ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜   作:通行人A'

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初詣?デート?

 

 

 

「せっかくですし、初詣にでも行きましょうか」

 

 元旦の朝。新年の挨拶やら何やらを一通り済ませると、詩音がそんな提案をした。俺も、こういう行事にはとんと縁がなかったから、全く異論はない。

 

「じゃあ圭ちゃん、これに着替えてください」

 

 差し出されたのは、たたまれた着物一式だった。渋い藍色の、男物。

 

「着物?俺が?」

「当然でしょう。せっかくのお正月に、初詣ですよ。私だけ着物で、隣が普段着じゃ、締まらないじゃないですか」

 

 見れば、いつのまにか詩音のほうも、すっかり装いを改めている。淡い若草色の地に、梅の花をあしらった晴れ着。髪も品よくまとめて、しゃんと背筋を伸ばして立っていると、いつもの悪戯っぽく笑む詩音の面影が、少しだけ遠く見えた。

 

 ……まあ、正月だしな。似合ってる、とか。うっかり口に出すと、また昨日の二の舞だ。俺は賢明に口をつぐんだ。

 

「ほら、ぼーっとしてないで。着付け、手伝ってあげますから」

「いや、着物なんて、七五三以来だぞ。着方なんてさっぱり──」

「だーかーら、手伝うって言ってるでしょう。ほら、こっち来て」

 

 半ば強引に、俺は詩音の前に立たされた。

 

 言われるがまま、袖に腕を通す。それらしく羽織ってはみたものの、どこをどう合わせて、どう結べばいいのか、皆目見当がつかない。もたもたしていると、詩音がため息まじりに、俺の前へ回り込んできた。

 

「もう。貸してごらんなさい」

 

 そう言って、俺の襟元に手を伸ばしてくる。

 

 ──近い。

 

 思わず、息を止めた。あいつの指先が、俺の胸元や首筋を、するすると動いていく。襟を整え、身頃を合わせ。真剣な顔で手元に集中しているぶん、その距離の近さに向こうは無頓着らしい。俺のほうは……正直たまったものじゃないが。

 

「動かないでください。帯、締めますよ」

 

 後ろに回った詩音が、俺の腰に帯を巻きつける。ぐっ、と引き締められるたび、背中に気配を感じる。息がかかりそうな距離だ。思わず減らず口も出てしまうってもので。

 

「このまま帯で締め殺されたりはしやしねぇだろうな」

「おやぁ?それはそうなりたいってことですか?こんな場所でドM宣言とは、相変わらず変態ですね」

「ぐぇ」

 

 いうが早いか思い切り締め付けられる。く、くるしい……息が詰まりそうだ。

 

「悪かった詩音、後生だから情けを」

「良いではないか良いではないか」

「それ逆だろ」

 

 帯が緩められ、またテキパキと巻き直される。

 

「ふふ。圭ちゃん、なんだか固まってません?」

「気のせいだろ」

「あらあら。もしかして、緊張してます?私に、こんなに近づかれて」

 

 耳元で、囁くように言われた。くそ、完全に見抜かれている。ダメだ、最近コイツのいいように転がされてる気がしてならない。いや、立場的にはそれで正解なんだが……しかし、それでいいのか前原圭一!と内なる声が語りかけてくるのだ。

  

「……ね、圭ちゃん。今日は」

 

 と。締めていた帯の手を止めて、詩音が、ふと声のトーンを変えた。さっきまでのからかう響きに、何か、別のものが混じったような。

 

「付き人とか、そういうの抜きにして。……ただの、カップルのデートってことに、してあげてもいいですよ?」

 

 ……は?

 

「な、何言ってんだ、お前」

「なーんて。冗談ですよ、冗談!そんな、うろたえちゃってまぁ」

 

 けらけらと、いつもの調子で笑い飛ばす。……んなこったろうと思ったよ。だが、その笑い声が、ほんの少しだけ、上ずっていたような。……いや、気のせいか。

 

 デート、なんて言葉をまともに意識しちまった自分がいる。付き人と主。その関係に、俺はとっくに慣れたつもりでいたのに。あいつが一言、その線を踏み越えかけただけで、こんなにも調子が狂う。

 

「はい、できましたよ。……うん。悪く、ない出来です」

 

 帯を結び終えた詩音が、俺の全身を眺めて、満足げに頷いた。

 

