ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜 作:村人A
放課後の教室は、いつにも増して落ち着きがなかった。
窓の外にはまだ雪の名残。帰り支度をするクラスメートたちの声が、どこかそわそわと弾んでいる。今夜はイブ。誰と過ごすの、どこへ行くの、なんて話題があちこちで飛び交っていた。
まったく、皆さん暇なことで。
年に一度の浮かれ日和というやつらしいけれど、私にはいまいちピンとこない。聖夜だなんだと世間が騒ぐこの日を、私はまともに過ごした試しがない。だからだろうか。教室のうきうきした空気を、どこか遠くの出来事みたいに眺めてしまう。
「詩音ちゃん」
振り返ると、あかりさんがにこにこと立っていた。
「今夜はどう過ごすの?」
「私はまあ、いつも通りですかねぇ。あかりさんは?」
「私もいつも通り、家族で過ごすだけかな。弟と妹に、こっそりプレゼントも用意しちゃった」
えへへ、と嬉しそうに笑う。手袋とお人形か、うん。あかりさんらしいというか何というか。
「ふふ、いいですね」
そういう温かいのは、素直にいいと思う。きっと小さい子たちが目を輝かせるんだろう。その光景を思い浮かべたら、こっちまで自然と頬がゆるんだ。クリスマスの温かさとは、本来かくあるべきなのではなかろうか。
「詩音ちゃんは?岡崎くんと過ごすんでしょ?」
「うーん、まあ。ケーキくらいは圭ちゃんに買っといてもらいますけど。そんな大したもんじゃないですよ」
我ながら、他人事みたいな言い草だ。実際、クリスマスそのものにさして期待があるわけでもない。いや、あの地獄の聖歌隊の特訓がないというだけで、そりゃもう私としては十二分に素晴らしい聖夜だ。
ただ──と、ここで鞄の中身をちらりと思い浮かべる。
「ま、たまには私の女子力ってやつを、ちょっぴり見せつけてやろうかとは思ってますけどねぇ」
「わ、なにそれ気になる」
「ふふ。それは秘密です」
あかりさんは目を輝かせていたが、何かを察したようにそれ以上は突っ込んでこなかった。
鞄の底には、数週間かけてこっそり編んだ手編みのマフラーが一本しまってある。
柄にもないことをしたものだ。糸を選ぶところから始めて、編み目が揃わずに何度もほどいて。あの雪ばかが寒そうにコートの襟をすくめて歩いているのを、見るともなしに見ていたせいで──いや、深い意味はない。冬に付き人へ倒れられても、こっちの手間が増えるだけだしね。
それを今夜、さらりと渡してやる。まさか私が手ずから編んだなんて、あいつは夢にも思うまい。包みを開けた瞬間の間の抜けた顔が、今から目に浮かぶようだ。
……なんて。柄でもないことを考えると、胸の奥がほんの少しこそばゆい。
「じゃ、また学校で。よいクリスマスを」
「うん、詩音ちゃんもね」
あかりさんに見送られて、私は教室を出た。
廊下の窓から見える空は、また少し雲が厚くなっている。夜にはもう一降りきそうだ。雪のイブか。柄にもなく、ちょっとだけ悪くない気分だった。
夜。圭ちゃんの部屋を訪ねると、もういい匂いが漂っていた。
テーブルの上には、オーブンで焼いたであろう、こんがり焼き色のついたチキン。切り分けられたサラダに、湯気の立つスープ。冷蔵庫には、圭ちゃんが学校帰りに買ってきたらしいケーキの箱がおさまっている。飾りつけこそ控えめだけど、なかなかどうして、聖夜らしい食卓じゃないか。
「お、詩音。もうすぐ用意できるぜ」
エプロン姿の圭ちゃんが、皿を並べながら振り返る。その隣で、葛西が慣れた手つきでカトラリーを整えていた。
「ぐすっ」
「え、なんだよ?」
じんわりと迫り上がってきた感情に、思わず目尻を拭う。
「いやぁ、感動してるんですよぅ。ちょっと前まではカップラーメン一つ、碌に作らなかったっていうのに。今やオーブンまで使えるようになって、成長しましたねぇ」
「……親かお前は」
「砂糖と塩さえ、区別が付かなかったっていうのに」
「俺のこと保育園児が何かだと思ってる?」
