ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜   作:通行人A'

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園崎の手牌

 

 

 

 ぱち、ぱち、と。牌を混ぜる音が、座敷に響いている。

 

 年の瀬の、昼下がり。障子越しの陽が、畳をあたたかく染めていた。屋敷はすっかり静かだ。あの粘つく顔合わせの晩に居並んでいた分家の連中は、鵜飼も含めて、もう軒並み帰っていったらしい。今この本家に残っているのは、茜さんや詩音に気心の知れた、いわば身内みたいな連中ばかり。おかげで、空気はずいぶんと和やかだった。

 

 そんなわけで。俺は今、卓を囲んでいる。

 

 麻雀だ。詩音と、葛西さん。それに、古参の組員頭である宗石さん、といったか。強面でこそあるものの陽気な性格で、しかしやたらと体格の良いの男性だ。四人で牌を並べて、さっきから、ずっと打ち続けている。

 

「それロン。……はい、圭ちゃん。二千点いただきます」

「またかよ!?」

 

 詩音が、にんまりと手牌を倒す。俺の切った牌を、また拾われた。今ので何度目だ。

 

 俺だって、まったくの初心者ってわけじゃない。ルールくらいは知ってるし、それなりに考えて打ってるつもりだ。なのに、どういうわけか、俺の捨て牌ばかりが面白いように当たりになる。

 

「ぐ……次だ、次。今度こそ」

 

 気を取り直して、次の局。

 配牌は、悪くなかった。索子が伸びそうで、真ん中の牌もそこそこ揃っている。鳴かずともみるみる手が整っていく。おお、これは。いけるんじゃないか。俺は内心、拳を握った。あと一枚。あと一枚、五索か八索がくれば、リーチだ。

 

「圭ちゃん。今、五索か八索あたり、待ってるでしょう」

「──ぶっ」

 

 思わず、茶を吹き出しかけた。

 

「なっ、なんで分かるんだよ!?」

「言ったでしょう、顔に書いてあるって。……あ、ついでに言っときますと。その待ち、来ませんよ、きっと」

「ぶ、ブラフだ!」

「予言です。ふふ」

 

 詩音が、くつくつと肩を揺らす。そして、その予言ってやつは、恐ろしいことに大当たりだった。待てど暮らせど、五索も八索も、一向に降りてこない。それどころか、俺の待ち牌を、詩音がしれっと自分の手の中に抱え込んでいる気配すらある。

 

 結局、その手もあがれずじまいで流れた。

 

「なぁ〜んで分かるんだよ!俺、何も言ってねぇだろ!?」

 

 たまらず、俺は卓に突っ伏した。あがれると思った手を潰されるのは、こたえる。しかも待ち牌まで先読みされたんじゃ、勝てるわけがない。

 

「言ってなくても、圭ちゃんは顔に書いてありますからねぇ」

 

 詩音が、それはもう邪悪な笑みを浮かべて、くっくっくと喉を鳴らす。

 

「いい手のときは、目がキラキラ。悪い手のときは、眉がへにょり。危ない牌を掴んだときなんか、指先がぴくって震えるんですよ。捨てる前に一瞬止まった牌の筋を見りゃ、何を待ってるかなんて、丸わかりです」

「そんなに分かりやすいのか、俺……」

「実直で素直なところは、前原さんの美徳だと思いますよ」

 

 隣で、葛西さんが穏やかに牌を並べながら、フォローだか何だか分からないことを言う。美徳ねぇ。麻雀の卓に限っては、まったくもって、ありがたくない美徳だ。

 

「まあまあ、坊主」

 

 組員の宗石さんが、豪快に笑って、俺の肩をばしばしと叩いた。

 

「世の中な、うまく渡ってくためにゃ、騙し騙されも大事だぜ?顔にぜぇんぶ出してたんじゃ、こういう稼業じゃ生きていけねぇや」

「いや、俺は別に、その稼業で生きてくつもりは……」

 

