ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜 作:村人A
「目安箱を設置します!」
その日の生徒会室。詩音が、唐突にそう宣言した。
「……目安箱?」
「ええ。生徒の皆さんの声を、直接拾い上げるんです。困っていること、要望、改善してほしいこと。なんでも匿名で投函してもらう。それを生徒会が、ひとつひとつ検討します」
詩音は、やけに気合の入った顔でぐっと拳を握っている。
「生徒会長になったからには、こういう地道なこともちゃんとやらなきゃいけませんからね。上から決めるだけじゃ、本当に困ってる人の声はすくい上げられないでしょう?」
へえ、と俺は内心少し感心した。
こいつ、見かけによらず——いや、見かけによらずはもう失礼か。ここ最近で、すっかり思い知らされた。園崎詩音は、基本的にやはり真面目だ。生徒会の仕事を、ちゃんと自分の務めとして引き受けている。前会長の方針を律儀に継いだ時もそうだったが、いざ任されると手を抜かない。こういうところは素直に大したもんだと思う。
ただ——。
「言いたいことは分かるけどな」
俺は、現実的なところを一応、釘として刺しておくことにした。
「目安箱なんてもん置いても、まともな意見が集まるとは限らねぇぞ。ああいうのは、匿名なのをいいことにイタズラだの悪口だの、しょうもない落書きで埋まるのがオチだ。期待しすぎない方がいいぞ」
「むっ。圭ちゃんは、相変わらず夢がないですねぇ」
「夢の問題じゃねぇんだけどな」
「いいんですよ。たとえ百枚のうち九十九枚がイタズラでも。たった一枚、本当に困ってる子の声が拾えるなら。それだけで置く意味はあるじゃないですか」
やけにまっとうなことを言うじゃねーか。
「ふふ、いいと思うよ。詩音ちゃん」
隣で、真田さんもおっとりと微笑んでいる。
「困ってても、わざわざ生徒会室まで来て言うのは、勇気がいるもの。箱に入れるだけなら、言いやすい子もきっといるよ」
「でしょう!さすが、あかりさんは分かってる」
まあ、俺もやること自体に反対なわけじゃない。むしろ、いい心がけだとは思っている。ただ、過度な期待は禁物だとそう言いたかっただけだ。
というわけで。俺たちは詩音の用意した目安箱を、中庭に設置することになった。
木製の、思ったより立派な箱だ。詩音が、わざわざ葛西さんに頼んで、こしらえてもらったらしい。投函口の上には、丁寧な字で『生徒会 目安箱』と書かれた札まで貼ってある。気合の入りようが窺える。
つーか、葛西さんホントになんでも出来るのな。同じ付き人として、見習わなければ。
「よし、と。こんなもんですかね」
設置場所は、中庭の隅。ちょうど、購買や食堂からの通り道で人目につきやすい。詩音が満足げに箱を撫でている。
俺はふと、その箱のすぐ脇に立つ一本の木を見上げた。
なんの木だろうな。背の高いよく茂った木だ。古いものらしく、幹は太く、どっしりとしている。秋の風に、枝葉がさらさらと揺れていた。中庭の真ん中で、長いことここに立っているような、そんな佇まいの木だった。
「さあ!生徒の皆さんの切実な声が、集まることを願って!」
詩音が、箱に向かって大げさに両手を合わせて祈り始めた。
「さ、圭ちゃんたちも祈願してください」
「へーへー。集まるといいな」
俺は、肩をすくめつつ、習うように手を合わせる。
せっかく詩音がこうしてやる気になってるんだ。変な投函もあるかもしれないが、願わくばまともな相談事の一つでも来てくれれば……。
──そうして、一週間が過ぎた。
さて、いよいよ回収の日。詩音は放課後になるなり、意気揚々と中庭へ向かった。
「ふっふっふ。さあ、どれだけの声が集まっているか」
目安箱の鍵を開けて、蓋を持ち上げる。中を覗き込んだ詩音が、ぱっと顔を輝かせた。
「ほら見なさい圭ちゃん!こんなにたくさん!ね、言ったでしょう。やってみなきゃ分からないって!」