「ほら、座れって」という圭ちゃんの言葉に促されるまま、席につく。
三人ぶんの椅子と、湯気を立てる料理。こういう賑やかな食卓を、私はどれくらい忘れていただろう。ルーチアの味気ない大食堂でも、組の張り詰めた広間でもない。ただ温かいだけの、なんてことのない夜。
「では、いただきましょうか」
葛西の音頭で、ささやかな聖夜が始まった。
チキンは思いのほか上出来で、圭ちゃんが得意げに「レシピ本と睨めっこしたんだぜ」なんて胸を張っている。まぁ、悪くない。及第点をあげてもいいくらいだ。珍しく素直に褒めてやったというのに、圭ちゃんは「……そうやって言われると、何か裏がありそうだな」なんて口にしやがる始末だ。全く失礼極まりない。
軽口を叩き合っているうちに、皿はどんどん空になっていく。
さて、そろそろケーキでも、というところ。私がキッチンへ立とうとしたそのとき、葛西がすっと椅子を引いた。
「さて。私はこのあたりで、失礼いたしましょうか」
「おや?もう行くんですか」
「ええ。少々、用事がありまして」
わざとらしくもない、けれど妙に含みのある言い方だ。私はにやりとして、すかさず切り込んだ。
「おやぁ?イブの夜に予定だなんて。葛西ったら、どこのどんな女に会うつもりなんです?是非とも詳しく聞かせてほしいものですねぇ」
「はっはっは」
葛西は少しも動じず、飄々と笑う。
「もう少し時が経ちましたら。酒の席ででも、ゆっくりお話しいたしますよ」
つまり、あと四年は待てと。こういう受け流し方にかけては、葛西に敵ったためしがない。コートを羽織りながら、葛西は玄関先で軽く一礼した。
「お二人とも、良いイブを」
そうして、静かに出ていく。
残されたのは、私と圭ちゃんの二人きり。
二人きりと言っても、なんて事はない、いつものことだ。違うのは、クリスマスイブという環境くらいだろうか。まぁ、だからと言って今さら二人になったところで、どうということも──
ない、と言うわけでもないのだろうか。
さっきから、目の前の圭ちゃんの様子がどうにも妙だった。
やたらと水を飲んだり、意味もなくフォークの位置を直したり。時々こちらを見て、何か言いかけては、口をつぐむ。挙動不審、とまではいかないけれど、いつもの彼らしからぬ落ち着きのなさだ。
「なんですか、さっきからそわそわして。変なものでも食べました?」
「え?い、いや。別に、なんもねぇよ」
「ふぅん」
まあ、深く追及するほどのことでもないか。トイレでも我慢しているのかもしれないし。私は肩をすくめて、キッチンへ足を向けた。
そうだ。ケーキを切り分けるこのタイミングで、プレゼントでも渡してやろう。
鞄の底に眠っている、手編みのマフラー。ケーキと一緒に、さらりと差し出してやれば、あいつはさぞ間の抜けた顔をするに違いない。いや、手作りの贈り物に感謝に咽び泣いてくれても構わないまである。
……まぁ、本当にそうなったら異常事態なので医者を呼ぶけども。
私は密かに口の端を上げて、包みを取りに向かった。
ケーキを切り分けて、二つの皿に取り分ける。苺のひとつは、ちゃっかり自分の皿へ。
湯気の立つ紅茶も添えて、テーブルに戻る。二人ぶんのケーキと、ちょっと甘い匂い。悪くない眺めだ。さて、いよいよ本日のメインイベントといこうじゃないか。
私は椅子に座り直すと、傍らに用意しておいた包みを、すっとテーブルの上に滑らせた。
「圭ちゃん。これ、私からです」
「……あ?」
圭ちゃんがフォークを止めて、目を丸くする。予想通りの間の抜けた顔だ。ふふ、いいですねぇ、その反応。
「なんだ、これ」
「見れば分かるでしょう。クリスマスプレゼントってやつですよ。感涙に咽び泣いちゃってくださいな」
精一杯もったいぶって、顎をつんと上げてやる。上から目線の余裕──のつもり。ところが自分でも意外なことに、包みを差し出したこの指先が、ほんの少しだけこわばっている。
……気のせい、ではない。正直、少しだけ緊張している。
仕方ないじゃないですか!だって、こういう手作りのものとか贈ったの初めてですし?