 と言いかけて、まあ、いいかと飲み込んだ。悪い人たちじゃない。むしろ、やたらと可愛がってくれる。この数日で、すっかりそれは分かった。

 それにしても、だ。

 

 俺は、正面の詩音をじとりと睨む。こいつ、強い。ただ顔を読まれてるだけじゃない。牌の切り方、待ちの読み、押し引きの見極め。全部が、俺なんかとは、まるで格が違う。にこにこ笑いながら、その裏で、恐ろしく冷静に卓を支配している。

 

 ……こういうところは、なんというか。やっぱり姉妹の血、ってやつなのかもしれない。ふと、そんなことを思った。魅音のような勝負師の顔。

 

「どうしました圭ちゃん。人の顔じっと見て。惚れ直しました?」

「もう一局だ、もう一局。次こそ、ぎゃふんと言わせてやる」

「あらあら。何度でもお相手しますよぅ。負けず嫌いですねぇ、圭ちゃんは」

 

 からから笑う詩音に、葛西さんと宗石さんも、やれやれと苦笑している。

 こうなったら、意地だ。一回くらい、あがってみせる。俺は、じゃらじゃらと牌をかき混ぜ始めた。

 

 

 翌朝から、屋敷は一気に慌ただしくなった。

 

 いよいよ年の瀬本番。正月を迎えるための、大掃除と飾り付けだ。組員たちが襷がけで駆け回り、あちこちで雑巾がけやら荷運びやらが始まっている。年に一度の、屋敷総出の大仕事。この和やかな本家派閥の連中ばかりになったおかげか、その慌ただしさすら、どこか祭りみたいに賑やかだった。

 

「おう坊主、ちょうどいいとこに!こっち手伝ってくれや」

 

 顔を出すなり、宗石さんに呼ばれた。俺は袖をまくって、二つ返事で駆け寄った。世話になってるんだ。こういうときくらい、汗を流させてもらう。

 

 まずは、門松だ。

 

 これが、思ったよりずっと重い。そりゃそうだ、その辺の一般家庭に飾るようなちゃちなもんじゃない、その3倍は大きいのだから。

 青竹を斜めに切り揃えたやつを、松やら南天やらと一緒に、どっしりした土台に据えていく。宗石さんと二人がかりで抱えて、玄関の両脇に、えっちらおっちら運んでいった。

 

「よし、そこだ。まっすぐ、まっすぐ……おう、いいぞ坊主!筋がいいじゃねぇか!」

「っ、こ、こんなもんすかっ」

 

 腕がぷるぷるいうのを堪えて、なんとか据える。額に汗がにじむ。冬だってのに、体はすっかり火照っていた。

 

 次は、注連縄。

 

 これも一苦労だ。脚立に登って、玄関の上に張り渡す。慣れない高所で、俺はおっかなびっくり手を伸ばした。と、ぐらり、と脚立が揺れる。うわ、まずい。

 

「危ないですよ。前原さん、両足の位置をもう少し均等に」

 

 すっ、と。下から、葛西さんが脚立を押さえてくれた。相変わらず頼りにしかならない人だ。

 

「前原さん。そちらの端を、まず柱の釘に。それから反対側を引いて、たわみを整えるとよろしいかと」

「あ、な、なるほど。……こうですか?」

「ええ。お上手です」

 

 葛西さんの言う通りにすると、するすると綺麗に張れた。この人は、本当に何でも知ってるし、何でもできる。餅は餅屋、じゃないが、こういう年中行事の段取りも、完璧に頭に入っているのだろう。

 

 それからも、あちこちで引っ張りだこだった。

 

 鏡餅を供えて回り、重たい米俵を蔵から運び出し、庭の落ち葉を掃き集める。慣れない力仕事に、正直、腰も腕も悲鳴をあげている。それでも、不思議と嫌な気はしなかった。

 

「坊主、飲め飲め。ほれ、甘酒だ」

「兄ちゃん、いい働きっぷりだなァ。なぁ、うちの娘どうだ?」

「ばか、この子は詩音お嬢のだろうが」

 

