ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜   作:村人A

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里帰り

 

 

 

 今日は終業式、つまり今年最後の登校になる。今日くらい、こっちから迎えに行ってやっても良いだろう。そんな軽い気持ちで、俺は、詩音を迎えに部屋を出た。

 

 あいつの部屋のドアの前まで来て、ノックしようと手を上げたところで──中から声が聞こえて、手を止める。

 

 押し殺したような、低い声。電話をしているらしい。いつもの人をおちょくるときの甘ったるいトーンとは、まるで違う。用件だけを刻むみたいな、平坦で硬い声だ。

 

 ……立ち聞きする趣味はない。

 

 上げた手を下ろして、そのまま踵を返した。先に下りて待っていよう。あいつがあの声を使うときは、こっちが首を突っ込んでいい話じゃない……気がする。それくらいの分別は、さすがに身についてきた。

 

 エントランスのソファで待っていると、ほどなくして詩音が下りてきた。

 

「はろろーん。お待たせしました」

 

 顔はいつも通りだ。にこにこと、隙のない笑顔。さっきの硬い声なんて、こっちの気のせいだったんじゃないかと思うくらいに。

 

「電話してたのか?」

 

 訊いてから、しまったと思う。立ち聞きしてたみたいじゃねぇか。案の定、詩音の眉がわずかに動いた。

 

「あら。聞いてたんですか、圭ちゃん」

「聞いてねぇよ。迎えに行ったら声がしただけだ」

「ふぅん」

 

 それきり、詩音は何も言わない。かわりに、ぽんと俺の肩を叩いて先に歩き出す。まぁ、詮索する話でもないだろう。

 

 外に出ると、身を切るような寒さが襲ってきた。年の瀬の空気は、しんと澄んで冷たい。俺は首元のマフラーに、思わず顔をうずめた。

 

「おや」

 

 隣の詩音が、目ざとくそれを見つけてにやりとする。

 

「ちゃんと巻いてるじゃないですか、それ。感心感心」

「……寒いからな。ちょうどいいから使ってるだけだ」

「またまたー。本当は嬉しくてたまらないくせに。ほら、正直におっしゃい。『詩音の手編みマフラー、あったかくて最高だぜ。俺はなんて果報者なんだー』って」

「言うか、そんな寒いセリフ」

「おや、マフラーの話にかけたんですか?」

「かけてねぇよ」

 

 誰がうまいこと言えと。俺がじろりと睨むと、詩音はけらけらと笑った。

 まったく、相変わらずのやつだ。クリスマスにはちょっとした事件もあったが──こうして並んで軽口を叩き合っていると、そんなものは全部、いつもの日常に溶けて消えていく。

 

 と、詩音がふいに、こちらへ手のひらを差し出してきた。

 

「ところで圭ちゃん。手は寒くないんです?」

「あ?そりゃ寒いけど」

 

 だからポケットに突っ込んでるんだけどな。

 

「なら、手でも繋ぎますか?温めてあげてもいいですよ、ふふ」

 

 また、藪から棒に。お互い手袋はしていないが……どうせいつものからかいだろう。まともに取り合ったら、それこそ思う壺だ。

 

「手袋くらい持ってこいよ」

「つれないですねぇ。据え膳食わぬは男の恥、って言うでしょうに」

「据え膳の使い方が違う気がするけどな……つーか、お前が手袋忘れただけだろ」

「ぐ。ま、まあ、それはそれ、これはこれです」

 

 珍しく言い返しに詰まって、詩音がぷいと前を向いた。図星を突かれたためなのか、その耳の先が、寒さのせいか、ほんのり赤い。

 

 まあ、いい。俺はマフラーに顔をうずめ直して、白い息を吐いた。

 その拍子に、あいつの手元が目に入った。手袋もしていない右手。その小指に、細いシルバーのリングが光っている。あの指輪だ。俺が渡した、あれ。

 

 ……付けて、くれているらしい。

 

 いや、なんつーか……我ながら酷く大胆な贈り物をしてしまったんじゃないかと今更ながら気恥ずかしくなってくる。葛西さんにも店員さんにも聞いたから、的外れって訳じゃねぇと思うんだけどな。

 