確かに、箱の中には思ったより多くの紙が入っていた。三十枚……いや、もっとあるか。詩音は得意げに、それらを両手で抱えて生徒会室へ持ち帰った。
「さあて。生徒たちの、切実な声を……」
うやうやしく、一枚目を広げる。そして。
固まった。
「……なんですか、これ」
俺は横から覗き込んだ。そこには、こう書かれていた。
『会長、大ファンです!ぜひ公式なファンクラブの立ち上げ許可をお願いします!』
「……ん?」
『彼氏とかいないですよね!?いやいないに決まってますよね?』『今、彼氏を募集していますか?』『私のお姉様になってくださいませんか?』
「………おい」
四枚目以降も、似たり寄ったりだった。会長へのラブコール。会長を称える詩。会長の好きな食べ物を教えてくれ。会長の登校時間を知りたい。——どれもこれも、詩音宛ての、ファンレターまがいのものばかりだ。しかもこれ、筆跡的に男女問わずあるような……つか、女子の方が気持ち多いような。
「な、なんですかこれは!目安箱ですよ!?ファンクラブの投書箱じゃないんですよ!?」
「まぁ、人気の表れなんだし良いんじゃねーの?」
詩音が、顔を赤くして憤慨している。まあ、人気者は大変だな。他人事のようにそう思った。
「あ。これなんか、わりと直球だぞ」
俺は、一枚の紙を拾い上げた。そこには、達筆で、こう記されていた。
『会長のスリーサイズを教えてください。私の予想は上から86、62、88です!どうですか!?』
本当になんとなく、出来心で。俺は、その紙をひらひらさせながら訊いてしまった。
「なあ詩音。実際どうなんだ?」
次の瞬間。
ごす、と。鳩尾に、拳がめり込んだ。
「ぐえッ」
「……圭ちゃん?」
見上げると、詩音がゴミを見るような目で、俺を見下ろしていた。口元は笑っているのに、目がまったく笑っていない。というか後ろ手にスタンガンがチラチラと見えていて。
「今すぐ、その減らず口を二度と利けないようにして差し上げましょうか?」
「……すまん。全面的に俺が悪かったと思っている。忘れてくれ」
即座に、全面降伏した。命が惜しい。さすがにこれは、弁解の余地もなく、俺が悪かった。冗談でも言っていいことと悪いことがある。猛省した。
「ったく……」
詩音は、ふんっと鼻を鳴らして、また紙の束に戻った。
「まったく……次こそ、まともな意見を……」
だが。次に詩音が広げた紙は、まともとは対極にあるものだった。
『僕の知ってる園崎詩音は、こんなんじゃない!もっとこう、嫉妬に狂って、在校生を皆殺しにするくらいの狂気を期待してます!今の会長には、らしさがありません!』
「……は?」
詩音の顔が、ぽかんとした。無理もない。俺も意味が分からなかった。
「なんですか、これ。皆殺しって。私、いつそんなことしようとしました?てか、する人間だと思われてるんですか、私……?」
「さあな。物騒なやつもいたもんだ」
俺は、その紙をそっと裏返して視界から消した。関わらないのが一番だ。世の中には、たまに何を考えているのか分からない人間がいる。
「……次。次いきましょう」
気を取り直して、また一枚。
『タイムリープ能力を得た会長が、昭和五十八年に戻って、皆を救うエピソードはまだですか?待ってます』
「痛い厨二病ですね、次」
その紙もそっと脇に避ける。深く考えるのはやめておいた。
だが、その後も、よく分からない投函は、続いた。
『新作って、結局ただのリメイクになるんでしょうか?』『鉄平は、次もSSRになると思いますか?』『今度こそ、コンシューマ版のシナリオも、ちゃんと拾われますよね?』——などなど。
「知るか!こんなもん」
俺は、もうツッコむ気力も失せて、片っ端から紙を脇に積んでいった。どいつもこいつも、暗号みたいな投函ばかりだ。この学校の生徒たちは大丈夫なんだろうか、割と本気で心配になる。
「ふふ、なんだか、賑やかだねぇ」
一方、真田さんは、さっきからにこにこと楽しそうに、その様子を眺めている。我関せずといった風情だ。いや、この惨状を前にしてよくそんな穏やかでいられるな。
