃんあかりさん。自分ができることを、相手も当然できるはずだと決めつける。これはもう、ある種の虐待なんですよ。持ってる側の人間が、持ってない側の人間に、自分の価値観を一方的に押し付ける──言語道断です」

「お、おう」

「う、うん」

「これからの時代、特に未来の二十一世紀の世の中に求められているのはですねぇ、相手の気持ちに寄り添った、優しい教育なんです。できない子の気持ちを、できる側がちゃんと汲んであげる。私ゃね、生徒会長になったからには、できない人々の──持ってない側の気持ちを最優先した施策を打ち出していこうと、こう考えて」

「思いっきり持ってる側のお前が言っても、なんの説得力もねぇけどな」

 

 ばっさり切り捨ててやると、詩音は言葉に詰まった。園崎家という計り知れない権力の中枢にいるコイツが持ってない側なわけがない。

 

「要するにお前、勉強したくないだけだろ」

「……たくないですよ。当たり前じゃないですか」

 

 開き直りやがった。

 

「大体ですね!こちとら好きで生徒会長になった訳じゃあないんです。無理矢理押し付けられた格好ですよ?なのに貧乏くじを引いてやったと思ったら、今度は学力まで示せなんて、ちょいと」

「まぁ、それは……」

 

 確かに同情はするが。

 

「でも、もうなっちゃったんだもん。なら過去のことをどうこう言っても仕方ないんじゃないかな?」

「……うっ」

 

 真田さんはたおやかに微笑みながら、はっきりとそう口にする。

 ……あれ?もしかしてこの子って、結構意思とか強かったりするのか?なんだかレナみたいな雰囲気が若干したような。

 

「真田さんの言う通り、なっちまったもんは取り消せねぇしな。今後のこと考えたら、学力はあった方が良いと思うぞ」 

「……むぅ」

 

 詩音は唇を尖らせつつも、しかし手元の書類に視線を落とす。やがて、深くため息をこぼした。

 

「……まあ、確かに」

 

 ぽつり、と。詩音が、少しだけ声のトーンを落とした。

 

「成績が上がるぶんには、別に……困りはしませんけどね。実家のほうも、少しは静かになるでしょうし」

「実家?茜さんたち、そんなに厳しいのか?」

 

 放任主義を絵に描いたような家族な気がしたが。

 

「結構な学費払ってたルーチアを脱走しちゃいましたからね、私。あそこ、まぁまぁ結構高いんですけど……まぁほぼドブに捨てさせちゃった訳で」

「あぁ……なるほどな」

「そもそも無理矢理入れたのは向こうなんで、私が一方的に悪いってのは承服しかねますが。ともあれ、真面目に学業に取り組んでるのかってのにはそれなりに目付けられてたりするんですよね」

 

 どちらの言い分も分かるので、曖昧に頷いておく。

 

「ま、まぁそうですね」

 

 詩音が、もごもごと続ける。なぜか、ちらちらとこちらを窺うような目で。

 

「どうしてもやれって言うなら……まあ、付き合ってあげなくも、ないですけど。放課後とか、図書室とか、あと喫茶店とか。そういうところで。ほら、せっかくですし」

「おう、やるならとことんやるぞ。集中できる場所な、図書室でも家でもどこでも」

 

 よく分からんが、やる気になってくれたのか?

 

「い、いや、そんな特訓みたいに言われると……もう少し、こう……学生っぽいというか、青春っぽいというか、ですね」

「はい?」

「……はぁ、いえ。もうなんでもないです」

 

 なぜか詩音は呆れたように肩を落とす。その隣で真田さんがニコニコとその様子を見守っている。

 なんだ? みっちりやるのが、そんなに嫌か。まあ、勉強嫌いなやつには地獄かもしれんが。

 

「と、とにかく!」

 

 詩音が、ばっと立ち上がった。半ば自棄になったような勢いで。

 

「分かりましたよ、やればいいんでしょう、やれば!二十位以内、取ってやろうじゃないですか!その代わり、ちゃんと最後まで面倒見てくださいよ、圭ちゃん!」

「おう、任せとけ」

「ふふ、私もお邪魔にならないように協力するよ」

 

 とはいえ、詩音に関してはあまり心配はしていない。元々頭は良いし、要領も良い。集中力もかなりのものだ……二十位以内は飽くまで目標だが、それでもそう遠くもないだろうと目算している。

 

 月末の定期考査まで、そこまで時間的余裕がある訳ではないが、少しでも彼女を取り巻く環境を良くするために、俺もまた密かに気合いを入れるのだった。

 

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