 なんというか……うん、いや、うーむ。俺は、気づかないふりを決め込んだ。知らんぷりは、俺の為か……はたまた彼女の為か。

 まぁそれでも、放り出されずにちゃんと嵌めてもらえているのを見ると、なんというか、こう、悪くない気分になる。

 

「なにニヤニヤしてるんです?気持ち悪いですね」

「一言余計なんだよお前は」

 

 ばれてないだろうな、と内心ひやりとしつつ、俺はそっぽを向いた。空は高く晴れている。冷たいが、悪くない朝だ。

 

 

 

 終業式は、つつがなく進んだ。

 

 体育館に全校生徒が詰め込まれて、校長の長い話に何人かが船を漕いでいる。俺もその一人になりかけたが、壇上に見慣れた顔が上がってきたところで、意識が戻った。

 

 生徒会長として、詩音が挨拶に立つ。

 

「──二学期を振り返って」

 

 よく通る声だった。原稿もろくに見ずに、要点を押さえた話を間延びさせずにまとめていく。ときどき軽い冗談を挟んで、生徒たちの笑いを誘いながら。だれることなく、かといって堅苦しくもなく。

 

 あいつがこういう場でそつなく振る舞うのは、今に始まったことじゃない。それでも壇上で全校生徒を相手に淀みなく喋るあの姿を見ていると、あらためて思う。園崎詩音は、紛れもなく人の上に立つ器なのだと。

 

 挨拶を終えて壇を降りる詩音に、拍手が起きる。俺は柄にもなく、少しだけ誇らしいような気分でそれを聞いていた。

 

 ……いや、別に。担いでる神輿がしっかりしてると、付き人として安心する。それだけの話だ。

 

 

 そうして、その日の全課程が終わった。

 

 帰りのホームルームも終わって、教室にはもう帰り支度の喧騒が広がっている。冬休みだ、初詣どうする、そんな浮ついた声があちこちで弾んでいた。俺も鞄に教科書を突っ込んで、さて帰るかと腰を上げかけたところで。

 

「圭ちゃん」

 

 隣の席から、詩音が声をかけてきた。さっきまでのからかうような響きが、少しだけ引っ込んでいる。

 

「どうかしたのか?」

「年末に、実家に帰らないといけなくなりました」

 

 あっさりとした口調だった。まるで、明日の献立の話でもするみたいに。

 

「実家って、園崎の……本家のほうか」

「ええ。いわゆる里帰りってやつです」

 

 詩音は鞄の持ち手をいじりながら、窓の外に視線を投げた。その横顔から、いつものへらへらした軽さが、わずかに抜け落ちている。

 いやしかし、里帰りって……

 

「里って、同じ興宮じゃねーか。毎日里に帰ってるだろ」

「そうですけど……こう、気分的なアレですよ、アレ。圭ちゃん細かい事言ってるとモテませんよ?」

「ほっとけ」

 

 細かいのだろうか?まぁそれはさておき、朝のあの電話。押し殺した平坦な声。あれはそういうことだったのかもしれない。

 

「年末年始の、挨拶回りってやつか?」

「まあ、そんなところです。そんなところ」

 

 そう言い切る割に、どうも歯切れが悪い感じがする。あいつにしては珍しく。言葉尻に、何か言いたげな含みがある。けれど、それ以上は続けずに、詩音はふっと息を吐いて立ち上がった。

 

「ま、そう構えるこたぁないですよ。お母さんも圭ちゃんに会いたいって言ってるだけですし」

「そりゃ光栄だけどよ」

「でも、まーた熱くなって指詰めようとしたりしないでくださいね?いくら、私の為と言っても☆」

「ゔっ……」

 

 非常に恥ずかしい思い出を突かれて言葉に詰まる。気が付けば詩音はいつものからかうモード全開でこちらを覗き込んできている。コイツ……相変わらずしつこい性格だ。

 

「あのペースだと、次は切腹しちゃいかねませんもんねー。いやぁ、愛されすぎるのも考えものですねぇ」

「わ、分かったからもう勘弁しろってッ!」

「くすくす」

 

 次第に顔が赤くなっていくのを感じで、さっさと鞄を手に教室を出ることに。その後ろからは完全にイニシアティブを取って上機嫌な詩音が付いてくるわけだが。

 

 窓の外では、灰色の雲が少しずつ厚くなってきている。今夜あたり、また雪が降るのかもしれない。

 

