ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜   作:村人A

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たまにはひぐらしらしく、ホラー要素なども……


新作ですって!?

 

 

 

「新作ッ……!?新作ですって!?」

 

 昼下がりの生徒会室に、素っ頓狂な叫び声が響き渡った。

 声の主は、言うまでもなく詩音だ。書類仕事の最中だったはずが、いつの間にか机に頬杖をついて、こっそり手の中の何かを覗き込んでいたらしい。その何かを掲げて、勢いよく立ち上がる。

 

「突然叫ぶなよ。びっくりするだろうが」

 

 俺は手元の書類から顔も上げずに、呆れた声を返した。新作だかなんだか知らないが、まだ夏も終わったばかりだぞ。気が早いにもほどがある。

 

「まあまあ、岡崎くん」

 

 隣で書記仕事をしていた真田さんが、おっとりと宥めてくる。

 

「でも、聞いてくださいよ!しかも制作会社が、あの頃のところに戻ってきたんですよ!業だの卒だののあれこれはどうなるんだって話ですけど、いえ、それより今は——この令和に、いえこの時代にまた新作が出るって事実を、喜ばなくっちゃ!」

「……お前、さっきから何の話をしてるんだ」

 

 業だの卒だの令和だの、まったく意味が分からない。

 

「し、詩音ちゃん!それはダメだよ、色々と!」

 

 すると、真田さんがなぜか慌てた様子で割って入った。

 

「だって、今はまだ昭和六十一年だし……ていうか、そもそも私たち、二次創作なんだから、そういうことは言っちゃ――」

「いや、真田さんのツッコミが一番危険なんだけど」

 

 思わず真顔で突っ込んでしまった。なんだ二次創作って。聞いてないぞ俺は。

 詩音が、ふぅと大きく息をついて、すとんと席に座り直した。憑き物が落ちたみたいな顔をしている。

 

「……まあ、それはさておき」

「お前が言い出したんだろうが」

「今日はお二人に、お話があるんです。例の、部活動の稟議なんですが」

 

 切り替えの速さよ。たった今あれだけ取り乱していた人間と同一人物とは思えない。俺と真田さんは、思わず顔を見合わせた。

 

「お前、ホント怖いよ。情緒どうなってんだ」

「ふえぇ……」

 

 なぜか真田さんまで一緒に怯えている。気持ちは分かる。

 詩音は、俺たちの反応など意に介さず、一枚の書類を取り出してテーブルに置いた。我が道を行く女である。

 

「えー、こちらの同好会から、部活動への昇格申請が出ています。規定の人数を満たしたので、正式な部にしてほしい、と」

「ふぅん。で、どこの同好会だ」

 

 俺は何の気なしに、書類を覗き込んだ。

 

「オカルト研究同好会、です」

 

 その瞬間。

 ぴたり、と。真田さんの手が、止まった。

 

「……あの、詩音ちゃん」

「なんですか?あかりさん」

「オカルト研究同好会って……その、あそこ、だよね」

 

 真田さんの声が、いつになく、少しだけ低い。おっとりした顔に、かすかな緊張が走っている。

 なんだ? 俺は二人を交互に見た。

 

「なんだよ、あそこって。有名なのか、そこ」

「圭ちゃんは知らないんでしたっけ」

 

 詩音が、声を潜めた。

 

「校内じゃ、ちょっとした有名どころですよ。黒魔術だの、こっくりさんだの、なんだか怪しげな宗教だのにどっぷりハマってるって噂の、正体不明の集団です。部員が何人いるのかも、何をやってるのかも、ろくに分かってない。みんな気味悪がって、近寄らないんです」

「うん……私も、噂でしか聞いたことないけど。あんまり、いい話は聞かないかな」

 

 真田さんが、困ったように眉を下げる。

 ふうん。黒魔術にこっくりさん、ねぇ。

 

 まあ、どこの学校にも一つはあるもんだろう、そういうオカルト系の集まりってのは。俺は正直、大して気にも留めなかった。所詮は思春期のごっこ遊びだ。マントでも羽織って、ろうそく囲んで、それっぽい呪文を唱えて悦に入ってる――そんなところだろう。