「どうです?初めてにしては、なかなか様になってるじゃないですか」

「……そりゃどうも。お前が着せたんだろ」

「ふふ、違いない」

 

 姿見を覗くと、見慣れない着物姿の自分がいた。少しだけ、背筋が伸びるような心地がした。

 

「さ、じゃあ行きましょうか。初詣」

 

 先に立って歩き出す詩音の、晴れ着の背中を追う。梅の花の裾が、朝の光に、ふわりと揺れた。

 

 

 

 神社は、思いのほか近かった。

 

 屋敷から歩いて十五分ほど。参道の入り口に立つ鳥居をくぐると、そこはもう、正月の熱気でごった返していた。晴れ着姿の家族連れ、はしゃぐ子供、屋台の呼び込み。しんと静まり返っていた昨夜の屋敷が嘘みたいに、あたりは活気に満ちている。

 

「うわ、すげぇ人だな」

「元日ですからねぇ。このへんじゃ、一番大きな神社ですし」

 

 参道は、身動きが取りづらいほどの人出だった。両脇には屋台がずらりと並んで、香ばしい匂いを漂わせている。俺は人波にもまれながら、はぐれないように、詩音のあとを追った。

 

 と。前を歩いていた詩音が、参道の合流するあたりで、どっと押し寄せた人の波に、ぐらりとよろめいた。

 

「わっ、と……」

 

 考えるより先に。俺は、あいつの手首を、とっさに掴んでいた。

 

「危ねぇぞ……大丈夫か」

 

 人混みに押し流されそうになった、その手を、ぐっと引き寄せる。詩音が転ばないように。はぐれないように。

 彼女の手はやけに小さくて、あたたかい。妙に、意識がいってしまいそうになるのを必死に押し殺す。

 

「……っ」

 

 詩音が、小さく息を呑む。俺の顔と、掴まれた自分の手を、交互に見て。それから、固まった。

 

 ……あれ。いつもなら、ここで「あらあら、圭ちゃんったら大胆ですねぇ」なんて、からかい返してくるはずなのに。今日のあいつは、なぜだか、何も言わない。ただ、掴まれた手を、振り払おうともせずに。俯いて、黙り込んでいる。

 

 まずい、不可抗力とはいえ怒らせてしまったか?

 

「あー、悪い。とっさに、その」

 

 手を離そうとすると、詩音が、ぎゅ、と握り返してきた。

 

「……いいですよ、このままで。また、はぐれても面倒ですし」

 

 だから掴んだ手を、離しそびれてしまった。結局、二人、手を繋いだまま、人混みの中を進むはめになった。

 うん……なんだこれ。慣れないシチュエーションが心臓に悪い。手のひらに、あいつの体温が、じかに伝わってくる。参道の喧騒もやけに遠くに聞こえた。

 

 本殿の前は、賽銭を投げる人でぎっしりだった。順番を待って、俺たちも、なんとか賽銭箱の前にたどり着く。

 

 鈴を鳴らし、手を合わせる。

 

 さて、何を願ったものか。健康、とか。無病息災、とか。そういう当たり障りのないやつでいいか──いや、もう少し具体的な方が……“今の”当たり前の日々が、少しでも長く続きますように、とか。“皆”が、せめて安らかに眠り続けられますように、とか。

 

 いくつか願いを心の中で綴ったあと、そっと隣を見た。詩音が、目を閉じて、真剣な顔で手を合わせている。その横顔が、いつになく静かだった。

 

「圭ちゃん」

 

 参拝を終えた詩音が、こちらを見ていた。もう、いつもの顔に戻っている。

 

「何お願いしたんです?」

「そういう詩音こそ」

「私はとーぜん世界平和、隣人博愛を」

「嘘つくにしてももう少しマシな嘘にしろよ……」

「失礼な人ですねぇ」

 

 一番似つかわしくない言葉、なんていうと怒られそうなので黙っておく。

 

「どーせ圭ちゃんは彼女がたくさんできますように、とかそんなんでしょ」

「ばっ、バカにするな!俺だって天下泰平と国家安寧をだな」

「さっきの言葉、熨付けてそのままお返しします」

 

 お互い様らしい。

 

「私の願い事、教えてあげましょうか?」

「は?いや、言ったら叶わねぇんじゃ」

「特別ですよ、特別。聞きたいでしょう?」

 