 

 

 

 で、帰省当日。

 

 葛西さんの運転する車の後部座席で、俺は窓の外を眺めていた。見慣れた興宮の街並みが、少しずつ後ろへ流れていく。年の瀬の空気のなか、道行く人はみな足早だ。

 

 正直に言えば、緊張していないと言えば嘘になる。

 

 前に園崎系列の病院を訪ねたときに比べれば、いくらかマシではある。あのときのような、胃の底が冷えるような張り詰め方はない。ただ、これから向かうのは仮にもヤクザの本家だ。まったく平気な顔でいられるほど、俺の心臓は図太くできていない。

 

 ……というか、ヤクザの家に乗り込むのに緊張しなくなったら、それはそれで人として色々終わってる気がするな。

 

 変に落ち着き払っているより、多少びくついてるくらいがちょうどいい。うん、これは健全な緊張だ。そういうことにしておこう。

 

「なーに変な顔してるんです?」

 

 隣の詩音が、呆れたようにこちらを見ていた。

 

「元々こういう顔だよ……悪かったな」

「まぁまぁ、拗ねない拗ねない」

「んなことより、結局どういう話なんだ。俺も行くからには、事情くらい把握しときたいんだが」

 

 詩音は少し間を置いてから、ふう、と息を吐いた。

 

「そうですねぇ。前にも葛西が簡単に話したと思いますけど、もう少しちゃんと説明しときましょうか」

 

 窓の外へ視線を投げたまま、あいつは淡々と続ける。

 

「うちが、大災害でめちゃくちゃになったのはご存知の通りです。あのとき、園崎の当主だった鬼婆――園崎お魎と、跡取りだった魅音が、一度に亡くなりました」

 

 当主と、跡取り。その二人が同時に欠けた。素人考えでも、それが組織にとってどれほどの痛手か、想像はつく。

 

「頭と、次の頭を、いっぺんに失ったわけです。おかげで園崎の家は今、当主の座がぽっかり空いたまま。誰も座ってないんですよ、あの椅子には」

 

「空席、ってことか。組長さん――お前の親父さんは?」

「父は、あくまで組の長です。園崎の家に婿で入った身ですからねぇ。血筋で言えば、家の当主にはなれないんですよ」

 

 なるほど。組を仕切るのと、家を継ぐのは、別の話ってわけか。格式高いお家の世界ってのは、やはり血筋だのなんだのが幅を利かせるものらしい。

 

「じゃあ、その空いた椅子は今どうなってんだ」

「一応、母が代行をやってます。渋々、ですけどね」

 

 茜さんが。あの、からから笑う緑髪の女性の顔が浮かぶ。

 

「代行ってことは、正式な当主じゃねぇんだよな」

「ええ。あくまで座がお留守だと格好がつかないから、繋ぎで座ってるだけです。本人はそもそも乗り気じゃないですし……まあ、色々あるんですよ、あの人にも」

 

 その「色々」の中身は、言わなかった。運転席の葛西さんが、ミラー越しにちらりとこちらを見た気がしたが、こちらも何も言わない。

 

「頭の椅子が空いてるってことは」

「そう。皆さん、そこに座りたがってるってことです」

 

 あんな泥船の船長なんて、何が良くて狙ってるんだかね――そう呟いて、皮肉っぽく口の端を上げる。

 

「大災害からこっち、うちの組――いえ、家そのものがすっかり傾いちまってます。昔ほどの力はもうありません。組は当然、世間の風当たりも年々きつくなってますしねぇ。それでも、腐っても園崎。頭の座には、それなりの旨味がまだ残ってる」

「だから、身内があれこれ動いて椅子取りゲームをしてるってわけか」

「あはは、椅子取りゲーム!言い得て妙ですね」

 

 お前もその渦中ど真ん中にいるんじゃねぇのかよ……

 他人事のようにからからと笑う詩音にやや不安が募る。椅子を狙う連中がいて、その候補が彼女なら、下手すりゃ命だって狙ってくる可能性もあるわけだ……以前彼女は「直系に手をかけるなんて暴挙、そうそうしませんって」なんて呑気に言っていたが……

 

 そう、付き人なんだよな……最近あまりにも平和でボケてたが。

 

「そんな最中に、呼び出しがかかるってことは――」

 