 

「で、その昇格を認めるかどうか、審査しろってことか」

「そういうことです。とはいえ、書類だけじゃ判断もできませんからねぇ。一度、実際に見学に行こうかと」

「見学ねぇ」

「ええ。活動の実態を、この目で確かめてくるんです。それが筋ってもんでしょう」

 

 詩音が、にっこりと笑った。やけに楽しそうな笑みだ。新しいおもちゃでも見つけた子供みたいな。

 

「というわけで、圭ちゃん。付き合ってくださいね、副会長なんですから」

「……まあ、それが仕事なら、行くけどよ」

 

 軽く、そう請け合った。

 この時の俺は、何も知らなかった。あの扉の向こうに、何が待っているのかも。これから自分が、どんな目に遭うのかも——何一つ。

 今思えば、真田さんがあの時見せた、あのかすかな緊張を、もっと真剣に受け止めておくべきだったのだ。

 

 

 

 オカルト研究同好会の部室は、旧棟の三階、廊下の一番奥にあった。

 なるほど、いかにもだ。窓から差す午後の光も、この一角だけはどこか薄暗く感じる。突き当たりの扉には、すりガラス越しに『オカルト研究同好会』と、ご丁寧に角張った字で書かれたプレートがかかっていた。

 

「……なんつーか、雰囲気あるな」

「でしょう? 黒魔術の祭壇でも出てきたら、どうします?」

 

 詩音が、わざとらしく声を潜めて、にやにやしている。怖がらせようとしているのか、自分が面白がっているだけなのか。たぶん後者だ。

 

「やめろよ。んなもん出てきたら、書類に『要・お祓い』って書いて帰るぞ俺は」

「んなもん通るわきゃないでしょう……」

 

 軽口を叩きつつも、正直、少しだけ身構えていた。あれだけ噂を聞かされた後だ。扉の向こうに、ろうそくの灯りと、フードを被った連中が車座になっている――そんな画が、嫌でも頭に浮かぶ。

 俺は一つ息を吸って、扉をノックした。

 

「失礼します。生徒会ですが」

「はぁい、どうぞー」

 

 中から返ってきたのは、拍子抜けするくらい、可愛らしい声だった。

 

 ……ん?

 

 怪訝に思いながら、扉を開ける。そして——固まった。

 

「んん?」

 

 黒魔術の祭壇は、なかった。ろうそくも、五芒星も、怪しげな壺もない。代わりに目に飛び込んできたのは――ふわふわした、桃色の世界だった。

 窓には、レースのカーテン。棚という棚には、ぬいぐるみがぎっしりと並んでいる。机の上には、可憐な小花を生けた花瓶。壁にはパステルカラーのタペストリーや、押し花を額装したものが飾られていて、ふわり、と甘い香りが鼻をくすぐる。何かのアロマか、いやルームフレグランスか。とにかく、甘い洋菓子のような砂糖をまぶしたみたいな空間だった。

 

 

 そして、その真ん中で。

 可憐な女子生徒たちが、ティーカップ片手に、優雅に談笑していた。

 

「あら、いらっしゃいませ」

「ふふ、本当に来てくださったのね」

 

 六人、いた。全員、女子。みんな、おっとりとした上品な所作で、紅茶を口に運び、小皿に乗ったお茶菓子を、控えめに摘んでいる。育ちの良さそうな、可愛らしい子ばかりだ。黒魔術にどっぷり、なんて噂とは、天と地ほどもかけ離れている。

 

「……詩音。部屋、間違えたか?」

「いえ、合ってますけど……合ってます、よね?」

 

 さすがの詩音も、毒気を抜かれたように呟いている。二人して、入り口で立ち尽くすしかなかった。なんだこれは。

 

「お待ちしておりました。生徒会の方ですね」

 

