ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜   作:村人A

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ため息、時々晴れ

 

 

 

 

「——なあ、詩音」

 

 その声は、いつもの圭ちゃんの声のはずなのに。どこか、低くて、熱を帯びていた。

 

 気づけば、私は壁際に追い詰められていた。逃げ場なんて、どこにもない。すぐ目の前に、圭ちゃんの顔がある。いつものへらへらした顔でも、皮肉っぽい顔でもなくて。まっすぐに、射抜くように、私だけを見ている。

 

「俺は……お前のことが好きだ」

「ふぇ?」

「ずっと前から、好きだった。誤魔化すのも、もう面倒なんだよ」

 

 は、な——なに。なにを言って。

 

 私が口を開く間もなく、圭ちゃんの腕が、どんと壁についた。逃がさない、とでも言うみたいに。普段は鈍感で、デリカシーの欠片もないくせに。こんな時だけ、どうしてこんなに——強引なの。

 

「あ、あのあのあの!!わ、わわわ私そういうのは、その、心の準備が」

「もう待たねぇ」

 

 ぐ、と。顎を、掬われる。

 

 だめ。だめだめだめ。心臓が、もう壊れそうなくらいに暴れてる。顔が熱い。逃げなきゃいけないのに。こんなの、私の知ってる圭ちゃんじゃないのに。なのに——どうして、こんなに、胸が高鳴ってしまうの。

 

 圭ちゃんの顔が、ゆっくりと近づいてくる。目を閉じて。睫毛が触れそうなくらいの距離で——。

 

 

「——っ、はぁッ!?」

 

 心臓が、爆発しそうだった心臓の音だけが頭に響いている。全身、汗ばんでいる。荒い息のまま、私は辺りを見回した。

 

 ……天井。見慣れた、自分の部屋の天井。

 

 窓の外は、明るい。朝だ。誰もいない。壁ドンしてくる圭ちゃんも、顎クイしてくる圭ちゃんも、どこにも——いない。

 

「ゆ、夢……?」

 

 夢だ。夢だった。夢でしかなかった。

 じわ、と。理解が追いついた瞬間、顔という顔が、火を噴くみたいに熱くなった。

 

「──っ」

 

 声にならない悲鳴を上げて、私は布団に潜り込んだ。両手で顔を覆っても、熱がちっとも引いてくれない。

 なに。なんなの、今の夢。圭ちゃんが、あんな。あんな強引に。挙げ句に、あんな……

 

「ばかばか…っ」

 

 ぼふぼふ、と枕を殴る。

 なんて、なんて頭の悪い夢を見てるんだ、私は。よりにもよって圭ちゃん相手に。あんな、少女漫画みたいな。ありえない。ありえない、ありえない。

 

「……だ、大体、圭ちゃんがあんな強引なこと言うわけないでしょ。鈍感の塊なんだから」

 

 唇をきゅっと噛む。

 そう。そうだ。あいつは、女心の機微なんてこれっぽっちも分かっちゃいない。壁ドンも顎クイも、未来永劫あいつには縁のない代物だ。だから、こんなの、完全に、私の——いや。私の、なに。

 

 私が、そういうのを、期待してるみたいじゃないか。

 

「……ち、違う。違います。断じて」

 

 誰に言い訳しているのか。布団の中で、一人必死に首を振る。

 なのに目を閉じると、まだ。あの夢の中の、まっすぐな目が。低い声が。すぐ目の前にあった、顔が……ありありと、よみがえってきて。

 

「……っ、もう起きる!起きますからね私は!!」

 

 耐えきれなくなって、私は布団を撥ね除けた。

 こんな夢のことなんて、さっさと忘れてしまおう。うん。そうしよう。たかが夢だ。意味なんてない。ないったら、ない。

 

 ——そう、自分に言い聞かせながら。鏡に映った自分の顔が、まだ林檎みたいに真っ赤なのには。気づかないふりをした。 

 

 

 せっかくの休日だというのに。

 朝から、どうにも落ち着かなかった。あの夢のせいだ。忘れよう忘れようとするほど、ふとした瞬間にあの光景がよみがえってくる。普通、夢ってすぐ忘れるもんじゃないんですかねぇ……ったく。

 

「買い物にでも、行きましょうかね」

 

 気晴らしだ。そう、気晴らし。可愛いものでも見て回れば、こんな妙な気分すぐに吹き飛ぶに決まっている。

 

 いつもなら、こういう時は圭ちゃんを荷物持ちに引っ張り出すのだけれど——今日は、やめておいた。あんな夢を見た直後で気まずいにも、ほどがある。きっとまともに目も合わせられない。