 もったいぶって、詩音が唇の前に指を立てる。俺が、つい身を乗り出しかけると──あいつは、いたずらっぽく、にっと笑った。

 

「……なーんて。やっぱり、教えませーん」

「……おい」

「ふふ。もし、私と圭ちゃんの願い事が同じだったら。二人ぶんで、倍、叶いやすくなるかもですね」

「聞いたことねぇけどな、んな理屈」

 

 俺の願いと、こいつの願いが同じだとはとても思えない気がするが。

 思わせぶりに笑って、詩音は、くるりと背を向けた。俺は、まだ体温が残る手のひらを、そっと握りしめて、そのあとを追った。

 

 

 

 正月の境内はますます賑わいを増していた。

 

 おみくじの授与所に、人だかりができている。詩音が「せっかくですから、引いていきましょうよ」と俺の袖を引くので、俺たちも列に並んだ。

 

 順番が来て、それぞれ、筒を振る。細い棒を一本、引き当てて、番号の紙をもらう。

 

「さあて。運試しですねぇ」

 

 わくわくした様子で、詩音が紙を開く。俺も、自分のを広げてみた。

 

「……げ。凶だ」

 

 でかでかと書かれた一文字に、俺は思わず天を仰いだ。新年早々、縁起でもない。

 

「あっはっは。日頃の行いですねぇ、圭ちゃん」

「うるせぇよ。……で、お前はどうなんだ」

「私は──中吉、ですね」

 

 言いながら、詩音が、紙面に目を落とす。何やら、項目をひとつひとつ、丁寧に読んでいる。

 

「ふむふむ。願望、叶うが時をかける、と。学問、油断するな。健康、案ずるに及ばず……お、縁談の欄もありますよ」

「縁談って。気の早ぇ話だな」

「あら。縁ってのは、なにも男女のことばかりじゃありませんよ。人と人との、あらゆる繋がりのことです。友との縁、恩人との縁……そういう、いろんな縁のことを言うんです」

 

 紙面をつう、となぞりながら、詩音が言う。

 

「『得難き縁を、大切にすべし』……ですって。ふふ。いい言葉じゃないですか」

 

 そう言って、ちらりとこちらを見た。何か、言いたげな。含みのある目で。だが、それ以上は、何も言わない。ただ、その紙を、大事そうに、きれいに畳んで袂にしまった。

 

「ほら、圭ちゃんも。凶は、結んでいくといいらしいですよ。木の枝に結んで、厄落としです」

「へいへい」

 

 言われるまま、俺は凶のおみくじを、所定の場所の枝に結わえつけた。これで少しは、厄が落ちてくれりゃいいんだが。

 

 おみくじのあとは、参道の屋台を、二人で冷やかして回った。

 射的に、金魚すくい、綿菓子。正月らしく、甘酒や、大判焼きの湯気があちこちで上がっている。

 

「圭ちゃん、あれ。たこ焼き、食べましょうよ」

「お、いいな。買ってくる」

 

 ほどなく、湯気の立つたこ焼きの舟を手に、俺たちは人混みの端に寄った。爪楊枝で一つ刺して、はふはふと口に運ぶ。熱い。だが、うまい。冷えた体に、染みる。

 と。ふと隣を見ると、詩音が、たこ焼きを一つ、爪楊枝で刺して、こちらへ、すっと差し出していた。

 

「はい、圭ちゃん。あーん」

「……は?いや、自分で食えるって」

「まあまあ、いいから。ほら、あーん」

「いや、恥ずかしいだろ、こんな人前で」

 

 俺が及び腰になると、詩音は、それはもう楽しそうに、ニヤリと笑った。

 

「なーに言ってるんですか。今日はデートってことにしようって、言ったじゃないですかぁ」

「あれは、お前が勝手に……!」

「いいから、あーん。冷めちゃいますよ?」

 

 押し切られた。周りの目が気になって仕方ないが、ここで押し問答を続けるほうが、よっぽど目立つ。俺は観念して、差し出されたたこ焼きに、かぶりついた。

 

「……うまいよ。ほらもう、満足だろ」

「ふふ。素直でよろしい」

 

 してやったり、という顔で、詩音が笑う。まったく、調子のいいやつだ。俺は、赤くなった顔をたこ焼きの湯気で誤魔化した。

 

 それにしても。

 