 もしかして事態が、よからぬ方に大きく動き始めた、とか。

 そんな俺の不安を察してか軽く首を振って見せる。

 

「なんてことはありゃしませんよ。私、鬼婆様の血を引く、直系の生き残りですからね。年末の顔合わせに出て、挨拶のひとつもしてこい、と。そういうお達しです。安否確認みたいなもんです」

「そっか」

 

 少しだけ安堵する。とはいえ、気を引き締め直さなければならない。付き人として、彼女にもしもの事がないようにだけ、それだけは絶対だ。文字通り、命に代えても、だ。

 

「やっぱ、乗り気じゃなさそうだな」

「当たり前でしょう。誰が好き好んで、あんな腹の探り合いに顔を出したがるもんですか」

 

 吐き捨てるように言って、詩音は前髪をかき上げた。その横顔から、いつものへらへらした軽さが、すっと抜け落ちている。朝の――いや、あの電話のときの、硬い声を思い出した。

 

「けどまあ、立場ってもんがあります。出ないなら出ないで、余計な勘繰りを招くだけ。だったら、さっさと顔だけ出して、さっさと帰るのが上策ってわけです」

「……俺はどうしてりゃいい。正直、お前の周りをうろちょろしてると、余計な反感とか招かねぇかな」

「そこはモーマンタイです。付き人として、しっかり私のそばにいるってこと、戦力としてのPRもしといてください」

 

 高校生のガキ一人側にいたところで、戦力としてはたかが知れてるとは思うんだけどなぁ。って、自分で言ってて悲しくなる……葛西さんみたいな戦力になれる日は来るんだろうか、俺に。

 

「まぁ、あと母が圭ちゃんに会いたいって言ってるんです。これがなかなか、しつこくてねぇ」

 

 茜さんが、俺に。光栄と言えば光栄だが、どうにも背中がむず痒い。何を見極められるやら。

 

「ま、あんまり気負わないことですよ。取って食われやしませんから。……たぶん」

「たぶんはやめろ、たぶんは」

 

 軽口を返しながらも、俺の腹の底はやっぱり落ち着かない。

 やがて車は市街を抜けて、閑静な一帯へと入っていった。塀が高くなり、家々の構えが大きくなっていく。その一番奥。

 

「着きましたよ」

 

 葛西さんが静かに車を停める。窓の外に、やはりその屋敷はあった。

 

 黒い瓦を戴いた、堂々たる日本家屋。門構えだけでも、かつてのこの家の格を否応なく伝えてくる。以前に足を運んでいるとはいえ、その一般人とは縁遠い雰囲気には、なかなか慣れるものじゃない。

 

 しかし、だ。よく見れば、塀の一部には手入れの行き届かないひび。庭木も、いくらか伸び放題になっている。かつての威容と今の翳り。その両方が、ひとつの屋敷に同居していた。

 

 

 門をくぐると、玄関先にずらりと人が並んでいた。

 黒いスーツの男たち。堅気には見えない、剣呑な気配をまとった連中だ。その一人一人が、詩音の姿を認めるなり、きれいに頭を下げる。

 

「お帰りなさいませ、お嬢」

 

 声が揃っていた。年季の入った、統率のとれた一礼。続いて、隣の葛西さんへも深々と頭を垂れる。長年この家に仕えてきた大幹部だ、組の中でも格は段違いなんだろうと改めて思い知らされる。

 

 さて、俺は借りてきた猫みたいに、詩音の斜め後ろで身を縮めていようかなーっと。付き人なのに情けない?やかましい、怖いもんは怖いんだよ!!

 

「よう、来たな。前原の坊主」

 

 ……ん?

 

 組員の一人が、俺に向かって、にっと口の端を上げた。剣呑な面構えのわりに、その目にはなぜか、妙に好意的な光がある。

 

「あ、え、ど、どうも……」

 

 困惑気味に頭を下げる。すると、それを皮切りに。

 

「おう、噂の兄ちゃんか」

「話にゃ聞いてるぜ」

 

 あちこちから、似たような声がかかる。値踏みするような視線ではない。むしろ、どこか面白がるような……なんだ、この妙な歓迎ムードは。

 俺は思わず、隣の詩音を見た。あいつも同じらしく、きょとんとした顔で組員たちを見回している。

 

「圭ちゃん、何かしましたっけ」

「なんかってなんだよ」

「んー、例えば、ウチの組員が酔っ払って堅気に迷惑かけてたから、圭ちゃんが片っ端からのして回ったとか」

「するわけねぇだろ」

 

 こそこそと囁き合う。心当たりなんて、これっぽっちもない。ヤクザ連中に好かれる覚えなんて、あってたまるか。ていうか、それ好かれるのか?