 

「……別に。圭ちゃんがいなくたって、買い物くらい、一人で楽しめますし」

 

 車を出してくれた葛西に、というより、自分自身に言い訳するように呟いて。私は、一人興宮のショッピングモールへと繰り出した。

 

 

 

 ——のだけれど。

 

 あんまり、楽しくない……気がする。

 

 お気に入りの雑貨屋。可愛い小物がずらりと並んだ棚を、いつもなら何時間でも眺めていられるのに。今日は、どれを手に取っても、心がぴくりとも動かない。隣の洋服屋で、新作のワンピースを合わせてみても、鏡の中の自分がなんだか上の空で。

 

 代わりに──ふとした拍子に、頭をよぎるのは。あの時の手のひらの感触。

 

 わしゃわしゃ、と。乱暴に頭を撫でられた、あの時の。大きくて、温かくて、ちっとも優しくない、あの手。それから、芋づる式にいろんな顔が浮かんでくる。ぶっきらぼうな笑顔。私が無茶を言った時の困った顔。からかわれて、むっと拗ねた顔。普段は鈍感の塊なくせに、時々妙にこっちの心を見透かしてくるような——あの目。

 

「……っ」

 

 ぶんぶん、と首を振って私はワンピースを棚に戻した。

 

 次のお店。その次のお店。どこを回っても同じだった。目の前の可愛いものより、頭の中の圭ちゃんの方がずっと鮮明で。気づけば、ため息ばかりが口から漏れていた。

 

 はぁ、と、何度目かのため息をついて——そこで、私は、ふと立ち止まった。

 

 いやいやいや。おかしいでしょう、これ。

 じわじわと、理不尽さがこみ上げてきた。もやもやが、ふつふつと、温度を上げていく。

 

 なんで私が、よりによって圭ちゃんごときのことで。こんなに、悩まされてるわけ?

 せっかくの、休日。せっかく気晴らしに来たのに。可愛いものを見ても上の空、ため息ばかり。一日が、まるごと、あいつのせいで、台無しじゃないか。

 

 しかもだ。当の本人は、どうせ今ごろ、私のことなんてこれっぽっちも気にしちゃいないだろう。私がこんなに振り回されてるなんて、夢にも思わずに、のうのうと過ごしてるに決まってる。

 

 ……なんだか、無性に、腹が立ってきた。

 

 一人で勝手に悩まされている。このばかみたいな堂々巡りを、ぜんぶ一人でやってる自分が猛烈に、ばからしい。

 

「……圭ちゃんの癖に。なんなんですか、もう」

 

 ぼそり、と毒づく。

 誰も悪くないのに、無性に、圭ちゃんに当たり散らしたい気分だった。理不尽なのは分かっている。分かっているけど。だって、アイツがあんな風に頭なんて撫でるから。

 

 もやもやと、苛立ちとわけの分からない感情をぜんぶ抱えたまま。私は、どさっと近くのベンチに腰を下ろした。

 

 大きな、ため息。

 

 ……ああ、もう。なんで、こんなことになってるんだろう。

 

 

 

 とん、と。目の前に、冷たいものが差し出された。

 

「詩音さん」

 

 顔を上げると、葛西だった。手に、ペットボトルのスポーツドリンクを二本持っている。その片方を私に差し出してくれていた。

 

「……どうも」

 

 受け取ると、ひんやりとした感触が、火照った手のひらに心地いい。蓋を開けて、一口。冷たさが、喉を滑り落ちていく。少しだけ、頭が冷えた気がした。

 

 葛西は、私の隣に立ったまま、自分のドリンクには口をつけず——なにやら、サングラス越しに、じっと私を見ている。

 ……なんだろう。何か、言いたげだ。

 

「……なんですか。言いたいことがあるなら、男らしく、はっきり言ったらどうです」

 

 じろりと睨むと、葛西は、ふ、と口元を緩めた。そして、ゆっくりと口を開く。

 

「……前原さんを、男性として意識なさるのは。私は、決して、悪いことではないと思いますよ」

「——ぶッ!?」

 

 飲みかけのドリンクを、危うく盛大に吹き出すところだった。なんとか飲み込んで、咳き込みながら、私は葛西を見上げる。

 

「な、な、なにを——いきなり、何を言い出すんですか!」

「おや。違いましたか」

「ち、違いますとも!意識も何も、あんな鈍感男のこと、これっぽっちも——」

「ふっ……はは」

 

 葛西が、笑った。

 いつもの、控えめな微笑みじゃない。サングラスの奥で、目を細めて。肩を揺らして。心の底から、おかしくてたまらないという風に。あの、めったに表情を崩さない葛西が。

 