 組員たちが、何かと俺に声をかけてくる。汗をかいて、一緒に体を動かしていると、じんわりと胸に染みるものがあった。

 

 この人たちは、堅気じゃない。物騒な稼業の、剣呑な連中だ。頭では、分かっている。それでも、こうして一緒に汗を流していると、そんな垣根が、少しずつ溶けていく気がした。以前の屋敷の一件で一目置かれたのとは、また違う。今度は、同じ汗をかいた仲間として、受け入れてもらえてるような。そんな手応えだ。

 

 ふと、庭のほうを見ると。

 詩音が、てきぱきと指示を飛ばしていた。

 

「そっちの松飾りはもう少し左です。あー、鏡餅の橙、向き逆になってますよ。ったく……もう、しょうがないですねぇ」

 

 組員たちが、「へい、お嬢!」と、きびきび動く。その様が、なんとも様になっている。学校の顔役ぶりとも、また違う。なんだかんだ、この屋敷での居場所もしっかりあるんだなぁと。

 

 その少し奥では、茜さんが縁側から、全体をのんびり眺めている。時折、「そこはこうしな」なんて、鶴の一声を飛ばして。屋敷全体が、一つの生き物みたいに、正月へ向けて動いている。

 

 ……不思議な光景だ。

 

 俺には、もう帰る家も、迎える正月もない。だからこそ、こういう賑やかな年の瀬ってやつが、やけに眩しく見えるのかもしれない。

 

「圭ちゃーん。ぼーっとしてないで、手ぇ動かす!」

「悪い!今行くよ!」

 

 詩音の声に、俺は慌てて雑巾を握り直した。まったく、人使いが荒い。

 

 

 力仕事があらかた片付いた頃には、日も傾きかけていた。

 

 あとは細々した掃除と片付けを残すのみ。俺は組員たちに交じって、蔵の整理を手伝っていた。使い込まれた道具やら、古い木箱やらを、ひとつひとつ運び出しては埃を払っていく。地味だが、こういう作業も嫌いじゃない。

 

「いやぁ、しかし坊主。よく働くなァ」

 

 宗石さんが、汗を拭いながら笑う。ほかの組員たちも、うんうんと頷いた。

 

「お嬢が連れてくる男だってんで、どんなもんかと思ってたが」

「案外、見どころがあるじゃねぇか」

「昔のお嬢からは、想像もつかねぇよなァ。あんな人見知りだった子が、こんなしっかりした男を連れてくるとは」

 

 人見知り?

 俺は、雑巾を動かす手を止めた。詩音が、人見知り。あの、口を開けば減らず口の、誰彼構わずおちょくり倒す、あいつが?

 

「昔の詩音って、そんなに違ったんすか」

「そりゃもう。ちっちぇえ頃のお嬢はな、そりゃあ淑やかで、おとなしい子でよォ」

 

 宗石さんが、目を細めて懐かしむ。

 

「いっつも魅音嬢、お姉さんの後ろに隠れてなァ。もじもじして、人の顔もろくに見られねぇような。それはそれで、可愛いもんだったぜ」

「へえ……」

「そのぶん、魅音嬢のほうが、まあ勝気でなァ。気が短くて、喧嘩っ早くて。組の若い衆相手に、平気で食ってかかるようなお転婆でよ。今の詩音お嬢とよく似てるっつーか」

 

 なるほど。そういうことか。

 

 俺は、思わず、深々と頷いてしまった。淑やかで人見知りな詩音なんて、俺の知ってるあいつとまるで結びつかない。だが──“そういうこと”なら、通りで、しっくり……いや、それはそれで、魅音が人見知りでお淑やかって事になるから……それもどうなんだ?

 

 ともあれ、二人には幼少期の入れ替わりという事実がある。どうやら組員も知らないようだが、姉の方が勝気で喧嘩っ早いというなら、なるほど。

 

「……通りでなぁ」

「はい?」

 

 顔を上げると、いつのまにか、詩音がすぐ横に立っていた。にっこりと笑っているが、目が笑っていない。

 

「圭ちゃん。今の、どういう意味です?」

「え。あ、いや、別に。深い意味は」

「通りで、って言いましたよね。何が『通りで』なんですか?ん?」

 

 ぐっ、と詰め寄ってくる。怖いんだよその笑顔は!