 

「あっはっは。みんな、坊やが気になって仕方ないみたいだねぇ」

 

 朗らかな声が、屋敷の奥から響いてきた。

 和服姿の、緑髪の女性。からからと笑うその佇まいは、いつぞや会ったときのままだ。茜さん――詩音の母親にして、今の園崎家の当主代行、その人だった。

 

「よく来たね、圭一くん。待ってたさね」

「お邪魔します。ご無沙汰してます」

「そう固くなりなさんな。ほら、あんたらも仕事に戻んな」

 

 茜さんが手をひらりと振ると、組員たちは心得たように散っていった。

 

「あの……茜さん。さっきから、なんで俺、こんなに歓迎されてんですか」

 

 訊かずにはいられなかった。すると茜さんは、可笑しくてたまらないという風に、口元を袖で隠す。

 

「ああ、ねえ。この前アンタ、うちの旦那の前で、えらい啖呵を切ったろう」

「啖呵……あ」

 

 思い当たる節といえば、アレしかない、な。以前この家絡みでひと悶着あったとき、俺が勢い任せに大見得を切ったアレだ。

 

「あれがねぇ、若い衆の間で語り草になってんのさ。ヤクザ相手に、しかも組長相手に一歩も引かねぇ高校生なんざ、そうそういるもんじゃない。『あの坊主、いい度胸してやがる』ってね」

 

 うわぁ……。恥ずかしいやら、いたたまれないやら。あんな後先考えない啖呵が、まさかヤクザ連中の心を掴んでいたとは。人生、何が転ぶか分からないものだ。

 

「出来るだけ早く忘れてほしいんですけど……」

「あっはっは!なーに言ってんだい」

 

 茜さんにバシバシと肩を叩かれる俺を見て、詩音がくすくす笑っている。おいこら、笑い事じゃねぇぞ。

 と、そのとき。茜さんの目が、ふと詩音の手元で止まった。

 

「おや」

 

 声の色が変わって。

 

「詩音。アンタ、その指」

「え?あっ――」

 

 しまった、という顔を詩音がする。だがもう遅い。茜さんの視線は、あいつの小指に光るシルバーのリングに、ぴたりと据えられていた。

 

「おやおやおや。こりゃまた」

 

 みるみる茜さんの顔がほころんでいく。

 

「い、いや、これは、その」

「ちょいとお待ち。アンタ、指輪をつける指間違えてるじゃないか!そういうのはねぇ、小指じゃなくて――」

「わーっ、わーっ!違います、違いますからっ」

 

 詩音が真っ赤になって、両手をぶんぶん振り回す。だが茜さんの勢いは止まらない。それどころか、くるりとこちらへ向き直ると、俺の手をがしっと両手で握ってきた。

 

「圭一くん……!よくぞ腹を括ってくれたねぇ。ついに詩音と同じ墓に入る気になったってわけかい。いやぁ、アタシゃ嬉しいよ!」

「え、いや、あの、同じ墓って」

「ちがーうっ!お母さん、話を盛らないでっ」

 

 詩音が悲鳴じみた声を上げる。顔は完全にゆだって、湯気でも出そうな有様だ。やばい、また怒らせてしまうだろうか。

 

「盛っちゃいないさね。なあ圭一くん?」

「盛ってます、盛ってますからっ。というか圭ちゃんも、なに満更でもなさそうな顔してるんですかっ」

「してねぇよ!?」

 

 俺まで巻き込むな。というか、この母娘、勢いがそっくりだ。血は争えないというやつか。

 

「あっはっは。相変わらず、からかい甲斐のある子だねぇ、アンタは」

 

 茜さんは、実に楽しげに笑い転げていた。詩音はぷりぷりしながら、そっぽを向いている。その耳はやっぱり赤い。

 