 ふわり、と。一人の女子生徒が、椅子から立ち上がって、こちらへ歩み寄ってきた。

 ゆるく巻いた、柔らかそうな髪。おっとりと垂れた目元。たおやかな物腰で、ふんわりと微笑んでいる。たぶん、この子が会長だろう。

 

「私が同好会長を務めております島崎です。本日は、わざわざのお運び、ありがとうございます」

「あ、ええ。生徒会副会長の、岡崎です。こっちは会長の――」

「園崎詩音です。本日は、審査のための見学ということで」

「ええ、伺っております。どうぞ、ごゆっくり見ていってくださいませ」

 

 会長が、すっと手を差し出してくる。俺たちは、半ば呆然としたまま、その手を握り返した。柔らかくて、ひんやりとした手だった。

 

 ……いや、待て。落ち着け。

 考えてみりゃ、噂なんてのは、いい加減なもんだ。活動的にも地味で目立たないからか、勝手に尾ひれをつけられて「黒魔術集団」に仕立て上げられた――よくある話じゃないか。実態は、ただの可愛い女子のお茶会。なんだ、拍子抜けもいいところだ。

 

「皆さん」

 

 会長が、ぱん、と上品に手を打った。

 

「今日は、生徒会のお二人がいらしてるんですよ。ご挨拶しましょうね」

 

 その一声で。六人の視線が、いっせいに、こちらを向いた。

 

「まあ……!」

「殿方だわ……!」

 

 ……との、がた?

 

 なぜだろう。女子たちの目が、きらきらと——いや、ぎらぎらと、輝き始めた気がする。さっきまでの上品なお茶会の空気が、一変した。彼女たちは、ティーカップを置いて、そわそわと身を乗り出してくる。

 

「ねえねえ、副会長さん。少しお話ししません?」

「珍しいわ、男の子がいらっしゃるなんて」

「ぜひ、聞いていただきたいことが」

 

 わらわらと、女子たちが俺の方へ寄ってくる。可憐な顔に、なぜか必死さを滲ませて。

 おいおい、いつからここは女子校になったんだ。男子なんてその辺にわらわらいるだろうに。

 

「あの、私たちね、恋のお話をするのが好きなんです。でも、男の子の意見って、聞く機会がなくて」

「ぜひ、殿方のご意見を聞かせてくださいな」

 

 ぐいぐい、と。距離を詰めてくる。圧がすごい。可愛い顔して、目だけが妙に据わっている気がする。想像していた怖さとはまた違う恐怖が迫ってくる。しかもなんだこの、逃げ場のない感じは。動物的な本能が、警報を鳴らしていた。これは、まずい。

 

「お、おい、詩音。助け——」

 

 救いを求めて、隣を見た時に……詩音は。

 

 にやり、と。それはもう、悪魔みたいな笑みを浮かべていた。

 

「いやぁ、皆さん、お目が高い。何を隠そう、この圭ちゃんはですねぇ、中学の頃はそりゃあもう、モッテモテだったんですよぅ!」

「詩音、てめ──」

「経験豊富な彼に、ぜひぜひ、皆さんの聞きたいお話を聞いてもらってくださいな!ささ、遠慮なく!」

 

 ぐい、と背中を押される。俺は女子たちのど真ん中へと、生贄のごとく差し出された。

 

「くっくっく」

 

 詩音が、口元を押さえて、肩を震わせている。こいつ、完全に面白がってやがる……後で覚えてろよ。

 

「まあ、頼もしい!」

「ねえ副会長さん、こっちこっち」

 

 あれよあれよという間に、俺はテーブルの一席に座らされていた。気づけば、可憐な女子たちにぐるりと囲まれている。詩音も「お邪魔しますねぇ」なんて言いながら、面白半分で隣に腰を下ろした。

 

 こうして、世にも奇妙なお茶会、もとい恋バナ会が、幕を開けたのだった。

 

 

「あのね、聞いてくださる? 私の、愛しい“カレ”のお話」

 

 口火を切ったのは、ハーフアップの女子だった。頬を桜色に染めて、もじもじしている。一見、どこにでもいる、恋する乙女だ。

 