 

「い、いや、なんつーか。詩音も、昔はそういう時代があったんだなーって。しみじみ、な?」

「ふぅん?なんだか、含みのある言い方でしたけどねぇ」

「気のせいだ気のせい。ほら、掃除掃除」

 

 俺は、あいつの視線から逃げるように、雑巾を握り直した。危ない危ない。あやうく、藪蛇になるところだった。詩音は、まだ何か言いたげにこっちを睨んでいたが、やがて「まあいいでしょう」と、ぷいと引き下がった。

 

 ……勘のいいやつだ。

 と、そのときだった。

 

「うおっ、なんだこりゃ。こんなとこに缶詰が」

 

 蔵の奥を整理していた組員が、古い木箱を開けて、素っ頓狂な声をあげた。中から出てきたのは、黄ばんだラベルの、古めかしい缶詰の山。

 

 その瞬間。

 

「──ひっ」

 

 俺の隣で、詩音が、小さく息を呑んだ。

 

 見れば、あいつの顔から、みるみる血の気が引いていく。さっきまで俺を問い詰めていた威勢は、どこへやら。缶詰の山を、まるで親の仇でも見るような目で凝視して、じりじりと後ずさっている。

 

 あの詩音が。鵜飼相手にも一歩も引かず、俺を東京湾に沈めるだの眼球を焼くだのと物騒なことを笑って言うあいつが。たかが缶詰に、こんなに、あからさまに、おびえている。

 

 ……そういや、前に葛西さんが言ってたっけ。

 

 俺は葛西さんから聞いていた詩音のトラウマとやらを思い出した。

 日頃やられっぱなしだし、こういう機会でもないとやり返す機会もない。俺は内心ニヤリとしつつ、詩音に目を向ける。

 

「なぁ詩音、もしかして、この缶詰が、苦手だったりするのか?」

「なっ……そ、そんなわけ、ないでしょう。ただ、ちょっと、古そうだなーって」

 

 案の定否定する。ならば。

 

「ふぅん。じゃあ、これ。持って帰って、うちの玄関にでも、山積みにしとくか。非常時の蓄えとして」

「や、やめてください悪趣味な!」

「ん?悪趣味?俺は非常時に使えるようにしたいだけなんだが……むしろ準備が良いだろう?」

「ゔっ……」

 

 言葉に詰まる詩音だったが、次の瞬間。はっと何かに気づいた顔をして、じろりと俺を睨みつけてきた。

 

「……圭ちゃん。私がこれを苦手だって、知ってますね?」

「さぁね」

「くっ、白々しい……さては、葛西ですね?」

 

 さすがに鋭い。俺が口を割るまでもなく、あいつは犯人にたどり着いてしまった。

 

 視線が、部屋の隅で静かに片付けをしていた葛西さんに、突き刺さる。葛西さんは、素知らぬ顔で、湯呑みか何かを布巾で拭いていた。その横顔は、あくまで穏やか。だが、その口元が、ほんのわずかに、笑っているようにも見えた。

 

「おのれ葛西ぃ……」

 

 詩音の、地を這うような声。まったく、缶詰ひとつで、この賑やかさだ。

 

 

 

 さて。ひとしきり詩音をからかって満足したあと、俺はふと、手の中の缶詰に目を落とした。

 黄ばんだ、古めかしいラベル。ずいぶんと年季が入っている。こんなものが、なんだって蔵の奥に、後生大事にしまい込まれていたんだろう。

 

「宗石さん。この缶詰、なんなんですか。ただの古い保存食にしては、大事にとってあるみたいですけど」

 

 俺が訊くと、宗石さんの顔から、ふっと笑いが引いた。かわりに浮かんだのは、どこか厳かな色だ。

 