「ま、積もる話は中でしようかね。寒かったろう。ほら、詩音もへそ曲げてないで、こっちに来な」

「まげてませんー」

 

 仲が良いんだが悪いんだが、この二人を見ているとよくわからなくなる。

 

 

 

 通されたのは、奥まった大広間だった。

 

 畳の間に、ずらりと座卓が並んでいる。すでに何人か、腰を据えている先客がいた。年嵩の男たち。羽織袴の者もいれば、仕立てのいいスーツの者もいる。親戚筋か、それとも組の古参幹部か。いずれにせよ、堅気の集まりでないことだけは、空気で分かった。

 

 部屋に足を踏み入れた瞬間、いくつもの視線がこちらへ突き刺さった。値踏み。品定め。腹の底を探り合うような、粘つく目。背筋に、じっとりと嫌な汗がにじむ。

 なんか、こういう光景ってどこかの任侠ドラマでしか見たことがないような厳かな感じで……玄関先の和やかさが、嘘みたいに引いていく。

 

「やぁやぁ詩音ちゃん、お帰り。元気そうだね」

 

 上座近くの、恰幅のいい老人が口を開いた。柔和な笑みを浮かべている。詩音を見る目には、確かな親しみと期待の色があった。

 

「園田のおじ様、ご無沙汰しております」

「うんうん」

 

 詩音が、そつなく頭を下げる。学校で見せるのとも、俺の前で見せるのとも違う、隙のない所作だ。

 なるほど。この爺さんあたりが、詩音を担ぎたい側の人間か。血筋がどうの、直系がどうのと、そういうのを大事にする手合いなんだろう。和やかな空気が、その一角にはある。

 

 だが、部屋の全部がそうってわけじゃない。

 

「……ほう。これはこれは、詩音お嬢」

 

 斜向かいの座卓から、別の声がした。

 細身の、五十がらみの男。鵜飼、と誰かが呼んでいた。仕立てのいいスーツを隙なく着こなして、口元だけで笑っている。目は、まるで笑っていない。

 

「学校通いに、付き人まで従えて。ずいぶんと優雅なご身分でいらっしゃる。うらやましい限りですなぁ」

 

 言葉こそ丁寧だが、棘がびっしり生えている。慇懃無礼、というやつの見本みたいな物言いだ。

 

「おかげさまで」

 

 詩音は、涼しい顔で受け流した。

 

「しかし、この大事な時期に学生の本分を優先なさるとは。跡目のことを、どこまで本気でお考えなのやら」

 

 鵜飼の視線が、すっと俺のほうへ流れてきた。

 

「そちらの坊やが、噂の付き人ですかな。どこの馬の骨とも知れぬこんな小童を、直系のお嬢が側に置くとは。いやはや、いい趣味でいらっしゃりますな」

 

 どこの馬の骨、ときた。

 まあ、事実そうだから別に腹も立たない。戸籍の上じゃ「岡崎圭一」なんて、どこにも実体のない名前だ。馬の骨どころか、骨があるだけ上等ってなもんだろう。せいぜい丈夫な骨でいさせてもらうさ。

 

 俺が涼しい顔をしていたからか、鵜飼はつまらなそうに鼻を鳴らした。

 

(……ん?)

 

 ――ぞくり。

 

 なんだ、今の。妙な寒気がして、俺は何気なく詩音のほうを見て――思わず悲鳴が出かかった。

 

 詩音だ。彼女は笑っている。にっこりと、それはもう完璧な微笑みを浮かべている。なのに、その笑顔の裏から、ぶわりと、とんでもない何かが噴き出している気がした。目の奥がまるで笑っていない。氷点下を通り越して、絶対零度みたいに冷え切っている。口元だけが綺麗な弧を描いて、全身から「今すぐこの男を細切れにバスルームから流してやろうか」みたいな圧が、だだ漏れになっているのだ。

 

 

 ……うっわ。怖ぇえ。

 

 

 思わず、他人事みたいに引いてしまった。おい待て、味方だよなこいつ。なのに、なんでこっちまで背筋が凍るんだ。

 

 刹那――なぜか脳裏を、見たこともない光景がよぎった。受話器の向こうで狂ったように裏返って嗤う声。ぬいぐるみを差し出した俺に、ぎらりと振り上げられた包丁と嗤い声。

 ぞわり、と鳥肌が立つ。……なんだ今の光景は。覚えはないのに、やけにリアルで嫌な予感がする。とにかく、こいつを本気で怒らせるのだけはやめておこう。命がいくつあっても足りない気がする。