「もちろん。どんな彼氏なのかしら」

「気になるわ、教えて」

 

 周りの女子たちが、きゃあきゃあと囃し立てる。何でまぁ女ってのはこの手の話が好きなんだ。他人の惚気話なんて、一体何が面白いのか──

 

「それがね……最近、彼が冷たいの」

 

 彼女が、しゅん、と肩を落とした。……ふむ、どうやら一概に惚気話という訳でもないらしい。

 

「あんなに、毎日想いを伝えてるのに。お返事も、くれなくて」

「えー、ひどい」

「そんなに想ってもらえて、贅沢だわ」

「鈍感な奴ってそれだけで罪ですもんねー」

 

 周りの女子は口々に文句を言い始める。示し合わせたのか、つーか詩音まで一瞬で混じってやがった。よくもまぁ知りもしない話でここまで結託できるもんだ。

 

「ちなみに毎日って、どれくらい想いを伝えてるんだ?」

 

 何の気なしに、俺は口を挟んだ。まあ、痴話喧嘩か片想いのこじれか、その辺だろうと高をくくって。

 

「えっとね」

 

 その女子が、指を折って数え始めた。

 

「お手紙を、一日に、百通くらい?下駄箱と、机と、あとはお家のポストにも、入れてるんだけど」

 

 そうか……それは

 ……ん?

 

「百通……?」

「変よねぇ。あんなに書いてるのに、お返事ひとつないなんて」

「相手の子も、つれないわねぇ」

 

 周りの女子たちが、うんうんと、心底同情するように頷き合っている。

 俺は、思わず詩音と顔を見合わせた。詩音の顔からも、さっきまでのにやにや笑いが、すうっと消えている。

 

 ……おい。今、聞き間違いじゃなければ。一日に、百通。家のポストにも。

 

「あ、あー……ちょっと待ってくれ。確認なんだが」

 

 嫌な予感を抑えつつ、俺は慎重に尋ねた。

 

「その、好きな相手とは……今、どういう関係なんだ? さっき『冷たくなった』って言ってたが、その、付き合ってるとか、そういう」

「ふふ、それがですね」

 

 彼女が、うっとりと、頬に手を当てた。

 

「先月、下駄箱で。私が落とした上履きを、彼が拾ってくれたんです。『これ、君の?』って、笑顔で。──その瞬間に、私たちの関係は、始まったんです」

「……」

「それからは、毎日。廊下ですれ違うたびに、彼、笑顔で挨拶してくれて。私も、笑顔で返すんです。そうやって、少しずつ、関係を深めていって。だから私も、ちゃんと想いを伝えなきゃって。毎日、お手紙を……」

 

 うっとりと語る、その横顔は。

 恋する乙女の、それだった。心の底から、幸せそうで。一点の曇りもなく、自分の言っていることを、信じきっている。

 

 でもさ、それ──多分付き合ってない、よな。

 

 いやきっと恐らく確実に断じて……付き合ってない。上履きを拾った。挨拶を返した。それだけだ。それだけのことを、こうも壮大な恋物語に育て上げ、一日百通の手紙を、家のポストにまで投函する。それは恋人じゃない。それは、その、なんだ。今の時代に、その言葉があるかは知らんが──いや、たぶん、まだないんだろうが。

 

「……圭ちゃん」

 

 隣で、詩音が、引き攣った笑みのまま、小声で囁いてきた。

 

「これ……なんか、雲行きが怪しくないですか」

「怪しいで済むのかこれ、既に手遅れじゃねぇ?」

 

 可愛らしい部屋。甘い香り。上品なお茶会。恋する乙女たちの、無邪気な笑顔。

 

 その、何もかもが可憐な空間に──ぞわり、と。背筋を撫でるような、得体の知れない違和感が、滲み始めていた。

 

 明らかになにか空気が、おかしい。

 

 恋バナ会は、その後も続いていた。だが、ハーフアップの子の「百通」を皮切りに、出てくる話の一つ一つが、どれもこれも、どこかが致命的にズレている。「彼の使った箸を持って帰った」だの「家の前で朝まで待っていた」だの──可憐な顔で、うっとりと語られるそれらは、もはや恋とは呼べない代物だった。