「ああ……そいつは命日用の缶詰だな」

「命日用?」

 

 手にしていた雑巾を置いて、宗石さんは、あぐらをかき直した。

 

「園崎の家じゃ、毎年、決まった日に、その缶詰を食う習わしがあってな。先代――お魎様の旦那さん。宗平の大旦那の命日にだ」

「それは……」

 

 妙な習わしだ。だが、宗石さんの口ぶりからして、あまり笑っていい話じゃないらしい。俺は、居住まいを正した。

 

「大旦那はな。そりゃあ、大した人だったそうだ」

 

 宗石さんが、遠い目をして語り出す。

 

「昔、まだ戦争があった時分よ、軍の缶詰工場で働いてたんだそうだ。雛見沢の連中と一緒にな。で、戦争が終わって、日本に引き揚げてくるとき――どさくさに紛れて、その缶詰を、どっさり持ち帰ってきたんだと」

「持ち帰って……って、それ」

「まあ、堅いことは言いっこなしよ。飢えて死ぬか、生きるかの時代だ。大旦那はそれを闇市で売りさばいて、でっかい元手をこさえた。そんで、そのカネをぜぇんぶ、村のために注ぎ込んだのさ」

 

 雛見沢のために、か。

 

「その頃の雛見沢はな、もう廃れる寸前だったらしい。人も減って、田畑も荒れてな。園崎も村とおんなじ運命を辿るしかないって状況でよ、それを、大旦那が立て直したんだ。缶詰で得たカネで、村をまるごと甦らせた。園崎が今の力を持てたのも、元をたどりゃ、そのおかげってわけよ」

 

 へえ、と俺は素直に感心した。詩音のお祖父さんにあたる人か。そんな傑物がいたとは。

 

「……ただな。世の中、うまくいく話ばかりじゃねぇ」

「というと」

「ご隠居が持ち帰った缶詰。あれには、人の肉が詰まってたんじゃねぇか――なんて、心ない噂を立てられたのさ。昔の上官だったって男が、そんな醜聞を、あちこちに触れ回りやがってな」

 

 思わず、手の中の缶詰を、まじまじと見てしまった。そんな噂を立てられたのか。事実かどうかなんて、今となっちゃ、確かめようもない。ご隠居本人は、死ぬまでそれを否定し続けた、というが。

 

「その噂のせいでな。ただでさえ、余所者から白い目で見られがちだった雛見沢に、また差別の目が向くようになっちまった。せっかくご隠居が立て直した村によ」

 

 村を救った人が、いわれのない醜聞を着せられ、その村ごと、再び後ろ指をさされる。何ともあんまりな話だ。よかれと思ってやったことが、結局、新しい苦しみの種になっちまうなんて。

 

「けどな、坊主。雛見沢の連中は、泣き寝入りはしなかった。その理不尽に、みんなで団結して、抵抗したのさ。……あとになって、ダムだなんだで、また村が理不尽な目に遭ったときも。あのとき培った結束が、あったんだと。俺ぁ、そう聞いてるぜ」

 

 ダム。鬼ヶ淵死守同盟。雛見沢の連中が、村を守るために、一丸となって国と闘ったという、あの一件。その根っこには、こんな昔からの、積み重なった理不尽への怒りがあったのか。

 

「だからな。園崎の家じゃ、大旦那の命日には、あえて缶詰を食うのさ。あの人が背負ったもんを、忘れねぇように。村の誇りと、悔しさを、噛みしめるためによ」

 

 缶詰ひとつに、そんな重たいものが詰まっているとは、思いもしなかった。

 

 ちらりと、詩音を見る。あいつは、ばつが悪そうに、そっぽを向いていた。なるほど。幼い頃、葛西さんあたりから、この人肉がどうのという物騒な話を、たっぷり聞かされたんだろう。そりゃあ、缶詰が苦手にもなる。トラウマってのは、そういうもんだ。

 

 ……なんだか、さっきまで缶詰でからかってたのが、少し申し訳なくなってきた。

 