 今日のこいつはなんというか。いつにも増して、よく笑う。よく喋るし、いつものからかいとも少し違う。もっと、こう、なんて言えばいいのか。どこか無理をしているような……そんな感じがする。けど、その違和感は俺には及びもつかない。

 

 深く考えるのはやめて、俺は、もう一つ、たこ焼きを口に放り込んだ。うん、美味い。

 

 

 

 人混みをぶらついていると、詩音の足が、ふと一軒の屋台の前で止まった。

 

 射的だ。棚には、色とりどりの景品が並んでいる。菓子やら、玩具やら、ぬいぐるみやら。詩音は、その一角を、じっと見つめている。

 

「圭ちゃん、圭ちゃん。あれ、獲ってくださいよ」

「あれって、どれだ」

「あれですあれ。ほら、あの、招き猫」

 

 指さす先を追う。棚の上のほうには、手のひらサイズの緑色の招き猫が置かれていた。だが。

 

 ……なんだ、あれは。

 

 よくある招き猫かと思いきや、様子がおかしい。片手を上げて、福を招く──はずなのになぜか、お腹に抱えているのは、ぎらりと光る包丁の装飾。あれ、普通こういうのって小判とかじゃねぇの?にっこり笑った猫の顔と、物騒な刃物。その取り合わせが、なんとも言えず、不気味だ。

 

 しかも、色合いもまた変だ。招き猫って白とか金色とかのイメージなのに……緑?

 

「詩音。まさか、あれか」

「そうですよ。可愛いじゃないですか、あの子」

「可愛い……か??」

 

 思わず、真顔で聞き返してしまった。玄関に置いたら福来どころか、恵比寿様も回れ右するやつだろう。どっちかというと魔除けの類か。

 ……このセンス、本気で分からん。レナみたいだ。

 

「ほら、獲ってくれるんですよね?私の、付き人さん?」

「はいはい、っと。乗せられてやるよ」

 

 文句を言いつつも、俺はコルクの弾を受け取って、銃を構えた。妙なもんだが、あの物騒な猫を、仕留められるかどうか。それだけで、俄然火がついてきた。

 

 一発目。外れ。二発目。かすっただけ。

 

「あーあ。圭ちゃん、へたっぴですねぇ」

「うるせぇ。黙って見てろ」

 

 三発目。狙いを定めて、慎重に。ぱすっ、と乾いた音。コルクが、猫の額のど真ん中に、見事に命中した。ぐらり、と傾いて、招き猫が棚から落ちる。

 

「よっしゃ!どうだ!」

「わあ、さすがです圭ちゃん!やりますねぇ!」

 

 屋台の親父から、招き猫を受け取って、詩音に手渡す。あいつは、それはもう嬉しそうに愛でていた。物騒な景品を大事そうにするその姿は、なんというか、字面ほど微笑ましくはない。だが、まあ。喜んでるなら、いいか。

 

「この子、名前なんにしましょう。メアカシ、とか」

「お前わざとやってない?」

 

 

 絵馬の掛所は、その先にあった。

 色とりどりの絵馬が、鈴なりに掛かっている。合格祈願、商売繁盛、家内安全。人々の願いが、ぎっしりと。

 

「せっかくですし、絵馬も書いていきましょうか」

 

 詩音が、二枚買ってきて、一枚を俺に渡す。俺は筆を借りて、少し考えた。願い、か。さっき賽銭のときに願ったのと、同じでいい。今の日々が、続きますように、と。短く書いて、掛所に結ぶ。

 

 隣を見ると、詩音は、絵馬に何やら、さらさらと書きつけていた。

 

「何て書いたんだ」

「秘密です」

 

 覗き込もうとすると、あいつは、さっと絵馬を胸に隠した。そのまま、俺に見られないように、くるりと背を向けて、掛所の端のほうへ。他の絵馬の陰になるあたりに、そっと結んでいる。

 

「なんだよ、見せてくれたっていいだろ」

「だーめ。これは、私だけの願いですから」

 

 振り返った詩音は、いつもの笑顔だった。けれど、その笑顔が、ほんの一瞬。ひどく、優しいような。それでいて、どこか、寂しげなような。そんな色を、かすめた気がした。

 

 ……気のせいだろうか。

 

 人混みと、屋台の灯りと、正月の喧騒。そのせいで、そう見えただけかもしれない。俺が瞬きをしたときには、あいつはもう、いつも通りの顔で、包丁招き猫を抱え直していた。

 