ま、ただの付き人へのねぎらいだ。そう自分に言い聞かせながら、私は平静を装ってケーキを一口ほおばった。
圭ちゃんは半信半疑といった顔で、包みの結び目をほどく。中から出てきたのは、深いワインレッドの、手編みのマフラー。
「これ……」
「あ、どうせ買った方が安いとか、無粋なことは言わないでくださいよー」
からかい文句のひとつも返ってくるだろうと身構えていた。ところが。
圭ちゃんは何も言わず、そのマフラーを両手でそっと広げて、じっと見ている。よくよく見れば、微妙に編み目の揃わない所もあるかもしれない、お世辞にも完璧とは言えない出来のそれを。まるで壊れ物でも扱うみたいに。
「お前が、編んだのか。これ」
「……そうですけど。悪いですか」
「いや」
顔を上げた圭ちゃんの表情は、茶化すでもなく、大げさにはしゃぐでもなく。ただ、じんわりと嬉しさが滲み出したような、そんな顔で笑うものだから。
「すげぇな、詩音。ありがとうな」
む、むぅ……!
そういう、まっすぐなお礼は反則じゃないですか。間の抜けた顔を見て、してやったりと高笑いする。もしくはからかい文句が飛んできて、私がデリカシーってもんを説教するとか。そういう筋書きしか考えていなかったのに……なんというか、こう素直に喜ばれてしまっては、こっちの調子がすっかり狂ってしまうじゃないか。
「別に。大した手間じゃありませんし」
急に落ち着かなくなって、私は紅茶に逃げた。カップを口に運ぶふりをして、表情を隠す。
「風邪でもひかれたら、こっちの仕事が増えるってだけの話です。勘違いしないでくださいよ」
「へいへい。分かってるよ」
言いながら、圭ちゃんは早速そのマフラーを首に巻いてみせた。室内だというのに、ぐるぐると。
「どうだ、似合うか」
「……まあ、及第点ですかねぇ。私の腕がいいので」
本当は、思っていたよりずっと様になっていた。色合いも、あいつの雰囲気に妙に馴染んでいる。それを素直に口にするのも癪だから、私はわざとそっけなく肩をすくめておいた。
ふむ、とはいえ目的は達成だ。女子力の見せつけ、成功と言っても良いだろう。
こうと決めた作戦が上手くいったんだから、本来ならもっと胸を張っていいはずで。なのに、なぜだか私の心臓は、さっきからやけに忙しなく動いている。あの、まっすぐなお礼のせいだ。
──と。
マフラーを巻いたままの圭ちゃんが、急にもぞもぞと居住まいを正した。さっきのそわそわが、ぶり返したみたいに。
「あー……なあ、詩音」
「なんです?」
「その、なんつーか。実は、俺も」
妙に歯切れが悪い。視線をあちこちに泳がせて、それでも意を決したように、こっちを向いて。
「渡したいもんが、あるんだけど」
……はい?