「な——なに笑ってるんですかっ、失礼な!」

「いえ、すみません。詩音さんが、あまりにも分かりやすく動揺なさるので、つい」

「動揺なんてしてません!」

 

 顔が、熱い。きっとまた真っ赤だ。それが余計に悔しい。怒りたいのに——見透かされている恥ずかしさが先に立って、うまく怒れない。

 葛西は、ひとしきり笑って、それから少しだけ声のトーンを落とした。

 

「……差し出がましいことを申し上げます」

 

 その声が、急に優しくなったから。私は、思わず口をつぐんだ。

 

「一度ご自分のお気持ちに、素直に向き合ってみることも——大切かと思いますよ。逃げてばかりでは、見えないものもございますから」

「……」

「出過ぎた真似なのは、重々承知しております。ですがまあ」

 

 葛西は、ふっと穏やかに笑った。

 

「貴女よりも、いくらか長く生きている人間からの助言ということで。ひとつお納めください」

 

 それだけ言うと、葛西は軽く会釈をして。「車でお待ちしております」と、その場を後にした。

 

 

 

 一人ベンチに残されて。

 私は、しばらくぼんやりと手の中のペットボトルを見つめていた。

 

 葛西がなにが言いたいのか……はまぁ、うん。

 万が一億が一地球が自転を止めて太陽が東から西に沈むくらいあり得ない事ではあるが──いや太陽は普通に東から昇るか……じゃなくて!ともかく相当にあり得ない事ではあるけども、もしかしたら、私が──圭ちゃんに惚れているんじゃないかと、そう問いかけている訳である。

 

 はっ……いいでしょう。そこまで言うなら。一度、ちゃんと冷静に考えてあげようじゃないですか。私が、本当に前原圭一なんかのことを、好きなのかどうか。

 

 例えば——そう、初恋の人、悟史くんだったら。

 私が悟史くんに恋をしたのは、言うまでもなく彼の良いところに沢山触れていったから。

 

 悟史くんの良いところ。ああ、それはいくらでも、すぐに浮かぶ。優しい。いつも穏やかに笑っていて。からかうと「むぅ」って唇を尖らせるのが、たまらなく可愛くて。見返りなんて求めずに困っている人がいたら、すっと手を差し伸べて。園崎の家の、忌み子だなんだと言われていた私たちにすら、分け隔てなく、接してくれた。……あと、普通に、かっこよかった。

 

 うん。完璧だ。非の打ち所がない。では——圭ちゃんは、どうだろう。

 

 えーと。

 

 ……良いところ。良いところ、ねぇ。

 

 まず、基本的に今の圭ちゃんは冷たい。面倒くさがりで、人の頼みは渋々聞く。かと思えば、頼んでもいないのにウザったいくらいお節介を焼いてくる時もある。ガサツで、デリカシーは皆無。乙女心なんてこれっぽっちも分かっちゃいない。鈍感の塊。勉強になれば鬼みたいに容赦がないし、人の気持ちなんてお構いなしに、土足でずかずかと踏み荒らしてくる——。

 

 ほら、見なさい。

 

 欠点ならいくらでも出てくる。悟史くんとは比べものにならない。良いところなんて——。

 

 ……いや。

 

 確かに冷たい時もあるけど。結局、最後まで相手を見捨てたりはしないんだよなぁ。ガサツっていうのも、ちょっと違う気がする。あれはたぶん、不器用なだけだ。不器用なりに、ちゃんと相手のことを考えようとはしてくれる。

 デリカシーがないのは、まあ事実だけど。でも、本気で嫌な感じかと言われると、別にそうでもないし。勉強だって、あんなに鬼だったけど——あれは全部、私のために、本気で親身になってくれてたわけで。

 

 人の気持ちを無視して踏み込んでくるのだって、裏を返せば。どんなに拒まれても、どんな事情があっても。諦めずにまっすぐに、手を伸ばしてくれるってことで。究極のお節介。でも、その究極のお節介に——私は、結局、何度も助けられて……。

 

 ……あと、まあ。顔も。うん。カッコ悪くは、ない。むしろ、その。割と——。

 

「──って」

 

 はっと、我に返った。

 ぶんぶんぶん、と千切れんばかりに首を振る。

 

(なに圭ちゃんを必死にフォローしてるんですか!!)