「さ、そろそろ帰りましょうか。ずいぶん長居しちゃいました」

「そうだな。……足、疲れたろ。ゆっくり帰るか」

 

 二人、来た道を戻り始める。西日が、参道を、あかね色に染めていた。詩音の手にある物騒な招き猫が、その光を受けて、ぎらりと、間抜けに光った。

 

 

 

 参道の喧騒が、少しずつ背後に遠ざかっていく。

 

 鳥居をくぐって大通りを外れると、屋敷へ続く小道に出た。人けもまばらで、さっきまでの賑わいが嘘みたいに静かだ。夕暮れの光が、枯れ木の影を長く道に落としている。二人の足音だけが、やけにはっきりと響いた。

 

「はー、楽しかったですねぇ。初詣」

 

 隣の詩音が、包丁招き猫を抱えたまま、うーんと伸びをする。夕日を受けた横顔が、やわらかく色づいていた。今日一日で、こいつの笑った顔をいったい何度見ただろう。

 

 確かに楽しかった。それは俺も素直にそう言える。この数日、園崎の家で過ごした時間も、まるごと。

 

「そうだな。……こういうのも、たまにはいいもんだな」

「なーに格好つけてるんです?」

「うるせ」

 

 この家に暗いものが根を張っているのは知っている。双子を忌み子として間引く因習。詩音が北条の家をかばって爪を剥がされた話。この家がこいつにどれだけむごい仕打ちをしてきたか。聞かされたとき、腸が煮えたのを覚えている。

 

 だから正直、身構えてもいた。ここは、そういう冷たいことが平然とまかり通る場所なんだと。

 なのに、何日か寝泊まりしてみて、思いのほか勝手が違った。

 

「なあ詩音。俺さ、この家のこと、ちょっと見方が変わったかもな」

 

 俺は夕焼けの空を見上げた。

 しきたりはむごい。それは変わらない。だが、そこにいる一人ひとりは血の通ったあたたかい連中だった。汗を流して、飯を食って、馬鹿話で笑って。そういう時間を、確かに過ごしたんだ。

 

「傾いちまったんだよな、大災害で。俺にできることがあるなら、少しでも力になりてぇ。この家が、もういっぺん元気になれるようにさ」

 

 言ってから、少し照れくさくなって頭をかいた。青臭いのは自分でも分かっている。それでも、世話になったんだ。だから素直にそう思った。

 

 返事は、なかった。

 隣を見ると、詩音はいつのまにか足を止めていた。俺より半歩うしろ。うつむいて、腕の中の招き猫に視線を落としている。夕日がその背中を赤く縁取っていた。

 

「……詩音?」

 

 妙な間だった。

 

 さっきまでのはしゃいだ空気が、すうっとどこかへ抜けていく。かわりに、しんとした冷たさが、この小道に降りてきた。俺は、なぜだか声をかけるのをためらった。

 

「……ねえ、圭ちゃん」

「お、おう」

「前に言いましたよね。私の目的は二つあるって」

 

 目的。あの日、病院で聞かされたやつだ。そのために、俺はこいつと契約した。

 

「ひとつは、悟史くんを探すこと。それと、もうひとつ」

 

 あのときは、まだ言えないと言っていた。もうひとつの目的。

 詩音が、こちらへ一歩、向き直る。

 

「もうひとつは、なんだと思います?」

 

 ぞくりとした。

 今日ずっと聞いていたはずのあいつの声だ。なのに、まるで別人のように平坦で、凍てついている。表情が、すっぽり抜け落ちていた。鵜飼を睨んだ、あのときの目。いや、あんなものじゃない。底の見えない、どこまでも冷えきった瞳が、まっすぐ俺を射抜いている。

 

 問いに、答えを返せなかった。身動きひとつ、取れやしない。まるで磔にされたみたいに。

 

「私のもうひとつの目的は」

 

 吐息のような呟きだった。風にさらわれて消えそうな、囁くほどの声。

 

 なのに、やけにはっきりと。氷の刃をそっと耳に押し当てられたみたいに、俺の中へ滑り込んできた。

 背筋を、冷たいものが這い上がる。俺はただ、その瞳を見返すことしかできなかった。

 

 

 

『あの家を──園崎家を消し去ること』

 

 

 

 

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