 

 なのに、女子たちは、誰一人としてそれを変だと思っていない。きゃあきゃあと、心から幸せそうに、頷き合っている。

 

 俺と詩音は、もう、相槌を打つのも限界だった。早いとこ「見学は十分です」と切り上げて、この甘ったるい部屋から逃げ出したい。そう思っていた、その時だった。

 

「あ、そうだ……!」

 

 女子の一人がぱっと顔を上げた。何かを思いついた、という顔で。

 

「こういう時は、サッちゃんに相談しましょう?」

 

 刹那──部屋の温度が、一気に下がった気がした。

 

 いや、気がした、じゃない。空気が、変わったのだ。さっきまでの、砂糖菓子みたいに甘ったるい雰囲気が。ずん、と。重く、冷たいものに、塗り替えられていく。

 

「サッちゃん」

「ええ、サッちゃんに」

「サッちゃんなら、きっと」

 

 女子たちが、口々に、その名を繰り返す。さっきまでのかしましさが、嘘みたいに、声がひそやかになっていく。

 

 ……なんだ。サッちゃんって、誰だ。友達か?友達だよな?友達であってくれ。

 

 俺が眉をひそめていると、一人の女子が、すっと立ち上がった。そして、部屋の奥の棚──ぬいぐるみがぎっしり並んだ、あの可愛らしい棚の、一番奥に手を伸ばす。あぁ、ぬいぐるみのことか。

 

「……え?」

 

 奥から出てきたのは──人形だった。

 

 ……だが、それは。さっきまで部屋を埋めていた、ふわふわした可愛いぬいぐるみとは、まるで違う。

 

 黒い、髪。ざんばらに乱れて、顔の半分を覆っている。手足は不自然に長く、ねじれて、関節があらぬ方向に曲がっている。布で作られた顔には、目のあたりに、黒い穴が二つ。糸でかがられた口は、片端だけが、にぃ、と吊り上がっている。歪だった。何もかもが、歪だった。可愛らしいものばかりのこの部屋で、それだけが、明確に、異質だった。

 

 その人形が、テーブルの真ん中に、そっと置かれる。

 

「──っ」

 

 俺は、息を呑んだ。

 

 女子たちの様子が、変わっていた。

 さっきまで、きらきらと、あるいはぎらぎらと輝いていた目。それが今は——とろん、と。虚ろに、濁っている。焦点が、どこにも合っていない。六人が六人とも、同じ顔で、その人形を見つめている。

 

 くす。くすくす。

 

 どこからともなく、笑い声が漏れ始めた。誰が笑っているのか、分からない。低く、ひそやかに、部屋のあちこちから、くすくす、くすくす、と。

 

 女子たちは、無言で、テーブルの上に一枚の紙を広げた。古びた、黄ばんだ紙。そこには、筆で書かれた文字が並んでいる。「はい」「いいえ」。それから、見たこともない記号のようなものが、いくつも。こっくりさんの──あれの、親戚みたいな代物だ。

 

 そして、人形を囲んで、女子たちが、車座になる。

 

 俺は、その人形を、改めて見た。よく見ると──右足。布の右足の先から、一本の、黒い糸が垂れている。その糸の先には、何か、小さなものが結びつけられていた。赤い。赤くて、尖った──宝石のような、ガラスのような、何か。

 

 ハーフアップの女子が、その宝石を、そっと手のひらに乗せた。そして。

 自分の指先を、口元へ運ぶ。

 

「お、おい」

 

 止める間も、なかった。

 ぷつ、と。彼女が、自分の指先を、軽く歯で噛んだ。白い指先に、ぷくり、と赤い珠が浮かぶ。そして、その血を、垂れた糸を伝わせるようにして——赤い宝石へと、つけた。

 

 うっとりと、幸せそうな顔で。痛みなんて、まるで感じていないみたいに。

 

「サッちゃん。サッちゃん」

 

