ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜   作:村人A

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TIPS「東京」

 

 

 十二月の東京は、底冷えがする。

 

 暖房の効いた部屋にいてなお、指先が冷たい。窓の外では無数の灯りが眠りもせずに瞬いている。ビル、車、ネオン。その一つ一つの下に人の暮らしがあるのだと思うと、時々、妙な心地になる。誰も彼もが、明日も同じ朝が来ると信じて疑わない。かつての私が、そうだったように。

 

 あの村の人々も、きっとそうだったのだろう。

 

 湯呑みに口をつけると、とうに冷めていたことに気が付いた。淹れ直す気にもなれず、そのまま机の上へ視線を落とす。

 

 資料の山だ。大石さんのメモの写し。あの男から辛うじて聞き出したことの走り書き。地方紙の切り抜き。自分の手帳。積み上げた紙の束は、この数か月でずいぶんと厚くなった。

 

 そして、その中心に一冊のノート。

 

 半分以上のページが無造作に破り取られた、いびつなノート。詩音さんから預かって以来、これを幾度読み返したか分からない。表紙の手触りも、几帳面な字の癖も、もう指が覚えてしまっていた。

 

「少しも嬉しいことではないけどね……」

 

 誰に言うわけでもなく、つぶやく。

 

 

 ことの始まりは、ただの後悔だった。梨花ちゃんのSOSを、私は五年ものあいだ放っておいた。忙しさを言い訳に、記憶の隅へ追いやって。そうして村は消え、あの子も予言通りに逝ってしまった。恩を返すどころか、差し伸べられた手を握り返しもしなかった。

 

 せめて真相を。その一念だけで、ここまで来た。

 

 もっとも、私が追っていたのは、一人の少女の殺人事件――だけではなかった。圭一くんや詩音さんには、そう説明していたが、それだけではない。

 

 あの子の死の背後に、何か途方もないものが控えている。その気配だけは、早くから感じ取っていた。腹を裂かれた少女。同じ夜に死んだ富竹氏と鷹野氏。そして、村ひとつが丸ごと消えた大災害――とにかく異様だ。まるで誰かが、大きな手で盤面を払ったかのように。

 

 火山性ガスの突発的な噴出。公式の発表はそうなっている。だが調べれば調べるほど、その説明は不自然だった。ガスの検出データも、住民の避難の記録も、まるで辻褄が合わない。何より、あれだけの規模の災害でありながら、その後の検証が、まるで蓋をするように打ち切られている。

 

 誰かが意図して、この件を闇へ葬ろうとしている――一般人がそんなことを言えば、質の悪い陰謀論者だと鼻で笑われるだろう。だが、私は確信していた。これは、“そういった山”をいくつも超えてきた、刑事の直感だからだ。

 

 だからあの時、私は賭けてみた。半年ほど前のことだ。園崎系列の病院で、廃人同然になっていたあの男。その耳元で、私は一つの言葉を口にした。

 

 『東京』、と。

 

 根拠のない賭けだったわけじゃない。

 

 公安に長く身を置いていると、表の警察機構では決してお目にかからないものに行き当たる。核を持つべきだと本気で唱える者たち。この国を、もう一度あの時代へ押し戻そうとする者たち。私はそういう連中を、幾度も追ってきた。

 

 そして、そのたびに、奇妙な壁にぶつかった。

 

 あと一歩で核心に届くというところで、案件が立ち消えになる。上から圧力が降りてくる。積み上げた資料が、なかったことにされる。まるで、そこから先へは踏み込むな、とでもいうように。

 

 そういうとき、決まって囁かれる名があった。

 

 それが、『東京』。

 

 どこの官庁を指すでもない。誰が言い出したのかも定かでない。ただ、この国の裏側で大きな力が動くとき、その気配に、そう名がつく。政財官に根を張り、表の系統図には決して載らない、亡霊のような何か。私はそれを、噂の域を出ないものとして、頭の隅に留めていた。

 

 実体など掴めるはずもない。どんな連中が、何人いて、何を企んでいるのか。何ひとつ分からない。分かるのは、名前と、その名がまとう、うすら寒い気配だけだ。

 

 だから、雛見沢の一件を追ううちに、その名が頭をもたげてきたのは、半ば必然だった。県警の手にも消防の手にも余る、国家規模の隠蔽。村ひとつを丸ごと闇へ葬り、そのまま蓋をしてしまえる力――これは、もしかして。長らく私の前に立ちはだかり、しかし尻尾ひとつ掴ませなかった、あの組織なのではないか、と。

 

 賭けだった。だが、賭けるだけの勝算もあった。

 