「しんみりしちまったな。ま、そういう、いわくつきの家系ってこった」

 

 宗石さんが、空気を変えるように、がはは、と豪快に笑った。

 

「なあに、園崎の武勇伝なら、しみったれた話ばかりじゃねぇぞ。景気のいいのも、山ほどある」

「景気のいい?」

「おうよ。たとえば、そこにいる葛西さんなんかもな。若い頃は、そりゃあ鳴らしたもんだ」

 

 え、と俺は葛西さんを見た。相変わらず、穏やかに湯呑みを拭いている。

 

「この人はなァ、昔は『散弾銃の辰』なんて呼ばれてよ。たった一人で、殴り込んできた他所の組を、丸ごと叩き潰したって伝説があるんだ」

「マジっすか……」

 

 思わず、まじまじと葛西さんの横顔を見てしまう。いや確かに只者じゃないオーラというか、この人が本気になったらとんでもないことになるんだろうことは想像に難くなかったが、まさかそれほどまでとは。

 

 すると葛西さんが、静かに口を開いた。

 

「昔の話です、前原さん。それに、だいぶ尾ひれがついてる気が」

「またまたぁ。謙遜しちゃって」

 

 宗石さんの言葉に葛西さんは、やれやれと苦笑するばかりで、否定も肯定もしない。その飄々とした佇まいが、かえって、伝説の信憑性を裏付けているようにも思えた。

 

 それから、俺はしばらく、組員たちの武勇伝話に付き合わされた。

 やれ、どこそこの組との出入りで、誰それが大立ち回りを演じただの。やれ、伝説の親分が、たった一言で一触即発の場を収めただの。半分は法螺だろうと思いつつ、それでも、聞いているうちに、なんだかわくわくしてくる。

 

 こうして、火鉢を囲んで、昔語りに花を咲かせていると。園崎組ってのが、ただの物騒なヤクザの集まりじゃない、ってことが、じんわりと分かってくる。ここには、この人たちなりの、誇りや、歴史や、譲れねぇもんが、ちゃんとある。

 

 

 もっとも──。

 宗石さんたちが、どこか懐かしそうに、遠い目で語るのは、決まって「昔」の話ばかりだ。今の園崎組に、その頃の勢いはもうない。大災害で何もかもが傾いて。その事実が、賑やかな笑い声の底にほんの少しの寂しさを滲ませていた。

 

 

 

 大晦日の夜は、しんしんと更けていく。もうあと1時間もすれば年が明けるというのに、なんだか年を越す実感が薄い。

 

 奥の座敷からは、組員たちの酒盛りの声が、絶え間なく響いてくる。もうすっかり出来上がっているらしい。誰かが下手な歌を披露しては、どっと笑いが起きている。テレビからは、紅白歌合戦の華やかな音楽。一年の終わりってのは、どこの家でも、こんなに賑やかなもんなんだろうか。

 

 俺はその喧騒を背に、一人、縁側に腰かけていた。

 師走の夜気は確かに冷えるが、同時に心地良さもある。ぼんやり庭を眺めていると、廊下のほうから、ぱたぱたと足音が近づいてきた。

 

「お待たせしましたぁ。年越しそば、できましたよ」

 

 その声に振り返って──俺は、危うく間抜けな声をあげるところだった。

 

 詩音が、盆を手に立っている。それはいい。問題は、その格好だ。滞在中はずっと私服姿だったのに。今夜は、ゆったりとした浴衣をまとっている。実家でくつろぐための、寝間着がわりってやつだろうが。淡い桜色の地に、小さな椿の花が、ぽつぽつと散らした柄。飾り気はないが、そのぶん、あいつの白い肌によく映えていた。

 

 肩には、寒さしのぎだろう、濃紺の羽織を、ふわりと引っかけている。おまけに、いつもは下ろしている髪を、あの露天のときみたいに、ハーフアップに結い上げていた。

 

 うなじが、廊下の灯りに、ほんのりと照らされて。

 

 

 ……えっと、なんだ。

 