「え?なんですか、タバスコ入りのおはぎでもくれるんですか?」
「おいそのネタは色んな意味で俺に効くからやめろ」
「じゃあ、ちょっぴり高いドレスの人形、とか?」
「だからやめろって」
惨劇の気配が漂い始めること山の如しだろうがっ。と訳の分からないツッコミをする圭ちゃん。
「まあ、冗談はさておき。……で、なんです?改まって」
私が水を向けると、圭ちゃんは一度、大きく息を吸った。それから、マフラーを巻いたままの首をきゅっと縮めて、ズボンのポケットに手を突っ込む。
取り出されたのは、手のひらに収まるくらいの、小さな箱だった。
「あー、つまりだな。んー、なんつーか……その、こっちも渡すもんがあってな」
「渡すもの?あ、クリスマスプレゼント?」
「そう、そんなとこだ。まあ、受け取っといてくれ。ほら」
差し出された箱を、私は反射的に受け取る。妙に上等な、ビロード張りの手触り。ほう、これはなかなか、期待させてくれるじゃないですか。私は余裕たっぷりに蓋を開けた。
あら。指輪ですか。
へー。圭ちゃんにしては、なかなか良いセンスしてるじゃないですか。銀色の、シンプルで品のあるデザイン。ふむふむ、なるほど。指輪ねぇ。
……指輪。
指、輪?
ゆび……わ?
ユビワ???
──次の瞬間。
私の脳内では、さながらRPGから発射されたロケット弾が炸裂したごとき衝撃が駆け抜けた。閃光。轟音。吹き荒れる爆風。その真ん中で、園崎詩音という人間の思考回路が、跡形もなく吹き飛んで消し炭になっていくような──
いやいやいや!!待って。待ってください。今、指輪って言いました?私。指輪。輪っかの。指にはめる、あれ?
え?なんで?女の子に、指輪?この状況で?え、それってつまり、そういう、あの、え?いやいやいやいや。落ち着け私。落ち着くんだ。まず状況を整理しよう。整理して──整理して、どうする?え?というかコイツ、指輪の意味、分かってて渡してるんですか?分かってて?いや、そもそも指輪の意味って何。何が正解。誰か教えて。どこかに詳しい人はいませんか。だめ。落ち着け。落ち着けったら──
「……詩音?おい、大丈夫か。さっきから百面相してんぞ」
「――ッ、だ、大丈夫ですけどっ!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。しかも裏返った。最悪だ。
平静を取り繕おうにも、心臓が早鐘みたいに暴れて、うまく息が吸えない。箱を持つ手が、みっともなく震えている。こんなの、隠しきれるわけがない。
しどろもどろの私を見て、圭ちゃんが急にわたわたと慌て出した。
「あ、いや、待て待て。そんな睨むなって。変な意味じゃねぇんだ、な?」
「べ、別に睨んでは……」
「あー、つまりだな。んー、なんつーか……指輪っつっても、そういう、深い意味とかで渡してるわけじゃなくてだな。落ち着いて聞いてくれ、な?」
言葉を探しあぐねて、圭ちゃんの視線が忙しなく泳ぐ。私の顔色をちらちらと窺いながら、必死に地雷を踏むまいとしているような。手のひらまで、なだめるみたいにこちらへ向けている。
皮肉にも、おかげでこちらは少し冷静になってきた。
……なるほど。読めてきましたよ。
こいつはどうやら、私が怒り出しやしないかと、必死に予防線を張っているらしい。指輪を贈るってことの意味くらい、さすがの圭ちゃんでも分かってはいるんだろう。その上で──私がそういう仲だと早とちりしてるんじゃないかと、慌てているわけですか。
……いやいや。
なんですか、その気遣いは。私という人間を、どこまでも「そういう対象じゃない」前提で語ってくれちゃって。それはそれで、こう、無性に腹立たしいというか。ちょっと待て圭ちゃん。あんたねぇ、女の子に指輪を渡しておいて、真っ先に出てくる台詞が予防線とは。そこに正座なさい。私が三時間ほど、みっちりデリカシーの講義をしてさしあげますから。
「……別にとって食いやしませんよ。落ち着きなさいってば」