 そして男は反応した。虚ろだった目に、はっきりと怯えが走ったのを、今も鮮明に覚えている。あれで、私は得たのだ。梨花ちゃんの死も、この村の壊滅も、やはり地続きなのだと。その奥に「東京」という何者かがいるのだと。

 

 そこまでは、私の見立ての内だった。

 

 名前しか知らぬ、巨大な影。政界の妖怪。それを暴くのだと、覚悟はしていた。相手にとって不足はない、とすら思っていた。

 

 だが――このノートが指し示すものは、その先に。想像を絶する道へと続いていた。

 

 

 私は椅子の背に体を預け、そのノートを手に取る。何度なぞったか知れない、あの日々のことを思い返した。

 

 男から受け取った当初、このノートは、ただの入院記録にしか見えなかった。ページの大半は無残に破り取られ、残っているのは北条悟史という少年の記録が中心。淡々とした医師の筆致。日々の体温。処置の記録。

 

 だが、最初から何かが引っかかっていた。

 

 入江という医師の字は、几帳面すぎる。カルテとしては、妙に律儀すぎる日付の並び。意味のなさそうな余白の書き込み。行間に紛れ込んだ、数字の羅列。素人目には、ただの走り書きにしか映らない。

 

「……妙だな」

 

 最初にそう呟いたのが、いつだったか。東京に戻ってからの数え切れない夜を、私はこのノートと向き合って過ごしてきた。

 

 几帳面な男だ、と何度も思った。医師である以上、記録は正確でなければならない。だが、正確さの度が過ぎている箇所が、いくつもあった。無意味に思える数字。規則性のない書き込み。それらを一つずつ拾い上げ、並べ直し、突き合わせていく。気の遠くなるような作業だった。

 

 そして、ひと月ほど前の、ある夜。ようやく、その答えが出た。

 

 これは、場所を示す暗号だった。

 

 入江医師は、破り取らせた本命のページを、男一人にすべて託しはしなかった。万が一の保険として、その隠し場所を、この残ったノートの中に、二重に忍ばせていたのだ。逃げるつもりだった男に、危険な真実を託した。けれど、その男が捕まるかもしれない。あるいは、途中で命を落とすかもしれない。真実が、誰にも届かないまま、闇に消えるかもしれない。

 

 これは、懺悔だ。

 

 入江という男は、罪を犯した。それでも、最後の最後に、非情になりきれなかった。すべてを闇に葬ることを、良しとしなかった。せめて、誰かに知ってほしい。誰かが、この真実を拾い上げてくれるかもしれない、という一縷の望みに賭けて。

 

 死を前にした人間の、最後の足掻きだったのかもしれない。

 

 私は、その願いを拾ってしまった。

 

 

 手にとっていたノートを机に置き──その隣に置かれていた、薄汚れたページたちに手を触れる。端が無造作に破かれた跡があり、それはこのノートの破かれた跡と、ぴったりと一致する。

 このページは……このノートの一部だった。そして、このページこそが、恐らくこのノートの制作者の真意に違いなかった。

 

 ノートに残されていた暗号が示していたのは、このページの隠し場所だ。それは興宮からほど近い、山間の小さな地名だった。翌週、私は休暇を取って、東京からその地へ向かった。使われなくなった祠のような場所に、破り取られた本命のページが、油紙にくるまれて埋められていた。掘り返した土の下から、これらのページが出てきたときの、指先の震えを、今も覚えている。

 

 

 埋められていたこれらに刻まれていたのは、『ある告発』だった。

 

 入江医師と思われる几帳面な字は、後半になるにつれ乱れていく。震える手で書いたのが、ありありと分かった。

 

 その場で読み始めた私は、最初、意味が呑み込めなかった。

 

 風土の病。村に古くから根を張り、代々受け継がれてきた病。診療所の看板の裏で、それは秘かに研究されていた。その研究を後ろで支えていたのが、あの「東京」、その内側にある派閥だった。

 

 そこまでは、まだいい。政治の暗部が、辺鄙な村の風土病に目をつけただけだ。眉に唾をつけながらも、筋としては追える。

 

 問題は、その先だ。

 

 あの大災害は——火山性ガスなどでは、なかった。

 

 研究をめぐる思惑の中で、一夜のうちに、村ひとつが人の手で消されたというのだ。千を超える命が。老人も、子供も、区別なく。私がずっと嗅ぎ取ってきた「隠蔽」の正体は、天災の後始末なんかじゃなかった。人が犯した所業を、天災に見せかけて塗り潰す作業。それこそが、あの隠蔽の本体だったのだ。