 

 絶対おかしい。欠点を数えていたはずなのに。

 手の中のペットボトルが、じんわりとぬるくなり始めていた。

 

 

 結局、もやもやは晴れないまま。買う気も失せて、葛西の運転する車で家路につく。

 車窓を、興宮の街並みが流れていく。夕暮れが近い。茜色に染まり始めた空を、ぼんやりと眺めていたら——ふと。

 

 お姉の顔が浮かんだ。

 

 はぁ、と。今度は、さっきまでとは違う種類のため息がこぼれる。

 

 

 ……お姉──魅音は、圭ちゃんのことが好きだった。

 

 それは、知っている。痛いくらい知っていた。だから私は、からかったりもしたけれど……本当は応援していたのだ。鈍感でデリカシーがないけど不器用ながら真っ直ぐな彼と、本当は誰よりも寂しがり屋なのに精一杯頑張るあの子とが。なんだかんだでお似合いだと、そう思っていたから。

 

 なのに。

 

 今、圭ちゃんの隣にいるのは。一緒に登校して、軽口を叩き合って、頭を撫でられて、こうして、心を引っかき回されているのは——お姉じゃ、なくて。

 

 魅音は、もういない。圭ちゃんと並んで帰ることも。軽口を叩くことも。頭を撫でられて、ドキドキすることも。あの子には、もうできない。なんにも、できないのに。

 

 どうして。

 どうして、あの子の隣にいるべき場所に、私がいるんだろう。

 

 

 ……ねえ、魅音。もし、今の私をあんたが見たら。なんて言うかな。

 

 

「アンタ、悟史はどーしたのさ」って肘で小突いてくるだろうか。それとも。「ちょっと、圭ちゃんと近すぎない!?」って、頬を膨らませるだろうか。

 

 

 ……分からない。もう永遠に分からない。聞きたくても、聞けない。答えてくれるあの子は——どこにも、いないのだから。

 

 言っても、仕方のないことだ。考えたってどうにもならない。それなのに。

 車窓に映る、自分の顔を見つめながら。私は、いつまでもいつまでも、いるはずのないあの子のことを、考えていた。

 

 

 

 

 マンションに着いたのは、夕方だった。私の悩みなんてお構いなしに、茜色の鮮やかな光がエントランスを照らしている。

 太陽はいいですよね、悩みなんてなさそうで。そんな、訳も分からない愚痴を溢しそうになりながらも廊下を歩いていると——前方から、見慣れた人影が、歩いてきた。

 

「ん、詩音か。おかえり」

 

 圭ちゃんだった。手にずっしりとした鞄を提げている。

 

 よりにもよって、一番顔を合わせたくない相手と、一番会いたくないタイミングで、鉢合わせてしまった。というか、彼が抱えてる鞄の中身はもしかしなくても……

 

「……ただいま、です。って、圭ちゃん、それ」

「あ?ああ、図書館行ってきた」

 

 やはり、参考書か。赤本を取り出した彼に本気で呆れた。よくもまぁ飽きもせずに。

 

「……正気ですか。テスト、終わったばっかりですよ?なのに、休みの日まで、わざわざ勉強しに行ったんですか」

「継続は力なり、って言うだろ」

 

 圭ちゃんは、けろりとしたものだ。なんてことのない顔で、肩をすくめる。

 

「テスト前だけ慌ててやるから、泣きを見るんだよ。日頃から、ちょっとずつ積み重ねときゃ、あんなに苦労しねぇんだ」

 

 ぐ、と言葉に詰まる。確かにあの特訓は地獄だった。思い出すだけで胃が痛い。頭も痛い。というか、時々夢にまで出てきそうで憂鬱ですらある。

 

「あー、そうだ。お前さ」

 

 と、圭ちゃんが、何か思いついたようにこちらを見た。

 

「次の期末は、いっそ十五位以内、狙ってみたらどうだ?」

「は——はぁ!?」

 

 思わず素っ頓狂な声が出た。

 

「な、なに言ってるんですか!あんな思い、もう二度とごめんですよ!私は今、勉強という名の地獄から、ようやく解放されて、羽を伸ばしてるところなんですから」

「だから、それが即席だっつーんだよ。今度は、日頃からコツコツやりゃ、前みたいに詰め込まなくて済む。むしろ楽だぞ」

「ぐ……っ、で、でも!モチベーションってものがないんですよぅ、モチベーションが!二十位取れたんだから、もう十分じゃないですか!」

 

 露骨に、唇を尖らせる。せっかく自由の身になったのだ。これ以上、あの鬼の特訓に付き合わされるなんてまっぴらごめんだ。

 すると、圭ちゃんは、少し考えるような顔をして。

 

「……じゃあ、こうしよう。十五位以内に入ったら、ご褒美に、好きなもん買ってやる。それなら、やる気も出るだろ」

 