「そ、そうか。悪い」
「で。その、そういうんじゃない指輪を、なんでまた私に?」
我ながら、意地の悪い聞き方だ。じわりと追い詰められた圭ちゃんが、観念したように口を開く。
「……前によ。買い物に行った時。この店の前、通ったことあったろ。覚えてるか」
「買い物……?」
言われて、記憶がぐるりと巻き戻る。
あれは、確か二か月ほど前。秋口の、休日のことだった。
例によって私の買い物に、荷物持ちとして駆り出されていた圭ちゃん。両手に紙袋をぶら下げて、うんざりした顔で私の後ろをついてきていた。その途中、ふと通りかかったジュエリーショップのショーウィンドウに、私は何気なく足を止めたのだ。
若い子に人気の、シルバージュエリーの店。そのディスプレイに並んだ、小ぶりな指輪のひとつ。
「へぇ。こういうの、可愛いですねぇ」
本当に、ただの独り言みたいなものだった。
「なんだ、欲しいのか?」
「まっさかー。私、こういうのあんまりつけない性質ですし。ただ、可愛いなーって思っただけですよ」
それきり、私はさっさと歩き出した。次の店の話でもしていたと思う。自分でも、口にしたことすら忘れてしまうくらいの、なんてことない一言。
あの、一言を。
二か月も前の、私自身が忘れていたような世間話を。
こいつは、覚えていたっていうんですか。
「あんとき、お前が可愛いって言ってたやつ。……まあ、探すのにえらい歩き回らされたけどな。どこの店だったか、ぜんぜん思い出せねぇし」
わざとらしく肩をすくめて、恩着せがましく言ってみせる。けれど、そのくせ耳の先が真っ赤で。おまけに、思い出したみたいに慌てて付け足すものだから。
「あ、サイズはな、俺じゃ分かんねぇから。店員さんに手伝ってもらって、だいたいで見繕った。だからもし、指に合わなかったら……まあ、直せるようにはしてあるから。一応な」
最後の「一応な」は、ほとんど消え入りそうだった。言い終えて、ばつが悪そうにそっぽを向く。
──ぐ、ぬぬ。
私の胸の奥で、さっき吹き飛んだはずの何かが、今度は別の熱を持ってじわじわと膨らんでくる。パニックとは違う。もっと、あたたかくて、くすぐったくて、どうしようもなく落ち着かない何か。
サイズが合わなかったら、直せるように。
そんな先のことまで。私がとっくに忘れた一言のために、この男は店を探し歩いて、慣れない店員相手にしどろもどろになりながら、そこまで段取りをつけて。
だ、だめだ。頬が緩みそうになるのを必死に抑える。
アンタはいつも、がさつで、無神経で、歩くデリカシーの欠如みたいな男じゃないですか。なんでこう、こういう時に限って。人の胸の真ん中を的確に撃ち抜いてくるような、そんな気の回し方ができるんですか。卑怯です。武器を持たない相手に、いきなり核ミサイルを撃ち込むようなものですよ、これは。圭ちゃんの癖に生意気な。そこになおりなさい、手打ちにしてくれる。
湧き上がる正体不明の感情を、私はどうにか奥歯で噛み殺した。
「……ふ、ふーん。へえ。まあ、わざわざ、ご苦労なことで」
声が上ずるのを、止められない。
と、そこでふと、ひとつの疑念が頭をもたげた。あの圭ちゃんが、女子へのプレゼントに指輪なんて、そんな気の利いた選択に一人でたどり着けるものだろうか。ぜったい、誰かの入れ知恵だ。
「圭ちゃん。もしかしてこの指輪、誰かに相談したりしました?」
「うっ」
あからさまに、目が泳いだ。分かりやすいやつめ。
「……葛西さんにな。女に何やりゃいいか分かんねぇって言ったら、指輪がいいんじゃねぇかって。それで、これを思い出した……というか」
か、葛西ぃ――ッ。
アイツ、絶対に面白がってましたね!?グラサンの裏で、さぞかし楽しんでくれたに違いない。だから「酒の席ででも話せる」なんて、意味深に去っていったわけですか。今度顔を合わせたら、幼い私を震え上がらせた缶詰の怪談の件も含めて、たっぷり利子つけて仕返ししてやる!!