 

 ……馬鹿な。

 

 そんなことが、あってたまるか。たかが、一つの病だ。たかが、その研究だ。それだけのために、村がまるごと地図から消される。人が千人以上、闇に葬られる。──そんな話が、この現代の日本で、まかり通るというのか。

 

 冗談だろう、と。あの祠の前で、何度も思った。これは、追い詰められた男の妄想じゃないのか。死を前にして壊れた頭が、見せた悪い夢を、書き殴っただけじゃないのか。そう思えたら、どんなに楽だったか。

 

 しかし──

 

 入江医師の記述は、妄想にしては、あまりに具体的すぎた。日付。人名。金の流れ。組織の枝分かれ。そのどれもが、私がこれまで掴んできた断片と、寸分の狂いもなく噛み合っていく。火山性ガス説の不自然さ。打ち切られた検証。ちらついていた「東京」の影。ばらばらだったすべてが、この告発を軸にすると、一本の線で繋がってしまう。

 

 妄想で、ここまでの辻褄は合わない。

 

 正直、今でも信じたくない。だが、私の中の刑事が、冷酷に告げていた。これは恐らく、限りなく真実に近い、と。

 

 だとすれば。

 

 私が追ってきた、梨花ちゃんの死。あの小さな体を裂いた凶行。あれは——この、途方もない虐殺の、ほんの入り口に過ぎなかったことになる。一人の少女の事件だと思っていたものは、村ぐるみの、大量殺人だった。

 

 その規模を思うと、あの日と同じように、指先が、じん、と痺れる気がした。

 

 ――そうして、ページは今、この東京の私の机の上にある。

 

 数枚のそれを、私はそっと机の上に戻した。

 

 もしここに書かれている事が本当なら──いや……認めたくないだけで、私はもう、腹の底では分かっている。

 

 だとすれば、これは……あまりに手に余る。一介の警察組織が、どうこうできる範疇をとうに超えている。国家の裏側で動く力が、村ひとつを消してなお、平然と天災の顔をしていられる。そういう相手なのだ。証拠を積み上げ、法廷に引きずり出す──そんな、まっとうな手順が通用する世界の住人ではない。

 

 恐らく……いや、ほぼ確実に。この件は"なかったこと"にされるだろう。

 

 目に浮かぶようだった。少しずつ、口が重くなっていく関係者。閉ざされる資料。私の周りから、証言も協力も、一つ、また一つと消えていく。真相に近づけば近づくほど、その周りだけ、真空のように何もなくなっていく。そういう消され方をするに違いない。

 

 ……それは、いい。

 

 私自身がどうなろうと、それは構わない。刑事になった日から、危ない橋の一本や二本、覚悟の上だ。真実を追って消されるなら、それも一つの仕事の終わり方だと、腹を括ることもできる。

 

 ──だが。

 

 ふと、机の端に立てた、小さな写真立てが目に入った。

 

 雪絵と、美雪。妻の穏やかな笑み。その腕に抱かれて、こちらへ小さな手を伸ばす、娘。何の変哲もない、幸せな一枚だ。この家に帰れば、必ずそこにある、当たり前の光景。

 

 その当たり前を、私は今、自分の手で、危うくしているのではないか。

 

 背筋が冷えた。危害が及ぶのは、私だけとは限らない。真相に近づいた者を消すのに、その家族なら手を出さない──そんな上品な連中だと思うほど、私は初心ではなかった。むしろ、一番効く場所を、平然と狙ってくるだろう。あの村の子供たちにさえ、手をかけた連中だ。

 

 私が真実を掴もうと伸ばすこの指が。めぐりめぐって、雪絵と美雪の首を、絞めることになりはしないか。

 

 そう思うと、ページを追う手が、動かなくなった。

 

 ……ここで、退くべきなのか。

 

 見なかったことにする。ノートを焼き、資料を処分し、何も知らない一人の刑事に戻る。家に帰って、娘を抱き上げ、妻の作ったご飯を食べる。その、ささやかで、かけがえのない日々を守る。それは、卑怯なことだろうか。それとも、守るべきものを守る、当たり前の分別だろうか。

 

 梨花ちゃんの顔が、よぎった。

 

 助けを求めていた、あの子。私が握り返さなかった、あの小さな手。あれと同じ後悔を、私はもう一度、繰り返すのか。今度は、真実そのものから目を逸らして。

 

 

 

 

 どれほど、そうしていただろう。

 