 

「あら、鵜飼さん」

 

 詩音が、口を開いた。声だけは、あくまで涼やかに。

 

「うちの付き人が、何か粗相でもいたしましたか?」

「いえいえ。ただの感想ですよ。気に障りましたかな」

「いえいえー。確かにウチのは馬に骨ですから、怪訝に思うのも不思議ではないかもしれませんね。馬の骨でも上等なくらいかもしれません」

 

 オイ。分かってるけど、繰り返して言うなよ、ちょっとは傷つくぞ。

 

「ですが」

 

 詩音は笑顔のまま、しかし声色だけは異様に冷たく続ける。

 

「私が誰を付き人にしようが、“今は”まだあなた方には関係ないこと。余計な詮索は不要かと」

 

 さすがの鵜飼も、その笑顔の裏の何かを感じ取ったのか。それ以上は踏み込まず、茶をすすった。賢明な判断だ。俺は心の底からそう思う。

 

 だが、この短いやり取りだけで、十分すぎるほど分かった。

 

 この男は、詩音を快く思っていない。いや、もっと言えば――詩音が当主の座に近づくことそのものを、疎ましく思っている。担ぎたい爺さんの一派とは、明らかに水と油だ。

 担ぎたい側と、退けたい側。同じ部屋のなかに、はっきりと二つの流れがある。そのどちらもが、笑顔の裏で、空いた頭の椅子を狙って刃を研いでいる。

 

 ……なんとも、居心地の悪い部屋だ。

 

 俺は改めて、隣の詩音を盗み見た。もう殺気は綺麗に引っ込んでいて、老人たちと当たり障りのない会話を交わしている。

 けれど――ずっと側にいる俺には、分かってしまう。あいつの背筋が、さっきからほんの少しも緩んでいないことが。膝の上の手が、たまに、きゅっと着物の裾を握っていることが。こういう場所で、こういう連中に囲まれて、あいつは一人、ずっと気を張り詰めてきたんだろう。にこにこ笑いながら、内側では刃を研ぎ澄まして。

 

 俺は、膝の上でこぶしを握った。

 

 付き人として、俺にできることなんてたかが知れている。経験も、こいつらの足元にも及ばないだろう。それでも、せめて、こいつが気を抜ける場所くらいにはなってやりたい。この張り詰めた部屋の中で、たった一人でも、味方でいてやりたい。

 

 柄にもないことを考えていると、上座の茜さんと、ふと目が合った。

 茜さんは何も言わない。ただ、ほんの少しだけ口の端を上げてみせる。まるで、こちらの内心を全部見透かしたみたいに。

 

 年の瀬の座敷は、しんと底冷えがする。庭のほうから、鹿威しの音がひとつ、乾いて響いていた。

 

 

 

 

「あ゛ぁ……つっかれましたぁ」

 

 あてがわれた和室に戻るなり、詩音はちゃぶ台に、ぐてーっと突っ伏した。

 随分間の抜けた声だ。さっきまでの、あの隙のない顔役ぶりはどこへやら。頬を天板に押しつけて、ふにゃふにゃに溶けている。よほど気を張っていたんだろう……まあ、無理もない。

 

「お疲れさん。ほら、茶でも飲め」

 

 備え付けのポットで淹れた茶を差し出すと、詩音は突っ伏したまま、片手をひらひらさせた。

 

「んー、あとでいただきます。今はもう、指一本動かしたくない気分でして」

「そんなにか」

「そんなにです。あーもう、鵜飼のじいさんの顔思い出すだけで、じんましんが出そうですよぅ……いっそこれから闇討ちしてバラバラにして

「おい冗談でもやめろよ」

 

 えっらい物騒な小声が聞こえてきて、俺はすかさずけん制する。

 

「なんですかー、圭ちゃんが手伝ってくれればパパっと済みますよぅ」

「多分だけど、絶対俺たち破滅の未来に向かうぞそのルートは」

 

 ちぇーっとぼやきながら、のろのろと体を起こす。かと思えば、そのまま畳にころんと横になってしまった。天井を見上げて、大きなため息をひとつ。

 

「じゃあ圭ちゃん」

「あ?」

「膝、貸してください」

 

 ……は?