握りしめた拳が、ぷるぷると震える。羞恥と、恨みと、それから──こんな回りくどいことをしてまで用意してくれた、そのことへの、名前のつけられない何かとで。
でも。更にもう一つの疑問が湧く。この指輪、決してお高い有名ブランドとかではないにしろ、学生が気軽にほいほい買える値段でもないだろう。圭ちゃんに、そんな余裕があっただろうか。
「……圭ちゃん。これ、お金は。まさか変なところから工面したんじゃないでしょうね」
私がじろりと睨むと、圭ちゃんはばつが悪そうに首の後ろをかいた。
「人聞きの悪いこと言うなよ。……バイトだよ、バイト。通信教育の答案添削。家でこつこつやれるやつでな。まあ、ちょっと前から地道に貯めてたんだ」
「バイト……?」
初耳だ。ちっとも気づかなかった。私の目を盗んで、あいつは机に向かって、赤ペン片手に他人の答案を一枚一枚めくっていたっていうんですか。この指輪ひとつのために。
「言っとくけど、勉強の合間だからな。成績は落としてねぇぞ」
得意げに胸を張るその横顔を見ていたら、もう、なんだか。もう。
「まぁ、そんで、その」
わなわなしている私に、圭ちゃんが頭をかきながら、ぼそりと言った。
「……喜ぶかなって、思ってさ。お前が。まあ、いつも世話になってる礼だよ、礼」
──あ。それは、ダメだ。
そう、それは別になんて事はない、「お礼」なのだろう。それでも、その飾り気のない一言が、私の中の防波堤みたいなものを、いともあっさり乗り越えてきて──「喜ぶかなってさ、お前が」なんて。ただ、それだけのために。こつこつ貯めた金をはたいて、葛西に頭を下げて、二か月前の一言を頼りに、街中を探し回って。
胸がいっぱいで、なんだかもう、うまく言葉が出てこない。
こんなの。こんなの、いくらなんでも、卑怯すぎる──卑劣極まりない、鬼畜の所業じゃあないですか!!
「……っ、も、もう!」
気づけば私は、勢いよく椅子から立ち上がっていた。指輪の箱を、胸にぎゅっと抱きしめたまま。
「あ、ありがとう、ございますっ。だ、大事にします。ちゃんと。……じゃ、じゃあ私、もう寝ますからっ!おやすみなさいっ!」
「え、お、おう。おやすみ……?」
きょとんとする圭ちゃんを置き去りにして、私は逃げるように自分の部屋へ駆け込んだ。
後ろで「まだケーキ残ってるぞー」なんて間の抜けた声がしたけれど、そんなの、今は気にしていられない。
自分の部屋に飛び込んで、後ろ手にドアを閉める。
その場にずるずると座り込んで、私は大きく息を吐いた。手の中には、あの小さな箱。逃げ出してきたはいいものの、しっかり握りしめたまま持ってきてしまったらしい。
……なーにやってんですかね、私は。
のろのろと立ち上がって、ベッドに腰を下ろす。それから、なんとなく。箱から取り出したリングを、枕の上にちょこんと乗せてみた。
白い枕の真ん中で、銀色の輪が控えめに光っている。
まじまじと見つめてしまう。うん。よくよく見ても、やっぱり悪くないデザインだ。シンプルで、上品で。二か月前のあの一言を頼りに、圭ちゃんが選んでくれた、か。
……ふふ。
──って、なに笑ってるんですか私はッ。
緩みかけた頬に気づいて、ぶんぶんと首を振る。だめだめ。落ち着きなさい、園崎詩音。これはあくまで、日頃のねぎらいの品でしょう。付き人としての、感謝のしるし。本人だって「そういうんじゃない」と、あれだけ念を押していたじゃないですか。深い意味なんて、これっぽっちもない。
そう。ないんです。ないったらない。
なのに、どうしてだろう。目を閉じると、まぶたの裏に浮かんでくるのは、彼の顔ばかりで。
そっぽを向いて「一応な」とつぶやいた横顔。「礼だよ、礼」なんて不器用ながら伝えてくれた言葉。私の見ていないところで、赤ペン片手にこつこつ小銭を貯めていた、その姿。喜ぶ顔が見たかった。そんなことの、為に。
……ぐぬぬ。
理屈をこねればこねるほど、そのそばから、あいつの顔が押し寄せてくる。追い払っても、追い払っても。もぐらたたきみたいに、次から次へと。
ええい、うるさいうるさいっ。分かってますよ、分かってますってば!