「あ。あかりさん、これとか、どう思います?」
「どれどれ……」
詩音から紙を受け取った真田さんが、ふふ、と微笑む。マイペースな人だ。
そんな調子で、ゴミの山を崩していく。そして──とうとう、残りも、あと数枚、というところで。詩音が、ある一枚を広げて。
「……ん?」
その手が、止まった。
「どうした」
「……圭ちゃん。これ」
すっと、その紙をこちらに差し出してきた。なんだ、また物騒なやつか。それとも暗号か。身構えながら、俺はそれを受け取って——
『副会長は、会長と付き合っているんですか?』
「……っ、ぐっ」
今度は、俺が、固まる番だった。
「な——なんだよ、これ」
「し、知りませんよ。私が訊きたいです」
なぜか、詩音まで顔を赤くして、目を逸らしている。妙な、沈黙が落ちた。誰だ、こんな見当はずれな事を書いたのは……けど、あれか?やっぱり一緒にいる事が多いからそう勘違いされるのだろうか。これは……うむ、どうしたものか。またコイツの機嫌が悪くなるのも困るしなぁ。
「……どうしたの、二人とも。顔が赤いよ?」
真田さんが、おっとりと、首を傾げる。その口元が、ほんの少しだけ、いつもより、笑みを深くしていた──ような気もしたが。気のせいだろう。たぶん。
「あ、赤くなんてないですっ!」
やけに大きな声で、否定する詩音。
「……ふぅ。とにかく」
こほん、と大袈裟に咳払いをして、その紙を、そっと裏返した。
「ま、まあ、この手の冷やかしも、匿名なら来るに決まってますよね。気にしない、気にしない」
「……だな」
──結局。
数十枚あった投函は、そのほとんどすべてが、ファンレターか、冷やかしか、暗号みたいなわけの分からないものか。そのいずれかだった。
「……ぐすっ。私の、崇高な目安箱が……」
ゴミの山と化した紙束を前に、詩音が、がっくりと肩を落としている。あれだけ、意気込んでいたからな。気持ちは分からんでもない。
「だから言ったろ。匿名なのをいいことに、しょうもないのが集まるって」
「うぐっ……圭ちゃんの、意地悪……」
まあ、世の中こんなもんだ。善意やら切実さやらってのは、そう都合よくは集まらない。とはいえ、だ。こうやって職責を全うしようと動く彼女の行動力は素直に凄いと思うし、立派だとも思う。今の俺なんかには出来ない事だしな……机に突っ伏す彼女の頭に、軽く手を置いてやる。
「なっ、ななかなんですかいきなり!」
「俺なりの労いのつもりなんだけどよ」
慌てて椅子を引かれて一気に距離を取られる。
そこまで嫌がられると、それはそれでショックかもしれない。いや、この間もそんな反応されたし……やはり髪を触るのは良くないのか。
「すまん、悪かったな。こういうのはやめた方がいいか」
「え?あ、いえ。びっくりしただけで嫌と言うわけじゃないというか、ですね。むしろその、えっと……もう少し」
「詩音ちゃん!そこでビシッと言わないと気づいてもらえないよ!ファイト」
「なに言ってくれちゃってるんですかあかりさん!?」
何やらきゃあきゃあと盛り上がっている二人を横目に、散らばった紙をまとめようとして──
ふと。
その、一番下に。他の紙とは、明らかに毛色の違う一枚が、紛れているのに気づいた。
それは明らかに、他とは違っていた。
まず、紙からして違う。ファンレターの連中が使っていた、可愛らしい便箋でも、ルーズリーフの切れ端でもない。どこにでもある、ノートのページだ。それを、几帳面に、四つに折りたたんである。
開いてみて、まず目に入ったのは字だった。一画一画を、定規でも当てるみたいにゆっくり、丁寧に書いたのが伝わってくる。何度も書き直したのか、ところどころ、消しゴムの跡が残っている。一生懸命、書いたんだろう。そういう字だった。
そして──文面の、最後。
あれだけ匿名ばかりだった投函の中で、その一枚にだけは、きちんと名前が記されていた。クラスと氏名が。下手な字で、けれど、はっきりと。