 

「膝枕ですよ、膝枕。ほら、疲れた乙女へのご奉仕は、付き人の務めってやつでしょう?」

 

 にんまりと、詩音が見上げてくる。気疲れでとろんとした目のくせに、からかう色だけはしっかり残っているあたりが、いかにもこいつらしい。

 

「んな務め、聞いたことねぇけど」

「あるんですよー。っていうか今、私が作りました」

「無茶苦茶だな、お前」

 

 言いつつも、まあ、これだけ気疲れしてるやつを無下にするのもな。俺はため息まじりに、あぐらをかいて座り直した。

 

「……ほら。さっさとしろ」

「ふふ。物分かりのいい付き人で助かります」

 

 言うが早いか、詩音はころんと転がって、俺の膝に頭を乗せてきた。存外に、あっさりと。

 

 その軽さと、髪から立つ甘い匂いに、思わず心臓が跳ねる。おいおい、近い、近いって。動揺を悟られまいと、俺は視線を斜め上の欄間あたりに固定した。

 

「んー、悪くない枕ですねぇ。硬すぎず、柔らかすぎず」

「枕扱いすんな」

「あら、褒めてるんですよ?」

 

 膝の上で、詩音がくすくす笑う。その振動が、じかに伝わってきて、どうにも落ち着かない。かといって、今さら退けるのも大人げない。俺は仕方なく、されるがままになっていた。

 

 しばらく、そうしていた。

 

 詩音は目を閉じて、すう、すう、と穏やかな息をしている。さっきまでの張り詰めた気配が、少しずつほどけていくのが分かった。まあ――こうして気を抜ける場所が、こいつにも要るんだろう。だったら、膝ぐらい、いくらでも貸してやるさ。

 

 柄にもなく、そんなことを思っていると。

 

「あらあらぁ。お熱いことだねぇ」

 

 のんびりした声が、襖の向こうから降ってきた。

 

「――ッ!?」

 

 詩音が、勢いよく飛び起きる。その拍子に、あいつの後頭部が、俺の顔面にしたたか激突した。

 

「いってぇ!?」

「い、痛ぁっ!」

 

 二人して、頭やら顎やらを抱えて、畳の上に蹲る。星が飛ぶとはこのことか。じんじんする顎を押さえながら涙目で見上げると、襖のところに、にっこにこの茜さんが立っていた。

 

 一体いつから、そこに。

 

「か、母さん……っ、いつからそこにっ」

「ん?ずーっと最初から見てたさね。いやぁ、若いってのはいいねぇ」

 

 あっけらかんと言い放つ。詩音の顔が、みるみる茹で上がっていく。

 

「み、見てたなら声かけてくださいよ!」

「野暮なことするもんじゃないって思ってねぇ。せっかくの、いいムードだったろう?」

「ムードとかじゃありませんっ。こ、これはただの、その、労働の一環というか」

「はいはい。労働ねぇ」

 

 茜さんは、まるで取り合わない。それどころか、袖で口元を隠して、実に楽しそうに目を細めた。

 

「そうだ。ちょうどいい。あんたら、ウチにいる間は、同じ部屋にしといてやるからね」

「は?」

「今のうちから、同棲の練習でもしときな。ほら、いずれ必要になるんだろう?」

「なりませんっ!なんですか同棲の練習って!」

 

 詩音が、真っ赤な顔で立ち上がって食ってかかる。だが茜さんは、柳に風とばかりに、からからと笑うばかりだ。

 

「照れるんじゃないよ。ねえ、圭一くん?」

「……なんで俺に振るんですか」

「ちょっと圭ちゃんも、なに満更でもない顔してるんですかっ!」

「してねぇよ!?さっきから俺のとばっちりが多すぎるだろ!」

「と、とばっちり!?言いましたね圭ちゃんの分際で!!」

 

 わちゃわちゃと、収拾がつかない。茜さんはそれを、心底愉快そうに眺めている。

 まったく、この母娘ときたら。

 

 どっと疲れが押し寄せてきて、俺は、じんじん痛む顎をさすった。どうやら、この本家での年末年始は――思っていたよりずっと、賑やかなものになりそうだ。

 

 

 

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