 

 妙に、その……大人びて見える。いつものからかい癖の強い顔とは、まるで別人だ。気の抜けた普段着のはずなのに、かえって、その隙のある柔らかさが、やたらと目についてしまって。俺は柄にもなく、一瞬見とれていた。

 

「圭ちゃん?」

「え?」

「なに変な顔で呆けてるんです?」

 

 だれが変な顔だよ、なんて。そんないつものツッコミをする余裕もなかったというか、不意打ちされてそんな考えすら及ばずに。

 

「あ、いや……浴衣、似合ってるな」

 

 しまった。

 

 口が、勝手に動いていた。考えるより先にするりと。言ってから、俺は頭を抱えたくなった。なに素直に褒めてんだ、俺は。こいつに隙を見せたら、どうなるか。さんざん、思い知ってきたじゃないか。

 

 案の定、詩音の動きが、ぴたりと止まった。

 

「……へ?」

 

 ほんの一瞬、あいつは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。しかし、彼女はすぐに顔を背けると、大きく咳払いを一つ。やがてニヤリと、いつもの意地の悪い笑みを浮かべてみせた。そらきた。

 

「あらあら。圭ちゃんったら、もしかして私に見惚れちゃいました?」

「……っ、いや、その」

「ふふーん。素直でよろしい。まあ、これだけの美人が隣にいるんですから、無理もありませんけどねぇ」

 

 勝ち誇ったように、盆を置いて、俺の隣に腰を下ろす。くそ、墓穴を掘った。いや、なんの墓穴だ?よく分からんけど、なんだかペースを完全に持っていかれる気が。

 

 俺が言葉に詰まっていると、椀を差し出しながらも、左手で小さくぐっと拳を握っていた。

 褒められた=勝ち、とでも思ってるんだろう。ったく、こんなときまで勝ち負けかよ。子供じゃあるまいし。

 

 ……でも、なんだろう。あいつに一本取られたみたいで、どうにも据わりが悪い。ひょっとして、俺も子供なのか?

 

「詩音。お前、今、ガッツポーズしてなかったか」

「──してませんっ!気のせいですっ!」

 

 食い気味に否定されるが、これ以上突っ込むと、それこそ眼球を焼かれかねない。俺は賢明に口をつぐむことにする。代わりに、湯気の立つそばを、ずずっとすすった。あったかい。染みる。冷えた体に、出汁の温もりが、じんわり広がっていく。

 

 しばらく二人して、無言でそばをすすった。奥の喧騒がやけに遠く聞こえる。紅白の音も、笑い声も、全部、この縁側の外側のことみたいだ。

 

「……ねえ、圭ちゃん」

「ん?」

「来年も。私の付き人、続けてくれます?」

 

 ふいに、詩音がそんなことを訊いてきた。そばの椀に視線を落としたまま、なんてことない口ぶりで。

 なんだ、藪から棒に。俺は、少し考えて──というほどでもなく、口を開いた。

 

「そりゃ、お前が許してくれる限りはな。どうせ俺には、他に行く宛なんてねぇんだ。せめてまとまった退職金もらえるまではしがみつきたい所存だ」

 

 我ながら、色気のない返事だ。だが、本当のことだった。この身寄りのない俺を拾って、居場所をくれたのは、こいつなんだから。追い出されない限り、俺はずっと、こいつの隣にいたい、と思う。

 

「……ふふ。なんですか、それ」

 

 詩音が、小さく笑った。呆れたような、それでいて、どこか嬉しそうな。

 

「しょうがないですねぇ。じゃあ、せいぜい長く、こき使ってあげます」

「お手柔らかに頼むぜ」

「善処します」

 

 全くそんな事ない口ぶりで。その後はいつものように、軽口を返し合いながら。

 

 奥では、除夜の鐘が鳴り始めたのか、組員たちが「そろそろかァ」なんて騒いでいる。ゆく年くる年。この賑やかな屋敷で、俺は、詩音と並んで、静かに年を越そうとしていた。

 

 

 

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