 そして虚ろな目で、人形に呼びかける。

 

「私の悩みを、聞いてくれますか」

 

 しん、と。

 部屋が、静まり返った。くすくす、という笑いも、止んでいる。誰も、動かない。息さえ、しているのか分からない。

 

 しかし、つっと。糸が、動いた。

 

 誰も触れていないのに。誰の手も、触れていないのに。サッちゃんの右足から垂れた糸が、ひとりでに、すうっと──紙の上を滑って。

 

 「はい」の文字の上で、ぴたりと、止まった。

 

「……」

 

 俺の背筋を、氷みたいに冷たいものが、駆け抜けた。

 

 冗談じゃない。なんだ、これは。何を見せられてるんだ、俺は。

 

 隣を見ると、詩音も、顔を強張らせていた。いつもの飄々とした余裕は、どこにもない。こいつでも、引いてる。それくらい、この光景は──異常だった。

 

 俺は、詩音に、目だけで合図を送った。

 

(逃げるぞ)

 

 詩音が、わずかに頷く。俺たちは、音を立てないように、そっと、椅子から腰を浮かせた。今のうちだ。この、虚ろな儀式に、連中が気を取られている、今のうちに──。

 

「あら」

 

 ふわり、と。

 

 声がした方向を振り返ると、会長だった。いつの間にか、すぐ後ろに、立っていた。

 

「どちらへ?」

 

 にこ、と。会長が、微笑んでいた。

 

 だが──その笑みは。さっき、入り口で俺たちを迎えた、あのたおやかな笑みとは、まるで違った。目が。目が、笑っていない。とろん、と濁った目で、口元だけが、三日月みたいに、吊り上がっている。

 

「いけませんわ。サッちゃんが、降りていらっしゃる最中なんですもの」

 

 会長の手が、すっと、俺と詩音の肩に置かれた。柔らかいのに。ひんやりと、冷たいのに。なぜか、振り払えないほどの、力で。

 降りてる?降りてるってなに?

 

「ご存知ありません?サッちゃんの降臨中に、ドアを開けてはいけませんのよ」

 

 肩を押されて、俺たちは、再び椅子に、座らされる。

 

「さあ。ご一緒に。ね?」

 

 逃げ場は、なかった。

 甘い香り。可憐な部屋。虚ろな目をした、六人の少女。歪な人形。動く糸。

 

 ——とんでもないところに、来てしまった。

 

 俺の額を、つう、と冷たい汗が伝う。

 そして、この後。可愛い恋バナと、この悪夢みたいな儀式が、延々と──代わる代わる、繰り返されることになる。

 

 

 どれだけの時間が、経っただろう。

 

 可愛い恋バナ。サッちゃん降臨。また恋バナ。またサッちゃん。甘ったるい笑い声と、虚ろな儀式が、代わる代わる、延々と繰り返される。俺の精神は、もう、すり減って、ぼろぼろだった。可憐な部屋も、甘い香りも、今となっては拷問でしかない。

 

「ねえ」

 

 ふと。一人の女子が、虚ろな目を、こちらへ向けた。

 

「次は──副会長さんの番に、しません?」

「……は?」

「ええ、いいわね」

「殿方のサッちゃん、わたくし、見てみたいわ」

 

 くす、くすくす、と。女子たちが、いっせいに、こちらを向く。とろん、と濁った六対の目が、俺一人を、捉えている。

 

「い、いや。俺は、遠慮しとく。な?審査は、もう十分──」

 

 逃げ道を探して、俺は反射的に、隣へ手を伸ばした。詩音。詩音に、助けを──

 

 ……いない。

 

 隣に、いるはずの詩音が、いなかった。

 

「あら、園崎会長でしたら」

 

 会長が、ふわり、と微笑んだ。

 

「生徒会のお仕事があるからと、先ほど、お帰りになりましたよ。『あとは副会長にお願いしますね☆』と、そう仰って」

「……っ、あんのやろう……ッ!!」

 

 逃げやがった。あいつ、一人だけ。俺を、生贄に残して。くそ、いつの間に。道理で、さっきから妙に静かだと──!