 ……ご褒美。ほう。ご褒美、ねぇ。

 

 その瞬間、私の頭にちょっとしたいたずら心が芽生えた。

 

 この、ブランドにもファッションにも、とんと疎い男。きっと相場なんて、まるで分かっちゃいない。ひとつ困らせてやろうじゃないか。さっきまで、さんざん人の心を引っかき回してくれたお返しに。

 

「……いいんですか?言いましたね?じゃあ、エルメスのケリーバッグで」

「えるめす?なんだそりゃ。バッグなら、まあ、いいんじゃねぇの」

 

 ほら、来た。やっぱり何も分かっていない。私は、にんまりと笑って続けた。

 

「ふふ。お安いものですよ。お値段、たったの——百万円、くらいです」

「ぶッ——!?」

 

 圭ちゃんが、見事に、噴き出した。

 

「ひゃ、ひゃくまん!?バッグが……正気か!?何が入んだよ、そんなもん!」

「あら。今、好きなもの買ってくれるって、言いましたよねぇ?」

「い、言ったけどよ!言ったけど、限度ってもんがあんだろっ。つーか、よく考えたら俺、お前んち住まわせてもらってる身だし——んな大金になると、俺の金ですらなくなる気が」

「いいんですよぅ、こういうのは。気持ちが、大事なんですから」

 

 うろたえる圭ちゃんが、おかしくてたまらない。さっきまでのもやもやが、嘘みたいにすうっと晴れていく。やっぱり、この人をからかうのは、楽しい。

 

「な、なあ、もうちょっと、現実的なもんにしねぇか?」

「おやおや?天下の前原圭一ともあろうお方が、もうビビっちゃってるんですか?」

 

 くすくす、と笑ってやると圭ちゃんは、むぅと顔をしかめた。それから——何か、思いついたように、ポンと手を打つ。

 

「気持ちが大事、っつーんならよ」

「え?」

「こういうのは、どうだ。『毎日褒めてやる券』とか。あとは——そうだな。『撫でてやる券』とか」

 

 言うが早いか。圭ちゃんの手が、ぽん、と、私の頭に乗った。そして。

 

 わしゃ、わしゃ、と。

 

「——っ」

 

 ……また、だ。

 あの、温かさ。大きな手のひらで、乱暴に髪をかき混ぜられる、あの感触。ぼわ、と。胸の奥が、また、おかしな具合に温かくなっていく。今朝の夢が。あの日の余韻が。ぜんぶ、いっぺんに、よみがえってきて——。

 

「——わ、私ゃ、犬ですかっ!」

 

 慌ててその手から逃げた。そしてぷいっと、顔を背ける。心臓が、うるさい。きっと、また耳まで真っ赤だ。見られたくない。

 

 ……もっと。ほんの少しだけ、そう思ってしまった自分を、必死で奥の方へ押し込める。

 

「ま、まぁ。そうですね。あんまり、非現実的なものを要求しても……可哀想、ですし?圭ちゃんの、その、アイデアで。手を、打って、あげないことも、ない気が……しなくも、ないというか、なんというか」

「お、そりゃありがてぇ」

 

 圭ちゃんが、ぱっと、顔を明るくする。

 

「んじゃ、決まりだな。次は十五位、目指して頑張るか」

「ま——まだ、決まったわけじゃありませんからね!ご褒美の内容は、こっちで厳正に審査しますんで!」

「……わ、分かったよ。けど、まあ、お手柔らかに頼むぜ」

 

 苦笑いする圭ちゃんに、ふん、とそっぽを向いて。それでも私は、まだ、頭のてっぺんに残る、その温かさの余韻を——こっそりと、噛みしめる。

 

 ……結局。

 今日一日、あんなに考えても。圭ちゃんのことを、自分がどう思っているのか。その答えはまだ出ない。

 

 好きなのか。そうじゃないのか。これは恋なのか。それともただの勘違いなのか。

 

 でも——まあ。

 

 今すぐ、無理やり、答えを出さなくたって。いいのかもしれない。

 

 お姉のことも。圭ちゃんのことも。この胸の中の、ぐちゃぐちゃで、名前のつけられない、温かいような、苦しいような、何かも。ぜんぶ、今すぐ、きれいに、整理する必要なんて——ない。

 

 今は、ただ。

 

 この、頭の上に残った温かさがあれば。それでいい。

 

 そう思えたことに、ほんの少しだけほっとして。私は、まだ熱い頬を持て余しながら、自分の部屋へと戻ったのだった。

 

 

 






まさかまたひぐらしの新作が発表されるとは!
モチベーションが更に高まっている今日この頃です。
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