「……これ」
俺は、文面に目を走らせた。
『生徒会の皆さんへ。突然、こんなお願いをしてすみません。中庭にある、大きな木のことです。あの木が、近いうちに、切られてしまうと聞きました。
あの木には、大切な思い出があります。私の思い出じゃ、ないんですけど。でも、ある人にとって、とても大事な木なんです。
勝手なお願いだって、分かっています。学校が決めたことだって、分かってます。でも、どうしても諦めきれなくて。
どうか、あの木を残してもらえませんか。お願いします』
短い文面だった。事情の詳しいことは何も書かれていない。「大切な思い出」が何なのかも、「ある人」が誰なのかも。
ただ、その拙い字の一文字一文字から。書いた本人の、必死さだけがまっすぐに、伝わってきた。
「……中庭の、木」
思わず顔を上げた。
中庭。あの木。——一週間前、目安箱を設置したときすぐ脇に立っていた、あの古い木だ。背が高くてよく茂った。
あれが切られる。そういう話になっているのか。
「……ねえ、圭ちゃん」
ふと気づくと、詩音が俺の手元を、じっと覗き込んでいた。
さっきまでの、ゴミ投函に憤慨していた顔とも。「崇高な目安箱が」と嘆いていた顔とも違う。──静かな熱を帯びた目で、その一枚を、見つめている。
「それ、ちゃんとした相談ですよね」
「……みたいだな」
詩音が、すっと、俺の手からその紙を受け取った。そして、もう一度最初からゆっくりと読み返す。読み終えて、小さく息を吐いた。
「……これですよ」
「あ?」
「私が、目安箱を置きたかったのは。こういう声のためなんです」
顔を上げた詩音は、はっきりと口元を緩めている。さっきまで、しょんぼり肩を落としていたのが嘘みたいに。
「百枚のうち、九十九枚がしょうもないイタズラでも。たった一枚、本気で困ってる子の声が拾えるなら。それで置く意味はあるって。——言ったでしょう、私」
……確かにな。設置する前、俺が「碌なもんは集まらない」と釘を刺したとき。こいつは、まっすぐそう返してきたっけ。
そして、その通りになった。九十九枚のゴミの底から、たった一枚の本物を見つけ出したわけだ。どうせ、しょうもない落書きで埋まる。そう決めつけていた俺とは違って。こいつは最初から、この一枚のために箱を置いていたんだ。
「……お前は、ほんと」
「ふふ。なんですか?惚れ直しました?」
「調子に乗るな」
軽口で返しつつ——内心、やっぱり彼女に生徒会長を任せたのは正解だったのかもしれないと。前任の会長は人を見る目があるんだな。
「ふふ、よかったね。詩音ちゃん」
真田さんも、嬉しそうに、微笑んでいる。
「うんっ。よし、決めました」
詩音が、その一枚を大事そうに、両手で持って宣言する。
「この相談、生徒会で正式にお引き受けします。まずはあの木について、話を聞いてみましょう」
「とはいえ、だ」
俺は、現実的なところをまた指摘しておく。
「学校が一度決めたことだぞ。伐採の予定が組まれてるなら、それなりの理由があるはずだ。生徒会が口を出して、ひっくり返せるとは限らねぇ」
「分かってます。でもやる前から、諦めるのは性に合いません」
詩音は、ふん、と胸を張った。
「それに──この子だって。諦めきれなくて、勇気を出して、この箱に入れてくれたんです。だったら受け取った私たちが、何もしないわけにはいかないでしょう」
言うことが、一々まっとうで。反論のしようがない。
「分かったよ。やるだけやってみるか」
「最初からそう言えばいいんです」
俺たちは、改めてその一枚を見た。
不器用な字で書かれた、クラスと名前。──この子に、まずは話を聞いてみないとな。なぜ、そこまでしてあの木を残したいのか。「大切な思い出」とはなんなのか。
窓の外。中庭の方で、あの木が風に、さらさらと揺れている気がした。
まだまだ学校の話が続きます。のんびりな展開で恐縮ですが、お付き合いいただけますと幸いです。