 

 だが、気づいた時には、もう遅かった。

 じり。じり、と。女子たちが、にじり寄ってくる。可憐な顔に、虚ろな目を貼り付けて。逃げ場は、ない。背中は、壁だ。

 

「さあ、副会長さん。お手を」

「ちょ、待——」

 

 白い手が、俺の右手を、取る。やんわりと、しかし、振り払えない力で。そして、女子の一人が、すっと、何かを取り出した。

 

 銀色に光る、それは……小さな、ナイフだった。

 

「だ、だめだ、待て、話を——」

 

 冷たい刃が、俺の指先に、触れる。そして、ちくり、と。

 指先に、鋭い痛みが走った。見れば、つう、と、赤い血が滲んでいる。その血を、女子が、糸の先の宝石へと、導いていく。うっとりと、幸せそうな顔で。

 

 そして、目の前に。

 

 あの、歪な人形が——黒い髪を振り乱した、ねじれた手足の、サッちゃんが。にぃ、と片端を吊り上げた、その顔が。ずい、と、差し出される。

 

 虚ろな六対の目。くすくすという笑い。甘い香り。冷たい刃。滲む血。

 

 目の前に迫る、歪な、笑顔。そして──

 

「──うわあああああああッ!!」

 

 

 世界は暗転し、そして光に包まれる。

 

「はぁッ、はぁ……ッ!!」

 

 心臓が、爆発しそうなくらい、ばくばく鳴っている。全身、汗びっしょりだ。荒い息のまま、俺は、辺りを見回した。

 

 ……天井。見慣れた、自分の部屋の、天井。

 

 窓の外は、明るい。朝だ。枕元の時計は、いつもの起床時間を指している。布団。机。カーテン。何もかも、いつも通りの、俺の部屋だった。

 

 歪な人形も。虚ろな目の少女たちも。甘い香りも──どこにも、ない。

 

「……ゆ、夢……?」

 

 声が、掠れた。

 

 夢だ。夢だったのか。あの、悪夢みたいな部室も。サッちゃんも。全部、全部──夢。

 

 どっ、と。全身から、力が抜けた。安堵で、もう一度、布団に倒れ込みそうになる。なんだよ。なんて夢を見てるんだ、俺は。あんまり、生々しすぎるだろうが。

 

「……マジで、勘弁してくれ。何の夢だよ、ったく」

 

 額の汗を拭いながら、俺は、のろのろと起き上がった。やけにリアルだった指先の痛みも、今はもう、何ともない。気のせいだったんだ。全部、寝苦しい夜が見せた、悪い夢。

 

 そう、自分に言い聞かせて。俺は、いつも通り、身支度を整えた。

 

 

「おはようございます、圭ちゃん。あれ、なんか顔色悪くないです?」

「……いや。ちょっと、寝覚めが悪くてな」

 

 いつも通り、詩音と合流して、いつも通り、登校する。澄んだ秋の空。気持ちのいい朝だ。夢のことなんて、もう、すっかり忘れて──いや、忘れたふりをして。俺は、平穏な一日が始まることに、心底ほっとしていた。

 

 そして、放課後。生徒会室。

 

「あ、そうだ。圭ちゃん」

 

 書類仕事の手を止めて、詩音が、ふと顔を上げた。

 

「今日、ちょっとした稟議があるんですよ」

 

 ——どくん。

 

 心臓が、嫌な音を立てた。

 

「り……稟議?」

「ええ。同好会から部活動の昇格申請なんですけどね」

 

 ……待て。

 

 待て待て。なんだ、この感覚は。この、嫌な、嫌すぎる、既視感は。

 

「ま、まさか」

 

 声が、震える。

 

「その申請ってのは……どこの、同好会だ」

「ああ、ええっと」

 

 詩音が、手元の書類を、ぴらりとめくった。そして、にこやかに告げる。

 

「オカルト研究同好会、ですね。規定の人数を満たしたから、正式な部にしてほしい、と」

 

 血の気が引いた。

 