 窓の外はすっかり夜に沈み、部屋の明かりだけが、机の上を白々と照らしている。天秤は、いつまでも傾かない。退くべきだと囁く声と、退けるものかと突き上げる声。その二つが、胸の内でせめぎ合ったまま、動かない。

 

 何故か──ふと、気づいてしまった。

 

 私はもう、答えを出しているのだ。ずっと前から。

 

 家族を思えば、退くのが正しい。それは分かっている。頭では、痛いほど分かっている。それでも、この手はノートを焼けない。資料を捨てられない。真実に背を向けて、何も知らぬ顔で生きていく──そんな芸当が、私にはできない。

 

 これは、もう、正義感なんて上等なものじゃないのだろう。

 

 刑事の使命だとか、梨花ちゃんへの恩返しだとか。そういう、人に語って聞かせられる立派な理由は、とうに後ろへ追いやられている。突き詰めれば、残るのは、もっと厄介な何かだ。知らずにはいられない。目の前に謎があれば、暴かずにはいられない。たとえ、その先に何が待っていようと。

 

 ……業だな、と思う。

 

 赤坂衛という人間の、性だ。

 

 三つ子の魂か、それとも刑事なんぞをやってきた因果か。とにかく、この性分だけは、どうにも捻じ曲げられそうにない。妻や娘を天秤にかけてなお、私の指は真実へと伸びていく。始末に負えない男だと、我ながら呆れる。

 

 諦めにも似た、奇妙な静けさが、胸に落ちてきた。

 

 

 だが、今この瞬間に私にできる事は何か。私は、机の上の数枚に、改めて目を落とした。

 

 私の手の中にあるのは、これだけだ。死んだ男が遺した、薄汚れた紙切れ。そこに書かれた告発──ただ、それきり。

 

 裏付けが、何もひとつない。

 

 どれだけこの記述が私の掴んだ断片と噛み合おうと、所詮は一人の男の書き置きだ。物証がない。証人もいない。これを世に問うたところで、待っているのは嘲笑だけだろう。

 哀れな刑事が、妄想に取り憑かれた、と。真実だと確信していることと、それを真実だと証明できることの間には、天と地ほどの隔たりがある。

 

 

 この内容を基に、自費製作の告発本を出すのはどうか……いや、馬鹿馬鹿しい。それこそ、嘲笑の中で消えていくに違いない。

 

 結局の所。まだこの道は途中なのだ。ここからが、本当の地獄なのかもしれない。村ひとつを闇に葬った連中を相手に近づくのは──本当に気の遠くなる話だ。

 

 湯呑みの底に残った、冷えきったお茶を、私は一息に呷った。

 

 そして、また、あの二人のことを思う。

 

 

 前原圭一くん。園崎詩音さん。

 

 葛西辰由氏とは、あれ以来も、幾度か連絡を取っていた。暴力団の幹部と公安の刑事が、捜査の筋を離れて連絡を取り合うなどと、知られればそれこそ私の警察人生は一巻の終わりだろう。だが、そんな保身に頭を割いている暇は、もう私にはなかった。あの二人の様子を知るのに、葛西氏ほど頼りになる相手もいない。

 

 その彼が、言っていた。

 

 圭一くんが、少しずつ前を向き始めていると。村でただ一人生き残ってしまったという、あの深い傷を。ゆっくりと、時間をかけて、癒しつつあるのだと。詩音さんの隣で、あの少年は、ようやく未来を生き始めている。そう聞かされていた。

 

 

 ……ならば。

 

 この真実を、あの子たちに伝えることに、いったい何の意味があるのだろう。

 

 ようやく、前を向き始めた人間だ。過去の泥沼から、必死に足を引き抜いて、明日へ歩き出そうとしている。そんな二人に。もし、この告発が本当だったとして。愛した村が、隣人たちが、人の手で虐殺されたのだなどと。そんな、あまりに惨い真実を、今さら突きつけて——それが、何になる。

 

 知ったところで、もうどうにもならない事だ。この件は、どんな形で決着するにしても、未来永劫表に出ることはないだろう。だとすれば、真実を知ることは、あの子たちにとってただ古傷を抉じ開けるだけの、残酷な行いでしかないのではないか。

 

 

 後の祭りなのだ――何もかも。

 

 

 伝えるべきなのか。伝えずにおくべきなのか。——また一つ、答えの出ない問いが、胸の内に積み上がっていく。

 窓ガラスに映る自分の顔は、我ながら、ひどい面をしていた。

 

 

 

 






基本的にメインルートでは真相究明などは本筋ではないので、ストーリーに絡んでくるのも一部とかになっていくと思います。
別ルートは逆にそちらがメインになるかと思います。
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