私は枕に顔をうずめて、足をばたばたとばたつかせた。じたばた、じたばた。傍から見たら、さぞかし間抜けな図だろう。園崎家の次期当主候補が、たかが指輪ひとつで、ベッドの上で悶えているだなんて。
でも、もう。認めるしかないんでしょうか、これは。
要するに率直に大方の予想通り平たく所憚らずに正直に言ってしまえば……私は。
私は──前原圭一を、好きになってしまっている……のだ。
……い、いや。多少、ですけどね!?ほんの少し。いや、ほんの少しよりは、ちょっぴり上くらい、かもしれませんけど。けど、けど!それでも、そこまで大層なものでは……けど……。
枕から顔を上げて、もう一度、指輪を見る。
往生際悪くこねくり回した言い訳の数々は、その銀色の輝きを前にすると、みんな溶けて消えてしまう。認めたくない。認めたくないけど。この胸の奥がぎゅうっとなる感じを、これ以上ごまかすのは、さすがにもう無理があるらしい。
そっと、リングを手に取ってみる。ひんやりとした金属の感触。左手の薬指に──と、そこまではめかけて。
「──っ、い、いや。薬指はまだ、さすがにっ」
慌てて指を引っ込める。まだ、って。
……いやいや、まだって何ですか。何を言ってるんですか私は。まるでいつか薬指にはめる前提みたいな言い草じゃないですか。違う。そうじゃない。今のは言葉のあやで、断じてそういう意味では――ああもう、一人で百面相して、何をこんなに大慌てしてるんだか!
誰も見ていないのに。ベッドの上で、私は真っ赤になって首をぶんぶん振った。
……とはいえ。
箱にしまってしまうのは、なんだか、惜しくて。
小指、なら。そう、小指くらいなら、ただのお守りみたいなものだ。深い意味なんてない。うん、そういうことにしておこう。私はおそるおそる、リングを右の小指に通してみた。
するりと。まるで誂えたみたいに、すんなりと収まってしまった。
小指に光る銀の輪を、私はしばらく、ぼうっと眺めていた。
……ふふ。
だめだ。また頬が緩んでいる。今度は、首を振っても止まりそうにない。
明日から、いったいどんな顔をして、顔を合わせればいいんですか。今日までは、からかう側だったのに。主導権を握って、余裕でいられたのに。それがどうです。たった一晩で、こんなにも形勢逆転されてしまうなんて。
窓の外では、また雪が降り始めていた。しんしんと積もる白のなかで、遠くの電飾だけが、ちかちかと灯っている。柄にもなく、覚えのない類いの胸の高鳴りを持て余していた。
──と。
枕元の電話が、けたたましく鳴った。
こんな時間に、誰だ。浮かれかけていた気分に──いや、断じて浮かれてなどいない。いないけど、せっかくのイヴの夜にいきなり冷たい水を差された心地で、私は小さく舌打ちをする。せっかく、いい気分だったのに。
小指の指輪をそっと外して箱に戻してから、私は受話器を持ち上げた。
「はい、園崎ですけど」
返ってきた声に……私の眉が、すっと寄る。
さっきまでの、あの甘ったるい浮わつきが。潮が引くみたいに、どこかへ失せていくのが分かった。
窓の外の雪は、まだ止まない。
なんかもう単なるラブコメになっちゃってますが……夏休みも文化祭もやってないので、クリスマスくらいはあっても、ということで何卒ご容赦くださいませ。
まぁでもひぐらしの世界なので、こんなクリスマスイベント一つでも選択肢を間違えてたら、部屋中が血の海になってた可能性も()
次回もよろしくお願いします!