「圭ちゃん?」

「行かねぇ」

「は?」

「その審査、俺は、絶対に行かねぇからな……ッ!!」

 

 気づけば、俺は椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がっていた。自分でも声が裏返っているのが分かる。だが、止められなかった。本能が、全力で警鐘を鳴らしている。あそこには行くな、と。あの扉を開けるな、と。

 

「ちょ、ちょっと、どうしたんですか圭ちゃん。そんな、青い顔して」

「岡崎くん……?大丈夫……?」

 

 詩音と、真田さんがぽかんとした顔で俺を見ている。二人とも、何が何だか分からないという顔だ。そりゃそうだろう。あいつらは知らないんだから。あの、甘ったるい部屋を。虚ろな目を。歪な、人形を──。

 

 脳裏に、ぶわっと蘇る。黒い髪を振り乱した、ねじれた手足の、サッちゃんの姿が。にぃ、と吊り上がったあの口元が。

 

「……っ、違う。あれは、夢だ。ただの、夢で」

 

 慌てて首を振る。そうだ。夢だ。全部夢だったんだ。現実じゃない。あんなこと、あるわけが──

 

 そう、自分に言い聞かせながら。俺は、何の気なしに、自分の右手に、目を落とした。

 

 右手の、人差し指。その、指先。

 

 ——うっすらと。何か鋭いもので、切られたような。細い、傷が。

 そして、その傷にぷつり、と。にじむ、血の、珠が。

 

「……」

 

 すう、と。

 全身の熱が、足元から抜けていくのが分かった。

 

 部屋の温度が、急に下がった気がする。詩音と真田さんの声が、やけに遠くで響いている。俺は、ただ、自分の指先を見つめることしかできなかった。

 

 

 

「……ぜ、絶対に行かねぇ。何があっても、行かねぇからな……ッ!!」

「ええ……?いや、副会長が審査に来ないと、話が進まないんですけど」

「知るか、書類に判子だけ押しとけ、判子だけ!」

「そういうわけにもいかないでしょう。ほら、行きますよ。ねちねち言ってないで」

 

 らちが明かないと判断したのだろう。詩音が、ずいと歩み寄って俺の首根っこを、ぐいと掴んだ。そのまま、ずるずると引きずっていこうとする。あの夢の始まりと寸分違わぬ構図で。

 

「離せ、放せって」

「いいから来てください!」

 

 俺は、とっさに廊下の柱に、両手両足でしがみついた。意地でも離すものか。あの部屋にだけは、二度と近づいてたまるか。

 

「な——っ。このっ、往生際が悪い!」

「うるせぇ!!俺はあそこにだけは行かねぇ!死んでもだ!!」

「子供ですか!?」

 

 ぐいぐいと引っ張る詩音と、柱に貼りついて梃子でも動かない俺。生徒会副会長ともあろう男が、廊下の柱にしがみついて半泣きで絶叫している。我ながら情けないことこの上ない。でも怖いもんは怖いんだ!

 

「……ねえ、岡崎くん」

 

 おろおろしていた真田さんが、ふと、不思議そうに首を傾げた。

 

「オカルト研究同好会さんって……女の子しかいない、可愛らしい部活だって聞くけど。名前こそ怖そうだけど……全然そんなことないって」

 

 その一言で、俺の背筋をもう一度悪寒が走り抜けた。間違いない、それは決して開けてはならないパンドラの箱なんだよ!

 

「とにかく!!誰がなんと言おうと行かねぇからなあああッ!!」

 

 

 ──その日、興宮高校の旧棟廊下で、柱にしがみついて絶叫する副会長を生徒会長が引き剥がそうとしていた珍光景は、しばらくの間、ちょっとした語り草になったという。

 

 なお。後日、改めてオカルト研究同好会の昇格はつつがなく承認された。なお書類には、副会長の判子もちゃんと押されていたという。──いつ、誰が押したのかは、俺の与り知らぬところである。

 

 

 






元ネタは某超能力コメディ漫画です。本当に大好き作品です。
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